第44話 驟雨
サブタイトルの読みは「しゅうう」です。
題名にもルビ付きませんか運営さん……。
ファレス砦で激突を果たした両軍が睨み合っている頃。王都ソーマを出発したファレス砦への応援部隊は、国境へと伸びるイル=シュメイラ街道の途上にあった。
「――この先の公爵領で南部街道に分岐ですっけ、隊長」
「ああ。できれば急ぎたいところだけど……何せ《擬竜騎士》が出てるからな。下手をしたら、俺たちが着く前に戦闘が終わりかねないぞ」
そう苦笑するのは、第一三八魔法騎士小隊長シルヴィオ・ヴァン・イリアルテ。超長距離射撃を得意とする彼を筆頭に、遠距離戦に特化した小隊である彼らは、レクレウス軍迎撃のために選抜され、ファレス砦へと向かっているのだった。
「にしても、あいつもずいぶん出世したもんですよねー。ついこないだまで従騎士じゃなかったですっけ」
しみじみとそう言った部下兼従者のカシム・タヴァルは、馬の上で器用に両手を頭の後ろで組み、やや仰け反るように空を見上げる。手綱も持たずにそんなことをすれば、馬が少し歩調を変えるだけでバランスを崩しそうだが、そこは両足でしっかりと馬を保持していた。そもそも、ファルレアン王国の正規の騎士団員ともあろう者が、その程度で落馬など恥である。
「まあ、あれだけ派手に立ち回ればな。半分以上は不可抗力な気もするが」
というか噂を聞く限り、アルヴィーが今まで遭遇してきた騒動は、結構な確率で巻き込まれ事故のような気もする。シルヴィオは少々同情した。
隊列は街道上を長く伸び、人が歩くより幾分早い程度の速度で進んでいる。確かにこのペースで行けば、着く頃には戦いが終わっているかもしれないと、カシムもシルヴィオの言に同感だった。
それにしても、とカシムはぐるりと隊列を見渡す。
「……けど、今回の応援部隊に一二一小隊が入らなかったのは意外っすねー」
《擬竜騎士》アルヴィー・ロイと無二の親友であるルシエル・ヴァン・クローネル率いる第一二一魔法騎士小隊は、今回の応援部隊には名を連ねていない。彼らは王都に残留し、治安維持などの通常任務を担う。もちろん、応援部隊の派遣で多数の人員が抜ける分、治安維持は平時に増して重要な任務となるが、それにしてもアルヴィーが最前線に出ているというのに彼が王都に残されるというのが、何だか収まりが悪い気がしてならない。
そう思って小さく唸る部下に、シルヴィオは肩を竦めた。
「むしろ、“クローネルの小隊だから”残されたんだろうな」
「……っていうと?」
「彼らは《擬竜騎士》と共同でいくつか功績を挙げてる。けど、あまり一つの小隊に武勲が集中し過ぎるのはよろしくない――そう考える人間もいるってことだ。まあ、一三八小隊も結構その条件には当て嵌まってるけど、俺の家は《女王派》の中でも目立たないし、今回は現場の状況からして遠距離攻撃特化のうちの隊はあった方が良い。でも同じ理由で、接近戦が得手の一二一小隊はそれほど必要とはされない。何より父親のクローネル伯は、息子と《擬竜騎士》の関係を上手いこと利用して、宮廷で影響力を持とうとしてる。その辺りが、今回一二一小隊が外された一番の原因だろうな」
要するに宮廷の権力闘争の一環だと、シルヴィオは嘆息混じりに解説した。
「ふーん……戦時中だってのに、身内でンなことやってる場合っすかねえ」
「むしろ戦時中だから、両方ともこの程度で済ませてるんだろうけどな。戦争が終わってとりあえず平穏になったら、宮廷の中は魔窟になるぞ」
何しろ伯爵家という、そこそこ家格の高い貴族の子息の言うことだ。嫌な方向に真実味がある。なにそれこわい、とカシムは戦慄した。
「貴族に生まれるってのも、楽じゃないんすねー」
「まあな。その分楽な生活はさせて貰ってるわけだが」
そう話を切り上げ、シルヴィオは遠く西の空を見晴るかす。
「……今回の侵攻、レクレウスはおそらく魔動巨人を全力投入してくるだろうからな。逆に言えば、それを潰せればその時点で勝敗は決まる。もしかしたらファレス砦でこの戦争が決着するかもしれないぞ」
「そう上手く行きますかねぇ」
とは言いながらも、カシムも主に倣って西の空を見上げる。カシムだって、いつまでもこんな戦争が続いて欲しいわけではない。平和になるならそれに越したことはないのだ。
と、シルヴィオは少し眉を寄せた。
「あ」
「どうかしました、隊長?」
「向こうの空、雲が湧き出してる。この分だと一雨来るぞ」
「わお、マジっすか? さっすが“千里眼”!」
「カシム、報告」
「りょーかいしましたっ!」
カシムはだらけきった姿勢を正すと、踵で馬の腹を軽くつつき、足を早めさせる。隊列の前方にいる指揮官に、雨が来ることを報告に行くのだ。シルヴィオの“千里眼”は彼の代名詞ともいえる超長距離射撃と共に、騎士団内ではそこそこ知られている。疑われることはないだろう。
「雨、か……」
“千里眼”の力を借りたとはいえ、ここからも雨雲の兆しが見えるということは、西ではすでに降り出しているだろう。つまり、これから向かうファレス砦周辺もだ。
(果たしてこの雨が、どっちにとって“恵みの雨”になるか、だな)
目をすがめるシルヴィオの視線の先、鈍色の雲が薄く、だが確かに広がり始めていた。
◇◇◇◇◇
雨を含んだ土の匂いがする。
砦の内部、与えられた部屋で、アルヴィーはぼんやりと寝台に横になり、暗い天井を眺めていた。
地下に掘られた部屋に窓はない。まるで昔、村の猟師の話で聞いた穴熊の寝床のようだと、アルヴィーはちらりと思った。それでも、雨風を凌げ身体を休められる場所があるだけ上等なのだろうが。
部屋には一応換気用の穴が設けられ、空気が澱むこともない。土の壁が雑多な音を吸い込んでくれるため、静かなのも有難かった。もっとも、地下のこの部屋にはドアもなく、入口には厚手の布が下げられて申し訳程度に内部の空間を遮断している程度なので、完全に無音というわけにはいかないが、それは致し方ない。
ごろりと寝返りを打ったアルヴィーの鼻腔を、先ほどよりも強い土の匂いが掠める。どうやらこの砦では、徹底的に合理性を追求しているのか、寝台やその傍のランプの置かれた小さな台も土で作られていた。魔法で成形し固めた土の台座に寝具を置き、寝台として使っているのだ。硬いのは否めないが、最前線の砦の寝床に贅沢は言えない。
――それでなくとも自分は、この砦ではいわば“招かれざる客”なのだから。
小さくため息をつき、アルヴィーは先刻、到着の報告のために訪れた司令官の執務室での一幕を思い出した。
「――貴様が《擬竜騎士》か。本当にまだ子供だな」
塹壕の再構築、そして魔動巨人回収の護衛を終えて戦闘区域から引き揚げ、アルヴィーは遅ればせながら司令官の執務室に赴いた。だが彼が挨拶の文言を口に乗せるより早く、司令官であるイライアス・ヴァン・ムーアグロート辺境伯は、面白くもないといった口調でそう言い放ったのだ。面食らったアルヴィーに、その鋭い眼光が向けられる。
「貴様の戦闘力は確かに有用だ。だが貴様を信用するのは、それとはまた別問題になる。――例え正式に騎士として叙任されたとはいえ、貴様が元レクレウス兵であったのは事実なのでな」
「それは……」
「もう一つ付け加えるならば、この砦に拠っての防衛は古くから我がムーアグロート家が受け継ぐ役目。ここの主はわたしだ。中央の横槍など要らぬし、貴様を歓迎する気もない。自身の立場をわきまえ、やるべきことを終えたら早々に出て行って貰おう」
射るような鋭い視線と温度のない声。アルヴィーを疎ましく思っていることを隠そうともしない相手に、居心地の悪い空気がいや増した気がして身じろぎする。
「貴様には魔動巨人を片付けて貰う。さすがにあれだけは、人の力では如何ともし難いのでな。新型も含めて二体回収できた以上、後はあるだけ邪魔だ。一体残らず始末しろ。今後のためにもな」
「……了解しました」
「貴様に求めることはそれだけだ。それ以上の干渉は控えて貰おう。ここはわたしの城だ。――話は以上だ。下がれ」
明らかな拒絶に、アルヴィーは言われた通り退室するしかなかった。もとより、アルヴィーは状況に応じて派遣される遊軍的扱いだ。役目が終われば王都に戻る、それに異存はない。
だが、任務と割り切りはしても、あそこまであからさまに疎まれるというのは良い気分がしないものだ。
しかも、先ほどの一戦であまりの戦闘力に引かれたのか、遠巻きにひそひそされている。見事にラース砦の轍を踏んでしまった格好だった。何だか切ない。
――こうしてアルヴィーは、部屋で一人寝転ぶくらいしかやることがなくなったというわけだ。レクレウス軍の方も魔動巨人の補給などがあるのだろう、まだ攻撃を再開して来ない。また、雨で地面がぬかるめば足場も悪くなるので、人はもちろん魔動巨人も、転倒の危険を考えて積極的に打って出ては来ないだろう。人間ならまだしも、魔動巨人が軍勢のど真ん中で転べば大惨事である。
(……ひとまずは小休止、ってことか)
やろうと思えば多少の連戦はどうということもないが、休めるというならそれに越したことはない。アルヴィーはもちろん、存分にそれを堪能することにした。幸い、無聊を慰めてくれる相手もいることだし。
「きゅっ」
「あーもう、おまえ連れて来て良かったわ。癒される……」
「きゅ? きゅーっ」
枕元をちょろちょろするフラムを捕まえ、存分にモフってやると、フラムは滅多にない主人の様子に最初は戸惑ったものの、すぐに構って貰えた喜びで嬉しそうに鳴く。本体よりも長い尻尾はゆらゆらと揺れ、長い耳はしきりにぴこぴこ。緑の双眸はきらっきらだ。
そしてその様子は、戦闘と砦の人々の非友好的甚だしい態度に地味に精神をガリガリ削られていたアルヴィーを、非常に癒してくれた。
(……何か今なら、こいつ触りたがってたシャーロットとかユナの気持ちが凄く分かる気がする……)
彼女たちは“可愛い小動物は癒し”だと力説していたが、今にしてその意味が真に理解できた気がするアルヴィーだった。
ひとしきりフラムをモフって癒されると、アルヴィーはフラムを肩に乗っけたまま、呪文すらなくランプに火を入れ、魔法式収納庫から紙束を取り出す。
「……とりあえず、報告用の下書きでも書いとくか」
正規の騎士となった以上、任務が終われば報告を上げなくてはならない。今まではルシエルや見知った他の騎士たちと共同の任務であることが多く、多少なりとも手助けを受けて何とかなっていたのだが、ここへは単身で先乗り、しかも周囲の助力は期待できず。つまり、自力でどうにかするしかないのだ。そこで、せめて戦闘の様子を書き留めておこうというわけである。早めにやっておかないと、時間が経てば細かいところなどはうっかり忘れてしまいかねない。何しろレクレウスの練兵学校時代、座学の講義を半分寝て過ごしていたくらいには勉強が苦手なのだ――まったく自慢にならないが。
ランプを寄せて小さな台の上に何とかスペースを作ると、魔法式収納庫から取り出したのは、炭と土の粉を練って細長い形に固め、布の端切れを巻いたものだ。少々文字は太くなるが、一般的なペンのようにいちいちインクを付ける必要がなく、野外でも使えて、しかも材料は廃棄される炭の端切れと土なので安価。外を飛び回ることの多い騎士たちの間では、ちょっとした覚え書きに便利だと意外と人気の筆記用具だった。
それを左手に、先刻の戦闘の結果や砦の様子などを書き留めていく。左手で文字を書くのも大分慣れて、そこそこ見られる文字が書けるようになっていた。アルヴィーの本来の利き手は右だ。今はもう、戦うためにしか役に立たないが。
「――よっし、こんなもんでいいか」
一通り書き留めてしまうと、下書きを魔法式収納庫に仕舞う。すん、と鼻を鳴らせば、換気用の穴から流れ込んでくる雨と土の匂いが、余計に強くなったように思えた。
(こりゃ今日は止まないな……)
アルヴィーの経験からすると、この雨はしばらく止みそうにない。本格的な再戦は、この雨が上がってからとなるだろう。
(……ま、俺は俺の仕事をするだけだ)
その時になれば力を尽くせば良い。そう割り切って、アルヴィーはランプの火を吹き消し、再び寝台にごろりと横になる。曲がりなりにも戦力として頭数に入れられている以上、休める時にはしっかりと身体を休めて次の出撃に備えるのも、また彼の仕事であるのだから。
浅い微睡みに入るアルヴィーの耳に聞こえる雨音が、また少し強まった気がした。
◇◇◇◇◇
夜。西から流れた雨雲は、王都ソーマの上空をも覆いつつある。
その暗い空を、自室の窓からルシエルは眺めていた。
アルヴィーがレドナでレクレウス軍の陽動部隊と接敵したという情報は、すでに騎士団本部にも届いていた。だが、ルシエルは今回派遣される部隊には選ばれていない。親友の身を案じつつも、王都で待つしかなかった。
(……アルには火竜の加護もある。大丈夫だとは思うけど……)
戦闘力だけでいえば、それこそ《上位竜》レベルでも引っ張って来ない限り、アルヴィーが敗れることはないだろう。何しろ、《下位竜》すら斃したのだから。だが、戦略兵器と称されるほどの力を持ちながら、アルヴィーは優しい。その優しさが、戦場という場では彼自身に仇為すものになりはしないか――そんな不安が拭えない。
一つため息をついた時、部屋の扉をノックする音が響いた。
「どうした?」
「お寛ぎのところ申し訳ございません、ルシエル様。旦那様がお呼びでございます」
「父上が……? 分かった」
一つ屋根の下に暮らしているというのに顔を合わせない日も珍しくないような父が、自分を呼び付ける時は大抵用事など決まっている。ルシエルは部屋を出、恭しく一礼して歩き出した執事のセドリックに続いた。
「――父上、お呼びと伺いましたが」
父ジュリアスの書斎の前でセドリックを本来の仕事に戻らせ、ルシエルは入室の伺いを立てる。もちろんそれはすぐに容れられ、ルシエルは扉を開けて室内に足を踏み入れた。
ジュリアスは帰宅して間もないのだろう、外向きの服を着たままで、書面に目を通している。まさか家にまで仕事を持って帰って来たのかと思っていると、ジュリアスは書面を置いて顔を上げた。
「来たか」
「お呼びになったのは父上でしょう」
「そう突っ掛かるな。友人のもとに行き損ねたのが悔しいのは分かるが」
「……上層部が決めたことです。致し方ありません」
「騎士団とて、宮廷の権力闘争と無縁ではいられんのさ。――そういう意味では、今回おまえが王都に残されたのはわたしの巻き添えを食った形だな。まったく、人の足を引っ張ることにばかり熱心な輩は、どこにでもいるものだ」
「……下らない」
父の言わんとすることに気付いたルシエルは、眉を寄せて吐き捨てる。奇しくも行軍の途上でシルヴィオが指摘したことに、彼も思い至ったのだ。
「皆、彼を取り込みたくて仕方ないのだろう。何しろ、その身のみならず血筋にまで竜の加護を受けた、歴史上初めての人物だ。誼を結ぶことができれば利は大きいと、皆考える」
「利、ですか」
そんな下らないことに親友を巻き込まれるのは、不本意の極みだった。だが今のルシエルはまだ、そういった貴族たちの思惑からアルヴィーを守る力を持たない。不甲斐なさに、固く拳を握り締めた。
そして父には、そんな思いさえ見透かされているのだろう。ジュリアスは薄く笑い、今しがた目を通していた書面をルシエルの眼前に滑らせる。
「そこで、少々周りがうるさくなってきたのでな。この件について、そろそろ本腰を入れて対処をしようかと思っている」
「これは……報告書、ですか?」
ざっと目を通すと、それはとある人物の行動をつぶさに追い、記録したもののようだ。だがそこに対象者として記されている名前は、ルシエルも見慣れた――親しんでいるとはお世辞にも言えないが――異母兄のものだった。以前にも似たようなものを見せられたが、どうやら異母兄たちは相も変わらず、領地で好き勝手に暮らしているらしい。
「あれらの行状も、一向に改まらんようだ。次期領主としての勉学はまるで進まず、呑む打つ買うの三拍子ばかり達者と来ては、さすがにこれ以上放っておくわけにもいくまい。目付役として置いて来た者らが何とか手綱を取ろうとはしているが、あれらの母が一方的に息子の肩を持つもので、どうにも上手く行かぬようだ。だが、領地が心許ないのはわたしも困る。この戦争が終わるまでは、とも思っていたが……そちらもそろそろ目途が立ちそうなのでな」
「え?」
ルシエルは蒼い双眸をわずかに見開く。
「目処が立つ、とは……レクレウス側に動きがあったということですか?」
「まだ公にはできんがな。以前おまえから上がってきた情報を基に、外務の方であちらの情勢を調べていたらしい。現在、ラファティー伯が動いているようだ」
「ラファティー伯……外務副大臣の、ですか。それほどの方が直々に……」
「ああ、若いに似ずなかなかのやり手だ。あの家は代々外交関係を担ってきたからな。今度のような難しい案件を任せるには、他の者では荷が勝ち過ぎる」
ルシエルは直接の面識はないが、ヨシュア・ヴァン・ラファティー伯爵は、まだ二十代半ばという若さでラファティー伯爵家当主、そして外務副大臣という重職を担っている。前当主であった父の突然の逝去を受けて家を継いだ彼は、柔和にも思える物腰に似合わず、その辣腕ぶりであっという間に外務副大臣の座を射止め、外交の要として実力を発揮していた。確かに、現在進行形で紛争中の相手国に交渉を試みるというのはかなりの難関だ。その辺の外交官では務まるまい。
「ラファティー伯は騎士団に弟が在籍している。その関係で現場の情報も入るのだろう。――だが、彼が本腰を入れて動いたということは、この戦争もいよいよ大詰めということだ。場合によっては、今回のファレス砦の会戦の勝敗如何で、一気に片が付くかもしれん」
一拍置き、ジュリアスは何かを見極めようかという目で、ルシエルを見やる。
「そうなった場合、おまえの友人もその渦中に置かれることになるな。他の家からの干渉も、ますます露骨になってくるだろう。――ただの伯爵家の息子のままでは、その内対応しきれなくなるぞ?」
父の言葉に、ルシエルは唇を引き結ぶ。
父の目的は分かっていた。ルシエルに“家を継ぐ”と言わせたいのだ。そしてそれを口にすれば、ルシエルはもう後には退けなくなる。異母兄とその母を排除してでも、次期領主の座を手に入れる道しかなくなるのだ。父はすでに、その道を整えようとしているのだから。
だが――それでアルヴィーを守れるなら。
ルシエルは心を決めて、真っ直ぐに父を見据える。
「分かりました」
幼い自分をいつも守ってくれた、あの小さくも頼もしかった背中。それを今度は、自分が守れるというのなら。
「そのお話、お受けします」
「……良かろう」
ジュリアスは満足げに頷き、ルシエルに数枚の書面を寄越す。
「これは……今までの報告書、ですか」
「ああ。これを見れば分かるだろう。あれらはまったくといって良いほど、次期領主としての義務を果たしていない。むしろ、今から学んでもおまえの方がまだものになりそうだ。もちろん、現在領地の面倒を見ている者もおまえに付けよう。だが、結局のところ最後にものを言うのはおまえ自身の力だ。分かっているな?」
「はい。早速、領地経営について学ぼうと思います」
「良いだろう。教師役を付ける。だが先に、一働きして貰おう」
ジュリアスは手元の紙に何やらさらさらと書き付け、文末にサインを記す。それを数枚繰り返すと、纏めて折り畳み別の紙に包んだ。それに封蝋で封をし、ルシエルに渡す。
「これを、領地にいる代官に渡すと良い。色々と便宜を図ってくれるだろう。――おまえには領地の方に向かって貰う。騎士団の方には、わたしが話を通しておこう。表向きは、近隣に出没する魔物の討伐とする」
「クローネル伯爵領に、ですか? この時期に?」
「文句は言わせんさ。今回の部隊編成の一件、こちらが引いてやったのだからな」
それはルシエルたち第一二一魔法騎士小隊が、応援部隊から外された件を言っているのだろう。父はそれをも、自身の都合の良いように使うつもりのようだ。
「……領地に赴いて、自分の目で実態を見て来いと?」
「それもあるがな。――さっきおまえに渡した書面の中には、おまえを新しく後継者に立てる旨を、正式な書面としたものが入っている。要するに、あれらの廃嫡の通知文書でもあるわけだ。それを、向こうに突き付けて来い」
「それはまた、恨まれそうですが……ああ、“それ”が目的ですか」
「察しが良いな。やはりあれらよりおまえの方が出来が良い」
「僕を恨むあまり、逆上して暴発してくれれば、各方面に廃嫡の言い訳が立つ……というわけですね。しかも外に話が漏れても、身内で始末を付けたと片付けられる」
「あれらの母は侯爵家の出だ。こちらとしても、あれの実家とはあまり波風を立てたくない。今までの不行状だけでは、侯爵家を納得させるには少々弱いしな。だが、逆上のあまりおまえに危害を加えようとしたとなれば、侯爵家も表立って娘や孫を庇うことはできん。おまえに何かあれば、文字通り“竜”に喧嘩を売ることになるからな」
「……アルまで巻き込むつもりですか」
「名前を使わせて貰うだけだ。彼の名前は、貴族の間でも無視できんものになりつつある。何しろ、その血が続く限り五百年、火竜の加護を受けた高位元素魔法士だからな。どの家も自分の血筋に、その血を取り込みたい」
ほぼ確実に高位元素魔法士の誕生が見込める血筋。その価値は計り知れない。下手をすれば国内のみならず、国外からの干渉もあるだろう。
当の本人が、そんなものを欠片たりとも望んでいなくても。
(……だから、守るために貴族としての権力が要る……か)
あの村で共に暮らしていた頃には考えもしなかった、今。互いに、思いもかけないほど遠いところまで来てしまった。
それでも、アルヴィーが共に歩いてくれるのなら、悪くはないと思う。
たとえ、あの頃からどれほど遠ざかったとしても。
「……分かりました。すぐに出た方が?」
「そうだな。明日には騎士団に話を通す。それからになるが」
「では、それまでに準備をしておきます」
「うむ。おまえが戻るまでには、教師役も用意しておこう。――そうと決まれば、支度も早い方が良いだろう。もう行くが良い」
「はい。失礼します」
父の執務室を後にし、ルシエルは自室に戻った。窓から仰ぎ見る空は、相変わらず雨に泣いている。つい先ほど同じように空を仰ぎ見た時とは、だが決定的に進む道が違ってしまったことをルシエルは改めて自覚した。
それでも、後悔はしない。
アルヴィーが望まず持たされた竜の力で、それでもルシエルや彼が守る国を共に守ると誓ってくれたように。ルシエルもクローネル伯爵家という権力で、アルヴィーを守るのだ。
ルシエルは一つ息をつき、窓に背を向けると、準備を整えるために歩き出した。
◇◇◇◇◇
「――王都より連絡です」
待ちかねた報告に、天幕の下でそれを待っていたレクレウス軍魔動巨人部隊指揮官は、弾かれたようにその報告を持って来た部下に向き直った。
「そうか! それで、上層部は何と?」
「は……こちらに」
部下が一枚の紙を差し出す。自身が王都に具申した作戦案に対する返答を書き写したそれを、指揮官は引ったくるようにして受け取ると目を走らせた。そして息をつく。
「……王都からの承認が下りた」
「では……」
「ああ、《擬竜兵》を排除するためには、多少の損害はやむなしと、王都も判断したらしい。――何はともあれこれで、大手を振って作戦を実行できる。魔動巨人部隊を呼べ。作戦を説明する」
「はっ!」
部下の一人が天幕を飛び出し、雨の中を走って行く。戦闘が終わってから少しして降り始めた雨は、日が落ちた今も止む気配を見せない。本来なら夜襲の一つでも仕掛けたいところだったが、視界も足元も悪い中、難攻不落を地で行くファレス砦に挑むのは少々どころでなく分が悪いので、ひとまずその案は却下だ。
(成功してもかなり高くつくことになるが……しかし、ここで《擬竜兵》を始末できれば、こちらの損害以上にファルレアンには打撃になるはずだ。何しろ、単騎で魔動巨人を容易く葬るような化け物だからな。抜けた穴は相当でかくなる……)
魔動巨人をも上回りかねない火力と常人離れした機動力を両立した、反則級の戦力だ。ファルレアンは当然、最大限に彼を運用するつもりだろう。それを妨害できるだけでも、戦況は大きく変わる。
「――魔動巨人部隊、集合しました!」
「よし、入れ!」
部下の声に応え、指揮官は部隊を天幕に招じ入れる。雨の雫を落としつつも、未だ戦意を失っていない部隊の面々に口元をわずかに綻ばせたが、すぐに引き締めて口を開いた。
「では、作戦を説明する――」
◇◇◇◇◇
翌日、夜も明けきらない払暁の時。
ファレス砦の一角で見張りに立っていた騎士の一人が、遠くに蠢く影を双眼鏡越しに発見した。
「――向こうの魔動巨人が動いた!」
「何だと!? もう動いたのか!?」
「と、とにかく報告だ!」
すぐさま《伝令》が飛び、砦は一気に慌しい空気に包まれた。仮眠を取っていた騎士たちも飛び起き、急いで持ち場へと飛んで行く。
アルヴィーもそれに倣い、上着を羽織りながら部屋を後にした。フラムは置きっ放しだが、例によってぷーすかと惰眠を貪っていたので大丈夫だろう。
廊下を駆け抜け、地上へと出る。と、彼の姿を認めた騎士の一人が声をかけてきた。
「《擬竜騎士》か! 魔動巨人が動き出した、出られるか!」
「了解。迎撃に行って来る」
もとより魔動巨人担当だと司令官にも言われているのだ。右腕を戦闘形態に変え、アルヴィーは地を蹴った。通路を辿るなどまどろっこしいとばかりに、砦の石積みや山肌を足場として、文字通り飛ぶような勢いで駆け下りて行く。
「……こんな足場で、よく動く気になったよなぁ……転んでも知らねーぞ、っと!」
雨は夜半まで降り続き、止んだ今も空は鈍色の雨雲で覆われている。もしかしたら、もう一雨来るかもしれない。辺り一帯の地面はもとより、大気さえも充分過ぎるほどの水分を含み、身体に纏わり付いてくるかのようだった。息をするだけで、雨上がり特有の湿った土や木々の匂いが鼻を突く。そんな払暁の空気を斬り裂き、アルヴィーはあっという間に山を駆け下りると、ぬかるむ地面を蹴る足にさらに力を込めた。
(とりあえず、防衛線まで急がねーと。くそ、飛竜が使えりゃな)
アルヴィーをここまで送り届けた飛竜は、砦で少し休憩を入れた後、昨日の内にそのまま王都に向けて飛び立っている。そのため今回は、五ケイル先の第一防衛線まで、自力で走って行くしかないのだ。
常人を遥かに上回る脚力で、五ケイルの距離をほんの数分で駆け抜けたアルヴィーだったが、彼が防衛線に辿り着くその直前、轟音が響いた。魔動巨人の魔動砲だ。舌打ちしながら、右腕の《竜爪》を伸ばす。
「越させる……かよっ!」
駆け抜けて来た距離をそのまま助走に、アルヴィーは跳ぶ。幅十メイルはあろうかという塹壕を軽々と越え、その向こうへ。そして着地するが早いか、《竜爪》を振り翳した。
「――《竜の咆哮》っ!!」
振り抜かれた《竜爪》から迸る、一条の光芒。それは魔動巨人の足下を薙ぐように走り抜け、ぬかるむ地面をものともせず爆炎を巻き起こした。
(くそ、まだ弱いか)
しかしその一撃は魔動巨人の周囲にいる魔法士たちをたじろがせ、魔動巨人の歩みを止めはしたが、魔動巨人そのものにはさしたるダメージを与えられなかったようだ。
「そっか、まだ一体残ってたっけな」
アルヴィーの視線の先には、魔法障壁を張る防御特化型魔動巨人の姿。先ほどの《竜の咆哮》も、あれに防がれたせいでダメージが通りきらなかったのだろう。
魔動巨人は《竜の咆哮》が生み出した炎を踏み躙り、道を作りながらこちらへと進んで来た。
(まずあの防御型を倒さないと、ファルレアンの攻撃も無効化されるか)
最初の標的を定め、アルヴィーは獣のように俊敏に駆け出す。
――その姿を、魔動巨人部隊指揮官は固唾を呑んで見つめていた。
「……まだだ。もう少し引き付けろ」
『了解』
魔動通信機で操作術者と連絡を取りながら、“その時”を待つ。
「三番、前方の塹壕に一発ぶち込め。《擬竜兵》を焦らせろ。魔法士隊は《擬竜兵》を撃ち損ねたと見せかけて退路を断て。他は引き続きファルレアンの防衛線を牽制だ」
『了解しました』
『了解』
指示を下してしばしの後、魔動巨人の一体が魔動砲を放つ。魔動砲は威力は大きいが発射に少々時間が掛かるので、ファルレアン側も何とか退避して直撃は避けたようだが、別段問題はない。“味方が攻撃されている”ことを《擬竜兵》に認識させ、焦りを持たせるのが目的なのだから。
そしてそれに呼応するように、魔法士たちの放った攻撃魔法が、《擬竜兵》が駆け抜けた後の地面を穿つ。これも当てる必要はない。そもそも当たったところで、大したダメージにはならないのだ。
すべては、彼を自分たちの仕掛けた罠の中に誘い込む――そのための布石でしかない。
『……《擬竜兵》、撃ってきます!』
「魔法障壁展開! 最大出力だ!」
そう命じるが早いか、襲い掛かる強烈な光芒。魔動巨人の魔動砲に比べると細い、だが魔動砲に劣らぬ威力を秘めたそれが、展開された魔法障壁とぶつかり合い、閃光と爆炎、轟音を巻き起こす。それは一発では終わらず、続けざまに魔法障壁を襲った。昨日はこの飽和攻撃ともいえる手で障壁を破られ、防御特化型を一体やられた苦い経験がある。
「魔力の消耗は考えるな! とりあえず防ぎ切ることだけを考えろ!」
『りょ――了解!』
魔力の補充は後でどうとでもなる。まずはここで倒されないことが第一だった。それが達成されなければ、“罠”は機能しない。
果たして。
『――《擬竜兵》、さらに接近! あの剣で直接斬り込むつもりのようです!』
「よし、掛かった!」
指揮官は思わず拳を握った。《擬竜兵》は堅い障壁に早々に見切りを付け、右腕の剣での白兵戦に持ち込むつもりらしい。竜の鱗を思わせるあの剣は、強度もまさに竜の鱗並みにあるらしく、魔動巨人の装甲すら易々と斬り裂いて腕を落とすほどだ。その切れ味でもって障壁も破れば良い――そう考えたのだろう。
だが、今回はそれを使わせる暇を与えるつもりはなかった。
「一番、四番、作戦通りだ! 《擬竜兵》を押さえろ!」
命令に従い、防御特化型魔動巨人の左右に控えていた魔動巨人が動き出す。その肩に掴まっていた魔法士たちが、一斉に詠唱した。
『圧し潰せ、《重力陣》!!』
瞬間、《擬竜兵》を中心に半径五メイルほどの範囲が、通常の数倍もの重力を帯びる。《擬竜兵》の足が止まった。
「よし、次だ!」
指揮官の声と共に、片方の魔動巨人が足を踏み出す。その肩に乗っていた魔法士たちは、操作術者も含めて全員が、魔法を使って離脱した。多少離れても、歩かせる程度の簡単な操作なら可能だ。魔動巨人はそのまま《重力陣》の効果範囲内にまで進む。瞬間、その魔動巨人の背を、別の魔動巨人の魔動砲が直撃した。爆発。そしてそれに圧されるように、魔動巨人の巨体がぐらりと傾く。
《重力陣》に捕らわれたままの、《擬竜兵》に向かって。
――ズドン、と。
文字通り、大地が揺れた。
◇◇◇◇◇
(……あれ)
気が付くと、視界が紅かった。
身体が動かない。どこもかしこもが痛い。その中でも左足は、何かに押さえ付けられているようにぴくりとも動かなかった。
(……そうだ……魔動巨人に斬り込もうとしたら……)
だんだんと記憶が甦ってくる。まず防御特化型の魔動巨人を潰すべく攻撃を仕掛けたが、魔法障壁がなかなか崩せず、《竜爪》での直接攻撃に切り替えたのだ。だが今思えば、それは罠だったのだろう。動きを封じられ、そして――。
「――痛っ……!」
自分に向かって倒れ掛かってくる魔動巨人、そこまで思い出した瞬間、左足が焼けるような痛みを訴えた。
「……く、そ……猟師が罠に掛かるとか、っ、笑えねえ……」
視界を確保しようと左手で目元を拭うと、ぬるりとした感触と鉄臭さ。血だとすぐに分かった。視界が紅いのは、目に血が入ったせいだろう。それでも何度か瞬きを繰り返し、ぼんやりとだが視覚を取り戻した。途端に飛び込んできたのは、大きな――どうやら魔動巨人の腕か足辺りの部品の下敷きになった、左足。道理で痛いはずだと、妙に冷静に思った。
アルヴィーは右半身を下にする形で、地面に倒れ込んでいる。周囲の地面が斑に紅いのは、もしかしなくても自分が流した血だろう。
『――生きているな、主殿』
「アルマヴルカン……何があった……?」
『どうやら見事に罠に嵌まったようだな。重力魔法で動きを止められたところに、魔動巨人そのもので押し潰されかけた。とっさに《竜の咆哮》で腕を吹き飛ばして隙間を作ったはいいが、向こうはさらに上手だったな。魔動巨人を自爆させたぞ。障壁である程度は相殺したが、かなり手酷くやられた。普通の人間であれば五回は死んでいたな』
「マジか……派手な爆薬だな……」
左足が潰されているのは確実として、そろそろと身体をまさぐってみれば、左肩や脇腹にも結構な大きさの破片が突き刺さっていた。右腕は――動く。思い切って引き抜いた。どろりと何かが流れ出す感触は、だがすぐに止まり、じくじくとした疼くような痛みに取って代わる。
『安心しろ、気絶していた時間はわずかだ。だがとりあえず、左足を潰している部品を吹き飛ばせ。再生ができん』
「これも治んのかよ……我ながらおっそろしいな」
だが、治らなければ困るのも確かだ。アルヴィーは左足を押し潰す部品に向けて右手を突き出した。通常状態に戻っていた右腕が、硬質な深紅の鱗に覆われていく。魔力集積器官の翼が地面に引っ掛かるが、とりあえずそれは無視して、アルヴィーは《竜の咆哮》を撃ち放った。
爆炎。部品が宙に浮く。それを逃さず、左足を引き抜いた。途端に、脳天まで貫くような痛みが走って悶絶する。
「っ、痛ってぇぇっ!!」
「なっ、あれでまだ生きているのか!?」
思わずあげた絶叫と、レクレウス兵たちの驚愕の声が重なる。立ち上がろうとしたアルヴィーは、だがそこで視界がぐらりと揺れるのを感じた。
(くっそ、血を流し過ぎたか……!)
すう、と周囲の景色や喧騒が遠ざかる。まずい、と思った時、アルマヴルカンの声が聞こえた。
『まったく……いいだろう、しばしわたしが引き受けよう』
暗転。
「――う、撃て! 今度こそ仕留めろ!」
指揮官の上ずった声に、兵士たちは構えた魔動銃や魔法小銃の引鉄を急いで引き絞る。だが、その瞬間。
彼らの眼前から、標的の姿が掻き消えた。
「何っ――!?」
一瞬遅れて、放たれた魔法や魔力弾が、鮮血の染み込んだ地面を抉る。どこに――と巡らせた視線が、ふと上空に向き、そして釘付けになった。
「う、上ですっ!」
「何だと!?」
彼らが仰ぎ見る先、確かに片翼を背負った少年の姿が空中に在る。その瞳が炯々と金色に輝いていることに、だがレクレウス兵たちは気付かなかった。
「ば、馬鹿な……! あれでも死なんとは、本当に化物か……!」
思わず口走り、そして指揮官は自身が漏らした言葉の無意味さに気付く。そんなことは最初から分かっていた話だ。《上位竜》の血肉を受け入れてなお、狂わずに生きている者が、化物でないはずなどなかったのに。
と、“アルヴィー”はすい、と魔動巨人の一体を指差す。
『そこの人間、命が惜しければ逃げておけ。死ぬぞ』
疑問に思うより早く、操作術者は弾かれたように飛び下りていた。魔法を使ったが不完全に終わり着地に失敗、おそらく腕を折ったが、そんなことなど気にする余裕もなく、転がるようにその場を離れる。そうしなければ死ぬ、と、彼の本能が喚き立てていたので。
そして――次の瞬間、魔動巨人の足下に、紅く輝く魔法陣が展開した。そこから噴き上がる、紅蓮の業火。
「う、うわああああ!!」
押し寄せる熱風に、兵士たちは堪らず逃げ出す。魔法陣から噴き上がった炎は、魔動巨人を包み火勢を増して火柱となった。その中で、金属でできたはずの魔動巨人の影が、人型を失ってぼろぼろと崩れていく。レクレウス兵たちは、それを信じられない思いで見守るしかなかった。
「そ、そんな馬鹿な……! 魔動巨人を焼き尽くす、だと……!」
恐怖と、それ以上の畏怖を含んだ視線が、高みから自分たちを見下ろす少年に集中する。彼が何かを呼ぶように軽く右手を振っただけで、魔動巨人を焼き尽くした炎は大きく伸び上がり、従順に彼の周囲を巡り始めた。足元で黒焦げになって崩れ落ちる魔動巨人など知ったことかという風情で、彼は地上を見下ろす。
『……もういいか、主殿?』
(ああ、何とか動けそうだよ。ありがとな。でもちょっと派手過ぎだぞ)
『時間稼ぎには良かろう。後は主殿が始末を付けることだな。主殿が受けた命だ』
(言われなくても!)
ふっ、と糸が切れたかのように、アルヴィーの身体が地面に落下する。だが彼は自らの足でしっかりと、地面を踏み締め着地した。そして次の瞬間、《竜爪》を伸ばす。すると、纏った炎が吸い寄せられるようにその剣身に集まり、その中に閉じ込められて熾火のように静かな輝きを放った。
衝撃を逃がすため大きく撓めた膝を伸ばす、その動作で駆け出す。目指すは先ほど魔動砲を撃ち、魔力を再充填中の魔動巨人。はっと我に返った兵士たちが慌てて撃った魔法や魔動銃は、駆け抜けるその影にすら届かない。
そしてアルヴィーは、その片翼を輝かせながら地を蹴り、宙に駆け上がった。
一閃。
赤熱する《竜爪》が、魔動巨人の頭部を斜めに断ち割った。
「――《竜の咆哮》!」
魔動巨人の肩を蹴って宙で一転、その際に見えた魔動巨人の背中に止めとばかりに《竜の咆哮》を撃ち込む。爆発に圧されて倒れ込む魔動巨人にはもはや目もくれず、次の標的を探した。
(とりあえず魔動巨人は全滅させるか。それが俺の仕事だ)
裏切り者と忌まれようと、化物と恐れられようと。
ここでこうして剣を振るい、荒れ狂う炎を操ることが、いずれ自分の足場となる。
敵の血と炎と恐怖で購われた道が、それでも親友のもとに至るというなら。
「……やってやろうじゃねえかっ……!」
自らが操る炎と流した血で、至るところを紅く染めながら。
アルヴィーは自らの道を切り拓くため、深紅の剣を掲げ地を蹴った。




