第53話 希求
ヴィペルラート帝国は《夜光宮》、その玉座の間で、皇帝ロドルフ・レグナ・ヴィペルラートは口火を切った。
「――それで? 我が軍のモルニェッツ方面国境守備部隊を全滅させた犯人は、まだ分からないのか?」
「は……申し訳ございません。ユーリ様からの情報以上のことは、まだ掴めておりません」
はかばかしくない報告に、ロドルフはふん、と鼻を鳴らして玉座に背を預ける。
「確か、炎を操る高位元素魔法士クラスの女、ということだったが……現在、高位元素魔法士として国が認めている魔法士の中で、炎を使う者はどれほどいる?」
「現在存命の者であれば、ファルレアンでこのほど認定された《擬竜騎士》のみとなります。そもそも、高位元素魔法士として認定されている存命中の魔法士が、大陸全土で見ましても十人に届かぬ数でございますので」
「ほう……ずいぶん少ないな」
「何しろ高位元素魔法士となるには、高位精霊や竜など、強大な力を持つ人外種族の加護が必要となりますので。彼らと誼を結ぶこと自体が、至難の業でございます」
「なるほど、それも道理か」
人間とは在り方からして違うのだから、親しくなろうとしてなれるものでもないのだ。
むしろ――かつてそれを求め、そして失敗した先人の負の遺産が、この国の国土をわずかずつ、だが確かに蝕み続けているのだから。
「まあ、我々にはユーリがいる。それだけでも充分僥倖なのだろう。あまり欲を掻くとろくなことにはならん。過ぎた力を求めて失敗した結果が、あの忌々しいエンダーバレン砂漠だ」
吐き捨て、ロドルフは顎に手をやった。しばし考え、思考を纏める。
「……そのファルレアンの《擬竜騎士》とやら、どういう魔法士だ?」
「は、調査によれば、やはり戦闘に特化した魔法士であると。元々火系統の魔法士は攻撃魔法の使い手が多うございますが、《擬竜騎士》は特にその傾向が強いようでございます。現在も引き続き調査させておりますが、どうやらレクレウスの魔動巨人を複数体相手取っても引けを取らぬようですな」
「ほう、大したものだな。レクレウスの魔動巨人といえば、戦闘力は他国のものより頭一つ抜きん出ると聞き及ぶぞ」
「左様にございます。我が国でも性能を伸ばすため試行錯誤を繰り返しておりますが、レクレウスのものはさらにその上を行きますからな」
魔動巨人という兵器自体は、別にレクレウスだけの専売特許ではない。各国でもそれぞれ建造され、運用されているものだった。そもそもレクレウスの魔動巨人も、クレメンタイン帝国の技術を一部手に入れ、それを用いたものだ。
「元を辿れば、《擬竜騎士》もレクレウスの出だそうでございますゆえ」
「なるほどな。レクレウスの技術も侮れんということか。もっとも、今はファルレアン相手に青息吐息のようだが」
「ファルレアンの優勢には、《擬竜騎士》の働きも大きいかと存じます」
「だろうな。それだけの力を持つ者が転がり込んで来れば、俺とて使う」
為政者としては、当然の思考だった。一騎当千の実力者が一人いれば、戦場に投入して本来必要であったはずの戦力を温存することもできるし、駄目押しの止めの一手としても機能する。また、その力を誇示することによって、他国を牽制することもできるのだ。
「《擬竜騎士》について分かっているのは、それだけか?」
「は……何でも右腕が、人にあらざるような形になるとか」
「何?」
ロドルフの眉が上がる。似たようなことを、以前ユーリから聞かなかったか――。
ふむ、と唸り、彼は傍の侍従に命じる。
「すぐにユーリを呼べ。情報のすり合わせをしたい」
「畏まりました」
侍従はすぐに玉座の間を後にし、しばしの後にユーリを伴って戻って来た。
「――何? 俺、御前会議なんかに呼ばれても、話の内容分かんないよ、多分」
「それほど大袈裟なものではないし、おまえが国政に興味が微塵もないのは、ここにいる全員が分かっている。――この前の、国境守備部隊を壊滅させた犯人のことだが」
ロドルフの言葉に、ユーリの蒼い瞳が鋭く光った。
「なに」
「犯人は炎を使う、高位元素魔法士クラスの魔法士の女ということだったが。その女は確か、左腕が人とは思えぬ造形をしていたそうだったな?」
その言葉に、居並ぶ臣下たちが息を呑む。しかしそんな空気も斟酌せず、ユーリはこくりと頷いた。
「そうだよ。竜みたいに鱗が付いててさ。あ、あと肩からも何か、突起みたいなのが出てた。あれ、見ようによっては翼っぽく見えるかもね」
こともなげに彼が付け足した情報に、今度こそ座が大きくどよめいた。
「それは……まるでファルレアンの《擬竜騎士》ではないか」
「確かに、共通する部分が多い……」
「……え、どうかしたの」
驚いたように目を見開くユーリを余所に、ロドルフが口を開いた。
「――皆、静まれ」
途端に、潮が引くように喧騒が止む。ロドルフはそれを確かめるように一拍置き、ユーリに向き直った。
「ユーリ。――今度のファルレアンのオークション。おまえ、ちょっと行って来てくれ」
再び、どよめき。ユーリは大きな蒼い瞳をぱちり、と瞬かせる。
「俺が? 出掛けていいの」
「本来なら俺が出向きたいところだがな。さすがにファルレアンともなると遠い。国を放って出掛けるわけにはいかんだろう」
「あ、一応皇帝だって自覚はあるんだね」
「喧しい!――それに、その犯人とやらに実際に当たったのはおまえだけだ。国境守備部隊壊滅の犯人とファルレアンの《擬竜騎士》、何が似ていて何が違うのか、一番明確に分かるだろう」
その言葉に、ユーリはことりと首を傾げた。
「うーん……まあ、行けっていうなら行くけど。陛下はあいつとファルレアンの《擬竜騎士》に、何か関わりがあると思ってるの」
「同じ炎使い、異形の腕。これがすべて偶然の一致という方が不自然だろう。上手くすれば《擬竜騎士》を手掛かりに、その女とやらの素性も割れるやもしれんしな」
「分かった」
ユーリが頷くと、ロドルフはにやりと笑みを浮かべる。
「頼んだぞ。何なら飛竜を出してやる」
「うん、よろしく。で、もう行っていい? 俺がファルレアン行くんなら、しばらく帝都周りの水脈管理、精霊に頼んどかないと」
「ああ、構わん。よく頼んでおいてくれ」
退室の許可を得て、ユーリはさっさとその場を後にする。彼のおかげで帝都には豊かな水が戻ったが、元々が細りゆく一方の水脈だったのだ。それを安定させているのもまた、ユーリの力だった。彼が定期的に水精霊に働きかけ、水脈を管理することで、帝都の民は今日も水の恵みを享受することができている。そんな彼が帝都を離れるとなれば、入念な準備が必要となるのは当然だった。
「……というわけだ。急な話で悪いが、ユーリの護衛の選定を頼む。あれにもしものことがあれば、今度こそ帝都が干上がりかねん」
「は、承知致しました」
もっとも、高位元素魔法士である以上、護衛されるユーリの方が数段強いのだが、だからといって放っておくわけにもいかない。殊に彼は、精霊に育てられたため人間の常識にはまだ少々疎く(というよりおそらくどうでもいいと思っている)、人の悪意というものに鈍感だ。護衛の役目は、それらから彼を遠ざけるという意味合いが大きい。
ともあれ、軍事を束ねる将軍に護衛の件を丸投げすると、ロドルフは玉座で足を組み、いささかだらしなく肘掛けに頬杖をついた。
「さて……部隊を一つ壊滅させられたとはいえ、モルニェッツとの境を空にしておくわけにもいかないか。今は確か、臨時の防衛線を構築していたな?」
「左様でございます。国境より十数ケイルほど国内寄りになりますが……本来の防衛線に戻されますか」
「いや、襲撃があれ一度で終わる保証もない。帝国臣民を無為に殺傷させるわけにもいかんしな。位置はそのまま、充分に警戒しながら当たれ」
「はっ」
「それに、国境は別にモルニェッツ側だけじゃない」
ロドルフの紫水晶の双眸が、鋭い光を放った。重臣たちがざわめく。
「……と、仰いますと……もしや、レクレウスを」
「今、大陸の国家群で一番弱体化しているのは、どう考えてもあの国だろう?――火事場泥棒のような真似は好かんが、我が国としても領土の拡大は至上命題だ。“あの”エンダーバレン砂漠がある限りな」
人間の生活圏を徐々に、だが確かに脅かそうとしている、呪われた砂漠。およそ命と呼べるものは存在せず、ただただ荒涼とした死の大地を思い出し、ロドルフは吐き捨てる。
「あの砂漠では、ユーリの力も通用しないからな。呑み込まれないように抗うしかない。たとえ他国から奪うことになろうともな」
目をすがめてそう言うと、ロドルフは姿勢を正して膝を叩いた。
「――さて、辛気臭い話はここまでだ。せっかくファルレアンのオークションに人を出すのだから、この際何か出物があれば購入しておいても良いかもしれんな」
「では、特別に予算を組まれると?」
「いや、俺の個人資産から出そう。そろそろ弟たちに剣でも誂えてやりたくてな」
「それは良うございますな。では早速、職人に触れを出しましょう」
「ああ、頼む」
そう目を細めたロドルフの顔は、先ほどまでの冷静な皇帝ではなく、ただ家族を慈しむ兄のそれだった。
◇◇◇◇◇
久々に戻って来た《薔薇宮》に姿を現し、メリエは大きく伸びをした。
「んーっ! ここも久しぶりー!」
彼女が唐突に姿を現したのは、宮殿の中庭だ。クレメンタイン陣営はレティーシャから転移用のアイテムを与えられているので、国を跨ぐレベルの移動でも何ら問題はなかった。ただし、メリエたちに与えられているものは、一度行ったことのある場所でなければ転移できないという制限があるため、初回はわざわざ乗騎でモルニェッツくんだりまで赴かなければならなかったが。
(……にしても何なのかしら。いきなり呼び戻すなんて)
このところモルニェッツ公国とヴィペルラート帝国の国境地帯の監視を任されていたメリエは、レティーシャからの急な呼び出しで、クレメティーラに戻って来たのだ。まあ、現地では誰も来ず暇なことこの上なかったので、気分転換にはちょうど良い。
「――よいしょっ、と」
膝を軽く撓め、跳び上がる。頭上の回廊の、所々が崩れかけた手摺に左手を掛け、片手一本で身体を持ち上げて猫のような身ごなしで手摺を越えると、その内側に着地。
ブーツの靴音を響かせ、メリエが回廊を歩いていると、前から歩いて来る複数の人影を見つけた。
「――お」
きょとん、と金の瞳を丸くしたのは、黒っぽい服装に身を包んだゼーヴハヤルだ。
「あれ? まだモルニェッツに行ってたんじゃなかったか?」
「シアに呼び戻されたのよ。――で、その二人は?」
メリエはゼーヴハヤルと一緒にいる少年と少女を指す。どちらも黒髪で、少女の方は侍女のお仕着せを着ているが、少年の方はいまいち所属が分からない。ここにいるということは、何らかの役目を与えられているのではあろうが。
「オルセルとミイカだ。二人をここに連れて来た時、会ってないか?」
「会ったかもしれないけど忘れた。興味もないもの」
メリエの興味――というか執着は、今のところアルヴィーに集約されている。ゼーヴハヤルがむう、と口を尖らせたが、何か言うより先に少女の方が進み出てぺこんと一礼した。
「あ、あの、ミイカといいます。その、よろしくお願いします!」
「オルセルです。ええと、地下の施設の管理を任されてます」
「地下の?」
少年の方の自己紹介に、メリエは少し目を見張る。
「あそこ、シアが管理してるんだと思ってた」
「地下の方は今のところ、見張るくらいしか仕事がないので、僕でも務まると……その間に本を貸していただいて、勉強してるんです」
「へえ」
メリエは気のない様子で頷いた。実際、あの地下施設で二度目の生を享けたこと以外、特筆するような記憶などない。
「そう。ま、頑張ってね。あたしはメリエ・グランよ」
ひょいと手摺に腰掛け、足など組んでみると、オルセルがすっと彼女から目を逸らした。メリエの服は裾こそ長いが前は大きく開いたデザインの上着、そしてショートパンツと膝上丈のロングブーツで、太腿部分はほぼ剥き出しの大胆なものだ。彼くらいの少年には、少々刺激的に過ぎるのだろう。
「じゃ、あたしシアに呼ばれてるから」
晩生な少年をからかうのもそこそこに、メリエは手摺から下りて再び歩き出す。そんな彼女を見送り、オルセルはゼーヴハヤルに尋ねた。
「……あの人、どういう人なんだ? ゼルは知ってたみたいだけど」
「ああ、この前俺がモルニェッツに行った時、一緒に行った。それに……その、オルセルたちの村が襲われた時にな。引き揚げようとしてた賊をぶっ飛ばしたのもあいつだ」
「……そうなのか……」
オルセルとミイカの表情が少し翳ったが、ゼーヴハヤルが何か言い繕おうとする前に、顔を上げて微笑む。
「なら、あの人は村の仇を討ってくれたようなものか」
「別にそんなことは考えてないと思うけどな。いきなりぶっ飛ばしたし」
それはもう、文字通り物理的に賊の生命身体を“ぶっ飛ばした”のだが、さすがにその凄惨な模様を伝えることは憚られ、ゼーヴハヤルはそっと口を噤んだ。
一方、そんな一幕などもちろん知る由もなく、メリエはレティーシャを探して玉座の間を訪れていた。
「――シア? いるの?」
玉座の間の扉を、まるでその辺の部屋の入口のように気安く開けると、中から嫋やかな声が聞こえる。
「おかえりなさい、メリエ。どうぞ、お入りなさいな」
メリエもこの部屋に入るのは初めてだ。猫が見知らぬ場所を警戒するように、開いた扉の隙間から中を覗き込んでいた彼女は、その声にするりと入口を潜る。すると、薄暗かった室内が一気に明るくなった。おそらく魔法であろう、青白い光が突然数十も生まれ、一斉に部屋を照らし出したからだ。
ぽつんと設えられた玉座にはレティーシャが座し、相変わらずその考えを窺わせない柔らかな微笑を浮かべている。
「……何なの、あんな暗い部屋で、今まで」
「思索には、余計な明かりも音も要りませんのよ、メリエ?」
ふふ、と笑い声を零す彼女に、メリエはため息をついて足下の床を軽く蹴り付ける。ブーツの踵が硬質な音を立てた。
「そういう話、いいから。――それより、いきなり呼び出して、何の用なの? モルニェッツの方は放っといていいわけ?」
「そうですわね、モルニェッツ公国の方はひとまず、捨て置いて構いません。あちらも警戒して、性急な動きは取らないでしょう。国境から少し下がって防衛線を敷くのが、せいぜいですわ」
「ふうん、そんなもんなの」
メリエには、そういう慎重さが理解できない。圧倒的な力をもって敵陣に斬り込み、蹂躙する――それこそが、彼女の真骨頂なのだから。
「それよりも、あちらが警戒して動けないでいる内に、あなたに一つ、やって貰いたいことができましたの」
「やって貰いたいこと?」
訝しげに、メリエは眉をひそめる。そんな彼女に、レティーシャは笑みを崩すことなく命じた。
「わたくしはこれから、ファルレアンに参ります。供をお願いしますわ。――そしてその際に、アルヴィー・ロイをこの国に迎えることと致します」
その言葉は、メリエの脳内にゆっくりと染み通り――そして気付いた時、彼女は知らず笑みを浮かべていた。
「……もういいの?」
「ええ、三公国の最後のロワーナ公国には、すでにダンテとラドヴァンを向かわせましたわ。彼らがそちらを制圧次第、わたくしたちも動きます。ですが、突然我が国に迎えると伝えても、アルヴィーは拒むでしょう。そこで――」
「あたしの出番、ってわけね」
メリエの笑みが、うっすらと狂気を孕んだものに変わる。
――思い出すのは、レドナで彼と過ごした最後の時間。
火竜の魂の欠片に喰らわれ、狂い出した以降の記憶は、今でもあまり鮮明ではない。だがその中でも一つだけ、すぐにはっきりと思い出せるのは、アルヴィーを中心とした記憶だ。
民間人や戦う力を失った騎士には、頑として手出しをしようとしなかった、あの甘いまでの優しさと誇り高さ。狂気に呑まれた自分の名を叫ぶ彼の声。そして、記憶が途切れる寸前の霞んだ視界に映った、自分と相討ちになったその姿――。
(……本当なら敵の騎士なんかじゃなくて、あたしが抱き締めてあげたかったのに)
炎の灼熱、血と砂塵の臭い。それらに包まれながら、ぼろぼろに傷付いた彼を抱き締める。それは彼女にとって、この上なく甘美な夢想だった。
ましてそれが自分の手によるものであれば、どれだけ素晴らしいことだろうか。
メリエは高鳴る胸に手をやる。憎しみではなく、それはむしろ独占欲に近いものだ。自分たちしか踏み込むことの許されない、業火に巻かれた戦場の中で、互いの刃が噛み合い、自身の存在を相手に刻み込む。それを考えただけで、メリエの胸の奥に甘く痺れるような感覚が生まれた。
それは誰にも――たとえレティーシャにすらも譲れない、メリエだけの望みだ。
「いいわよ。アルヴィーと戦えるんでしょ?――絶対に、手に入れてみせるから」
ぺろりと唇を舐め、メリエはその菫色の瞳を輝かせる。その奥にちらつくのは、恋情と狂気が入り混じった複雑な光だ。
それを見て取り、レティーシャはどこか満足気に、美しい笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
本番の国主催のオークションを数日後に控え、王都ソーマでは早くも前座のごとく、民間でのオークションが始まった。その中でも特に規模が大きいのが、商業ギルドによるオークションだ。
商業ギルドとは、その名の通り商人たちにより結成・運営されているギルドである。そもそもは同業種同士で寄り集まって、人や仕事の融通を利かせたり、施設や設備を賄うため共同で資金を出し合ったり、という繋がりだった。それがいつしか業種の垣根を超えて交流が生まれ、職人や商人の情報交換や提携・斡旋の場となって、今日のギルドという形に変化していったという。ちなみにこの商業ギルドは、定期的に国の監査を受けており、それを担当するのは国の財務部門だ。
商業ギルドは王都の一画に本部を置き、情報交換や商談、簡単な揉め事の処理などがそこで行われている。今回はそこで、オークションが開催されているのだった。
「――で、そこにこの間のワーム素材を出品しようというわけですか」
「うん、まだ結構余ってるし。さすがに《下位竜》素材はまずいと思うから出さねーけど」
「そうですね。常識の範疇に踏み止まってくれて良かったです、本当に」
アルヴィーの言葉に、シャーロットは心底からの安堵の息をついた。もしこんな場に《下位竜》の素材など出そうものなら、オークションどころの話ではなくなり、参加者間での奪い合いとなって、大騒ぎというのも生温い惨事となったに違いない。もっとも、ワーム素材も大概なのだが、《下位竜》素材に比べればまだマシだ。彼には是非とも、自分が持っているものが市場に多大な影響を及ぼす爆弾であることを、よくよく理解して貰いたいものである。
そんなアルヴィーとシャーロットは現在、商業ギルドの本部を目指して雑踏の中にいた。二人とも、勤務時間外なので私服だ。シャーロットから街の散策に出ようと誘われたアルヴィーは、ならばとワーム素材についての悩みを打ち明け、結果こうして商業ギルドのオークションに参加しようということになったのだった。
ちなみにフラムは、つい忘れがちだがそもそもは滅多に見ることのない幻獣だということで、万が一にもオークションの品と間違われることがないようにと留守番だ。同じく勤務終わりのユナに預けて来たので、今頃は彼女のもとで存分に可愛がられていることだろう。
「でも何でまた、オークションに出品しようと? 初心者がいきなりワーム素材出品は、割と無謀だと思いますけど。特に素材系なんかは、価格が完全に時価ですから読み辛いですよ」
「……魔法式収納庫の容量がな……やばくて」
「ああ……」
そっと目を逸らすアルヴィーに、シャーロットもどことなく遠い目になる。
「まあ確かに、魔法式収納庫の容量にも限りはありますが……あなたどれだけ突っ込んでるんですか」
「だって便利なんだからしょーがねーだろ……《下位竜》の素材、もっと捌けるかと思ったら、みんなして遠慮するしさ」
もっと持ってって良かったのに、とぼやくアルヴィーに、シャーロットは頭を抱えたくなった。
「……普通、《下位竜》素材なんてそうそうお目に掛かれるものじゃないんですから。それに、武器の強化に使うとしても、素材の力が強過ぎると、かえって扱い辛くなることもあるんですよ」
「え……そうなのか?」
「ええ。使い手の力が混ぜ込んだ素材に対して弱かったりしたら、使い手が拒絶されることもあるそうですから。――ああ、隊長の場合、あれは完全なレアケースですけど」
何しろ素材の提供者が、ルシエルの無二の親友――というかほぼ家族枠。そりゃあ拒絶も何もあったものじゃない、という話である。
そんなことを話しながら歩いていると、
「……あ」
聞こえてきた、声。
見ると、騎士団の制服に身を固めた少女が一人、ぽかんとこちらを見ている。左右一房だけ長い蒼の髪に、碧の瞳。アルヴィーがまだ従騎士だった時に、特別教育で講師役を務めていた四級騎士、ニーナ・オルコットだった。
彼女はアルヴィーに気付くと心なしか頬を上気させ、そして傍らのシャーロットにも気付いて表情を引き締める。
「あ、アルヴィー・ロイ……久しぶりね。――そちらは?」
「三級魔法騎士のシャーロット・フォルトナーです。今日は彼の……まあ、付き添いで」
「そ、そうですか。失礼しました。わたしはニーナ・オルコット四級騎士です」
ニーナは名乗ると敬礼した。二人とも同年代の少女だが、シャーロットの方が階級が上なので、これはごく当たり前のことである。
「ああ、今は勤務時間外なのでお気になさらず」
ひらひらと手を振って、シャーロットはニーナの敬礼を止めさせた。
「巡回か?」
「ええ、人出が多いから、その分小さいトラブルが起きやすいでしょう。――それに、例の盗難事件のこともあるし」
「ああ、あれか。聞いた話じゃ、結構やばい代物らしいな。俺も、見つけたら叩き折れって言われたぞ」
「そうなの。わたしたちも、何か気付いたことがあればすぐに、本部に連絡を入れるように言われているわ」
さすがに仕事モードに入ると冷静に、ニーナは話し始める。
「盗難の実行犯は、魔法騎士団の小隊がいくつか、合同で追っているそうだけど……」
「ふーん……シャーロット、何か聞いてるか?」
「いえ。何しろ魔法騎士団の小隊数は、第二大隊だけで三桁超えですから。どこの小隊に任務が行ったかなんて、それこそ大隊長にでも訊かないと分かりませんよ」
「それもそっか。そういやルシィんとこからして“第一二一”だしな」
親しげに話す二人を、ニーナは何となく不満げな眼差しで見つめる。
と、アルヴィーがふと思い付いたように、きらりと目を光らせた。
「そうだ、ニーナにも特別教育ん時に世話になったし、これ――」
おもむろに魔法式収納庫をごそごそし出したアルヴィーに、シャーロットは慌てた。もしかしなくても、ニーナにも《下位竜》の素材を配ろうというのだろう。だがそれは、こんな道端で大っぴらに渡して良いものではない。
「ちょっと、アルヴィーさん!」
シャーロットが諌めた時、天の助けか、ニーナを呼ぶ声が聞こえた。
「――オルコット、どうした?」
「いえ、何でもありません。すぐに行きます。――じゃあ、悪いけど……わたしはこれで。まだ巡回が残っているの」
「あ、そっか……悪いな、引き留めて」
「べ、別に……特に問題はないわ。それじゃ」
やや素っ気なくそう言い置き、ニーナは仕事に戻って行く。だがシャーロットは、去り際の彼女の頬に朱が差しているのを、確かに見た気がした。
「――シャーロット? どうかしたか?」
「は……い、いえ、何でも。行きましょう」
もしや、とニーナを見送っていたところ、アルヴィーにひょこりと顔を覗き込まれて、シャーロットは慌ててかぶりを振る。そこでふと、彼女は思い出した。
(そういえば、彼女……以前、《上位竜》の騒ぎの時に見掛けた人じゃ)
アルヴィーが単身、《上位竜》が迫るイムルーダ山に居残り、その説得を試みると聞いた時。自分たちに劣らずショックを受けた顔で、凍り付いたように立ち尽くしていたのは、彼女ではなかっただろうか――。
「…………」
何となくもやもやした気分を抱えて、シャーロットはアルヴィーを見やる。当の彼はもちろん気付くことなく、きょろきょろと周囲を見回していたが。
「なあシャーロット、商業ギルドの本部ってこの辺?」
「いえ、もう少し先です」
ともあれ、今はアルヴィーの用事を済ませてしまわなければならない。シャーロットは彼を促して歩き出した。
◇◇◇◇◇
「――ここ、が?」
「はい。ここが商業ギルドの本部です」
「はー……でかいなー」
到着した商業ギルド本部は、どこの貴族の邸宅かという立派な建物だった。ぽかんと口を開けてその威容を見上げるアルヴィーを、シャーロットは引き連れて中に入る。
「――いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件で?」
すぐに寄って来て用向きを尋ねてくれる職員に、シャーロットはてきぱきと希望を伝える。
「オークションに出品希望です。素材になりますが大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません。ただ、素材のオークションは本日分はもう終了致しまして、明日以降の出品になりますので何卒ご了承ください。出品の際はオークションに立ち会われるか、それとも我々に委託していただくか、どちらかをお選びいただけますが、どう致しましょうか」
「委託、ですか?」
「はい。委託の場合は、落札金額から委託料の方を多少差し引かせていただく形になりますが、手続きの方はすべてこちらで引き受けさせていただきますし、残りの金額のお受け取りもお好きな時にお越しいただけます」
「そうですね……どうします?」
「ええと……じゃあ委託で」
「では、委託の方でお願いします」
「畏まりました。では、お品の方を拝見させていただきますのでこちらの方へ」
アルヴィーが一言しか発しない内に、話は流れるように決まってしまい、別室へと通される。アルヴィーは心底、シャーロットに同行して貰って良かったと思った。自分一人で、ここまでスムーズに話が進む気がしない。
「――では、こちらに必要事項をご記入ください。委託の依頼書も兼ねますので、出品なさるご本人様のご記入をお願い致します」
通された小部屋で書類を渡され、アルヴィーは最低限の必要事項を記入する。左手で文字を書くのにも大分慣れ、美しいとまではいかずとも、まずは下手と言われない程度の字は書けるようになった。報告書も意外と役に立つものだ。
「……アルヴィー・ロイ様ですね。出品なさるのは……ワ、ワーム!?」
職員が目を見張っている間に、アルヴィーは魔法式収納庫からワーム素材を引っ張り出し、机の上に積んでいく。あんぐりと口を開ける職員の目の前で、ワーム素材を出し切ったアルヴィーはすっきりした表情で、
「これ全部、よろしく!」
「は、はい……畏まりました……」
呆然としながらも、職員は一礼した。見事な本職意識である。
「……あれ、何かまずかった?」
「あなたは自覚ないのかもしれませんけど、普通ワーム素材をこんなに景気良く積み上げられませんからね? 本来ならワームなんて、命懸けで討伐するレベルの魔物ですよ」
ため息をつきながらのシャーロットの突っ込みに、それもそうかと頭を掻くアルヴィー。だが何はともあれ、魔法式収納庫の容量に幾許か余裕が戻ったのは喜ばしいことだった。
「……それでは、手続きが完了致しましたら、こちらからご連絡致します。本日分のオークションには、落札側としてはご参加いただけますが、どうなさいますか?」
気を取り直した職員にそう尋ねられ、アルヴィーはふむ、としばし考えたが、
「そうだな……興味あるし、見るだけ見てみようかな」
「では、会場にお入りになる際、入口で職員が札をお渡し致しますので、入札にご参加の際はその札を挙げてください。札の掲示のない入札は無効となりますので、くれぐれもご注意をお願い致します」
注意事項を聞き、二人はオークション会場に向かった。
その途中、シャーロットがふと思い出したように、
「――そういえばアルヴィーさん、字が書けるんですよね。いえ、馬鹿にしてるわけではないんですが」
「ああ……」
都市部はともかく、地方――特に辺境部ともなると、ろくな教育機関もなく、そもそも生活に必須というわけでもないため、読み書きができない層が一定数存在する。アルヴィーも本来なら、そちらに属していたはずだったのだが。
「俺の場合は、ルシィと一緒にロエナ小母さんに習ったからな。あん時は知らなかったけど、小母さんこっちの貴族の出だったから、村じゃ珍しく読み書きできたんだよ。まあ、村ん中でも村長の家とか、村の外に出ることがある人間は、多少の読み書きと計算ならできたぜ」
ロエナのおかげで困らない程度の読み書きと計算はできるようになり、それはレクレウスの練兵学校でも役に立った。正直、読み書きができなければ、座学の授業は半分寝る程度では済まなかっただろう。
シャーロットも、納得が行ったように頷いた。
「なるほど、それで」
そんなことを話しながら、会場に到着した。途中参加は別段問題ないようで、アルヴィーたちの他にも出入りする客は結構いる。入口では職員の言った通り、握り棒の付いた黄色の細長い札が渡された。なるほど、これなら入札者は目立ちそうだ。
扉を開けて会場に入ると、途端に喧騒が襲い掛かってきて、アルヴィーは思わず顔をしかめた。
「……凄いな、声が!」
「まあ、参加人数が多いですし! こんなものですよ!」
どうやらそれなりに掘り出し物の入札が今まさに行われているようで、競り合いの声が凄まじい。進行役の職員はよく入札金額を聞き取れているものだ。
白熱した入札は程なく終わりを告げ、品はつつがなく落札された。競り落とした客が進行役から番号札を受け取り、支払いのためだろう、会場を出て行く。
「――続きましてこちら、何と竜の鱗をあしらいました首飾り! 鱗の総数は十枚、傷もない美品でございます! では二十万ディーナよりスタート致します!」
次に出品された、宝玉と鱗を組み合わせた意匠の豪奢な首飾りに、会場のあちこちからどよめきが湧き起こる。すぐさま入札が殺到するが、その時アルヴィーの耳に、彼にしか聞こえない声が囁いた。
『……ふん、竜の鱗か。あながち嘘でもないが、あれは飛竜のものだな。まあ、亜種とはいえ竜種の端くれには違いあるまいが』
(え、そうなのか?)
『このわたしが、竜の気配を読み違えるはずがなかろう』
(へー、便利だな。そういうの分かるんなら、偽物掴まされずに済むじゃん)
そんな会話(?)を交わしながらアルヴィーが眺める中、件の首飾りはどこかの商人が落札していた。
「それでは続きまして、こちらはさる旧家より持ち込まれました腕輪! 周囲に施されました彫刻も見事な逸品です! ではこちら、五万ディーナよりのスタートです!」
続いて出品された腕輪は、だが先ほどの首飾りとは違って、客の反応は薄めだった。金属でできていると思しきそれは、だが全体的にくすんだ色合いをしており、宝玉などが嵌め込まれているわけでもないため、どうにも地味な印象が拭えない。そのせいか、入札の声も先ほどとは比べ物にならないほど低調だった。じりじりと値が上がるも、十万を少し超えたところで声が止まる。
『――ほう』
だがそこで、アルマヴルカンが声をあげた。
『面白いものが出て来たぞ、主殿』
(面白い? あれが?)
『あの腕輪、旧き魔法の気配がある。――そういえば、あれに似ているな。例の呪詛の一件の際に一戦交えた、あの剣士の魔剣と似た気配だ』
「……おい、今何て!?」
「え、アルヴィーさん?」
思わず声をあげてしまい、シャーロットに訝しげな顔をされる。だが当のアルヴィーはそれどころではなく、少し考えて手にした札を掲げた。
「――十五万!」
「え、ちょっと!? 何やってるんですか!?」
「おっと、十五万! 十五万が出ました! 他にお声はございませんか!?」
進行役が声を張り上げたが、それ以上の応札の声はなかった。
「ではこの腕輪、十五万ディーナで落札です! 落札されましたお客様、どうぞ前へ!」
品が下げられ、アルヴィーは前に出て番号札を受け取って来た。
会場を出て品の受け取り場所に向かいながら、シャーロットが尋ねてくる。
「……急にどういう風の吹き回しですか? あの腕輪、十五万は少し高い気がしますけど。そんなに気に入りました?」
「そういうんじゃないけどさ。――アルマヴルカンが言ったんだよ。あの腕輪、昔の魔法の気配がするって」
アルヴィーは朱金の瞳をすがめた。
――旧ギズレ領防衛戦の折、アルヴィーに攻撃を仕掛け、フラムの真の主についてもほのめかしたあの剣士の青年。彼が持つ魔剣と似た気配を纏うというさっきの腕輪は、もしかしたら彼への手掛かりになるかもしれないのだ。
(あいつが何者なのかは分からない。けど、あいつに近付くことは多分、シアにも近付くことになる)
《擬竜兵計画》に加わっていた研究者。そして、友軍であったはずのレクレウス軍兵士や研究者を皆殺しにし、フラムをアルヴィーのもとへと送り込んできた女。
(シアが何考えてんのか知らないけど……俺だって、踊らされてばっかりじゃいられないんだ)
かつて《擬竜兵》であった者として。そして今、ファルレアンの騎士として。
思いがけない手掛かりを前に、アルヴィーは逸る気持ちを抑えつつも、知らず足を早めるのだった。




