百十二話 予想外の相手
俺はリフリケと共に、誘拐した身柄の受け渡し場所である、あばら屋の中に入って、依頼人がくるのを待った。
「アイツらに仕事を頼んだ人、来るかな?」
リフリケの質問に、どうだろうと考えてみた。
「シャンティを脅迫に使う気なら来るだろうし、誘拐出来るって見せるためなら来ないかもな。一番最悪なのは、あえて会いにこなくて、お金が手に入らずに逆上した誘拐犯にシャンティが殺されることを期待している、って考えもなくはないかな」
「うへぇ、なんだそりゃ」
シャンティの影武者として、あり得た未来だからか、リフリケは嫌そうな顔をする。
その後で、俺の格好をしげしげと見始めた。
「アイツらの上着を、誘拐犯に偽装するために着るのはわかるけどさ。なんで、服を細切れにして、包帯みたいに顔に巻いているんだ?」
リフリケが不思議そうに尋ねてきたように、俺の格好はいつもと少し違う。
いつも着ている魚鱗の防具の上から、誘拐犯たちから買い取ったボロい上着をつけている。
そして、匂いと汚れ落としに生活用の魔法で水洗いした上着の一つを、細長く裂いて、その布を顔に巻きつけている。
弓矢や鉈と手裏剣は用心でつけたままだけど、なぜ変装したかというと――
「――シャンティと町を歩いていて、俺の顔は見られているだろうから、相手にあっさり正体がばれないためだな」
「ああ、なるほどね。いい考えだと思うよ」
リフリケが理由に納得した様子になったところで、このあばら屋に近づく気配を感じた。
俺は口に指を当てて、物音を立てないようにと伝える。
リフリケは頷き、誘拐されて諦めきったような表情になった。
結構な名演技に感心しつつ、俺はあばら屋に入ってきた人物に顔を向ける。
予想では、俺とシャンティに戦線布告をしてきた、あの男が来ると考えていた。
けど、違った。
入ってきたのは男性だが、初めて見る顔だった。
服装も少し変わっている。
前世のドラマで出てきた裁判官が着ているような、ゆったりとした服だけど、色は派手なほどに真っ赤だ。
この世界に生まれて、初めて見る服装に、俺は警戒心を持った。
そのゆったりした赤服の男は、俺とリフリケを見ると、なぜか面倒臭そうな顔になる。
「おい、貴様。なんで顔を隠している。それに、仕事を頼んだのは十人ほどだと聞いているぞ。なぜ一人なんだ」
誘拐犯に偽っているからとは言えないので、適当な理由で誤魔化してみるか。
「……こっちはコイツを連れてくる、そっちは金を払う。それが取り決めだったはずだ。俺の覆面と仲間の数ことなんて、関係ないだろ」
リフリケを示しながら、誘拐犯ぽく聞こえるように言葉を選ぶ。
けど、赤服男はうんざりとした顔になった。
「いいか、よく聞けよ、この貧者。偉大な俺さまが、なぜと聞いたら、すぐに理由を答えろ。さもなきゃ、痛い目をみることになる」
どうしてそこまで、誘拐犯の仲間に拘るのか、俺にはよく分からない。
けど、赤服男も、誰かに仕事を頼まれたようだとは分かった。
なら、少しでも話を続けて、雇い主の情報を引き出さないといけないな。
「……コイツの受け渡しに、人数はいらない。だから、この仕事で得た金で宴会するために、貧民街の酒場の席を取りに行かせた。この覆面は、顔を覚えられて、後で金を奪い返されないための用心だ」
「チッ、そうなのかよ。あーあー、他の奴らが人のいる場所にいるとなると、面倒なんだがなあ」
うんざりした表情のまま、赤服男は俺へ手の平を向けてきた。
どういう意味か図りかねたが、彼の目が、なにかを企んでそうに見えた。
俺はリフリケを抱き寄せると、男の手の平の直線上から外れるように移動する。
すると、赤服男は関心したような目をした。
「へぇ、勘は良いみたいだな。そうやってその子を盾にしているのは、それでこっちが攻撃できないって、分かってやってんだろ?」
リフリケを抱きかかえたのは、赤服男がなにかしてきたとき、とっさに庇えるようになんだけど……。
でも、その勘違いは訂正しない。
そして、こちらからも質問をしよう。
「いま、俺を攻撃するって言ったな。素直に金を払う気は、ないんだな?」
「ははっ、当たり前だろう。お前らみたいな能無し貧者に、金を恵んでやったところで、酒か女か博打に全部使っちまうんだ。金を払う甲斐がない」
「……それは、お前の考えか? それとも、お前を雇った『貴族』の考え方か?」
当てずっぽうで、赤服男の雇い主を、貴族だと断定して訪ねた。
すると、むこうの態度が一変した。
「……なぜ、俺さまの雇い主が、貴族だと思った?」
こちらを侮った態度だったのが、一気に警戒するものに変わった。
どうやら、本当にどこぞの貴族が、この男の雇い主らしい。
俺は当てずっぽうで言った。
けど、貴族じゃないかと思ったのには、根拠が薄い理由があった。
赤服男は、俺を攻撃する気だと言ったのに、手の平を向けているだけ。
服の下に武器を隠しているのかとも思ったけど、不自然な膨らみは確認できない。
そして、向けている腕の、ゆったりとした服の袖の中を覗き見ても、隠し飛び道具の類は見て取れない。
なら、あの構えから、こちらを攻撃する方法は、俺が思いつく限りでは一つ。
魔法だ。
赤服男は魔法で、俺を攻撃する気に違いない。
生活用の魔法なら、単に火、土、水、風、光と闇を生み出すだけのものだから、まだいい。
けど、攻撃用の魔法を使う――つまり、赤服男が魔導師だとしたら、雇えるのはきっと貴族しかいないだろう。
なにせ、シャンティの祖先が、魔導師の派遣を断られているぐらいだ。
単なる一商会が、魔導師に誘拐した子を受け取らせに行かせられるとは、とても考えられなかったんだ。
そんな、根拠の乏しい予想が大当たりしたことで、俺は予定を変えることにした。
本職の魔導師らしき人を相手と戦いになったら、俺に勝ち目が薄いと思うからだ。
俺も戦闘用の魔法は使える。
けどそれは、俺が独自で身につけた、我流な魔法だ。
ちゃんとした機関で学んだ魔導師を相手に、そんな魔法で勝てるはずがない。
だから、シャンティを狙う貴族がいると分かっただけで満足して、リフリケを連れて逃げた方がいいに違いない。
俺はリフリケをしっかり抱き寄せ、ゆっくりと壁際に移動していく。
しかし、赤服男はこちらを逃す気はないみたいで、手の平を向けなおしてきた。
「貴様、妙に頭が回るようだな。さては、仕事を頼んだ貧者どもではないな?」
気づかれた!
俺は手裏剣を腿につけた専用の鞘から一枚取ると、赤服男に投げつけた。
これで怯んだり避けたりすれば、その隙にあばら屋から脱出する。
けど、そんな思惑は、あっさりと破られてしまう。
「風よ、壁になれ!」
赤服男が声を上げると、その手の平から強い風が巻き起こり、手裏剣を受け止めた。
普通の風や生活用の魔法でなら、手裏剣は軌道がそれたり、弾き飛ばされたりするはず。
なのに、本当に壁に刺さっているかのように、手裏剣は空中で制止している。
俺が使う体に水を纏う魔法のように、赤服男の風も、前世の常識が通用しない現象を引き起こしている。
ということは、やっぱりこの男は、魔導師だったんだ。
――でも服が赤色なのに、火じゃなくて、風の魔法の使い手なんだな。
なんだか騙された気分になりつつも、本物の魔導師との戦闘を回避するために動かないといけない。
前にいる赤服男からは見えない、俺の踵から背中にかかけて、戦闘用の魔法で生み出した水を纏わせる。
そして、真後ろにあるあばら屋の壁に向かって、可能な限り全力で跳んだ。
「ま、待っ――うひいいいぃぃぃぃ!!」
俺の腕の中にいるリフリケが悲鳴を上げる。
構わずに背中から激突すると、魔法の水で増した力と防御力任せに、壁を打ち破ることができた。
どうやら壁一枚を挟んだ向こうは、すぐ外だったようで、狭い路地に俺たちは着地していた。
すかさず、この路地を走って逃げようとすると、赤服男から舌打ちの音が聞こえてきた。
「チィ。体当たりで壁が壊れるなど、この安普請のボロ屋め。ええい、逃すか。風よ、切れ!」
すでに走り出していた俺の後ろで、突風が巻き起こる。
横目で後ろを確認すると、あのボロ屋の壁とその周辺が大きく切り刻まれて、崩れ始めていた。
このまま路地を走っていたら危ないと判断して、維持している魔法の水のアシストを利用し、近くの家の屋根へ飛び乗る。
「ううぃぃい――あわわわわわっ!」
急な上への移動で、リフリケから悲鳴が漏れる。
これでは赤服男に位置を気づかれてしまうため、手でそっと彼女の口を塞ぎながら、屋根伝いに走っていく。
けど、増改築が施された貧民街の建物の屋根は、高さがちぐはぐで移動し難い。
「ええい、屋根に上って逃げるなど、この野蛮人め。風よ、吹き荒べ!」
路地から赤服男の声がしたのと同時に、突風が吹き荒れる。
すると俺の後ろにある、屋根の上に増築されていた手製の小屋が、上空へと舞い上がった。
小屋が飛ぶほど強い風ではなかったけど、攻撃用の魔法ともなれば、そんな物理法則は無視して、吹っ飛ばすことができるんだろう。
飛ぶ小屋の姿を見て、この世界に生まれて初めて、魔法ってとっても厄介なんだなって実感した。
そして、赤服男から逃げるために、屋根の上から別の裏路地に着地すると、物陰から物陰へ、曲がり角から曲がり角へと移動していく。
「ええい、どこに行ったんだ! 風よ、巻き上がれ!」
イライラとした赤服男の叫び声の後に、貧民街に細い竜巻が発生し、近くの建物の屋根や増築部分が空中を舞う。
あれに巻き込まれたら、怪我ですみそうにない。
なので俺は、こそこそと移動をしながら逃げ続ける。
そして、リフリケと共に無事、貧民街を脱出することができた。
ホッとしながら振り返ると、まだ赤服男はあの場所で暴れているようで、風で木材や石が舞い上がり、やがて離れた場所へと落ちていく光景があった。




