第56話 その剣に誓う
この日、ルシエルたち第一二一魔法騎士小隊には、市街地での巡回任務が充てられていた。
王都ソーマの市街地は、大きく分けて貴族が居住する区画と、平民の住宅地及び商業地区に分かれる。とはいえ、区画で担当する小隊が決まっているというわけでもなく、大体の小隊にはどちらの区画の巡回任務も平等に回ってくるのが基本だ(よほど普段の素行が悪ければその限りではない)。ルシエルたちも、貴族居住区画と一般の区画、どちらも回っているのでそこそこ道は知っている。
そして今日は、貴族の居住区画――それも王城に程近い、高位の貴族の邸宅が並ぶ辺りを巡回していた。
「……はーっ、やっぱこの辺りいつ見ても壮観!」
どこまでも塀が続き、時折堂々たる門構えが見られる道で、ジーンが感嘆の声をあげる。公爵や侯爵クラスの邸宅ともなれば、その辺の公共施設など比べ物にならないほど広大な敷地を持つのだ。それが見渡す限り並んでいるのだから、彼女の感嘆ももっともだった。
「でもこの辺りって、騎士団の詰所ないですよね」
「そりゃまあなー。高位貴族ともなりゃ、外聞にはすっさまじく気を遣うし、すぐ近所に騎士団の詰所なんかあっちゃ、かえって都合が悪いって家もちらほらあるんだとよ。あ、これ花街のおねーちゃん情報な」
「最後の一言は余計よ」
周囲を見回しながらのユフィオの疑問に、カイルが答えつつも余計な一言を付け加え、ジーンのツッコミが入る。安定の流れである。
「相手が高位貴族だと、騎士団としてもなかなか強くは出られないからね。逆に騎士団の領分に嘴を突っ込まれることはあるけど」
この間みたいにね、とルシエルが苦笑すると、どこか納得したような空気が漂った。良くも悪くも、この国では貴族の影響力が強いのだ。
閑静な一画は、各々の家の使用人や御用伺いの商家の人間が時折通る程度で、騎士団が出張るような事件などそうそう起きるはずもない。巡回とはいえ、さほどの緊張感もなく、ルシエルたちは談笑しながら決まったコースを歩いて行く。
(……ここは)
だがふと、その足が止まった。
「――隊長?」
気付いたシャーロットが振り返る。ルシエルはかぶりを振った。
「いや……大したことじゃない。ただ、例のドロシア様の実家が、ここだからね。セルジウィック侯爵家だよ」
「ああ、そういえば……」
隊員たちも、その広大な邸宅を眺める。国内でも有数の大貴族であるし、名前くらいは知っていたが、クローネル家の後継者騒動以降、件の邸宅前を通ったのはこれが初めてだ。
だが、門番がちらちらとこちらに目をやり始めたので、見物は切り上げることにする。
「……っと、あまり長居して変に勘繰られても困るな。巡回を続けよう」
「そうですね」
彼らが再び歩き出そうとした時――どこからか悲鳴のような叫び声が聞こえ、全員が一気に表情を引き締めた。
「今の……悲鳴みたいでしたね」
「この屋敷の方から聞こえたように思いますが」
ディラークが侯爵邸の方を見やるが、まさか勝手に立ち入るわけにもいかない。
「中央魔法騎士団所属、第一二一魔法騎士小隊だ。今、この屋敷の方から悲鳴が聞こえたが」
門番に話しかけると、門番もおろおろと、
「は、いや……その、騎士様とはいえ、許可なく門を開けるわけには――」
門番の言うことも道理ではあったので、ルシエルたちはどうしたものかと顔を見合わせた。侯爵家ほどの家格の屋敷に家人の許可なく踏み込むとなると、よほど急を要する理由が必要だ。
だが、その理由は向こうからやって来た。
「――誰か、助けてっ……!」
メイドらしきお仕着せを着た若い女性が、青ざめた必死の形相で駆けて来る。スカートの裾を景気良く翻し、侯爵家に仕えるメイドにあるまじきはしたなさだったが、そんなことを言っている場合ではないのは、そのエプロンやスカートに散った赤黒い染みを見れば分かった。
「おい、何があったんだ!?」
仰天した門番に、彼女はがたがたと震えながらへたり込み、
「デ、ディオニス様が……ディオニス様が、突然ご乱心を……! メイドが、き、斬られて……!」
「な、何だってえ!?」
門番が素っ頓狂な声をあげる。それを押しのけるようにして、ルシエルは門に向かった。
「あ、ちょっと、騎士様――」
「事態が急を要する場合、特に人命に関わる場合は、小隊長の判断で踏み込むことが許可されている。不服があるなら後日、騎士団の方に申し立ててくれ。――我々は中央魔法騎士団第二大隊所属、第一二一魔法騎士小隊。僕は小隊長のルシエル・ヴァン・クローネルだ」
「……クローネル家の……!」
さすがに門番も、主の娘が嫁いだ先は知っていたようで、戸惑いながらも門を開ける。ルシエルたちはそこから、敷地内に足を踏み入れた。
敷地内は一見平素と変わらぬであろう様子だったが、時折遠い悲鳴や怒声が聞こえる。それを目印にルシエルたちが向かった先からは、半分泣き顔になったメイドや、従僕たちが走って来るのが見えた。
そして。
「――こちらです、クリストウェル様! こちらから庭の方へ……!」
従僕たちに先導され、使用人に抱えられた母と共にその場に現れたクリストウェルは、ルシエルの姿を見て目を見張った。
「ルシエル、君……どうしてここに?」
「巡回中、この屋敷から悲鳴を聞いたもので。メイドの話から事態が急を要すると判断して、中に踏み込みました。騎士団にはその権限もありますので。――それで、状況は?」
ルシエルの問いに、クリストウェルはやや苦い顔になって、失神したまま使用人に抱えられた母を一瞥したが、
「まあ、事態がここまでになればやむなし、か……母上がどこかから剣を一振り買い入れてねえ。それを持った瞬間、兄上がおかしくなった。いきなりメイドを斬りつけて、そこからは剣を振り回して暴れてる。僕は母上ともども、何とか窓から脱出した体たらくだよ」
「剣……?」
ルシエルは眉をひそめた。盗難に遭った呪われた剣の情報は、すでに騎士団には行き渡っている。
「……もしかしてその剣は、一見宝剣か何かのような、派手な装飾がされていませんでしたか? 宝玉なんかも嵌め込まれて」
「知ってるのかい?」
クリストウェルが目を大きくし、対してルシエルは目を鋭く細めた。
「……隊長、それって」
「ああ、まず間違いないだろう」
カイルの囁きに答え、ルシエルは異母兄に向き直る。
「おそらくその剣は、少し前に民間のオークションに出品されるはずだった剣です。オークション前に盗難に遭い、騎士団が行方を追っていました。――その剣は以前に殺人事件を起こしたこともある、曰く付きの品です。持ち主を操って殺人鬼に変えてしまったこともあるそうで、騎士団には見つけ次第破壊するようにと命令も出ています」
ルシエルの説明に、屋敷の人々は息を呑んだ。クリストウェルの顔も青ざめる。
「そんな……! じゃあ兄上は!」
「まずは剣を手放させることです。――ご本人はどちらに?」
「あ、ああ……まだ屋敷に」
「分かりました」
ルシエルは頷き、部下たちに指示を出す。
「ディラーク、カイル、ジーン、クロリッドは各自散開、屋敷の人たちの避難誘導に当たれ。ユフィオは怪我人の救護、ユナはその護衛。シャーロットは僕の護衛だ。僕は異母兄上を制圧、剣を破壊する」
「了解!」
部下たちがそれぞれに散って行き、ルシエルも現場に向かおうとする。その背中に、クリストウェルが叫んだ。
「ルシエル!――兄上を助けてくれ。頼むよ」
「……最善を尽くします」
制圧自体は問題なくできるだろう。だが、ディオニスがどの程度剣の影響を受けているかが分からない今、安易な返答はできない。
短くそれだけ言い置いて、ルシエルはシャーロットを伴い、館へと駆け出した。
◇◇◇◇◇
初めて出会ったのは、何もかもを諦めかけた時だった。
メリエは、レクレウス王国の地方都市の生まれだ。
彼女が生まれ育った領地は、領主である貴族が重税を課していたため貧しく、少女でも十二、三で働き手とならなければ、生活が立ち行かないような家ばかりだった。そんな中、軍というのは給金が他の職に比べればまだしも高く、一定の年齢に達した少年、特に次男以下は、その給金目当てに志願するか、あるいは親によって軍に入れられる者が多かった。女であるメリエは、さすがに兵士として志願することはなかったが、仕事を転々とした後、その街にあった軍関係の施設で、雑事を担当する小間使いとしての職を得ることができたのだ。
だが――仕事にも慣れてきたある日、メリエは施設に駐留している兵士たちに襲われた。
レクレウス軍は基本、男社会だ。給金がそれなりといっても、頻繁に娼館などへ通えるほどではなく、ほとんどの兵士は女日照り。そんなところでうら若い少女が立ち働いていれば、目を付けられないわけがない。
彼女がいつものように仕事をこなしていたところ、いきなり数人の兵士に囲まれ、近くの人気のない通路に連れ込まれて床に押し倒された。手足を押さえ付けられ、口も塞がれて、メリエにできることといえば、涙を零しながら必死に呻くことだけ。
男たちはにやにやと下卑た笑いを浮かべ、一人が彼女に圧し掛かって服に手を掛ける。もう駄目だと、メリエはぎゅっと目を瞑った。
――どうせ、自分みたいな何の力もない小娘は、こうして奪われてばかり。
どれだけ抵抗しても、こうしてあっさりと押さえ込まれてしまうような、ちっぽけな存在でしかない――。
だが、次の瞬間。
メリエの上に圧し掛かっていた男が、悲鳴と共に吹っ飛んだ。
「――何やってんだ、あんたら」
聞こえてきた声に、メリエが恐る恐る目を開けると、そこに立っていたのは一人の少年。黒髪で、年はメリエとそう変わらない。彼の、炎を透かした琥珀のような朱金の瞳を、メリエは魅入られたように見つめた。
「何だ、てめえ!」
“お楽しみ”を邪魔され、激昂した兵士の一人が少年に掴み掛かる。だが彼は何と、その胸ぐらを掴むとそのまま右手一本で兵士を持ち上げ、軽々と放り投げた。先にメリエから引き剥がされて床に転がっていた同僚と激突し、もつれ合うように倒れ込む。他の兵士たちが明らかに怯み、メリエから手を離してわずかに後ずさった。
「――おい、大丈夫か?」
「う、うん……」
その隙を突くように、少年は兵士たちの間に割って入ると、何とか起き上がったメリエを背に庇うようにして兵士たちと対峙する。背中越しにかけられた声に、メリエは見えもしないのに何度も頷いた。
「……おい、あいつ……!」
と、兵士の一人が少年を――正確にはその右手を指差す。袖口から覗く右手は、血のような紅に染まっていた。
「こいつもしかして、中央から来た……」
「あの、特務少尉とかってやつか?」
「何だと? おい、やべえよそれ」
顔色を変えて兵士たちが囁き合い、慌てて逃げ去って行く。放り投げられて呻いていた兵士たちも、転がるようにしてそれに倣った。いくら尊大な態度を取っていようと、あくまで兵士でしかない彼らは、曲がりなりにも士官であるこの少年に睨まれることを恐れたのだ。
「……ふん、小せえ奴ら」
吐き捨てた少年は、メリエを振り返る。
「今のであいつらもしばらくはおとなしくなるだろ。けど一応、上にも報告しとけよ。ほとぼり冷めたらまたやるぜ、あいつら」
「あ――うん。あ、あの……!」
礼を言おうとメリエが口を開きかけた時、バタバタと足音が聞こえた。軍施設には似つかわしくない、白衣を羽織った男が顔を出し、少年の姿に表情を緩める。
「――ああ、ここにいたのか! 探したぞ! 体調が安定しているとはいえ、勝手に出歩いちゃいかんだろう!」
「別に、ここの中くらいなら……」
「万が一ということもあるだろう。さ、部屋に戻るぞ」
「あ……」
メリエが引き留めるよりも早く、白衣の男は少年を引っ張って行ってしまう。
そしてそのまま、もう一度言葉を交わすことは叶わず、少年はその翌日にこの施設を後にした。
――彼が、軍の極秘計画《擬竜兵計画》の被験者であったこと、そしてその術後の経過確認と性能評価を兼ねて、この街の近くに出没する魔物を倒しに来たことを、メリエは後から――皮肉にも、彼女自身が《擬竜兵》として生まれ変わった後で知った。彼女もまた、被験者探しのため国内の軍関係施設を巡っていた研究者たちの目に留まり、スカウトされて応じたのだ。
あの少年と、同じ場所に立つために。
……もっとも、同じ《擬竜兵》仲間として再会した彼は、何かよほどショックなことでもあったのか、表情に精彩を欠き、メリエのことも忘れていたようだったが。
それでも同じ異形の腕と力を得、同じ場所に立っていられるだけで良いと、メリエは思った。
これから僚友として、隣に立っていられるのだから、と。
あの日、炎に包まれたレドナの街で、その生を一度終えるまでは。
◇◇◇◇◇
響き渡った声の余韻と、空に浮かび上がった魔法陣が消えても、その場にいた人々は凍り付いたように動けなかった。
「クレメンタイン帝国、だと……そんな馬鹿な」
「と、とにかく捕らえろ! 建物の上にいるあの女もだ! 他国からの賓客も多数いるのだぞ、このままでは我が国の沽券に関わる!」
はっと我に返った小隊長が、急いで指示を出し始める。その声に、メリエが嗤った。
「捕まえる? あたしたちを? やれるもんならやってみれば?」
その左手から、暗紅色の剣が伸びる。アルヴィーのそれとよく似た《竜爪》――それを振り翳し、メリエが一歩踏み込んだ。
「んじゃ――行くよっ!」
とん、と地面を蹴り、一気に肉薄してくる彼女を、アルヴィーはやはり《竜爪》で迎え撃つ。りぃん、と、刃が噛み合うものとは思えない、玲瓏と澄んだ音が響いた。
「っ、こっちは俺が相手する!」
背後の騎士たちに鋭い声を投げ、アルヴィーは自身も踏み込みざま、右腕に力を込めてメリエを弾き飛ばした。
(生き返ったとか何とか、詳しい事情は分かんねーけど……だからって、好き勝手させるわけにいくか!)
思いがけない再会に、動揺していないと言えば嘘になる。
かつてあのレドナの街で、自身が手に掛けた形となった彼女の姿に、罪悪感が胸を刺す。
それでも。
(今の俺は、ファルレアンの騎士なんだ……!)
だから、そのすべてを飲み下し、アルヴィーは彼女に剣を向ける。
ファルレアンの騎士として。
「ととっ……やっぱ剣は苦手だなぁ」
「ああ、そうかよっ!」
彼女が体勢を崩した機を逃さず、アルヴィーの追撃。身体ごと捻るように、斜め下から斬り上げる。メリエがそれを自身の《竜爪》で受けた瞬間、アルヴィーの《竜爪》が赤い輝きと熱を放った。ピキン、とかすかな音に、メリエが目を見張る。
「うそ! 何これ!?」
アルヴィーの《竜爪》が、メリエのそれにわずかながら食い込んでいたのだ。慌てて剣を引き、飛び退るメリエ。
はっきりと刃毀れを生じさせた《竜爪》に、だがメリエは高揚したように笑みを浮かべた。
「そっかー……アルヴィーの剣は、あたしのより強いんだ。――だったら!」
ぺろりと唇を舐め、彼女は左腕を振り抜く。放たれた《竜の咆哮》を、アルヴィーは《竜の障壁》で何とか防いだ。
(くそ……こんなとこで何発もぶっ放されちゃ、俺は良くても周りが……!)
広場の周囲には取り囲むように建物が建っている。メリエは遠慮なく《竜の咆哮》を撃ちまくれるが、アルヴィーの方はそうはいかない。そもそも、城内に侵入を許した時点でこちらが圧倒的に不利なのだ。せめてもっと開けた場所に移れれば――。
そう考えた時、脳裏に閃いた場所があった。
(そうだ、あそこなら!)
思い付いた場所は、しかしここからはやや距離がある。何とかそこまで、メリエを誘導しなければならない。
アルヴィーは地を蹴り、《竜爪》で斬り付ける。迎え撃つメリエ。二度、三度と刃が噛み合い、高く澄んだ剣戟の音が響く。
「……んもう、これ邪魔!」
数度の打ち合いの後跳び離れたメリエは、足に纏わり付く長いスカートを引き千切った。ショートパンツにロングブーツといういつもの格好に落ち着いて、猫のように菫の瞳をきらめかせる。
「これで良し、と。――じゃあアルヴィー、行っくよー!」
楽しげな声と共に放たれた《竜の咆哮》を、《竜の障壁》で防ぎながら、アルヴィーはこっそり《伝令》の魔法を組み上げる。
「――伝えよ、《伝令》!」
目的の人物に《伝令》を飛ばすと、アルヴィーはメリエの攻撃が途切れた一瞬を狙い、反攻に転じた。
(とりあえず、向こうの準備ができるまで時間を稼がないと……な!)
彼が撃ち放った《竜の咆哮》は、メリエではなくその足元の石畳に炸裂した。爆音、そして噴き上がる爆炎と土煙、石畳の破片。
「きゃっ!?」
反射的に顔を庇うメリエ――その隙を突き、炎と土煙を突っ切ったアルヴィーは《竜爪》で斬り掛かる。土煙を煙幕に使い、接近戦に持ち込むのが彼の狙いだった。
(利き手が逆だから、受け身じゃやり難い。けど逆にこっちから攻めれば!)
攻撃を受ける側は、どうしても相手の利き手に合わせる形になってしまうので、調子が狂ってしまう。だが逆に自分から攻めれば、少なくとも最初の一撃を相手は受けざるを得ない。そこから有無を言わせず、自分のペースに持ち込んでしまえば良いのだ。
そして接近戦に持ち込めば、《竜の咆哮》もある程度封じられる。先ほどの数合の打ち合いから、アルヴィーはメリエの剣の腕についてある程度見当を付けていた。一応は手解きも受けたのだろうが、おそらく護身程度だ。彼女はやはり“以前”と同じく、《竜の咆哮》の威力にものを言わせた、力押しの戦法を好んでいるようだった。
対するアルヴィーは、まだ中途ではあるものの、弛まず剣の鍛錬を積んでいる。ならば、自分の得手に持ち込むのは必然だった。
「……っ!」
あっという間に防戦一方に追い込まれ、メリエの表情から余裕が消えた。ぎり、と噛み合った《竜爪》――だが、アルヴィーのそれは内側から熾火のような光と熱を放ち、メリエの《竜爪》を少しずつ、だが確実に食い破っていく。
「こっ……のぉっ!」
半ば無理矢理にアルヴィーを突き放し、やっと距離を稼ぐ。すかさず《竜の咆哮》。アルヴィーの《竜の障壁》に阻まれはしたが、とにかくその猛攻を何とか凌ぎ切ったことに息をついた。
「――よし、足を止めたぞ! 銃士及び魔法銃士、撃て!」
そこへ、周囲に展開した騎士たちからの一斉射撃。アルヴィーがメリエを食い止めている間に、周辺の建物などの物陰に身を隠し、準備を整えていたのだ。
「うわっと!?」
アルヴィーは号令を聞くが早いか、上空に跳び上がって何とか逃れた。残されたメリエ目掛けて殺到する銃弾と魔法――しかも全方位からの攻撃だ。
とっさに対応できず動きが止まった彼女に、それらが猛然と襲い掛かる――!
瞬間。
メリエの周囲に無数の小型魔法陣が展開し、攻撃をすべて受け止めた。
「油断は禁物でしてよ、メリエ」
その場に唐突に姿を現したレティーシャに、メリエは口を尖らせる。
「油断なんかしてないわよ。あれくらい、どうってことないんだから」
「負わずとも良い損害をあえて負うのは、愚者のすることです。――それはそうと、アルヴィー。久しぶりですわね。息災なようで、何よりですわ」
にこりと艶やかに微笑みかけてきた彼女を、着地したアルヴィーは呆然と見返す。
――あの声、口調、そして面影は。
「……シア……?」
掠れた問いに、レティーシャは満足そうに頷いた。
「ええ。“シア・ノルリッツ”は、わたくしがレクレウスに潜入するに当たって使った偽名ですわ」
「だ……って、シアはもっと年上……」
アルヴィーの知る“シア・ノルリッツ”は、四十代半ばほどの女性だった。だが眼前にいる彼女は、どう見ても二十歳そこそこ。混乱して立ち尽くすアルヴィーに、彼女はくすくすと笑う。
「そうですわね。それについても、後ほど教えて差し上げます。ですからいらっしゃい、アルヴィー」
差し伸べられた白い手を、アルヴィーは一瞥し、そして群青の双眸を見据えはっきりと言い切った。
「行かない。俺はファルレアンの騎士だから」
突き付けられた拒絶に、レティーシャはため息をつく。
「……仕方がありませんわね」
手にした杖を掲げる。アルヴィーが身構えた時――その頭上と足元に、魔法陣が浮かび上がった。
とっさに飛び退こうとしたが、それより早く魔法陣から迸った鎖が、アルヴィーの手足を戒める。《晶結鎖牢》――かつてセリオがアルヴィーに対して使ったことがある魔法だ。
「っ、くそ……!」
それに気を取られた、ほんの一瞬。
「――つっかまーえた」
ずぶり、と。
メリエの《竜爪》が、アルヴィーの右脇腹から背中までを突き通していた。
「ぐ……っ」
がくり、と折れかけた膝を、懸命に踏ん張る。その身体を抱き留め、メリエは微笑んだ。
「大丈夫だよ、アルヴィー。後でポーションで治してあげるし……もしダメでも、シアが生き返らせてくれるから」
痛みの中で、アルヴィーはその声を聞いた。手足を戒めた鎖の感覚が消える。竜の素材を使った武器と同じく、《竜爪》で負わされた傷は、竜の細胞の回復力をもってしても即座に塞がることはない。もはや抵抗する余力はないと、レティーシャは踏んだのだろう。
揺らぐ視界の中の空を、小さな影が横切る。翼を広げた小鳥。
――それこそが、アルヴィーが待っていたものだった。
「……捕まえ、たってのは……こっちの、台詞だ……っ!」
左手で、メリエの左腕をきつく掴む。右腕を大きく引く。
「え?」
メリエが目を見開いたその瞬間――アルヴィーは半ば殴り付けるように、自らの《竜爪》を彼女の左肩に突き込んだ!
「あ――」
彼女の悲鳴を断ち切るように、アルヴィーは叫んだ。
「……セリオ!!」
「転移先座標、北西に四ケイル! 敵性反応、付近に無し――導け、《転移》!!」
アルヴィーの叫びと共に、その足元に出現した魔法陣。それが、セリオの詠唱と共に輝きを増し、アルヴィーたちを光に呑み込んで消える。
そして、
「薙ぎ払え、《烈風重刃》!」
二人が消えたその空間を斬り裂くように、烈風が駆け抜けた。
「…………」
詠唱すらなく、レティーシャは自身の周囲に魔法陣を展開、烈風を受け流す。
「……あの二人はどこへ?」
「さあ、言う義理はないな。――今度はこっちとお相手願おうか」
抜身の魔剣《オプシディア》を片手に、ジェラルドが凄絶に笑う。対するレティーシャは耳に手をやり、楚々とした笑みのまま口を開いた。
「ダンテ。少し、手伝ってくださいな」
『仰せのままに、我が君』
そして、彼女の傍らに生まれる光。それは、一人の青年の姿を残して消える。
「一仕事終えたばかりなのに、ごめんなさいね、ダンテ」
「とんでもございません。――久しぶりにまともに戦えそうで、嬉しい限りです」
魔剣《シルフォニア》を抜き、ダンテは楽しげに目を細める。ジェラルドは背後に控えるパトリシアとセリオに指示を出した。
「剣士の方は俺が当たる。おまえたちは女の方だ。セリオ、魔法で牽制しろ。パトリシアは援護だ」
「了解しました」
「了解です。アルヴィーの方は今、《スニーク》に追わせました。位置は捕捉できます」
パトリシアが刺突剣を抜き、セリオも杖を構える。その時。
「――それ、俺も混ぜてよ」
不意に割り込んだ声と共に、鋭く尖った氷柱が、レティーシャたちの頭上から雨霰とばかりに降り注いだ。レティーシャは魔法でそれを難なく防いだが、防御魔法の範囲から外れたものは、易々と石畳に突き立つ。その威力に、ジェラルドたちは目を見開いた。
「誰だ?」
ジェラルドの問いに、返事の代わりにその隣に並んだのは、一人の小柄な少年だ。鈍色の髪、翠緑混じりの蒼い瞳。彼はその大きな瞳を鋭く細め、レティーシャたちを見つめる。
「ユーリ・クレーネ。一応ヴィペルラートの人間だけど、貸し借りはナシでいいよ。――ヴィペルラートとしても、あいつらには用があるから」
ユーリが右手を差し伸べると、虚空から澄んだ水が湧き出し、その腕に纏わり付くように絡まる。ジェラルドは、その名に聞き覚えがあった。
「……なるほど、ヴィペルラートで名高い水の高位元素魔法士殿か。そっちの用ってのは、訊かない方が良いんだろうな」
「うん、そうしてくれると嬉しい」
ほとんど表情を動かさないままそう頷くと、ユーリは水を“呼ぶ”。城の地下や周辺に存在する水脈、そこに存在する水の精霊たちがその呼び掛けに応え、彼の周囲にはほんの一瞬で水が渦巻いた。
「ほう、こりゃまた大したもんだ。――じゃあ、俺の部下を手伝ってやってくれると有難いんだが」
「りょーかい。じゃ、行こっか」
ユーリが右手を軽く打ち振り――次の瞬間、撃ち放たれた渦巻く水を戦いの嚆矢として、ジェラルドたちは地を蹴った。
◇◇◇◇◇
――憎い。
ディオニスは、自分を突き動かすその感情のままに、手にした剣を振るう。
その剣先が何を斬り裂こうと、もはや彼の理解の外だった。たとえそれが重厚な扉であろうと、壁際に飾られた高価な調度品であろうと――人の身体であろうと。
ただ、自分から何もかもを奪った(と思い込んでいる)異母弟への憎しみが、剣に元々具わっていた呪いじみた力と結び付き、彼から正常な判断力というものを奪い去っていた。
「……どこだぁ……薄汚い、妾の子がぁ……!」
呪詛のようにそう繰り返しながら、彼は剣を振り回し、邸内を徘徊する。その進路の先に、不運なメイドが腰を抜かして座り込んでいることなど、ディオニスの知ったことではなかった。ただ、邪魔な障害物としか認識せずに、彼は剣を振り上げる。
「ひっ……!」
引きつった悲鳴をあげるしかできず、凍り付いたように動けないメイドの頭上に、刃が振り下ろされる――。
「――そこまでです、異母兄上」
だがその刃は、落ち着いた声と共に掲げられた、澄んだ赤の刃に受け止められた。
「……シャーロット、彼女を!」
「はい!」
メイドの救出をシャーロットに任せ、ルシエルはディオニスの刃を押し返す。
(……どうやら、これも魔剣の類か……一体どういう経緯で、ここまで厄介な能力になったかは知らないが)
噛み合う刃の下、ルシエルの姿を捉えたディオニスの濁った双眸が、次第に大きく見開かれた。
「……貴様かぁぁ!!」
咆哮のような叫びと共に、ディオニスが遮二無二斬り掛かってくる。それを落ち着いて捌きながら、ルシエルは目をすがめ、ディオニスの状態を確かめた。
(錯乱状態……だが、僕のことは認識しているらしい。ある程度の自我は残っているということか。問題は、剣との結び付きの深さだ。この剣がどの程度、精神状態に影響を及ぼしているか……)
ディオニスはまるで、疲れなど知らないようにひたすら刃を叩き付けてくる。騎士学校を退学して以来、剣など扱ったこともないはずなのに、それを感じさせない猛攻だ。これもまた、剣が影響を及ぼしているのだろうと、ルシエルは見当を付けた。
(……やっぱり、剣を手放させるのが最優先か)
ルシエルは受け身の剣を止め、攻勢に転じた。ディオニスが握る剣を弾き飛ばすように、横殴りに剣を振り抜く。
だが、剣はまるで吸い付くかのごとく、ディオニスの手から離れなかった。よほど固く握り締めているのか、あるいはこれも剣の力か。
(となると……折るしかないな)
もし剣そのものがディオニスの精神に何らかの影響を及ぼしていた場合、折ってしまうとディオニス側にも累が及ぶ危険性があったが、このまま放っておくほうがよほど危険なので、背に腹は代えられない。
「……《イグネイア》」
愛剣の銘を呼び、その裡に眠る力を呼び起こす。赤い輝きを帯び始めた剣を構えた時、ディオニスが唸った。
「おまえが……おまえさえいなければ……! すべては、わたしのものだった……!!」
その怨嗟の声を、ルシエルは黙って受け止める。
たとえ誰に憎まれようと、どんな誹りを受けようと。
自分は、すでに歩むべき道を決めたのだ。
親友を守れる力を手に入れる対価として、数多の領民の命と生活を背負うと。
「……異母兄上。僕はあの頃、あなたたちと話をしようとはしなかった。その暇も惜しんだ。その結果がこれだというなら、確かにあなた方には僕を憎む権利も、理由もある。それでも」
戻れない過去を惜しんだところで、今が変わるわけではないのだ。
それよりも、未来を変えるために今、足掻く。
「これだけは、譲れません」
踏み込み。先ほどと同じように、剣の横腹を狙う形で《イグネイア》を振るう。先ほどと違うのは、《イグネイア》が起動しているということ。
常軌を逸した強度と切れ味を誇る竜鱗の剣は、まるで小枝を斬り飛ばすようにあっさりと、呪いの魔剣の剣身を斬り折った。
「ぐあっ……!」
ディオニスの呻き声。だが、剣身を斬り飛ばされても、剣はまだ彼の手から離れない。ルシエルは返す刃で、剣の柄を飾る宝石も真っ二つに斬った。
「が――あ」
今度こそ、柄がディオニスの手を離れ、硬い音と共に床に転がる。そしてディオニス本人も、精根尽き果てたようにその場に昏倒した。
息があること、目立った外傷などがないことを確かめ、ルシエルは息をつく。
(そういえば、宝石にも怨念のようなものが宿るというし……剣そのものと宝石が、妙な具合に干渉し合ったのかもしれないな)
まあ、その辺りは後で解析でもすれば分かるだろう。剣身も宝石も真っ二つになっているため心配は無用だろうが、ルシエルは用心のため、素手で触れないようにハンカチを使って剣の残骸を回収すると、魔法式収納庫に入れた。報告時に提出すれば良いだろう。
(それにしても……どうしてこんなものが異母兄上やドロシア様の手に渡ったのか、その辺りも調べないと)
その疑問を脳裏に刻み込むと、ルシエルは《イグネイア》を鞘に納め、身体強化魔法を起動すると、異母兄の身体を担ぎ上げて歩き始めた。
◇◇◇◇◇
轟々と渦巻く水が、レティーシャとダンテを分断するように蠢く。右手で大量の水を自在に操りながら、ユーリは左手を虚空に差し伸べた。水の一部が惹かれるようにそちらに伸び、分裂しながら一瞬で凍り付いて槍の穂先のように鋭く尖る。
そのまま左手を打ち振ると、氷の槍はレティーシャ目掛けて一斉に襲い掛かった。
レティーシャは微笑みを絶やさぬまま、魔法陣を生み出してそれを受け流す。標的を捉えることなく駆け抜けた氷の槍は、その背後で渦巻く水に呑み込まれ、その一部に戻った。
「なるほど……無駄のないことですわね」
「余所のお城あんまり壊しちゃまずいしね」
戦いの最中にも、表情を変えることなく、ユーリは淡々と言う。おかしげに笑ったレティーシャの背後に、その時パトリシアが素早く回り込んだ。
「少し借ります!」
パトリシアは自らの剣を周囲の水の壁に潜らせ、振り抜く。飛沫が鋭い針となり、レティーシャの顔を目掛けて飛んだ。
「あら」
それにも余裕を崩さず、レティーシャは風を生み出した。吹き荒れる風が針を吹き散らす。
だがそれは、囮に過ぎなかった。
「凍て付け――《氷界の墓標》!」
セリオの魔法が発動し、氷塊がレティーシャの周囲に突き刺さる。そこへ、ユーリの操る水が巻き付き、包み込むように凍り始めた。セリオ単体で発動した時より数段早く、巨大な氷の牢獄が完成する。
だが――それは数秒後、粉々に砕け散った。
「うわぁ……あそこまであっさり壊されると、もう笑うしかないよね」
投げやりに言うセリオに、ユーリが首を傾げる。
「意外と余裕だね?」
「とんでもない。――余裕はあっちの方だよ」
彼の言う通り、レティーシャは笑みを浮かべたまま、水の壁に囲まれた空間の真ん中に佇んでいる。
と、彼女は不意に、優雅に一礼した。
「少し遊ばせていただきましたが――用も済みましたし、わたくしはこれで失礼致しますわ。お転婆な“娘”を、連れ帰らなければなりませんの。それでは、御機嫌よう」
にこり、と微笑んで彼女が取り出した水晶が、突然眩く輝く。思わず目を庇った三人が、次に目を開けた時には、レティーシャの姿は忽然と消えていた。
一方のジェラルドとダンテの方は、数合打ち合っては距離を取ることを繰り返し、互いの腕を推し測りながら戦っていた。
「――久しぶりだなあ、こうして実際に打ち合うのは。大体が《シルフォニア》を振るだけで片が付いてしまうから、正直腕が鈍りそうで」
「確かに、楽をし過ぎると良くねえよなあ!」
黒と銀の刃が、甲高い音と共に噛み合う。ダンテが楽しくて仕方ないというような笑みを浮かべた。
「いい音だ」
銀の刃が滑り、黒い刃を受け流す。対するジェラルドは、逆らわず踏み込みながら、石畳に強く靴底を打ち付けた。
「――戒めろ、《地鋭縛針》!」
そしてすかさず飛び退く。地面から飛び出した石の針がダンテを襲い――そして残らず斬り払われた。
「……そういえば、あなたは魔法も使えたんでしたっけ。危なかった」
「余裕で全部斬り飛ばしといて、言うじゃねえか」
にやりと笑って、ジェラルドは再度《オプシディア》を構える。ダンテも《シルフォニア》を構えた。周囲を轟々と巡る水の音すらも、今の彼らの耳には入っていない。
静止は一瞬。ほぼ同時に、二人は地を蹴った。
異色の刃がぶつかり合い、火花を散らす。二合、三合。高く響く金属音は、まるで剣同士が咆哮しているかのようだ。
もっと速く、もっと強く。
眼前のこの相手を喰らうべく、二人は剣を振るう。互いの刃が牙を立て合い、互いを噛み千切らんと軋む。
(――ちっ、やっぱり純粋な腕は、向こうさんの方が上か……!)
それでも剣を合わせ続けていれば、互いの腕の程は分かるものだ。ダンテが手を抜いているとは言わないが、それでもまだ余裕を持って自分に相対していることに、ジェラルドは気付いていた。魔法で不意を突いて、何とか食い下がっているようなものだ。
「……大したもんだぜ。この国でなら特級クラスだ。何ならこっちに乗り換えるか?」
飛び離れ、体勢を整えると、ジェラルドはそう軽口を叩く。ダンテが一礼した。
「お褒めに与り光栄です。ですが僕は、この剣に我が君への忠誠を誓っていますので。――せっかく腕の立つ方と剣を交わせたのは嬉しいですが、どうやらそろそろ時間のようですので、僕はこの辺で失礼させていただきます」
「時間?」
ジェラルドが訝しげに眉をひそめ――その瞬間、水の壁で隔てられた向こう側が眩く輝いた。
(何だ!?)
思わず、そちらに一瞬目を向けてしまう。そして向き直った時、ダンテの姿はすでに消えていた。
「転移で逃げやがったか……くそ、光に釣られた」
自身の失態に舌打ちした時、前触れなく水の壁が解ける。ばしゃん、と地面に跳ねた水は、次の瞬間空中に消え、後にはジェラルドたちのみが残されていた。一つ息をついて剣を鞘に納め、パトリシアに尋ねる。
「あの女はどうした」
「申し訳ありません。転移で逃げられました」
「こっちもだ。――しかし、散々やってくれやがったな、あいつら」
ジェラルドは広場の惨状に顔をしかめた。美しい石畳はもはや見る影もなく、あちこち抉られて酷い有様だ。まあ、周囲の建物に目立った被害がないのは幸いだが。
しかし一番の問題は、よりにもよって王城という最重要拠点に乗り込まれ、好き放題暴れられた挙句犯人を取り逃がしたという事実だ。こればかりは騎士団の体面のためにも、“取り逃がした”ではなく“撃退した”という形で押し通すしかあるまい。頭の痛いことである。
「とりあえず……残る問題はアルヴィーだな。セリオ、飛べるか」
「座標は保存してありますし、片道なら問題ありません」
片眼鏡型の魔動端末を弄りながら、セリオが請け負う。ひとまず頭の痛い問題は先送りにして、ジェラルドはアルヴィーの方を優先することにした。
「……じゃ、俺ここで抜けるね」
「ああ、協力に感謝する」
「別にいいよ。――その代わり、そっちの《擬竜騎士》に、後で話聞きたい。多分、ヴィペルラートが欲しい情報を持ってるから」
交換条件というわけだ。ジェラルドは頷く。ヴィペルラートという国名で、彼の用件にも見当は付いた。訊かないとは言ったが、何も知らないとは言っていない――と屁理屈のようなことを考えながら、ユーリの小さな背中を見送る。
(これが片付いたら、最優先で報告だな)
そう予定を立てつつ、ジェラルドはセリオに呼ばれるまま、展開した魔法陣の中に足を踏み入れた。
◇◇◇◇◇
眩い光が消えると、そこはだだっ広い平原のど真ん中だった。
地面に崩れるように片膝を突きながら、アルヴィーは荒い息の下笑う。
「……はは、さっすが……!」
そこは、騎士団が訓練に使う演習場だ。重装騎馬隊や魔法戦の訓練も行うため、王都にありながら広大な敷地を持つここなら、多少《竜の咆哮》で吹っ飛ばしても大丈夫だし、周囲に影響もない。アルヴィーも曲がりなりにも騎士団所属である以上、その存在は知っていたし、《竜の咆哮》の実演のため訪れたこともあるのだ。
あの時アルヴィーが《伝令》を飛ばしたのは、転移魔法を得意とするセリオだった。メリエの動きを何とかして止めるので、その隙に二人纏めて騎士団の演習場に転移させて欲しい――アルヴィーのそんな無茶振りを、セリオは不足なく果たしてくれた。
……ただ、動きを止める際にここまでの傷を負わされたのは、少々予想外だったが。
「っ……く、う……!」
左肩を串刺しにされたメリエが呻く。その肩から《竜爪》を引き抜き、何とか飛び退いて距離を取ると、アルヴィーは《竜爪》を赤熱させ、脇腹の傷へと押し当てた。
「ぅぐっ……!」
全身を貫くような痛みに生理的な涙が零れ、血の鉄臭さと肉の焼ける臭いが鼻腔を掠める。だがとにかくこれで、ひとまずの止血はできた。魔法式収納庫からポーションを取り出している余裕などない。命を拾うためには、形振り構ってなどいられないのだ。
「……ここなら、周りに気ィ遣う必要もないぜ……続き、やってやろーじゃん」
滲んだ涙を拭い、アルヴィーは《竜爪》をメリエに向ける。呼吸は荒く、ともすれば持ち上げた右腕も震えそうだが、それでも朱金の瞳に宿る、炎のような光は弱まっていない。
一方のメリエは、左肩の負傷のせいで上がらない左腕を、右手で支えて何とか持ち上げる。
「……何で……?」
その顔が、泣きそうに歪んだ。
「何で、こっちに来てくれないの……!? あたしはただ、アルヴィーと一緒にいたいだけだよ!!」
あの日、助けられた時から胸の中で温め続けた、彼への想い。それは彼女の魂をこの世に繋ぎ止める縁となり、二度目の生を掴む力となった。
メリエの心が、魂そのものが、彼を求めてやまないというのに。
悲痛にさえ聞こえるその叫びに、アルヴィーはわずかに目を見張る。だが、その双眸に宿る光は揺らがない。
もう、決めているから。
「俺が、俺自身が考えて、決めたからだ。――俺はファルレアンの騎士だ。そうなるって決めた。だからそっちには行かない」
決めて、誓った。
親友のために捧げた、この剣に。
そして、自分自身に。
「……アルヴィーのばかぁっ!!」
菫色の双眸から、ついに涙を溢れさせながら、メリエは絞り出すような叫びと共に《竜の咆哮》を撃ち放つ。その心に荒れ狂う感情を吐き出すかのように、矢継ぎ早に。
「もういいもん、アルヴィーの意見は聞かない!――殺してでも、一緒に連れて行くんだから……!」
連射される《竜の咆哮》を、アルヴィーは地を駆け抜け躱す。足を止めて障壁で防御するよりも、そちらの方が動きが取れる分まだましだ。ただ、本調子ではないので長くは保たない。早めに勝負を決める必要があった。
「……っ!」
未だ痛みを訴える脇腹の傷を努めて無視しながら、アルヴィーは《竜の咆哮》の間隙を縫うようにメリエに迫る。彼女が目を見開くのが、やけにゆっくりと見えた。
「あ――」
左腕を支えた右手から力が抜ける。重力に引かれるまま落ちて行く左腕――その瞬間、彼女は反射的に《竜の咆哮》を放っていた。
光芒が地面に突き刺さり――爆発。
「うわっ……!」
「きゃあ!」
二人のちょうど中間地点で炸裂した爆発は、地面に深い傷を穿ち、爆風が二人をそれぞれの方向に吹き飛ばした。
「ちっ……!」
体勢を崩しかけながらも、何とか地面に着地し、アルヴィーはメリエの方を見やる。彼女もまた、地面に半ば座り込むようにしながらも、爆発に巻き込まれるのは免れたようだった。
乱れた長い髪の間から、メリエの瞳がアルヴィーを見つめている。よろめきながら立ち上がった彼女は、何かを言おうと口を開きかけた。
『――潮時です。退きなさい、メリエ』
しかしその時、彼女の耳に涼やかな声が響いた。
「シア……何で! アルヴィーを連れてっていいって、言ったじゃない!」
『怪我をしているでしょう。早く治さないと、痕が残りますわよ? 焦らなくても、機会はこれからいくらでも作って差し上げます』
「…………!」
未だに血が滴る左肩を押さえ、メリエは唇を噛む。
「……分かったわよ!」
吐き捨てるようにそう言って、彼女はアルヴィーに向き直った。
真っ直ぐにこちらを見つめる、朱金の瞳。
――いつかそれごと、彼を手に入れる。
その思いを眼差しに込めてもう一度だけその姿を見つめると、メリエは血に染まった右手で、転移用のアイテムを取り出した。魔力を込め、作動させる。眩い光に目を閉じた。
「……行った、のか」
メリエの姿が光に包まれて消えるのを見届け、アルヴィーの膝ががくりと折れた。傷口を焼いただけの雑な止血では、体内での出血まではどうしようもない。ぐらりと視界が回った。
(……あ、やべ……)
倒れる――と思った時、背後に生まれた気配と足音。
「……おいアルヴィー、大丈夫か――」
倒れ込んだその背中を、誰かに受け止められたと感じたのも束の間、アルヴィーの意識は急速に遠退いていった。




