第46話 嚆矢
サブタイトルは「こうし」です。
ほんとマジでタイトルにルビが欲しい。運営さん頼んます……。
「……何? ルシエルが来ただと?」
城館の一室、豪奢な調度品が溢れんばかりに設えられた部屋で、青年は使用人からの報告に眉を寄せた。緩やかに波打つ明るい色の金髪は、香油を用いて丁寧に整えられ、くすんだ緑色の双眸はどこか小狡そうな光を帯びている。加えてその体躯は、普段の不摂生を示すかのように脂肪に覆われていた。
「ああ……そういえば父上から、そんな手紙が来てたかもなあ」
もう一人、こちらはどこか線の細い印象を与える青年が、どうでも良さそうにそう言い放った。金髪に緑の瞳、配色は小太りの青年と同じで顔立ちも――配置はともかく個々のパーツは――よく見れば似通っていて、兄弟だと何とか見当が付く。ただし体格においては倍ほどの差があるが。
「手紙だって? そんなもの、わたしは知らないぞ」
「僕もよく見てはいないけど。僕たち宛じゃなくて、サダルに来たものだったし。にしても、父上に気に入られてずっと王都にいたのに、一体どういう風の吹き回しかねえ」
「ふん……ちょっと剣の腕が立って騎士団に入れたからって、妾の子が大きな顔を……!」
苛立った時に爪を噛むのは、小太りの青年の癖だ。貴族としてはあまり見栄えがよろしくないその癖を、父からは直すようにと以前言われていたが、結局直らないままにここまで来てしまった。
「ディオニス様、いかが致しますか」
「ええい、叩き出せ!」
「しかしディオニス様、ルシエル様は魔法騎士団の騎士としてもいらしているということで……その、以前に打診がありました、魔物の討伐に私兵を出して貰いたいという件について、騎士団の方からルシエル様の小隊が派遣されたそうです。その件で、領主代行であられるディオニス様にも、話を通しておかねばならないとのことでして」
「む……」
青年――ディオニス・ヴァン・クローネルは、痛いところを突かれて押し黙る。近隣の子爵領からの私兵の派遣要請を、何の得にもならないからと無視するよう命じたのは、他ならぬ彼であった。ディオニスとしては、領地辺境の魔物討伐より、領都周辺の治安維持を手厚くする方が優先すべき事柄であったのだ。何しろ、すっかり馴染みとなった街の娼館の娘が、領都周辺の治安が悪くなるのは怖いと甘い声で強請ってきたので。
「それはまずいなあ。さすがに騎士団と喧嘩はできないよ、兄上」
「……ふん。仕方ない。適当に相手をして追い返せ」
弟であるクリストウェルの言葉に、ディオニスは面白くなさそうに鼻を鳴らしながらも、幾分語気を弱めた。
「魔物を討伐したいというなら、好きにやらせておけば良い。こちらに損はないのだしな」
「は、はあ……畏まりました」
使用人は慌てて一礼し、部屋を後にする。それを見送り、ディオニスは小さく舌打ちした。
「ちっ……せっかく街で羽を伸ばそうと思っていたのに、興が削がれた」
「じゃあ行かないのかい?」
「馬鹿を言え、どうしてわたしがあの妾の子ごときのせいで、楽しみを諦めなくちゃならない? それに、今日こそ今までの負け分を取り戻さなくてはな」
「兄上はすっかり賭け事に嵌まっちゃったね。――じゃあ僕も、この間の娼館にまた行ってみようか。あそこは美人揃いで目の保養になるしなあ」
昼日中から不健康な楽しみに思いを馳せつつ、彼らもまた部屋を後にする。本来ならば領主代行として形だけでも執務に励むべき彼らは、だが今までほとんどその役目を果たしたことがなかった。専門の実務は代官として任命された者が担当するのだが、ほぼお飾りとはいえ、仮にも領主の嫡出子である彼らが何もしなくて良いわけはない。子供の時分であればまだしも、現在二人とも二十歳をとうに過ぎているのだ。しかし彼らにその自覚は一切ないようだった。
今までいたディオニスの私室から、一階の広間を見下ろす回廊へ出る。だが、二人はそこで足を止めた。
筋骨逞しい大男を背後に伴い、広間に立つ一人の少年。彼が纏うのは、二人が纏うことを求められ、そしてとうとう纏うことが叶わなかった騎士団の制服だ。
彼は足音を聞いたのか、顔を上げて二人と目を合わせた。
「――ご無沙汰しています。お二人とも」
何の表情も浮かばないその秀麗な顔に、ディオニスはまた小さく舌打ちした。
「ちっ……追い返したんじゃなかったのか」
「やあ、ルシエル。こんなところまでご苦労だねえ」
一方のクリストウェルは、まだしも友好的に手など振ってみせる。ルシエルの表情は変わらなかったが。
「任務ですので。それにこの間は、ここを通り越して国境にも行きました」
「そりゃ大変だ。ま、頑張っておくれよ、クローネル家のためにね」
肩を竦めたクリストウェルを押し退けるように、ディオニスが唾を飛ばさんばかりに喚く。
「おまえは魔物の討伐に来たんだろう! ならここでぐずぐずしていないで、さっさと現地に行ったらどうだ!」
「そのつもりです。ですが、話を通しておく必要はありますし、ここの代官宛に父上から言付かって来た書状もありますので」
「父上から――だと?」
訝しげに顔を歪めるディオニス。クリストウェルも眉をひそめた。
「……何だろうね」
「おい、それを見せろ」
「申し訳ありませんが、受取人は代官と聞いておりますので、勝手に開封するわけには参りません。それでは、失礼します」
切り口上のようにそう言って、ルシエルは使用人の案内を受け、従えた大男と共に奥へと消えた。
「ちっ……おい、行くぞ」
「行くってどこへ?」
「決まっている! その書状とやらを手に入れるんだ!」
単なる業務文書のやり取りなら、わざわざルシエルを介さずとも済むことだ。だが、任務に便乗したとはいえ、ルシエルの手で運ばせたことに何か意味があるのではないか――ディオニスの勘がそう囁いた。
だが、ただでさえだだっ広い邸宅、しかも二人は領地の運営にはまったく興味などなかったため、代官やその部下たちの執務室の場所など覚えていない。自力で探すのは早々に諦め、たまたま通り掛かってしまった使用人を捕まえて、執務室へと案内させた。
「――ここか!」
目当ての部屋に辿り着いたディオニスは使用人を放り出し、ノックもなしに扉を開ける。中は本棚と机が並んでおり、文官たちが忙しく行き交っていたが、ディオニスはそれを突き飛ばすように押し退けながら、部屋の奥の方にいるルシエルのもとを目指した。
「おい、ルシエル! その父上からの書状とやらを寄越せ!」
「……もう代官に渡してしまいましたが。必要でしたらそちらへどうぞ」
冷めた目で自身を見やるルシエルに、ディオニスは憤然と掴み掛かろうとしたが、それを制するように大きな影が割って入る。身長一九〇セトメルを超える長身に見下ろされる形となり、ディオニスは気勢を削がれてわずかに後ずさった。
「……な、何だ貴様は!」
「クローネル小隊長指揮下、第一二一魔法騎士小隊に所属しております、ディラーク・バートレットと申します。此度は念のため、護衛として随行しておりますので、むさ苦しくはございますが何卒ご容赦の程を」
「ぐ……」
口調は丁重だが、その威圧感たるや、とてもディオニスが抗えるものではなかった。
「……っ、ふん! まあいい」
何とか体面を保ち、鼻を鳴らして視線を逸らす。と、そこへ代官かつ子息二人の目付役であるサダル・ヴァン・ラッソーが、書面を携えて奥の部屋から戻って来た。
「……おや、ディオニス様にクリストウェル様。こちらにお運びとはお珍しいことでございますな」
癖のあるダークブラウンの髪の下、眼鏡越しに明るい茶色の双眸が光る。領地を持たない文官貴族、その中のとある男爵家の四男として生まれたという彼は、家を継ぐなどということは早々に諦め、十代半ばで家を出て文官として貴族の家で働き始めた。クローネル伯爵家に召し抱えられたのは十年ほど前のことで、今年で年齢は四十を数える。
文官貴族とは代々文官として王城に出仕し、業務の遂行のために爵位を与えられた貴族たちで、基本的に領地を持たないので経済的に苦しい家も少なくない。そういった貴族の子弟たちの就職先として、他の貴族家に仕える文官というのはさほど珍しくもない選択肢なのだ。そしてそういった貴族出身の文官に、子弟の教育係や目付役、領地運営の代行などを任せる貴族も少なくなかった。
サダルはわずかにずり落ちてきた眼鏡を直すと、ルシエルに向き直る。
「それではルシエル様、こちらが騎士団への正式な依頼文書となります。それと旦那様からの書状、確かに頂戴致しました。ご指示の通りに致しますとお伝えくださいませ」
「分かった。よろしく頼む」
頷いて、差し出された書面を受け取ると、ルシエルはもう用は済んだとばかりに踵を返し、異母兄二人に一礼する。
「では、僕はラクルマルディで一泊した後、明朝現地に向かいますので、これで失礼します」
「あ、おい――」
とっさに呼び止めようとしたディオニスだったが、ルシエルは部下を従え、さっさと部屋を出て行ってしまった。まあどの道、呼び止めたところで話すことなどありはしないのだが。
苦々しい顔で異母弟を見送っていたディオニスだったが、思い出したようにサダルを振り返った。
「そうだ、結局父上がおまえに寄越した書状とは何だったんだ。見せろ」
そう言いながら、返事も待たずに奥の部屋に踏み込む。そこはサダル個人の執務室となっており、領地に関する重要書類や帳簿の類が並んでいたが、ディオニスはそれらのものにはまったく目もくれず、机の上に広げられた書面を取り上げた。ざっと目を走らせ、そして自らの目を疑う。
「な――何だ、これはっ!?」
「兄上、どうかしたのかい?」
「どうしたもこうしたも……これを見ろ!」
ひょこりと顔を覗かせた弟に、ディオニスは書状を突き付ける。その内容を読み、クリストウェルもさすがに絶句した。
「これって……」
「わたしたちを後継者候補から外す、だと!? しかも代わりが――」
そこから先は言葉にならずに、ディオニスは蒼白な顔で文面を見つめた。
それは、ディオニス及びクリストウェルの素行に問題があり、次期領主として学んでいる様子も見受けられないため、彼らを後継者候補から外し、第三子ルシエルを新たな後継者候補とするという通知文書だった。正式な様式に則って書かれてあり、領主たるジュリアスのサインも記されている。充分に公式文書として通用する代物だ。
「く、くそ、こんなもの――!」
激昂のままに書面を破り捨てようとしたディオニスだったが、どうやら保護の魔法が掛かっているらしく、いくら力を込めても破れ目一つ入れることはできなかった。
「――お分かりいただけましたか。これは正式な通知文書となりますので、お返しいただきます」
そこへ入ってきたサダルが、呆然としたディオニスの手から書面を引き抜き、部屋にある鍵付きの箱に仕舞った。
「それに、あの書面は旦那様のご意思を示されたに過ぎません。いくら書面を処分なさったところで、旦那様がお考えを変えられぬ限り、書面に書かれた事実が覆ることはございませんよ」
「そ――そんな馬鹿なことがあるか! わたしたちの母は由緒正しい侯爵家の出だぞ!? それに引き替えあれの母はたかだか男爵家の娘、しかも所詮妾ではないか! そんな下賤の血を引く者などに、このクローネル伯爵家を継がせるというのか!?」
ディオニスの喚き声に、サダルは小さく眉をひそめる。彼もまた男爵家の出身だ。それも、領地を持たない貴族というのは、同じ爵位でも領地を持つ貴族に比べて一段下に見られる傾向が強い。つまりディオニスは、サダルの血筋をも貶めたようなものなのだ。もちろん本人は、そんなことなど気付いてもいないが。
「……とにかく、この件に関しましてはわたしどもではどうすることもできませんので。強いて申し上げるなら、お二人が次期領主に相応しい力量をお持ちだと旦那様に示されたならば、まだ目はありましょうが」
「お、おのれ……!」
ディオニスは歯噛みしたが、これまで散々好き放題に暮らし、本来果たすべき責務を放り出していたのは他ならぬ彼らなのだ。今さらそれを取り返すのは至難の業であることくらい、彼らにも理解はできた。
「――くそっ、行くぞ!」
「ええ? 行くってどこへ……」
クリストウェルの困惑に構わず、ディオニスはずんずんと執務室を出て行く。不機嫌そのものの様相で床を踏み慣らして歩いて行く彼に、文官や使用人たちは慌てて道を開けた。
もはや街へ遊びに出るという予定は吹っ飛び、再び自室に戻る。後を追って来たクリストウェルが、恐る恐るといった風に尋ねた。
「……それで、どうするんだい、兄上?」
「決まっている! ルシエルなどにこの家を継がせて堪るものか! どんな手を使ってでも邪魔してやる……!」
憤怒の形相も凄まじくぶち上げ、ディオニスはぶつぶつと何やら呟き始める。そんな兄を、クリストウェルは何ともいえない顔で見やった。
(領主なんて面倒そうだし、僕は楽してそこそこ遊んで暮らせればそれでいいんだけどね。ああでも、素行が問題なら領地内の僻地の別宅にでも幽閉される可能性もあるのか。それじゃ困るなあ)
彼は享楽的で、面倒事が嫌いな人間だった。だから後継者候補といってもまったく積極的でなく、権限は兄に、実務は代官や文官たちに任せ、自分は責任など負わず遊び歩いていたかったのだ。
だが、後継者候補から外されるとなるとそうもいくまい。自分たちの母方の祖父が父よりも上級の貴族であるため、自分たちが切り捨てられることはないと踏んでいたのだが、これは予想外だった。
(後ろ盾が全然違うから、安全だと思ってたんだけどなあ……)
ああでも、と思い出す。使用人たちがルシエルについて、友人がどうのと話をしていた気もする、と。使用人たちの噂話、しかも異母弟についてのものなどさほど気に留める必要もないと思い、すぐに忘れ去ったのだが。
(関係があるかは分からないけど、僕たちが切り捨てられたってことは、そうしても構わないと父上が判断したってことだからなあ。父上は物凄い野心家だから、母上の実家との縁は切りたくないと思ってたはずだけど、それがこうなったってことは、それ以上の後ろ盾がルシエルに付いたってことなのか……?)
彼なりに考えを巡らせるクリストウェルの横で、ディオニスが声をあげた。
「――そうだ! あいつは魔物の討伐に行くんだ、そこであいつが死ねば、どの道後継者はわたしたちしかいなくなる! そうなれば父上もどうしようもあるまい!」
「……それはさすがに無理がないかい、兄上? 仮にも魔法騎士団だよ。しかも護衛もいる。その辺の魔物じゃ歯が立たないと思うよ」
「ふん、魔物にやられるのをただ待つなんて誰が言った。――暗殺者だ。傭兵でもいい。とにかく腕が立つ奴を金で雇って、あいつを始末させれば良いんだ。幸いあいつはラクルマルディで一泊して行くらしいし、今日中に話を付ければ間に合う!」
「ええ……」
さすがにそれは、と引き気味な弟の様子には気付かず、ディオニスは早速手持ちの金を掻き集め、ばたばたと部屋を出て行く。
「何をしている、行くぞ!」
「ええー……」
気乗りしないこと甚だしいが、クリストウェルは昔から流されやすい性格をしている。この時も強引な兄に流されるまま、引きずられるようにして彼は、部屋を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇
ファルレアン王国王都・ソーマ――その中心たる《雪華城》の玉座で、女王アレクサンドラは目を閉じていた。
やがて、その瞼が震える。開かれたペリドットグリーンの瞳はどこまでも静謐で、だがただの少女にはない力強さを見る者に感じさせるものだ。
彼女が目を開くと同時に、彼女を取り巻いていたかすかな風が霧散した。
「……ありがとう、あなたたち」
差し伸べた指先を擽るように風が撫で、楽しげに笑う声が聞こえる。だがそれもあっという間に薄らぎ、ふわふわとたなびいていた淡い色の金髪が、さらりと一揺れしておとなしくなった。
「――陛下」
宰相であるヒューバート・ヴァン・ディルアーグ公爵が、気遣うように問うてくる。それに小さく手を上げて返し、アレクサンドラは騎士団長を呼ぶよう命じた。
「騎士団長を呼んで。できるだけ急いでちょうだい」
「は、畏まりました。――誰か!」
ヒューバートは人を走らせ、その人物はしばらく後に目当ての人物を連れて来た。
「――お召しにより馳せ参じました、陛下。どういったご用向きにございましょうか」
跪き挨拶を述べたファルレアン王国騎士団長、ジャイルズ・ヴァン・ラウデール。辺境伯家の出身ながら実力で騎士団長の座に上り詰めた生粋の武人だが、その無骨な外見と経歴に似合わず、必要とあらば搦め手もためらわず使う策士だ。それは、敵国の兵士であったアルヴィーを騎士として取り込んだ一件が示している。
「少し尋ねたいことがあって、あなたを呼びました。――《擬竜騎士》の動向についてだけれど。彼は今、南部のファレス砦に赴いている……これは間違いないのね?」
「は。現地からの報告によれば、《擬竜騎士》は本日までに二度レクレウス軍を迎撃し、一度目の会敵では敵指揮官を討ち取り防衛線の立て直しに成功、二度目は魔動巨人部隊を全滅させるという功を挙げております。ムーアグロート辺境伯にも確認を取っており、間違いはございません」
その報告に、周囲にどよめきが起こる。
「何と……相変わらず凄まじい戦果よの」
「魔動巨人を全滅とは……一人でそれか。末恐ろしいな……」
「味方となれば、これほど頼もしい存在もないということか」
臣下たちのざわめきを聞きつつ、アレクサンドラは頷く。
「では、ここ数日の間、彼がファレス砦にいることは証明されたということね」
「は、仰せの通りにございますが……」
小さく息をつき、それでもアレクサンドラのやや硬い表情は晴れない。
「……陛下?」
訝しげな問いに、アレクサンドラはゆるりとかぶりを振って口を開いた。
「……つい先ほど、風の精霊たちが教えてくれたわ。――ヴィペルラート帝国とモルニェッツ公国の国境で、ここ数日の間に戦闘があったそうよ。精霊たちが見た限りでは、ヴィペルラート側の陣は見る影もなく焼き払われていたと。聞いた状況から察するに、おそらく部隊は壊滅的な被害を被っているわ」
その言葉に、先ほどよりも大きなざわめきが座を満たした。
「そ、それはまことでございますか、陛下!」
「ヴィペルラートとモルニェッツが、開戦したということか……!?」
「ですがそれらしき情報は、まだどこからも入っておりませんぞ」
「それに、モルニェッツの戦力でヴィペルラートをそこまで一方的に焼き払えるはずはございません」
そもそもヴィペルラート帝国とモルニェッツ公国では、国力に差があり過ぎる。強いて考えられるとすれば、ヴィペルラートからの侵攻だった。ヴィペルラート帝国内には、かつて精霊の呪いを受けたせいで砂漠と化した土地がある。そこは時を経るごとに少しずつ広がり、国民の生活圏をわずかずつ、だが確かに削り続けているのだ。もちろんヴィペルラートもあらゆる手段を講じたが、呪いは一向に解けることなく、砂漠は広がり続けて魔物を生んでいる。そんな土地を抱えてしまったヴィペルラートは、少しでも領土を広げるため、他国に侵攻して領土を分捕ることをよく行う国になった。
百年前のクレメンタイン帝国との大戦後は大陸の情勢も落ち着き、大きな戦争は起きなかったため、ヴィペルラートが他国から領土を奪う機会はなかった。下手に自国から戦端を開けば、大陸の他の国家が組んでヴィペルラートを押さえに来る可能性が高かったからだ。だがここへ来て、ファルレアンとレクレウスとの間に紛争が起きた。それに触発され、ヴィペルラートも再び侵攻を行う気になったのではないか――居並ぶ臣下たちはそう考えた。
だが、アレクサンドラはかぶりを振る。
「……おそらく、それはないわ。モルニェッツもヴィペルラートの領土的野心は知っているもの。国境の守りは固めているわ。それにヴィペルラートが今狙うなら、ファルレアンとの戦争に手を取られている上に接している国境も長い、レクレウスの方を狙うのが順当ではなくて?」
ヴィペルラートはレクレウスの隣国だ。兵も出しやすい。それに接している国境が長いということは、守らなければならない範囲が広いということだ。ファルレアンとの紛争で兵力を東に集中させている今、ヴィペルラートからレクレウスに向けて侵攻すれば、簡単に後背を突けるだろう。一方、ヴィペルラートとモルニェッツの国境は接している範囲が狭く、兵を集中させて守りやすいし、侵攻ルートも限定される。国力の差を考えても、攻め込むには旨味が少ない。
「もっとも、ファルレアンとの兼ね合いを考えているのかもしれないけれど……それでも、領地狙いであればレクレウスを攻めない理由はないわ」
「確かに……他国と戦争中とはいえ、現地に攻め入って実効支配してしまえば、強い発言権を得られますな」
「なるほど、そう考えるとモルニェッツの方と戦端を開くのは、少々おかしな話になるか……」
納得した様子の臣下たちに、アレクサンドラは最も気になった情報を開示する。
「それに、精霊たちは言っていたわ。――“火竜の欠片が、そこにいた”と」
ざわ、と三度空気が揺れた。
“火竜の欠片”――それが何を指すのか、ここにいる者たちの大半が知っている。
「それは……もしや、《擬竜騎士》と同じ、」
「同じような存在が、モルニェッツにもいるというのか!?」
「いや、しかし……それはあり得ん。アルヴィー・ロイ以外の《擬竜兵》は、レドナで討たれたはず。確認も取れているし、何より遺体も収容している」
ざわめきを静かに聞きながら、アレクサンドラは自らの思考に沈む。
下位精霊は魔法防御された場所の他、強力な精霊や幻獣種などの魔力が極端に集まった場所にも近寄りたがらない。そういった場所には大抵その魔力の主がおり、近付いたが最後、自分が消されることがあるからだ。だから、アレクサンドラが風の下位精霊たちから聞いた話も、精霊たちが実際に見聞きしたものではない。その力の残滓から、精霊たちが“そう判断した”情報だ。
しかし、世界を遍く見ている風の精霊たち、ある意味世界の一部そのものでもある彼らの判断は、人間のそれより遥かに合理的で客観的。そして精霊たちは嘘をつかない。ゆえにそれは、アレクサンドラにとって充分に信用するに足るものである。
「――騎士団長は諜報部隊を動かして。もう一度《擬竜兵》について調べさせてちょうだい。アルヴィー・ロイや《擬竜兵》討伐に関わった者への聴取も頼みます。それと宰相、王立魔法技術研究所に連絡を。《擬竜兵》の遺体は確か、そちらに回されていたはずね? もう一度詳しく調べさせて」
「はっ」
「承知致しましてございます」
指示を受けた二人がそれぞれ頭を垂れる。それにアレクサンドラが頷くと、別の閣僚が疑問を呈した。
「しかし……ヴィペルラートはこのことに気付いているのでしょうか。仮にも自軍の国境部隊の一つが壊滅させられたのです。ヴィペルラート側としても、調査は詳しく行っているでしょう。我が国の《擬竜騎士》と関連付けられることなどは……」
「その点については問題なかろう。当時、《擬竜騎士》がファレス砦にいたことは証明されている。そこからヴィペルラートとモルニェッツの国境までは、レクレウスの国土をほぼ全域、縦断せねばならんのだぞ? ヴィペルラートもこれでは、難癖の付けようがないさ」
飛竜は全騎しっかりと管理されているため、これまた当時の状況を証明できる。転移の技術は百年前の大戦でクレメンタイン帝国もろとも消えてしまった。もしヴィペルラート側が無理やりにアルヴィーに関連付けようにも、間に合う移動手段がないのでただの言い掛かりにしかならない。
「……しかしややもすると、ヴィペルラートは今度のオークションを口実に、こちらに乗り込んで来るやもしれませんな。何しろ、そんな真似ができる者は限られる上、我が国の《擬竜騎士》は近頃名が売れ始めております。一応、対応を考えておきましょう」
「ええ、頼みます」
宰相ヒューバートの用心深い言葉に頷き、アレクサンドラはジャイルズを下がらせた。
「それにしても、なぜヴィペルラートに喧嘩を売るような真似を……モルニェッツの仕業にしてもまったく別の第三者にしても、目的が分かりかねますな」
ふと、ヒューバートが薄ら寒げに呟いた。目的が分からない、つまり事態がどう転ぶか分からない。それが、この老齢の宰相を警戒させている。
アレクサンドラはそんな彼に静かな目を向けた。
「何にせよ、わたしたちのやるべきことに変わりはないわ。わたしたちがすべきは、この国と国民の暮らしを守ること。今はそのために、やるべきこと、できることに力を尽くしてちょうだい」
「は……」
一礼する彼をちらりと見て、アレクサンドラは手にした長杖を強く握る。
そう、彼女の果たすべき役目に変わりはない。
父の崩御によってこの国を受け継いだ時に、少女としての生は捨てた。その代わりに、女王としての生を得たのだ。
風の大精霊の加護を受け、世界を巡る風の耳目を借り受けて、彼女はそれを国のために用いる。この年頃であれば当たり前に持つ、無邪気な心や恋に憧れる純粋さ、夢見る瞳を捨て置いて。
国民の目に映る“アレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアン”は、ただの少女であってはならない。
どのような事態にも心を揺らさず、超然と国民を導く女王でなくてはならないのだ。
「――陛下?」
かけられた声に、アレクサンドラはふと我に返る。
「何でもないわ。皆、頼みます」
「はっ」
一斉に頭を垂れる臣下たちを見渡し、彼女は強い瞳で前を見据えた。
◇◇◇◇◇
ここ数日、レクレウス軍の攻撃はない。
アルヴィーは安堵半分拍子抜け半分といった心持ちで、明けた朝の空を見上げる。魔動巨人を全滅させられて慎重になったのか、レクレウス軍は動きを見せない。アルヴィーが未だファレス砦に留まっているのも、ただの用心のようなものだった。この分だと、王都からの応援部隊到着とほぼ入れ替わりで帰還することになるだろう。
(……部屋戻るか)
もとより何となく目が覚めたので、外をうろついていただけのことだ。アルヴィーは朝日の眩しさに少し目を細め、その光に背を向けて部屋に戻った。
寝台に腰掛けて羽織っていた上着を脱ぎ、シャツの襟元を寛げると、しゃら、と涼しげな音がかすかに響く。
それはかつて、レドナで散った《擬竜兵》たちの識別票だ。自分が彼らの死の責の一端を担ったこと、そして彼らが確かにこの世界に生きて存在したことを忘れないために、常に首から下げているそのタグは、この間の魔動巨人の自爆にも負けることなく、今日もアルヴィーの胸元で揺れている。
――あれから、ずいぶん経ったような気がする。
もしあの時レドナに、ルシエルが来ていなければ。来ていても、アルヴィーと出会うことがなければ。自分はきっとまだ、レクレウスの《擬竜兵》として戦場にいただろう。もしかしたらあの時の彼らと同じく、暴走と狂乱の果てに塵と化していたかもしれないが。そう考えると、ぞくりと背筋が冷えた。
(……俺はただ、運が良かった)
ルシエルと再会したから、右腕に巣食っていた竜にも打ち勝つことができた。心の中にただひとつ、折れることのない一本の芯。混沌に押し流されそうになりながら掴んだ、唯一の拠りどころ。
……そしてそれに出会えなかった僚友たちは、あの混沌に呑まれて狂ったまま、あの炎の戦場で消えた。
ざらり、とこの手の内から零れ落ちていった“僚友だったもの”――それを思い出し、アルヴィーは縋るように識別票を握り締める。確かに実体を持つその硬い冷たい感触に、そっと息をついた。
「――きゅ? きゅーっ」
上着を脱いだりしてごそごそしていたので目が覚めたのか、枕元で丸くなっていたフラムがぱちりと目を開け、早速アルヴィーに擦り寄ってくる。よじよじと肩までよじ登られ、ご満悦といった様子で落ち着くのに、ふと笑みが漏れた。
「……よし、メシでも食いに行くか」
「きゅーっ!」
立ち上がると、フラムが歓声(?)をあげる。ここの食堂は最前線で男所帯ということもあって何かと大雑把で、小動物を連れ込んでも何も言われない。フラムがテーブルの下でおとなしく野菜を頬張っているだけだからかもしれないが。アルヴィーには引き気味の周囲の騎士たちも、フラムにはサラダの余りをくれたりする。やはりいい年の大人でも、小動物には癒されるらしい。
夜間の見張りの騎士たちのために、食堂は早くから開いている。パンに燻製肉や葉野菜を挟むだけの簡素な朝食を受け取り、アルヴィーは適当なテーブルに座を占めた。保存のためだろう、少し堅く歯応えのあるパンは、だが燻製されて旨味が凝縮された肉と相性が良い。そして瑞々しい葉野菜は、パンと肉に不足がちな水分を補い、燻製肉の風味を引き立てる。パンや燻製肉はともかく、葉野菜は長期間の保存ができないのにここまで新鮮なのは、近くの集落辺りから仕入れているか、もしかしたら砦で栽培でもしているのだろうか。
とにかく、食事が美味いのは良いことだ。このまま出番が来ないなら、せっかく周囲が山と森だらけであることだし、久しぶりに猟師に戻ってみようかなどと思いながら、アルヴィーは朝食を終えて食堂を出た。新鮮な野菜をたっぷり食べたフラムもご機嫌だ。
廊下を歩いていると、やはり朝食のために食堂に向かっているのであろう騎士たちの会話が聞こえた。
「――そういや、もうそろそろだろう? 王都からの応援部隊が来るのは」
「結局レクレウスは仕掛けて来なかったな。来れば返り討ちにして、俺たちの手柄にしてやったのに」
「どうせならこっちから打って出てやっても良かったんじゃないのか?」
「司令は無駄な損害は出さない方だからな。籠城戦で問題なくレクレウス軍を押し留められてるんだから、わざわざその有利を捨てて野戦にはしないさ。応援部隊が来れば、数の差は埋まるから打って出るかもしれないが。――魔動巨人みたいな化物は似たような《擬竜騎士》に相手して貰って、人間は人間同士戦争しようってことだろ」
「! おい――」
そこで当のアルヴィーに気付いたのか、彼らは焦って口を噤む。アルヴィーは苦笑して、ひらりと手を振ってやった。息を呑む彼らの横を通り過ぎ、そのまま歩いて行く。彼らがほっと息をついたのが、見ずとも分かった。
(……今さらだよなあ)
自分が人の枠から外れた存在であることくらい、とうに分かっている。だからそれを囁かれたところで、アルヴィーの心は痛みも揺るぎもしない。
なってしまったものは、もうどうしようもない。それでもその力で、異形と化したこの右手で掴めるものが、確かにあるのだ。
だからアルヴィーは、そのために右手の剣を振るう。炎を纏い、血に塗れ、泥に汚れ、恐怖と共に語られる存在になろうとも。
それらすべてを背負って、ルシエルの隣に立つと決めているから。
「……さて、と。応援部隊が来りゃ俺の仕事も終わりかあ。どうすっかな」
魔法式収納庫がある以上、荷作りもたかが知れている。全部突っ込めばいいのだから。報告書も(下書きだけなら)終わっているので、後はどうとでもなる。
やっぱりその辺の森で鹿でも狩って来るかと、半分ほど本気で考え始めた時、アルヴィーの耳に囁く声があった。
『――主殿』
(ん、どした? アルマヴルカン)
『西から来る。この気配は飛竜だな。十は超えているぞ』
「何だと!?」
つい声に出してしまったが、朝早いのが幸いして人気はさほどない。だがそれはそれで問題だった。とにかく見晴らしの良いところに行こうと、アルヴィーは駆け出す。
手近な出入口から外に飛び出すと、脚力を生かして地面を蹴った。幾重にも重なる通路を兼ねた防壁を次々と飛び移り、上へ。
「……きゅーっ!?」
「あ、悪ぃ。ちょっと我慢してくれ」
肩にしがみ付き悲鳴をあげるフラムを胸元に突っ込み、砦の最上部までほぼノンストップで駆け抜けると、アルヴィーはやっと足を止めて目を凝らす。西方遥か彼方、強化された視力でも視認できるかできないかというところ――そこに、砂粒ほどの小さな点を何とか認めた。
「――あれか!」
右腕を戦闘形態へ。そして、砦の麓、誰もいない石くれだらけの空き地に狙いを定める。
(……まずは、人を集める!)
撃ち放たれた光芒が地面に突き刺さり、爆音を響かせながら周辺を軽く吹き飛ばした。
「――何だ!」
「どういうつもりだ、《擬竜騎士》……!」
「西だ! 飛竜が来た!」
慌てて飛び出して来た騎士たちに急を告げれば、彼らはぎょっと西の空を見やり、そして急いで持ち場へと駆けて行く。それを横目に、さらに何発か《竜の咆哮》をぶっ放し、爆音を轟かせた。寝ていた騎士たちもこれで飛び起きるだろう。
「でも、ここで飛竜なんか持ち出して何する気――まさか!?」
アルヴィーははっと空を振り仰ぐ。脳裏に閃いたのは、王都でジェラルドと交わした会話の記憶だ。
――でも、飛竜で隊組んで、王都を直接襲うとかされないのかな――
――上空から王都を爆撃でもするってことか?――
(レクレウスから王都に向かうなら、ここは完全に遠回りだ。だったら……目当てはここの爆撃か!)
きゅう、と目を細め、アルヴィーは着実に近付いて来る黒点を睨み据える。
「――魔動兵装、起動急げ!」
「魔石の接続、完了しました!」
「よし、照準合わせろ! 大まかでいい、どうせ完全には狙えない!」
騎士たちは手際良く、砦に据え付けの魔動兵装を起動、迎撃準備を進めている。弾幕を張って飛竜を近付けない、あるいは爆弾を投下されても途中で撃墜するつもりだ。騎士の一人が言うように、“数撃てば当たる”ということだろう。
ならばアルヴィーにも、できることはあった。
(アルマヴルカン、頼む。全開で)
『良いだろう』
何を、など今さら説明するまでもない。
アルヴィーが朱金の瞳を見開き――次の瞬間、大気が震えたかと錯覚するほどの濃密な気配が、辺りを満たした。
「ひっ!?」
「な、何だこれはっ――!?」
「て、手が――身体が勝手に震える……!」
《上位竜》の放つ“威”に、運悪く近くにいた騎士たちは残らず全身が総毛立つ思いを味わい、身体の芯からこみ上げる恐怖と戦う羽目になった。だがそれは、こちらに向かって来ていた飛竜たちも同様のようで、遠目にも何騎かが空中でふらつき、編隊が乱れる。
しかしそれもほんのひと時で、飛竜たちはすぐに態勢を立て直し、隊列を組み直した。
「――どうなってる?」
『人に飼い馴らされたせいで、野性の本能が鈍っていることもあるだろうが――何か術を使われているのかもしれん。闘争心を掻き立てられ、一時的に恐怖を忘れるようにされていれば、わたしの気配に怯まんのも納得が行く』
「ちっ、クソな運用してやがんな!」
舌打ちして、竜の気配を抑える。恐怖というのは生物の根源的な感情であり、生きるために不可欠のものだ。恐怖を覚えない生物などそう遠からず死んでしまう。それを捻じ曲げるかのような所業に、アルヴィーは強い怒りを感じた。軍で運用される飛竜なら理に適った処置なのかもしれないが、それでも。
飛竜はぐんぐん近付いて来る。その時、騎士の鋭い号令が響いた。
「――魔動兵装、撃てぇ!!」
一瞬の後、ずらりと並ぶ砲口から続けざまに吐き出される、魔力で形作られた致死の光弾。それはもはや面に近い密度をもって、飛竜の編隊に襲い掛かる。
が、飛竜たちはそれを見越したように急上昇。弾幕に空を切らせる。アルヴィーも牽制に《竜の咆哮》で空を薙ぎ払った。避けようとして、隊列が乱れる。飛竜の悲鳴のような咆哮が轟いた。しかし、何とか紙一重で躱した飛竜たちは、高度をさらに上げる。その高度は百メイルに達するだろう。もはや生半可な攻撃では届かない。
「いかん、角度の調整が間に合わん!」
騎士の声に焦りが混じる。一射目のために砲身の角度を調整したので、飛竜の急上昇に仰角を合わせることができないのだ。悠々と砦の上空に達した飛竜の背で、影が動くのをアルヴィーは見る。
(くっそ――とりあえず範囲目一杯、間に合うか!?)
アルヴィーは天に両腕を掲げる。空から降ってくるいくつもの小さな影――それは砦の上空数メイルほどで、不可視の障壁に阻まれて続けざまに爆発した。だが、《竜の障壁》で覆いきれなかった部分にも爆弾は直撃し、爆音を響かせながら山肌を大きく抉る。
「な、何だ!? 当たってない……!?」
「今の内に防御魔法の詠唱! あそこまで食い込まれたら、もう魔動兵装じゃ無理だ!」
「《擬竜騎士》か! すまん、術式を展開する間、もう少し保たせてくれ!」
「分かった!」
怒鳴り合う間にも第二波。アルヴィーが展開した《竜の障壁》に降り注いだ爆弾が直撃、爆発が連鎖する。耳がおかしくなりそうな爆音が鳴り止まない。上空の飛竜からは、それこそ雨あられとばかりに爆弾が降り注ぎ続けてくるのだ。
(魔法式収納庫にでも満杯に詰め込んで来たのかよ!? くそ、障壁張り直す暇がない……!)
いかに強力な障壁といえど、《竜の障壁》はあくまでも戦闘の際に身を守るための魔法であり、その効果時間は決して長いとはいえなかった。結界のように長時間稼働することを前提としていないのだ。もちろん、一般の魔法士が使う魔法障壁などに比べると、破格の効果時間は持ち合わせているのだが。
しかし、切れ目のない爆撃に曝されているこの状況で《竜の障壁》が切れることは、すなわち騎士たちに被害が出ることを意味した。アルヴィーだけなら何とでもなるのだが、騎士たちはそうはいかない。
早く防御魔法の術式を組み上げてくれと、思わず胸中で叫んだ、その時――。
ビョウ、と風を切り一直線に空に翔け上がる、一本の矢。
それは飛竜の一騎に吸い込まれるように命中し、爆発を起こしてその巨体をよろめかせた。
「……あれは……」
爆発する矢、などという代物を扱う人間を、アルヴィーは一人しか知らない。唖然と見上げる間にも、地上から次々と放たれる矢は、重力を嘲笑うように鋭く空を貫き、飛竜たちを混乱に陥れていた。
騎士たちの間から歓声があがった。
「――応援部隊だ!」
「何だあの矢、どうやったらあんな高度まで届くんだよ!?」
「くっそぉ、いいとこ持って行きやがる!」
安堵とやっかみの入り混じった歓声を聞きながら、アルヴィーは大きく息をついた。
「――よし、何とか遅刻はせずに済んだか」
「つーか隊長、これ砦の代わりに俺らが狙われる展開じゃねっすか!?」
「総員、構え。弾幕を張れ。カシムは魔法で援護だ」
「あーもう、わっかりましたよっ!」
半ばヤケクソという感じで馬から飛び降り、カシムは地面に手を当てる。そんな部下に微笑をひらめかせ、シルヴィオは愛用の長弓に矢を番えた。
「――切り拓け、《風導領域》」
風が渦巻き、空への道を形作る。彼にしか見えない、勝利への道だ。
「防御魔法準備! 爆弾投下に備えよ!」
指揮官の号令と共に、魔法士たちが唱和詠唱を始める。それと同時にシルヴィオは、張りのある声で命じた。
「総員、放て!」
途端、鎖を解かれた猟犬のように、放たれた攻撃魔法が空へと伸びる。それに負けじと彼も、限界まで引き絞った弓弦を弾き、新たな矢を風の中へと撃ち放つのだった。




