百五十六話 コツの練習中
闘技場の周りにできた、行商の店は繁盛しているようだった。
もう二、三日でクロルクルから離れるのか、店主は残った商品の売り込みをかけている。
「さあさあ、この町周辺の森じゃ、絶対に手に入らない調味料だ。塩だって、まだまだあるよ!」
「女の奴隷は売り切れだが、男の奴隷はまだまだあるぞ。屈強なのから、女顔の少年まで、どれも犯罪奴隷で買った人の思うままに使っていいぞ!」
威勢のいい声と、住民たちの品定めする姿を横に、俺は闘技場の中へ。
そして、町の外へと出ていく。
そうして森の中を歩く俺の隣には、当たり前のようにオゥアマトがついてきている。
「今日はあの湖に行くだけで、魔物と戦うつもりはないんだけど?」
オゥアマトにそう言葉をかけると、訳知り顔で首を横に振られた。
「いやいや、僕にはわかるぞ。こっそりと、何か練習するつもりだろ」
その指摘に、ぎくりとした。
ウィヤワに教わった体の使い方を練習しに、広い場所に行こうとしていたからだ。
「……なぜそう思うんだ?」
「なに、簡単なことだ。宿の部屋で、友が奇怪な動きを何度となくしていたからな。遅かれ早かれ、広い場所でその動きの何かを確かめるだろうと、思っていたんだ」
言い切ると、オゥアマトは勝ち誇った顔をする。
たしかに、部屋の中で教わった動きのコツを、試したことはあった。
けど、何かの動作の最中に、ふと思いついてやったぐらいで、ちゃんとやろうとするのは今日が初めてだ。
なのに、オゥアマトはそのちょっとした動作を、目ざとく見ていたようだ。
とはいえ、特に隠すつもりはなかったから、同行するのは構わない。
考えようによっては、ウィヤワの独特な動きが再現できているか、確認してもらえるので、ついてきてもらった方がお得なのかもしれないな。
「分かったよ。じゃあ、湖まで一緒にいこう」
「うむ。僕の友といると、退屈しないでいいな」
ニコニコと笑うオゥアマトを引き連れて、オゥアマトと出会ったあの小さな湖までやってきた。
着いてみると、相変わらずこの場所は、魔の森の中だというのに、穏やかな空気が流れている。
そんな湖の端で、俺は手足をブラブラと動かして、準備運動をしていく。
その様子を見て、オゥアマトも面白そうに真似を始め、長い尻尾までぷらぷらと動かしている。
程よく手足の関節が緩んだところで、ウィヤワに教わったコツを反芻する。
彼女の、こちらに動きを悟らせない動き方は、簡単に言ってしまえばフェイントを使っているらしい。
『人っていうのはね、何かを見たら、その何かが次にどう動くか、常に予想している生き物なの。だから、右に行くフリをして、実際に左に行くと、混乱して動きを見失いやすくなるの。そんなフリを、体の各所で同時にやると、見ている人は認識できなくなちゃうわけ』
そう、同衾した際の寝物語のように語ってくれた。
いきなりそんな複雑なフェイントはできないので、最初のコツと教えてくれたものを、この場で実践していく。
まずは、自分がどう予備動作を行っているかの確認だ。
例えば、前に歩こうとしたとき、少し頭が前に出るとか、足を持ち上げようと腰が少し動くとかを、細かく確かめていくわけだ。
けど、これがちょっと難しい。
意識して確認しようとすると、動きにわざとらしさが出てしまう。
そのため、何度か無心で歩いて止まってを繰り返して、ふとした拍子で動きを意識して確認することを繰り返す必要がある。
こうやって、小さな気づきを蓄積して、自由に予備動作を再現することが、ウィヤワのあの動きに至るコツなのだそうだ。
言うだけなら簡単だけど、これがまた大変だ。
人の動きなんて、細分化したら万を超える種類がある。
歩くだけでも、前に横に後ろに、斜め前に斜め後ろに、大股で小股で、跳ぶように地面を足で擦るように、などなど。
色々な歩き方があり、それに伴う予備動作は、それぞれ違っている。
一つの動きですら、時間がいくらあっても足りないと思うほど、試しにやってみるとすごい大変なことだと実感する。
けどそんな技術を、息を吸って吐くぐらいに、ウィヤワは簡単にやってしまう。
今更ながらに、そんな技法を持つ彼女が、どんな過去を送ったのか、知りたくなってしまう。
考え事が横道にそれながらも、時間をかけて、コツを反復練習していった。
軽く額に汗がにじんできたところで、掴んだ予備動作を記憶して残すため、少し動きを止める。
すると、ここまで俺の動きを黙ってみていたオゥアマトが、こちらに歩み寄ってきた。
「どうやら、『見せかけ』を学ぼうとしているようだな」
見せかけと聞いて首を傾げかけ、フェイントのことかと納得する。
「まあ、似たようなものだけど……」
「なら最初は、チマチマと『動きの起』を確かめるよりも、相手の目を誘う動きを身に着けることを、先にしたほうがいいぞ」
どういう意味かと疑問の目を向けると、オゥアマトがニヤリと笑う。
「こういうこと――だっ!」
言葉の途中で、オゥアマトの尻尾がこちらを攻撃しようとする素振りが見えた。
その動きに目が向いた瞬間、視界の端でオゥアマトがこちらに跳びかかってくる影が映った。
ハッとして避けようとする。
けど、尻尾の動きに注目していた数舜が命取りになり、オゥアマトに抱きつかれ、押し倒されてしまった。
「どあっ――あたた、なんだよいきなり」
「あはははっ。どうだ、避けきれなかったろ」
つんつんと先が痛い指先で、頬を突かれる。
ぺしっと手でその指をたたき落とし、オゥアマトを俺の上から押し退かす。
「俺は、オゥアマトのいう見せかけをやりたいんじゃなくて――」
「分かっているとも。『分からぬ殺し』を身に着けたいのだろ」
なんか、次から次へと、新しい言葉がでてくるな。
「なにその、分からぬ殺し、って」
「黒蛇族の偉大な戦士が使う、真正面からの不意打ちのことを指す。倒される方は、なぜ正面から攻撃を食らったかわからないことから、その名がついた技だ」
真正面なのに不意打ちとか、突っ込みどころだろうか。
いや、それよりも、黒蛇族の戦士が、ウィヤワと同じ技術を持っているってことは――
「――もしかして、オゥアマトも使えるの?」
「その通り――と言いたいが、未完成なのだ。故郷で偉大な戦士に手ほどきを受けたが、性に合わなくて、途中で投げ出してしまったのだ」
「習うの止めちゃったのか?」
「うむ。不意打ちは戦士に必要な技能の一つだが、なにも真正面からやる必要はないと気づいたからな。むしろ、分からぬ殺しを習うのは、それに対抗する技術を身に着けるという意味合いが強かったからな」
けど、とオゥアマトは断りを入れてきた。
「未完成とて、黒蛇族の戦士が使うものだ。生半な相手では、防ぐことはできないぞ」
胸を張って偉そうにするオゥアマトの言葉を受けて、俺はそれならと考えた。
「試しに、俺にその、未完成な分からぬ殺し、ってのを仕掛けてみせてよ。何かの参考になると思うし」
「むむっ。イタズラに技能を見せるのは戒められているのだが……まあ、見せる相手は僕の友であるし、助けられた恩もいくつかあるし、よいだろう」
オゥアマトは俺から五メートルほど離れると、自然な感じで立つ。
一方で俺は、フェイントを仕掛けてきても対応できるようにと、気を張りながら身構える。
こちらの用意ができたとみて、オゥアマトが合図を送ってきた。
「では、いくぞ――っと、普通は声をかけたりしないものだがな」
そんな苦笑い交じりの言葉の後で、オゥアマトが歩き出した。
その動きは、ウィヤワのものとは違って、認識すること自体はできた。
けど、あまりにもその動きが滑らか過ぎて、頭が混乱してくる。
手の動き、足運び、体の移動が、二重にダブっているように錯覚してしまう。
たぶん、ウィヤワが言っていた、予備動作から相手の動きを予想する、という脳の機能が、誤作動を起こしているんだろう。
未完成でこれなら、完成系になると、脳の誤作動でどう見えるのか気になってくる。
そんな考えをしていた俺との距離が、あと数歩という位置まで、オゥアマトは近づいてきた。
そのとき、ふっとオゥアマトの右腕が霞んで見えた。
次の瞬間には、俺の眼前に指が突き付けられていた。
滑らかな動きから、一転しての急挙動に、誤作動し続けた認識力がついていけなかったようだ。
手を避けそこなった俺の目の前で、オゥアマトはニコリと笑う。
「これが未完成の、分からぬ殺しだ。僕の友よ、ためになったか?」
「貴重な体験だったよ。ありがとう」
お礼を言うと、オゥアマトは偉そうな態度になった。
「恐らくは、友が習得したいのは、完成系の方だろう。だが、いきなりそれを納めようとするのには、無理がある。なにせ、僕ですら未完成であきらめたぐらい、高度な技術だからな」
「あまりに高度すぎるから、その前にさっき言っていた、人の視線を誘導する見せかけを学べってこと?」
「その通り。妙技を納める前には、多くの基本を学ぶ必要があるものだ」
それもその通りだな。
いきなり凄いことをやろうとしても、その基礎がないとできないのは当然だろう。
それに、オゥアマト式フェイント術を学べば、ウィヤワに教わったコツを練習に役立つ何かに気づけるかもしれないもんな。
「ならさ、見せかけの方法を、教えてもらってもいいかな?」
「もちろん、いいとも。なに、簡単なことだ。隠したい動きから、遠い位置にある体の部位を動かせばいい。黒蛇族なら、長い尻尾の先を体に放して置き、見せかけを行うときに派手に動かすことが、一般的だぞ」
なるほど、隠したい動きの前に、体のどこかを大きく動かして、相手の目を向けさせるのか――
「――って、人間に尻尾はないんだけど?」
「むむっ、そうだったな。では……どうしようか??」
オゥアマトは、自分と俺とが違う種族だと認識して、どう教えたらいいか迷ってしまったようだ。
俺は苦笑いすると、尻尾を使わずにどう動くかを中心に尋ねることにしていったのだった。




