第52話 親愛のかたち
いよいよ間近に迫った国主催のオークションに向けて、民間でもそれに便乗したいくつかのオークションが開かれることになっていた。それに伴い、王都ソーマには様々な品が集まり始めている。
そんな品々の中の一つを見て、品を確認しながら運んでいた人夫の一人が、一つの箱を開封して声をあげた。
「――おっ、こりゃあ結構な出物じゃねえのか。ずいぶん立派な剣だぜ」
すると別の人夫が箱を覗き、顔をしかめて、
「止せ止せ。そりゃあ呪われた剣らしいぜ。戦場から集めて来た鉄屑を鍛えただか、血溜まりに浸かってたのを引き上げられただか、とにかくそういう薄気味悪い由来があるらしくてよ。実際、こいつを持った途端に人が変わったみてえになって、周りの人間を無差別に斬り殺したなんて奴も、昔いたらしいぜ。今回のオークションに出されることになったのも、前にこれを持ってた金持ちが没落して、厄払いに出品されるとか……」
「うえっ、そんな物騒な代物なのかよ。見た目はこんなに宝石なんかも付いてて、どこの宝剣かって感じなのによ」
剣に目を付けた人夫も薄気味悪そうな顔になり、件の剣を見やった。箱に入ったその剣は、ごく一般的な長さの長剣だ。鍔元には宝石が嵌め込まれ、柄頭などにも細工が施されて、見た目だけなら確かに王侯貴族が所有する宝剣と言われてもおかしくない。曇り一つなく磨き抜かれた剣身が、光を受けてどこか艶めかしく銀色にきらめいた。
「勿体ねえなあ、こんないい剣が」
逸話を知ってもなお、人夫は名残惜しげに剣を見つめていたが、もう一人がさっさと蓋を閉めて封をしてしまう。
「止めとけ、それにどうせ俺たちみてえな人夫じゃ、剣なんか扱えねえだろ」
「ま、それもそうだな」
人夫たちは箱に確認済みの札を付け、所定の場所へとそれを運んで行く。
――すぐ傍で彼らの話を聞いていた人間がいたことに、人夫たちは気付かなかった。
その日の夕方、出品予定の品が一つ消えたと、ちょっとした騒ぎが起こった。
該当の品を扱うはずだったオークションの主催者は、騎士団にその旨を届け出、出品予定リストからその品を外した後、出品者に対しての説明に頭を悩ませる破目になった。
……消えた品は一振りの剣。
かつて殺人事件にも使われた、血腥い曰く付きの長剣である――。
◇◇◇◇◇
《下位竜》の素材は、分けて回ってもまだ余った。
とりあえずそれらは纏めて魔法式収納庫に突っ込み、アルヴィーはいつものように鍛錬を開始する。右肩の翼を出せるよう、上はノースリーブ一枚という軽装で、定位置である宿舎の裏庭に向かった。
(……ホントなら、制服で戦うことが多いんだろうから、鍛錬もそれでやった方がいいんだろうけど)
この間街に出た時に、例の仕立て屋に頼んで来たが、まだ出来上がりの連絡はない。ある程度の予備ができるまでは、それなりに汗ばむ鍛錬はこのスタイルで行うようにしていた。
右腕を戦闘形態にし、《竜爪》を伸ばす。透き通った深紅の刃は、ファレス砦での戦いで巻き起こった炎を、そして流れた血を思い起こさせた。
その記憶を振り切るように右腕を一振りすると、まずは基本の足運びから型を浚う。重心移動一つで攻撃の精度が見違えるように上がるのも、この鍛錬を始めてから気付いたことだ。
レクレウス軍はあくまでも、アルヴィーたちを“兵器”として扱っていた。その圧倒的な力でただ敵を薙ぎ倒すための存在。そこに技巧は要らない。そればかりか、戦場に立つという覚悟すら固まりきらない内に、アルヴィーたちはレドナに投入された。今にして思えば、それを待つ暇すら、軍には惜しかったのだろう。
覚悟など後から付いてくる。それよりもただ、火竜の細胞に適合した――それだけがすべてだったのだ。
(……でも、これからはそれじゃ駄目なんだ)
だから、愚直なまでにひたすらに、戦うための技を繰り返す。この身体に叩き込む。
それがいつか、大切なものを守る力になるから。
ひゅっ、と鋭い息を吐き、《竜爪》を振るう。その時、土を踏むかすかな音が聞こえた。振り返ると、そこには小柄な人影。
「――シャーロット?」
アルヴィーが声をかけると、彼女は窺うようにこちらを見た。
「すみません……お邪魔でしたか?」
「いや、別にいいけど」
右腕を通常状態に戻すと、シャーロットの方に歩み寄った。
「ひょっとして、何かあったのか? ルシィからは特に連絡とかはないけど……」
「いえ……あの、貴重な素材を分けていただいたのでお礼と、後は少し別の話が……」
「礼とか、別にいいのに」
ひとまず鍛錬は一時中止、というわけで、シャーロットを手招いて宿舎の壁に寄りかかる。
「素材まだ余ってるけど、もうちょい要るか?」
「いえ! もう結構です。充分です」
ただでさえ手一杯だというのに、アルヴィーが追い討ちのようにそんなことを言うものだから、シャーロットは慌てて釘を刺した。
「むしろタダでこんな素材を貰う方があり得ないんですが……まともに値を付けたらいくらになるのか、想像するだに恐ろしい代物なんですよ、分かってます?」
「あーまあ、鑑定額は聞いたけどさ。あんな金額、俺じゃ管理できねーよ。――分不相応な金のせいで身を滅ぼすのなんて、珍しくもないんだ」
たとえば、ルシエルの継父だった男のように。
ルシエルとロエナがクローネル家に引き取られていったあの日、妻と息子を引き渡す見返りとして、あの男は金の詰まった袋を受け取った。それは、彼を有頂天にさせるには充分な金額だったのだろう。村では味わえない楽しみを求めて、彼は少し離れた町へと繰り出し――そしてそのまま村に戻って来ることはなかった。金を手に入れてから一月も経たない内に、その町を流れる川に浮かんでいたという連絡だけが村に届き、遺体はその町の墓地に葬られたと聞いている。大方、羽振り良く遊び歩いていて性質の悪い相手にでも目を付けられたのだろうが、真実はもはや闇の中だ。
元からろくでなしな男ではあったが、あの金が彼の運命を大きく狂わせたことは確かだった。母がアルヴィーに告げた言葉も、もしかしたらその件を踏まえてのものだったのかもしれない。
「……まあ、それはわたしも分からなくはないですが……それにしても、隊長はともかく、わたしたちまでお零れに与ってしまって良いものかと」
「そりゃそうだろ。だってもう身内みたいなもんじゃん。――いい素材を使って武器とかを強化できたら、その分強くなって怪我したり死んだりせずに済むだろ」
左手が、胸の辺りを握る。そこには、レドナで戦死した三人の《擬竜兵》――アルヴィーのかつての僚友とアルヴィー自身の識別票が、鎖に通され揺れているのだ。
「戦友が死ぬのは、もう嫌だからさ」
力がないゆえに失った家族と故郷、そして力に呑まれた狂乱の果てに失われた僚友。その両方の喪失を、アルヴィーは知っている。力がなければ何も守れないことも、過ぎた力が身を滅ぼすことも、彼の中に深く刻まれた。
それでも、失わないための力は必要だと、アルヴィーは思う。
《下位竜》の素材は強力だ。だが素材を託した彼らはいずれも、それに呑まれることはないだろう。きっと上手く使ってくれるはずだと、そう信じて、アルヴィーはそれを託した。
――そんな彼の表情を、シャーロットは見つめる。彼女はアルヴィーのような喪失を、まだ知らない。もしかしたらそれこそレドナで、仲間や、あるいは彼女自身の命が失われていたかもしれなかったが、それを救ってくれたのもまた、眼前にいるこの少年だ。
「……あの、」
意を決し、“別の話”を切り出そうとした、その時。
「――あ。《伝令》だ」
つい、と飛んで来た白い鳥が、アルヴィーの頭に止まると言葉を吐き出し始める。
『アルヴィー、任務の連絡だ。ちょっと執務室に顔を出せ』
ジェラルドの声で紡がれた呼び出し連絡に、アルヴィーが訝しげに眉を寄せた。
「何だろ、戦争の方はもう、俺が出るようなでかい会戦はないはずだけど……悪い、ちょっと行って来るな。で、そういや別の話って?」
「いえ! 大したことではないので……どうぞ、行って来てください。わたしも、もう戻りますし」
「そっか。じゃあ今度聞く」
そう言い置いて、アルヴィーは身支度を整えるため部屋に戻る。それを見送り、シャーロットはため息をついた。
(……改まって聞かれると、言い難いんだけどな……)
――今度のオークションに伴って街でもちょっとした祭りのように色々出店が立つから、勤務の後にでも一緒に回ってみませんか、などとは。
(まあこれは貴重な素材をいただいたお礼ということで……彼、まだ王都をゆっくりと見て回れてもいないようだし。地理に疎いままじゃ困るだろうから)
うん、と自分に言い聞かせ、シャーロットは歩き出す。
騎士団本部は、とりあえず今日も平和だった。
◇◇◇◇◇
貴族の中でも上級の、公爵家や侯爵家の屋敷が並ぶ一画は、家格に応じて広い区画が家ごとに割り当てられ、馬車や荷を抱えた商人たちが行き交う。これは上級貴族に限らないが、貴族の家の当主や貴婦人たちはまず自分で買い物になど出向かず、店の人間の方を呼び付ける形になるからだ。だがそういった人通りの喧騒も、広い敷地のおかげで邸宅の中にまでは届かない。
そしてそんな邸宅の一つ、セルジウィック侯爵邸の一室では、一人の貴婦人がメイドたちに傅かれ、髪を整えられていた。
「――痛い! 何をしているの!」
「も、申し訳ございません、ドロシア様!」
「もういいわ、下がりなさい! こんなに不器用で、よくこのセルジウィック侯爵家の使用人を名乗れるものね!」
「申し訳ございません、ドロシア様。ただいま下がらせますので……お召し物はどうなさいますか?」
「以前に着たものばかりじゃないの! 新しく買うわ!」
「か、畏まりました。旦那様に申し伝えます。ですがひとまず、今日お召しになるドレスを……こちらでよろしゅうございますか」
「まったく、新しいものも用意できないなんて、愚図な者たちだこと!」
ヒステリックに響く癇癪の声は、もはや聞き慣れたものだ。メイドたちは努めて無表情に支度を整え、それが終わるといかにも次の仕事があるという風に、急ぎ足で部屋を出て行った。
部屋に一人残されたドロシアは、苛立ちを込めて手にした扇子をぎりりと握り締める。華奢な扇子が軋もうと、お構いなしだ。
「このわたくしの息子ではなく、あんな女の息子がクローネル家の後継者ですって……!? あの女、一体どんな卑劣な手を使ったというの……!」
直接の原因となった息子たちの放蕩ぶりについては、彼女の思慮の外である。彼女自身、結婚前は生家の財力にものを言わせてドレスや宝石を買い漁り、観劇や音楽にのめり込み、使用人たちに難題を言い付けては楽しんでいた、我儘放題の令嬢であった。ゆえに、息子たちの遊興が問題になるという認識そのものがなかったのだ。
そんな彼女が家格としてはやや下がるクローネル伯爵家に嫁いだのは、ジュリアスに惚れ込んだからに他ならなかった。大体は同じ家格同士で縁組することが多いが、一つ二つ爵位の差がある家同士の縁組もないわけではない。父はドロシアに甘く、彼女が強く望んだ結婚を諌めることはなかった。侯爵家からそんな話を持ち込まれれば、伯爵家側も拒み難く、ジュリアスとドロシアの結婚はさほどの障害もなく決まったのだ。
無論、それから三十年近い間、何の波風もなかったわけではない。一番の波乱はもちろん、ジュリアスが男爵家の娘に手を付けた一件だ。とはいえ、ファルレアンの貴族社会では、それはさしたる問題行為ではなかった。何しろ、家を後世に繋がなければならない貴族には、重婚が認められている。いくらドロシアが反対しようと、ジュリアスがその娘を娶ると言えば、それが通るのがファルレアンの法だったのだ。
だが結局、娘の生家の方が恐れをなし、娘をジュリアスから引き離して隠したため、二人は結ばれずに終わった。その結果に、ドロシアは心から安堵したものだ。
――まさか、十年ほど後にそれが蒸し返されるなど、その時は考えもしなかった。
息子たちが二人とも騎士学校の厳しさに耐えられずに退学したことで、ジュリアスは二人の息子に見切りを付けたようだった。経済に明るい彼は、伯爵位で望める最上の役職の一つである財務副大臣を志しており、そのためにどうしても、我が子を騎士団に入れる必要があったのだ。だが、ドロシアの息子たちは二人とも、それを叶えるにはあまりに甘やかされ過ぎていた。
結果として息子二人とドロシアは領地に戻されることとなり、彼らもそれを受け入れた。王都にいれば、騎士学校を兄弟揃って自主退学という醜聞が囁かれることは分かっていたので、彼らにとってもそれは好都合であったのだ。だが、そのすぐ後にジュリアスは姿を消したはずの男爵家の娘とその子供――忌々しいことにジュリアスの面影を感じさせる男児だった――を探し出し、伯爵家に迎え入れた。ドロシアにとっては裏切りにも等しい行為だったが、その息子が次々とジュリアスの期待以上の才を見せたため、文句の付けようもなかったのである。
だがさすがに、後継者の座まで奪われるというのは我慢がならなかった。
(このセルジウィック侯爵家の娘であるわたくしの息子ではなく、男爵家風情の娘の子供が後継者だなんて……! お父様もお父様よ、なぜわたくしたちが咎められなければならないの!?)
息子たちがルシエルに、暗殺者紛いの傭兵を差し向けるという事件を起こしたのを知ったドロシアは、その釈明と、何より息子たちの廃嫡の真意を問い質すため、王都の夫の屋敷へと向かった。だがジュリアスは城に出仕しており、屋敷にいたのはロエナと使用人たちだけ。その彼女はドロシアの詰問にも顔色一つ変えず応対し、そうこうしている内に生家であるこのセルジウィック侯爵家から遣わされた者たちによって、ドロシアと息子たちはこの屋敷に連れて来られた。そして現当主であるセルジウィック侯爵に叱責された後、屋敷に留め置かれることとなったのである。
もうそろそろ息子に当主の座を譲ろうかという年齢の侯爵は、だがかつてドロシアに大甘だった名残は微塵もなく、苦虫を十匹ほども纏めて噛み潰したような渋い顔で、ドロシアや息子たちの所業がいかにまずいものであったかを鋭い声で説いた。もっとも宮廷での権力闘争など、ドロシアや息子たちには理解の外だったが。侯爵も叱責が無意味だと気付いたのだろう、ため息一つ落として娘と孫を邸内に軟禁することにしたのだ。
ここに至るまでの経緯を思い出して再び唇を噛んでいると、扉がノックされた。
「――ドロシア様、お飲み物とお茶菓子をお持ち致しました」
「……いいわ。入りなさい」
「失礼致します」
こんな状況では、飲食と買い物くらいしか楽しみがない。入室の許可を出すと、メイドが小さなワゴンを押して入って来た。ワゴンにはポットとティーカップ、そして甘い香りを漂わせる茶菓子の皿が載っている。
メイドは設えられた小さなテーブルに、手早く紅茶の用意を整えると、ドロシアに向かって一礼する。まだ若い娘だ。当然、ドロシアが嫁いだ後に入った娘だろう。
「お飲み物の用意が整いました」
「そう。――それはそうと、おまえ、何か面白い話の一つも知らないの? わたくしは退屈しているの、少しは楽しませなさい」
ドロシアの無理難題に、しかしメイドは少し沈黙した後、
「畏まりました。――又聞きでよろしければ、一つ心当たりがございます」
彼女はテーブルに備え付けの華奢な椅子を引く。ドロシアがそこに腰を下ろすと、作法通りにカップに紅茶を注いだ。ふわりと漂う芳香に満足げに笑みを刻み、給仕を務めるためにそのままテーブルの横に控える。そして再び口を開いた。
「実は、わたくしの知人が話しているのを小耳に挟んだのですが。その知人が、この間不可思議な剣を手に入れたと申しておりまして……何でもその剣は、持ち主の願いをどんなことでも叶えてくれるのだそうです」
「……願いを叶える、ですって?」
ぴくり、とドロシアの表情が動く。メイドは表情を真剣なものに変えて頷いた。
「はい。――この話はご内密にお願い申し上げたいのですが……その知人も、その剣を手に入れた途端、強力な商売敵だった方が、その――急にお亡くなりになったそうなんです。わたくしもお名前だけは存じ上げている方だったので、もう驚いて」
「…………」
かしゃん、といささか乱暴に、ドロシアはカップをソーサーに置いた。
「……その話は本当なのかしら」
「はい、もちろんです」
「そう……」
ドロシアはしばし考えを巡らせ、そしてメイドに向き直った。
「……その知人とやらに、おまえが渡りを付けなさい。――その剣、わたくしが買い取りましょう」
「まあ!」
メイドが目を丸くする。そんな彼女に、ドロシアは釘を刺した。
「いいこと、この話は誰にも漏らさないようになさい」
「あ、あの……申し訳ありません、もうディオニス様に同じ話を……その、同じように、何か面白い話はないかと仰いまして……」
「……ディオニスならまあ、良いでしょう。ですが、この屋敷の者には誰一人として、漏らすことは許さないわ」
「は、はい! 承知致しました」
「では、お茶とお菓子はもう良いわ。早速話を付けて来なさい」
「はい、畏まりました」
結局半分ほどしか飲んでいない紅茶と茶菓子を下げさせ、ドロシアは席を立ってゆっくりと室内を歩く。
(もし、その剣が本当に、そのような不可思議な力を持っているとすれば……わたくしやディオニスたちが怪しまれることもなく、あの忌々しい女と息子を――)
ドロシアはこみ上げる笑みを隠すように、扇子を広げて口元に翳した。
「――言われた通り、ディオニス様とドロシア様に“あの話”をしてきたけど。これで良いのかしら?」
クリストウェルがその声を聞いたのは、与えられた部屋を抜け出して、館の裏庭を歩いている時だった。何しろ領地ではしょっちゅう館を抜け出して遊び歩いていたのだ。とはいえここは、母の実家とはいえ自分が自由気ままに出歩ける場所ではない。そっと手近な物陰に身を隠し、声が聞こえた方を窺う。
ちらりと覗いてみれば、出入りの商人のような格好の男と、侯爵家のお仕着せを着たメイドが話していた。男が小さな袋をメイドに渡し、彼女はそれを澄ました顔で懐に入れる。
「ああ、上出来だ。――それで、首尾は?」
「ドロシア様には、剣を買い取りたいから渡りを付けろと言われたわ。ディオニス様も興味は持たれたみたい。ただ、クリストウェル様には今日はお会いしてないから、話自体できてないけど」
「そうか、まあ問題はないさ。じゃあ、二、三日中にでも早速伺うとしようか」
「……でも、何だか怖いわ。たとえ作り話だとしても、人死にが出た話をするなんて……」
「作り話なんだ、心配は要らないさ。それだけの力がある代物だって、伝わればいいんだよ」
「ならいいけど……でも、あなたのところの旦那様は、どうしてこんな面倒なことまでして、その剣を手放したいの?」
「実は、ちょっと人に言えない理由で借財ができたらしくてな。それで、代々伝わる宝剣を手放して、金を作ろうとしてるのさ。――ともあれ、助かったよ。だが、何も起きなきゃ君がその奥様に責められるかもしれないから、早めに暇を貰った方が良いかもしれないぜ」
「そうね、そろそろ実家に帰って貰い手でも探そうかと思ってたし。でも、お互い大変ねえ、貴族に仕えるのって」
「まったくだ。――じゃ、俺はもう戻るよ。誰かに見られるとまずいからな」
「そういえば、あなたのところの旦那様は、ここの旦那様とは仲がお悪かったんだったかしら」
「ああ、まあ、貴族の派閥なんて俺たちには分からんがね。俺としては手間賃が貰えりゃそれでいいさ。じゃあな」
男は塀の方に歩いて行くと、鉄格子が嵌め込まれたところで周囲の目を確かめ、おもむろにその鉄格子の内数本の棒を引き抜いた。どうやら経年劣化で腐食しているようだ。男は隙間を潜って出て行き、元通りに棒を嵌め込む。どうやらこの男、何度かこの館に来ているらしい。妙に手慣れている。そんな男を見送り、メイドも館に戻って行った。
クリストウェルはそっと物陰から出て問題の鉄格子に近寄り、先ほどの男と同じように棒を外した。出来上がった隙間は、クリストウェルならば充分に通れる。良い抜け道を見つけたと思いながら、彼もそこを潜った。棒を嵌め込んで偽装完了。どうやら下の土台部分近くが腐食しているようだが、上の枠に通せばそれに支えられてちゃんと立っているので、一見外せるとは分からないのだ。
(……それにしても、お祖父様と派閥関係で仲が悪いってことは、さっきの男の主は《保守派》か。それがメイドを使って兄上と母上に接触したとなると……)
クリストウェルは面倒なことは嫌いなので、中央の政治などに興味を持ったことはないが、さすがに母親の実家が属する派閥くらいは覚えていた。そして、面倒事を嫌うゆえに、それを免れるためであれば、それなりに頭を働かせるに否やはないのだ。
彼は少し考え、そしてとある方向に足を向けた。
◇◇◇◇◇
勤務を終えて家路を辿っていたルシエルは、クローネル邸の近くで予想外の人物の姿に足を止めた。
「……異母兄上?」
「やあ、ルシエル」
軽く手を上げて親しげに声をかけてきたのは、異母兄のクリストウェルだ。顔には出さずとも警戒を強めたルシエルに、クリストウェルは肩を竦めた。
「そう睨まないでくれよ。――そりゃあ、君や君の母上には迷惑を掛けたけど。何せ母上と兄上の勢いが凄くて、僕じゃとても歯止めになんかならなかったんだ」
「……今はドロシア様のご実家におられると、父から聞きましたが」
「まあね。体の良い軟禁だよ。もっとも僕は、抜け出すのは得意なんだけどねえ」
ルシエルの警戒心などものともせず、クリストウェルはひらひらと手を振る。
「はは、まあ警戒するのも分かるけどさ。何せ僕と兄上は、君に傭兵をけしかけたからね。兄上はあっさり口を滑らせるし、あの傭兵たちもどうせ、捕まった先でペラペラ喋ってることだろうし。もっとも、金で雇われた連中なんて、えてしてそんなものかもしれないけど」
クリストウェルの言は正しかった。ルシエルたちに捕縛されて西方騎士団本部に送られた傭兵たちは、先を争うように雇い主の素性をぶちまけたという。異母兄もさすがに面と向かって素性を告げてはいないだろうが、何しろ彼らは領都の歓楽街ではそれなりの“顔”だったらしいので、深く調べるまでもなく素性は知れていたのだろう。
「それで――今度はご自分で直接、というわけですか?」
「まさか。三秒も保たずに負けるに決まってるじゃないか、やだなあ。僕はそこまで人生捨ててないよ」
あはは、と軽く笑われて、ルシエルは相手の意図が掴めず沈黙するしかない。
と、クリストウェルが笑いを収めた。
「何を今さら、と思うかもしれないけど――僕は実のところ、領主を継ぎたいなんて思ってないし、君のことも別段憎たらしいわけじゃないんだ」
「…………」
そういえば、と、ルシエルは思い当たる。
長兄のディオニスやその母のドロシアは明らかにルシエルを厭い、当たりも強かったが、クリストウェルはそれほどでもなかった。もっとも、だからといってルシエルを庇うわけでもなかったが。良くも悪くも不干渉、といったところか。
探るように異母兄を見つめるルシエルに、クリストウェルはふっと一瞬だけ笑みをひらめかせる。
「僕はただ、楽で気ままな暮らしができれば良いだけさ。領主なんて面倒臭いよ。だから兄上にお任せ……と思ってたんだけどねえ」
「……僕だって、もう退けませんよ。退くつもりもありません」
アルヴィーの後ろ盾となるために。とはいえ現状は、むしろアルヴィーの存在がルシエルの追い風となっているが。
真正面から受けて立ったルシエルに、クリストウェルが目を細める。
「――それは、アルヴィー・ロイって友達のためにかい?」
放たれた言葉に、ルシエルは思わず身構えかける。クリストウェルが慌てて両手を上げた。
「うわっと、いきなりそんなに殺気立たないでくれよ! 別に僕がその友達をどうこうしようっていうんじゃないんだから」
「じゃあどうして、アルのことを?」
「セルジウィック侯爵――僕らのお祖父様に叱られたからね。事を荒立てたくないから余計な手出しするなって。上級の貴族や女王陛下にも面識があるんだって? 君の友達は意外と大物だなあ」
クリストウェルの言葉に、ルシエルは眉をひそめた。どうやら彼の想像以上に、アルヴィーの名は貴族社会で知れ渡っているようだ。
「お話は分かりました。――それで結局、ここに何をしに来られたんですか」
「そりゃあ街に遊びに出るついでにさ。何せ王都だからねえ。きっと美人が多いんだろうなあ」
もうとっくに二十歳を過ぎているというのに、うっとりと夢見る少年のような表情の異母兄に、ルシエルは呆れた。女好きもここまで極まればいっそ見事かもしれない。
「……でも、もしかしたら君の方こそ、身辺に気を付けるべきかもしれないけどね」
するとふと、クリストウェルが表情を真剣なものに変え、静かにそう言った。
「僕が?」
「今、《女王派》は高位元素魔法士を二人も抱えているんだよ? 《保守派》としてはせめて、片方だけでも抱え込みたいだろうね。女王陛下は当然無理だから、もう一人の方をさ。だから、一番強固にアルヴィー・ロイを《女王派》陣営に繋ぎ止めてる君は、《保守派》としては邪魔だよねえ」
「…………!」
「何で僕にそんなことが分かるかっていうとね。母上や僕たちにこっそり接触を図ってくる貴族がいるみたいなんだよ。多分買収したんだろうねえ、お祖父様の家のメイドを利用してさ。僕は面倒事が嫌いだから関わらないようにするつもりだけど、母上や兄上は分からない。君への反感を利用されて、何かに加担させられる可能性は充分にある」
「……なぜ、僕にそんな話を」
「だから、僕は領主になんかなりたくないって言っただろう? もし今のまま話が進んで、君に万一のことがあった場合、多分母上や兄上は黒幕に利用されて罪を被らされるだろうからねえ。そうなったら、後は僕しか残らないじゃないか。そんなのごめんだから、身辺に用心して何かあっても切り抜けてくれたら有難いなあと。何せ二人とも、僕の制止程度じゃ止まらないだろうしねえ」
もはや潔いほどの事なかれ主義っぷりで、クリストウェルはそう言い切った。
確かに、ルシエルがもし何らかの陰謀に巻き込まれて命を落とす破目になった場合、真っ先に疑われるのは異母兄とその母だ。何しろ傭兵を雇って襲わせたり、王都の屋敷に乗り込むという“前科”があるのだから。だが、クリストウェルは(厄介事に巻き込まれたくないからだとしても)それらの件には消極的であり、また長兄ディオニスが処断されてしまえば、自動的に後継者候補はクリストウェルしかいなくなる。そうなれば父ジュリアスもさすがに、彼を擁護する方向に動かざるを得ないだろう。いくら何でも家を断絶させるわけにはいかない。
そう考え、ルシエルは自身の考えの甘さを思い知る。貴族社会の権力闘争が熾烈かつ陰湿なことは知っていたはずなのに、その程度のことを今の今まで考慮もしていなかったのだ。
「……ご忠告、ありがとうございます」
「僕はただ自分の面倒を減らすために教えただけさ。――じゃあ僕は、そろそろ綺麗どころに逢いに行こうかな。できれば家には黙っていてくれると有難いなあ」
ひらりと手を振って、クリストウェルは一般市街の方へと歩いて行く。が、数歩行ったところで彼はふと、足を止めた。
「……十年くらい前だったっけ、君がファルレアンに来たのは」
「ええ。確か、十歳にはなっていなかったと思いますが」
「そうそう、あの時は兄上と僕とが続けざまに騎士学校を辞めたことで、父上には失望されててねえ。兄上は何でまた妾の子なんか引き取るんだって荒れてたし」
笑いながら、クリストウェルは振り返る。
「……でもね。僕は弟だったから、もう一人弟が来るって聞いて、ちょっと楽しみだったよ。――もっとも、君にはもう別に、“家族”がいたみたいだったけど」
「――っ、それは……」
ルシエルは言葉に詰まった。確かにクローネル家に引き取られた頃は、少しでも早く父に認められ、アルヴィーと彼の母を迎えに行くために、それこそ寸暇を惜しんで勉学や武芸の鍛錬に励んだ。そこには、異母兄たちやその母と関わりを持つ余裕など、あろうはずもなく。
「まあ、兄上や母上が君を嫌ってたから、君が歩み寄ろうとしたところで、状況は今と変わらなかったかもねえ。――別に責めてるわけじゃないよ、僕だって進んで関わってこなかったんだからお相子だ。だけどねえ、領主になるんだったら色々周りへの根回しなんかも要るし、目が友達一直線なのはどうかと思うんだなあ」
まあ、放蕩者の戯言だから話半分に聞いておきなよ、と言い置き、クリストウェルは今度こそ、振り返ることなく去って行った。それを見送り、ルシエルはそこに立ち尽くす。
(……異母兄上の、言う通りだ)
周りを見ているつもりでも、自分の視野はまだまだ狭いのだ。クリストウェルの忠告がなければ、そのまま突き進んでしまっていたのだろう。自分が持つことになる権力の意味を、考えることもなく。
それにしても、長兄の陰に隠れて振り回されているばかりに見えていた彼が、まさかあんな風に思っていたとは考えもしなかった。思い返してみれば、ルシエル自身も積極的に彼らと関わろうとはしていなかったと、今さらながらに分かる。
(……あの頃、もう少し異母兄上たちと話をしていれば、今のこの状況は変わっていたのかもしれないな)
だが、時間を巻き戻すことなど誰にもできはしないのだ。今となってはもう、ルシエルは彼ら――特に長兄のディオニスと母ドロシアにとっては、自分たちの立場を脅かす憎むべき存在でしかないのだろう。
ルシエルにできることは、せめて彼らがこれ以上泥沼の権力闘争に絡め取られないよう、自身の身辺に気を配ることだけだ。自分の身に何かあれば、それすらも政争の具として利用されかねないのだから。
(けど、こんなことをいつも意識してるのか、父上は……さすがというべきなんだろうな、やっぱり)
自分よりよほど長くこんな世界に身を置き、その都度器用に身を処してきたのであろう父にうっすら賛嘆の念すら覚えながら、ルシエルはもうほど近い自宅へと、再び足を進め始めた。
◇◇◇◇◇
呼び出しに応じてジェラルドの執務室を訪ねたアルヴィーは、そこで思いもしなかった任務を聞かされた。
「――え? オークションの警備に俺も入るの……です、か? 何で?」
「まあ早い話が、他国の貴族連中へのお披露目ってやつだ。戦力を誇示した示威行為、とも言うが」
「ああ……そういう話」
「それに、貴族ってのは大体が物見高い連中だからな。単に最近噂の《擬竜騎士》を見たいって類もいる。そういう需要に応えるのも、開催国の役目ってことだ」
「ふーん……面倒なんだな」
「それと、一応の用心も兼ねてってとこだな」
ジェラルドが目配せすると、パトリシアが心得たように書類を差し出す。覗き込み、アルヴィーは眉をひそめた。
「……曰く付きの剣の盗難?」
「ええ。今回の国主催のオークションに便乗して、商業ギルドやいくつかの民間の商会が、独自にオークションを開こうとしているんだけど……その内の一つに出品されるはずだった剣が、盗難に遭ったの。もちろん、犯人はまだ捕まっていないわ」
「僕も《スニーク》でちょっと現場を覗いてみたけど、いくつか魔法の痕跡が残ってた。多分、魔法技能を持った本職の仕業だ」
「本職?」
「盗賊……っていっても、大抵は傭兵や学者なんかの依頼を受けて、城砦とか遺跡とかの調査を請け負うんだけど。ほら、特に遺跡だと罠とか特殊な鍵とかあって、一般人じゃ解除無理だから。けどたまに特殊技能引っ提げて、泥棒稼業に転職するのがいるんだよ」
セリオが三つ目の小鳥の使い魔、《スニーク》を撫でながら補足を入れた。それにパトリシアが続ける。
「主催者側は、品を保管していた部屋には確かに鍵を掛けたと証言しているわ。それも、そう高価ではないけどマジックアイテムだったそうよ。けれど、それが解除されて品が盗まれているの。犯人は少なくとも、マジックアイテムの鍵の開錠技能を持っているわ」
「まあ、この際どうやって盗まれたかなんてのはどうでもいい。それは別の隊が担当するからな。――おまえの役目は、万が一その剣持ったどこぞの馬鹿がオークション会場に突貫でも仕掛けて来たら、被害が出ない内に片付けることだ。警備には他の騎士も入るが、何せ付いてる曰くが血腥いにも程があるような剣だからな。普通の剣じゃ力負けしかねん。もし出くわしたら遠慮は要らん、可及的速やかに叩き折って鎮圧しろ」
「へ? 折っていいの?」
「ああ。むしろ速攻でへし折れ。何しろ、持ち主を操って無差別殺人鬼に仕立て上げるような物騒な剣だ。ったく、そもそも何で今まで、そんな代物が残ってやがったんだか。さっさと叩き折って、屑鉄にしてりゃ面倒なかったってのに」
吐き捨てると、ジェラルドは例によって、アルヴィーに命令書を寄越す。それを受領し、アルヴィーは部屋に戻った。
「――きゅー!」
部屋でおとなしく待っていたフラムが、待ちかねたとばかりに飛び付いて来る。それをキャッチして肩に乗せ、アルヴィーはため息をついた。
「オークションの警備はともかく……また見世物かよ」
「きゅ?」
小首を傾げるフラムを撫でてやりつつ、ともかくアルヴィーは準備を整えることにした。
(まずは制服だな。何か他国のお偉いさんも来るっぽいし、途中で何かあって汚れでもしたら、替えがないと困る)
何しろ唯一の《擬竜騎士》として、制服も差し色の違う特別仕様なので、知り合いに借りるなどというわけにもいかないのだ。
「……ちょっと急いで貰うか」
仕立て屋には悪いが、少し無理を言わせて貰うことにして、フラムを連れ街に出るべく部屋を後にするアルヴィーだった。




