十一話 初の人殺し
季節が夏なので、焚き火を起こすこともなく、決まった順番で見張りをする。
夜に火で照らさないのは、周囲に居場所を伝えてしまうことと、光の届かない場所の光景が見難くなるからだと、護衛の人たちが教えてくれた。
旅を始めた頃は驚いたものだが、火のない夜を過ごしてみると、夜の草原は遠くまで月と星の光で十分に見えた。
むしろ、人工の光がない方が当たり前な気がしてくる、不思議な光景だった。
数日旅を共にして、あと数日でビューヴィレにつくという、ある日のことだ。
その日は、月の光のない、星明りだけの暗い夜。何時ものように、見張り番をしていたときだ。
ふと、シューハンさんとの狩りで、魔物の気配を感じたときみたいな、あの嫌な感じが肌を撫でた気がした。
こっそりと不自然にならないように気をつけて、弓を手にとって矢を弦に当てる。
俺の行動を不審に思ったのだろう、一緒に見張りをしている護衛の一人が、小さな声で尋ねてくる。
「どうした?」
「何かに見られているような、嫌な感じがする」
「……分かった。念のために仲間を起こす」
そう言ってから、俺が笑い話をしたかのように、大笑いしだした。
「あーはははははっ。なんじゃそりゃ! お前そんな馬鹿なことしてたのかよ!」
突然の大声に、寝ていた護衛の人たちが、武器を持って起きる。
どうやら、何かの取り決めをしていたらしい。
しかしそうとは気づかせないように、小芝居が始まる。
「なんだいったい、大声なんか出しやがって」
「いや、聞いてくれよ。この小僧がよ、面白いこと言いやがったんだぜ」
「はいはい。その話ってのは、そんなに笑い転げるようなもんだったのか?」
「うーん。改めてそう言われちまうと、怪しいなぁ」
「なんだそりゃ。そんなんで起きるような大声を出すなよな。せめて、ちゃんとした笑い話で笑ってくれよ」
当たり障りがないような、何かの意思を交換しているような会話の中。
護衛の人たちの目は、周囲の草むらの方々を観察していた。
そして、起きた護衛の中の弓を持っている人が、何かを発見したのか、おもむろに矢を素早く番えて放った。
矢は草むらに飛び入り、何かを貫く音が聞こえた。
「――ぐえあああああああ!」
そのすぐ後で、野太い男の悲鳴が周囲に木霊した。
「どうやら、笑い話は本当だったようだな。しかし、ガキに気づかされるなんて、ちゃんと見張りしてくれよな」
「五月蝿いな。この小僧のほうが、笑い声に敏感だったんだ」
話の流れからすると、笑い話というのは『草むらに誰かがいる』という意味の隠語だったらしい。
そう感心していると、背中をバシッと叩かれた。
「おいおい、ぼんやりしてんなよ。草むらのあの辺りに、適当に矢を放ってくれよ」
「は、はい!」
俺は慌てて矢を番えると、狙いはつけずに、何本も矢を放つ。
そうしていると、草むらが大きくがさがさと揺れ、何かが草の間から出てきた。
「くそ。全員、ぶっ殺して荷物を奪うぞ!」
「おおおおおおお!」
それは垢塗れ、土ぼこり塗れな、六人の男たち。
よく見ると、首には犬のもののような、革の首輪がされている。
「逃げだした犯罪奴隷たちだ。遠慮はいらねえ、やっちまうぞ!」
「おうさ。叩き殺してやる!」
こうして六人の男と、護衛四人の先頭が始まった。
俺は矢で援護をしようとしたが、戦況が入り乱れていて、護衛の人たちに当てずに済む自信がない。
それに、姿を見てしまってからだと、人を殺すのに躊躇いを感じて矢を握る手が鈍る。
そうしてまごついていると、また別の場所に嫌な気配を感じた。
感覚に従って、背後を振り向く。
馬車を挟んで向こう側に、こっそりと近づく人の姿が一つある。
御者台で丸くなっている行商のおじさんを、人質にするつもりみたいだった。
「このおおおおー!」
牽制のために矢を放ちながら、その野盗へ走り寄る。
おじさんも近くに野盗がいると知って、慌てて馬車から降りて、護衛の近くへ向かった。
「チッ……」
矢を頭を低くして避けた野盗は、舌打ちしてからボロボロの剣を掲げて、俺に襲い掛かってきた。
弓の距離じゃないと判断して、弓と矢をそのまま投げつける。
剣で両方を打ち払わられた。
でもその間に、腰に吊っていた自作の鉈を抜いて構える。
「ケッ。若いガキが、それで冒険者の一員のつもりかよ」
言いながら振るってきた剣を、鉈で受ける。
手に衝撃。けど、大丈夫。人型の魔物を相手するより、断然弱い。
しかし、暗い夜で見え難い剣の攻撃を気にしてしまって、防戦一方だ。
このままでは押し切られてしまう。
護衛の人たちがいる方向からは、まだ音がしている。こっちに援護が来るのは、きっとまだ先だ。
どうしようかと考えて、思いついたことがあった。
俺は片手を鉈から放すと、自分の魔塊を回転させながら、その掌を野盗に向ける。
「攻撃を待つつもりはねーぞ!」
丁度よく大口を開けてくれたので、その顔に向かって水の魔法を放つ。
月のない夜だ、いきなり顔に水をかけられても、それが何か咄嗟には判断できないはずだ。
「がばごぼっ!?」
証拠に、急に息が出来なくなったことを驚いたように、野盗の攻撃が途切れた。
このチャンスに、俺は鉈の柄を両手で掴むと、思いっきり振り回してから斬りかかった。
手に硬い骨を断ち切って抜けた感触が走り、顔に何かの液体がかかる。
そして、野盗は目の前で地面の上へ倒れた。
少しの間呆然としていたが、近くにくる気配を感じて、鉈を向ける。
「おいおい、興奮するな。仲間だよ、仲間」
「え、あ、すみません」
今日一緒に見張りをしていた護衛の人だ。
どうやら俺が苦戦しているのを見て、助けに来たみたいだった。
「いや、危険な真似させて悪かったな。おっ、一人やっつけたのか。やったじゃないか」
「ええ、まあ、そうですね……」
「おいおい、なんだ嬉しそうじゃないな。さては、人殺しは初めてだったか?」
「人の形をした魔物とかは相手にしましたけど、人を殺したことはなかったです」
「なるほど。辛い気持ちは実に分かるが、あまり気にするな。野盗なんて、魔物の一種のようなもんだ」
「……そう考えてみます」
会話の最中、行商のおじさんが喚く声が聞こえてきた。
しかし、ここから逃げようという類ではないみたいだ。
「もう、全員殺してしまうなんて、もったいない! 生け捕りにすれば奴隷商に売れたし、隠れ家に貯め込んでいたかもしれないのに!」
なんというか、その商人ぽい発言を聞いて、なんとなく人を殺した事実から救われた気がした。
隣にいる護衛の人も、同じことを思ったのだろう。ぽんっと肩を叩いてきた。
「ああまで割り切れ、とは言わんからな」
「分かってます。でも、何時までもうじうじ悩んでいるなんて、小さい男でしょう。だから、きっぱりと割り切ることにします」
「よし、その意気だ。じゃあ、死体から装備を奪うまでが、野盗退治だぞ。そいつは坊主の手柄だから、好きにしていい」
そう言い残して、彼の仲間たちの方へ去っていった。
俺は言われた通りに、自分が殺した死体から、使えそうな物を剥ぎ取っていく。
といっても、半ば腐った革の胸当てと、ボロボロの剣ぐらいしか得る物はなさそうだ。
それでも一応、ぼろきれのような服や革の靴を漁る。
すると、当て布だと思った場所を裂いてみると、硬貨が数枚出てきた。
暗くて種類が分からないが、手触りから銀貨かもしれない。
「おーい。漁り終わったら、死体をこっちに持ってきてくれ!」
「はーい。分かりましたー」
手の硬貨を仕舞い、腐った革鎧とボロな剣、そして戦いのときに投げた自作の弓と矢を回収する。
それから、男の死体を引きずって、護衛の人たちと合流した。
彼らは俺が革鎧と剣を持っているのを見て、羨ましげな声をあげる。
「やっぱり、小僧が相手したやつが、一番の当たりだったか」
「こっちが相手したやつらなんて、いいとこ短剣か、さもなきゃ石の斧だったからな」
「実入りが渋いったらないぜ」
「はいはい。話していないで、死体の首を落とすぞ」
護衛の一人が、野盗たちの死体の頭と胴体を斬り離していく。
周囲が暗いとはいえ、少し衝撃的な光景である。
「どうしてこういうことをするんですか?」
「なんだ。魔物を相手にしてたのに、頭を落としたことはないのか」
「はい。腹を切り裂いておけば、あとは魔の森の獣や魔物が食べてくれるって言われてましたから」
「ああ、それは魔の森ならではだな。だが、草原ではそういう獣は少ないからな。ゾンビやスケルトンにならないように、頭を落としておくのさ」
「ゾンビとスケルトンですか?」
「ゾンビはあれだ『うろつく亡者』ってやつ。スケルトンは『出歩く骨格』だな」
俺が聞きたかったのはそういうことじゃなく、前世と同じ名称なんだという部分だったんだけれど。まあいいか。
何はともあれ、俺の初めての人殺しは、無事に幕を閉じたのだった。




