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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十三章 再誕
99/136

第98話 精霊の警告

「――はじめまして。わたくしの騎士」

 今よりも幼い姿をした彼女に初めてたまわった言葉を、決して忘れはしない。



 彼からすればまだ多分にたどたどしい剣戟けんげきの音。それに目を細め、ダンテは穏やかながら良く通る声で指示を出す。

「そこまで。全員、剣を納めて」

 その声に従い、今まで剣で打ち合っていた銀髪金目の剣士たちは、各々手にした剣を鞘に納めた。とはいえそれは、訓練用の模擬剣なのだが。

 彼らはレティーシャが生み出した、人造人間ホムンクルスの兵士たち、その最初の世代である。彼らはいずれ、後から生まれてくる第二陣、第三陣の人造人間ホムンクルスたちを率いる存在になるべく、現在育成されている真っ最中なのだ。

 しかし彼らはまだ、いわば生まれたてに近い。人造人間ホムンクルスという存在の特徴として、知識は生まれながらにして膨大なものを持つが、それを上手く使うための経験、そして感情や自我というものが、彼らには圧倒的に不足していた。それらを刺激させるため、先だって行われた“実験”のための陽動に彼らを投入したのだが、その効果は今だ未知数だ。


(――上手く刺激になっていればいいんだけど)


 何しろ、彼らには生物として生まれれば当たり前に存在するはずの、恐怖心や自己防衛本能のようなものさえ、すっぽりと抜け落ちているのだ。もっともそれは、戦闘用の人造人間ホムンクルスとして生まれたということを考えれば、仕方のない部分もあるだろうが。しかしそれをベースにした人型合成獣(キマイラ)は、一見すると普通の子供にしか見えないくらい確固とした自我を形成しつつあるのだから、やはり外からの刺激というのは一定の効果があるのだろう。あるいは、そちらを担当しているオルセルたちの育成が上手いのだろうか。

 生憎ダンテには、従騎士エスクワイアを育てた経験はあっても、子供を育てた経験はなかった。しかも従騎士エスクワイアの方も、手塩に掛けたとはとても言えない。背中で育てる――と言えば聞こえは良いが、要するに付いて来て盗める技術は自力で盗め、といった形だった。とても人格育成に応用できる育て方ではない。

 いっそオルセルにこちらの補佐もして貰おうか、などと考えていると、


「……お、ここにいたか」


 そこへひょこ、と顔を出したのはゼーヴハヤルだ。やはり人型合成獣(キマイラ)でありながら人間と遜色そんしょくない自我を持つ、オルセルとミイカが最初に育てた子供。

「どうかしたのかい?」

「斬り合うみたいな音が聞こえたから見に来た」

「ああ、訓練をしてたからね。君もどうだい?」

「やめとく。これからオルセルのとこ行くから」

 小さく肩をすくめ、ゼーヴハヤルは剣を納めて立つだけの人造人間ホムンクルスたちを見やった。

「……なんかあれだな。まだ“作った”感じがするな」

「それは仕方ないよ。彼らはまだ“生まれた”ばかりだ。我が君や僕みたいに、“もと”があればまた違うんだろうけど」

「……ふうん?」

 ゼーヴハヤルは良く分からないと言いたげに首を傾げた。彼はレティーシャやダンテについて、あまり詳しいことは知らないのだから当然だが。そしてそれを大して気にも留めない。

「まあいいけど。でも、もうそろそろ日が落ちるぞ?」

 彼が指差した空は、確かに大分赤みを帯びていた。周囲の景色も明るさを次第に失い、そしてほどなく夜がやってくる。これまで何万回と繰り返されてきた、ごく当たり前の自然の営み。

 そこにほんの少しだけ、在りし日の姿を重ね、ダンテはわずかに瞑目めいもくした。


 ――かつてここには、輝くばかりに白く美しい城と、人々の活気に満ちたざわめきがあった。

 そして、主たる彼女の手足を戒めるかのような、幾重いくえもの鎖のようなしがらみも――。


 再び目を開いたそこには、滅びをけみしたもの特有の、空虚な美しさをたたえた静寂の城。あの戦争の余波と百年の歳月による風化で、あちこちが崩落して往時の整った造形美は失ったが、その不完全さこそが重ねた時を雄弁に語り、見る者を惹き付ける。

 そしてここにはもう、彼女を縛るものは何もない。

 真実、彼女はこの地の主となったのだ。


(……そうだ。もうあの頃とは違う……我が君の道を阻む者など、ここにはいない)


 この帝都が繁栄を極めていた、もう遠いあの頃。しかしそれは、レティーシャにとっては冬の時代でもあったのだ。

 彼女が何か罪を犯したというわけではない。はばかられるようないわれを背負って生まれてきたわけでもない。

 ただ――そう、彼女に原因を求めるとすればただひとつ。


 彼女が“彼女”として生まれた――ただそれだけのこと。


(……今さらだな。もう何もなくなって、これから新しく始めるんだ。我が君の望まれるままに、一から何もかもを造り上げていけばいい)


「――どうした? ぼーっとして」

 ひょい、と覗き込んできたゼーヴハヤルに、ダンテは薄く笑みを浮かべてかぶりを振った。

「いや。――訓練はここまでだ。全員、宿舎に戻れ」

 その命令に、人造人間ホムンクルスたちは不平どころか声の一つも零さず、一糸乱れぬ挙動でその場を立ち去って行った。メリエ辺りが見れば、気持ち悪い、と悪態の一つもつきそうだ。

「……さて、僕もそろそろ戻ろうかな」

「そうか。じゃあ、俺はもう行くぞ」

 しゅぴ、と手を挙げ、ゼーヴハヤルもさっさと歩き去って行った。彼はオルセル、ミイカの兄妹と仲が良い――というより執着している、と言って良い。もしかしたら彼の“人間”らしさの秘密はそこにあるのかもしれないと、ダンテはふと思った。


(――“執着”、か)


 胸中で呟いて、振り返る。夕日に照らされ薔薇色に染まる宮殿。その中のどこかに、“彼女”はいる。

 執着が“つくりもの”を人たらしめるというなら、自分を人としてらしめるのは、きっと――。


 ……やがて視線を外し、ダンテは歩き出す。

 その姿はすぐに、濃くなり始めた夕闇の中に消えていった。



 ◇◇◇◇◇



 降っていたような一騒動も何とか収まりが付き、ようやく着いたファルレアンへの帰路。

 アルヴィーは自分の前でちょこんと馬に乗る少女を、どうしたものかと見やった。

「……なあ。元いたとこに帰んなくていいのか」

『いや。こわい』

 提言は一言のもとに却下され、少女は大きな瞳でじっとアルヴィーを見上げる。ふわふわした髪は麦穂を思わせる色だが、時折金色の光がよぎった。透き通った瞳は黄水晶シトリンを少しかげらせたような、色の濃い黄金色だ。

 日の光の下では目立たないが、彼女は常に淡い黄白色の光をまとっていた。それは地精霊の特徴だ。彼女もまた、アルヴィーの知己ちきたるシュリヴ同様、大地に属する精霊の一柱だという。アルマヴルカンいわく、“高位寄りの中位精霊”らしい。

 ――レクレガン近くでいきなり地精霊の少女に突撃され、無論その場は大騒ぎになった。何しろ、精霊などそうそうその辺をうろついているものではない。むしろ、一生涯お目に掛からないことも珍しくない存在だ。それが突然地面から飛び出してきて、親に甘える子供よろしくぎゅうぎゅうと首にかじり付いているのだから、周囲が驚愕の坩堝るつぼに叩き込まれたのも無理からぬことだった。

 だが、幸か不幸かアルヴィーは、人外との遭遇に関しては場数を踏んでいた――いっそ踏み過ぎるほどに。その無駄なまでに高い対人外耐性のおかげで、突撃された彼本人は慌てず騒がず、精霊の少女を何とかなだめて事情を訊くことができた。

 ……もっとも、訊き出した事情はなかなかに重いものだったが。


(……まさか、あの魔法陣に捕まってたなんてなあ)


 彼女は、アルヴィーが景気良く破壊したあの魔法陣で、基点として捕らわれていたらしい。らしい、というのは、彼女もあっという間に捕まったので詳しいことをよく覚えていないと言ったからだが、それにしても魔法陣を破壊した時、アルヴィーは彼女の存在を知らなかったのだ。一歩間違えば諸共もろともに吹き飛ばしてしまっていたかもしれないとは、何とも恐ろしい話である。

『おそらく、稼働のための魔力の源として使われていたのだろう。あれは本来は強力な魔石を使って行う術式だ。陣を起動させるために一つの陣につき最低でも一つ、魔石を使い潰す必要があるのだが、その代わりに精霊を使ったのだろうな。干渉する力が地脈であったゆえに、属性を同じくする地精霊が使われたというところか』

「マジかよ……えげつねえことしやがるな」

 思わずそう呟いてしまったが、幸いその呟きは馬蹄ばていの音に紛れたようで、聞きとがめられることはなかった。なので今度は口に出さないよう気を付けつつ、アルマヴルカンに突っ込みを入れる。

(つーか、知ってたんなら先に言ってくれよ! 巻き込んでたらどうすんだ!)

『当てそうになっていたら注意はした』

 しれっと言うアルマヴルカンに、アルヴィーは脱力しそうになった。つまりアルマヴルカンはあの時点で、彼女が陣の中に囚われていることを感知していたのだ。

(知ってたのかよ……)

『無論。だが、陣を壊せば勝手に元いたところに戻ると思っていたのだがな。さすがにこの事態は、わたしも想定していなかった』

 彼女の訥々(とつとつ)とした話を総合したところによると、彼女がアルヴィーの前に現れたのは、自分を陣から解放してくれた炎の力を探していたがゆえらしい。彼の人外からの好かれっぷりは、アルマヴルカンもびっくりのレベルだった。

『……まあ、陣に囚われ存在も危うくなりかけた中、自分を救った力に依存しているのだろう。落ち着けばその内、自分に相応しい地へと去るであろうさ』

 アルマヴルカンがそう言うので、アルヴィーも差し当たり、彼女の好きにさせることにしたのだった。いざとなればシュリヴ辺りに相談でもしようと考える。何しろ地の高位精霊なのだ。ついこの間まで三百年眠っていたとはいえ、アルヴィーよりは精霊のあれこれに詳しいだろう。


 ――そんなこんなで、地精霊の少女を(半強制的に)加え、一行はそれ以降はつつがなく、当初の目的地であったラーファムに辿り着いた。本隊の方にはジェラルドがレクレウスを通して連絡を入れ、ラーファムで待機するよう指示してあったので、レクレウス側が到着すればすぐにでも捕虜交換ができるよう、すでに準備は整っている。問題なく捕虜交換を済ませ、レクレウス側は護衛の兵士たちが十分な休息を取った後、そのまま折り返すこととなっていた。

 一方のファルレアン側も、戻って来た捕虜たちの体力回復のため数日間、ラーファムに留まることになっている。つまり護衛の騎士たちにも、しばしの休息の時間が与えられたということだった。元敵国ではあっても、ラーファムは直接戦火に巻き込まれたわけではなく、国境の他の地域に比べて反ファルレアン感情は低い。しかもここは、講和条約が結ばれた街でもあるのだ。そこでファルレアンの人間に危害が加えられては恥、ということで、領主も特に気を配ってくれているらしい。

 というわけで、エルヴシルフトによってレクレガンに連れて行かれた面々は、護衛任務のシフトも免除され、心身を休められることとなった。もっともジェラルドやパトリシアは色々報告を受けたりしなければならないため、完全な休息というのは無理だったが、それでも普段に比べれば格段に楽だ。


「……へー、ここが講和条約が結ばれたってとこなのか」


 せっかくの休み、というわけで、アルヴィーは講和条約が結ばれたというレクレウス王家の離宮を訪れていた。もちろん立ち入りはできないが、王家の離宮だけあって、その壮麗そうれいたたずまいは外から眺めるだけでも相応に目を楽しませてくれる。

「何でも、数代前の王が退位後に暮らしたところらしいよ。彼は退位後は一切政治に関わらずに、ここで静かに余生を過ごしたっていう話だ」

 ルシエルの説明をふんふんと聞きつつ、アルヴィーはふと自分の隣を見やった。


「……面白いか?」

『ん』


 こくりと頷いたのは、地精霊の少女だ。フォリーシュと名乗った彼女は、今は黄白色の光も収め、一見すれば人間の少女のように見える。見た目年齢が十歳に届くかどうかというところの彼女が、アルヴィーの片手をきゅっと握って寄り添う様は、兄に懐く妹のように見えて大層微笑ましい。

『いっぱい魔法使ってる。ちょっと面白い』

「へー、やっぱそういうの分かるのか」

 どうやら彼女の目には、建物に使われた地系統魔法が見えるらしい。

 だがそれ以上の興味はないようで、フォリーシュは建物からすぐに視線を外してアルヴィーを見上げた。

『ここがおうち?』

「違うよ。俺の家は……もっとずっと向こう」

『ふうん』

 遠く東を指差したアルヴィーの複雑な心境を知ってか知らずか、フォリーシュはアルヴィーの手を握り直した。そこまでついて行く、という無言の訴えだ。わけも分からず捕らえられ、消滅の危機にさらされた彼女は、陣を壊して結果的に自分を救った形になるアルヴィーから引き離されることを、酷く恐れている。必然的に、彼女の面倒はアルヴィーに一任されることとなった。フラムもしばらくすれば慣れたのか、彼女に頭を撫でられて嬉しげに目を細めるほどだ。

 フォリーシュはもう離宮に興味を失ったのか、きょろきょろと周囲を見回し始めた。

「ん? どっか見たいとこあるのか?」

『あっち』

 小さな手で離宮と隣り合う森を指差し、フォリーシュはぐいぐいとアルヴィーを引っ張る。どうやら森は離宮の敷地ではないようで、入っても大丈夫だろうと判断し、アルヴィーも彼女に続いた。ルシエルも、二人を見守る形でそれを追う。

 森に入っても、フォリーシュは足を止めず、どんどん奥に踏み込んで行く。アルヴィーの方が不安になってきて、握られたままの手をちょいちょいと引いた。

「……なあおい、あんま奥まで行ったら、戻れなくなるんじゃ……」

『へいき。道はわたしがわかる』

 アルヴィーの懸念けねんをばっさり斬って捨て、フォリーシュはなおも彼を引っ張って行く。いつしか鳥の鳴き声一つも聞こえなくなり、さくさくと下草を踏む足音だけが静寂を掻き乱した。そういえば、聞こえる足音は自分のものだけで、同じように歩いているはずのフォリーシュのそれはまったく聞こえないことに、アルヴィーはふと気付く。さすが精霊というところか。

 そしてどれくらい歩いたかも曖昧になってきた頃――“それ”は突如、目の前に現れた。


「……う、わ……!」


 木立が開け、眼前に鮮やかに広がったのは雪のような白い花が満開の花畑、そしてそれを守るように枝葉を広げる大樹だった。だが不可思議なことに、その根元は透明な水晶の結晶の群生クラスターで覆われているのだ。その間からは澄み切った水が滾々(こんこん)と湧き出し、そこから流れ出た水は一筋の川となって、どこへともなく流れていく。大樹の梢からは木漏れ日が降り注ぎ、水晶と白い花びらをきらきらと輝かせていた。

 この世のものとも思えない幻想的な光景に、アルヴィーはぽかんと口を開けて大樹を見上げる。

「……すげー」

『きれいでしょ?』

 得意げなフォリーシュの頭を、アルヴィーは微笑んで撫でる。

「ああ、今まで見たことないくらいだ。ありがとな」

『えへへ』

「けど、この森にこんなとこがあるなんて、良く知ってたな。やっぱ精霊って分かるのか、そういうの」

 すると、嬉しそうに笑っていたフォリーシュは、きょとんと目を瞬かせて首を傾げた。

『ここ、あの森じゃないよ?』

「……うん?」

 何だか聞き捨てならないことを聞いた気がして、アルヴィーの表情が凍る。そんな彼に、フォリーシュは笑顔のまま言い放った。


『ここは精霊の森の、わたしの一番お気に入りのところなの!』

「…………は?」


 唖然として訊き返すアルヴィーに、フォリーシュは歌うように楽しげに告げる。

『わたしは大地の精霊。大地が続いていればいつでも、どこからでも、ここに来れるの』

「……フォリーシュ?」

 いつの間にか少女の口調が変わったことに、アルヴィーは気付く。幼くたどたどしかった口調が、明瞭めいりょうに、滑らかに。

 黄水晶シトリンの瞳に今までとは違う大人びた光を宿し、彼女はアルヴィーを見据えた。


『ねえ、“そこ”にいるんでしょう?』


 す、と彼女が指差した先、アルヴィーの懐から漏れ出す光。はっとして引き出すと、シュリヴから貰った水晶が、黄白色の光をき散らしながら揺れていた。


『……僕より弱いくせに、ちょっと態度が大きいんじゃない?』


 ぽとん、と雫が落ちるように、水晶から光の塊が落ちる。それは地面に辿り着くと同時にまばゆく膨れ上がり、一人の少年の姿を形作った。

『だいたい、自分の守る土地にも戻らないで、何やってるのさ』

『そっちこそ!』

 両手を腰に当てて肩を怒らせ、ふん、とむくれたフォリーシュは、びしりと少年――シュリヴに指を突き付けた。


『わたし、知ってるんだから! あなた、土地を呪ったでしょう! 精霊のくせに! 噂で聞いたんだから!』

『そ……んなの、おまえに関係ないだろ! それに、僕より下位のやつにどうこう言われたくないね!』

『わ、わたしだって、もっと力を付ければ高位精霊になれるんだから!』


 いきなり眼前で勃発ぼっぱつした精霊同士の口喧嘩に、アルヴィーは呆然とするしかない。そんな彼を余所よそに、フォリーシュはやけに堂に入った仕草で少し乱れた髪を直した。

『……もう、こんなことやってる場合じゃないのに。――時間がないから、手短に言うけど』

 フォリーシュの声音が変わり、シュリヴも気を取り直したように表情を変えた。

『そういえば、ずいぶん力を削られたみたいだけど?』

『魔法陣に捕まったの。正直なところ、今はこの場所の力を借りないと、こうしてまともにしゃべることもできない』

「え、大丈夫なのか、それ」

 思わず口を挟んでしまったアルヴィーに、フォリーシュはにこりと微笑んだ。

『大丈夫。多分、しばらくすれば力も取り戻せると思うの。もう少し長くあの陣に捕まっていれば、危なかったけど……その前に、あなたが壊してくれたから』

『精霊が囚われてる陣を外から壊したの? 相変わらず清々しいくらいに力技だね』

 呆れたようなシュリヴの視線を受け、アルヴィーはそっと目を逸らした。力押し一辺倒な自覚はあるのだ。ただ、最近は多少器用にもなってきた……と思いたい。

 だが幸いそれ以上の追及はせずに、シュリヴはフォリーシュへと視線を戻す。

『で? わざわざアルヴィーをこんなとこに引っ張り込んだってことは、アルヴィーを通して僕と接触するためと思っていいわけ?』

『ええ。最初は助けてくれたから傍にいたかったんだけど、一緒にいる内に他の精霊に繋がるものを持ってるって分かったから』

 そう言って、フォリーシュはシュリヴを見た。


『あなたも地精霊だから、分かるでしょう? 大陸のかなり広範囲で、地脈が乱された。それに、あの陣は多分一つじゃない。わたしと同じように、陣を稼働させるために囚われた精霊がいるかもしれないの。――放っておけば、彼らも狂うかもしれない』

『そうなれば、その辺り一帯ただじゃ済まないね』


 シュリヴのあっさりした一言に、アルヴィーは目を剥いた。

「おい! 何だよそれ!?」

『言葉通りだよ。精霊が狂ったらどうなるか、アルヴィーは良く知ってるでしょ。経験者の僕が言うのも何だけどさ……どう足掻あがいても、周りに何がしかの影響は出るんだ』

『止められない?』

『無茶言わないでよ。僕が今、どこにいると思ってるのさ』

「え、だって現に今ここに」

『馬っ鹿だなー。ただの虚像に決まってるでしょ。その水晶を媒介ばいかいに、この場所の力を借りて姿を見せてるだけ。――そもそも、僕だっていくら何でも、大陸規模の地脈なんてどうこうできないよ』

 肩を竦め、シュリヴはアルヴィーを見た。

『できるとしたら、むしろアルヴィーだ。そいつと同じように、陣を壊して精霊を助け出せば良い』

「そっか。――けど、場所が分かんないぜ」

 眉を下げたアルヴィーに、助け舟を出したのはアルマヴルカンだった。

『あの風の娘に訊けば良い。あれほど大規模な術式だ。風の精霊であれば、すぐに探し当てられよう』

「あ、なるほど……けど、そうなるとまず騎士団に話通さねーとな」

 さすがにアルヴィーの身分ではまだ、アレクサンドラに直訴するわけにはいかない。

 そうと決まれば、早々に部隊に戻らなければならなかった。アルヴィーはフォリーシュに向き直る。

「フォリーシュ、街に戻ろう。俺の上司に、このことを報告しないと。そしたら場所も調べられる」

『分かった』

 こくりと頷き、フォリーシュが再びアルヴィーの手を取る。シュリヴはどこか面白くなさそうにそれを見やったが、

『……じゃあ僕、もう戻るからね!』

 そのまま光となって彼の姿が崩れると、水晶の光も消える。それを懐に押し込むと、アルヴィーは手を引かれるままに駆け出した。


「――アル!?」


 ふと気付くと、そこはもうラーファムの森の中だった。二人の姿を見つけたルシエルが、急いで駆け寄って来る。

「二人とも、今までどこにいたんだ!?」

「悪い、その話は後で。急ぎの用ができた」

「は? 急ぎって……ちょっと、アル!」

 二人を捜し回っていたらしいルシエルには悪いが、緊急事態だ。アルヴィーはジェラルドに向けて《伝令( メッセンジャー)》を飛ばすと、森の出口へと足を早めた。



 ◇◇◇◇◇



 かつて王だった男は、王城の片隅にある墓地の一画へと、密かに葬られた。

 そのあまりにも質素な墓標に、ユフレイアはいっそあわれみすら覚える。本人からすれば願い下げかもしれないが。

 花を捧げるでもなく、手ぶらのままでただ墓標を見下ろしていた彼女の背後から、その時かすかな足音が聞こえてきた。

 振り返った彼女に、足音の主はびくりと身を竦ませ、足を止める。ユフレイアは小さく息をつき、場所を譲るように脇へと一歩退いた。


「――どうぞ、陛下。わたしはこれで失礼致します」


 その声に、この場を訪れたもう一人の人物――ようやく二桁の年齢を数えたばかりの少年は、また小さく身じろぎした。同腹の兄に良く似た金髪と、長じれば華やかさを増すであろう顔立ち、蒼い瞳。だが傲岸ごうがんであった兄とは違い、少年は自分の現在の立場をおぼろげながら理解していた。年も離れており、ユフレイアとは直接の関わりもほとんどなかったが、建前上では臣下である彼女が、自分よりも“力”を持っていることを、少年は気付いている。

 だから彼――レクレウス王国現国王であるレイモンド・ソラム・レクレウスは、王というよりまるで小動物のような目で、異母姉あねを見やった。

 そのどこか怯えさえ感じさせる眼差しに、ユフレイアは視線を外し、淑女の礼を取ってその場を辞そうとする。だが、


「……どうして」

 かすかな声に、足を止めた。


「……なぜ、そなたがここにいるのだ」

「直答をお許しいただけますならば……」

「良い。許す」

 まだ声変わりも迎えていない、小さく震える高い声。精一杯“王”であろうとする異母弟おとうとに、ユフレイアも立場をわきまえ臣下として答える。たとえ、見える範囲に護衛の一人すら控えておらずとも。

「王都への別邸の建設も終わり、わたしはそろそろ北へ戻らねばなりませんので。――手に掛けた者のけじめ、とでも申しましょうか」

 その言葉に、レイモンドは泣きそうに顔を歪めた。

「……そこまで兄上が、嫌いだったか」

「好き嫌いの問題ではございません。――恐れながら、あの当時の前王陛下は、もう人とは呼べぬ“もの”に成り果てておりました。その上に街を襲い、兵や民をあやめることもいとうてはおられなかった……」

 聞くごとに、レイモンドの顔が青ざめていく。本来なら子供に聞かせるべき話ではないが、彼は別だ。傀儡かいらいの君主であろうとも、“王”である限り、彼はもはや子供ではいられない。

 だから、ユフレイアは何もかも包み隠さず話すことを選んだ。


「王家に連なる御方が、道を誤り国に害を為すというのなら……我々臣下は、それを止めねばなりません。たとえ、貴い血を失わせたとそしられようとも、それ以上に守るべきものがあるのです」


 金と紫、宝石のような虹彩異色ヘテロクロミアの瞳に射竦いすくめられたように、レイモンドは息を呑んで異母姉を見つめた。からからに乾いた小さな口をわななかせ、やっと小さな声を押し出す。

「……それは、わたしもそうなのか。わたしのことも……」

「ええ。――ですが」

 ユフレイアは腰を落とし、白く繊細な手をそっと異母弟へと伸ばす。びくりと肩を跳ねさせた子供に小さく笑い、落ち着かせるようにその頭をそっと撫でた。


「陛下にはまだ、充分な時間がございます。道を誤らぬよう、色々なことを学べる時間が。――願わくばそれが、陛下の御身を守るものとなりますよう」


 王家の人間――特に王妃とその子供たちは嫌いだったが、こんな幼い子供まで嫌うほど、ユフレイアはすさんではいないつもりだった。ライネリオはすでに歪みきって“完成”していたため、外から何を言っても届かなかったが、レイモンドは違う。彼はまだ伸び盛りの若木であり、知識や経験といった良いかてを与えれば、それだけ大きく立派に育つだろう。

 何よりも、彼を傀儡の王とした貴族議会の側に立つ者として、これはせめてものはなむけだった。

 思いがけず優しい手に、戸惑ったように自分を見返す子供に微笑み、ユフレイアは立ち上がると再び一礼して歩き出す。そして思い出したとばかりに足を止め、最後の忠告を。


「それと、王城の中とはいえ近衛の幾名いくめいかは傍にお付けなさいませ。――おまえたちも、自分の役目は正しく務めろ。陛下のご要望かもしれないが、いざという時にすぐにお守りできないようでは、いないのと同じことだぞ」


 コツン、と地面に靴の踵を打ち付ければ、墓地の周囲の地面が身震いするように波打つ。それに弾き出されるように、隠れていた近衛兵たちが転がり出て来た。目を丸くする小さな王に笑みを浮かべ、ユフレイアは今度こそ墓地を後にする。

 城内を歩いていると、行き交う貴族たちが彼女の姿を見て低くささやき交わす。ちらりと視線を向けてやれば慌てたように黙り込む彼らに、うんざりと嘆息しながら、彼女は長い廊下を歩いて行った。


(……結局、あの男に何があったのかは分からなかったな)


 討たれたライネリオのむくろは、あの後すぐに魔導研究所に運ばれ、必要最低限の身体組織や残留物を採取された後、曲がりなりにもかつての国王ということで、王城内の墓地に葬られることが許された。騒ぎの際すぐに王城の最奥に避難していたレイモンドや王太后おうたいこうは、結局ライネリオの遺体を目にすることはなかったが、それは幸いだったのだろう。訃報ふほうを聞いただけで倒れてしまったという王太后など、変わり果てた息子を目にしていれば発狂したかもしれない。

 ユフレイアにしても決して良い気分ではなかったが、彼女には責任がある。フィランという刃を、異母兄に振り下ろした責任が。


(何があったのか、暴いてみせる。――それもまた、わたしが負うべき責だ)


 この国に牙を剥くものを、その方法を、彼女たちは知らなければならない。

 自らの国を、自らで守るために。


 ユフレイアは前に向き直ると、その色違いの双眸を鋭く細めた。


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