第86話 存在の意味
思えばその日は、男にとってはツイてない一日だった。
家を出ればサンダルの紐が切れ、港へ向かう道すがらでは犬に吠えられ、港に着いても遅いと親方に叱られ。それでも船に乗り込み、多少気分も持ち直したところで、本日最大の不運が船の横合いから襲い掛かってきたのである。
(まさかこんなとこで、あんな強い横風が吹くなんてなあ)
おそらく、“精霊のいたずら”というやつだろう。とはいえ、正直原因などは今さらどうでもいい。重要なのは、そのせいで船が転覆し、自分たちが川に投げ出されてしまったという結果である。
「……ったく、やっぱ船体が細いと駄目だな」
こっそりとそうぼやく。彼が乗り組んでいた船はいわゆる快速艇と呼ばれる船だったが、速度を出すために船体の幅を削り、安定性を犠牲にしたのが、今回仇となった。構造上ただでさえ横からの波や風には弱い船、しかも船体が狭く喫水も浅いとなれば、ひとたび強い横風でも食らえばこうなるのは自明の理だ。
立て続けの不運に舌打ちしつつ、彼は水夫としての務めを果たすべく、半分ほど水に浸かった帆を畳み始めた。別の船で曳航するにしてもここに浮かべておくにしても、帆を広げたままでは邪魔になる。
船が転覆という大事の割に呑気なのは、同僚の船員たちが転覆に巻き込まれる前にさっさと川に飛び込み、全員無事で水面に顔を出しているのと、同じ商会の船がすぐ近くにいること、それに船倉にしっかり入れておいた荷が、ミトレアの騎士団に納品する武器類であるためだ。船倉に納めてあるので船に穴が開かない限り水中に落ちることはないし、万一水漏れして濡れても布や農作物のように台無しになることはない。後で念入りに水気を拭き、油を引き直す手間は要るだろうが。
「――おーい、大丈夫か!」
「ああ、こっちだ!」
一応、川の途中には魔物がいる場所もあるということで、傭兵を護衛に雇っているので、その傭兵たちが救助に来てくれたようだ。並走していた船から小舟が下ろされ、こちらに近付いて来る。魔物の縄張り(テリトリー)からは少し離れているとはいえ、やはり水中では心許なかったので、やれやれと安堵したその時。
すい、と何かが足先を掠めていった。
(……何だ?)
揺れる水面越しに目を凝らすと、水中を横切る大きな体躯。なびく鬣、ゆらりとうねる魚の尾のような半身――。
「――うわあああ!!」
思わず悲鳴をあげ、帆を放り出すと小舟に向かって猛然と水を掻く。
「で、出たあ……!! ケ、ケルピーだ……!!」
勢い余って水を飲みかけながらそう喚き、小舟に手を伸ばしたが、そのすぐ横合いから水面を突き破って顔を出す馬の上半身。歯を剥き出して嘶くと、その蹄で男の頭を叩き割らんとばかりに両前脚を高く掲げる。
「ひいっ……!」
もう駄目だ、そんな絶望が身体を凍り付かせ、自分の脳天に振り下ろされる蹄を見つめる――。
だが、次の瞬間。
その頭上を、焼け付くような熱と紅い輝きが薙いでいった。
「――そこの人、さっさと舟に上がって!」
水中で呆然と見上げる船員にそう言い置いて、アルヴィーは空中を駆け抜けつつ《竜爪》を振るった。赤熱した刃が冗談のように軽々と、馬の頭をした魔物の太い首を斬り飛ばす。
『主殿、来るぞ』
息つく間もなく、アルマヴルカンの忠告に従って飛び退けば、一瞬の後に水中で勢いを付けて飛び掛かってくるケルピー。だがアルヴィーが避けたため、ケルピーの巨体は再び水面下に没した。
「……後はあいつだけか?」
『少なくとも、わたしの関知する限りではな。だがあの個体、少々頭が回るようだぞ』
「どういうことだ?」
何だか不穏な言葉の真意を問おうとしたが、その前にケルピーの方から答えを教えてくれた。
「――うわあっ!」
アルヴィーが間一髪で救った船員の他にも、何人かの船員が水中に取り残されていたが、ケルピーはその内の一人に狙いを定めたようで、素早くその服をくわえると水中に引きずり込んだのだ。
「あいつ……!」
《竜爪》で狙おうにも、水中での機動性はケルピーの方が上である。しかも水の中では、火竜の力もどれほど通用するか分からない。
(……っつっても、放っとけるかよ!)
足場を蹴り、水中へと飛び込むと、遥か下方に動くものを見つけた。
(――あれか!)
再び足場を展開し、それを蹴ってさらに深みへ。しかし水の抵抗と浮力に阻まれ、どうしても空中のような速度が出せない。
と、
『――主殿。一発《竜の咆哮》を撃て。撃ったらすぐにその射線に飛び込むが良い』
(《竜の咆哮》を? 水ん中だぞ?)
『やれば分かる』
自信ありげなアルマヴルカンを信じ、アルヴィーは下方目掛けて――もちろんケルピーに引きずられる船員には当てないように――《竜の咆哮》を盛大にぶっ放した。
水中を奔った光芒は、その高温により水を一瞬で大量の水蒸気に変え、それは膨大な泡となって水中に一筋の道を形作る。発射と同時に足場を蹴ってその中に飛び込んだアルヴィーは、先ほどとは違ってほとんど抵抗を受けないことに目を見張った。
(……何で?)
『水の抵抗より気体の抵抗の方が弱かろう。――だが、長くは続かん。急ぐが良い』
(了解!)
一度要領を呑み込んでしまえば話は早い。アルヴィーはもう一度、今度はケルピーの鼻先を掠めるように《竜の咆哮》を撃ち放った。生み出される高温の水蒸気の泡も、熱に対して桁外れの耐性を持つ彼には何ら障害にはならない。突然の攻撃に驚いたように速度を緩めたケルピーに追い付くと、《竜爪》を引っ込め右腕でケルピーの首に組み付いた。
水中でも自由に息ができるケルピーといえど、物理的に首を馬鹿力で締め上げられては堪らず、苦悶のあまり嘶く。当然、
(――よし、放した!)
くわえていた船員の身体がケルピーの口から離れて漂い、アルヴィーは素早く彼をキャッチした。すぐさまケルピーの巨体を蹴り、水面を目指す。船員を連れているため《竜の咆哮》は使えず、ただひたすらに船員を引っ張って水中を駆け上がった。
「――っ、はっ……! 息きっつ……!」
水面を突き破って飛び出したアルヴィーは大きく息をつき、固唾を呑んで見守っていた船員たちの乗った船に、救出した船員を託した。
「悪いけど、この人頼む。まだもう一体、仕留められてないんだ」
「あ、ああ、分かった。すまん、有難い……!」
ケルピーに水中へと引き込まれて助かるなど、普通はあり得ない。船員は礼を言いながら仲間を引き受け、飲んだ水を吐かせ始める。幸い、引き込まれてすぐに救出されたため、船員は程なく息を吹き返し、船上では歓声があがった。
それを余所に、アルヴィーは水面からわずかに高度を取り、水面の乱反射に目をすがめながらケルピーの姿を探す。逃げたのであればそれでも構わないのだが……。
「――アル! 後ろ!」
不意に聞こえた親友の声に、アルヴィーは弾かれたように振り向く。そこに、水中で加速したケルピーが砲弾のような勢いで水面を突き破り、体当たりを敢行してきたのだ。
「っ……!」
とっさに右腕で防御したが、何しろアルヴィーの数倍も重量がありそうな図体だ。それが全速でぶつかってきたのだから、アルヴィーはあっさり足場の上から弾き飛ばされた。彼を吹っ飛ばしたケルピーは、再び加速を付けるべく水中に没する。
空中で体勢を立て直したアルヴィーを狙い、ケルピーは大きな鰭で力強く水を叩くと、それを原動力に再び水中を突き進み、水面を突き破った――。
「――貫け! 《雷槍》!」
そして次の瞬間、横合いから放たれた雷撃魔法が、その体躯に見事直撃した。
「……ルシィ!?」
「アル、今だ!」
まさに一際強く水を蹴って飛び出そうとしていたところに、ルシエルの魔法をまともに食らったケルピーは、大きく体勢を崩していた。心得たアルヴィーは、空中で泳ぐその左前脚をがっしと掴み、
「うりゃっ」
思いっきり上へと引っこ抜く。一本釣りされたケルピーが宙に舞ったところを、威力控えめの《竜の咆哮》で仕留めた。
「……あれで打ち止めかな」
『そのようだな。今のところは』
「嫌なこと言うな……」
げんなりと呻き、アルヴィーは親友を振り返った。
「ありがとな、ルシィ」
「さすがにアル一人置いて行くわけにもいかないしね。船は少し先に停泊させてあるよ」
どうやら騎士団の船にも救助用の小舟があったらしく、ルシエルはそれに乗ってこちらに駆け付けて来たようだった。ちなみに漕ぎ役としてカイルも同乗している。
「……にしても、相変わらず無茶苦茶な倒し方しやがるなあ……」
ケルピーの一本釣りなどという非常識きわまる光景を目の当たりにし、カイルが遠い目をした。何しろケルピーはサイズも馬より一回りほど大きい。それを軽々と空中高く放り上げたアルヴィーの膂力に、ああそういやこいつ馬鹿力だっけと改めて思い出した。
「だって水中じゃ《竜の咆哮》あんま効かないしさ」
やはり火竜の力は水中では充分に発揮できない。アルヴィーは肩を竦めた。
「おおっ、魔法騎士団だ!」
「ありがてえ!」
アルヴィーの戦闘力を目の当たりにし、さらに同じく騎士団の制服を纏う騎士が現れたことで、船員たちの間から安堵の声があがる。
「そういや、あの右肩の翼……あれが噂の《擬竜騎士》か!」
「ああ、例のクラーケンを倒したっていう!」
「何でも、空から舞い下りて来て一瞬でクラーケンを仕留めたらしいぜ。今、船乗りの間じゃ、あの翼を象った飾り物が験担ぎで人気だってよ」
「何だそれ!?」
聞き捨てならない情報に、アルヴィーは頭を抱える。ルシエルとカイルは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
「ああ……船乗りはとかく、縁起を担ぐからね」
「そういやそれっぽい話、港の周りで聞いたなあ」
確かに、絶体絶命の船を空から舞い下りて救い、クラーケンをいともあっさり仕留めるなど、船乗りならば胸躍らせずにはいられない英雄譚だろう。しかも今回の一件だ。もしかしてますます船の守り神扱いされるかもしれない。
「……俺、一応ふつーに人間なんだけどなあ……」
アルヴィーのぼやきは、ちゃぷんと跳ねる波音に紛れて消えた。
◇◇◇◇◇
大陸北部、ロワーナ公国の首都・ラトラ。その郊外に、オルセルとミイカ、そして護衛としてゼーヴハヤルも赴いていた。その周囲には、物珍しげにあちこちを見回す、人型合成獣の子供たち。
「――いいかい、みんな? この周りでなら遊んでいいけど、あんまり遠くに行ったら駄目だからね?」
「はーい」
「分かった」
「…………」
子供たちは元気に手を挙げる者、黙って頷く者と様々だが、おおむねオルセルの言うことは聞いてくれる。目覚めてからこちら、彼らに色々なことを教えて自我の芽生えを促していたオルセルに、彼らは個人差はありながらもそれなりに懐いているのだ。
「お弁当もあるから、後でみんなで食べようね!」
ミイカが魔法式収納庫を示してにっこりと笑うと、子供たちの内の何人かは涎でも垂らしそうな顔になった。
「今食べちゃだめなの?」
「んーとね、いっぱい遊んでお腹空いてからの方が、きっと美味しいよ」
「分かった!」
“美味しい”という言葉に、子供たちは敏感に反応し、あちこちに散って遊び始める。といっても、数人で追いかけっこを始めたり、近くの木に競って登り始めたりという微笑ましいものだ。中にはなぜか一心に地面を見つめている子供もいたが、大方虫でも見ているのだろう。子供というものは、たまにわけの分からないものに興味を持ったりする。
「さて、と。――じゃあ僕たちも、陛下から仰せつかった“仕事”に掛からないとね」
子供たちが遊びに夢中になり始めたのを見計らい、オルセルは自分の魔法式収納庫から一枚の紙を取り出す。地図だ。横合いからひょいとそれを覗き込んだゼーヴハヤルが、首を傾げてオルセルを見た。
「なあ、それ何だ?」
「陛下にお借りした、この辺りの地図だよ。――陛下が、この近くに陣を描いた時に使った魔動巨人を回収するのが、今回の僕たちの仕事なんだ。本当はそのままここに置いておいた方が、後々も使えて便利だったんだけど、最近この辺りに盗賊が出始めたらしくてね。一応念のために、一旦回収することになさったらしいよ」
今回、オルセルがレティーシャから受けた指示は、魔動巨人が盗賊たちの目に留まったりする前に、一旦回収して来るようにというものだった。盗賊風情に魔動巨人が扱えるとは思えないが、世の中に“絶対”ということはない。それに、人型合成獣の子供たちもそろそろ、城内ばかりでは飽きるだろうという意図もあった。いわば、仕事を兼ねた子供たちのレクリエーションだ。
「ふーん、盗賊か……」
ゼーヴハヤルが不機嫌そうに眉を寄せる。
「……そいつら、襲ってきたら殺していいのか?」
「ゼル……」
オルセルはため息をついたが、彼の黄金色の瞳にじっと見つめられて、渋々口を開いた。
「……自分の身を守るための戦闘は許可する、だそうだよ。――それと、盗賊なんて輩は帝国の民には必要ない、とも仰ってた」
「よっし!」
ゼーヴハヤルは目を輝かせ、拳をもう片方の掌に打ち付ける。
「安心しろよ、オルセルとミイカは俺が守ってやるから」
「はは……そうだね、期待してるよ。でも、それならあの子たちも守ってやって」
「あいつらは大丈夫だろ。俺とおんなじだ。“戦えるようにできてる”奴らだからな」
ゼーヴハヤルはこともなげにそう言う。事実をそのまま述べたという顔だった。確かにそうなのだろう。だが、妹のミイカよりさらに幼い子供たちを戦いに駆り出すようなことを、オルセルはしたくなかった。もちろん、できればゼーヴハヤルもだ。しかし彼は、自身が“戦うための存在”であることを理解しており、それに一種の誇りを持ってもいた。
「……なあ、オルセル」
と、ゼーヴハヤルがふと真剣な顔になり、オルセルを見上げた。
「何?」
「あいつらのことは、ほんとに心配いらないぞ。――人型合成獣は、生まれる前から戦い方を知ってる。どんなに子供に見えたって、戦場に放り込まれたら自然に、相手を殺しに掛かれるやつばっかりなんだ」
息を呑むオルセルに、ゼーヴハヤルは眉を下げる。
「……でも、血だらけの手でもオルセルやミイカがぎゅってしてくれるのは、うれしい」
命を屠り、血に汚れたこの手を厭うことなく握ってくれた、二人の手のあたたかさ。
それがあるから、ゼーヴハヤルはきっと、血に狂った化物にはならずにいられるのだ。
子供らしく破顔すると、ゼーヴハヤルはその双眸を興味で光らせる。
「で、その魔動巨人ってどこにあるんだ? それって帝都で街造ってるやつだろ? 俺、いっぺん近くで見てみたかったんだ」
「あ、ああ……こっちだ」
ゼーヴハヤルに急かされ、オルセルは地図を見ながら先に立って歩き出した。
「――あった。あれだ」
それは子供たちが遊ぶ場所から、ほんの百メイルほどの場所にあった。魔法で迷彩が施されていたので、一見しただけでは分からなかったのだが、オルセルがレティーシャから預かった指輪を翳すと、景色がゆらりと揺らいで魔動巨人の巨体が姿を現す。
「おおー! すごいな……!」
ゼーヴハヤルが目を真ん丸にして感嘆の声をあげた。オルセルもぽかんとその威容を見上げる。
「凄い……こんな大きなものが、動くのか……」
「お兄ちゃん、何……うわあ」
いきなり現れた巨大な影に驚いて駆け付けたミイカもまた、兄たちに倣うように目を見張る。
「ミイカ、みんなは?」
「あ、んと、向こうで遊んでるよ。突然何か大きいものが見えた気がしたから、何かと思って……」
「そうか、驚かせてごめん。――危険はないから、ミイカはこのまま向こうで子供たちを見ててくれるかな」
「うん、分かった」
正体を知って納得したのだろう、ミイカは頷くと小走りに子供たちの方に戻って行く。だがおかげで驚きから覚め、オルセルは本来の仕事に取り掛かることにした。
「……さて、僕はこれを、帝都まで回収しなくちゃ。ええと、この魔動巨人を運んで来た時の転移陣が近くにあるから、それをそのまま流用するってことだったな」
「お、あれじゃないか、オルセル」
早速見つけたゼーヴハヤルが、オルセルの袖を引っ張る。
「本当だ、ありがとう、ゼル。――じゃあこれに、術具を設置して、と……」
オルセルが魔法式収納庫から、このために預かって来た術具を取り出そうとした、その時。
「――オルセル、ちょっと待て」
急にゼーヴハヤルの目が鋭くなり、その手が背負った大剣を掴む。
「ゼル?」
「なんか来た」
そう言うが早いか剣を抜き放ち、その重量をものともせずに豪快に振り抜く――。
次の瞬間。
風を切り飛んできた矢が、大剣に弾かれて宙に舞った。
「っ、これ――!?」
「あいつらか」
驚くオルセルを庇うように、ゼーヴハヤルは剣を構える。その金の双眸が、遥か遠くの敵を睨むようすがめられた。
「――何だぁ、ずいぶん勘の良いのがいやがる」
初撃を跳ね除けられたのを悟り、盗賊の頭目は眉をひそめる。だが隣で同じく双眼鏡で様子を見ていた部下は楽観的に、
「なあに、あんなもんはたまたまでさあ。それに、ガキだけじゃねえですか」
「それにあのデカイの、ありゃあ多分、魔動巨人とかって代物だ。とんだお宝ですぜ、頭」
「……ふん、それもそうか。一人は腕に覚えがありそうだが、この人数で囲んじまえば引き剥がせる」
何しろこちらには、十を超える人数がいるのだ。一抹の不確定要素はあるものの、勝利をほぼ確信し、頭目は軽く手を打ち振る。
「よし、てめえら、掛かれ!」
「おお!!」
盗賊たちはてんでに馬を走らせ始める。
彼らはつい最近、この辺りに流れて来た盗賊たちだった。今までは国内を荒らし回っていたのだが、首都の方で不思議と犯罪者の取り締まりが緩くなり始めたという噂を聞き付け、ここまでやって来たのだ。やはり地方より首都に近い方が実入りは良い。
そして噂は確かに当たっており、彼らは首都やその近郊にたびたび押し入っては、そこそこの稼ぎを得ていた。
それで気を大きくした彼らは、根城への帰り道で偶然にも魔動巨人を見掛け、もう一稼ぎしてやろうと、オルセルとゼーヴハヤルに襲い掛かったのである。
――それが文字通り命懸けの無謀であることなど、知る由もなく。
「オルセル下がって」
ゼーヴハヤルはにやりと笑い、二、三度屈伸したかと思うと、剣を担ぐようにして駆け出した。あっという間に盗賊たちの中に躍り込み、大剣を振り回す。
たまたまその軌道上にいた不運な盗賊が、剣を振りかぶった姿勢のまま、胴体を上下に両断されて落馬した。
「げえっ」
「な、何だこのガキ……!」
先ほどまでの楽勝ムードは一気に吹き飛び、盗賊の間に緊張が走る。
「ぐっ……! てめえら、囲い込め! 全方位から仕掛けろ!」
頭目が幾分焦りの混じった声で叫ぶ。だがゼーヴハヤルはそれすら笑い飛ばすと、包囲網が完成しきらない内に別の一騎に肉薄し、今度は頭から馬ごと両断した。
「ひいっ、このガキ、ば、化物だっ……!」
人間離れした膂力を存分に見せ付けるゼーヴハヤルに、盗賊たちは見るからに浮き足立つ。しかしさすがと言うべきか、頭目はまだしも冷静さを保ち、そして付け入る隙を見つけた。
(……あっちのガキなら……!)
彼は戦いを呆然と見やるオルセルに目を付け、剣を片手に馬を走らせた。恫喝する。
「はっはぁ! いい的だぜ、おとなしく死ねや、ガキがぁ!」
「あ……っ」
いきなり自分に向かって来た敵の頭目、その害意に塗れた恫喝に、オルセルは息を呑み、反射的に右腕を大きく振った。袖口から覗く銀の環が連なった腕輪が、澄んだ音を奏でる。
「く、来るなっ……!」
――しゃん。
涼やかな音と共にオルセルの右手首から滑り落ちたいくつもの銀の環は、だがそのまま地面に落ちることなく、まるで命でも宿ったような動きで高速回転を始め、一斉に彼のもとを飛び立つ。
それらは頭目に殺到すると、目にも留まらぬ速さでその身を掠めていった。
「――何だとぉ!?」
鋭い痛みに、頭目は思わず手綱を引き、馬の足を緩めてしまう。得体の知れない攻撃を警戒したのだが――彼が速度を落としたその背後には、オルセルを守るためにさっさと他の盗賊に見切りを付けたゼーヴハヤルが、大剣を振りかぶって地を蹴っていたのだ。
頭上に差した影に振り仰いだ頭目が最後に見たのは、自分目掛けて振り下ろされる刃のきらめきだった。
「……悪いな、オルセル。こいつはちょっと頭が良かったらしい。油断した」
「あ、ああ……大丈夫。――陛下からいただいた魔法武器が、役に立ったよ……」
頭目を斬り捨てた大剣を振るい、ゼーヴハヤルが謝ると、オルセルはゆるゆるとかぶりを振った。その手元にはいつの間にか、飛び立ったはずの銀の環が一つも欠けることなく戻っている。彼はそれを、元通り右腕に通した。
それはオルセルの護身用にと、レティーシャから与えられた魔法武器だ。元は高貴な身分の人間の護身用に作られたというその腕輪は、持ち主が“敵”と認識した相手を半自動で攻撃する機能を持っていた。
「こ、こいつら、化物だ……!」
「逃げろっ、頭がやられた!」
盗賊たちは総崩れとなり、我先にと馬首を巡らせる。オルセルははっとした。
「逃げる……!」
「大丈夫だ」
だがゼーヴハヤルは剣を一振りして血を払い、背中に背負い直す。振り返った。
「あいつらもそろそろ、“こっちの勉強”もしないとな」
え、とオルセルが問うより早く。
白い影がいくつも彼らの傍を駆け抜け、逃げる盗賊たちに追いつくと、その背中に飛び付いた。
「ぎゃあっ」
「な、何だこのガキども……!」
「放せっ、はな――」
銀髪金目の子供たちは、盗賊たちの背に取り付くと、辺りに立ち込める血の臭いに触発されたように、次々とその本能を解き放ち始めた。
ある少年は鱗が浮いた腕で盗賊を締め上げながら、その首筋に毒牙を打ち込む。またある少女は両手の爪を鋭く尖らせ、それで盗賊の喉を掻き切った。
「……お兄ちゃん……」
子供たちを追って来て、遠目ながら惨劇を目の当たりにしてしまったミイカが、オルセルの手を強く握る。それを握り返しながら、オルセルは目を逸らすことなく、盗賊たちが殺されていくのを見つめた。
――盗賊たちを次々と屠り、子供たちは馬から飛び下りて意気揚々とオルセルたちに駆け寄って来る。
「ねえ、どうだった?」
「初めてだけど、うまくできたよ!」
口々にそう言い立てる彼らは、表情はまるっきり子供のそれだが、その手や口元は血で染まっていた。オルセルは息を呑み、ぎこちないながらも笑顔を作って腰を屈める。
――自分だって、綺麗な手のままじゃない。
この子たちと、どこも変わらない――。
「……ああ、みんな凄いね。――さ、手と口を洗ってお弁当を食べようか。たくさんあるんだ」
「やったあ!」
喜ぶ子供たちの血に濡れた手を、オルセルはためらいなく取り、近くの小川へと一緒に歩き始めた。
◇◇◇◇◇
ルルナ川と交差するイル=シュメイラ街道きっての巨大さを誇る橋、ザカリア橋――遠目には城砦か何かにも見える威容を望める大河の畔の港町・ウェルトに、アルヴィーたちが到着したのは、ケルピー騒動の翌日だった。
あの後、最寄りの騎士団本部に連絡を入れ、事後処理を任せた(丸投げともいう)後、一行は騒動の遅れを取り戻すべく先を急いだ。幸い風が良かったため、その後の航程は順調に進み、こうしてひとまずの目的地であるウェルトに辿り着いた。
ミトレア支部で借り受けた船は、ザカリア橋の下を潜れないため、船旅はここまでとなる。船を下りたアルヴィーたちは、手筈通り迎えに来ていた中央騎士団の隊と落ち合った。
「お会いできて光栄です、《擬竜騎士》。いえ、“ロイ男爵”とお呼びすべきでしょうか」
「……できれば《擬竜騎士》の方でお願いします……」
にこやかに握手を求めて来た小隊長に、引きつった笑顔で応えるアルヴィー。ルシエルたち一二一小隊の態度が以前と変わらないのでうっかり忘れていたが、そういえば叙爵されたんだっけ、とどこか他人事のように思い出す。
「それに、あの旧ギズレ領攻防戦の武勇で名高い第一二一魔法騎士小隊ともお近付きになれるとは、嬉しい限りです」
「恐れ入ります」
如才ない賛辞に、ルシエルも社交辞令的な笑みを浮かべながら握手に応じた。
彼らが挨拶を交わしている間に、荷物は船から幌馬車に積み替えられる。もちろん騎士たちによる厳重な警備が付けられた。何しろ中身は金銀財宝なのだ。
出発に際し、小隊員たちには新しく馬が宛がわれ、そしてアルヴィーとルシエルは馬車に招じ入れられた。やはり貴族の一員ということだろう。
馬車が動き出すと、アルヴィーは大きく息をついた。
「あー……やっぱ何か慣れねーな、馬車って。普通に馬でいいのに……」
「まあ、あの小隊長が気を利かせてくれたのかもね。アルは今や爵位持ちの貴族だし」
「ルシィもゆくゆくはご領主様だし、な」
アルヴィーがそう切り返すと、ルシエルは肩を竦めた。
「しばらくは父が現役だろうから、本格的に領地経営に携わるのは早くても、二十歳を過ぎた頃になるだろうけど。――そうなると、騎士団も退団だね」
「え……ルシィ、騎士団辞めんの?」
アルヴィーが目を見張ると、ルシエルは呆れたような表情になった。
「アークランド辺境伯の話をアルも聞いただろ。領地を運営しながら騎士団所属なんて、まず無理だよ。そりゃ、領地に代官でも置けば騎士団も続けられるだろうけど……領地や領民の生活を背負う以上、自分の手でそれに関わりたいからね」
「へー……何かすげーなあ、ルシィ。もうご領主様みたいだ」
「実際はこれから勉強することが山ほどあるけどね」
ルシエルの言葉に、アルヴィーが明らかに引きつった顔になる。
「……そ、そっか。頑張れよー」
「アルも他人事じゃないよ。領地関係はまあ構わないにしても、君、貴族社会の慣習とか貴族同士の序列とか、まだ怪しいものでしょ」
「言うなよ……」
できれば忘れていたかったことを思い出させられ、アルヴィーはがくりと項垂れた。小さく笑いながら、ルシエルは窓の外に目をやる。馬車の中から見る風景は、どこかあの日――クローネル家からの迎えの馬車に乗り、あの村を離れた日のそれを彷彿とさせた。
(……それに、僕が騎士団に入った目的は、もう叶ったようなものなんだ)
騎士となって力を手に入れ、いつかあの村にアルヴィーとその母を迎えに行く――その願いは半分だけ叶い、今やアルヴィーは自分自身の力で、この国に確固たる居場所を築き始めている。
あの日ルシエルが己に誓った思いは、こうして目の前で形になろうとしているのだ。
もはやこれ以上、騎士団で力を求める必要はないのかもしれない――ルシエルは近頃、そう思い始めていた。
(少し寂しい気はするけど……でも、それは良いことなんだから)
今まで目指し続けてきた目的が、もはや意味をなさないものになりつつある。それはルシエルに寂寥感のようなものをもたらしたが、同時に喜ぶべきことでもあった。
「……ルシィ?」
急に黙り込んだルシエルを、アルヴィーが窺うように首を傾げる。
「ああ、何でもないよ。――それより、報告書書いたの? 王都に戻ったら間違いなく、詳しい事情を訊かれると思うけど」
「え、俺が書くの!?」
「……何を他人事みたいに言ってるんだ。最初に難破船に踏み込んで調査したのはアルでしょ?」
「そりゃそうだけど……」
どうやらこちらに丸投げするつもりだったと踏み、ルシエルはため息をつく。
「あのねえ……いつまでも僕に頼ってちゃ駄目だよ」
「ううう……分かったよ。けど、こんな揺れてる中じゃ無理だって」
「じゃあ下書きだけでもここで書いておきなよ。下書きだったら多少字が汚くても、実際に提出するわけじゃないんだから」
「……分かった……」
諦めたように、アルヴィーは魔法式収納庫から紙と筆記用具を取り出す。まだまだ危なっかしい親友に、やはりしばらくは騎士団を退団できそうにないかもしれないと、ルシエルはちらりと思ったのだった。




