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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十二章 レクレウス動乱
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第95話 厄災の王

 ユフレイアと、彼女を守る《人形遣い(パペットマスター)》の少女たちが王城に辿り着いたのは、魔動巨人ゴーレムによる王城への攻撃が落ち着いた、わずかな間隙かんげきの中だった。

「――開門せよ!」

 響くユフレイアの声に、城門を守る衛兵たちが誰何すいかのために顔を出し、そして相手を確かめると泡を食って門を開ける。だが、少女たちが操る全長五メイルもの“人形”には、彼らも困惑の表情になった。

「どうする……」

「こんなもの、城内に置いておけないぞ……」

「あの娘たちの素性も知れんしな……」

 だが、仮にも公爵たるユフレイアを護衛して来た者たちを、勝手な判断で放り出すわけにもいかない。衛兵たちがどうしたものかとささやき合っていると、


「彼女たちはわたしの部下なのだが……王城へ避難するのに、何か問題でもあるかな?」


 唐突に話に入り込んできた、貴族議会代表・ナイジェルに、彼らは仰天した。

「い、いえ、滅相もない!」

「閣下のご家門の方であれば、何の問題もございません!」

 先ほどまでの迷いは速やかかつ綺麗に吹き飛び、彼らはうやうやしく、人形に乗ったままの少女たちを城門の内側に招じ入れた。もっとも、門の高さはさすがに五メイルもはないので、結局門のかたわらに置いておくことになったのだが。どの道二人以外には動かせない。

 彼女たちが人形を下りている間に、一足先に地上に下り立ったユフレイアは、ナイジェルのもとに歩み寄る。気付いたナイジェルが一礼した。


「――オルロワナ公、ご無事で何よりです」

「ああ、けいも無事で良かった、クィンラム公。――ずいぶんと可愛らしい隠し玉だな、あの二人は?」

「良く働いてくれる、優秀な部下ですよ」


 実際、今回のブランとニエラの働きは大きなものだった。何しろ、オールト侯爵一家の危地を救い、ユフレイアを無事に王城まで送り届けたのだから。

「……ところで、“剣士殿”の姿が見えないようですが」

 そこでふとナイジェルは気付き、ついそのまま――とはいえ《剣聖フィラン》の名を出さない程度の分別はあったが――口に出してしまうと、ユフレイアの表情が曇った。

「……ラフトでわたしを拉致しようとした、あの男が来たんだ。フィランはわたしたちを逃がすために、その場に残って食い止めている。――滅多なことでやられる男ではないが……」

「というと……例の、クレメンタイン帝国を名乗ったという」

 ナイジェルの顔が少しばかり驚愕に染まり、ユフレイアが頷く。

「明言はしなかったが……今回のこの騒ぎに、関わっていないとは思えないな」

「確かに。元々、魔動巨人ゴーレムもクレメンタイン帝国が開発したものですからな」

 二人が人の耳をはばかり、低い声でそんなことを話していると、人形を安置して下りてきたブランとニエラが、ぱたぱたと駆け寄って来た。


「旦那様!」

「ああ、二人とも良くやってくれた。手柄だぞ」

「はい!」

「ありがとうございますっ!」


 主のねぎらいに、目元を覆うベール越しにも分かるほど、彼女たちの顔が輝いた。

魔動巨人ゴーレムは半分地面に埋めて確保している。回収できれば、こちらの魔動巨人ゴーレムの改良にも役立つだろう。――あのダンテとかいった男に奪還されなければ、だがな」

 ユフレイアは肩を竦める。正直、あのダンテ・ケイヒルという剣士が出て来た時点で、回収は望み薄だと思っていた。何しろ向こうは、アイテム一つでホイホイ転移が使えるのだ。魔動巨人ゴーレムくらい、転移で回収するのはわけもない話だろう。

 それよりも、そんな相手を足止めしているフィランの身が案じられる。ユフレイアの眉が気遣わしげに寄せられた。


「――ナイジェル様!」


 そこへ、やや落ち着いた様子のオフィーリアがやって来る。

「オフィーリア、もう大丈夫かい」

「はい、いつまでも怖がってなんていられませんもの。――あら!」

 彼女は婚約者に向けて微笑み、そしてその傍に控える少女たちを見つけて顔を輝かせた。

「あなたたちも無事だったのね、良かった!」

 ずい、と近寄って来る侯爵家令嬢に、ブランとニエラはたじろいで少し後退あとずさる。

「あ、あの……」

「あなたたちのおかげで、わたしたちみんな無事に王城まで逃げられたのですもの。何かお礼がしたいわ。ナイジェル様、何が良いと思われます?」

「そうだな、この子たちはそろそろ年頃だし、晴れ着の一つもあつらえてやりたいが、この年頃の女の子の好みなどは分からなくてね」

「じゃあ、ドレスですわね! 王都が落ち着きましたら、早速仕立て屋を呼びますわ!」

 顔を輝かせるオフィーリアに、少女たちは慌てた。

「ええっ、わ、わたしたちそんな身分じゃ……!」

「お、恐れ多いですっ」

「あら……ドレスは嫌かしら」

 オフィーリアが残念そうな顔になり、二人はもはや冷や汗を垂らして凍り付くしかない。そうじゃないのだ。もう少し身分の差というものを理解していただきたい。

 だが幸か不幸か、その居心地悪いことこの上ない時間は、すぐに終わりを告げた。


「お話し中のところ、失礼致します、クィンラム公」


 そう声をかけてきたのはヨシュアだ。しかし彼は一人ではなかった。――傍らの、半分透けた少女を“一人”と数えるならば、だが。

 そしてその姿の主を、ナイジェルは知っていた。

「……ラファティー伯……その方は、まさか……」

 常に冷静沈着なナイジェルが瞠目どうもくし、うめくような声をあげたことに周囲は驚くが、彼自身はそれどころではない。


 何しろそこにいたのは、半分透けてはいるものの確かに、ファルレアン女王たるアレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアンその人だったのだから。


「ファルレアンの女王陛下が、なぜ……」

「えっ!?」

 ほとんど囁くようなナイジェルの声に、思わず驚きの声をあげたのはユフレイアだ。彼女ももちろんアレクサンドラの存在は知っているが、その詳しい姿などは知らなかった。ナイジェルがそれを知っていたのは、以前軍議の最中に、アレクサンドラが風の精霊の力を借りて乱入して来たからである。

 驚きを隠せないレクレウス側の面々に、アレクサンドラはなだめるような微笑みを浮かべた。

『これは風精霊の力を借りての《虚像》。――今回は、あなたがたに知らせなければならないことと、お願いしたいことがあります』

「知らせなければならない……?」

 何を言われるのかと訝しげな一同に、アレクサンドラは告げた。


『先ほど、何者かがこの大陸の地脈を動かしたそうよ。ここレクレガンと、三公国それぞれの首都の四ヶ所を基点に、地脈の流れを捻じ曲げて一点に力を集め、何かをしようとしているわ。力の収束点はアルタール山脈北東――《虚無領域》の中よ」


 告げられた言葉に、ユフレイアが息を呑んだ。

「そんな……それほどの広範囲に渡って、地脈を? 一体、どうやって……」

 地の妖精族を友と呼び、彼らの加護を受ける彼女は、他の面々より大地の力の流れに詳しい。現在起こっていることがどれほどとんでもないことであるかも、彼女が最も正確に捉えていた。

「そんな広範囲の地脈を、互いに干渉もさせずに一点に収束させる? そんなこと、どうやって……」

『不可能ではないわ。力の向きを一定にして、螺旋らせんを描くように収束させれば良いの。――三公国の首都とここレクレガンは、ほぼ一定の間隔で同じ円周上に位置するわ。おそらくそれが、今回のこの事態の原因』

 アレクサンドラが与えた答えに、今度は全員が絶句した。

「……まさか……そのために、王都レクレガンは襲撃されたと……? その“基点”とやらにするために……?」

 喘ぐようなナイジェルの問いに答えたのは、その場に吹いた一陣の風だった。


『――エマ、この街のすぐ傍に魔法陣があるわ。あれがこの術式の基点の一つね』


 風がこごるように集まり、淡い緑のドレスを纏った美女の姿を形作る。そのドレスの色合いが、先ほどアレクサンドラの傍で目にした光に良く似ていることに、ヨシュアは気付いた。

『そう。どうにかできて?』

『難しいわ。陣そのものはわたしも知っているものだけど、それをどういう風に術式に組み込んでいるのかが分からないの。下手に壊すわけにも――』

 言いかけて、彼女――風の大精霊シルフィアは、はっとした様子で空を仰いだ。

『シルフィア?』

 アレクサンドラの声にも応えず、彼女はじっと睨むように、空の一点を見据える。やがて、その形の良い唇からかすかな声が漏れた。


『……何てこと……』

『……どうかして? シルフィア』

『今――この世界を包む結界に、穴が開いたわ』


 精霊である彼女にはその異変が手に取るように分かったのだろうが、人間であるその場の面々には、いまいちその重大さが理解できなかった。そもそも、この世界が結界に包まれているというところからして、今初めて聞いたことなのだ。

『どういうことなの? シルフィア』

 代表するように質問したアレクサンドラに、シルフィアは常になく厳しい表情で口を開いた。

『この世界にすでに神々がいないことは、エマも知っているわね? 神々はこの世界を去る前に、世界全体を結界で囲っていったの。それは千年、問題なく稼働していたけれど……今、それに穴が開いたのよ。とてつもなく大規模な魔法によってね。――今、分かったわ。地脈をいじって力を集めたのは、この魔法のためだったのね……』

 その言葉に、誰もが息を呑む。想像もできないほどに規模の大きな話だったが、眼前のシルフィアの様子を見ていれば、それが決して良い事態でないということくらいは分かった。

『……その状態が続けば、どういうことになるのか分かるかしら』

『わたしにも分からないわ……そもそも、前例のないことだらけだもの。それに、穴が開いたといっても、世界規模の結界の大きさからすれば微々たるものよ。もちろん、穴が開いたということ自体が大事おおごとではあるのだけど、それがすぐに何か別の事態を引き起こすことになるのか否かは、それこそ結界を構築していった神々にしか分からないでしょうね』

 シルフィアはかぶりを振った。精霊に分からないものが人間に分かるはずもない。とりあえずそれは置いておいて、眼前の事態をどうにかするべきであった。


『そう……では、ひとまずそれは置きましょう。――もう一つ、レクレウス(あなたがた)にお願いすることを、先に申し述べておかなくては』


 アレクサンドラに水を向けられ、あまりの話の大規模さに呆然としていたナイジェルも、はっと我に返った。

「……どういったことでしょうか」

『今、ここレクレガンに我が国の騎士たちがおもむいています。彼らに入国と、戦闘の許可をいただきたいの。――戦闘自体はもう始まっているけれど、許可があるとないとでは、後の面倒がずいぶん違うわ』

 彼女が空を仰ぎ、つられてナイジェルも夜空を見上げる。と、その一角に炎の華が咲き、彼は目を見張った。

「あれは……」

『《擬竜騎士ドラグーン》。――あなた方からすれば言い分もあるでしょうけれど、今はもう、彼は我が国の騎士。お返しはできないわ』

「彼が……」

 ナイジェルはいささか複雑な気分で、空に描かれる炎の軌跡を見つめる。


 かつてこの国の民として生まれながら、祖国を見限りファルレアンの騎士となった少年――だが、彼に降り掛かった数々の悲劇を思えば、それも無理からぬことであろうと思われた。特に、彼の故郷である村が地上から消えることとなった一件については。


「ではまさか、ファルレアンはこのことあるを見越して、あらかじめ騎士たちを国内に……? そうでもなければ、この時点では」

 ユフレイアがはっとしてアレクサンドラを見据えたが、見据えられた方はわずかな笑みと共にかぶりを振る。

『まさか。――どういう理由かは分からないけれど、彼らは先ほどの《上位竜( ドラゴン)》に伴われてこの国に入ったわ。信じ難くはあるけれど』

「さっきの……!?」

 ユフレイアも思い出す。王城に辿り着く直前に、上空を通り過ぎた竜の姿。ただ通り過ぎただけだというのに、し掛かるような張り詰めた空気にし潰されるかと思ったほどだ。共にそれを体験した少女たちも、その時の感覚を思い出したように身をすくめた。

 ともあれ、アレクサンドラには情報分の借りがある。また、先ほど魔動巨人ゴーレムの攻撃をしのげたのも彼女の助力が大きいと、密かに報告を受けてもいた。騎士たちの入国・戦闘の許可だけでその借りが相殺できるならば、むしろ幸いである。ナイジェルは頷いた。

「――では、貴族議会代表であるわたしの名において、貴国の騎士団の特別の入国と、自衛戦闘を許可致します」

『感謝します、クィンラム公爵』

 アレクサンドラは感謝を込めて微笑む。その時だった。


『……ちょっと、何やってるの、あの子!』


 風で周辺の様子を探っていたシルフィアが、思わずといった様子で声をあげた。

『どうしたの、シルフィア?』

『どうもこうも――あの子、魔法陣のところに飛んでいったはいいけど、いきなり魔法陣に攻撃し出したわよ!? 何があるか分からないのに……!』

『何ですって?』

 アレクサンドラは再び空を仰ぐ。そこにいたはずのアルヴィーの姿がいつの間にか消えていたことに、彼女はこの時初めて気付いた。

『シルフィア、彼に声を届けてちょうだい。すぐに魔法陣への攻撃を止めて、王城に向かうように』

『分かったわ――』

 シルフィアが風を操り、アレクサンドラの言葉を乗せて放つ――しかしそれを遮るように、街の方から爆音がとどろいた。

「何があった……! 誰か様子を!」

 ナイジェルが外の様子を知るために人をる。だがそれを待たずして、答えはやって来た。


「ひっ、魔動巨人ゴーレムが――!」


 城壁の上の人々の悲鳴を掻き消すように、轟音。城門から少し離れた部分の城壁が、魔動巨人ゴーレムの攻撃により、無残に崩落した。その瓦礫を踏み越え、“それ”は城内に姿を現す。


「――ははははは! 皆の者、出迎え大儀である!!」


 魔動巨人ゴーレムの手の上で哄笑こうしょうする姿に、ナイジェルとユフレイアは目を見張った。

「……馬鹿な……! なぜあいつが!」

 ユフレイアが思わずそう言ったのも、無理からぬ話ではあった。

 そこにいたのは、幽閉されていた城の一画から忽然こつぜんと姿を消した、前王ライネリオだったのだから。


「真の王たるわたしの帰還を言祝ことほぐが良い! わたしは新たな力を得た! この国の王に相応しい力をな!」


 ライネリオの朗々とした声が、静まり返ったその場に響く。彼は眼下の人々を睥睨へいげいし、その中にナイジェル、そしてユフレイアの姿を見つけた。

「ほう……わたしに仇なした奸臣かんしんに、王族を名乗るもおこがましい下賤げせんの女ではないか。ちょうど良い、今この場でちゅうしてやろうぞ!」

 彼は元々は整ったものである相貌を愉悦ゆえつに歪め、右手を高く掲げる。

「薙ぎ倒せ――」


 瞬間。

 キュオン、と甲高い咆哮のような音、そして長大な一本の矢が、大気を貫いた。


「何っ……!」

 ライネリオが立つ魔動巨人ゴーレムの手が、突如力を失う。当然、その上に陣取るライネリオも大きく体勢を崩した。魔動巨人ゴーレムの腕にしがみついて危ういところで転落を免れ、彼はその原因を見つける。

「……何だ、これは……!」

 魔動巨人ゴーレムの右腕の関節部に、一本の矢が深々と突き立っていた。その矢によって関節部の動きが妨げられ、また腕を動かすための鋼線ワイヤーが断ち切られていたのだ。

「矢……? どこからだ!?」

 無敵のはずの魔動巨人ゴーレムを貫いた矢に、ライネリオが戦慄を覚えながら周囲を見回す。

 カツン、と足音が響いた。


「――切りひらけ、《風導領域ゲイルゾーン》」


 詠唱、そして再びの咆哮。カァン、という澄んだ高い音が響き、魔動巨人ゴーレムの頭部にもう一本の矢が生える。

 ぐらり、と魔動巨人ゴーレムの巨体がかしいだ。

「くっ、うおおおお!?」

 足下が揺らぎ、ライネリオは悲鳴をあげながら堪らず魔動巨人ゴーレムの手の上から転落する。幸い足から落ちたが、落ちた衝撃で足でも捻ったのか、その場にうずくまった。それを押し潰さんばかりに倒れ込む魔動巨人ゴーレム――。

「――ひっ!?」

 彼の引きつった悲鳴を掻き消すように、ごう、と風が唸った。

 ライネリオの上に倒れかけた魔動巨人ゴーレムの巨体を、アレクサンドラの操る風が受け止める。倒れる向きがわずかに逸らされ、魔動巨人ゴーレムはライネリオを掠めるように、そのすぐ傍らに地響きと共に倒れ込んだ。

 あまりのことに、アレクサンドラを除いた一同が絶句して立ち尽くしていると、若々しい声が響いた。


「うっはぁ、あっぶねー! 若様、危機一髪でしたよ」

「どっちの意味でだ?」


 城内に入って来たのは、ファルレアンの魔法騎士団の制服を纏った二人の青年だ。彼らはアレクサンドラとヨシュアを見つけると居住まいを正し、その眼前にひざまずいた。

「――中央魔法騎士団第二大隊所属、第一三八魔法騎士小隊長シルヴィオ・ヴァン・イリアルテ、及び部下のカシム・タヴァルと申します。第二大隊長より副大臣閣下の警護を命じられ、せ参じました」

「あ、ああ……それは助かる」

 ヨシュアは半ば唖然としながら、頷いた。シルヴィオが携えた、身長よりも長い化物のような長弓ロングボウに、彼は先ほどの矢の射手を知る。

 それを知ってか知らずか、シルヴィオはその弓を手に立ち上がった。

魔動巨人ゴーレムの牽制はお任せを。――カシム、閣下の警護は任せるぞ」

うけたまわりました!」

 カシムは魔法式収納庫ストレージから愛用のバトルアックスを引っ張り出した。それを片手で軽々と扱う姿に、周囲から驚きの声が漏れる。

 シルヴィオの弓、そしてカシムのバトルアックスは、アルヴィーから譲られた《下位竜( ドレイク)》の素材を使って強化済みだった。その威力はシルヴィオの射撃を見れば一目瞭然である。貫通力に優れた《貫通( ピアース)》の魔法付与エンチャントがしてあるとはいえ、通常の素材だけで作られた矢で、魔動巨人ゴーレムを撃ち抜いたのだから。当然カシムのバトルアックスも、素材に見合ったパワーアップを果たしていることだろう。

 シルヴィオは城壁へ上がる道を探そうと、周囲に視線を巡らせる。その脇では、ナイジェルの指示を受けた兵士たちが、ライネリオを捕縛しようとしているところだった。いくら先代の王とはいえ、王都や王城を攻撃し、人的物的な被害を出した張本人だ。また、クレメンタイン帝国を名乗る者たちの影も見え隠れする以上、そちらについても尋問すべきと思われた。


「――ええい、寄るな、下郎が!」


 槍を構え自分に迫る兵士たちを、ライネリオは凄絶な目で睨みながら、魔法を使おうと身構える。しかし、背後から組み付いた兵士が、隙を見て彼に魔法封じのかせを嵌めた。こうなれば、もはや魔法は使えない。

「くっ……!」

 ライネリオは地面に引き倒され、それでもナイジェルやユフレイア、そしてアレクサンドラの虚像を、憎悪を込めてにらみ上げた。


 ――なぜ真の王たる自分が、こんなみじめな姿で、下賤の者どもに見下ろされなければならない?

 痛む足も、いましめられて自由に動かない腕も、何もかもがうとましい。

 さらなる力が、この場の者どもをまとめてほふれるような、そんな力が欲しい――!


 彼が心からそう願った、その瞬間。

 身のうちで何かが低くわらった気がした。


「……では、ひとまず地下の牢へ――」


 兵士の一人がライネリオの腕を引き、立ち上がらせようとする。

 ――その時、カシムはその超越した聴力で、何かがきしむような音をライネリオから聞いた。ざわり、と彼の直感が囁く。良くないものだと。


「危ない! そいつから離れて!!」


 カシムの警告に、この場の誰よりも彼を良く知るシルヴィオは、即座にその場を跳び離れた。アレクサンドラとユフレイアも、彼女らを寵愛するものたちによって、周囲の人々ごと風と石の二重の障壁で守られる。

 そして、“それ”は起きた。


 ライネリオの背中が大きく盛り上がり、弾ける。服を突き破り、自由を謳歌おうかするように広がったのは、鳥のそれと良く似た四枚の翼だ。枷に戒められた両腕は、見る間に倍ほどの太さに膨れ上がり、枷を弾き飛ばした。

「……ふ、ははははは……!」

 彼は両足に力を込め、立ち上がる。その足はやはり、猛禽もうきん類のもののように変形していた。両手足の指先からは鋭く太い爪が伸び、足元の石畳に食い込む。

「な、何だ、これは――!」

 兵士たちはもはや先代の王という遠慮もかなぐり捨て、てんでにライネリオ目掛けて槍を突き込む。だが――ライネリオがそれを逃れようと飛び退いた次の瞬間、その身が宙に浮いた。

「ば、馬鹿な!」

「空を飛んだ――!?」

 彼の背にある四枚の翼が羽ばたき、風を巻き起こしながら羽をき散らした。その羽は空中で踊りながら、虫へと姿を変えていく。虫たちは不吉な羽音を立てながら、周囲の人々に襲い掛かった。


「何だ、これは!」

「ひっ、この虫、咬み付いてくるぞ!」

「気分が悪い、助けて――」


 虫は人々の肌に取りつき、咬み付く。咬まれた人々は苛立たしげに虫を払いのけるが、すぐに目眩や気分の悪さを訴え始めた。

「この虫の仕業か!」

 シルヴィオは手にした弓で周囲を払い、虫たちを牽制する。弓から《下位竜( ドレイク)》の気配でも感じるのか、虫たちはシルヴィオの周囲には寄って来ない。だが周りの兵士たちや避難民たちはそうはいかず、次々と虫の餌食となっていった。

『――風で飛ばすわ、頭を低くして!』

 そこへ響く、アレクサンドラの声。とっさに身を屈めたシルヴィオの頭上を、風が吹き荒れる。風は猛威を振るう虫たちを巻き込み、遥か上空へと翔け上がっていった。


「ははははは、殺せ、すべて殺してしまえ!!」


 ライネリオの哄笑。再び翼がひるがえり、多数の虫を生み出す。のみならず、彼が突き出した両手の先から稲妻がほとばしり、地上を舐めるように走った。

「……あれは、魔物なのか?」

 変わり果てた異母兄の姿に、ユフレイアが呆然と呟く。答えを与えたのはシルフィアだった。

『魔物といえば魔物ね。多分、予め体内に植え付けられていたんだわ。――もう、人間に戻ることは叶わない』

「…………!」

 息を呑むユフレイアの視線の先、虫はますます数を増やし、月明かりさえ遮ろうとしていた。



 ◇◇◇◇◇



 王城へと急ぐルシエルたちは、前方に巨大な人型の影を発見した。逃げ惑う民間人に、今にも追いつこうとしている。レクレウス軍も、散開した魔動巨人ゴーレムすべてには手が回らないようで、まだここまで来られないようだ。

「――魔動巨人ゴーレムを確認。総員、戦闘態勢。民間人の避難支援はランドグレンとオルコット、君たちに任せる」

「了解」

「了解です」

「了解致しました!」

「りょ、了解!」

 各々が自身の得物を握り、接敵に備える。そして避難民を蹴散らそうとしていた魔動巨人ゴーレムを、背後から急襲した。


「――薙ぎ払え、《炎風鎌刃フレイムサイス》!!」


 攻撃の嚆矢となったのは、ルシエルの魔法攻撃だ。起動した魔剣《イグネイア》が振り抜かれた軌跡がそのまま、炎を纏った刃となって魔動巨人ゴーレムの上半身を襲う。無論これだけで魔動巨人ゴーレムは倒れはしないが、標的をこちらに変えさせることには成功。その足下をウィリアムとニーナが駆け抜け、民間人を護衛しながら先行した。

「行きます!」

 愛用のバルディッシュを携え、シャーロットが身体強化魔法全開で魔動巨人ゴーレムの足下を駆け抜けざま、その右足を一撃。《下位竜( ドレイク)》の素材を加え、新たに生まれ変わったバルディッシュの刃は、魔動巨人ゴーレムの硬い装甲に浅いながらも傷を刻むことに成功した。

「……やっぱり、硬い!」

「けど魔法付与エンチャントもなしで傷入るんなら、イケんじゃね?」

 手が痺れそうなほどの手応えに、離脱したシャーロットが思わず漏らすが、カイルはむしろ闘志を掻き立てられたようだ。

「……なるほど、確かに」

 ディラークも魔動巨人ゴーレムの左足すれすれを駆け抜け、大槍を突き込む。関節部を狙ったが、こちらも甲高い音を立てて弾かれた。

 その後方から、ユナが魔法小銃ライフルを構えて攻撃魔法を発射。炎弾が連続して魔動巨人ゴーレムの頭部に着弾した。ほんの一瞬、魔動巨人ゴーレムの頭部が炎に包まれたが、魔動巨人ゴーレムはそれをまったく障害とした様子もなく、騎士たちを踏み潰そうとばかりに足を浮かせる。

「……視界は影響しない? 目晦ましはあんまり効かないみたい……」

 独り言のようにそうぼやき、彼女は魔法小銃ライフルのカートリッジを入れ替えた。魔動巨人ゴーレムの装甲の隙間、関節部に狙いを定める。

「阻め、《三重障壁トリプルシールド》!」

 ユフィオの魔法障壁が、騎士たちに向けて振り下ろされかけた魔動巨人ゴーレムの足を受け止める。一瞬だけ止まった、魔動巨人ゴーレムの動き――それを逃さず、ユナは引鉄を引き絞った。


 ――カン、と硬質な音、そして次の瞬間、爆音。

 ユナが撃ち放った《爆裂エクスプロード》の魔法付与エンチャント付きの弾丸は、狙い違わず魔動巨人ゴーレムの軸足の関節部を直撃した。


「――よっしゃ、効いてんぜ!」

 魔動巨人ゴーレムが体勢を崩したことに、カイルが快哉を叫ぶ。その彼も、追い討ちを掛けるべく大剣を虚空に斬り上げた。

「焼き尽くせ、《炎撃爆雷バーニングマイン》!」

 導火線のように地上を走った炎が、魔動巨人ゴーレムの足に当たり爆発的に膨れ上がる。

 と――魔動巨人ゴーレムの両肩の魔動砲が起動した。その様子を見たクロリッドが眉をひそめる。

「何だあれ、術者もいないのに、自分で判断して攻撃態勢に入った……?」

「クロリッド、行くわよ!」

「あ、ああ」

 ジーンの声に、クロリッドは考察を中断し、唱和詠唱の準備に入る。


『――捕らえよ、《地陥アースケイヴ》!!』


 ジーンとクロリッドの魔法で、魔動巨人ゴーレムの足下の地面がいきなり陥没した。バランスを崩し、魔動巨人ゴーレムが背後に倒れ始める。その拍子に魔動砲が放たれ、太い光芒が明後日の夜空へと消えていった。それを見送る間もなく、鋼鉄の巨体が背中から地面に倒れ込む。

「今だ! 頭を潰すぞ!」

 ルシエルは《イグネイア》を手に魔動巨人ゴーレムの上に飛び上がると、その頭部に《イグネイア》を突き込んだ。大振りの武器を持つシャーロットやディラーク、カイルも参戦し、念入りに頭部を潰しておく。魔動巨人ゴーレムの頭部には制御のための術式が搭載されていることを、彼らはアルヴィーやクロリッドから聞いて覚えていた。

「……やっぱり、魔動巨人ゴーレムの装甲は硬いですね。《下位竜ドレイク》素材の武器でも、魔法付与エンチャントなしでは傷が入る程度ですか……」

 頭部の破壊を確認し、バルディッシュの損傷がないかを確かめながら、シャーロットは呆れたように魔動巨人ゴーレムを見やる。

「けど逆に言えば、魔法付与エンチャントなしでも傷を入れる程度の強度にはなったってことだろ? 魔法の媒介としちゃ一級品だし、刃毀はこぼれもしてねえし。上出来だと思うけどな」

「確かに。我々のような一介の騎士が持てる武器としては、破格と言って良いだろうな」

 カイルとディラークは満足げだった。彼らはそれぞれに、魔動巨人ゴーレム相手に新しい武器の性能評価をしていたようだ。それは魔法専門組も同様のようで、魔法の威力や射程について意見交換している。

 だが、今はとりあえずそれよりも優先することがあるので、ルシエルは一つ手を叩いて注目を集めた。


「武器の性能評価もいいが、今はひとまず、王城に到着することを優先するぞ。――さっきの戦闘である程度、魔動巨人ゴーレムに通用する攻撃とそうでない攻撃も分かったし、効果のある戦術も見えた。次はそれを精査しよう」

「はい」

「了解しました」


 ルシエルたちも、無為に魔動巨人ゴーレムを攻撃していたわけではない。魔動巨人ゴーレムの性能を測りつつ、通用する戦術を探っていたのだ。

「ユナの新装備は魔動巨人ゴーレムに効きそうだな。数はあるか?」

「弾丸は一応、纏まった数持って来ていますけど……実弾に魔法付与エンチャントしたものになりますから、魔法を発射するのとは違って、毎回の整備メンテナンスが要ります。銃は全体的に《下位竜( ドレイク)》素材で強化しましたけど、実弾を使うとどうしても、弾の削れたカスが内部に溜まるので。あと、魔法にはない反動があるので、狙いが難しいです」

 魔法小銃ライフルを腰の後ろのホルダーに戻しながら、ユナはそう報告する。彼女の魔法小銃ライフルも、改良を経てさらなる攻撃力を手に入れていた。火薬銃パウダーガンとしても併用できるようになったが、その際には発射による反動も出るようになったので、さらに射撃技能を高めなければならないだろう。

「そうか。まあ、体勢を崩すことができれば、後は転ばせればいいからな。魔動巨人ゴーレムに通用する戦術が確立できれば有難い」

「はい」

 魔動巨人ゴーレムの沈黙に伴い、周辺を軽く捜索したが、逃げ遅れた人間もいないようだ。

 それを確認していると、どこからか白い鳥が飛んで来て、ルシエルが差し伸べた手に止まる。ウィリアムからの、民間人を安全な場所まで送り届けたという《伝令( メッセンジャー)》だった。

「――よし、行こう」

 ルシエルの指示のもと、第一二一魔法騎士小隊は王城に向かって駆け出した。


「――お出ましですね」


 ルシエルたちが再び王城へと進み始めた頃。そこから区画を一つ隔てた地点でも、パトリシアとセリオが別の魔動巨人ゴーレムと接敵していた。

「あまり時間を取りたくないし、動きを封じたら後はレクレウス側に任せましょう。セリオ、メインは任せるわ」

「分かりました。――《下位竜ドレイク》素材の強化の成果も、確認したいですしね」

 パトリシアが刺突剣エストックを抜き、セリオも杖を構える。


「――《アヴァーラヴィ》」


 パトリシアが静かに自らの魔剣のを呼ぶ。それに応えるように、細い剣身が青みを帯びた銀色の光を放った。

(まず――動きを鈍らせる!)

 魔動巨人ゴーレムの足下に駆け込み、関節部を目掛けて剣を突き込む。素早く数度の突きを打ち込むと、すぐに離脱した。

 と――パトリシアの攻撃を受けた部分から、鋼の地肌が白く凍り始める。彼女の攻撃の真の恐ろしさは剣ではなく、それによってわずかにでも傷を受ければ、そこから氷魔法が発動するということだった。

 関節部が凍り付けば、当然ながらその動きは阻害される。そこへ、セリオの魔法が炸裂した。


「凍て付け――《氷界の墓標(ニヴルグレイヴ)》!」


 高く月へと杖が掲げられ、放たれる詠唱。魔動巨人ゴーレムの頭上の空間から、巨大な氷の柱が出現し、地響きを立ててその周囲に突き立った。瞬く間に氷は膨れ上がり、魔動巨人ゴーレムの下半身を埋め固めてしまう。

 だが――それで終わりではなかった。杖を掲げたまま、セリオはさらに詠唱を重ねる。


「砕け散れ、《空の墜星(メテオライト)》!!」


 一瞬の後、虚空に現れたのは巨大な岩塊。それは支えを失ったように、一直線に魔動巨人ゴーレム目掛けて落下した。

 ――破砕音。

 豪快に砕けた岩の欠片が飛び散り、その衝撃に圧し潰されるかのごとく、上半身を潰された魔動巨人ゴーレムが氷を砕きながら地に伏した。


「……ずいぶんと派手ね、この魔法」

「そうですね。乱戦の時には使わないようにします」

 辺りに飛び散った岩と氷の欠片に、セリオはそうコメントし、確認のために魔動巨人ゴーレムを杖でつついてみる。もちろん、上半身を潰された魔動巨人ゴーレムの反応はなかった。

「……とりあえず、王城に向かいましょうか」

「そうね」

 動きを封じるどころではなかった威力過剰オーバーキルの魔法の結果からそっと目を逸らし、二人もまた、王城へと向かって駆け出したのだった。



 ◇◇◇◇◇



 魔法陣に向けて《竜の咆哮(ドラグ・ブレス)》を撃ち込み続けていたアルヴィーを、不意に風が取り巻いた。

「うわ、何だ!?」

『これは……あの風の娘だな。いや、精霊か』

 アルヴィーの中で、アルマヴルカンが呟く。それを肯定するように、風に込められた声が耳に届いた。


『すぐに魔法陣への攻撃を止めて、王城に向かいなさい』


「……だってさ。いいのか?」

『構わん。そもそも、今さら止めたところで、もうあれは陣としての機能を失っている。ひとまずこれで、術式は壊せただろう』

 アルマヴルカンの言う通り、魔法陣はすでに破壊され、光を失っていた。

「つーか今さらだけどさ、あれぶっ壊して良かったのか? その地脈ってのの向きを、あれで制御してたんだろ? それをいきなりぶっ壊したら、どうなるか……」

『問題はない。むしろ、あの陣によって作られた流れは、地脈が本来作り上げた流れを無視している。それがなくなれば、地脈はまた本来の流路に戻るだけだ。――あれはわたしが知る術式そのものだからな、まず間違いあるまい』

「へ?」

 アルヴィーはきょとんと両目を瞬かせた。

「何でアルマヴルカンが知ってんだ? これ多分、シアが仕組んだんだろ?」

『おそらく、“わたし”が教えたものなのだろう。――“本体”である方のわたしが、あの人間に』

 その意味を理解し、アルヴィーははっとした。

「……“アルマヴルカン”が、シアに?」

『わたしの魂の大部分は、あの人間のもとにある。あの城から島に飛ばされた時、転移陣に干渉したのはそちらの“わたし”だ。どういう風の吹き回しか、そちらの“わたし”はあの人間に多少なりとも力を貸す気になったようだな』

「何だよ、それ……」

 そこはかとない不安が口をく。クレメンタイン帝国の魔法技術に、千年を生きた火竜アルマヴルカンの知識――その組み合わせはなぜか、アルヴィーに不穏なものを感じさせた。


『――それはそうと、主殿。王城とやらに行かなくて良いのか』

「あ」


 女王アレクサンドラに呼ばれているのだ。すっぽかして良いわけがない。アルヴィーは障壁の足場を展開、それを思いっきり蹴って王城へと向かう。

 ……だが、王城に近付くにつれ、彼の良過ぎる視力は、穏やかならない現状を次々と映し出した。

 破壊された城壁、荒れ狂う風。その中に突っ込んだアルヴィーの眼前に、小さな虫が飛んで来た。もっとも、アルヴィーにぶつかる寸前に、それは小さな炎をあげて燃え尽きてしまったが。風に揉まれるままの虫たちは、逃れることも叶わず、次々と同じ運命を辿った。

「……何だ、これ?」

 害はないが気味が悪く、眉をひそめるアルヴィーの裡で、アルマヴルカンが小さく唸る。


『これは……パズズか』


 聞き慣れない名に、アルヴィーは首を傾げる。

「パズズ? 何だそれ?」

『魔物の一種だ。そこそこ強力だぞ。風と病、虫を操る。さっきの虫、あれはパズズの虫だ。咬まれれば病におかされるぞ。まあ、主殿の場合は触れただけで燃やせるが』

「おい……それじゃ」

 アルヴィーは眼下の城を見やる。その城門前の広場を覆うかのごとく、黒々とわだかまる影。よく見るとそれは、無数の虫の雲だった。時折風が渦巻いて虫の雲を吹き飛ばすが、数が多過ぎて決定打にはなっていない。

「あれじゃ追っつかないぞ。全部燃やすしか――」

 アルヴィーが炎を呼び、放とうとした時。


『主殿。少し代われ』

「は? 代わる?」

『あれだけの範囲を制圧する規模の炎を制御するなら、主殿よりわたしの方が一日の長がある』


 確かに、炎の扱いなら火竜であるアルマヴルカンの方が上だろう。アルヴィーは一瞬迷ったが、

「……下の人たち巻き込むなよ!」

 そう言い置いて両目を閉じた。ややあって開かれたそのまぶたの下の瞳は、黄金。


『ふむ。善処しよう』


 いささか不安になる一言と共に、アルマヴルカンは上空から飛び下りざま、生み出した膨大な炎を解き放った。



 ◇◇◇◇◇



 異なる風がぶつかり合い、荒れ狂う。その真っ只中に、アレクサンドラはいた。

(……あの風は、精霊の支配下のものではないわ。風を操る魔物……?)

 今の彼女は意識体だけを投射した存在であるがゆえに、生身の時よりも深く強く、風を感じることができる。だが、あくまでも人の身に過ぎない彼女には、もうすぐ制限時間が迫ろうとしていた。


『――エマ、もうそろそろ限界よ。これ以上意識を身体から離せば、あなたの方が危ないわ』


 精霊の力を借りて、その力の及ぶ範囲内であればどこへでも意識体を飛ばせる《虚像》は、だが野放図に使える魔法でもなかった。あまりに長く意識を肉体から離せば、今度は生身の身体へ戻れなくなる危険性がある。加えて今回、アレクサンドラは大規模な魔法を何度も使っていた。力を貸すのが風の大精霊シルフィアであっても、限界というものは存在する。

 しかし、今ここでアレクサンドラが戦線離脱すれば、この場にいる人々のほとんどは、無数の虫に蹂躙じゅうりんされるしかない。

(まだ……もう少しだけ……!)


 その瞬間。

 彼女の思いに応えるかのように、上空から強烈な気配と共に、渦巻く炎が降ってきた。


『!――これは……!』

 びりびりと、大気そのものが震えているような気配。それが纏う炎が風に乗り、瞬く間に城中に広がりながら、群れを成す虫だけを凄まじい速度で焼き尽くしていく。

『この気配……火竜なの……?』

 シルフィアが呟く。そんな彼女たちの眼前に、“彼”は下り立った。


 姿形はアルヴィーである、“それ”。だが、彼女たちには分かる。

『――火竜、アルマヴルカン……』

 アレクサンドラの呟きに、アルマヴルカンはわずかに唇の端を吊り上げた。

『こうして“表”にいる時に顔を合わせるのは初めてだな。風の娘に精霊』

『あなた……あの子の身体を?』

『早とちりするな、精霊。今の状況には主殿よりもわたしの方が向いているゆえの、一時的な交代だ。――それよりも、風の娘の意識を早く連れ戻したらどうだ』

 アルマヴルカンの言葉に、シルフィアはアレクサンドラを抱き締める。

『……そうさせて貰うわ。後はお任せするわよ、火竜』

 そう言うと、アレクサンドラの姿ごと、彼女は風となって周囲の大気に溶け消える。それを見届け、アルマヴルカンは右手を軽く翻した。

 すると、城中を駆け抜けた炎が再び彼のもとに集まり、渦を巻く。それを右肩の翼で余すことなく吸い込み、彼は右手を掲げた。そこに伸びるのは、炎を纏った《竜爪( ドラグ・クロー)》。


「ひ……か、火竜……」


 虫をすべて焼かれ、身一つとされたライネリオ――否、今や魔物パズズとなった存在が、怯えの色もあらわに後ずさる。その彼に向かって、アルマヴルカンは炎の剣を向けた。

『さて。――そこそこ力があるとはいえ魔物風情。さっさと焼き尽くしてやろう』

 黄金の双眸が、炎を宿したがごとき炯々(けいけい)たる光を浮かべる。

 瞬間。


「――ちょぉーっと、待ちなさーいっ!!」


 上空から舞い下りる、紅い色。それはアルマヴルカンとライネリオのちょうど中間に下り立ち、深紅の刃をアルマヴルカンに向ける。

 《竜爪ドラグ・クロー》を構えたメリエは、アルヴィーの姿をした火竜に、挑むような笑みを浮かべた。


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