第92話 災日は暮れゆく
突如として王都郊外に現れた巨大な影に、偶然哨戒任務でそこを見回っていた衛兵たちは自分の目を疑った。
「あ、あれは……!」
もうすでに日が落ち、代わって月が中天に駆け上がろうとするその空の下。いつの間にかその場に堂々たる様子で佇んでいるのは、鎧を纏った騎士を彷彿とさせる巨大な人型だった。そんな巨大な体躯を持つ人型をした物体を、彼らは一つしか知らない。
「まさか……魔動巨人!?」
「そんな馬鹿な……!」
騒然とする彼らの頭上から、その時声が降ってきた。
「――わたしは正当なるレクレウス国王である! 速やかに道を開けよ!」
思わず兵士たちがそちらを振り仰ぐと、魔動巨人の手の上で傲然と地上を見下ろす人物がいる。月明かりに照らされ、彼の金髪が豪奢に輝いた。
「聞こえなかったのか? わたしはこの国の正当なる国王だ。その道行きを阻むなど、不敬であるぞ!」
だが――貴族であればともかく、平民出身の兵士たちが、国王その人の顔などそうそう知っているはずもなかった。平民にとっては、“国王”という存在は知っていても、それが“誰であるか”などさほど興味がない。ただ、“玉座に座る人物が存在する”状態であれば、それでいいのだ。少なくとも、王がいれば国はそれなりに安定を保つのだから。そして彼らは、少なくとも終戦後、新たな王が玉座に座したことは知っていた。
……つまり早い話が、この場にいた兵士たちは“自称国王”の言を虚言と判断したのだった。
「馬鹿を言うな! 国王陛下は王城にいらっしゃるではないか!」
「恐れ多くも国王陛下を僭称するなど……き、貴様こそ不敬であろうが!」
兵士たちは及び腰になりながらも手にした槍を構え、魔動巨人を従えた不審者を睨み上げる。さすがに槍の穂先が大きく震えているが、それでも魔動巨人の前に立ちはだかったのは称賛に値するだろう。
しかし、その勇気は相手を余計に不快にさせただけだった。
「――何だと……? 下賤な平民風情が、誰に向かって口を利いている……!!」
煮えたぎる溶岩を思わせる、軋るような低い声。その声に、兵士たちの背筋を冷たいものが這い下りていった、次の瞬間。
「ならば、貴様らの愚かしさを思い知るが良い……! 爆ぜろ、《豪炎竜巻》!!」
魔動巨人の上の人物が、勢いよく右手を振り下ろす。
そして――詠唱とほぼ同時、突如炎が凄まじい勢いで巻き起こり、兵士たちを一息に呑み込んだ。
「――ははははは!! 下賤な平民が身分もわきまえずに不敬を犯した罰だ! このわたしが直々に手を下すこと、有難く思え!」
急速に暮れ行く空に高らかな狂笑を響かせ、彼――ライネリオは炎を受け止めるように両手を広げる。魔動巨人の足下に広がる火の海の中では、炎に巻かれた兵士たちがのたうち回っていた。
「ぎゃああっ、熱い、痛い――!」
「助けてくれえっ……!」
炎の爆ぜる音に交じる悲鳴に、ライネリオは不快げに眉をひそめる。
「虫けらがうるさいようだな。――行け」
彼が命じると、魔動巨人は従来のそれとは一線を画す機敏な動作で歩み始めた。眼前の火の海とその中の兵士たちを避けることなく。
炎といくつかの人命を踏みしだき、魔動巨人は火の海を渡り切ると、そのまま王宮を目指して歩を進める。その後には他の魔動巨人、そして銀髪金目の人造人間たちが続いた。彼らの内の幾人かが歩みのため、水や氷の魔法で炎を鎮火させると、生み出された大量の水蒸気が霧のように辺りを包んだ。
王宮へ向けて進む奇妙な一団を、無論巡回中の他の衛兵たちが見逃すはずもなく、やや距離を置いて包囲を試みる。見下ろしたライネリオは嘲笑を浮かべた。
「ふん、その程度でわたしの邪魔をしようなど……身の程をわきまえよ、虫けらどもめが!」
彼は高く右手を掲げ、詠唱と共に振り下ろした。
「薙ぎ倒せ! 《雷霆暴嵐》!!」
ライネリオが振り下ろした右手の先に生まれる、眩い光の塊。それは地上に届くや否や爆発したかのように弾け、激しい稲妻が轟音と共に四方を薙ぎ払う勢いで荒れ狂う。
「ははっ、はははは! 素晴らしいな、これほどの魔法を使ってもまだまだ、魔力が尽きん……! この魔力集積器官があれば、あの下賤の女にも引けは取らんぞ!」
高笑いを響かせる彼の足下で、衛兵や巻き込まれた一般市民が身体を震わせながら倒れている。もっともその中で、未だ命を保っている者はそう多くはなかった。ほとんどは強力な稲妻の直撃を受けて命を落とし、びくびくと痙攣を繰り返すのはその名残に過ぎない。
「――に、逃げろぉっ! 巻き込まれるぞ!」
「いやああっ!!」
その惨劇を目の当たりにしながらも、何とか紙一重で巻き込まれずに済んだ者たちは、蜘蛛の子を散らすように四方八方へと逃げ出した。
「ふん、他愛もない。そもそも、平民ごときがわたしの行く手を阻もうとすること自体、万死に値する不敬であることがなぜ分からぬのか……まったく、無知な民草ほど嘆かわしいものはないな」
道端の石よりも無価値なものを見る目で、ライネリオは眼下の惨状を一瞥すると、再び魔動巨人を進め始める。
その行く手には、夕闇にも鮮やかにそびえる王城があった。
◇◇◇◇◇
ファルレアン王国外務副大臣ヨシュア・ヴァン・ラファティーの帰国の旅は、出発前から盛大に出端を挫かれることになった。
「――それで、状況はどうなっている?」
「は、現在レクレウス軍が出動し、迎撃に当たっているとのことですが……何分、敵が魔動巨人ということで」
「そうか。しかし、よりにもよってこの日に……同行する予定の人員はどうなっている? 無事なのか?」
「はい、現在は待機中とのことですが」
「それなら良い。――が、ここが安全かも分からないな。避難する必要があるかもしれないし……誰か、問い合わせをしてくれないか」
「は、すぐに」
文官の一人が足早にその場を後にする。避難する必要があるか、もし必要があるならば避難場所についても情報を得なければならない。
――王都に突如所属不明の魔動巨人が出現したと報告を受けたのは、まさに彼らの出発予定日の前日だった。すでに準備はあらかた整い、後は出発するだけ、というところでの事件である。とにかくまずは情報収集ということで、レクレウス側にも現在の状況など問い合わせたちはしているのだが、どうやらレクレウス側にとっても寝耳に水の事件らしい。
とりあえず、避難を勧められた場合に備えて荷をすぐに動かせるようにしておく。もっとも、国に持ち帰るべき書類や旅のための必要最低限の物資などといった重要なものは、こちらに赴任する際に国から借り受けておいた魔法式収納庫に入れてあるので、手元に纏めてある荷は最悪、失ってもさほど支障はないものだ。
「……しかし王都がこれではな。出発どころの話ではない。迎えを大分待たせてしまいそうだな」
ファルレアン側からこちらへ向かっているはずの部隊とは、国境付近のラーファムの街で落ち合う予定になっていたが、王都がこんな状況では元捕虜たちをぞろぞろ引き連れて出発などできるはずもない。
ため息をつくと、ヨシュアは室内の肘掛け椅子に腰を下ろした。
(それにしても……王都近くまで魔動巨人を目立たずに運べるなど、あり得るのか?)
目をすがめた時、問い合わせに行っていた文官が戻って来た。
「閣下、遅くなりまして申し訳ありません」
「いや、この混乱ぶりでは致し方ないだろう。――それで、何か分かったか?」
「は、この一帯は王城に近いため警備も手厚くなっており、現段階では避難の指示なども出ていないそうです。ただ、魔動巨人の進路如何によっては、場所をお移りいただくことになるかもしれないとの返答です」
「なるほど。――分かった。では一応、いつ移ることになっても良いように準備を」
「承りました」
ヨシュアの指示で、文官たちも動き始める。
時折外の様子を窺いながらそこで待機していると、突如、玄関の扉を激しく叩く音が聞こえた。
何事かと文官の一人が応対に出ると、そこには荒い息をつく兵士が立っている。
「……っ、ご許可も得ずに邸内に踏み入りまして、申し訳ありません……! ですが、もうこちらも危険です! ご避難を……!」
どうやら、魔動巨人がこちらに近付いているらしく、兵士が言葉を継ぐ間にも遠く地響きのような音が聞こえ始めていた。兵士も不安げに、外を振り返る。
「わ、分かりました。すぐに副大臣閣下にお伝え致します!」
飛ぶように中に戻った文官の報告に、ヨシュアも表情を引き締めた。
「そうか……仕方あるまいな。では急いで避難を」
ヨシュアの号令一下、文官たちは慌ただしく出発の準備を整えた。玄関を出ると、先ほどよりも地響きが近くなったようだ。
「――すまないが、案内をよろしく頼む」
「はっ! お任せください!」
待っていた兵士の案内で、一行は安全な場所を目指して館を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇
遠くレクレガンの騒乱を、一対の群青が見つめている。
レティーシャ・スーラ・クレメンタインは銀色の長い髪をなびかせながら、その双眸をわずかに細めた。
「……なあ、あれ何か意味あるの?」
そこへひょこりと顔を出したのは、大剣を背負ったゼーヴハヤルだ。彼は一応レティーシャの護衛として共にここに赴いていたが、おそらく必要はないだろうと彼女は見ていた。王都を守る兵たちは、ライネリオや魔動巨人の相手に忙しく、こちらのことなど気にする余裕はあるまい。
「ええ。こちらの邪魔をされないために、必要なことですわ」
レティーシャはにこりとゼーヴハヤルに笑いかけると、軽やかに振り返る。その視線の先には、地面に描かれた巨大な魔法陣――その一部があった。何しろ巨大過ぎて、地上からではほんの一部しか見えないのだ。
彼女は線を踏まないよう、陣の中心部に向かう。そして辿り着いた中心点で魔法式収納庫から取り出したのは、見事な細工が施された剣だった。実用というより儀礼剣のようにも見えるそれの柄を両手で握り、彼女はその両手を高く掲げる。
「……こういうことは、ダンテの方が得意ですわね」
わずかな苦笑と共にそう呟き、レティーシャは迷いなく両手を振り下ろした。
――光が、弾ける。
「……うわ!?」
眩さに思わず目を瞑って顔を背けたゼーヴハヤルとは対照的に、レティーシャは手を翳し目を細めはしたものの、動じることなくその源を見つめる。地面に突き刺さった剣から溢れた光は、魔法陣の線を伝って走り、やがて全体を輝かせた。
そして――ズン、とかすかに感じた、地面の揺れ。
「お? 何か今ちょっと揺れたぞ?」
首を傾げるゼーヴハヤルに、レティーシャは振り返って微笑んだ。
「ええ。地脈を少し弄りましたの」
「ちみゃく?」
「大地の中を流れる力の道、といったところですわね。川や海、大気中にもそういった特別に強い力が流れる道はあるのですけれど、大地のものが一番顕著なのです。このレクレガン、そして三公国の首都近くの魔法陣は、その地脈の流れを整えるためのものですわ。――今からわたくしが行う“実験”には、それだけの動力が必要なのです」
「ふうん……俺には難しいことはよく分かんないけど、結局何がしたいの?」
ゼーヴハヤルの問いに、レティーシャは今度こそ、花が綻ぶような笑みを浮かべて。
「そうですわね。――この世界に、風穴を開けようと思いますの」
◇◇◇◇◇
『――――!』
突如感じた“それ”に、“彼”は思わず、遥か遠くを見晴るかすように空を見上げた。
『ほう……? なかなか大きな力が動いたな。これほどの規模となると、人間には難しいが……』
“彼”の現在地は、事が起こった場所からは遥かにという言葉も生温いほど離れているが、もとより人間など足下にも及ばないほど、こうした自然界の力の動きには敏感なのが彼らだ。それにどうやらそれなりに大規模に地脈を弄ったらしい。大地はおろか、そこに接する大気をも通じて、その力の余波がこちらにまで伝わってきていた。もちろん、相応のタイムラグはあるし、ここまで伝わった余波はごくわずかなもので、感覚の鈍いものには感じ取れまい。
と、“彼”はふと視線を落とした。
『……何だ、“あれ”が気になるか?』
『ぴゃあ、ぴゃあ!』
足元で訴えるようにしきりに鳴く我が子に、“彼”はふむ、と少し考えたが、
『――では少し様子を見に行くか』
『ぴゃあ!』
我が子の“お願い”には抗しきれずに、少々遠出をすることにした。
喜んでぴゃあぴゃあと騒ぐ我が子を背中に乗せると、
『すまぬが少し出掛けてくる。留守を頼むぞ』
見守っていた伴侶にそう言い置いて、“彼”は翼を大きく広げ、風に乗るようにふわりと飛び立つ。もちろん、背中の我が子が落ちないよう結界を張るのも忘れない。
風よりもなお速く空を翔けるその姿はすぐに、遠い水平線の彼方へと消えた。
◇◇◇◇◇
ファルレアン王国王都・ソーマでも、夜会への出席のため、宰相や侍女たちを従えて《雪華城》の廊下を歩いていた女王アレクサンドラが、不意に顔を上げた。
「――シルフィア?」
彼女がその名を呼んだ瞬間、城内だというのに強い風が吹き荒れ、侍女たちが口々に悲鳴をあげる。そんな中、アレクサンドラだけは風に乱れる髪もそのままにある一点を見つめた。
その先に風が集まり凝ったかと思うと、見る間に若い女性の姿になる。髪先やドレスの裾が透けたその美女――風の大精霊シルフィアは、いつになく厳しい表情でアレクサンドラを見た。
『エマ、大変よ。――今、誰かが“この世界”に干渉しようとしたわ』
「干渉……?」
目をすがめるアレクサンドラに、シルフィアは頷く。
『風を通じて、こちらにまで伝わってきたの。多分、地脈の流れを変えたんだわ。――何、これは……円環?』
アレクサンドラと話すと同時に、彼女は風を通して現地を“視て”いるらしい。譫言のように呟き、その瞳が遠くさまよう。
しばしの後、彼女は再びアレクサンドラに向き直った。
『どうやら、地脈の力を何かに流用しようとしているみたいだわ……少しずつ準備を進めていたのね。四ヶ所を基点にして地脈の力を円環状に流すようにしていたみたい。――円環じゃない? 力が巡って……一点に集まり始めたわね』
「……その場所は分かって?」
愛し子の問いに、シルフィアはためらいもなく頷いた。
『力の収束点はアルタール山脈北東。基点になっているのはサングリアム、ドミニエ、ラトラ……それからレクレガンよ』
「――何!? レクレガンにはまだ、ラファティー伯が……!」
宰相のヒューバート・ヴァン・ディルアーグ公爵が声をあげる。外交の要の一人、外務副大臣が変事に巻き込まれたかもしれないとなれば、国家の一大事だ。
アレクサンドラは思案気に瞳を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「……《虚像》を使うわ。力を貸して貰えて?」
『もちろんよ、可愛いエマの頼みだもの』
シルフィアは双眸を細め、嬉しげに笑う。
急遽近くの部屋から長椅子が運び出され、アレクサンドラが腰を下ろすために供された。万が一にも床に倒れることがないようにとの配慮だ。長椅子に優雅に腰掛けたアレクサンドラは、そのペリドットグリーンの双眸をそっと閉じる。
その彼女を包み込むように、風が渦巻いた。
◇◇◇◇◇
ファルレアン国内を西へと向かう一行は、休憩のために隊列の足を止めることにした。
彼らが進むイル=シュメイラ街道には、長い旅路の間に多少なりとも休息を取れるよう、道の脇に広場が設けられている。馬に水を飲ませるための水場や、魔物除けの結界陣などが設置されており、旅人たちは安心してしばし心身を休めることができるのだが、彼らもその恩恵に与ることにしたのだった。
「――けどまだ先は長いよなー」
地図でこれからの道程を確認し、アルヴィーはうんざりとため息をつく。シャーロットが苦笑した。
「まあこんなものですよ」
「つーか、街道あるだけマシだよな」
カイルも遠い目で同意する。大陸内国家間の物流の大動脈である大陸環状貿易路の一部でもあるこの街道は、国内でも最も整備が進んでいる街道なのだ。馬どころか馬車でさえすれ違えるほどの道幅と、しっかり舗装されて雨でもぬかるまない路面、随所に設けられた休憩所。道路状況は最高に恵まれているのだ。
「……今日はもう、この辺りで野営かな」
暮れ行く空を見上げて、ルシエルが呟く。そもそも、今回の旅では野営も辞さない予定だったので、そのための装備も持って来ていた。何しろ元敵国の捕虜も連れているのだ。町や村を通り抜ける程度ならともかく、投宿となると、地元住民が良い顔をしないことも充分考えられる。特に西に行くにつれ、未だ地元住民の反レクレウス感情は激しくなるであろうことは想像が容易だった。
そもそもこの休憩所は、日暮れまでに最寄りの町や村に辿り着けなかった旅人たちのための、野営拠点としても機能するよう造られている。というわけで、彼らは早々に準備を始めた。
設置された魔物除けの結界陣に魔力を通して起動させ、薪を小さく束ねて獣除けも兼ねた松明を作る。地魔法を使える者は簡単な竈を作って煮炊きの準備を始め、魔法式収納庫から天幕を引っ張り出す気の早い騎士もいた。文官は馬車、レクレウスの捕虜たちは一応周囲から姿が見えないよう、荷馬車と大差ないような幌馬車に乗っての護送であるので、それがそのまま天幕代わりになるだろう。
そしてその準備において、アルヴィーはあちこちから引っ張りだこだった。
「アル、悪いけどこの薪、ちょっと水分飛ばしてくれない? このままじゃ使えないから」
「分かった」
ルシエルに頼まれて切り出したばかりの生木をちょちょいと乾かし、
「あ、こっちにも火種くんない? 火熾し面倒なんだよなー」
「いいけど」
カシムに呼ばれて竈に突っ込まれた薪にひょいと火を入れ、
「いちいち火入れが面倒だ、そこに並べた松明全部燃やせ」
「大雑把だな!?」
ジェラルドに突っ込みつつも軽く炎を操り、広場の外周沿いに並べられた松明にいっぺんに着火。炎が生き物のように宙を翔け、並んだ松明に次々に火が点いていくのはなかなか壮観だった。
「まったく、火種がいてくれると野営準備が楽だな」
「火魔法使える奴いないと、火熾しほんと面倒ですもんねー」
あっという間に整った野営の準備に感心する彼らを横目に、あれ、俺って今一応爵位持ちの貴族じゃなかったっけ、とそこはかとない理不尽さに首を傾げるアルヴィーである。
と、
「きゅっ」
「ああ悪い、ずっと袋入れっぱなしだったもんな」
胸元の運搬袋がもそもそ動き、フラムが解放を要求してくる。騎乗している間は、下手に動き回って地面にでも落ちたら馬蹄の餌食になりかねないため、ずっとこの運搬袋から顔だけ出した状態だったのだ。袋の口を緩めると、あっという間に抜け出てアルヴィーの左肩によじ登り、ぷるぷると全身を振って毛並みを整える。
その小さな頭をよしよしと撫でてやっていると、
「――ああ、ここにいたか」
やって来たのはダニエラ・イズデイル三級騎士だ。彼女は四十そこそこに見える騎士を連れていた。
「おお、君が《擬竜騎士》かね! 噂は聞いておるよ!」
紹介されるより早く握手を求めてきたその騎士が、ダニエラの小隊の隊長らしい。苦笑しながらそれに応じ、改めて互いに紹介を受ける。その間も、騎士は非常に上機嫌だった。
嵐のようにやって来て嵐のように去って行った騎士を見送ると、残ったダニエラが苦笑する。
「すまないな。あれでも人は悪くないんだが」
「はあ……賑やかな人っすね」
そう言うしかなく、アルヴィーは曖昧な笑いを浮かべる。と、ダニエラが手を上げて呼ばわった。
「――ニーナ!」
「イズデイル三級騎士、っ――!」
知己の声に表情を明るくして近付いて来たニーナ・オルコット四級騎士は、だがその隣にアルヴィーの姿を認めると、ぎしりと音でも立てそうなぎこちなさで立ち止まった。
「どうした?」
「い、いえ……なぜ彼がここに……?」
「何でって任務だし」
アルヴィーが首を傾げると、
「そ、そういうことではなくて……!」
と顔を反らしてもごもご呟くニーナ。その顔がわずかに赤らんで見えるのは、周囲の松明の明かりのせいばかりではないだろう。
「――まずいわね、向こうも割と押してきてるわ」
「ロット、頑張って」
「だから、どうしてそこにわたしを巻き込むんですか……!」
少し離れたところでその様子を見つつ、ひそひそと姦しい第一二一魔法騎士小隊の女性陣に、カイルなどニヤニヤしている。
「いやー、若いねえ」
「そう面白がってやるな。それに、むしろおまえの方が先に身を固めるべきだろう、年齢的に」
「俺はもうちょっと恋愛を楽しんでからだなあ」
「恋愛というのはもう少し本腰を入れた関係を言うのだがな。おまえのは単なる色遊びだろう。それにそう言っている間に、相手はどんどんいなくなるぞ」
「う゛っ!? オッサン案外言うね……」
小隊の良心であり唯一の既婚者でもあるディラークによる会心の一撃。カイルは轟沈した。
そんな外野の声は、距離があったのと小声だったことで、幸か不幸かアルヴィーには届かなかった。それでも何か話をしている、という程度のことは分かったので、何だろうと耳をそばだてかけたその時。
『――うん?』
アルヴィーの中でアルマヴルカンが小さく唸る。
(……どうした?)
『今……かすかに妙な力を感じた気がしたのだが』
(妙な力?)
『主殿には分かるまい。わたしですらほんの一瞬、力が波のように足下を走り抜けていったように感じただけだ』
アルマヴルカンの言葉に被せるように、
『ちょっとー! 今の何なのさ!!』
アルヴィーの胸元から黄金色の光が滲み、この場にいないはずの少年の声が聞こえた。
「……シュリヴ?」
『アルヴィー、今どこにいるのさ! 何か変な力が掠ってったみたいだけど!』
「へ?」
地精霊シュリヴから貰った水晶を引っ張り出してみれば、中でちらちら輝く光がいつになく活性化している。
『人間には分かんないだろうけど、今すっごく大きな力が動いたよ! もー、誰だよ地脈なんかつついたの! ここにいても分かるとか、あり得ない規模なんだけど!』
「……何だそれ?」
『地面の中を通ってる力の通り道みたいなもの! 今それに誰かが勝手に干渉したんだよ! ったく、自然に形成された地脈弄るとか、信じらんない! 一歩間違えば天変地異だよ!』
自身が地の高位精霊であるシュリヴは、自分が属する大地の力の流れを無遠慮に弄られたことに、えらくご立腹らしい。その憤りを表すように、水晶の中の光が脈動するように強く輝いた。
「……とにかく、大隊長に報告してくる」
怪訝な顔のニーナやダニエラにそう言い置き、アルヴィーは今回の部隊の総指揮を執るジェラルドを探してその場を離れた。
「――妙な力、か……」
見つけたジェラルドにアルマヴルカンやシュリヴの言葉をそのまま伝えると、ジェラルドも難しい顔になった。
「まあ、火竜や地精霊が口を揃えてるってことは、嘘じゃないんだろうが……」
「それがどの辺りで起きたことかは、分からないのかしら」
「シュリヴでも、遠過ぎて分かんないって」
パトリシアの質問はもっともだったが、残念ながら地の高位精霊たるシュリヴの力をもってしても、事が起こった正確な場所は把握できないとのことだった。
「……とにかく、一応警戒はしておこう。何が起こるか分からんからな。総員を準戦闘態勢にしておけば、とりあえずは良いだろう」
「はい、ひとまずはそれでよろしいかと」
「僕はちょっと《スニーク》を飛ばしてみます」
セリオが自身の使い魔の小鳥、《スニーク》を呼び寄せると、命令を与えて空へと放った。この三つ目の小鳥は、額のもう一つの目で魔力を見ることができる。何か痕跡を見つけられるかもしれなかった。
とりあえず現段階でできることは警戒くらいだ。すぐに戦闘態勢に入れるよう、全騎士に最低限の武装を指示する。騎士たちは当惑しながらもそれに従い、大振りの武器を魔法式収納庫から取り出す姿も見受けられた。
……だが、セリオの探索も空振りに終わり、何事もなく時間が過ぎていく。そうこうしている内に食事も摂り終わり、一時は緊張した空気も徐々に緩み始めた。
このまま何事も起きないのではないか――アルヴィーでさえそう思い始めた時だった。
『――ほう、珍しい客が来たものだ』
アルマヴルカンが意外そうに呟くと同時。
辺り一帯の空気が突如張り詰め、強烈な威圧感が周囲を覆い尽くした。
「……っ、総員、戦闘態勢……っ!」
何とか自身も剣を抜きながら、ジェラルドが掠れた声で命じる。だがそれに従えた騎士は半分ほどだった。武器を持たない文官や捕虜たちなどは、その場から動くことすらできずに震えている。アルヴィーの肩にいたフラムも、ぴゃっと身体中の毛を逆立て、慌てて彼の襟元に潜り込もうと顔を突っ込んだ。
ビリビリと大気を震わせるようなその気配の主に、だがアルヴィーは覚えがあった。
「――エルヴシルフト!?」
『覚えのある気配と思えば……よくよく縁があるようだな』
翼を大きく広げた深紅の《上位竜》が、羽ばたきの音すら立てずにその場に舞い降りてくる。だがそれに先んじて、
『……ぴゃーっ!』
甲高い声と共に、エルヴシルフトの背から何かがアルヴィー目がけて落っこち、見事彼の頭に“着地”した。
「でっ!?」
『ぴゃーっ!』
一度アルヴィーの頭でバウンドし、ころんと地面に転がった“それ”は、しかしすぐに跳ね起きてぴゃあぴゃあと騒ぎ始めた。
「ええと……アゼルアリア、だったよな?」
『ぴゃあ!』
名前を呼ばれ、それ――エルヴシルフトの子供である仔竜は、嬉しそうに一声鳴くと翼をばたつかせる。飛行はそれなりに上達したようで、ふらつきながらもふよふよと浮き上がった。
「おー、飛べるようになったじゃんか! 偉いなー」
『ぴゃー!』
そこだけ空気がほんわかしたが、忘れてはいけない。周囲は未だ、エルヴシルフトの威圧のおかげで大変なことになっているのだ。
「おい……おまえの知り合いか……?」
ジェラルドの軋るような声に、アルヴィーははたとそのことを思い出した。
「っ、そうだエルヴシルフト、ちょっと気配緩めてくれ! みんな《上位竜》の気配に耐性ないんだよ!」
『ふむ、良かろう』
途端に空気が緩み、騎士たちは強大な威圧から解放されて大きく息をついた。中にはへたり込んでしまった者もいる。
「ありがとなー」
そんな中、一人平然と《上位竜》と話しているアルヴィーに、周囲は得体の知れないものを見る目を向けた。
「ド、《上位竜》と対等に……」
「あんな威圧感の中で平然としてるとか、どんな神経してるんだ……」
漏れ聞こえてくる声に、アルヴィーはがくりと肩を落とした。これでまた人間離れ認定されそうだ。
「……まあいっか。――それより、何でこっちに来たんだ? 別大陸で子育てするんじゃなかったっけ?」
『無論そうしていたのだがな。先ほど、何やら大きな力が動くのを感じた。それで、我が雛がおまえのことを気に掛けてな。少し様子を見に行くことにしたのだ』
「え」
遥か遠く、別大陸にいたエルヴシルフトがこちらの大陸での異変を感じ取ったということと、それで彼らが自分のことを気に掛けたということの両方に、アルヴィーは驚きの声をあげた。周囲もにわかに騒がしくなる。
「そっか、気にしてくれたのか。ありがとな」
『ぴゃーっ』
アゼルアリアは親譲りの金の双眸をくりくりさせ、はしゃぐように翼をばたつかせた。
『だが、事が起こったのはどうやら、もっと先の方だな』
エルヴシルフトは顔を上げ、遥か先を見据えるようにその双眸を細める。そして、再びアルヴィーを見下ろした。
『……ときに、おまえはなぜこんなところにいるのだ?』
「任務だよ。レクレウス――えーと、あっちの方に行くんだ」
人間の間で通用している地名など、《上位竜》には通じまい。そう思って分かりやすく方角を指差すと、エルヴシルフトは小さく唸った。
『ふむ。――異変の元も、どうやらそちらの方角のようだな。良かろう』
「え」
どういうことかと問い返そうとした瞬間、アルヴィーの足が宙を踏んだ。
「うわあああ!?」
「きゅーっ!?」
『ぴゃあ!』
ふわふわ浮き上がるアルヴィーにフラムががっちりしがみ付き、アゼルアリアは嬉しそうにその周囲を飛び回る。
『我が雛もこうして嬉しそうだ。しばし付き合え』
「んな無茶な!?」
「アル!」
「ちょ、隊長!?」
突っ込むアルヴィーを引き留めようと、果敢にその中に飛び込んで行ったのはやはりというか、親友ルシエルだ。部下たちも泡を食いながらもそれを追った。
自分に臆さず突撃して来た人間たちに、エルヴシルフトの目に面白そうな光が浮かぶ。
『ほう……人間にしては良い度胸だ。――それに』
金の瞳が彼らの持つ武器を一瞥する。通常の武器にはあり得ない強い力を秘めるそれらに、竜――《下位竜》の素材が使われていることを、エルヴシルフトは一目で看破した。そればかりか、最初に追い縋って来た人間の持つ剣は、《上位竜》の鱗と酷似している。
良く見れば他にも、同じく竜素材を使った武器の持ち主が見受けられた。彼らは皆、最初にエルヴシルフトが放った威圧の中で、何とか戦闘態勢を取ることができた人間たちでもあった。
――面白い。
久しく見ることのなかった類の人間たちに、エルヴシルフトは喉を鳴らした。
『良いだろう。その武器を持っていれば、容易く死ぬこともあるまい』
次の瞬間、ルシエルを始め、第一二一魔法騎士小隊全員が同じように空中に持ち上げられる。そればかりか、他の小隊の一部、果ては指揮官であるジェラルドとその部下たちも、同じ目に遭う羽目になった。
「えええええ、ちょ、俺らも!?」
「おい、俺は部隊の指揮があるんだぞ!」
「わ、わたしもですかっ!?」
「なぜ僕までっ!?」
第一三八魔法騎士小隊からはシルヴィオとカシム。ジェラルドも部下ごと空に攫われ、そしてニーナとなぜかウィリアムも、小隊から引き離されて“選抜”された。アルヴィーは気付いていなかったが、どうやらウィリアムの小隊もこの任務に選ばれていたらしい。
「……あ」
そしてアルヴィーもここに至って、彼らが連れ出された理由に思い当たる。だが、それを当人たちに告げる暇はなかった。
『では行くぞ』
エルヴシルフトがそう言うが早いか、その巨体がふわりと空に舞う。謎の力で空中に連れて行かれた騎士たちごと。
そして次の瞬間――彼らを(強引に)伴ったエルヴシルフトは、力強く翼を打ち振ると、風さえも追い付けない速度で、遠く西の空へと飛び去って行ったのだった。
……しばしの後、後に残された一行が大騒ぎになったのは、言うまでもない。
◇◇◇◇◇
王都レクレガンはこの日、とびきりの災厄を迎えていた。
街の大通りを、何体もの魔動巨人が歩いて行く。王城を目指し一直線に歩くそれらは、時に行く手に建つ建物を無造作に破壊し、逃げ惑う人々を蹴散らしながら進んでいた。その後に付き従う銀髪金目の無表情な戦士たちは、せめてもの反撃を試みる兵士たちを、やはり無表情のままに手にした槍で薙ぎ払っていく。
「――いやああっ!」
「逃げろ、こっちだ!」
「うえええん、お母さぁん……!」
人々の悲鳴や怒声、子供の泣き声が入り混じり、それを掻き消すように魔動巨人の足音と建物が破壊される音が轟く。月明かりはあるものの、夜間であるため避難は昼間ほど迅速には進まない。
魔動巨人は無人の野を往くがごとくに順調に、街を蹂躙しつつ進んでいたが――突然、先頭を行く一体の足下が崩れた。
「――何っ!?」
その魔動巨人に乗っていたライネリオは、危ういところで転落を免れる。見下ろすと、魔動巨人の足下、石畳であったはずの地面が、いつの間にか砂に変わっていた。
「おのれ……! おい、早く脱け出せ! わたしの命令が聞けぬのか!」
憤怒の表情で、ライネリオが魔動巨人に脱出を命じるが、自重のせいでなかなか抜け出せない。それはこの一体だけではなく、後に続く魔動巨人たちの足下にも波及しつつあった。
「――これで少しは足止めになりそうだ」
そこから少し離れた場所、地面に杖を突き立てた姿勢で、ユフレイアは一つ息をつく。地面を砂に変えたのは、言うまでもなく彼女が友たる地の妖精族に頼んだ結果であった。
『だが長くは保たぬぞ、友よ。なぜかは分からぬが、この一帯の地脈がずいぶん狂っている。そのせいで我らも、満足に力を揮えん』
『はやくにげて、ユフィ』
「ああ、もちろんだ。ありがとう、皆。これだけでもずいぶん助かる」
ユフレイアは妖精たちに礼を述べ、状態の維持を彼らに任せて避難した。
「……しっかし、いきなり王都に魔動巨人ぶっこんでくるなんて、なかなかイカレた奴もいるもんだね」
ユフレイアの護衛として共に行動しているフィランが、並走しながら呑気に背後を振り返る。だがその片手は愛剣の柄に添えられ、いつでも抜ける態勢だ。
「で、どうすんの? あれじゃ同じく魔動巨人でも持ち出さない限り、対抗しようがない気がするけど」
「街中で魔動巨人同士の戦闘などさせられるか! 王都が廃墟になる」
「お説ごもっとも」
フィランは頷き、そしてやおら足を止めると振り返りざま、魔剣《ディルヴァレア》を抜き打ちで一閃。後方から飛んできたハーフパイクが真っ二つになって地面に転がる。
「何だ!?」
「姫様下がって。こっちの追手は魔動巨人と違って身軽そうだ」
追いかけてきた銀髪金目、揃いの胸鎧を着けた戦士たちに、フィランはさして気負うでもなく向き直る。そしてその辺に散歩にでも行くような軽い足どりで、一歩を踏み出した。
直後――加速する。
身を低くして一息で戦士たちに肉薄すると、フィランは剣を振るった。月明かりに閃く銀光。そして《ディルヴァレア》の刃が一度きらめくごとに、戦士たちが手にした武器を取り落とし、崩れるようにその場に倒れ込む。
フィランが剣を振って布で剣身を拭い、元通り鞘に納めた時には、戦士たちの中で立っている者は一人もいなかった。
「……殺したのか?」
「いんや、手と足の腱を斬っただけ。よしんばこんな大それたことしでかした理由を喋って貰おうと思ったんだけど……駄目だねこりゃ」
フィランは残念そうにかぶりを振った。
「なぜだ?」
「だってさ、あいつら見てみなよ。腱なんて斬られたら普通は痛いなんてもんじゃないのに、悲鳴どころか表情一つ変わんない。まともじゃないよ、あれ」
彼が指し示した先、確かに地面に倒れ込んだままの戦士たちは、声の一つも漏らさぬままに、無表情のままで虚空を見つめている。ユフレイアはぞっとして、思わず一歩後ずさった。
「とにかく、ここ離れた方が良さそうだ。行こう」
「あ、ああ……」
二人は最後の砦となっている王城を目指し、大通りを避けて建物の影に紛れるようにしながら夜道を急いだ。
「――旦那様、お嬢様! こちらです!」
王城を目指して避難していたのは、ユフレイアたちばかりではない。城に程近い区画に屋敷を持つ貴族たちもまた、自邸も安全でないと見て王城へと向かっていた。
「歩けるかい、オフィーリア?」
「大丈夫ですわ、お兄様」
オールト侯爵家の当主たるローレンスと末妹オフィーリアも、そんな貴族たちの中の一人だった。馬車に早々に見切りを付けた彼らは、自分の足で王城を目指している。その判断はどうやら正しく、王城へと向かう道は避難する貴族たちの馬車でひしめき合い、馬一頭通れない有様だった。馬車の中から聞こえる金切り声を聞き流しながら、彼らは使用人たちに守られるようにして人や馬車の合間を縫うように進む。
だが――その後方から、重々しい地響きのような足音が聞こえてきた。
「まずい……急ぐぞ!」
ローレンスの焦った声に、オフィーリアも足を早める。淑女たる者、本来は優雅にしずしずと歩くものだが、今は礼儀作法など道端の小石ほどにも役に立たないだろう。幸い彼女は、それが理解できる聡明な少女だった。
後方からの足音は徐々に近付き、馬車が壊されたと思しき破壊音も聞こえる。慄然としながら、ローレンスは角を曲がった。少し回り道にはなるが、人が押し寄せている大通りよりは、かえって早いかもしれない。
……だが、彼は二つ見落としていた。
魔動巨人もまた、歩き難い道を避けて脇道に入り込む可能性。
そして、この一画の道が馬車ですれ違えるほど幅がある――つまり、魔動巨人が充分活動できる道幅であった事実を。
一向に遠ざからない足音に、使用人の一人が振り返り、そして短い悲鳴をあげた。
「だ、旦那様! 魔動巨人が――!」
「何っ……!?」
ローレンスも振り返り、そして自分たちを追うようにこちらの道に入り込んで来た魔動巨人に顔色を失くす。
「そんな馬鹿な――!」
障害物がなければ、魔動巨人の速度は人の足にも劣らない――どころか、この魔動巨人は新型と見え、従来のそれとは比べ物にならないほど動きが機敏だった。ぐんぐん迫ってくるその巨大な影に、恐怖のあまり足がもつれ、オフィーリアがよろけた。
「あっ……!」
「お嬢様!」
メイドによって抱き留められ、転倒は免れたが、足は完全に止まってしまった。凍り付いたように立ち竦む彼女たちに、魔動巨人が迫る――!
「――だめ。あの人は旦那様の大事な人だから」
「今までのより動きが良いけど、その分軽いよね、多分」
ガァン、と硬い金属同士がぶつかり合う、甲高い音。
そして彼女たちは見た。
魔動巨人より一回りほど小さい、だがやはり巨大な人型をした影が突如その場に飛び込み、自分たちの頭越しにぴったり同じ動作で、手にした武器を魔動巨人の胸にそれぞれ突き込んだのを。
それは、全長五メイルはあろうかという、象牙色の肌をした巨大な“人形”だった。手足は細いが随所を金属で補強され、何より二体掛かりながらも魔動巨人と力で競り合っているせいか、頼りなさは感じない。その背にはそれぞれ、薄いベールとローブを纏った少女の姿があった。
「き、君たちは……?」
駆け戻って妹を助け起こしながら、ローレンスが尋ねる。少女たちは象牙色の人形を操りながら、
「わたしたちは旦那様――クィンラム公爵の部下です」
「オフィーリア様たちをお守りするようにって、旦那様が」
「クィンラム公の……そうか」
ローレンスは安堵の息をつく。
彼らが安全圏にまで逃れるのを確認し、少女たち――ナイジェルの部下にして《人形遣い》、ブランとニエラは、「せーの!」と声を合わせて愛用のグレイブを突き出した。魔動巨人をわずかに突き放し、体勢を立て直す。
「……やっぱり前のより軽いね」
「今日は旦那様から魔石も貰ってるからかな?」
彼女たちの手首にはそれぞれ、魔石を埋め込んだ腕輪が輝いている。彼女たちを出撃させるに当たって、ナイジェルが彼女たちに下賜したものだ。そこから供給される魔力のおかげで、彼女たちが操る人形はこれまでにも増して膂力が上がっている。
彼女たちは戦闘の高揚にくすくすと笑い合いながら、片手をぐいと引く。人形が再びグレイブを構えた。
「行こう、ニエラ」
「そうだね、ブラン」
もう片方の手が複雑に動き、魔力で紡がれた糸を引く。その意に従い、人形たちが地を蹴った。
対する魔動巨人も、突然現れた二体の人形を“敵”と認識し、その腕を力任せに振り抜いた。ニエラの人形がグレイブでそれを受け、逸らす。そこへブランの人形が飛び込み、左腕の関節部にグレイブの刃を突き込んだ。
――ギィン、と金属音。
「……やっぱり関節も金属かあ」
「むー、硬いなあ……」
素早く人形を跳び退らせ、二人は眉を寄せて顔を見合わせた。
「どうする?」
「せめて引っ繰り返したいよね」
「だよねー」
「ま、がんばろ」
少女たちは気を取り直し、再び人形に武器を構えさせると、魔動巨人の行く手を阻むべく再度の突撃を敢行するのだった。




