百二十話 朝焼けの対決
地平線の先に日の光が出た頃、俺は目印岩の近くまでやってきた。
話に聞いていた通りに、平原の中にぽつんとある、高さと幅が五メートルぐらいずつある大岩だった。
指定された時間の通りにきたけど、周囲の草原に赤服魔導師――レッフーンの姿は見当たらない。
岩に近づきながら、どこにいるのかと探していると、頭上から声がやってえきた。
「ひふぃひふぃ。待っていたぞ」
視線を上に向けると、岩の天辺に顔に包帯を巻いたレッフーンが座っていた。
その横には、縄をけられて猿ぐつわをされた、リフリケの姿がある。
男装の服を脱がされたり、暴力を受けたような形跡がないことに、俺は安堵した。
レッフーンの方も、俺が一人できたことに、安心した様子だった。
「ひふひふ。言ったとおり、一人できたようだな。感心感心」
レッフーンは、俺が殴ってつけた顔の傷のせいか、鼻が詰まっているような声だ。
多分だけど、鼻が潰れてしまっているんだろうな。
そして、あの怪我の恨みを晴らすために、俺をここに呼んだのだろう。
「……言われた通りに来たぞ。その子を返してもらおうか」
レッフーンが、リフリケをシャンティと勘違いしているのかいないのか、俺には分からない。
そのため、曖昧な表現でリフリケの返却を求めた。
レッフーンは俺の言葉を聞いて、笑い声を上げる。
「ひふひふぃ、いいだろう。お前がきたことで、こいつはもう、用済みだしな」
レッフーンは岩の上に立ち上がると、リフリケを掴んで立たせる。
その姿を見て、俺は嫌な予感がした。
「ほら、受け取れ。風よ、こいつを吹き飛ばせ」
「チッ、やっぱりか!!」
レッフーンは魔法で風を起こし、リフリケを空中へと吹き飛ばす。
それも、俺の頭上を越え、背後に飛び去る軌道でだ。
「んんぅううううう!!」
頭上を悲鳴とともに飛んでいくリフリケを、俺は慌てて追いかける。
普通に走っていたのでは追いつけない。
攻撃用の魔法の水を足腰に纏わせることで、一気にスピードを上げる。
そして、リフリケが地面に激突する前に、どうにか受け止めることに成功した。
「リフリケ、大丈夫か!? あいつに何かされてないか?」
猿ぐつわを外すと、元気な声が返ってきた。
「んぅ――ぷぁ。平気、何もされてないよ。それよりも」
リフリケは注意を促すように、視線で岩の上にいるレッフーンを指す。
はっとして振り返ると、レッフーンの体は上空へと浮かび始めていた。
「ひふひふぃー。この場所で、唯一体を隠すことができる、この岩から離してやったぞ。これでもうお前は、逃げることしかできない!」
勝利宣言とも取れる言葉の後で、レッフーンは手の平をこちらに向けてきた。
俺はリフリケを抱えて、草原の中を走り始める。
そこにレッフーンから、言葉と魔法が飛んできた。
「さあ、お前につけられて汚名をそそぐため、あの日の続きをここでやるぞ! 風よ、切り裂け!」
一瞬だけ上昇が止まったレッフーンの手から、風が勢いよく出てきて、俺の後方にあった草むらを千々に切り裂いた。
「まだまだ行くぞ。風よ、逆巻け!」
レッフーンの言葉に合わせて、今度は進行方向上の原っぱに、竜巻が出現する。
俺は急停止すると、逃げる方向を左後ろへ変更した。
すると、頭上からレッフーンの笑い声が響いてくる。
「ひふひふー。逃げろ逃げろ。なにもない原っぱの真ん中だ。空を飛ぶこちら側からは、丸見えだぞ! 風よ、爆ぜろ!」
竜巻が消えると同時に、俺の近くの空間に、空気の圧力みたいなものを感じた。
咄嗟に地面に伏せると、一秒後に花火のような音と衝撃が巻き起こった。
爆風が収まるのを待ってから、リフリケを抱えてまた走る。
まったく。風の魔法の種類は、男に貰ったメモで知ってはいた。
あの爆発する魔法も、文字上では理解していた。
けど、実際にやられてみると、風の爆発魔法は出現場所が見て分からないことが厄介だ。
魔法の爆風で倒された草は、直径二メートルほどで、爆発の威力はさほどでもない。
それでも、爆発の中心点に自分の体があったりしたら、致命傷になりかねない。
逆にこちらは、上空を上下左右に飛び回っているやつを、相手にしないといけないなんて。
空にいるから、鉈の当たる距離じゃない。
弓矢は、リフリケを抱えていて、腕が塞がっているため使えない。
必然的に、手裏剣を使うことになるんだけど――
「当たれ!」
「甘い甘い。風よ、壁となれ」
――試しに投げつけてみるが、予想通りに風の魔法で防がれてしまった。
それは、魔法の水で腕力を強化しても、同じことだった。
こうやって、まごついている間にも、魔法の水を脚に纏わせ続けているため、俺の魔塊の量は減っていく。
このままでは、ジリ貧になった後で、止めを刺されてしまう。
ここが事態の転換点だと、腹を括ることにした。
俺は足を止め、水を纏わせる魔法も止める。
すると、リフリケからは励ましが、上空のレッフーンからは嘲笑がやってきた。
「兄ちゃん、諦めちゃだめだよ! きっと、いい手があるから!」
「ひふひふひふー。そのまま大人しく、その子供と一緒に、死ぬといい! 風よ、切り裂け!」
レッフーンから、また物を切り裂く風がやってくる。
けど、生憎。
二人が言っていたように、俺は諦めたわけじゃない。
俺は手の平を、迫ってくる風の方向へ向ける。
そして、魔塊を解して生み出した魔力を、その手に集める。
魔法で重要なのは、想像力だ。
それは、生活用のでも、鍛冶のでも、攻撃用の魔法でも変わらない。
俺は水で出来た、分厚い壁をイメージする。
初めて使う魔法だ、レッフーンが魔法を使う場面を参考に、言葉を唱えることにした。
「水よ、壁になれ」
呟くような俺の言葉に、魔力が俺の手から飛び出した。
すると、俺とリフリケを取り囲む、厚さ一メートルの水の壁となる。
レッフーンの風の魔法は、水壁に当たると、表面をさざめかせただけで消えた。
切り裂く風を防ぎきったので、魔法を止める。
水壁は形を崩して、水溜りになった。
その光景を間近で見ていたリフリケは、あんぐりと口を開けている。
「……バルトの兄ちゃんも、魔導師だったのか?」
「いいや。攻撃用の魔法が使えるだけの、冒険者だ」
リフリケの質問に答えながら、弓矢を手に取った。
一方で、レッフーンは上空を跳びまわりながら、大きな笑い声を上げ始める。
「ひふーひふーひふー! やっぱり、お前は戦術魔法が使えたんだな! しかも、水の壁を出すほどの実力を持ちながら、一人で行動しているんだ。ほぼ独学で身につけたに違いない!」
何が面白いのか、俺には良く分からないが、レッフーンは笑い続ける。
しかし数秒して、一転して憎々しげな声になった。
「これだから、天才という輩は嫌いなんだ! こちらがどれだけ努力を積み上げても、半笑いであっさりと追い抜いていく!」
俺に誰かを重ねて見ているのか、二度目に会う人に向けるにしては、異常なほどの憎しみだ。
そして、その憎悪が憎悪を呼んだみたいで、次々に恨み言を掃き出し始める。
「誰が落ち零れだ! 誰が落第生だ! オレよりも下の奴らなど、いくらでもいただろうが! なのにあの貴族の子飼いになるしか、道がないだと! オレは、貴族の手先になるために、魔導師を目指したんじゃない!」
怒鳴り散らしながら、こちらに弓矢の狙いをつけさせないためにか、上空を上下左右にふらふらと移動している。
というより、何の関係もない俺に、文句を言われても反応に困る。
彼に連れ去られた被害者な、リフリケですら可哀想な人を見る表情になっているし。
そんな俺たちの反応が癇に障ったのか、レッフーンは怒り顔で俺を指差してきた。
「あの貴族を足がかりに、返り咲こうと思っていたのに。お前のせいで、お前が邪魔したせいで、学院に送り返される羽目になってしまった! 学院に戻されたら、才能のある子を見つけるためのドサ周りが待っている! そんなの、我慢できるか!」
怒声を放った後で、レッフーンはまた風の魔法を使ってくる。
「風よ、逆巻け!」
今まで見た中で一番大きな竜巻が発生し、こちらに向かってくる。
俺はリフリケを背後に庇いながら、終始手前勝手な言い分だったなって、レッフーンの言い分に全く共感できないでいた。
そして、彼は同情するに値しないと判断を下す。
俺は弓矢を番えながら、石のゴーレム相手にしたときのように、矢に魔法の風を纏わせていく。
魔法の水を体に纏うことに慣れ切ったからだろうか、前に思いつきで使ったときより、さらに多くの風が矢に集まった。
これなら、イメージを固めるための言葉は必要ないなと、黙ったまま番えた矢で竜巻を狙う。
俺の行動を上空で見ていたのか、レッフーンは笑い声を上げた。
「ひふひふー。そんなちゃちな矢一本で、この風が止まるものか!」
本当にそうかなと、矢を放つ。
弓の弦に押し出された矢は、竜巻に突き刺さった。
その瞬間、矢が纏っていた風が開放され、竜巻を内側から吹き散らした。
「な、なんだとぉー!?」
魔法の竜巻が消えたことに、驚きの声を上げるレッフーンを狙い、俺は弓矢を構える。
そして、少し趣向を変えた風を矢に纏わせると、弓から放った。
狙われていると分かっていたのか、レッフーンは風で体を飛ばして避けようとする。
「これほどの距離、ましてこちらは上空だ。避けることなど――」
矢の軌道上から離れることができて、レッフーンは安心した様子になる。
しかし、矢が彼の至近に達した瞬間、矢に纏っていた風が変性して、爆風を周囲に振りまいた。
その爆風を近くで食らって、レッフーンは上空で体勢を崩し、落下し始めた。
「――ぐあぁ!? くそっ、先ほどの意趣返しのつもりか!?」
魔法で体勢を立て直そうとしているレッフーンが言ったように、彼が少し前に使った爆発する風を参考にした魔法を試してみた。
結果は上々なようだ。
そして、色々と応用が利きそうなことにも気がつく。
その色々を試したくなるけど、レッフーンがこちらを攻撃できない間に、俺はリフリケの縄を鉈で切っておくことにした。
「ありがとう、兄ちゃん。けど、本当に強い冒険者だったんだ」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、まだ終わってないから、大人しくしててくれよ」
「もちろんだよ。しっかり、兄ちゃんに守られることにするよ」
ちゃっかりとした様子で、リフリケは俺の背後に隠れた。
さて、レッフーンはどうしたんだろうかと、顔を向ける。
どうやら、地面に叩きつけられることを回避し、両足から着地したようだった。
けど、俺の矢の危険さを考えたのか、レッフーンは再び上空を飛ぼうとはしていないようだった。
「どうした。またふらふらと、空を飛んだりしないのか?」
「ふんっ。先ほどまでは、単なる余興だ。ここからは、本気でいかせていかせてもらう」
レッフーンは真剣な目つきで、こちらに手を向けてくる。
俺も応えるように、弓矢を構えた。
俺たちが発する緊迫感に、リフリケが固唾を飲んで、その喉が「ごくっ」と鳴った。
それを合図に、俺とレッフーンは魔法を放ち合った。




