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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第六章 戦火ふたたび
48/136

第47話 時代を動かす者

 キュオン、と咆哮ほうこうにも似た音が響き、次の瞬間、すぐ隣を飛んでいた飛竜ワイバーンの腹の辺りで爆発が起こる。乗り手は放り出され、命綱でぶら下がったまま絶叫をあげた。

「――畜生ッ、どうなってやがる! 何で弓矢がこんなところまで届くんだ!」

「落ち着け、もっと高度を取れ!」

「それじゃ砦は狙えないぞ! この高度でギリギリだ! 周りの山や森を爆撃したってしょうがないだろう!」

「弓矢の射手を始末しろ! 爆弾ばらけ、どれかは当たる!」

 乗り手たちの混乱が飛竜ワイバーンにも伝わり、隊列が乱れ始める。そこへ容赦なく襲い掛かる、長さ一メイル近くもある長大な矢。

 ――直後、爆音。


「……うへえ……相変わらず派手にやってんなあ、一三八小隊だっけ、あれ」


 《竜の障壁(ドラグ・シールド)》を張り続けながらそんな光景を地上から見やり、アルヴィーはしみじみ呟く。もっとも、攻撃が派手という点では、彼は決して人のことを言えた義理ではない。

 と、

『――主殿、どうやら後続が来るようだぞ』

「後続?」

 アルマヴルカンの声に、アルヴィーは振り返り、遠く西の彼方に目をらす。

 すると程なく目に入る土煙。かなりの大きさを持つ“何か”が、こちらに向かって来ているのだ。やがてその正体を知り、アルヴィーはその名を口にした。

「あれ……台車キャリーか?」

 それは、魔動巨人ゴーレムを運搬するための台車キャリーだった。魔動巨人ゴーレムが全滅した今、それらは無用の長物と成り果てたはずだったが――今、その荷台には魔法陣らしきものが描かれ、淡い光をまとっている。

『なるほど、動く車の荷台に魔法陣を描き、足りない射程を補うか』

「げっ……大規模攻撃魔法かよ!?」

 後方から術具などで補助しつつ放つとはいえ、射程の限界という問題は付きまとう。だが台車キャリーの荷台に陣を設置すれば、必要な分だけ前進して魔法を放ち、危なくなったら後退すれば良い。

 しかもどうやら、レクレウス軍侵攻部隊は爆撃の混乱に乗じるつもりらしい。台車キャリーが巻き起こす砂塵さじんの後方に、軍勢らしき影がちらちらと見え隠れする。

「あーくっそ……台車あっちも潰しとくべきだったか」

 頭でも抱えたいところだったが、今は手が離せない上に今さら言っても仕方がない。せめてもと騎士たちに注意をうながす。

「気を付けろ! レクレウスの本隊が来る!」

 アルヴィーの鋭い声に、騎士たちはどよめいた。

「何だと!?」

飛竜ワイバーンでの爆撃は陽動か! 急いで迎撃しろ!」

「防御魔法陣まだか!」

 シルヴィオたち応援部隊の参戦で、爆弾の雨にも切れ目は見えてきたが、まだ散発的に降ってくるので《竜の障壁( ドラグ・シールド)》を解除できない。じりじりしながら待つことしばし――ついに、待っていた声がかかった。

「よし、防御陣が起動した! しばらくつぞ!」

 騎士たちが構築していた大規模な防御用の魔法陣が、ようやく稼働を始めた。空中に巨大な魔法陣がいくつも展開され、投下された爆弾を受け止める。単に唱和詠唱の魔法障壁では防ぎきれないと判断したのだろう、多少準備に時間は掛かっても効果が大きいものを選択したようだ。だがさすがに時間を取っただけあって、展開された障壁はなかなかの出力だった。砦の防御はそれで問題ないと見て取り、アルヴィーは《竜の障壁( ドラグ・シールド)》を解除する。

「じゃ、あの台車キャリー潰して来るか」

 準備運動よろしくぐるぐると右腕を回し、さあ突撃しようと一歩踏み出したアルヴィーに、その時声がかかった。


「――《擬竜騎士ドラグーン》は応援部隊の援護に入れ。侵攻部隊はこちらに任せて貰おう」


 指揮をるためだろう、数人の部下を連れて現れた砦の司令、イライアス・ヴァン・ムーアグロート辺境伯が、戦意もあらわに西方をにらむ。トップの姿を目にして、いやが応でも気を引き締める騎士たちの間を縫い、彼はアルヴィーの方へと歩いて来た。

「……最初に飛竜ワイバーンの襲来に気付いたのは貴様だそうだな。目敏めざとさも人間離れしているようだ。が――そのおかげで被害は最小限に留まった。良くやった」

「え……」

 すれ違いざまにかけられた思いがけない言葉に、アルヴィーはきょとんと彼を見やるが、イライアスは知らぬ風でそのまま歩いて行く。そして魔法障壁で守られた範囲ぎりぎりの場所で足を止めた。

「――第一、第二防衛線を放棄し、守備人員は所定の場所に退避するよう伝達せよ。重装じゅうそう騎馬隊と銃士ガンナー部隊の配置も急げ。レクレウスの犬どもはこの砦で直々に相手をしてやろう」

 口元に凄絶せいぜつな笑みを刻んだ彼は、すらりと剣を抜き放ち、その切っ先で西方を指し示した。


「総員、迎撃用意! “鋼の砦”の底力、存分に思い知らせてやるが良い!!」


 戦場の喧噪けんそうを圧して響いたその大音声に、一拍の後、騎士たちのときの声が応えた。もはや衝撃波すら感じそうなその音量に、アルヴィーは慌てて耳を塞ぐ。爆弾の炸裂音も大概うるさかったが、これに比べれば可愛いものだ。

「魔動兵装、発射準備完了! いつでも行けます!」

「第一防衛線より《伝令メッセンジャー》! 人員及び兵装の退避が完了したとのことです!」

「同じく第二防衛線より報告、退避完了だそうです!」

 次々と舞い込む報告に、イライアスはわずかに頷く。

「よし、向こうが射程に入り次第撃て!」

「はっ!」

 飛竜ワイバーン相手だとほとんど出番なしに終わった魔動兵装が、西へと向かってずらりと砲口を並べる。稼動すればさぞ壮観そうかんだろう。

 確かにこちらはこちらでそれなりにやれそうだと見て取り、アルヴィーは言われた通り応援部隊への加勢を決めた。

「んじゃ、あっち行くか」

 軽く助走を付け、膝をたわめて飛び上がる。一気に十メイルほども飛び上がり、そして右腕を一閃。

 放たれた《竜の咆哮(ドラグ・ブレス)》が投下された爆弾と接触し、派手に爆発した。周囲の爆弾もそれに巻き込まれて続けざまに誘爆。炎と煙が広がり、上空からの視界が遮られた。

「くそっ、狙いが――」

「気を付けろ、来るぞ!」

 目端の利く者たちが、飛竜ワイバーンを駆って回避行動に移る。それを追うように、煙の下からの《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》での薙ぎ払い。それは一騎の飛竜ワイバーン体躯たいくを掠め、飛竜ワイバーンには苦悶くもんの、乗り手には狼狽ろうばいの悲鳴をあげさせた。

「いかん、離脱する――!」

 騎手は必死に手綱を操り、飛竜ワイバーンを戦闘空域から離脱させる。それでも何とか飛べている辺り、さすがは竜の亜種というところか。何しろ《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》は、人間なら掠っただけで消し飛んでいてもおかしくない威力を誇るのだ。

「――追い払えたのは一騎だけか。意外と当たんねーもんだな」

『ならばあんな中途半端な高度で爆発などさせねば良かったものを』

「あれは応援部隊したの時間稼ぎ用だっての。砦が防備固めたから、応援部隊の方に目標変える奴もいるだろうし。――よし、障壁間に合ったな」

 事実、アルヴィーの介入で爆弾の雨が一時途切れ、応援部隊は一息つくことができた。効果を失いかけていた魔法障壁を展開し直し、矢の補充なども手早く済ませる。

「……何かあいつ、さらに人間辞めてねーっすか?」

 片翼を輝かせ空中にたたずむアルヴィーを、カシムが呆れたように見上げる。シルヴィオは軽く肩をすくめた。

「今重要なのは、《擬竜騎士ドラグーン》が人間辞めかけてるかどうかじゃないだろ?」

 そのまま流れるような手付きで愛用の弓に矢をつがえ、《風導領域( ゲイルゾーン)》で道を作り出す。引き絞ったつるを弾けば、魔法付与エンチャントの施された矢は獲物に食らいつく猟犬のように、わずかに湾曲わんきょくした軌道を描きながら飛竜ワイバーンの後脚を直撃した。冴え冴えと銀に輝く双眸を細めて、シルヴィオは笑う。

「俺たちが五体満足で砦に入れるか、だ」

「そりゃそーっすね」

 確かに目下の最優先課題はそれであったので、カシムも一も二もなく頷いた。

 耳当て越しにも鼓膜こまくを破られそうな爆音に耐え、得意とする地魔法で周囲を援護する。シルヴィオを守るために。それが、カシムがここにいる理由であるから。

 頭上を取られて圧倒的な不利を抱えながらも、応援部隊はアルヴィーの援護もあり、しぶとく粘って爆撃部隊を引き付ける。そして砦正面では、防衛線を越えてきたレクレウス軍に、砦からの満を持した一斉攻撃が放たれようとしていた。


「――よし、撃てぇ!!」


 イライアスの号令一下、設置された魔動兵装が一斉に咆哮した。圧縮された高威力の魔法弾が矢継ぎ早に撃ち出され、雨のごとくにレクレウス軍の頭上から降り注ぐ。

 だが、台車キャリーの魔法陣が輝きを増したと思うと、攻撃は彼らの数メイルほど頭上で弾き散らされた。

「……なるほど、新型の魔動巨人ゴーレムと同じく、攻撃を捨てて防御にのみ専念しているのか。だが……」

 双眼鏡でその様子を観察しつつ、イライアスは指示を飛ばす。

「そのまま撃ち続けろ! 魔力消費は無視して構わん! 向こうの防御魔法も永遠に続くわけではない!」

 現にアルヴィーが魔力量にものを言わせた力押しで、新型の魔動巨人ゴーレムを一体仕留めている。魔力補充の当てがあるのなら、それは確かに有効な手段だった。

 そしてファレス砦には、鹵獲ろかくした魔動巨人ゴーレムから回収した魔石がある。あの巨大な物体を動かすほどの魔力を溜め込んだそれは、魔動兵装の動力源としては充分過ぎるほどだ。

 爆撃の礼だとでもいうように、際限なく撃ち込まれる攻撃に、ついに台車キャリーの一台が崩れた。魔法陣が明滅めいめつして掻き消えたかと思うと、魔法障壁を失った車体に集中砲火を浴びて動力部から炎を噴き上げる。彼方で咲いた爆炎に、騎士たちから歓声があがった。

 だがその穴を埋めるように別の台車キャリーが進み出て、後続の軍勢を守る。それが砦に到達するまでに敵兵力を削りきることは、ほぼ不可能だろう。

 しかし、イライアスの顔に焦りはない。砦から打って出る重装騎馬隊は、すでに用意してある。全身鎧フルプレートに身を包み、同じく鎧を纏った強靱きょうじんな軍馬を駆る彼らは、旧来から残り続けた由緒ある兵科であり、野戦においては凄まじい突破力を誇るこの砦の剣ともいえる存在だ。彼らがたずさえる長槍ランスには魔法付与エンチャントが施され、勢いに乗っての突撃チャージの攻撃力は計り知れない。

 だが彼らの能力を十全に発揮させるには、レクレウス軍を守る魔法障壁を完全に取り払ってしまわなくてはならなかった。それは、砦の迎撃部隊の仕事である。

「撃て撃て、撃ちまくれ!」

 騎士たちの気迫を乗せたがごとく、魔動兵装での攻撃は苛烈かれつさを増す。砦前方一・五ケイル――それが、魔動兵装での迎撃を行える限界ラインだ。そこより内側に入られると、砦前面に展開させた重装騎馬隊を巻き込んでしまう可能性があった。ゆえに、そこに到達されるまでにできる限り相手兵力を削っておく必要があるのだ。

 火勢かせいの衰えない砦からの砲撃に、台車キャリーの防御魔法陣も耐えきれず、一つまた一つと効果を失っていく。破壊され煙を上げる台車キャリーの残骸を横目に、それでもレクレウス軍の侵攻部隊は果敢かかんに前進し、そして最後の一台が力尽きるのと引き替えに、魔動兵装の迎撃限界ラインを越えた。

「よし、魔動兵装撃ち方止め! 重装騎馬隊出撃! 銃士ガンナー及び魔法銃士マギガンナー後詰ごづめに出せ!」

 イライアスはすぐさま魔動兵装の砲撃を止めさせ、野戦へと切り替える。突破力と耐久力に優れた重装騎馬隊をメインに、銃の扱いに長けた部隊が後方支援を担当、重装騎馬隊の討ち漏らしを仕留める陣形だ。唯一の懸念けねんは応援部隊が引き付けている上空の爆撃部隊だが、敵味方入り乱れる乱戦に持ち込んでしまえば、うかつに手出しはできなくなるだろう。そのためにも、重装騎馬隊には早々に突入して貰わなくてはならない。

 砦から見守る先、レクレウス軍も大型の盾や長い槍を持った兵が前に出て来る。彼らを最前列に押し立て、重装騎馬隊の突撃を押し留めようというのだろう。

 だが――その時、頭上に黒い影が差すのを感じ、イライアスは空を仰いだ。

「……何……!」

 砦への爆撃に見切りを付けたのか、爆撃部隊は旋回し、砦上空を離脱しようとしていた。だがせめてもの置き土産というところか、飛竜ワイバーンから投げ落とされるいくつもの影。それは、まだ敵軍への途上にある重装騎馬隊の頭上へと降り注ごうとしていた。

「いかん!」

 イライアスが焦りの色を浮かべた、その時――。


 空を翔けた、一筋の朱金の輝き。


 にじみ出るような輝きを放つ片翼を背負ったアルヴィーが、見えざる坂を勢い良く滑り下りるように、空中を突っ切り戦場の空へと飛び込んだ。飛竜ワイバーンたちと地上、その間に滑り込むと、身をひねるようにして空を仰ぎ、両手を掲げる。

 そして一瞬の後、投下された爆弾が不可視の障壁に遮られ、空に炎の華が続けざまに咲いた。

「おお……!」

 騎士たちから安堵あんどの声があがる。爆撃部隊はもう爆弾の手持ちも尽きたのか、飛竜ワイバーンを駆って西を目指し速度を上げた。おそらくあれが、最後の足掻あがきだったのだろう。

 一方のアルヴィーも、方向を変えて戦場の上空を離脱すると、そのまま砦のふもと近くへと突っ込んだ。ズガン、と砲弾でも炸裂したような轟音が響き、イライアスもさすがにぎょっとしてそちらを見やる。が、巻き起こった土煙の中、人影が平然と立ち上がるのを双眼鏡越しに見つけ、思わず笑い声が喉をついた。

「……っふ、ははははは……!」

 どこまでも人間離れしたあの少年騎士は、だが律儀にもイライアスの言を守り、爆撃の阻止のみに留めたらしい。その気になれば、上空から敵軍を薙ぎ払い、自身の手柄にもできたというのに。

(であれば、こちらも応えねばなるまい)

 戦場に向き直り、イライアスは剣を握る手に力を込める。その視線の先、雄叫びと馬蹄ばていの音を轟かせ、重装騎馬隊がその鋭い穂先を敵軍に届かせようとしていた。



 ◇◇◇◇◇



 ――ファレス砦爆撃作戦、失敗。

 その凶報に、レクレウス王国軍務大臣、ヘンリー・バル・ノスティウス侯爵はしばし絶句した。

「……それは確かか」

「は……爆撃を行ったものの、大きな被害を与えることは叶わなかったと報告が来ております」

 部下の追加報告に、ヘンリーの顔が焦りに歪む。

飛竜ワイバーンでの爆撃まで跳ね返されたのでは、もはやこちらに打つ手はない。だが、このような結果、とても殿下にはご報告できぬぞ……!)

 もしこの作戦が成功していれば、ファレス砦は防壁としての機能を失うはずだった。そこへ侵攻部隊の本隊を送り込み、ファルレアンの防衛線に穴を開ける――そういう作戦だったのだ。多分に楽観的な作戦だが、レクレウスに残されたまともな戦力といえば、もう飛竜ワイバーンと兵士くらいしかない。そしてヘンリーは、そんな限られた戦力で侵攻作戦を成功させねばならなかった。もし“できない”などと言えば、後は失脚するしかないのだから。

 以前であれば、もっと潤沢じゅんたくな戦力が残っていた。しかし打つ手は裏目に出続け、レクレウスは強力な戦力を無為むいに失った。魔動巨人ゴーレム、そして《擬竜兵( ドラグーン)》を。

(……そもそも、《擬竜兵ドラグーン》などという化物どもを生み出したのが失敗だったのか……しかし、まともに運用できてさえいれば)

 現に、ファルレアンは彼を上手く使い、レクレウス軍に損害を与えている。ほぞを噛むが、今さら悔やんでも時間が巻き戻るわけではないのだ。それよりも、今後のことを考えるべきだった。

 差し当たっては、作戦の失敗を何とか上手く取りつくろわなくてはならない。王太子ライネリオは即位を控え、このところ余計に神経質になっていた。今回のような報告を上げれば、不興を買うことは間違いないだろう。下手をすれば宰相のように罷免ひめんされかねない。

(宰相のてつを踏むわけにはいかん。今まで、どれだけ力を尽くしてこの地位を手に入れたことか……!)

 大国の一つに数えられるレクレウス王国の軍事を司る地位。その重責ゆえに高位の貴族しか就くことはできず、その分宮廷での影響力も強い。他の貴族たちの何人かが、隙あらば自分を蹴落として成り代わろうとしていることも知っている。もっとも今は、ライネリオがやたらとくちばしを突っ込んでくるせいで、ヘンリーの影響力は目減りしているが。

 今回の作戦も、強硬に押し進めたのはむしろライネリオだった。さすがに、報復攻撃の可能性や非人道的な行為に対する他国の干渉といった懸念事項を挙げられ、ファルレアンの王都ソーマを直接爆撃することこそ諦めたものの、戦闘用の施設なら良いだろうとばかりにファレス砦への爆撃をいともあっさりと決めたのだ。しかも具体的な戦術はヘンリーや現場に丸投げという体たらくである。すべては、近く即位する自身への箔付はくづけと、国威高揚のためだった。

 それでも、軍を動かした作戦が失敗すれば、責任を問われるのはヘンリーなのだ。たとえそれが、ライネリオのごり押しで遂行すいこうされた、多分に無謀な作戦であっても。

 ヘンリーは表情を硬くしてしばし沈黙したが、やがて口を開いた。

「……それを、王太子殿下にもご報告申し上げたのか」

「いえ……たった今上がってきた報告でございますので」

「そうか」

 思わず息をつく。この瞬間、ヘンリーの耳に保身という魔物がささやいた。


 ――ならば、報告をわずかばかり偽れば、ひとまず今をやり過ごすことはできる――


 そしてヘンリーは、その囁きにすがってしまった。


「……ならば、わたしがご報告に上がろう。良いか、貴様は何も言う必要はない。今後一切、この件について他言してはならぬぞ。現地にもそう申し伝えよ。そのような話が広まれば、士気が下がる」

「は……はい。かしこまりました」

 多少訝しく思いながらも、部下はこうべを垂れてそれを聞き入れた。ヘンリーは頷き、ライネリオへの報告のため急いで執務室を後にする。

 ――王太子ライネリオの周辺は、間近に迫った即位式典の準備のため忙しく駆け回っていた。ライネリオもまた書面にペンを走らせていたが、戦況の報告と聞いてすぐに面会を許可した。

「して、作戦は成功したのだろうな?」

 ヘンリーは一つ息をつき、口を開いた。

「……は、まだ完了はしておりませんが、おおむね問題なく。ただやはり、多少の損害が出ているとのことでございますが」

「作戦目標が果たされるならば何も問題はない。平民の兵卒など、いくらでも調達できるのだからな。――よし、ならば国民に此度こたびの作戦成功を喧伝けんでんせよ! わたしの即位にも弾みが付くというものだ」

「し、しかし……それは作戦がすべて終了してからでも遅くは」

「何を言っている! ここしばらくろくでもない報告ばかりで、国内に大々的に発表することすらできなかったのだ。ここでこの成果を発表すれば、ものを知らぬ平民どもは躍り上がって喜び、国をたたえるであろう!」

 ライネリオはすっかりその気になり、すでに算段を付け始めている。いたたまれなくなり、ヘンリーは執務を理由にその場を辞した。自身の執務室に戻りながら、背筋が冷えていくのを感じる。

(よもや、殿下があそこまで功を焦っておられるとは……これではもう、後には退けぬ)

 口に出してしまった言葉は、もう取り返しが付かない。ならば後は、とことん嘘をつき通すしかないのだ。

 いずれ、すべてが露見するまで。

 重いため息をつき、ヘンリーはただ歩みを進める。

 事態はもう彼の手を離れ、ない坂道を転がり始めてしまったのだから。



 ◇◇◇◇◇



 クローネル伯爵領の領都・ラクルマルディを出発した第一二一魔法騎士小隊は、イル=シュメイラ街道をさらに西へと至り、つつがなく任務の地へと到着した。今は適当な空き家を借り受けて拠点とし、周囲の探索を行っているところである。

 現場となった一帯は、標高はさほどないがいくつかの小さな山が連なり、それとそこに生い茂る森によって、図らずも隣接する子爵領との境界が形成されていた。魔物たちはどうやらその森にみ付いたらしく、近隣の村落に出没しているそうだ。幸い現在までに死者は出ていないとのことだが、怪我をさせられた者は少なからず存在し、また家畜にも結構な被害が出ているという。

「――どうやら、魔物たちは一定の期間で襲う場所を変えているな。頭の回る個体が、群れを率いているというところか」

 拠点で調査の結果をすり合わせ、ルシエルはそうひとりごちた。ここ数日、彼らは分かれてそれぞれ被害を受けた村落におもむき、詳しい話を聞き取っていたのだが、それらを総合したところ、どうやらこの辺りに出没する魔物は一つの群れであるようだった。それが一定期間ごとにあちこちの村に現れ、数日ほど暴れたかと思うと姿を消して、今度は少し離れた別の村に現れる――その繰り返しなのだ。村人たちの話によれば、魔物の群れは矮躯わいくの人型と獣型の二種類の混成で、いずれも獰猛どうもうであったという。

「小柄な人型……ということはやはり、ゴブリン辺りが有力でしょうか」

「そうかもしれないな。ゴブリンにはたまに頭の良い個体が出る。そういう奴が、獣型の魔物を従えることにでも成功したのかもしれない」

 ゴブリンは森に棲むので、地理的にも条件を満たしている。今までこれといった事件も起きなかったこの地で、いきなり被害が多発し始めたのは、やはりそういったリーダーシップを持つ個体が現れて、周辺のゴブリンや他の魔物たちを取り纏め始めたのだろう。

「ま、頭が良いっていっても程度は知れてるわな。俺たちはただ、そいつらを仕留めりゃいい」

 カイルが好戦的な光を双眸に閃かせる。そして、ちらりと壁に目を走らせた。

「……それよか隊長」

「ああ、分かってる。おそらく、異母兄上あにうえたちが送り込んで来た連中だろう。ラクルマルディからここまで、ご苦労なことだ」

 ルシエルも戸口を一瞥いちべつし、口元にわずかに笑みを刻んだ。

 ――ラクルマルディの領主館で、ルシエルがこれ見よがしに父からの書状を届けたのは、異母兄二人をあおるためだった。もちろん、ルシエルが館を辞した後、二人が書状の中身を確認するのも織り込み済みである。父が二人を排除しルシエルを新たに後継者として据えるとなれば、現在の権力と生活を失いたくない彼らは必ず何かを仕掛けてくるだろう。そう踏んだルシエルの読みは正しく、ルシエルたちがこの地に到着した二日ほど後に、数人の男たちが姿を現したのだ。彼らは旅の傭兵と名乗っており、事実そうなのだろうが、どことなく“まともでない”雰囲気を纏っている。必要とあらば人すらもあやめてきた連中であろうと、容易に見当が付いた。

「正直、よくこの短時間であんな連中と渡りを付けられたものだとは思いますが」

「相当金を積んだとは思うよ。それに、異母兄上あにうえたちはずいぶん、盛り場で遊んでいたらしいからね。そういう連中に繋がる伝手つてでも、どこかでできたのかもしれない」

「……それ、伯爵家としてはまずいんじゃないでしょうか」

 シャーロットは相変わらず現実的だ。ルシエルは苦笑して肩を竦めた。

「分かってる。この一件が片付いたら、そっちの方もどうにかしないと」

 もっともそれは、すでに父が動いているかもしれない。正確には、父の意を受けたあの代官が。サダル・ヴァン・ラッソーは優秀な文官だ。何しろ遊蕩三昧ゆうとうざんまいの異母兄二人に代わって、数年もクローネル伯爵領を問題なく動かしていたのだから。クローネル伯爵家に悪影響を及ぼしかねない黒い繋がりも、上手く切ってくれるだろう。

 ルシエルがやるべきことは、異母兄たちの差し向けた刺客とおぼしき連中を撃退し、後継者としての足場を固めることだ。

「……おそらく連中は、僕たちが魔物たちと交戦するのに乗じて襲撃して、何もかも魔物の仕業に見せかけるつもりだろう。僕の家の厄介事に巻き込んで悪いが、そのつもりで気を配っていてくれ」

「了解しました」

「ま、相手がゴブリンじゃはっきり言って、俺たち過剰戦力オーバーキルだろ。そいつらが混ざってようやく退屈しねえ、ってとこじゃないっすか、隊長?」

「そんなこと言って、あんたが真っ先にやられたら笑うわよ」

 自信満々のカイルにジーンが突っ込み、軽い笑いが起きる。もとより彼らは国境戦を戦い、大暴走スタンピードではサイクロプスをも仕留めた猛者もさ揃いなのだ。この状況も、あくまでルシエルの狙い通りに運んだに過ぎない。

「まあ連中のことはひとまず置いておいて、任務を優先だ。――聞き込みで分かった魔物たちの行動からして、そろそろこの辺りに舞い戻って来る可能性が高い。そこを迎撃する」

 ルシエルはテーブルに広げた地図を指先で軽く叩く。精密な地図は軍事機密として秘匿ひとくされるので、これはせいぜい領地の位置関係と大きな街道くらいしか分からない大雑把おおざっぱなものだが、魔物の移動ルートの確認程度ならこれで充分だ。出没地点を表す点と日付が書き記された中、ルシエルたちが現在拠点としているこの村の辺りだけが、襲撃の日付が少し古い。そして、新しい日付がだんだん、この村に迫るように近付いてきている。

「魔物が侵入して来そうな場所は、もう目星を付けてあります。何なら、いくつか罠を仕掛けておいてもいいかもしれませんな」

「あ、面白そうじゃん。やってもいいよ」

 ディラークの進言に、クロリッドが目を輝かせる。ルシエルは彼らに任せることにした。ただし、原状復旧げんじょうふっきゅうはきちんとするように言い聞かせておく。

 その他いくつか細かいことを決め、彼らは準備のため動き出した。もちろんその間も、異母兄あにの刺客と思しき傭兵の男たちは、目立たないようにルシエルをけ回している。まったくご苦労なことだ、とルシエルは内心苦笑した。


 事態が動いたのは、翌日の夜のことだった。


 ルシエルの読みは見事的中し、魔物の群れは日が沈むのを待っていたかのように、日没後の村を襲った。昇り始めた月の光の下、ゴブリンと狼のような姿をした四足の魔物が入り混じった、混成部隊ともいえる一群が、森から湧き出るように現れて村に雪崩なだれ込もうとする。

 ――瞬間、その先頭集団が地面に吸い込まれるように消えた。

「やったね!」

「キレーにハマったな!」

 ユフィオとクロリッドが声を弾ませ、拳を軽く打ち合わせる。騎士学校時代からの同期である彼らは、こういう時にも息が合うのだ。やる気満々で地魔法を駆使し、この辺り一帯に落とし穴を作りまくったクロリッドと、幻覚魔法でそれを上手く誤魔化したユフィオのコンビネーションの勝利だった。

 そして突然のことに右往左往する魔物たちの横合いから、シャーロットのバルディッシュの一撃が襲い掛かる。身体強化魔法全開での豪快な一振り(フルスイング)は、魔物数体をまとめてぶった斬り、さらに数体を身体ごとへし折る勢いで薙ぎ払った。

「ギィッ!?」

「ギギッ!」

 慌てて逃げ出そうとしたゴブリンたちが、その瞬間弾かれたように頭を揺らして倒れる。ユナが放った氷の弾丸のヘッドショットを食らったのだ。音どころか気配すら感じさせない寡黙かもく狙撃手スナイパーは、現場から少し離れた木の陰で愛用の魔法小銃ライフルを構え、逃げようとする魔物を片っ端から撃ち抜いていく。

「――よし、そのまま魔物は全滅させろ。特にゴブリンは一体も逃がすな。どれが頭か分からないからね」

 魔物たちを率いていると思しき個体の区別が付かない以上、全滅させるのが一番後腐れがなく安全な方法だ。人間に害をす魔物など、残しておくわけにはいかないのだから。

「……さて」

 魔物の方はシャーロットたちに任せることにして、ルシエルは村の方角を振り返った。

「問題は、あの連中がどう出てくるか、か……」

 例の刺客らしき男たちも、この様子をどこかで見ているはずだ。注意深く周囲を見回したその時、何かが飛んで来てルシエルの足下で跳ねた。

「っ、何だ!?」

 反射的に飛び退く。瞬間、飛んで来た物体が強い光を放った。おそらく、対魔物用の、目晦めくらましのマジックアイテムといったところだろう。月明かりはあるものの、昼間に比べれば格段に暗い周辺に目を慣らしたところでこれだ。しかも物体の正体を見極めようと凝視していたのがあだとなり、視界を遮るのが間に合わなかった。

「隊長!」

 事態に気付いたシャーロットの声が響く。その声に紛れてかすかに聞こえた、風を切る音――。


「――あらよっ、と!」


 しかしそれは、ルシエルに届く前に跳ね返され、きぃん、と甲高い音を立てた。

「なーるほどねえ。闇討ちに手慣れてやがんなぁ」

 自身の大剣を盾に、カイルはその双眸を剣呑けんのんにすがめる。その足元には一本の矢。

「ゴブリンにも武器持ちはたまにいるし、弓矢くらいなら何とか誤魔化せるって踏んだか?――つーか大丈夫っすか、隊長」

「ああ、助かった……けどもしかして、この暗がりの中で飛んで来た矢を叩き落としたのか? どういう芸当だ」

「弓矢なんて、急所狙わないと相手殺せないっしょ。だったらそこメインに守ればいいだけのことっすよ。なあ、オッサン?」

「まあな」

 この場合、狙われるのは心臓か頭。そこでディラークがルシエルの頭部を、カイルが胸部を、その武器を盾としてガードしたのだ。月も出ているし、屋外であれば遠距離からの狙撃もあり得る――そう考えて用心していたのが、功を奏した形だった。

 そして、一番の危地を脱すれば、やることは決まっている。

「ジーン!」

「分かってるわよ! 撃ち果たせ、《雷撃瞬波ヴォルトウェーブ》!!」

 カイルの声に、準備を整えていたらしいジーンが広範囲雷撃魔法を放った。まばゆく輝く稲妻が波となって広がりながら、瞬く間に駆け抜ける。その途中で、うめくような声がいくつか聞こえた。

「やっぱり、周りで待ち伏せてたわね。――さーて、どうしてくれようかしら」

「この手慣れっぷりは、後ろ暗いことも相当ありそうだしな。ちょっと締め上げてやろうぜ」

「同感だ。腕が鳴るな」

 る気――ではなくやる気満々で、犯人たちを引っ捕らえに行く部下たちを、ルシエルは「程々にな」と声をかけて見送った。さっきの閃光にやられた目も、もう回復してきている。一応念のために剣を抜き、魔物の方はもう片付いたかとそちらを見やった。


 ――瞬間、ざり、というかすかな足音。

 そして振り抜かれる、闇夜に溶け込むような黒い刃。


 ぎぃん、と刃の噛み合う音が、夜の闇を裂いた。


「……なるほど。光を反射しないように黒塗りの剣か。もう傭兵じゃなくて暗殺者アサシンを名乗るべきじゃないか?」

 どうやら残る一人は、ジーンの魔法の効果範囲内にいなかったらしい。仲間たちが失敗し、こちらが気を緩めたことまでも利用してルシエルを仕留めに来る辺り、本当に傭兵より暗殺者アサシンと名乗った方が良いような仕事人ぶりだ。

 だが生憎あいにく、ルシエルもここで殺されてやるわけにはいかないので、剣を噛み合わせたままそのを呼ぶ。

「――《イグネイア》!」

 を呼ばれた魔剣が目覚めたのを感じ、ルシエルは魔力を流し込む。ふわりと赤く輝いた魔剣は、その切れ味を存分に発揮し、噛み合った黒い刃を木片か何かのようにすっぱりと断ち切った。

「何っ……!」

 さすがにこれは予想外だったのか、相手が驚きの声をあげる。その隙を逃さず、ルシエルは鋭く剣を返し、その柄頭を相手の鳩尾みぞおちに叩き込んだ。

「ぐえっ――!」

 急所に手加減なしの一撃だ。目をいて後ろに吹っ飛んだ男は、そのまま両手足を投げ出すようにして動かなくなった。

「――隊長! 大丈夫ですか!」

「ああ、これで粗方あらかたは片付いたみたいだ」

 魔物を片付けたシャーロットたちも合流し、しばし周囲を警戒したが、どうやらこれで本当に打ち止めのようで、新手が出て来ることはなかった。もしかしたら逃げたのかもしれないが、それならそれで構わない。襲撃犯という何よりの証拠は、すでに何人も押さえてあるのだから。

「任務も完了したし、後はこいつらを尋問して、領主館に引き渡すだけだな。拠点に戻って報告をまとめよう」

「はい」

 念のために襲撃者を拘束し、身体強化魔法を起動してその身を担ぐと、ルシエルは部下たちと共にひとまずの拠点である空き家へと戻って行った。



 ◇◇◇◇◇



 ライネリオ・ジルタス・レクレウスがライネリオ一世として即位した日は、雲一つなく良く晴れていた。

 準備を急がせた甲斐あって、即位の儀は何とかとどこおりなく執り行われ、ライネリオは晴れてレクレウス国王となった。勢いに任せて罷免した宰相ロドヴィックの後任は、母方の祖父であるバルリオス公爵だ。あからさまな身内贔屓(びいき)の登用に、だが他の貴族たちは口を挟めない。彼らの頭にあるのは、長年王家を支えながらライネリオの意に沿わない意見を述べただけで追い落とされた、前宰相の一件だった。


 ――我が身が可愛ければ、下手な口出しをすべきではない。


 国の在り方を正すよりも、自らの保身を優先して貴族たちが黙るのを良いことに、ライネリオはさらなる中央集権を推し進め始めた。すべての権限を、自分へと集中させようとしたのだ。多少なりとも目端の利く者は、その行き着く果てが独裁であることをすぐに見抜き、その中でも思慮しりょ深い者はさり気なく静かに王家から距離を取り始め、考えの浅い者は年若い王をいさめようとして失敗した。叱責しっせきされ、謹慎を申し付けられる貴族が増えていく。中には宮廷での役職を取り上げられ、失意の内に領地に篭もる者も現れた。

 それらの変化を、ナイジェルは一歩引いた場所で眺めていた。

 もちろん、彼はただ傍観者でいたわけではない。情報を操作し、民の間に噂を流し、今回の戦争で強硬派貴族と癒着ゆちゃくした一部の商人だけが肥え太っていること、戦争が続く限り民は搾取さくしゅされ続けること、新たな王は平民の命など消耗品としか思っていないこと――それらを少しずつじわじわと民間に広めていく。始末の悪いことに、それらは確かに事実であるのだ。そうして現王や継戦を望む強硬派貴族への反感を、平民たちの間に静かに着実に育てていった。それはやがて、王家や強硬派貴族の足元を揺るがす、大きなうねりとなるだろう。

 同時に彼は、ファルレアン側の特使であるヨシュア・ヴァン・ラファティー伯爵と極秘の会合を重ね、停戦への道を探っていた。


「――ほう。では、クィンラム公は政権転覆を企んでおられると?」


 会合場所としてよく使う、クィンラム公爵家の別邸。その応接間で、ヨシュアは紅茶のカップを片手に、目を細め笑みを浮かべてみせる。ナイジェルは小さく笑い声をあげた。

「これは人聞きが悪い、ラファティー伯。わたしはただ、このくだらない戦争を終わらせ、国を守ることを考えているだけです」

「確かに……戦争も外交の一種とは申しますが、引き時を見誤れば泥沼にしかなりませんからね」

「いやはや、耳が痛いお話です」

 “引き時を見誤った”というのは、何とも的を射た言葉だ。実際レクレウスは、この戦争を終わらせる時機を幾度いくどいっしてきた。その結果、自ら傷口を広げ、ろくな戦力も残らないほどにまで追い詰められてしまっている。

「しかし、そのために国の政体を変えるとは、また思い切ったものですね」

「国王が優秀であれば、その裁量で国を治めるに何の問題もありません。ですがそうでない王のもとに私腹を肥やすことしか頭にない無能な貴族が集まれば、国はやがて腐り果てる。その腐敗が国中に広まる前に、腐った部分を取り除いて捨てることは、理にかなっていると思いますよ」

「……確かにこちらとしても、いつまでも戦争を続けたいわけではありません。ですが、ここまでになってしまうと、終わらせるにもそれなりの労力が要る」

 ヨシュアは懐から、一通の封書を取り出す。丁寧に折り畳まれ、さらに別の紙に包まれた、眩いほどの白さを持つ紙面には、流麗りゅうれい筆致ひっちでファルレアン側の要求が書きつらねられていた。それを読み、ナイジェルはわずかに眉を寄せる。

「これは……」

 そこに書かれた要求は、レクレウス側が妥協できるラインよりもわずかに厳しい。ヨシュアが柔らかく尋ねる。

「我が国の要求としては、妥当なところだと思いますが?」

「……残念ながら、こちらでは交渉にすらならないでしょう。“現体制下では”」

 現王ライネリオであれば、一考の余地もなく突き返すような要求だろう。だが幾度も武力衝突を繰り返し、ファルレアン国内の都市にも甚大じんだいな被害を与えた事実がある以上、法外な要求ともいえなかった。交渉してもう少し控えめなものになれば、呑めないことはない――そういうレベルの要求だ。そもそも戦争を吹っ掛けたのもレクレウス側であり、現在の戦力差は歴然。強く出られる立場ではないのだ。

 しかし国のためには、無理にでも強く出て交渉を試み、相手から少しでも譲歩をもぎ取らなくてはならない。

 とはいえ、現在の体制下ではそれすら不可能であることを、ナイジェルは良く分かっていた。ファルレアン憎しで凝り固まった強硬派筆頭であるライネリオに、ファルレアンと交渉するなどという芸当は不可能だ。何の根拠もなく自身の方がファルレアンの女王よりも格上だと思い込んでいる彼は、ファルレアンから要求を突き付けられたというだけで激怒しかねない。

 そうした現状を含ませたナイジェルの返答に、ヨシュアは頷いた。

「なるほど。――ではこちらも、多少の労は取らねばならないということですか」

「労、とは?」

「何、大したことではありませんが。我々としても、“交渉の余地がある”相手の方が有難いというだけのことです。そのための労ならば、我々としても取る価値はある」

「……なるほど」

 確かにファルレアンとしても、交渉にすらならない相手よりは、まだしも歩み寄れる相手の方が良い。つまりは――ナイジェルの計画にあえて乗るつもりがある、ということだ。

「何はともあれ、この件はお互い、一時持ち帰ることに致しませんか。双方が交渉のテーブルに着けるようになるまで」

「同感です」

 二人は立ち上がり、握手を交わす。それは、彼らがこの件に関して“共犯”になったことを示すものだった。


(――ラファティー伯が本国に戻ってからだな、事態が動くのは)


 いずれファルレアン側から何らかの接触があることを予想し、ナイジェルは息をついた。ともあれ、ファルレアンを“こちら側”に付けることはできたと思って良いだろう。後は、こちら側で上手く立ち回り、ライネリオや強硬派貴族たちの足場を崩していかねばならない。


(種はいてある。後は育てていくだけだ)


 彼らには、ふるき時代の負債を背負って消えて貰う。そして新しい国の新しい時代を、自分たちが築いていくために。


 一つ息をついて、ナイジェルは自宅に戻るため使用人を呼び、馬車を用意させる。もう当分この屋敷を使う予定はないので、内外で警護をさせている従者たちや、暗殺者アサシン上がりの護衛たちも連れて帰るため、自身の分と従者たちの分の二台を用意するよう言い付けた。彼らにはまだまだ、働いて貰わねばならない。

 すぐに馬車は用意され、ナイジェルはその内の一台に乗り込むと、密かに時代が動いた現場となるであろう、自身の別邸を後にしたのだった。


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