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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十二章 レクレウス動乱
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第89話 宴の前夜

「――ったく、参るよなあ」

 《雪華城》を仰ぐ城下の一画、とある薬屋。その店舗で、棚を見た客が顔をしかめる。

「ポーションの値がこんなに跳ね上がっちまったんじゃ、おちおち怪我もできやしねえ。依頼も受けられねえし、俺たち傭兵は飯の食い上げだぜ」

「すまんね。サングリアムがなぜか生産を絞ってるらしくてなあ。こっちにも全然入ってこないんだよ」

「ああ……まあ、親爺オヤジに愚痴っても仕方ねえやな」

 頭を掻き、傭兵の男は身を乗り出した。


「……もうこの際よぉ、親爺が自分でポーション作っちまうってのはどうだ。今はポーションが品薄だし、儲かるんじゃねえのか」

「残念だが、そりゃあ無理だ」


 薬屋の店主は苦笑して手を振る。

「ポーションのレシピは、サングリアムの秘中の秘ってやつでねえ。俺たちみたいなしがない薬屋が知ってるわけがない。何しろ、王立魔法技術研究所でさえ、サングリアムのポーションのレシピは完全には分からないって話だからなあ」

「へえ、あの魔法技術研究所もか」

 ファルレアンの王立魔法技術研究所といえば、国内でも最先端の魔法技術や魔動機器技術を数多く保有すると名高い。魔法そのものの研究を突き詰め、王家や王城の守護に邁進まいしんする宮廷魔導師たちと源を同じくしつつも、研究所は魔法技術を簡易化・一般化し、“使いやすい”ものとすることをとした。宮廷魔導師たちがより深く、より複雑な、余人には理解しえない魔法を追い求めるのとはちょうど逆の立ち位置だ。しかしそこに集まる知の質や総量は、決して宮廷魔導師たちに劣るものではない。

 その王立魔法技術研究所でさえポーションのレシピを知らないという事実に、傭兵の男は驚きの声をあげた。


「じゃあ、今までポーションはサングリアムの独壇場どくだんじょうだったってわけか」

「そういうことだ。――しかし、そうやってがっちり抱え込んでおいて、今になって減産なんかされるとなあ」

「まったくだぜ」


 傭兵の男は小さく舌打ちした。

「そりゃあさぞかし儲けただろうぜ。何しろ、値を吊り上げても欲しい奴は買うからなあ!」

「だがこうなると、どこの国もサングリアムに頼らずに済むように、自力でポーションを供給できる態勢を作るだろうよ。多少効能が落ちても、突然減産されて値が高騰こうとうするくらいなら、簡単に手に入る方をみんな選ぶだろうしな。というより下手すりゃ、脅してでも言うこと聞かせようって戦争吹っ掛ける国も出るんじゃないか。結局、後々自分の首を絞めるようなもんなのに、何考えてるんだかなあ、サングリアムは」


 薬屋の店主は難しい顔になる。何しろついこの間、レクレウスとの戦争が終わったばかりなのだ。主な戦場は国境付近で、王都に住む彼らには遠い話だったが、それでもレドナなどの被害を聞くと、戦争などもうこりごりだという気分になるのである。

 が、傭兵の男の方は意見が違うようで、

「戦争か。悪くねえな、何せ俺らにとっちゃ飯の種だ。消耗品も国の金でまかなって貰えるしな」

「おいおい、冗談じゃないよ」

「ははっ、まあ戦争になったところで、王都まで巻き込まれやしねえよ。――んじゃまあ親爺、ポーション五つほどくれや。たけぇが命にゃ代えられねえからな」

「はいよ、毎度」

 金と引き換えに品を渡したところで、ふと傭兵の男が思い出したように、


「……そういや、ここんとこやけにお貴族様の馬車が走ってやがんな。何かあるのか?」

「ああ、もうそんな時期か。社交時期シーズンとかいうやつらしい。王都のあちこちの離宮で夜毎よごと、舞踏会やら何やらと派手な夜会パーティで楽しむんだそうだ。普段は領地に引っ込んでる貴族も、この時期になると馬車を飛ばして王都にせ参じるのさ。この辺りじゃそう変わり映えもしないが、もっと高級な店はこの時期、そういう地方貴族がどんどん金を落とすから、大層儲かるらしい。羨ましい話だな」

「はー……何つうか、別世界の話だなぁ。俺らみてえな平民にゃ、想像も付かねえぜ。こちとらポーション一本の値段に頭悩ませてるっていうのによお」


 やれやれと首を振る客の言葉に、店主も同感とばかりに深く頷く。まったく、金というものはあるところにさらに流れ込むようにできているのだ。

 ポーションを購入した客が出て行くと、店主はため息をついた。

「まったく、こっちも商売上がったりだよ……多少効き目が悪かろうと、もう少し安いポーションが出回らないものかねえ」

 慨嘆がいたんしつつも、先ほど売れた品の穴を埋めるべく、残り少ない在庫を取りに行く彼だった。


 それは、この店に限った光景ではない。

 王都ソーマ中、いや、他国でも同様に起こっているものだった。


「――サングリアムからの返答は、相変わらずか」


 レクレウス王国王都・レクレガン。その一画、クィンラム公爵邸で、ナイジェル・アラド・クィンラムは部下からの報告に眉を寄せる。

「は。再三問い合わせはしておりますが、あちらからの返答は的を外したようなものばかりです。答える気があるのかどうか……」

「原材料の減少の一点張りだからな。ポーション製造技術で生き残ってきた国の返答にしては、どうにもお粗末だ。一見納得できそうな理由ではあるが、それで身を守っている国がその状態を引きずり続けるわけがあるまいに。わざわざ自国の優位を捨ててどうするつもりなのやら……まあ、それが“本当にサングリアムの回答であれば”の話だが」

「……と、おっしゃいますと?」

「サングリアムを含む三公国は、再興したという“クレメンタイン帝国”に再び膝を折った。ならば、国の実権を帝国に奪われていてもおかしくはない。このお粗末な回答も、帝国が何かを仕掛けるための陽動かもしれんぞ?」

 唇の端にわずかに笑みめいたものをき、ナイジェルは手を振った。

「……だがともあれ、現在国内のポーションが品薄となり、価格が高騰しているのは喫緊きっきんの課題だ。せめて、軍の物資としていくらかは確保せねばな。――そうだな、以前、継戦強硬派の貴族たちを処断した際、資産も没収しただろう。その中にポーションがあれば軍の備蓄に回せ。命汚い奸臣かんしんどものことだ、命綱のポーションは買い込んであっただろう」

「はっ、かしこまりました」

「それと、モルト殿をこちらへ」

「はっ」

 部下が退室すると、ナイジェルは沈黙の内に考えを巡らせる。


(これもポーション流通をサングリアム一国に握らせたままにして、自国開発をおこたってきたツケというものか……だが、考えようによってはこれで、我が国もポーションの研究に本腰を入れられるだろう。何しろ、“サングリアムから適正価格で買えるから無駄な研究などしなくて良い”などと寝言をほざく方々が、これまでこの国の実権を握り続けてきたからな)


 王室ともども、戦争前まで長く国の実権を握り続けていた大貴族たちは、軒並み戦後処理で処罰を受けた。爵位が大幅に降格となっても貴族でいられるだけまだましな方で、最悪“自決”という形で処刑された者も少なからず存在する。無論家は断絶、一家も散り散りだ。

 そうした処分は通常、国が決定するものだが、今回はその国の意思決定を担っていた大貴族たち自身が処分の対象となる上、戦争責任の追及の意味合いも含んでいた。そのため、異例のことながら勝者であるファルレアン側の意思も少なからず影響を及ぼす結果となる。もっとも、元強硬派(と書いて政敵と読む)の大貴族が凋落ちょうらくしてくれるのはナイジェルにとっても都合が良いので、そこは見て見ぬふりだ。王すらすでに傀儡かいらい。色々問題は山積しているものの、まず今のところは順風満帆といって良いだろう。

 新生レクレウス王国のまつりごとの要として、ナイジェルは忙しいながらも満ち足りた日々を送っていた。


「――失礼致します。モルト様をお連れしました」

「ああ、入りたまえ」


 促すと、ドアが開いて二人の人間が姿を現す。ナイジェルの部下は一礼して部屋を後にし、入室して来たのは仮面を着けた老紳士だ。

「お呼びと伺ったが、クィンラム公」

「ええ、わざわざお呼び立てして申し訳ありません、モルト殿」

「構わぬよ。むしろ、礼を申し述べにわしの方から出向こうと思っておったところじゃ」

 目元を仮面で覆っているため見えるのは口元だけだが、その口元に浮かんだ笑みは、それが好意によるものを示すように柔らかいものだった。


「公のご尽力により、我がオールト家は侯爵家として家門と領地を安堵された。このモルト、いな、今だけはロドヴィック・フラン・オールトとして、心より感謝申し上げますぞ」


 かつて王国の宰相として国を支えた彼は、だが無為な戦争に異を唱え停戦交渉を提唱したせいで、先王ライネリオによってその地位を剥奪はくだつされた。その事実、そして戦争の責を家に及ぼさないための自害(無論狂言だが)を材料に、戦時中からファルレアン特使と水面下で交渉していた繋がり(コネ)をふんだんに使い、ナイジェルは秘密裏にファルレアン側と交渉し、王家側の人間にも働きかけた。その結果、オールト“元”公爵家は国の中枢にあった大貴族としては異例の、侯爵位への降格と領地の一部返上、そして賠償金という格段に軽い処分を勝ち取ったのである。

 もっとも、その代償として前当主ロドヴィックは二度と表舞台には立てぬ身となったが、家門と領地の大部分が安堵されたという望外の結果の前には、それは些細ささいな問題でしかなかった。彼はもはや自分は死んだ身として偽名を名乗り、仮面を着けて自慢のひげも剃り落とし、別人へと生まれ変わったのである。


「それでは、ローレンスきょうがオールト侯爵となるわけですな」

「うむ、無論息子も、貴族議会と公への協力は惜しまぬ」

「それは心強い」


 ナイジェルはにこやかに、新侯爵の誕生を歓迎した。前述の理由で結構な数の高位の貴族が家ごと取り潰されたため、貴族議会には高位貴族が少なかった。そもそも議会の成り立ちからして、旧来の政権ではどれほど優秀でも主流派になれない、下級の貴族たちを掘り起こすためでもある。その頃大きな顔でのさばっていた、爵位と屋敷だけ立派な無能貴族どもなど、お呼びではなかったのだ。

 だがその分、名前だけで周囲を黙らせられるような大貴族は、クィンラム家以外ほぼ存在しないと言って良かった。そこそこの家格の者はいなくもなかったが、そういう家は要するに、戦時中から旗色を鮮明にしていなかった日和見ひよりみ派。発言力という点では弱い。ナイジェルとしても、相応に影響力を持つ貴族が増えてくれないと、貴族議会そのものが王家や議会に参加していない貴族から軽く見られかねないと危惧きぐしていた。最初の勢いも永遠に続くわけではないのだから。

 だがそこへ、幾人もの宰相を輩出した王佐の名門・オールト家が加わるとなると、その弱点もカバーされる。爵位こそ公爵から侯爵に下がったものの、国内有数の大貴族であるには違いないからだ。

 そして、そのオールト家に多大な恩を売ったナイジェルの足場は、これで一層固められた。


(まずは上々の結果だな。ローレンス卿の手腕は未知数ではあるが、仮にもオールト公、いやモルト殿が後継者として認めた人材ならば、無能ではなかろうし)


 何しろ、数多くの宰相を輩出し、国内でも大貴族と名高いオールト家である。後継者たる長男は、その辺りの知識も父から叩き込まれたはずだ。

「一応、それなりには仕込んでおいたつもりなのでな。公の足を引っ張ることはなかろう」

 モルトはわずかに自負のにじむ声でそう請け負い、そして声音を変えた。

「……後の心配はオフィーリアのことのみじゃが」

「ああ、あの聡明なご令嬢ですか」

 オールト家の末娘、オフィーリア・マイア・オールトには、ナイジェルも“葬儀”の際に一度面識がある。黒髪に蒼い瞳の美しい少女だったが、レクレウスで持てはやされる“貴族令嬢”とは一線をかくす、頭の切れそうな令嬢だったとも記憶していた。

 愛する末娘への賛辞に、モルトの口元も緩む。

「なに、女だてらに良く頭と口の回る娘よ。社交界では受けが悪かろう」

「ドレスと宝石についてしか話の種がないご令嬢よりは、よほど好感が持てると思いますがね」

 宮廷の晩餐ばんさん会や舞踏会バル、あるいは有力な貴族女性が開く茶会サロンで、競うように着飾って噂話を垂れ流す女性たちを思い出し、ナイジェルは顔には出さずともうんざりする。無論、その噂の中に有益な情報が混ざっていることが少なくない事実は、情報の専門家たるナイジェルにも分かっているのだが、それ以上に(彼にとっては)無駄話が多過ぎるのだ。

 と、モルトは得たりとばかりに、口元をにやりとほころばせた。


「では、どうかの。あの娘を公の嫁に」

「…………は?」


 ナイジェルともあろう者が、ぽかんと間の抜けた声をあげた。

「……モルト殿、それは、」

「公には奥方はおろか、婚約者すら未だにおらぬだろう。立場が立場なだけに、そこらの令嬢を妻にとはいくまいが、あの娘ならばそう見劣りもすまいよ」

 確かに前半は、ナイジェルも認めるところだった。そもそも、クィンラム家の当主は代々結婚が遅い。国内の貴族たちから情報を探り出しつつ、彼らに取り込まれることなくその間を渡り歩いて行かねばならないのだ。当主の妻はそんな道を、夫と共に歩まねばならない。その辺の貴族令嬢ではとても務まらない役目だった。そのため、代々の当主の女性を見る目は厳しくなり、その眼鏡にかなう女性が現れるまでには時間が掛かる。必然、彼らの結婚も遅くなりがちであった。

 クィンラム家当主の妻に求められる能力は、情報収集はもちろん、それに踊らされない判断力、いかなる時でも平静を装う演技力など多岐たきに渡る。夫に代わり家を切り盛りする能力は言わずもがな。場合によっては命を狙われることもあり、それを切り抜ける胆力も必要となる。そんな相手を、少なくとも貴族――それも公爵家と釣り合いが取れる程度の高位貴族に生まれた女性の中で探さねばならないのだから、代々のクィンラム公爵が嫁探しに苦労したことは想像にかたくない。

 ナイジェルもその例に漏れず、未だに婚約者すら決まっていないていたらくだ。男性の場合は女性と違って適齢期がそれほど厳しくはないのだが、それでももうすぐ三十路。早めに相手を見つけるに越したことはなかった。貴族議会代表という立場上、近付いてくる女性自体は多いのだが、容姿はともかく能力にはできる限り妥協したくない。

(ふむ……)

 思いがけない申し出の衝撃から立ち直り、ナイジェルはモルトの提案を吟味ぎんみした。くだんのオフィーリア嬢は確かに聡明であるし、今やこの国で五指に入る大貴族といって良いナイジェルとおくすることなく会話ができる胆力もある。家柄も――家格が下がったとはいえ――侯爵家ならば釣り合う範囲内だ。少々年齢差はあるが、貴族間の婚姻では親子ほどの年齢差の夫婦も、珍しくないとは言わないが何組かは知っている。十歳程度ならさほど問題にはならないだろう。


 結論。決して悪い話ではない。

 ナイジェルのすこぶる合理的な頭脳は、最終的にそんな解答を弾き出した。


「……確かに、魅力的なご令嬢ではありますね」

「うむ、そうであろう!」

 大変に機嫌良く、モルトが何度も頷く。遅く生まれた可愛い末娘を嫁に出すのは少々寂しいが、行き遅れるよりはましだ。貴族女性の父親にとって、娘離れというのは避けて通れない関門イベントなのである。

「公に嫁ぐならば、オフィーリアも否やはあるまい」

「光栄です」

 どうやら結婚相手が決まってしまったようだが、まあいいか、と思うナイジェルだった。そもそも貴族の結婚など、下手をすれば早々に周りを固められて当人の意思は丸無視、相手が地方貴族の箱入り娘だったりした日にはお付き合いは文通のみで、結婚式の日に初めて顔を合わせる、ということもままあるのだ。それに比べれば、曲がりなりにも事前に相手と面識があって人となりを探ることができ、父親から是非ぜひの伺いがあっただけましというものである。ナイジェル自身、妻となる女性が必要な能力を備えてさえいるならば、相応に歓迎するつもりであった。

「では、近い内に申し込みをさせていただきます」

 レクレウスでは、婚約や結婚は基本的に男性側から申し込むものだ。もうすぐ社交時期シーズンにも入ることだし、それに乗じて婚約者として紹介すれば良い。今回の社交時期シーズンは国が戦後の落ち着きを取り戻してから初めてのものだ。宮廷の勢力図も大きく変わったため、今回顔を見せる貴族は多いだろう。


(……そういえば、最初の大舞踏会グラン・バルにはオルロワナ公も出席なさるのだったか。確かあの方は、初めて社交界に出られるのだな)


 オルロワナ公爵として北部一帯をべるユフレイアも、よくよく考えればオフィーリア嬢と二、三歳しか変わらない年頃である。政治に明るく胆力もあり、ナイジェルにとって良き協力者である彼女は、一時期ナイジェルと噂が立ったこともあったが、そういった関係は一切ない。彼女自身が公爵位を持ち領地を統べる政治家であるがゆえ、他家に入るわけにはいかないのだ。

 彼女はかつては第三王女という身分でありながら、現王太后や前王ライネリオにうとまれていたせいで、社交界に出ることすら叶わなかった。だが今回は、女性公爵として華々しく社交界デビューを飾ることとなるだろう。デビュタントというには少し遅いが。

 ナイジェルの構想としては、ユフレイアには貴族議会の外で調整役バランサーとしての役割を期待していた。そんな彼女と貴族議会の代表たるナイジェルが“親密な関係”だなどという噂が立つと、その役割が機能しなくなってしまう。それを防ぐためにも、ナイジェルの婚約を発表するのは必要なことだった。


「――それはそうと、公。此度こたびの戦争で捕らえたファルレアン側の捕虜を、あちらに帰すそうじゃな」


 モルトが話を変え、ナイジェルも社交の予定を頭に組み込みながら頷いた。

「ええ。同時に、ファルレアンで捕虜になっている我が国の国民も返還されることになっています。戦後の混乱が思いのほか長引いてこんな時期になりましたが、かえって幸いしたかもしれません。王都での大舞踏会グラン・バルは、いい目晦めくらましになりますからな」

「なるほどの」

「捕虜の返還と同時に、こちらに駐在しているファルレアンの文官も、一部入れ替わるそうです。交渉役のラファティー伯も、このたびファルレアンに戻られるそうで」

「さもあろう。彼らとて、国に帰りたかろうからな」

 モルトも感慨かんがい深げに頷く。あるいは彼も、もう主として戻ることは叶わない、故郷の領地のことを思い出しているのかもしれなかった。

「……公のことだ、もう手筈てはずは整っておるのだろう?」

「大体のところは。いくつか残った案件はありますが、さほど手は取られないでしょう」

「うむ。ならば早めに、オフィーリアへの婚約と舞踏会バルのパートナーの申し込みをして貰わねばな」

「……早急に対処致しましょう」

 そうなると、訪問の手配をしなければならない。婚約を申し込むとなると、色々準備もある。先ほど組み上げた予定を、またしても組み替えることを余儀よぎなくされるナイジェルだった。



 ◇◇◇◇◇



 財宝や航路の件がとりあえずとはいえ片付いたと思っていたところへ、その知らせは唐突にやって来た。

「――はあ? ヴィペルラートから招待の打診?」

「ああ。正式に外交ルートを通じての打診だから、少なくとも冗談じゃあないな」

 アルヴィーを呼び出したジェラルドは、そう言って一通の文書をアルヴィーに示す。それを覗き込み、そして顔を引きつらせるアルヴィー。

「……これって」

「どうやら帝国側の諜報員は、そこそこ優秀らしいな」

 ジェラルドが肩をすくめる。文書には、この招待はアルヴィーが地精霊――つまりシュリヴを呪いから解放した一件によるものであるということが、はっきりと記されていた。

「おまえが手懐けた例の地精霊は、どうやらヴィペルラートにも関係があったらしい。おまえが精霊の呪いを解いたことで、向こうにも何かしら利益があったんだろう。その見返りがこれってわけだ」

 とん、と指先で文書を叩き、ジェラルドはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。

「……だがまあ、応じるかどうかは上層部うえ次第だな。この間リシュアーヌに貸し出したばかりだ」

「人を本か何かみたいに言うなよ……」

 アルヴィーは半眼でぼやいたが、国の上層部の意向であちこちに飛ぶ破目になるのは事実である。

「まあ、その話はとりあえず置いておけ。どうせ一日二日じゃ結論なんか出ない話だ。それより、差し迫った任務があるからな」

「任務?」

 そう聞いてアルヴィーが居住まいを正す。騎士としての条件反射のようなものだ。そんな彼に、ジェラルドは頷いて別の書面を取り出した。


「ああ。――この度帰国される外務副大臣ラファティー伯爵の護衛及び、捕虜返還のためにレクレウスに向かう」

「え……」


 アルヴィーは目を見張った。レクレウス――彼の元々の祖国。だがもはや二度と戻れない、そして戻る気もない国だった。

「レクレウスにって……何で」

「そりゃ、互いの捕虜を返還するためだろうが。あの戦争で、両国ともそれなりに捕虜が出たからな」

 ジェラルドによれば、五年以上に渡って続いた対レクレウス戦で、そう多くないとはいえ捕虜となった人員が双方にいるという。アルヴィー自身、初陣のレドナでルシエルたちに拿捕だほされたのだから、最初は捕虜のようなものだったのだ。そのまま亡命ということにしてかなり無理やりファルレアンの騎士団に押し込まれたが。

 それが今では騎士を通り越して貴族の端くれである。思えば遠いところまで来たものだと、少し遠い目になるアルヴィー。


「戦争が終わって、ようやく両国とも情勢が落ち着き出したところだ。そうなると、“元敵国”の捕虜には一刻も早くお帰り願いたいもんだろうが。収容所で働かせるにしても、毎日の飯代だって馬鹿にならん。それに、戦争に駆り出される年齢としってことは、自国の労働人口でもあるわけだからな。お互いに相手国の捕虜を放出して自国民を取り戻し、捕虜も祖国に戻れて全方位幸せ、ってわけだ」

「……それは分かるけど、《擬竜騎士おれ》が何で護衛なんだ? 前線でレクレウスと散々やり合ったぜ?」


 正直、捕虜返還などという重要な場に自分が行くなど、色々な意味であり得ないと思う。レクレウス側から見ればとんだ裏切り者だろう。こちらで貴族としてぐうされているとなればなおさらだ。

 そういった意味合いを込めて尋ねれば、ジェラルドもそれは承知しているのだろう、嘆息たんそくして肩を竦めた。

「おまえを随行ずいこうさせるのは、社交時期シーズンに王都を離れるためだ。今の時期に王都にいてみろ、舞踏会バルやら茶会やらの誘いがひっきりなしになること請け合いだぞ。それともおまえは、深窓のご令嬢とダンスの一つでも踊りたいのか」

「全力で遠慮したい」

 アルヴィーはぶんぶんと首を横に振った。基本のステップすら覚束おぼつかない自分が、令嬢パートナーの足やドレスの裾を踏まずに踊り通せるわけもない。

「だろう。だがああいうのは、家格が上の相手から参加をごり押しされると、なかなか断り辛いもんだ。侯爵家ウチくらいになればともかく、新興の男爵家じゃあな。そこを踏まえての随行だ。どこにも角が立たず堂々と王都を離れられて、ラファティー伯としても道中の安全がはかられる。何か文句は?」

「まったく」

 またしてもふるふると首を振る。社交界がそこまでして避けなければならないほど恐ろしいものだとは、寡聞かぶんにして知らなかった。

「……やっぱ貴族社会怖え……」

「まあな。年頃のご令嬢やその親は熟練の狩人顔負けの目付きで婚約者候補を探してるし、下級貴族は上の貴族に繋がり(コネ)を作ろうと必死だ。だがおまえは立場上、そういう手合いに捕まると面倒だからな。繋がりを持つ家はできる限り少なくしておきたいのが上層部うえの意向だろう」

「ふーん……」

 まあ、そんな恐ろしい場所から国公認で離れられるのは結構なことである。アルヴィーは曖昧に頷き、


「……で、護衛ってまさか俺一人じゃないよな?」

「そんなわけあるか。交代要員で文官も何人か同行するから、騎士小隊と魔法騎士小隊がいくつか護衛に付く。それに、俺も出るしな」

「へ?」


 アルヴィーは目を丸くした。

「大隊長が直々に出んの?」

「俺は継嗣けいしじゃないし、社交に出なくても文句は言われん。一応、輝月夜ルミナリーズ・バルが終わってからの出立しゅったつになるしな」

「ルミナ……何?」

輝月夜ルミナリーズ・バルは陛下も臨席される、一番大規模で格式の高い舞踏会だ。地方の貴族も、これだけは出席するために領地から出て来る。他の舞踏会や夜会には出なくても、輝月夜ルミナリーズ・バルに出ておけば、まあ貴族として一応の面目は立つんだよ。――もっともおまえの場合は、出ようが出まいが文句は言われんさ。ただし出席するなら、適当なパートナーを見繕わなきゃならんがな。もちろん貴族の令嬢でだぞ」

「いるわけないだろ……」

 アルヴィーと親交のある女性は皆平民だ。それに何より、アルヴィー自身がそんな大層な舞踏会に出たいなどとは欠片も思わなかったので、光の速さで不参加を決め込むことにした。

「ま、それが無難だな。おまえの場合、誰かパートナーを連れて行った時点ですわ婚約か、なんて話になるに決まってる。本来、舞踏会のパートナーってのはダンスの相性が良いかどうかだから、婚約者がいても別の相手を連れてくことも珍しくないんだが」

「え……そんなんでいいのか?」

「そんなもんだぞ。周りだってどうせ見るなら、上手い者同士が踊るのを見たいだろうが」

 確かにそうかもしれない。

「じゃあ俺どの道ダメじゃん」

「参加したいなら練習してみればどうだ? 輝月夜ルミナリーズ・バルまではあと一月くらいあるしな。上手い奴は習って一時間で一通りのステップは覚えるぞ」

「無理!!」

 アルヴィーはぶんぶんとかぶりを振った。

「そうか? 剣の型を習うのと基本は似たようなもんだが。足運びの練習はしただろうが。とりあえず基本のステップさえ覚えれば、ご令嬢の足やドレスは踏まなくて済むぞ」

「剣とダンスは全然違うだろ……」

 げんなりと肩を落とすアルヴィーに、ジェラルドは苦笑した。この分では、彼が社交界にデビューを果たすのは当分先になりそうだ。

「まあとりあえず、そのつもりで準備をしておけ。出立は輝月夜ルミナリーズ・バルが終わってすぐ。目的地はレクレウスとの国境、講和条約が結ばれたラーファムだ。ラファティー伯もそこまではレクレウス側の護衛と一緒に来られるから、そこで落ち合う予定になってる」

「……了解しました」

 とりあえず舞踏会出席は免除されそうな雰囲気に、アルヴィーはほっと息をついた。


「……ていうか、何でわざわざそんな時期に捕虜返還なんてやるんだ?」


 安心すると同時に何となく引っ掛かり、アルヴィーは首を傾げる。ジェラルドはそのことか、と首肯しゅこうし、

「大陸の南側の国は大体、社交時期シーズンが被るんだがな。この時期だとうるさい貴族もこぞって王都に集まってる。で、強硬派の貴族の中には、捕虜に無駄金を使うくらいならさっさと処刑してしまえ、なんぞとほざきあそばす手合いがどうしても出て来るもんでな。中には敵国人の捕虜に我が領内を通らせるわけにはいかん、とこうぶち上げる方々もいるわけだ。そういう連中が社交に忙しい間に、さっさと捕虜になった連中をレクレウスに引き渡す。だから、この時期が一番都合が良いんだよ。まあ、レクレウス(むこうさん)の戦後の混乱が収まるのを待ってた、ってところもあるんだがな」

「へえ……」

 相変わらず政治の世界というのはややこしい。感心しきりのアルヴィーだった。


 ――ともあれ、任務を受領してアルヴィーは執務室を後にした。


(貴族って色々面倒なんだな……俺はまだマシだけど、ルシィは大変そうだ)

 いずれ家を継ぐことになる彼は、くだん輝月夜ルミナリーズ・バルにも出席しなければなるまい。彼には婚約者がいるから、パートナーの心配はしなくて良いだろうが。

 叙爵じょしゃくされて以来、騎士団宿舎の裏は使い難くなったので、自宅に戻って日課の鍛錬たんれんをしようと決め、アルヴィーは騎士団本部を後にする。この徒歩の行き帰りも、身分に応じて馬車を使うべきだと執事のルーカスにうるさく言われているのだが、鍛錬の一環だと却下していた。というか正直、騎士団本部に馬車で乗り付けるとかできる気がしない。一般庶民気質が未だに抜けないアルヴィーである。


 ……だが、舞踏会を逃れられたと喜んでいたのはまだ早かったと、少し後に思い知らされることとなった。


「ただいま――」

「だ、旦那様! 大変でございます!」

 玄関の扉を開けて帰宅を知らせるが早いか、ルーカスがいつもの落ち着きをかなぐり捨てて詰め寄ってきた。思わず後ずさる。

「な、何だ? 何かあったのか?」

「それが……」

 ルーカスは呼吸を落ち着けるように一拍置いたかと思うと、直後に爆弾を投下した。


「い、今しがたクローネル伯爵家の方から使いの方が来られまして……クローネル伯爵閣下が、一月後の輝月夜ルミナリーズ・バルの観覧席に、旦那様をご招待くださると……!」

「…………は?」


 ぽかんと呟くアルヴィーに、ルーカスは鬼気迫る勢いで、

「そうと決まれば、こうしてはおられません! 急ぎ仕立てテイラーに走り、夜会のための礼服をあつらえねば! いえ、大丈夫です。まだ一月ございます。このルーカス、必ずや旦那様のお支度を整えてみせますので!」

「え、ちょっと――」

 止めるいとまもあらばこそ、まくし立てたルーカスはアルヴィーを放り出し、慌ただしく外出の支度を整えると、外に飛び出して行ってしまう。呆然とそれを見送ったアルヴィーは、間の抜けた声でもう一度呟いた。


「…………え?」



 ◇◇◇◇◇



 《薔薇宮ローズ・パレス》の地下に広がる、レティーシャの研究施設――その最奥にある小部屋に、レティーシャは立っていた。

 壁一面、床や天井に至るまで魔法陣に埋め尽くされたその部屋で、彼女は巨大な玉石と対峙たいじしている。

「――御機嫌よう、火竜アルマヴルカン」

 その声に、玉石の中で小さな炎のような光がちらりと燃えた。

『……ずいぶん暇なことだな、人間。こんなところにまで、わたしの機嫌伺いとは』

「そう暇でもありませんわ。ですが、“準備”はほぼ終わりましたので」

 レティーシャはうっそりと、その口元に笑みを刻む。


「後は、レクレウス王都レクレガンだけですわ」


 その言葉に、瞬く光が少し強まったように見えた。

『……ほう。本当にやったのか』

「ええ、ご協力感謝致しますわ、アルマヴルカン。――ですがなぜ急に、わたくしに力を貸してくださる気になりましたの?」

『気紛れだ』

 ちりちりと、光が強く明滅する。その声音にわずかな苛立ちを聞き取った気がして、レティーシャは追及を止めた。

「そうですの。深くは訊きませんわ」

 微笑みを浮かべたまま、彼女はかつりと靴音を鳴らして、玉石へと一歩歩み寄る。不快げなうなりが聞こえた気がした。

『……何だ』

「本当によろしくて? わたくしの目的を知ってもなお、わたくしに知識を与えるなど。この世界には、あなたのお気に入りもおりますのに」

『気に入り? 何のことだ』

「あら、わざわざわたくしの術に干渉して、この城から逃がしたではありませんか」

 くすくすと笑えば、玉石の光はまたちらりと揺れる。


『……あれも所詮しょせん、命短き人間ひとに過ぎん。わたしの虚無を埋めるものなど、何もない』


 それを最後に、玉石の光は消え、部屋には沈黙が落ちた。だんまりを決め込んだ火竜の魂に、レティーシャはおかしげに笑う。

「ふふ、ふふふ……おかしなものね。彼は確かに、ただの人間に過ぎないのに……何がここまで、力あるものをくのかしら」

 自問のような問いかけに、答えるものはない。レティーシャは笑いを収めると、部屋を後にした。


 ――宴の幕が上がるまで、もう少し。


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