第35話 飛竜の山
“それ”は、翼を休める場所を探していた。
遥か遠くの地から、ほぼ休むことなくここまで飛び続け、さすがに疲労も限界に来ている。しかも“それ”は追われる身でもあった。原因は分かっている。だが、それを手放すわけにはいかなかった。
と――霞むほど彼方に見えた、ある場所。そこから感じる気配は、己よりは弱く――だが近似種ゆえに、どこか似通ったものだ。あの中に紛れ自らの気配を消せば、追手を欺けるかもしれない。
“それ”は残る力を振り絞るように翼で空を叩き、その場所へと突き進んで行った。
◇◇◇◇◇
遠くに見えた雲を衝くような山に、アルヴィーは思わず感嘆の息をついた。
「あれがイムルーダ山か……」
ディルアーグ公爵領北東部に位置するイムルーダ山は、標高三〇〇〇メイルを超え、国内では九番目に高い山だ。もっとも、他の高山はダルガット山脈やフィントリガル山脈など、他国との国境になっている山脈の中にあるものがほとんどなので、純粋に王国内に存在する山という意味では五指に入る。ファルレアン王国は基本的に年間を通じて温暖な気候だが、さすがに標高三〇〇〇メイル超の高山となると、夏場でも肌寒く感じるほど涼しいそうだ。
(やっぱ外套買っといて正解だったなー)
その話を聞いた時、アルヴィーは改めて自分の判断を褒めた。まあ、火竜の加護――というか寄生――を受けている身なので、その気になれば寒さなどどうとでもなるのかもしれないが。
「きゅっ」
と、もぞもぞと胸元から顔を出したのは、言わずと知れたフラムである。小動物だけあって、人間より体温が高いフラムは、暖を取るのに良いかもしれない。
「――ではこれより、イムルーダ山に登る! 途中までは道ができているから馬で行けるが、それ以降は徒歩だ! 各自、体調には充分に気を付けろ。おかしいと思ったらすぐに申し出ること。いいな!」
「はっ!」
飛竜の幼体を捕獲するため編成された捕獲部隊の隊長が、隊員たちに注意事項を申し渡している間、アルヴィーは山頂部に目を凝らした。ここから山頂は十ケイル以上離れているが、アルヴィーの目には山頂周辺を飛び回るいくつかの影がはっきり見える。山頂付近に営巣し、子育て中の飛竜たちだろう。
ここに来るまでに一通り説明を受けたが、ファルレアン王国騎士団が数年に一度捕獲部隊を編成し、危険を冒して飛竜の幼体の捕獲に向かうのは、騎士団で運用している飛竜の補充に加え、血統管理の意味もあるそうだ。騎士団の管理下にある飛竜同士の交配も当然行われているのだが、元々の数が少ないので、そのままではやがて非常に血の近しい交配になってしまう。そこで他の飛竜の血を入れるために、こうして数年に一度捕獲部隊を向かわせるということだった。
(そういや村でも、余所から嫁さん貰ったりしてたもんなあ)
アルヴィーは自身の故郷の村を思い出す。小さな村の中では結婚相手も限られてしまい、周辺の村や町などと人を行き来させて相手を見繕っていたのだ。幼い頃はその意味も分からなかったが、十をいくつか過ぎるとさすがに、親や近所の人々からそれとなく教えられるものである。今にして思えば、余所から来たルシエルたち親子が村に受け入れられたのも、そういった“外の血を入れる”意味で都合が良かったからかもしれない。
……もっとも、アルヴィー自身にそういった話が来る前に、村は魔物の襲来で消滅してしまったのだが。
そんなことを思い返したりしていると、隊列が進み始めた。アルヴィーも馬の手綱を取る。アルマヴルカンの気配を極限まで抑え、馬を怯えさせないようにするのももう慣れた。
捕獲部隊は山に最も近い町で補給を済ませ、いよいよ山に登ろうというところだった。ここから先には集落どころか人っ子一人住んでおらず、今ある物資だけで乗り切らなければならない。といっても、捕獲部隊には経験者も多数含まれているため、物資の配分で失敗するようなことはないだろう。山でも麓の方には動物がいるそうなので、狩りが得意な騎士が休憩時間などに獲物を持ち帰ったりもするらしい。
隊列は山肌に貼り付くように拓かれた登山道を上って行く。馬が通れるようにという目的なので、傾斜は緩やかで折り返しの多い道となっていた。時折飛行型魔物がちょっかいを掛けてくるが、魔法で追い払える程度だ。
登山道を上り始めてから三時間ほどで、隊列は開けた場所に出た。道程の三分の一ほどの地点に設けられた休憩所だ。この遠征が数年に一度の恒例行事なためか、山中だというのに厩舎や水場なども整った、なかなか大規模な休憩所だった。ここに馬と管理のための数人の人員を残し、この先は徒歩での行軍となるらしい。
「へー、すごいな。水場まであるのか」
「向こうに小さいけど川があって、そこから水引いてるのさ。人間もそうだけど、馬も水が要るからなあ」
思わず感嘆の声をあげると、たまたま近くにいた騎士が説明してくれた。なるほどと納得する。
一行は馬を厩舎に入れついでに、ここでしばらく休憩するということで、アルヴィーも乗っていた馬を水場に連れて行き、水を飲ませることにした。ついでにフラムも、アルヴィーに水を掬って貰って小さな舌で一生懸命舐めていたり。が、馬に水を飲ませ始めた時、隣にいた騎士が「あっ!」と短く声をあげる。よくよく見ると、知った顔だった。
「……あ。えーと、確か……ウィリアム何とかかんとかって……」
「ウィリアム・ヴァン・ランドグレンだっ! いい加減覚えろぉぉ!!」
青みがかった銀髪を振り乱し、ウィリアムは全力で突っ込んだ。
「あ、そうそう。いや、何となく覚え難くてさあ」
「どこがだ! いいか、我がランドグレン家は先祖代々、国内最大の港町ミトレアに根を張る由緒正しい伯爵家だぞ! その程度も知らんようでは、この先も危ぶまれるというものだな!」
「そんな有名なのか?」
「無論だ! ミトレアでは知らぬ者などいない!」
「……そりゃ、地元で領主が有名なのは当たり前じゃね?」
アルヴィーのツッコミに、ウィリアムはしばし沈黙した。
「……それはともかく、なぜ貴様がここにっ!」
「任務だからだよ。そっちだってそうだろ?」
「うぐっ」
至極もっともな返答に、ウィリアムは言葉に詰まった。
「……まあいいだろう。ただし、勝手な行動は慎んで貰うぞ! 何しろ僕は今回の任務がつつがなく終われば、二級魔法騎士への昇級試験のための推薦が受けられることになっているんだからな!」
「へー……試験受けるにも推薦要るとか、面倒なんだな」
アルヴィーは《擬竜騎士》という独立した階級なので、昇級もへったくれもない。加えてレクレウスの練兵学校での座学もすでに半分記憶にないような状態なので、推薦を受けてまで試験に挑むというのは素直に感心した。
「ふん、貴様は知らんだろうが、二級以上は昇級試験を受けるにも、自家を含め二家以上の貴族の推薦が必要になる。だが、推薦を受けた騎士が万が一何か不祥事でも起こそうものなら、推薦した貴族にも迷惑が掛かるからな。そこで通常は自家と母方の実家の推薦を受けるものだが、僕はそれに加えて母方の叔母が嫁いだ伯爵家の推薦も受けられることとなったのだ!」
得意げに胸を張るウィリアムに、それも身内だろ、とアルヴィーは思ったが、口には出さなかった。下手に突っ込んだら後がまたうるさそうだったからだ。
「そっか、まあ大変そうだけど頑張れよー」
「貴様に言われるまでもないっ!」
肩をいからせて叫ぶウィリアムを尻目に、アルヴィーは水を飲み終えてその辺の草を食んでいた馬の手綱を引いた。そろそろ休憩も終わり、出発しそうな様子だったからだ。この馬も厩舎に入れて貰わなければならない。ここの厩舎は魔物たちから馬を守るために石材と地魔法で造られているそうで、見る限りでも相当に頑丈そうだった。また、飛竜も滅多にこの辺りまでは下りて来ないそうなので、厩舎に入れておけば馬も安全だろう。
馬を厩舎に入れ、休憩を終えた一行は再び山道を上り始めた。
ここからは徒歩前提なので、道は先ほどまでと比べると蛇行が少なくなった代わり、急に傾斜がきつくなったように感じられる。進むにつれ、少しずつ足下も悪くなってきたが、ちょっかいを掛けてくる魔物は反比例するように減ってきた。馬に遠慮する必要がなくなって、アルヴィーがアルマヴルカンの気配を抑えるのを止めたせいもあるが、一番の理由は魔物自体が減っているからだ。今の時期、山頂近くには飛竜の群れが居座るので、他の魔物たちはもっと低いところか、もしくは余所へ逃げてしまうという。楽ではあるが、裏を返せば飛竜の営巣地に近付いているということで、騎士たちの顔にも緊張が見て取れた。
そんな中でただ一人、アルヴィーは散歩か何かのように軽い足取りである。飛竜を恐れる必要もない上、この程度の登山では息も上がらないのだから当然といえば当然だが。他の騎士たちより体力的精神的に余裕がある分、周囲に注意を払いながら山道を上って行く。
と、
『――主殿』
不意に、アルマヴルカンの声がアルヴィーの耳に響いた。
(どうした?)
『妙だ。飛竜の他にも、“何か”がこの山にいるような感じがしてならん』
(何かって?)
『そこまでは分からん。気配を抑えに抑えているのでな。おそらくは何らかの理由で身を潜めているのだろう。だが、飛竜も亜種とはいえ竜種の端くれ。その営巣地の近くに潜もうというのだ、相応の存在ではあるだろうな』
(おい……それヤバくね?)
割と洒落にならないことをしれっと告げるアルマヴルカンに、アルヴィーの口元が引きつった。急いで指揮を執る騎士のもとに知らせに走る。
「あの! ちょっと隊列止めて!」
「ん? 何だ、いきなり。《擬竜騎士》といえどあまり勝手なことは――」
「この山、飛竜の他にも何かいるかもしれない。俺がちょっとこの辺確認して来るから、その間だけでも」
「む……」
《擬竜騎士》が《上位竜》の魂の一欠片をその身に宿しているというのは、上級の騎士の間ではすでに知られた話だ。その彼が何か異変を感じたという事実を無碍にはできず、騎士は小さく唸ったが、
「……いや、しかし、もうすぐ営巣地だ。それにここでは万が一何かあっても身動きが取れん。どうせなら営巣地前の拠点まで進んでしまいたい」
確かに、現在隊列が進んでいる辺りは足場が悪く、道幅も狭い。そして騎士が言うには、騎士団がいつも拠点として使っている営巣地前の空き地に、あと数ケイル程で辿り着くというのだ。アルマヴルカンの言い様では、その“何か”は身を潜めているらしいので、数ケイルほどなら大丈夫だろうと判断して、アルヴィーは頷いた。
「分かりました。けど、できるだけ急いだ方がいいかもしれない」
「良かろう」
騎士としても、もし何らかの敵対存在を迎え撃つことになった場合、狭い山道よりある程度広さのある空き地の方が都合が良い。頷いて、隊列の歩みを早めさせた。
アルヴィーは念のため、周囲の警戒を引き受けることにした。道の片側は切り立った崖となった山肌、反対側は鬱蒼と茂った木立が広がり、お世辞にも見晴らしが良いとはいえない。だがそこは竜の力を得た副産物の鋭い五感と、猟師としての経験値の出番だ。
(――今んとこ、おかしな様子はないな……アルマヴルカン、どうだ?)
『ふむ……相変わらず気配は相当に薄いが、わずかに近付いた気はするな』
「げ、マジかよ」
思わずきょろきょろと周囲を見回してしまうが、それらしき様子は見受けられなかった。
『相手もよほど見つかりたくないのだろう、今はまだおとなしいな。――だが、下手に刺激でもすればどうなるかは分からん。注意するに越したことはない』
(分かった)
もとより、得体の知れない相手に遭遇するのは本意ではないのだ。騎士団の誰かがうっかり刺激したりしないよう願うばかりである。
だが、そんなアルヴィーの心配を余所に、隊列は順調に残りの行程を踏破し、騎士団がいつも拠点として使っている空き地に辿り着いた。早速基地の設営が始まる。といっても、空き地に接した山肌には、人工的と思しき穴がいくつも掘られており、その入口に雨や夜露を凌げるように天幕を張るのと、その周囲に魔物や獣除けの結界陣を敷くくらいだ。飛竜の営巣地は、ここからさらに数ケイルほど先になるらしい。
「今日はここで野営し、身体を休める。幼体の捕獲は明日だ。各自、充分に休んで体力を取り戻してくれ」
隊長の声に、騎士たちの間に漂う緊張が、すっと解れたようだった。無論、ここが飛竜の営巣地の目と鼻の先というのは承知の上だが、毎回拠点として使われているというのは、そこそこ安全だということを意味する。万が一飛竜に襲われても、穴の中に逃げ込んでしまえば、ブレスを吐く能力のない飛竜はそれ以上攻撃できないのだ。
だがさすがに見張りも立てず休むのは不用心極まりないので、アルヴィーは自主的に見張りに立つことにした。自分なら、もし飛竜やアルマヴルカンが警告した“何か”が襲ってきても、《竜の障壁》辺りで対応できる。それに一晩くらい寝なくともどうとでもなるのだし。
野営の準備をしている間に日は傾き、辺りはどんどん暗くなってくる。騎士たちは数名の見張り当番を残して、全員が穴の中に潜り込んだ。アルヴィーもちらりと覗いてみたが、中は複数の人間が寝泊まりできるようそこそこ広く、また所々が中で繋がっている。地魔法で補強もされているようで、それこそ竜の体当たりでも受けない限り、崩落する恐れはないだろう。入口近くをやや深く掘り下げており、奥の方が高めになっているのは、雨水などが奥まで流れ込まないようにするためだそうだ。
この辺りは標高もそれなりに高く、日が落ちるが早いかどんどん気温が下がってくる。騎士たちも外套を着込んだり、魔法式収納庫から毛布を取り出したりと、それぞれ防寒対策を始めた。
冷たく冴えた高山の空気に、アルヴィーは少し息をついた。
(こんな高い山に来たのは初めてだな……空が近い)
見上げる夜空には、星がひしめくように瞬いている。地上で見るよりも、夜空の暗さと星の光の対比が際立って見えた。
「……きゅっ」
一心に空を見上げるアルヴィーに、前を止めた外套の襟元からもぞもぞと顔を出したフラムが、すりすりと擦り寄る。首元が暖かくなってとてもよろしい。
「……おまえ、襟巻にちょうどいいよな」
「きゅ……?」
毛艶の良い金茶色の毛並みを撫でていると、フラムの目がとろんとし始める。まさに至福といった表情だ。
(……コイツもう絶対、自分の本来の役目忘れきってるよなあ……)
まあそれならそれで、最後まで面倒を見る所存である。カーバンクル――しかもおそらく使い魔として術を仕込まれた動物が、どれほど生きるものかは分からなかったが、ふわふわと温かく、とくとくと命を刻む鼓動を確かに持っているこの小さな生き物を、今さら見捨てる気などなかった。
フラムを構って暇を紛らわせながら、アルヴィーは刻一刻と闇に沈んでいく周囲の景色を眺める。そして星明りを背に影絵と化した、山の頂に目をやった。さすがに夜になってまで飛びはしないのか、飛竜の影は見受けられない。
(……明日、か)
胸中でひとりごち、わずかに目を細めた。
騎士団に捕獲されれば、自然界では生きられない幼体も、乗騎としてではあっても生き延びられるかもしれない。自然の摂理には反しているのだろうが、助かる命が一つでも多いに越したことはない――そう思うのは、すでに自然と共に生きる猟師ではなくなったからだろうか。
それでも、その変化を厭う気はない。自分はもう、ファルレアンの騎士になると決め、その道を歩き出しているのだから。
アルヴィーは再び、暗い周囲に目を凝らし始めた。胸元に、小さな命を抱き締めて。
◇◇◇◇◇
イムルーダ山から遠く離れた、オルロワナ北方領ラフト。その領主館の執務室で、ユフレイアは相変わらず執務に勤しんでいた。
館の修復は、もうあらかた済んでいる。地の妖精族たちが力を貸してくれ、元々石造りの部分が多かった館は、三日ほどで少なくとも見た目では襲撃の痕跡も分からないほどに修復されたのだ。ユフレイアはその礼として、最上級品の酒を彼らに振る舞った。まあ、彼らは人目のあるところには滅多に出て来ないので、館の一室に酒樽を積んでその旨を伝えたのだが、しばらく後に覗いてみたら酒樽はすっかり空になっていたので、どうやら彼らのお気に召したらしい。
そういうわけで館の修復については問題らしい問題もなかったのだが、別のところで大問題が――しかも現在進行形で――勃発していた。
(王都は完全に知らぬふりを決め込むつもりらしいな。王太子がよほど上手く言い繕ったか……いや、そんな頭があるならそもそも近衛を差し向けてきたりしない。ということは、国王がいよいよ耄碌したか)
ユフレイアが行った、領外への資源の流出と王家への上納金の差し止め。思惑通りすぐに来た問い合わせに、理由が知りたければ王太子に訊いてみろ(意訳)という旨の返答を返したのだが、それに対して返ってきた返答が、“今回の一件に関してはあくまでも元近衛兵たちの暴走であり、王家は一切関与していない。問題の近衛兵たちはすでに解任している”というものだった。つまり、近衛兵たちは蜥蜴の尻尾よろしく見事に切り捨てられたのだ。
まあ、堂々と真正面から関与など認められはすまいが、ここまで空惚けられると、怒りを通り越していっそ感心すらしてしまうレベルである。それにしても、ユフレイアがここまで強硬な措置を取ったのは、“確たる証拠を握っている”と王家に対して言外に示す意味もあったのだが、それでもなおここまであからさまに惚けられると、もはや清々しい。もちろん、それで納得する気は毛頭ないのだが。
「――姫様、どうなさいますか。王都の方は完全に惚けるつもりのようでございますが」
「そうだな。とりあえず他領との各種取引の差し止めは継続だ。領民たちには苦労を掛けることになるが、その分の補償はしっかりと頼む」
「畏まりました。領主館の方で買い取る形でよろしゅうございますか」
「その辺りは任せる。王家への上納金は完全停止。――それと、例の近衛たちの実家と密かに連絡を取りたい」
「と、仰いますと?」
「近衛になるからには、連中の実家は名家揃いのはずだ。しかも、息子を暗殺者紛いの汚れ仕事に駆り出された挙句に尻尾切りだぞ。王家に対して反感を持たない方が難しい。――そこへ、わたしが連中を無傷で返してやれば、それらの家はわたしに対して借りができる」
「しかし……姫様を襲撃して来た輩を、無傷で返すとは」
「幸い人的被害はなかったし、多少の物的損害はこの際目を瞑ってもいい。それよりも、王家への反感を駆り立てた方が“これから”にとって得策だとは思わないか?」
にやりと笑うユフレイア。補佐官はため息をつく。
「……畏まりました。確かに、無礼を承知で申し上げれば、この国での姫様の政治的基盤は無きに等しい。表立ってはなくとも、姫様の側に立つ家を増やすのは必要でございましょう」
「だろう?――それと、牢に放り込んである近衛たちに、この返答を見せてやれ。王家の紋章入りの上、どうやら国王陛下直々に認められた書状らしいからな。自分たちが国に切り捨てられたことを、嫌でも実感せざるをえまい」
ユフレイアは、王家から送られてきた書簡をぞんざいに机の上に放り出す。そこで、補佐官が口を開いた。
「姫様。近衛たちの実家に連絡を取る件ですが、クィンラム公爵閣下にお任せしてはいかがですかな。クィンラム公爵家はそちらが専門にございます。我々のような不慣れな者が動くよりは、格段に上手くやってくださるかと」
「それもそうだ。――よし、例のものを」
「畏まりました」
ユフレイアの指示に、補佐官は一礼して下がる。そして再び姿を見せた彼は、大きな鏡を抱えていた。部下たちにも手伝わせ、それを台座に据えて準備を整える。
「……姫様。よろしゅうございます」
「ああ、ありがとう」
ユフレイアは執務を中断して立ち上がると、机の抽斗から小箱を取り出した。開かれた箱の中には、魔法陣が刻まれた直径五セトメルほどの紅い宝玉が鎮座している。彼女はそれを無造作に取り上げて鏡の前まで歩を進めると、鏡の上部にぽかりと空いた台座に、その宝玉を嵌め込んだ。
すると、鏡の中のユフレイアの姿がゆらりと歪み、次の瞬間、まったく別の光景が浮かび上がった。
鏡の中に浮かび上がったのは、書斎のような部屋だった。壁一面を埋める本棚。そういえば襲撃で焼失した書物も揃え直したいと、ユフレイアはちらりと思う。
『――これは、殿下。ご機嫌麗しく存じます』
そして、鏡の向こうに現れたのは、王都にいるナイジェルだった。
「ああ、久しいな、クィンラム公。突然の連絡だが、許せ」
『殿下からのご連絡以上に重要な案件などございません。――ところで、殿下。王家からの返答は、もうそちらに到着しておりますか』
「ああ。いっそ感心するほどの逃げの打ちっぷりだったな。かえって笑いたくなったぞ」
『まあ予想の範疇内というところですか。その件については、王家からわたしの方に指示がありました。何でも、殿下が王家に領地を返納するに足る理由をでっち上げろ、とのことです』
「ふん、さすがに多少の外聞は気にするか。もっとも、あちらもまさか、わたしと卿が組んでいるなどとは思いもしないだろうが」
実際、クィンラム公爵家が完全に王家側ならば、今回の件でユフレイアは苦しい立場に追い込まれただろう。何しろクィンラム公爵家は筋金入りの情報操作の専門家である。下手をすれば、王家からの襲撃を北方領の蜂起に仕立て上げられていたかもしれない。そうなれば領地は没収、ユフレイアは処刑こそ免れても、生涯幽閉コースだったに違いなかった。今回の件で彼女が、他領との取引停止や王家への上納金差し止めなどという思い切った手を打てたのは、クィンラム公爵家と密かに結んでいるからという要因も大きい。
「……まあそれはさておいて、卿に頼みがある」
『どうぞ、何なりと』
「では言葉に甘えて――例の実行犯の近衛たちだが、彼らの実家と連絡が取りたい。今、彼らの実家は王家の縁者への襲撃犯を出したということで、宮廷ではかなり苦しい立場に置かれているだろう。だが、それが王家に切り捨てられた結果だと知れば、王家への忠誠心も大分目減りするはずだ。そこへわたしが近衛たちを無傷で返し、襲撃も不問に付すと言えば……どうだ?」
『それは……彼らの実家にとっては願ってもないことでしょう。ですが、すぐに名誉回復というのはさすがに無理かと』
「分かっている。もちろん話自体は極秘で付けなければならないが……上手くすれば、近衛を出すほどの名家を寝返らせることができる」
『確かに。切り捨てられて半ば諦めていた子息と、家の名誉まで戻ってくるとなれば、彼らにとってはこの上なく旨い話でしょう。此度の一件、市井には伏せられておりますが、宮廷内ではかなりの騒ぎになっております』
いくら“隠された王女”とはいえ、宮廷内――特に上級の貴族たちの間では、ユフレイアの存在はもはや公然の秘密であった。彼女が王家に盾突かず、広大とはいえ北の辺境の一領主として国の財政を支えているからこそ、宮廷で彼女の存在が話題に上ることはなかったのだが、昨今の戦況と、高位元素魔法士であるということでにわかに注目が集まっていたところで、この事件である。王家にすべての責任を被せられた形になる近衛兵、そしてその実家は、国を揺るがす事件を引き起こした大罪人とその身内として、宮廷内ではもはや無いものとして扱われていることは想像に難くなかった。宮廷での存在を抹消されるというのは、貴族としては致命的な痛手である。
「やはりな。――本人たちへの説得はこちらでやろう。もっとも、陛下より王家の紋章入りで連中を切り捨てる旨の書簡を賜ったからな。こちらへの寝返りはともかく、王家に切り捨てられたことを納得させるのはそう難しくはないだろう」
『では、彼らの実家への連絡と調略はこちらの方で受け持ちましょう。おかげさまをもちまして、こちらに付く家を増やせそうで何よりです』
「卿のことだ、前々から周到に穏健派の調略を進めておいたのだろう?――まあ、その辺りは卿の方が専門だ、任せよう。それにしても」
ユフレイアは言葉を切り、感心したように鏡の縁に触れる。
「つくづく便利なものだな、この鏡は。ラフトに居ながらにして、王都にいる卿と連絡が取れるとは。見舞いの品の中に、目録にない品が入っていた時には、どうしたものかと思ったが。もしわたしがこの話に乗らなかったら、どうするつもりだったんだ?」
『元々、殿下とのお話が成れば、その鏡はどうにかして殿下のもとにお送りするつもりでしたので。ちょうど見舞いの品の車列に追い付けましたので、紛れ込ませたまでのことです。その方が目立ちませんので』
「なるほど。確かに、この領主館の周りには密偵がちらほらいたようだからな。その判断は正解だ」
『密偵、でございますか……ちなみに、わたしも失礼ながら、殿下の御身を案じて何名か付けさせていただきましたが、どういうわけか連絡がなく……何かご存知でいらっしゃいますか』
ナイジェルがそう尋ねてきたので、ユフレイアはあっさりと、
「ああ、済まない。実は腕の立つ護衛を抱えることができたのでな。試しに、周りに密偵らしい者がいれば捕らえて来いと言ったら、猫が鼠でも捕るように毎日誰かしら捕まえて来るんだ。その中に卿の手の者もいるのだろう。後で確認して、卿の手の者は返すようにしよう」
『それは……お恥ずかしい話でございます』
ナイジェルはわずかに眉をひそめた。諜報の専門家たるクィンラム家の手の者が、こうもあっさり捕まってしまっては、面目丸潰れというものだ。自分も彼の立場なら眉くらいひそめるだろうと、ユフレイアは内心同情する。
「恥じる必要はない。わたしが言うのも何だが、あれは相当に腕が立つ上に勘も良いんだ」
さすがに、当代の《剣聖》だとまではばらさないが。それこそ鼠を捕る猫のように、毎日必ず一人は捕まえて来るので、そこまで密偵を送り込んでくる黒幕に感心すべきか、それを逐一見咎める(しかも外れがない)フィランに驚くべきか、ユフレイアはちょっと悩んでいたりする。
「そういうわけで、密偵については心配しなくていい。正直、情報が漏れるより先に相手の密偵の数が尽きそうな勢いだからな。こちらのことは気にせず、卿の仕事に専念してくれ」
『過分なお言葉、有難く頂戴致します』
「では、わたしはこれで失礼する」
慇懃に一礼するナイジェルに頷き、ユフレイアは彼との話を終えた。鏡を片付けさせ、執務に戻る。大量の書類を捌きながら、これからのことについて考えた。
(このまま上納金を止め続ければ、国は戦費を賄えなくなって、戦争どころの話ではなくなる……いや、現政権下では、民に重税を掛けて無理矢理搾り取るかもしれないが。そうなれば国は内部から崩壊するな。わたしはさしずめ、国を崩壊に導く稀代の悪女か)
だが、例え悪女と呼ばれようと、ここで手を緩める気はなかった。そもそも、きちんと臣下としての役目を果たしていたユフレイアを、理不尽に襲撃してきたのは向こうなのだ。ユフレイアの措置は、単なる意趣返しではない。領地領民を預かる領主としての、矜持の表明だった。
(王太子の目的は分かっている。この領地が欲しいのだろう。――せっかく地の妖精族のおかげで豊かになり、領民が笑って暮らせる地になったのに、それをおめおめと渡せるか。そうなったらあの男は、私欲のために際限なくこの地を掘り返すに決まっている。この地に住まう者たちのことなど顧みもせずに)
この地に住まう民を、そして自らを友と認めてくれた妖精族を守る――それが、ユフレイアの願いだった。
例えそのために、この国を傾けることとなろうとも。
(わたしはこの地を守り抜き、この地に骨を埋める。それが、わたしの意思だ)
王女ではなく、この地の領主として、そしてこの地の妖精族の友として。
改めて自身の意思を確かめ、ユフレイアは一つ息をつくと、いつの間にか止まっていた手を再び動かし始めるのだった。
◇◇◇◇◇
「――すまないね。少し急な案件が入ってしまった」
ユフレイアとの話を終えたナイジェルは、遠隔通話用のマジックアイテムである鏡を据え付けた書斎を後にすると、待たせていた二人のもとに戻った。
「……いえ、お構いなく。もとより我らはもう死んだようなもの、時間はいくらでもございます」
そう頭を下げたのは、黒髪に黒い細目、一見細身の平凡な容貌の男。こう見えて裏世界では名うての暗殺者、《黒狼》と呼ばれていた男だ。とはいえ、その名はすでに過去のものとなったが。
そんな彼の傍で固まったまま黙っている少年は、やはりかつて《魔物使い》と呼ばれた暗殺者だった。
彼らはナイジェルの部下である《人形遣い》、ブランとニエラに捕まり、馬車の積荷よろしく王都レクレガンまで運ばれて来た。そして今までどことも知れぬ一室に閉じ込められていたが、今日やっと外に出ることが許され、そして彼女たちの主であるナイジェルと対面する運びとなったのだった。
「君たちの身辺調査は大体済んだ。他の貴族たちとの特別な関係もなし、あくまで国に密かに召し抱えられていただけの、単なる暗殺者に過ぎない……そうだね?」
「その通りです。――もっとも、もう暗殺者としても死んだようなものですが。あれだけの無様を晒せば、致し方ありません」
自分の失態を語るにも、《黒狼》は落ち着いたものだった。過ぎたことは今さら取り返せない。ならば常に冷静であることを心掛け、その失態を取り返すことを考えるべきだった。
その姿勢に、ナイジェルは満足げに頷く。
「良いだろう、合格だ。――どの道死んだに等しい人間なら、わたしが召し抱えても問題はあるまい。君たち二人を、わたしの部下として取り立てよう」
その言葉に、二人はぎょっと目を剥いた。
「ま、まさか……お言葉ですが、我々はとても、公爵家の臣として表に立てる存在では……」
「…………!」
相手が公爵ということで緊張しきっていた《魔物使い》も、もはや青ざめた顔で口をぱくぱくと開閉している。だがそれも仕方のないことだった。何の口添えもない初見の人間、それも今まで暗殺稼業に従事してきた人間を公爵家に召し抱えるなど、いっそ正気を疑った方が納得できるような暴挙である。
だがナイジェルは、むしろその二人の反応を面白がっているようだった。
「暗殺者であったからか? 安心したまえ、国の上層部に君たちの顔が割れていることくらい、こちらも把握している。君たちを部下として取り立てるといっても、表立ってのことではない。――我がクィンラム家がどういう存在か、上層部と繋がりのあった君たちならば、良く知っていることだろう?」
その言葉に、《黒狼》は幾分落ち着きを取り戻したようだった。
「……なるほど。要するに、裏での諜報活動に関する仕事ということでしょうか」
「それもあるが、わたしは貴族に情報網を張り巡らせている分、それを疎ましがる者に狙われることも多くてね。暗殺者を差し向けられることも数度ではきかない。そこで、暗殺者には暗殺者を、というわけだ。あの二人も、まったく良い拾い物をしてくれた」
要するに、毒をもって毒を制するというやつだろう。暗殺者ならば暗殺者が考える襲撃の手順や、仕掛けられそうな場所にもある程度当たりが付けられる。真っ当な護衛などでは裏を掻かれかねない事態にも、対応できるというわけだ。
もとよりこのままでは幽霊同然の身の上だ。裏の業界であろうと再び身を立てられるというなら、これほど旨い話はなかった。
「――ではそのお話、有難く受けさせていただきたく存じます」
「そ、その、僕も」
跪く《黒狼》に、《魔物使い》も慌てて倣った。その礼を一つ頷いて受け取り、ナイジェルは尋ねる。
「ではまず、君たちの本当の名を訊こうか。《黒狼》や《魔物使い》は無論、本名ではないだろう」
二人に尋ねつつも、おそらく彼はすでに自分たちの素性を調べ上げていると、二人は察した。自らの最も重要な情報である本名を、正直に自分に捧げるか――彼はそれを確かめようとしている。
だから二人は、ありのままを答えることにした。
「イグナシオ・セサルと申します」
「クリフ・ウィスです」
二人の答えに、ナイジェルは満足げに頷いた。
「良いだろう。――では今から君たち二人は、我がクィンラム公爵家の人間だ。早速働いて貰おう。君たちの得物も後ほど返させる」
「はっ」
「は、はい!」
二人は頭を垂れ、彼への忠誠を誓う。それは、暗殺者《黒狼》と《魔物使い》が、この世から消えた瞬間でもあった。
◇◇◇◇◇
夜明けの少し前。朝日も昇りきらない内から、飛竜幼体捕獲部隊は行動を開始した。
「飛竜は日が昇り始めた頃から狩りに出る。幼体は巣に残るが、弱った幼体は健康な幼体によって巣の外に追い出されていることが多い。それを狙う」
「はっ!」
健康な幼体を狙わないのは、飛竜の正常な繁殖を妨げないためである。強いものだけが生き残り、成長して次代へと命を繋ぐ。それは自然界ではごく当たり前の、崩すべきではない命の営みだ。人間はそこから零れ落ちそうな命を、自らの都合のために救うに過ぎない。
「では、出発!」
号令に従い、騎士たちは飛竜の営巣地に向かって進み始める。営巣地には一時間ほどで辿り着く予定だった。飛竜が狩りに出た直後を狙うのだ。《擬竜騎士》がいるとはいえ、飛竜とぶつかるのを避けるに越したことはない。
予定通り一時間ほどで営巣地に到着する。もう太陽は山の稜線から顔を出し、空を藍色から黄金へと染め上げていた。その荘厳ですらある光景に、騎士たちからも小さく感嘆の声があがる。
飛竜の営巣地は、切り立った崖に囲まれた谷間だった。幅百メイルほどの谷底は岩で埋め尽くされ、足場は悪いなどというものではない。まあ、飛竜は基本的に空を飛ぶ生き物なので、地上がどんな状態であろうと関係ないのだが。
崖のあちこちには荒く掘った痕が見受けられ、その痕跡の下は必ずといっていいほど、棚のように張り出している。そこに飛竜は巣を作り、子供を産み育てているのだった。間違っても外敵は来ないが、その代わり幼体だと落ちれば最悪死ぬ高さである。もっとも飛竜にしてみれば、それで死ぬならそれまで、程度のものなのだろう。改めて自然の厳しさを思い知る。
「――よし、営巣地に入る。幼体を見つけたらまず生死の確認。生きていれば状態を確認し、速やかに適切な処置を施して営巣地外へ運び出すように」
「はっ」
さすがに営巣地の中では、指示も返答も声を抑え気味だ。騎士たちはできる限り音と気配を殺し、営巣地内に足を踏み入れて行く。
アルヴィーは周囲に目を凝らし、耳を澄ませた。すると遠く羽ばたきの音。
「――飛竜が一頭戻って来た!」
アルヴィーの警告に、騎士たちの間に緊張が走る。
「各員、急いで近くに身を――」
指示の声を待たず、アルヴィーは外套を魔法式収納庫に突っ込むと、右腕を戦闘形態に変えた。異形のそれに変わった右腕、そして右肩から広がった片方だけの深紅の翼に、初めて見る騎士たちが息を呑む。
(アルマヴルカン、気配全開で頼む)
『ふむ、良かろう』
瞬間――大気が震えるような強烈な気配が、谷に満ちた。
「ひっ――!」
騎士の誰かが、思わず引きつったような声を漏らす。味方だと分かっていなければ、即座に回れ右して逃げ出していたであろう、強大な力による強烈な威圧。アルヴィーの足下がわずかに揺らめいたように見えたのは、彼が纏う熱による陽炎か。
そしてそれは、上空の飛竜にもはっきりと伝わった。真っ直ぐ営巣地へと向かっていた進路を慌てたように変え、それでも巣に残して来た我が子のことを諦めきれないのか、谷の上空をぐるぐると回る。それを見上げて少し申し訳ない気分になったアルヴィーだったが、騎士に死傷者を出すわけにもいかないので、飛竜にはしばらく我慢して貰うことにした。
(ごめんな、すぐ済ませるから)
胸中で飛竜に詫び、騎士たちに檄を飛ばす。
「早くしてくれ! あんまり長く続けると、飛竜が怖がってここに居付かなくなっちまうかもしれないぞ!」
「そ、それはまずい。皆、急いで探せ!」
騎士たちは急いで幼体を探し始める。やがてちらほらと、地上に落ちたり崖の途中に引っ掛かったりしている幼体が見つかり始め、残念ながらすでに絶命していたり手の施しようがないものはそのままに、まだ何とかなりそうな幼体は騎士たちによって速やかに回収されていった。ポーションや回復魔法などで応急処置が施され、営巣地の外に運び出される。さすがに、回復しそうな幼体はそうそう見つからなかったが、片手の指に余る数が見つかれば上出来だと予め聞いていたので、そんなものかと思う。ただでさえ、野生で生き抜いていける命はさほど多くはないのだ。一旦零れ落ちかけたところを救われるなど、ある意味奇跡に近いのかもしれない。
ともかくも、数体の幼体を回収し、騎士たちは捜索を切り上げた。アルヴィーに威圧して貰ってはいるが、あまり時間は掛けられない。それに、目標数はすでに達成したので、もう切り上げても良いだろうと隊長は判断したのだ。
「――《擬竜騎士》、もういい。威圧を収めてくれ」
「了解」
アルヴィーは解放していた力を抑え込むように、徐々に気配を抑えていく。空気が軽くなっていくように感じられ、騎士たちは思わず大きく息をついた。
「……凄まじいものだな、あれが《擬竜騎士》か」
「つくづく、味方で良かったと思うよ……」
囁きの声を聞きながら、アルヴィーは戦闘形態にした腕も通常に戻そうとする。その時、彼の裡のアルマヴルカンが鋭く警告を発した。
『――主殿、右上だ!』
その声に、アルヴィーはとっさに右腕を掲げ、騎士たちを守るように《竜の障壁》を展開した。直後、爆音が朝の空気を貫いて轟き、足元をわずかに揺らした。
「な、何だ!?」
一拍置いて事態に気付き、騎士たちは驚愕の声をあげて頭上を見やる。そして、彼らは見た。
「……竜、だと……!?」
両の前足が翼と一体化している飛竜とは明らかに違う、逞しい四肢を持つ巨体。翼を広げ空に舞うその姿は、まさしくこの世界で最強の一角を占める生物――竜種に相違なかった。
「ド、《上位竜》か……!?」
「どうして竜がこんなところに――!」
慌てふためく騎士たちに向け、竜が再び顎を開く――だが、放たれたブレスはアルヴィーが展開した《竜の障壁》にぶつかり、再び爆音を撒き散らした。
「……あれ、《上位竜》か?」
『いや、それほど力は強くない。おそらく《下位竜》の方だろう。どちらにせよ、周りの人間は足手纏いにしかならんが』
ばっさりと切り捨てるアルマヴルカン。“彼”の声が周囲に聞こえなくて良かったと、アルヴィーはちらりと思う。
「《下位竜》だ! 俺が相手する、全員撤退しろ!」
アルヴィーの鋭い声に、隊長である騎士が指示を飛ばす。
「聞いての通りだ! あの竜は《擬竜騎士》に任せ、我々は撤退する!」
「しかし、あいつ一人では――」
「《擬竜騎士》の戦闘力は《下位竜》に匹敵すると聞く! 我々がこの場にいる方が、かえって足手纏いだ! 急げ!」
「あ、ついでにこいつも頼む」
フラムを手近な騎士に預け、彼を含めた騎士たちが撤退を始めるのを見届けると、アルヴィーは《下位竜》に向き直った。何やらウィリアムが食い下がっていたようだが、はっきり言ってさっさと撤退してくれた方が有難い。何しろ、《下位竜》と直接交戦するのは、これが初めてなのだから。
「……そういや、“《下位竜》に匹敵する戦闘力”って触れ込みなのに、直接戦ったことってないんだよな。行けっかな?」
『見たところ、さしたる属性も持たない半端な竜のようだ。――だが、少々気になる気配も感じる。わたしも力を貸そう。さっさと片付けるがいい、我が主殿』
「あっさり言ってくれるよなあ……!」
こちらの緊張などどこ吹く風というように、しれっとそうのたまう竜にそうぼやきながら、アルヴィーは右腕を撓める。手首から伸びる《竜爪》を構え、悠々と見下ろしてくる《下位竜》にその切っ先を向けた。
「《竜の咆哮》――行っ、けぇぇぇっ!!」
放たれた一条の光芒――それが、“竜”と竜の戦いの嚆矢となった。




