第76話 死者の砦
その話がジェラルドの口からアルヴィーに伝えられたのは、ジュリアスとの“会談”から十数日経った日のことだった。
「――俺が、リシュアーヌに?」
「ああ。向こうからのご指名だ」
「何でわざわざ?」
首を傾げるアルヴィーに、ジェラルドは真剣な表情になった。
「……何でも、国境の砦が死人に乗っ取られたそうだ」
「死人って……まさか」
ある可能性に思い当たり、アルヴィーははっとする。ジェラルドも頷いた。
「死霊術……あり得なくはないだろう。ロワーナとの国境近くの砦ってのも引っ掛かるしな。三公国は今、“クレメンタイン帝国”の傘下だ。あの連中が死霊術士を抱え込んでる可能性は高い」
「でも、それで何で余所の俺にお呼びが掛かるんだ?」
「アンデッドを倒すには焼き尽くすのが一番手っ取り早くて確実なんだが、現地に出た死人は意外と頑丈で、単発の魔法じゃ仕留めきれんらしい。魔動兵装で何とか対応してたが、奇襲を食らって大分被害が出たそうだ。魔動兵装に使う魔石なんかのコストも馬鹿にならんし、ならいっそ、ファルレアンに借りを作ることになっても、火力は保証付きの《擬竜騎士》を借り受けようって話になったんだと。その方が事態を早く収束させられると踏んだんだろう」
「……アンデッドって、焼いて倒すのか」
うっかり想像してしまって、アルヴィーはげんなりした顔になった。
「ああ、そもそもアンデッドってのは、死体に何かの拍子で魂が依り憑いちまった状態のことだからな。しかもそういう場合、大抵が理性の吹っ飛んだ狂戦士だ。そんなのと下手に取っ組み合いするより、遠くから魔法で焼いた方が安全だろうが。焼き尽くして灰だけにしちまえば、またアンデッドになる心配もないしな」
理屈はそうだが、何ともエグい話である。
「とにかく、これは正式な外交ルートから来た話だ。緊急ってことで、手順をいくつかすっ飛ばしちゃいるがな。上層部はこの要請を受けるつもりだ」
国が要請を受け入れるというなら、アルヴィーにも否やはない。言われた通りに現地に向かうまでだ。
(もう被害も出てるっていうし……早く片を付けられるなら、それに越したことはないよな)
アンデッドなど相手にするのは初めてだが、どうやら自分との相性は良さそうだ。魔動兵装が効くのであれば、《竜の咆哮》なら一発だろう。
「命令書は……」
「上から指示が来たらすぐに発行する。おまえはすぐに出られるように、用意をしておけ」
「了解しました」
もう手慣れた敬礼一つ、アルヴィーは部屋を出ようと踵を返す。そんな彼を、ジェラルドが呼び止めた。
「それはそうと――例の話、聞いたか」
「……俺を貴族にするっていう?」
「ああ。おまえのことだから、まあ面倒臭いとか何とか思ってるんだろうが」
「う゛っ」
見事に言い当てられて言葉に詰まるアルヴィーに、ジェラルドはにやにやしながら、
「ま、せっかくくれるってんだから有難く貰っておけ。栄誉爵なら経済的には割合楽だぞ。――ただ、側に置く人間は選べよ」
「? 俺、付き合う相手はそこそこ選んでるつもりだけど」
「そうじゃない。屋敷に置く人間のことだ。栄誉爵は王都に屋敷を賜ることになってるっての、聞いてないのか? 男爵邸でもそれなりの広さはあるが、まさかおまえ、それを自分で切り回せるなんて思っちゃいないだろうな。せめて最低限、執事と女中頭、それに料理人は揃えろよ。外聞以前にそれくらいはいないと、おまえだけじゃ右も左も分からんだろう」
「ううう……」
さすがに由緒正しい侯爵家の次男、いちいちもっともな指摘に、アルヴィーは呻くしかない。
「……俺、このまま宿舎にいちゃダメかな」
「要らん前例を作るな。大体、同じ宿舎に爵位持ちの貴族がいるなんぞ、他の騎士への重圧が洒落にならんぞ」
「うう……やっぱりかあ……」
部屋の広さはそこそこ、食事も三食完備、職場の至近。こんな良物件は他にないのだが。
がくりと項垂れたアルヴィーに、ジェラルドは呆れたような目を向けた。
「まったく……普通の奴なら躍り上がって喜ぶ話だろうが」
「だから俺はそもそも普通の村人なんだよ!――それに、こんなにどんどん持ち上げられても、困る。何か、足下が落ち着かない感じがするんだ」
「ほう?」
ジェラルドが興味深げに眉を上げる。
「何だ、怖気付いたか」
「悪いかよ。――だって、国とか上の貴族とかの都合なんだろ、これ。俺が純粋に自分の力で掴んだもんじゃないだろうし……そういうのに浮かれて足下見ずに突っ走る馬鹿は、大抵獣の餌になって死ぬもんだって、俺に狩りの手解きしてくれた猟師のおっちゃんが昔言ってた」
「……そうか」
“昔”ということはアルヴィーなどまだ年端も行かない子供だったろうが、そんな子供にそのような身も蓋もない忠告をしなければならないとは、辺境の小村とはなかなかにシビアな環境らしい。少々引き気味に、ジェラルドは頷いた。
「おまえの故郷はその、何だ。意外と厳しいところだったのか」
「っていうか、辺境の小っこい村なんて、どこもそんなもんだろ。俺んとこなんてまだ、国境跨いでてもそこそこの街に近かった分、恵まれてた方なんじゃないかな。それでも子供が一人って、村ん中じゃ珍しい方だったけど。子供は結構よく死ぬから」
さらりと告げられた言葉は、だが重い。
「病気とか怪我してもちゃんとした医者なんかいないし、魔物が出ても領主は領地の端っこの村なんか守らねーしさ。そのくせ税だけはしっかり取るって、村の大人が愚痴ってた」
そうぼやくアルヴィーの口調に、だが怒りの色はない。それが彼らの“当たり前”だったからだ。
「……俺の村が魔物にめちゃくちゃにされた、あの時。軍は結構早く動いてくれたと思ったけど……あれってもしかしたら、軍が糸引いてたの隠すためだったのかな」
ぽつりと呟いた声は凪いでいた。
アルヴィーの生まれ育った村は、他ならぬレクレウス軍の謀略の結果、魔物に蹂躙され滅びた。それを知ったからこそ、アルヴィーは祖国を出奔し、ファルレアンに亡命して騎士となるに至ったのだ。
「……おまえ、」
思わずといった風情で呟かれたジェラルドの声は、アルヴィーがかぶりを振ったことで途切れる。
「ま、今さらだよな。裏事情が分かったところで、お袋たちが生き返るわけじゃないんだし」
「……そうだな」
「それに俺は、全部失くしたわけじゃない」
この手から零れ落ちていったものは多かったけれど、掴めたものも確かにある。
そしてそれを守りきるために、力を惜しむ気など、彼にはなかった。
たとえ兵器としてのみ、己の力を望まれたとしても。
(それで守れるんなら、安いもんじゃないか)
異形の右手を少しだけ見つめ、アルヴィーは顔を上げた。
「とりあえずさ。俺は俺のできることをやるよ。それって結局、自分に返ってくるしな」
それは彼自身が自分の手で掴んだ、彼なりの真理だった。積み上げたものはいつか自分を支える柱になるのだと、そう信じてアルヴィーは、これからもその右腕を振るうだろう。
迷いのないその朱金の瞳は、出会った頃よりも落ち着いた光を宿している。ジェラルドはふと、それに気付いた。
――それはきっと、この少年が本当の意味での“大人”に近付いたということなのだろう。
「……良いだろう。行って来い」
「了解」
見せる敬礼も、ずいぶんと様になったように思える。
執務室を後にするアルヴィーを見送り、ジェラルドは知らず、かすかな笑みを口元に浮かべた。
◇◇◇◇◇
「――てなわけで、俺ちょっとリシュアーヌ行くことになったから」
けろりとした顔でそう言ってのけたアルヴィーに、ルシエルは軽い頭痛を覚えて額を押さえた。
「……そんな近所に買い物にでも行くみたいに……」
「とうとう国外に派遣ですか。すっかり有名人ですねえ」
シャーロットは何だか悟りの境地にでも至ったかのように、しみじみとそう述べる。その横で、ディラークが思案げに、
「しかし、アンデッドとはまた……そういうのは大体、死んだ当人によほど心残りがあったか、死者が増える大きな戦争の時に出て来るものだがな」
「ああ……何か、死霊術士が関わってるらしいんだけど」
途端に、魔法専門組が嫌そうな顔になった。
「うわー、関わりたくないわあ」
「死霊術って確か、禁術ですよね。倫理的にもそうですけど、他にも色々問題あるとかで……」
ジーンはドン引き、ユフィオが声を落とす。
「禁術?」
「だって、死んだ人をもう一回蘇らせて、操るわけだから。それに、遺体が操られてる内に腐敗したりして、衛生的にも良くない場合が多いし」
「想像させないで欲しいんだけど」
うっかり想像してしまい、その場の全員が嫌そうな顔になった。
「……まあ、燃やすのが一番効くみたいだし、それは俺得意だからさ。さっさと済ませて帰って来るよ」
気を取り直してアルヴィーがそう言うと、ルシエルも頷いた。
「そうだね、外交ルートで来た要請なら断れないし、早めに済ませるのが結局一番だ」
「だよな。じゃあ俺、準備あるから……あ、そうだ」
その場を立ち去ろうとしたアルヴィーだったが、ふと思い出したように魔法式収納庫を探り、取り出したものをシャーロットに渡した。
「これは……あの時の腕輪ですか?」
それはアルヴィーがオークションで落札した腕輪だった。一見彫刻が施されただけの地味な腕輪だが、実はクレメンタイン帝国時代のマジックアイテムという代物だ。
「何それ? 地味な腕輪ねえ、女の子にあげるんならもっとこう、華やかなのにしなさいよ」
「違うっての。――シャーロットの親父さんが、それ調べたがってただろ。俺は使わないからさ。忘れない内に渡しとく」
「なーんだ、プレゼントとかじゃないのか。進展有りかと思って期待したのに」
「だよなあ。もっと押してけよ!」
「……進展って、何のだ?」
怪訝な顔になるアルヴィーに、シャーロットは心持ち強い口調でにっこりと、
「いえ、何でもありません。――ありがとうございます、父も喜びます。できればもっと良く調査したいと言っていましたから」
「……ロットのお父さんが研究するってことは、これ、マジックアイテムなの?」
ユナがしげしげと、腕輪を見つめた。
「ええ、父が言うには貴重なものだそうです。でも、良いんですか?」
「ああ、さっきも言った通り、俺は使わないし。シャーロットの親父さんは、魔法障壁が張れるらしいって言ってたけど」
「なるほど、確かにアルには必要ないね……」
魔動巨人の魔動砲にも耐える障壁を自前で張れるアルヴィーだ。わざわざ腕輪を装備するまでもあるまい。
「んじゃ俺、もう行くから。命令書出たらすぐに動けるようにしとけって、大隊長に言われてるし」
「気を付けて」
「おう、行って来る」
軽く手を上げて、アルヴィーは足早に宿舎に戻って行った。
「――で、だ。おまえをどうするかだよな」
「きゅっ」
自室に戻り、アルヴィーはベッドの上に陣取る小動物を半目で見やる。フラムは飼い主の視線など何のその、良い返事で尻尾をゆらゆら。
(マナンティアルが使い魔としての術は解いてくれたけど、そもそもこいつ連れてってもなあ……)
カーバンクルがアンデッドに対して何かできるという話は、寡聞にして聞いたことがない。だが、置いて行こうとしても全力で抵抗するだろう。
(……ま、いっか)
結局、心の癒やしが欲しいという欲求に負け、フラムも連れて行くことにする。アンデッドを殲滅するなどという、どう転んでも憂鬱にしかならなさそうな任務だ。見ているだけで和む小動物は是非とも欲しい。
「今回大分遠出すんぞ。おとなしくしてろよ?」
「きゅっ!」
返事だけは良いが、どこまで当てになるものかは疑問だ。まあ、甘えっぷりは使い魔の術によるものではなく生来のものらしいので、勝手にふらふら逸れてしまう可能性は低いだろう。
「……うーん、保存食が欲しいかな。ちょっと買っとくか」
一応リシュアーヌ側から要請された任務ではあるから、現地で放り出されてサバイバルなどということはない……と思いたいが、ここ最近の自分の巻き込まれっぷりを振り返るに、そうとも言い切れなくなってくるのが恐ろしいところだ。魔法式収納庫などという便利なものもあるのだから、とりあえず用意はしておこうと、アルヴィーはフラムを連れて部屋を出た。
フラムを構いながら廊下を歩いていると、反対側から「あっ!」と短い声があがり、ふと顔を上げる。
「あれ……ニーナ?」
そこにいたのはニーナ・オルコット四級騎士だった。彼女はなぜか少々焦ったように、
「ま、またミトレアに飛んだって聞いたけど、戻ってたのね」
「ああ、まあ色々あったけど……」
いきなり叙爵されそうだなどとはもちろん言えずに、言葉を濁すアルヴィー。そして思い出した。
「あ、そうだ。俺、ニーナに渡そうと思ってたものがあってさ」
「えっ!?」
彼女の頬が明らかに赤らんだが、アルヴィーは周囲を見回して人目の有無を確かめていたので気付かなかった。彼は魔法式収納庫を探ると、取り出したそれ――《下位竜》素材をひょいとニーナに渡す。
「……何、これ?」
怪訝な顔になる彼女に、アルヴィーはさらりと、
「俺が倒した《下位竜》の素材。世話になった人に渡してるんだ」
「……ええぇぇぇ!?」
ニーナの絶叫が廊下の空気を貫く勢いで響き渡り、アルヴィーもぎょっとした。その肩の上でフラムもびゃっと毛を逆立てる。幸い、たまたま人通りがなかったので注目を集めることはなかったが。
「ちょ、ちょっと待って! あなたこれがどういうものか分かってるの!?」
「まあ、扱いに困るもんだとは思うけどさ。でも、扱えると思った相手にだけ渡してるし」
「…………!」
詰め寄ってきたニーナがアルヴィーの一言で一転、さらに頬を赤らめて口ごもる。
「? どうかしたか? 何か顔赤いけど、ひょっとして風邪とか……」
「な、何でもないわ!」
慌てて取り繕うと、ニーナは小さく咳払いし、
「……そういうことなら、わたしもあなたの信に応える努力は惜しまないわ。この素材に見合うくらいの力を身に付けたら、有難く使わせて貰うことにする」
「え、いや別に、すぐに使っても」
「いいえ、これはわたしなりのけじめなの!」
「お、おう」
何だかやたら迫力のある彼女の一睨みに、アルヴィーはこくこくと頷いた。
「じゃあ俺、準備あるから行くよ。また任務入ってさ」
「そう……忙しい話ね。――その、貴重な素材をありがとう。後は……そう、怪我をしないように気を付けなさい」
「おう、ありがとな。じゃ」
軽く手を上げて去って行くアルヴィーを見送り、ニーナは《下位竜》素材を握り締めると大きく息をついた。
(……世話になった人に渡してる、か……)
彼にとっての自分は、まだ単なる知人なのだろう。というか、出会った時の状況が状況だ。むしろ、会えば立ち話くらいはする仲になれたことこそ、僥倖なのかもしれないが。
(それ以上を望むなんて、おこがましいのかもしれないけど)
おまけに、当の本人はすこぶる鈍感ときたものだ。自分が彼の前ではなかなか素直になれないことを差し引いても、あれは相当だと思う。
はあ、とため息をつき、ニーナはそれでも《下位竜》素材を大切に魔法式収納庫に仕舞うと、逸る気持ちを抑えながら歩き出した。
◇◇◇◇◇
「――ただいま戻りました、陛下」
ファルレアンから帰還した三人の少年少女に、レティーシャは穏やかな笑みを見せた。
「お帰りなさい。三人とも、良くやってくれましたわ」
「いえ、その……光栄です」
緊張に喉を詰まらせながら、跪いたオルセルはただでさえ下げていた頭をさらに深く垂れる。
ファルレアン王国王都・ソーマに潜入していた三人は、レティーシャへの報告の後、もうしばらく調査を続け、彼女の指示でクレメティーラに戻った。そして謁見の間に呼ばれ、こうして帰還報告を行っているのである。
「でもさ、俺たちが向こう行くの、何か意味あったの?」
「こ、こら、ゼル!」
主君の前であろうと通常運転のゼーヴハヤルがそう首を傾げ、オルセルが慌てて諫める。ミイカもおろおろとうろたえ、その様子をレティーシャは微笑ましく見守った。
「構いませんわ、オルセル。――あなたたちに今回の潜入をお願いしたのは、わたくしの目となり耳となって、他国に潜入してくださる人材を増やしたいからですわ。現状、その役目に耐えうるのはダンテとベアトリスだけですから」
「ふーん」
ゼーヴハヤルは納得したように頷いた。実際、レティーシャの言ったことは事実だ。もう一人の臣下であるラドヴァンにそんな真似ができるとは、彼女も期待していなかった。メリエは……言うに及ばずだろう。人には向き不向きがある、というのはまことに至言である。
「じゃあ俺たち、これからもこういうことすんの?」
「そうですわね、必要があれば。ですがひとまずは、あなたたちにはまた、別の仕事をお願い致しますわ」
「別の仕事……ですか?」
恐る恐る問うオルセルに、レティーシャは微笑みかける。
「ええ。――説明致しますわ。こちらへ」
レティーシャは玉座から立ち上がると、優雅な足どりで歩み始めた。三人もそれに続き、傍目にはまるで親鳥の後ろを着いていく雛鳥のような図が出来上がる。
一行が向かったのは、オルセルの現在の持ち場でもある地下研究施設だった。地下への階段を下りながら、レティーシャは子供たちに説明を始める。
「この宮殿で働く使用人のほぼすべては、この地下研究施設で生み出された人造人間と呼ばれる存在です。オルセルはもう知っていますわね?」
「はい」
何しろ、人造人間を生み出す施設の管理人だ。まだ勉強中の身ではあるが、その辺りのことは一通り知っていた。
「へえ、俺とおんなじか」
自身も人造人間をベースにした人型合成獣であるゼーヴハヤルは、感心したように声をあげる。ミイカが驚いたように彼を見た。
「……そうなの?」
「そういえば、オルセルやミイカには言ってなかったっけ。ていうか、オルセルは何でびっくりしないんだ?」
「僕は……以前、陛下に伺ったから」
「そうなんだ……」
自分だけ知らなかったと、ほんのり落ち込むミイカに、オルセルは慌ててフォローする。
「でも、それでゼルとの付き合いを止めようとか、思わないだろう?」
「そんなことしないよ!」
激しくかぶりを振るミイカに、ゼーヴハヤルがふるふると打ち震えたかと思うと、両手を広げて飛び付いてきた。
「っ、二人とも、大好きだー!」
「きゃあ!?」
「危ない、ゼル! ここ階段だぞ!?」
ミイカと巻き込まれたオルセルが悲鳴をあげ、レティーシャがくすくすと笑う。
「ふふ、仲がよろしいこと」
「す、すみません! 御前で失礼を……!」
慌てて頭を下げるオルセルに、レティーシャは鷹揚に微笑んだ。
「構いませんわ。――むしろ、そういうあなたたちだからこそ、今回の仕事をお願いするのですもの」
「え……?」
オルセルが聞き返すと同時、彼らは最下部に到着する。
扉が開かれると、四人はその中に足を踏み入れた。唯一ここに出入りしたことのないミイカが、不安げに周囲を見回す。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫、危害を加えられることはないよ」
まあ、どう見ても棺にしか見えない黒っぽい水槽がずらりと並んでいる様は、初見では不気味でしかないだろう。オルセルも通った道だ。
おっかなびっくりのミイカの手を引き、オルセルはレティーシャの後に続く。その後ろで、気楽な様子のゼーヴハヤルが周囲を見回した。
「地下なのに広いな」
「ええ、わたくしの研究のためには、どうしてもこの程度の広さは必要ですの。もちろん、きちんと施工をしてありますから、崩れる心配はありませんわ」
「そりゃ良かった。生き埋めはゴメンだもんな」
「嫌なこと言うなよ、ゼル……」
オルセルが顔をしかめた時、レティーシャが足を止めた。
「――ここですわ」
彼女が足を止めたのは、やはり水槽が並ぶ一角だった。オルセルもこの辺りには、あまり来たことがない。
「……ここは、どういう区画なんですか?」
遠慮がちに問うオルセルに、レティーシャはにこりと微笑みながら答える。
「一目見れば分かりましてよ」
さあ、と促され、オルセルたちは水槽の中を覗き込む。そして驚きの声をあげた。
「これは……!」
「むう、俺と似た感じだな」
「…………!」
水槽の中に眠るのは、一人の少年だった。水にたゆたう銀髪。閉じられた瞳の色は分からないが、おそらく金色なのだろうと、三人は思った。
彼らの驚愕が落ち着いたのを見計らうように、レティーシャが口を開く。
「あなた方にお願いしたい仕事というのは、この子たちの世話ですの」
「世話……“この子たち”って、まさか」
周囲に並ぶ水槽に、察したらしいオルセルが言いかけるのを、レティーシャは頷いて肯定した。
「その通りですわ。――そのゼーヴハヤルも、元はここにいた個体ですのよ。わたくしが目覚めさせる前に何かの拍子で目覚めて、この施設を出て行ってしまいましたけれど」
「そうなのか……?」
向けられる問うような視線に、ゼーヴハヤルは首を傾げた。
「さあ? 何せオルセルとミイカに会う前のことは、記憶がぼーっとしててな。別にそれでも困らないし」
「そんな他人事みたいに……」
「だって、俺にとって大事なのは二人と会ってからのことだけだ。それより前のことは、どうでもいいよ」
当たり前というようにそう言われて、オルセルとミイカは言葉を失った。
「そう。それなのですわ」
そこへ割り込むように発せられたレティーシャの言葉に、三人は首を傾げた。
「どれだ?」
「この人型合成獣のシリーズは、ゼーヴハヤルも含めて、自我が希薄でしたの。ですから、わたくしもあまり重要視はしておりませんでした。――ゼーヴハヤルがここを出て行き、そしてあなた方兄妹に出会うまでは」
「わたしたちに……ですか?」
おずおずと尋ねるミイカを安心させるように、レティーシャはにっこりと微笑んだ。
「あなた方と出会ったことで、ゼーヴハヤルは確固とした自我を獲得し、自身の持つ力も調節できるようになりました。わたくしとしても予想外のことでしたけれど……それを成し遂げ、彼の正体を知っても受け入れることのできるあなた方なら、ここに眠る他の子たちも同様に自我を芽生えさせ、育てることができるのではないかと」
「僕たちが……?」
オルセルは困惑しながらも、水槽の中で眠る少年を見やる。と、ミイカが彼の手をきゅっと握った。
「お兄ちゃん。――わたし、やりたい」
「ミイカ……」
「ゼルと同じように、教えてあげたいの。ご飯が美味しいことも、誰かと一緒にいるのが安心できることも」
「……そうだな。僕もだ」
二人の故郷は、決して裕福とはいえなかった。ミイカにとってはさらに、オルセル以外の兄弟たちから虐められた思い出しかなかっただろう。
それでも、故郷の村と家族を失ったことは、彼らの心の一部に、ぽっかりと穴を開けていたのだ。
ゼーヴハヤルは肩を竦めた。
「オルセルとミイカがやるって言うんなら、俺はそれでいいよ。――でも、もしそいつらが二人を襲ったりしたら、俺が殺すからね」
「ゼル!」
「当たり前だろ? 俺はこいつらより、オルセルとミイカの方が大事だ」
臆面もなくそう言い切ったゼーヴハヤルに、レティーシャはあっさりと許可を与えた。
「構いませんわ。二人を守ってあげてくださいな」
「言われなくても」
素っ気なくそう言って、ゼーヴハヤルはその金色の瞳で、水槽に沈む少年を睨んだ。
まるで、自然界に生きる獣のように。
◇◇◇◇◇
リシュアーヌ王国は、大陸北東部一帯を領土とする南北に細長い国土を持つ国である。王都フィエリーデに建つ王城は非常に壮麗な建物で、王都の民の誇りともなっていた。
――だが、リシュアーヌに入ったアルヴィーは王都ではなく、そこから遥か北西に離れた、ロワーナ公国との国境付近の地面を踏んでいる。
「貴殿が噂に高いファルレアンの《擬竜騎士》ですな。お目に掛かれて光栄です」
そう言ってリシュアーヌ式の敬礼でアルヴィーを迎えたのは、リシュアーヌ側の指揮官だった。
「遠路はるばるようこそ、我が国へ。――ですが、申し訳ありませんな。本来ならばまず、王都にご案内して然るべきなのですが……我が方の都合で直接、このような辺境に飛んでいただくことと相成りまして」
「あ、いや……俺も仰々しいのは苦手なんで。片を付けるのは、早い方が良いでしょうし」
「そう仰っていただけると有難い」
今回アルヴィーの立場は、リシュアーヌ国王が直々に招聘した他国の上級騎士というところだ。そのせいか、現場の対応も丁重なものだった。とはいえ、自分の親ほどの年の相手にこうも丁寧に出られると、何だか居心地の悪い思いに駆られるアルヴィーである。
――要請に来たリシュアーヌの外交官に同道する形でファルレアンを出立したアルヴィーは、外交官側が飛竜を使っていたこともあって、数日も掛からずに現場であるポルトーア砦付近のリシュアーヌの陣に入った。一刻も早く事態を解決したいリシュアーヌ側の要請に応じた形だ。外交官については、ここにいられても何の役にも立たないので、報告のために一足先に王都に向かって貰っている。変な式典など用意されなければ良いのだが、とアルヴィーは思うが、こればかりは向こうの裁量なのでこちらからはどうにもならない。
「――あれが、その砦です」
早速“仕事”に掛かるべく、兵士たちがアルヴィーを案内してくれる。指し示された砦のあちこちで人影が蠢く様を、彼の視力ははっきりと捉えることができた。別段好んで見たくもなかったが。
(うわ……あれがアンデッドってやつか)
通常仕様ですでに強化済みの視力だと、その人影の至るところが腐敗したり骨が見えたりしているところも、ばっちり見えてしまう。おまけに周辺に漂う異臭にも参った。
「いるなー、あっちこっち……」
「何と、この距離から見えるのですか? さすがですな」
感嘆の声をあげるリシュアーヌの兵たちを、曖昧な笑みで誤魔化し、アルヴィーは周囲を見渡す。焼かれた遺体と思しきものが点々と転がり、所々にどす黒い染みが広がった大地に、動くものはない。
「……けど、今は攻めてきてる様子ないですよね」
ただ単に状況を確認しただけのつもりだったのだが、指揮官が浮かない顔になった。
「ええ、厄介なことに連中、このところ攻勢に出たり砦に閉じ篭もったりと、まるで統率されているような動きをするのですよ。確かにこの砦に詰めていた兵が多いのですが、それにしても動きが良過ぎる」
「……誰かに指示されてるかも、ってこと……ですか?」
アルヴィーは目をすがめて砦の中を覗こうとしたが、指揮をしているらしき者の姿は、少なくとも見える範囲にはいないようだった。
(もし本当にアンデッドに指示を出してる奴がいるとしたら……多分そいつが死霊術士だ)
そう考えた時、
「――お、おいっ! 出て来たぞっ!」
双眼鏡片手に砦を見張っていた兵士が、上擦った声をあげる。アルヴィーも反射的に彼が指差す方に目をやり、そして砦から雪崩を打つように“出撃”してくる屍兵たちを見つけた。
「そ、総員、すぐに持ち場に戻れ! 迎撃を――」
慌てて指示を出し始める指揮官を、アルヴィーが制する。
「《擬竜騎士》殿?」
「とりあえず、呼ばれた分は働いて来ます」
まさにこの時のために、彼はここに招かれたのだから。
前に出ながら右腕を戦闘形態に変えると、右手が深紅の鱗に包まれてさらなる異形と化し、右肩に翼が現れる。それを目の当たりにした兵士たちが息を呑んだ。
「あ……あれが《擬竜騎士》……」
「まさに……竜だな」
驚愕と畏怖の視線を背に感じながら、アルヴィーは無造作に右手を水平に振り抜く。
次の瞬間――放たれた光芒が屍兵たちの眼前の地面を一直線に薙ぎ、爆音と共に炎が弾けて、屍兵たちの先頭集団を呑み込んだ。
「おおっ……!」
リシュアーヌ兵たちの間から、どよめきが湧き起こった。
「す、凄い……まるで魔動兵装並みの威力じゃないか」
「見ろ! 効いてるぞ!」
明らかに数を減らした屍兵たちに、兵士たちの表情が明るくなる。
「行けるぞ! これなら……!」
「我々も、魔動兵装で援護するんだ!」
「照準合わせろ!」
兵士たちは急いで魔動兵装を屍兵たちに向け、狙いを定める。指揮官が腰の剣を抜き放ち、空に掲げた。
「よし、総員、魔動兵装放て!――我々の同胞の魂を、あの呪わしい死体から解放してやれ!」
「はっ!」
気迫のこもった声と共に、魔動兵装が咆哮する。放たれた光弾が屍兵たちのど真ん中に直撃し、さらに何体かの屍兵を吹き飛ばした。
そんな酸鼻を極める光景を身じろぎもせず見据えながら、指揮官は静かに口を開いた。
「感謝致しますぞ、《擬竜騎士》殿。――我々は今まで、自分の身を守ることに必死で、そのためにかつて仲間だったあれらを、何も考えずただただ吹き飛ばしてきた……だが今は、彼らを悼みながら、こうして送ることができる」
わずかに震えるその声に、アルヴィーは胸を突かれるような感覚を覚えた。
(そうか……この人たちにとっては、敵だけど、仲間だったんだ)
変わり果てた姿になってもなお、戦わされ続けるかつての仲間たちに、そして彼らを斃すことでしか救えないということに、ここにいる兵士たちがどれほど悔しさを感じたか――アルヴィーには、それが分かる。
左手で胸元を掴むと、そこに下げた識別票の硬い感触が伝わった。それもまた、自身が救えなかった戦友たちの残したよすがだ。
その時、兵士の一人が叫んだ。
「見ろ! また出て来たぞ……!」
「何て数だ……」
砦から吐き出されるように、屍兵の軍勢が進撃して来る。皮膚は変色して半ば崩れ、その表情は虚ろなままただその手に武器を掲げ、殺意すらなく襲い来る屍兵たち。砦にいたものたちも動員したのか、その数は百を優に超えた。死臭を纏い突き進んで来る死の軍勢に、兵士たちが息を呑む。
そんな彼らを守るように、アルヴィーは一歩進み出た。
(死んだ人間を、何だと思ってやがる)
彼の憤りに呼応するように、右肩の翼が朱金の光を強め始める。右腕に宿る熱を感じながら、それを振り払うように、アルヴィーはその腕を力強く振り抜いた。
「――《竜の咆哮》!!」
駆け抜けた光芒が大地を奔り、その軌跡が爆炎となって屍兵たちを次々と巻き込んでいく。炎が渦を巻き、腐肉が焼ける臭いと共に、耐え難い熱気をも周囲に振り撒いた。
「ぐっ、これは……!」
「下がれっ、離れろ!」
兵士たちが堪らず後退する中、アルヴィーは真っ向からそれらを受け止め、灼熱の戦場を見つめた。
炎の中で動く影はもはやなく、炎が爆ぜる音と熱風が奏でる風の音しか聞こえない。常人ならば肺腑を焼かれるほどの熱風に黒髪をなびかせながら、彼は自身の中の竜に問う。
「……アルマヴルカン、どうだ?」
『ふむ、主殿ならともかく、腐りかけの死人ではな。あの炎ではひとたまりもあるまい。骨が残れば良い方だろう』
「……そっか……」
痛ましげに目を伏せ、それでもアルヴィーは炎を収めなかった。翼の光と同じ、朱金の光を放つ炎は大地を舐めるように広がり、《竜の咆哮》の範囲外に横たわる遺体をも呑み込み始める。それはやがて一帯に広がり、そこで打ち捨てられたままの骸たちを包み込んでいった。
「これは……」
燃える大地、そしてその中に立つ片翼の少年――どこか荘厳さすら感じさせる光景に、兵士たちは声もなく立ち尽くす。
それは彼らにとって確かに、死者たちを大地に還す弔いの送り火だった。
◇◇◇◇◇
砦の外で起こった一部始終を、ラドヴァンは砦の中で眺めていた。
(やはり火竜の炎にはひとたまりもないか。死体であれば、是非とも手元に欲しいのだがな)
彼がいるのは、砦の一室、外からは見えない部分だ。外の様子は、レティーシャから借り受けた遠隔監視用のマジックアイテムを使って見ていたのだが、彼にとっては予想外なことに、アルヴィーがこの場に現れたのだ。
ラドヴァンは懐から通信用の水晶を取り出すと、軽く魔力を込める。
『――あら、ラドヴァン。何か変わったことでもありまして?』
「ああ。アルヴィー・ロイとやらが、こちらに来ている」
『まあ……』
レティーシャの涼やかな声が、愉悦を含んだように甘くなった。
『それは、是非とも連れ帰っていただきたいものですわね』
「無茶を言うな。俺の死霊術とは相性が悪過ぎる。誰か寄越してくれ」
『そうですわね……ではダンテ、いえ、メリエをそちらに送ります』
「あの小娘をか?」
『あの子はアルヴィーのことが好きですのよ。必死になって連れ戻してくれますわ』
笑みを含む声に、ラドヴァンは見えないと知りながらも肩を竦めた。
「恋愛事など、俺には分からん。そもそも生きた人間など、面倒で敵わんからな。死体の方がよほど、単純で分かりやすい」
『興味深い意見ですけれど、ゆっくり伺う暇はなさそうですわね。――メリエを一度こちらに呼び戻しますので、少しだけ時間を稼いでくださいな。そう長くは掛かりません』
「分かった。念のために持って来ておいた“あれ”を使おう」
通信を終えると、ラドヴァンは面倒そうに鼻を鳴らすと、部屋の撤収準備を始めた。監視用マジックアイテムを回収、持ち込んだものをすべて魔法式収納庫に仕舞い込むと、杖だけを片手に部屋を後にする。
彼は建物を出ると、砦の中庭に向かった。ここも惨劇の跡が色濃く残る有様だったが、ラドヴァンにとっては単に、広く便利な場所という認識である。
その中央付近で足を止めると、そこに巨大な魔法陣を描き始める。手早くそれを完成させると、彼は魔法式収納庫に手を差し入れた。
(……念のために持って来ておいて、正解だったか)
魔法式収納庫から取り出したのは、片手で持てるサイズの黒い箱だ。その蓋を開けて翳す。
「《解放》」
するとその場に、一頭の巨大な魔物の骸が現れた。ちょうど魔法陣の上に横たわる形だ。
ラドヴァンは愛用の杖を、魔法陣に突き立てた。
(……死体は焼き尽くされても、魂はまだその辺をうろついているはずだ。もう一働きして貰おうか)
冷徹にそう考え、彼は力ある言葉を紡ぐ。
「蘇れ。《操屍再生》」
すると、杖の黒水晶と地面の魔法陣が、共鳴するように同じ蒼黒の光を帯び始める。それに呼び寄せられるように、戦場から漂ってくるおびただしい数の光球。それらは蒼黒の光に絡め取られ、魔物の骸に吸い込まれていく。
やがて――息絶えていたはずの魔物が、ゆっくりとその巨体を起こした。
「さて……もう一暴れして貰おうか」
ラドヴァンの言葉に、魔物はもはや震えることのない喉の奥から、おぞましい咆哮をあげた。




