第93話 舞い下りる炎
レクレガンの中心である王城で、何とか避難することができた人々は、遠い地響きのような音に身を震わせながら、災厄が通り過ぎるのをただひたすら待っていた。
王城の敷地内にまで避難することを許されたのは、貴族やそれに準じる上流階級と看做される富裕層の平民たちだが、彼らとてこの状況の中では、ただの無力な人間でしかない。せめてもと持ち出した金や宝飾品などの貴重品を握り締め、持ち出すことのできなかった家財が無事に済むよう願うしかなかった。
「――あれは何だ。一体、何が起こったのだ……!」
「なぜ魔動巨人が街を荒らす!? あれは我が国の魔動巨人の新型ではないのか!?」
「軍は何をしているの、早くどうにかしてちょうだい!」
せめて様子見をと上がった城壁の上で、人々が不安げにそう言い合う中、ヨシュア・ヴァン・ラファティーは目をすがめ、月明かりに浮かび上がる街並みを見下ろした。
(魔動巨人か……だが、レクレウス側の資料にあったものとは外見からして違うし、そもそもレクレウスのものが王都を襲撃するはずもない。あれは一体、どこの……)
彼の思索は、だが間近であがった怒声に掻き消される。
「軍はまだ、あれを鎮圧できぬのか!」
「我が屋敷が被害を受けたら、どう補償して貰えるのかね!?」
「屋敷にはまだ、先祖代々受け継いできた宝物が――」
「わたくしのお気に入りの温室もありますのよ!」
特に貴婦人たちの、キンキンと響く金切り声にわずかに顔をしかめつつ、ヨシュアは隣で同じく顔をしかめる文官に尋ねる。
「――ところで、クィンラム公をお見掛けしていないか?」
「クィンラム公爵閣下でしたら、あちらに。どうやら貴族議会の方で、お忙しいようです」
「そうか、そうだろうな。公がご無事であればそれで良い。あの方がいなければ、貴族議会は王家や他の貴族の圧力に耐えられまいからな。それで講和が反故にでもされれば、目も当てられん」
城壁の下で貴族たちに囲まれるナイジェルの姿を見つけ、ヨシュアは頷いて視線を外した。
地響きは、だんだんとこちらへ近付いてくるようだ。文官もそれに気付いたのか、身を固くする。
「……こ、ここまで来るのでしょうか……」
「分からないな。だが――」
ヨシュアがそう言いかけた時。
「――開門だ! 門を開けよ!」
「逃げ遅れていた貴族の方々が、お着きになられた!」
門を守っていた兵士たちが騒ぎ出し、城門が開けられる。避難して来た貴族たちが、待ちかねたように雪崩れ込んできた。城門を入ったところは広場になっているが、そこに飛び込むが早いかへなへなと座り込んでしまう姿も多く見受けられる。そんな中、一人の令嬢は気丈にも震える足で小走りに、ナイジェルの方へと駆け寄った。
「――ナイジェル様!」
「オフィーリア、よく無事で」
流れる黒髪も美しい令嬢は、ナイジェルの腕に飛び込み身体を震わせる。ナイジェルも優しくその華奢な身体を抱き締めた。そのまま泣き崩れても無理はないと思ったが、彼女は驚くべき精神力で、自らを立て直したようだ。
「……大丈夫ですわ。魔動巨人に追い詰められた時はもう駄目だと思いましたけれど……あの女の子たちのおかげで、こうしてここまで辿り着くことができました」
「そうか、あの二人が間に合ったか」
ナイジェルは王都に魔動巨人が出現したという一報を受け、部下である《人形遣い》のブランとニエラを、オフィーリア保護のために向かわせていた。相手が魔動巨人ともなれば、多少なりとも対抗できそうなのは彼女たちの“人形”しかなかったからだ。自身の護衛には暗殺者上がりのイグナシオ・セサルとクリフ・ウィスもいるが、残念ながら彼らは対人戦闘には秀でていても、魔動巨人とは相性が悪い。
「では、二人は魔動巨人と戦闘に?」
「はい……わたしたちは、その場から逃げるのが精一杯で……」
「それは仕方ない。君たちは守られるべき存在であるのだから、気に病む必要はないよ。――それに彼女たちは、あれで場数を踏んでいる」
少女たちを置いて来たと気にするオフィーリアを慰め、ナイジェルはすでに閉じられた城門を見やる。彼女たちはああ見えて、旧ギズレ領や《魔の大森林》などの激戦地を潜り抜けているのだ。戦場における引き際も心得ている。魔動巨人を仕留めることはできずとも、痛手を負う前に撤退することはできるだろう。
(……しかし、王都をうろつく魔動巨人を倒せるだけの戦力が、まだ戻りきっていないのが痛いな……国境で《擬竜騎士》に魔動巨人部隊を全滅させられたのが、ここに来て堪えている)
魔動巨人はまだ新規分を建造中で、作戦行動に出せるような状態ではない。貴族議会の代表として軍には防衛を指示したが、圧倒的な戦力不足は否めなかった。無論、王都の街中で魔動巨人同士の大立ち回りなど言語道断だが、組み付けば動きを封じる程度はできる。それすらできないのは痛い。
だが、泣き言を並べている場合でもないので、改めて現在の状況を確認するよう部下に指示を出す。
と――城壁の上の人々から悲鳴のようなどよめきがあがった。
「――魔動巨人が……!」
ナイジェルの位置からは確認できなかったが、城壁の上の人々には、ついに王城の間近にまで到達した魔動巨人の姿がはっきりと見えたのだ。市街地で分断されたのか、辿り着いた魔動巨人は一体だけだったが、大して慰めにはなるまい。魔動巨人は月明かりにその外装を禍々しく輝かせ、従来のそれより遥かに軽やかな足どりで王城に迫ってくる。
今度こそ悲鳴をあげながら、城壁の上の人々が逃げようとするが、各々ばらばらの方向に逃げようとするため、かえって混乱して動けない。それに巻き込まれたヨシュアは、身動きもろくに取れないまま、魔動巨人の両肩に設置された魔動砲が前方に向けて回転し、その砲口に光が集まるのを見た。
『――見つけたわ』
しかしそれが放たれる、その寸前。
天空を翔ける風を思わせる涼やかな声と同時、上空から吹き下ろしてきた膨大な風の塊が魔動巨人を直撃し、その巨体を大きくよろめかせた。
「…………!!」
誰もが声もなく見つめる先、体勢を崩した魔動巨人が放った光線は、王城を逸れて遥か空へと消えていく。信じられない心持ちで立ち尽くすヨシュアの眼前に、風が凝って一人の少女の姿を形作った。
「陛下……!」
見紛うこともない、ファルレアン女王アレクサンドラの姿に、ヨシュアは即座に膝を折って跪く。周囲の文官たちもそれに倣い、レクレウス貴族たちは驚きの目でそれを見つめた。
『無事で何よりです、ラファティー伯』
「勿体無いお言葉です、陛下。危ういところをお救いいただき、まことに有難く存じます」
一層深く頭を垂れたところへ、魔動巨人の様子を見ていた人々の悲鳴が届く。
「た、大変だ! またあれを撃つ気だぞ!」
アレクサンドラの風で体勢を崩された魔動巨人だったが、驚くべきバランスで再び立ち上がると、再び魔動砲を王城へと向ける。そちらを見やった虚像のアレクサンドラの双眸が、不快げにすがめられた。
『……わたしの臣下に、手は出させない』
その感情を反映したかのように、王城周囲の大気が風となって暴れ始める。それは地上の土埃を巻き上げ、そして一条の竜巻と化して魔動巨人目掛けて突き進んだ。
竜巻と魔動巨人が、真正面からぶつかる。
撃ち放たれた光は、だが竜巻にたっぷりと含まれた土埃によって、その威力を大きく削がれた。相殺しきれなかった光芒が王城を支える基礎部分の一部に突き刺さったが、光芒も起きた爆発も、ごく弱々しい。
「……っ、今だ! 魔動兵装、撃てぇっ!!」
そんな人知を超えるのも甚だしい戦いに、防衛に駆り出された兵士たちは唖然としたが、我に返った指揮官の号令と共に魔動兵装が火を噴いた。撃ち出された魔法弾が魔動巨人に殺到する。その様子に、城壁の上では一転、歓声が弾けた。
「おおっ……!」
「見ろ、魔動巨人を押しているぞ!」
人々の顔に喜色が甦る。
――そんな様子を、上空から見下ろす視線が二つ。
「……なーんか押されてない? あっちの新型魔動巨人」
ダンテの使い魔、《トニトゥルス》の背から身を乗り出し、メリエは皮肉げに唇を歪める。
「しょうがないね。基本的な動作は学習したけど、戦闘機動はまだ学習中だから。おまけに相手がファルレアンの女王だ。あれは意識体を飛ばしているだけのはずだけど、さすが“風の女王”ってところだね」
満を持した新型魔動巨人の戦果がはかばかしくない様子にも、ダンテはごく当然のようにそう答えた。実際、今回投入した魔動巨人は自己学習型ではあるが、稼働してまだ間もない。世界でも最高峰の高位元素魔法士を相手取るには、いささかどころではなく経験不足なのは否めなかった。
「まあ、今回の目的はその戦闘機動の習得そのものだし、最悪本体が破壊されても中枢結晶さえ無事なら問題ないよ。それを別の魔動巨人に移植すれば済むからね」
現在レクレガン襲撃に投入されている新型魔動巨人は、これまでのものとは設計思想からして違う。従来のものは操作術者を必要とする前提で造られているが、この新型魔動巨人は体内に中枢結晶と名付けられた部品を持ち、そこに情報を蓄積していく仕組みだった。経験の蓄積が進めば進むほど、魔動巨人の動きは良くなるし、戦闘などで大破しても中枢結晶さえ無事であれば、それを別の魔動巨人に移植することで、経験値を蓄積したままの魔動巨人を再生産することもできる。
「じゃあ、あの馬鹿に魔動巨人付けたのも、戦闘させるため?」
「そうだよ。ある程度までは彼の命令を聞くだろうけど、戦闘経験を積んで自己判断が発達してきたら、どうかなあ」
「暴走するってこと?」
「判断力が付いて本来の主の命令を遂行することを、暴走とは言わないよ。彼がどう思うかは知らないけど」
そう嘯くと、ダンテは地上に目を落とした。
王都市街地では、魔動巨人とレクレウス軍の戦闘が繰り広げられていた。といっても、ほとんどは魔動巨人が一方的に蹂躙するだけのものとなっていたが。ただ、魔動巨人も分断されてほとんどが単独行動を取っており、さらに一部のものは苦戦しているようだった。
「……へえ」
その内の一体に目をやり、ダンテは感心したような声をあげる。
それは異様な光景だった。月明かりの下、魔動巨人と一回りほど小さな人型をしたもの二体が、組み合っての乱戦となっている。
「何あれ? レクレウスの魔動巨人って、あんなに小さかったの? 何だか、組み合ったら手足とか折れそうだけど」
「あれは人形だね。術者の魔力で操るところは魔動巨人と似てるけど、搭載した術式にある程度依存する魔動巨人と違って完全に術者の直接操作だから、操作の自由度が高いんだ。もちろんその分、術者には高い技能が要求されるんだけど……武器を使っての戦闘までこなすとなると、相当の使い手だな、あの術者」
二体の人形はまるで人間のように武器を使いこなし、魔動巨人と相対していた。片方が魔動巨人の攻撃を受け流し、もう片方が弱点を探るという戦法のようだ。それも役割が固定しているわけではなく、臨機応変に交替している。相当息が合っていないとできない芸当だ。
彼が見つめる先、二体の人形と魔動巨人は、何度目かの激突を果たそうとしていた。
◇◇◇◇◇
「――もうっ! あの魔動巨人、かったーい!」
「細いのに、なかなか引っくり返らないね……」
《人形遣い》の少女たちは、自身が操る人形の背でうんざりした顔を見合わせた。すでにオールト家の人間たちは脱出に成功しているが、この魔動巨人は思った以上に動きが機敏で、二人はなかなか脱出の機を見出せないでいた。せめてその巨体を転ばせるなりして大きな隙を作れれば、悠々と逃げられるのだが。
「もう魔石の魔力もあんまり余裕ないし……」
ブランは腕輪の魔石を見やる。そこに内包された魔力は、最初に比べて明らかに弱まっていた。魔動巨人の膂力に対抗するため、出し惜しみなしで魔力を使っているので、その分減りも早いのだ。
魔動巨人は砲撃を行うべく、両肩の魔動砲を起動させる。
「――させ、ないっ!」
二人は息を合わせて人形を操り、グレイブを突き出した。狙うは肩の付け根だ。同時に刃先で突き上げられ、魔動巨人の上体がわずかに傾ぐ。
そして次の瞬間――魔動砲が火を噴いた。
「きゃあ!?」
「あぶな……っ!」
寸前で揃って退避した二体の人形の頭上を掠め、砲撃は虚空を貫くと、少し離れたところの屋敷の屋根を撃ち抜いた。爆発と共に建材が飛び散り、優美な半球状の屋根には大穴が開く。
「うわあ……」
「あ、あれ、わたしたちのせいにならないよね……?」
顔を引きつらせる少女たちだったが、もちろん魔動巨人は被害など構うことなく、彼女たちに向かって来る。二人が再び、人形を身構えさせた時。
「――あいつ転ばせりゃいいの?」
いきなり足下から聞こえた声に、二人はぎょっと地上を見下ろした。
「あなた……誰?」
「いや、ただの通りすがりだけど」
いつの間にか人形の足下にいたのは、抜身の剣を携えた青年だ。彼は茶色の瞳を猫のように輝かせた。
「俺があいつの体勢崩すから、そこへ全力でカチ込みなよ。二体で掛かれば、どうにかなるだろ?」
「待って、意味分かんない!」
「体勢崩すって、剣だけでどうやって――」
慌てる少女たちを尻目に、彼――フィランは駆け出す。魔動巨人は少女たちの人形の方をより脅威と判断しているのか、足下の人間にはほぼ無反応だった。ただ、人形への攻撃ついでに踏み潰してでもやろうというのか、その足どりがわずかに変わる。
しかし機敏といっても所詮、魔動巨人での基準だ。人間、それも常人より遥かに優れた反射神経を持つフィランにとって、それは鈍重に過ぎた。
「……んじゃまあ、とりあえず足一本貰っとくよ」
するりと間合いの内に入り込み、
「――斬れ、《ディルヴァレア》!」
一閃。
完璧な呼吸で振るわれた金を帯びる銀の刃は、フィランの命を喜ぶかのようにきらめき、キィン、と澄んだ音と共に魔動巨人の右足首を“通り抜けた”。
そして、一瞬の後。
ごきり、と魔動巨人の右足が足首から折れ、その巨体が泳ぐ。
「……うそ!」
「魔動巨人を斬ったぁ!?」
少女二人が目を見張る間もあらばこそ。
「何やってんだ、今! どつくんだろうが、そいつで!」
「あ、そ、そっか!」
「そうだよね!」
フィランの声が飛び、彼女たちははっと我に返った。
「行くよっ!」
「せーの!」
ブランとニエラの声が重なり、二体の人形がまったく同じ動作で腰溜めに構えたグレイブを突き出す。
人形二体分の膂力で突き込まれた一撃は、片足を失って安定を欠いた魔動巨人を、今度こそ後方へと突き倒した。
「――やったあ!」
地響きを立てて倒れた魔動巨人に、少女たちは歓声をあげる。と、
「おりゃ」
ゴシャ、と。
魔動巨人の頭部に飛び上がったフィランが、軽い掛け声と共に手にした剣で魔動巨人の頭を串刺しにした。
「――なあ姫様、これでいいの?」
「ああ、一般的な魔動巨人は、頭部に制御のための術式が入っている。そこを潰せば、少なくとも動けなくなるはずだ」
その場に歩み出て来たのは、杖を手にしたユフレイアだ。彼女はその杖でトン、と地面を軽く叩く。
すると、魔動巨人の巨体がいきなり砂に沈んだ。石畳の地面が突然砂に変わったのだ。さすがに全部埋まりはしなかったが、その巨体の半分ほどまで埋まってしまう。と、ユフレイアがもう一度杖で地面を叩いた。砂は一瞬で固まり、魔動巨人をがっちりと抱え込む。
「半分だが、地面に埋め込んでしまえば動けないだろう。後で回収できれば、使われている技術の研究もできるからな」
「さっすが、ちゃっかりしてんなあ」
実利的きわまるユフレイアの台詞に、感心半分呆れ半分のフィラン。
国でも有数の大貴族の登場に、少女たちは慌てて人形から下りると、その場に跪いた。
「あ、あの、ありがとうございます、オルロワナ公爵様」
「おかげで助かりました」
拙いが実感のこもった礼の言葉に、ユフレイアは表情を緩める。
「いや、実際に手を貸したのはそこのフィランだ。――それはそうと、一つ頼みたいのだが」
「は、はい!」
「何なりと!」
さらに畏まる少女たちに、ユフレイアの顔が苦笑になった。
「そう畏まる必要はないぞ。――実は、わたしたちを王城まで連れて行って貰いたいんだ。自分の足で歩くより、その人形の方が速そうだからな」
「えっ」
「そ、その……あんまり乗り心地良くない、のですけど……」
困惑したように互いの顔を見合わせる少女たちを安心させるように、ユフレイアは微笑む。
「心配しなくても、文句は言わない。王城へ早く着けることが肝要だからな」
こうまで言われては、受けないわけにもいかなかった。
「は、はい……承知しました」
「えっと……今、動かしますね」
「ああ、頼む」
少女たちは再び人形に乗り込み、身を屈ませる。ブランの人形が左手を地面に伸ばすと、心得たユフレイアは身軽にその手の上に乗り込んだ。
「フィラン、おまえも早くしろ」
「ああ、はいはい――」
フィランもニエラの人形の方に歩き出し――かけたところで、その双眸が急に鋭く細められた。
「――悪い、俺はここに居残りだ。姫様、その二人と一緒に先に王城行っといて」
再び《ディルヴァレア》を抜いて励起させたフィランの言葉に、ユフレイアが目を見開く。
「な……何を言っている、フィラン?」
「いやあ……どうもお客さんみたいだよ、別に招いてないけどさ」
フィランがやれやれと嘆息した、その時。
「さすが、良い勘してるね」
唐突に、虚空に生まれる光。
それが消えた後には、魔剣《シルフォニア》を携えたダンテの姿があった。
「――行け! 早く!」
後方の三人に向けて声を投げ、フィランは前方に踏み込む。振るわれた《ディルヴァレア》の輝きが、空中に銀の軌跡を描いた。
「おっと」
それを受けるダンテの《シルフォニア》。二振りの魔剣が噛み合い、玲瓏たる咆哮を奏でる。
「……行こう、ニエラ!」
それを耳にする間もなく、ブランは人形を操った。人形は軽やかに身を翻し、ユフレイアを手に載せて王城への道を駆け出す。ニエラもそれに続いた。
「待て! まだフィランが――」
「あの人の言うことが正しいです!」
「まずは公爵様の安全が第一なんです!」
「しかし……!」
言い募ろうとするユフレイアを半ば無視して、少女たちはひたすらに人形を王城に向けて走らせる。
その姿は、すぐに見えなくなった。
「……いいのかい? 彼女について行かなくて」
「あんたの方がやばいだろ、放っとくと」
挨拶代わりの一撃は互いにいなされ、二人の剣士は愛剣を構えて対峙する。フィランはユフレイアたちがまずは安全圏に逃げ切ったと見ると、構えは崩さないまま再び口を開いた。
「……“ダンテ・ケイヒル”だったよな、あんた。――そんな名前、聞いたことあるよ、昔話で」
「僕も、君を見ると思い出す相手がいる」
対するダンテも、どこか懐かしいものを見る眼差しで、フィランを見やった。
「……百年、か。長いようで短いね。いや、逆かな?」
「さあ、それは人それぞれじゃないかな。俺にご先祖重ねるのは勝手だけど、生憎俺はご先祖様と違って、あんたには特に思い入れとかないから」
「それもそうだ。考えてみれば、君が“彼”に似てるのは見た目だけで、中身は全然違うからね」
「そりゃ、見た目は似るだろ。俺多分その人の直系だし」
フィランのもっともな意見に、ダンテも納得したように頷いた。
「なるほど、ごもっとも。――じゃあ」
そして――《シルフォニア》を一閃。
「戦ろうか、そろそろ」
「奇遇だね、同意見だよ!!」
放たれた不可視の刃を、フィランは過たず斬った。両断されたそれは、近くの屋敷の塀に直撃して砂糖菓子のごとくあっさりと塀を吹き飛ばす。
だが、それはダンテも織り込み済みだ。放った見えざる刃を追うように、彼自身も飛び出している。今度は攻撃を飛ばさず、《シルフォニア》本体で斬り掛かった。対するフィランも、斬り下げたその勢いを殺さぬままに踏み込みつつ、刃を返す。
魔剣同士の剣戟の音が、月下の虚空に高く響いた。
「……あーあ、行っちゃった」
中空を舞う《トニトゥルス》の背中で、メリエは退屈にため息をついた。
突如現れて魔動巨人の右足を斬り裂いた剣士を目にした途端、ダンテが戦意を漲らせて転移してしまったので、取り残された彼女は余計に暇になった。一応ダンテは、彼女自身の判断で動いて良いと言い置いて行ったが、正直気が乗らない。
「どうしよっかなあ」
見下ろした地上では、魔動巨人迎撃戦の真っ最中だ。魔動兵装が咆哮し、魔動巨人に直撃する様は、地上に光の華が咲いたようだ。だが、メリエはさして感銘を覚えなかった。
ただ――王城には興味があった。
(一応この国の出身だけど、王城とかあんまり見たことなかったし……何なら、《竜の咆哮》で吹っ飛ばしてみてもいいよね。シアは“騒ぎを起こせ”としか言わなかったし、この国の王族や貴族を始末しとけば、後々役に立つかも)
そう思い付くと、メリエはひょいと《トニトゥルス》から飛び降りる。どの道、彼女ではダンテの使い魔であるこの大蛇は扱えない。
マジックアイテムの力で空を蹴り、メリエは王城へと向かって空を駆け始めた。
◇◇◇◇◇
空の遥か高みを、深紅の影が一直線に翔けていく。
火竜エルヴシルフトに半ば連れ去られる形で同行することになったファルレアン騎士団(選抜組)だったが、最初こそちょっとした騒ぎになったものの、今ではもう誰もが諦めて静かになっていた。
「……あー、こりゃもう完全にレクレウス国内に入ったな」
速度と時間から計算し(日没後の上に飛行速度が速過ぎて、景色はまったく参考にならない)、ジェラルドが嘆息する。図らずも不法入国してしまったわけだが、まあ事情が事情なので目こぼしはして貰えるだろう。何しろ火竜に引っ攫われての国境越えだ。人間の力ではどうしようもない。
「信じられない……その日の内に国境越えなんて……」
「というか、これだけの速度で飛んでもこっちに何の負担もないなんて、凄いですね、竜の結界魔法って」
呆然と呟くパトリシアとは対照的に、セリオは自分たちを包み込む結界をしげしげと観察している。結界というよりは力場に近いものだったが、十人以上の人間を持ち上げ飛竜を軽々と上回る速度での長時間飛行を経ても、まったく衰える様子がない。
『ぴゃーっ!』
一行の中唯一賑やかなのは仔竜のアゼルアリアで、今はアルヴィーの頭にちょこんと乗っかって満足げだった。野生動物には極力関わらない主義のアルヴィーだったが、向こうからべったりくっつかれ、しかも親が“構え”と無言の圧力を掛けてきているとあっては、もう好きにさせるしかない。完全に諦めの境地である。まあこの分なら育児放棄の心配はなかろうし。
「……じゃあその仔竜が、《下位竜》に呑み込まれてた卵から孵った子供なのか」
ルシエルは親友に懐き倒す仔竜を見つめる。まだまだ幼竜の域を出ないアゼルアリアは、どこもかしこも丸っこく愛くるしい。おかげで小隊女性陣の羨望の眼差しがアルヴィーに集中しているが、さすがに《上位竜》の子供には手を出しあぐねていた。
「……アルヴィーさん、つくづく人外種族に好かれますねえ」
シャーロットなど、もはや感心の域である。だが彼女の言うことももっともではあった。彼の裡に宿る火竜アルマヴルカンを筆頭に、現在進行形で自分たちを拉致中の火竜エルヴシルフトとアゼルアリア、南方の島の地精霊シュリヴに水竜マナンティアル。いずれも、普通に生きていれば一生涯お目に掛かるはずもない存在だ。そんな相手を次から次へと誑し込む――というと語弊があるが――のは、もはや一種の才能だろう。
「きゅー……」
アゼルアリアにアルヴィーを独占されているせいか、フラムはユナの腕の中で、何だか切なげな声をあげていた。長い耳と尻尾がしょんぼり垂れ下がる様は、何ともいえず庇護欲をそそる。後で存分に構ってやろうと思いつつ、アルヴィーは自分たちを引っ攫った犯人に尋ねた。
「……なあ、何で俺たちまでこんなとこ連れて来たんだ?」
すると、エルヴシルフト曰く、
『我が雛がおまえを気に入っているからな。雛の気が済むまで付き合って貰おうと思ったまでだが……他の者らは、付いて来ようとしたゆえ連れて来ただけのことだ。おまえはもとよりその者らも、竜素材の武器の使い手ならば多少のことでは死にはすまい』
「やっぱりか……」
アルヴィーは頭を抱えた。連れて来られた面々の共通点は、騎士団所属という点の他にもう一つ。アルヴィーが《下位竜》の素材を配った相手ということだ。
「っていうかやっぱ分かるのか、そういうの……」
『無論だ。その上それは、我が雛を危険に晒した愚か者の成れの果てゆえな。散々追った気配だ、忘れようはずもない』
もっとも、骸を通り越して武器の一部になってしまっていては、もはや恨みようもないのだろうが。
『とはいえ、戦いに勝った者が敗れた者を糧にするのはこの世の摂理。それがどのような形であろうとな。それをどうこう言う気はない』
「ああ……それは何となく分かる」
元猟師のアルヴィーは納得して頷いた。彼にも馴染み深い考え方だ。
語らいながらも、エルヴシルフトは速度を緩めることなく空を翔ける。そして、不意に小さく唸った。
『……あれか』
その黄金の双眸が、まだ遥か遠くの先を鋭く見据える。アルヴィーですらまだ何があるのか見えないが、《上位竜》の知覚はそれだけ桁外れということなのだろう。
「何かあるのか?」
『この先に、地脈を乱した元がある。――いや、乱したというよりは……強引に整えたと言うべきか』
「何だそれ?」
アルヴィーの疑問に答えたのは、エルヴシルフトではなくアルマヴルカンだった。
『元々自然に通っていた地脈の流れを、自分の意に沿うよう強引に変えたということだ。地脈の流れが変われば、大地にも良くも悪くも影響が出てくる。まあ、大抵は悪い方に転ぶのだがな』
スケールが大き過ぎていまいち呑み込めないが、大それたことだというのは何となく分かった。
(……そういや、シュリヴも怒ってたもんなあ……)
第一波を感知した時のシュリヴの騒ぎっぷりを思い出す。地の高位精霊があれほど騒ぐのだから、まともな思考があればまずやらないことなのだろう。
(だけど、今回それをやった奴がいる……)
アルヴィーが思考に沈みかけた時。
「――あれは……!」
人間たちの中で最初に“それ”に気付いたのは、“千里眼”を持つシルヴィオだった。
「どうかしたんすか、若様」
尋ねるカシムの声も聞こえないかのように、彼は驚愕もあらわな面持ちで呟く。
「……魔法陣だ。とんでもない大きさの……」
彼は確かに見ていた。
暗闇に鮮やかに浮かび上がる、巨大な魔法陣の一端を。
やがて、他の面々の視界にもそれは飛び込んでくる。ウィリアムが呻いた。
「馬鹿な……あんな巨大な魔法陣、どうやって描いたというんだ」
「それに、こんな複雑な陣、僕らも見たことないです」
「わたしもだわ」
「同じく」
魔法が専門のユフィオやジーン、それにクロリッドも、食い入るように陣を見つめる。アルヴィーはアルマヴルカンに尋ねてみた。
(なあ、あれ何だか分かるか?)
もちろんアルヴィー自身はさっぱり分からないので、軽い気持ちで訊いたのだ。だが、
『ふむ……覚えはあるな』
予想外の答えに、アルヴィーは思わず声をあげた。
「知ってるのか!?」
「どうしたの、アル」
「それが――」
尋ねるルシエルにアルヴィーが答えようとしたところ、シルヴィオが息を呑むのが聞こえた。
「――まさか!」
「今度は何すか!?」
問う声も余所に、彼は“千里眼”を凝らす。銀に淡く輝く双眸を鋭くすがめ、彼は断言した。
「向こうの街で、戦闘が起きてる。――影が見えた。大分形は違うけど、多分……魔動巨人だ」
「――――!」
誰もが息を呑む中、思案していたジェラルドが口を開いた。
「イリアルテ。何か場所が特定できる手掛かりは見えるか」
「待ってください。――あれは……」
さらに目を細め、シルヴィオは夜空の向こうを凝視する。そして、信じられないというようにその目を見開いた。
「まさか……あの街、城が見える……それも、領主の城館って規模じゃない、もっと広い」
「城って……え、まさか、」
その意味するところを悟り、カシムが顔を引きつらせる。
そんな彼らを引き連れ、エルヴシルフトは巨大魔法陣の上空を通過した。そういえばあれがどういう効果のある魔法陣なのか、アルマヴルカンに聞きそびれたことにアルヴィーは気付いたが、今はそれどころではない。
この辺りになると、アルヴィーの目にも確かに街の姿が見えてきた。街の中心にそびえる城――それにはおぼろげながら、見覚えがあった。
あれは、レクレウス軍の練兵学校に入るために初めて王都に足を踏み入れた時。
王都を見下ろすがごとくにそびえ立つ城を、圧倒されるような気分で遠目に眺めた――。
「……レクレガンだ」
ぽつりと落ちたアルヴィーの呟きに、全員が目を見張った。
「確かか」
「前に一回、見たことがある。――城なんか見たのはあれが初めてだったから、よく覚えてるよ」
「ってことは、もう王都まで来ちまったってことか。《上位竜》ってのは、飛んでも速いんだな」
もはやどこか投げやりに、ジェラルドが嘆息する。そもそも、もうここまで来れば、目の前の街がラーファムだろうが王都だろうが大した問題ではない。どっちみち国境をぶっちぎったことに変わりはないのだ。
ただ、そこで戦闘が起きているとなると、そちらは大した問題だった。
「……介入する理由はありませんね、本来なら」
自分たちの立ち位置を考えて、ルシエルが慎重に意見を述べる。が、ジェラルドは頭を掻いた。
「本来なら、な。――だが、ラファティー伯の出発予定日は明日だ。つまり、今はまだレクレガンに留まっている可能性が高い」
「それは――」
ルシエルも返答に困る。自国の重要人物がこの戦闘の渦中にいるというのなら、介入するための名分が立たないこともないのだ。
悩んでいると、エルヴシルフトがこちらを一瞥した。飛行速度を緩める。
『どうする。行くのか、行かないのか』
「……連れてってくれるのか?」
アルヴィーが尋ねると、エルヴシルフトは小さく鼻を鳴らす。
『もとより、これは様子見だ。一通り状況を見て取れば、わたしは再び住処へと戻る。途中で降りるなり、最後まで付いて来るなり、好きにするが良い』
「……エルヴシルフトの今の住処って、確か別の大陸だよな……人が住める環境じゃないって、前に聞いた気がするけど」
そんなところまで連れて行かれるのは、全力で遠慮したい。
ジェラルドは決断した。
「――総員、降下準備だ。王都レクレガンに降下し、ラファティー伯を捜索、安全を確保する。不法入国は……とりあえず、《上位竜》見りゃ仕方ないと思ってくれるだろ。自国の閣僚の安全確保であれば、ギリギリではあるがレクレガンへの干渉には当たらない。その際の戦闘は……まあ、自衛だな。仕方ない」
こじつけもいいところだが、実質はほぼ、レクレガンで下りるしか選択肢がないのだ。理論武装しておいて損はない。多分に投げやりではあるが。
ともかくも、そうと決まれば、降下の準備をしなければならなかった。アルヴィーはこのまま放り出されてもどうとでもなるが、他の面々はそうはいかないのだ。
「じゃあな、元気でやれよ」
『ぴゃーっ!』
アルヴィーがアゼルアリアに別れを告げている間、他の面々はそれぞれ武装し、身を守るための魔法を準備する。と、エルヴシルフトが高度を下げ始めた。速度もさらに落とし、低空飛行コースに入る。
『あの陣はどうやら、単独で発動しているわけではないようだ。力の集まる中心は別の場所にある。わたしはそちらを見て、住処に戻ろう』
「え、じゃあ、あの陣みたいなの、他にも――」
アルヴィーがそう言いかけた時。
『では、さらばだ』
短い別れの言葉と共に、結界が解除された。
「――総員、魔法を発動しろ!」
「了解! 支えよ、《風翼》!」
「支えよ、《風翼》!」
ジェラルドの号令と共に、打ち合わせ通りに唱和詠唱で魔法を発動。アルヴィーは右腕を戦闘形態にし、エルヴシルフトに手を振った。
「ありがとな! 気を付けろよ!」
エルヴシルフトは聞こえたのか否か、優雅に翼を翻して方向を変えた。おそらく、力の集まっている中心点とやらを見に行くのだろう。
他の面々に合流しようとし――アルヴィーは気付いた。
(あれは……!)
ここから数ケイルは先、王城の至近。
一体の魔動巨人が、魔動兵装の迎撃をものともせずに、王城に向かっている。
その両肩に魔動砲が展開され、王城に狙いを定めた。
「――悪い、先に行く!」
アルヴィーはそう怒鳴り、足場を展開、それを蹴って王城方面へと方向転換する。そして右肩の翼の力を借り、見えざる坂を滑り下りるように突き進んだ。
ぐんぐん近付く王城、そしていよいよチャージ状態に入った魔動巨人が間近に迫る――!
「――《竜の咆哮》!!」
撃ち放った光芒は、魔動巨人の足下に突き刺さり、地面を吹き飛ばしてその体勢を大きく崩す。
その、頭上。
複数の足場を展開して、アルヴィーは速度を殺し、魔動巨人の頭上に位置を占める。右腕を掲げた。
展開した《竜爪》を炎が包み、一振りの炎剣となる。
そして、身体を支える足場を蹴り。
アルヴィーは落下の勢いのまま燃え盛る剣を振り下ろし、魔動巨人を脳天から斬り下ろした。




