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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第四章 動き出す世界
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第26話 魔の森へ

 レクレウス王国王都・レクレガン。その一角にある広大な屋敷に、夜陰に乗じて人影が滑り込んでいく。

「――閣下。《黒狼こくろう》、お召しに従い参上致しました」

「うむ」

 突如自らの書斎に現れた人影を、男は肘掛け椅子に座したまま頷き一つで迎え入れる。その男――レクレウス王国軍務大臣、ヘンリー・バル・ノスティウス侯爵は、手慰みに開いていた本を閉じると立ち上がった。

「貴様を呼んだのは、他でもない。早急に、始末して貰いたい相手ができた」

「承ります」

 人影は慇懃いんぎんひざまずき頭を垂れる。黒髪に細い黒目の、ごく平凡な顔立ちの男だ。暗い色の服に包まれたその体躯は、一見細身に見えるが、その実鋼のように鍛え上げられている。その気になれば、この不自由な姿勢からでもほんの一瞬で、ヘンリーの首を掻き切れるだろう。

 だが、ヘンリーはその可能性を露ほども考えていない。この《黒狼》と名乗る男は、レクレウスの首脳部が重用する腕利きの暗殺者アサシンだ。裏世界でも、“無駄な殺しはしない”ことで知られている男だった。標的とされた相手は間違いなく仕留めるが、そうでない人間を無意味に殺すことはない。依頼人と標的以外にはその存在すら悟らせないのだから、手に掛ける意味がそもそもないのだ。

 だから、この場での自身の身の安全という点については、ヘンリーは心配していない。彼の表情をかげらせているのは、また別の要因だった。

「……貴様、《擬竜兵ドラグーン》という存在を知っているか」

「小耳に挟んだことなら幾度かございます。確か、ファルレアン辺境の街を襲撃した、我が国の生きた戦略兵器とか。しかし、その時に大半が戦死したと聞き及んでおりますが」

「ふん、なかなか詳しいな。――兵の動揺を防ぐため公には伏せてあるが、その生き残りがファルレアンに寝返った。貴様には、その生き残りの始末を命じる」

 その言葉に、さすがに《黒狼》の表情が動いた。

「……《擬竜兵ドラグーン》は《下位竜ドレイク》に匹敵する戦闘力を持つという話ですが。わたしではいささか力不足では?」

 いささかどころではないのは、双方とも分かっている。だが、ヘンリーを含めたレクレウス首脳部に、《黒狼》を上回る手駒がいないのもまた事実なのだ。手持ちの駒でどうにかするしかなかった。

「情報部特殊工作部隊が奪還を試みたが、それも失敗……挙句の果てに、国境戦線でファルレアン側にくみし、我が軍の攻勢を跳ね返したという。事ここに至っては、もはや奪還の望みは捨てざるを得まい」

 これはヘンリーの独断ではない。レクレウス首脳部の総意だった。確かに《擬竜兵( ドラグーン)》の戦闘力は垂涎すいぜんものだが、それもまともに手綱が取れてこそ。敵国に寝返ってしまえば、厄介極まりない敵でしかないのだ。そしてさらに悪いことに、旧ギズレ領の戦闘でその実力がこちらの兵に知れてしまった。その圧倒的な力の前に、兵たちは戦意など粉々に砕かれて蜘蛛の子を散らすように逃げ去り、一部は脱走兵となって今なお国境地帯に身を潜めているという。状況は悪くなる一方だった。

 ゆえに、負の連鎖はここで断ち切らなければならない。例えどれだけの代償を支払おうとも。

「なるほど……事情は呑み込めましたが、おそらく正攻法では不可能でしょうな」

「分かっている。――ゆえに、これを使え」

 ヘンリーが席を立ち、暖炉(火は入っていないが)の右手の壁を占める本棚、その一角の本を手で押す。するとカチリ、と小さな音がして、十冊ほどの本の背表紙がわずかに浮き上がった。そこに手を掛けて引くと、十冊分の背表紙がまるで一つの扉のように開く。背表紙に偽装した隠し戸棚だ。彼はその中から包みを一つ取り出すと、傍の小さなローテーブルに置いた。

「拝見します」

 《黒狼》は窺うようにヘンリーを見、彼が頷くのを確かめて立ち上がると、包みを解いた。中から出てきたのは、刀身が湾曲した大振りのナイフと、小さな投擲とうてき用のナイフが数本。大振りのナイフは《黒狼》が得意とするククリナイフだ。

「これは……」

「王家の宝物庫にあった、竜殺しの剣を一振り潰して仕立てたものだ。――竜の鱗と牙を鋳込いこんだというこの武器を使えば、《擬竜兵( ドラグーン)》といえど無傷では済まんはずだ。竜素材から作られた武器なら、竜の回復力も阻害するというからな」

「何と……」

 《黒狼》の声がわずかに掠れる。竜素材の武器など、もちろん見るのは初めてだ。通常は、よほどの金を積まないと手に入らない。例外は自分の手で竜をたおし、その素材を得ることくらいである。本来ならば一目見ることすら難しい代物だった。

「これを、使ってよろしいのですか」

「うむ。首尾良く《擬竜兵ドラグーン》を始末できれば、それは貴様のものだ。無論、報酬も別途で用意しよう」

 現在のレクレウスの財政状況からすればかなりの大盤振る舞いだが、どの道失敗すれば武器も戻っては来ないので、《黒狼》への餌にしたところで結果は大して変わらない。

 それに、望みがまったくないわけでもなかった。

「戦闘力こそ凄まじいが、《擬竜兵ドラグーン》は元々単なる村人に過ぎぬ。戦闘訓練も練兵学校で最低限の訓練を受けた程度だ。付け入る隙はあるだろう。無論、こちらも助力は惜しまん。部下として子飼いの暗殺者を一隊、それに情報部の者も何人か付けよう。情報部には密かに《擬竜兵( ドラグーン)》の情報を探らせている。今後はそちらから情報を回すよう手配しよう」

「は……」

 《黒狼》は一礼し、武器を元通り包み直すと、それを手に立ち上がった。

「ご依頼、確かに承りました。では、準備もございますので失礼致します」

 再度一礼してきびすを返しかけ、彼はふと立ち止まる。暗い暖炉を見、探るように目をすがめたが、やがて興味を失ったように視線を外した。

「どうした?」

「いえ、どうやら思い違いだったようでございますので。――それでは」

 そして《黒狼》は部屋を後にした。すぐにその気配も掻き消える。

「……まったく、《擬竜兵ドラグーン》め、ずいぶんと祟ってくれるわ。――しかし、やはり戦争がこれだけ長引くと、戦費も馬鹿にならんな。やはり税を上げるべきか……」

 思案しながら再び椅子に腰を下ろしたヘンリーは、気付かなかった。

 暖炉の中にひっそりとぶら下がる、小さな物体の存在に。


「――ノスティウス侯爵はこう言ってます」

「どうされますか、旦那様」


 ところ変わって、ノスティウス侯爵邸の屋根の上。小柄な人影が二つ、煙突の陰に隠れるようにうずくまっている。

 ローブからわずかに零れる銀の髪、目元を覆う薄いベール。魔力の糸を駆使する《人形遣い( パペットマスター)》、ブランとニエラである。彼女たちは主たるナイジェル・アラド・クィンラム公爵の命を受け、ノスティウス侯爵の動きを探っていたのだった。

 予め持たされていた魔動通信機インカムを使い、小声で主に報告すると、ややあって答えがあった。

『なるほど、ノスティウス侯は《黒狼》を使うか。――しかし、こちらとしては、《擬竜兵( ドラグーン)》にはまだ生きていて貰った方が都合が良いんだがな。彼が存在するだけで、レクレウス(こちら)側は警戒して戦線が膠着こうちゃくする。それだけ我々が動ける時間が増えるわけだ』

「邪魔しますか」

「ご命令なら、わたしたち、頑張ります」

『ふむ……そうだな。だが、《黒狼》は裏世界でも有名な腕利きだ。妨害するにしてもよほど上手くやらなければ、返り討ちだぞ。――とりあえず、機材を回収して戻れ。もうこれ以上そこで得られる情報はないだろう』

「はい」

 ブランがクイ、と小さく手を動かすと、煙突の中に伸びていた魔力の糸がするすると引き戻される。待つことしばし、糸でぶら下がった小さな魔動機器が引っ張り上げられ、ブランによって回収された。魔動集音器マイクだ。それで拾った音声は、ニエラが専用の受信機で聞き、ナイジェルに報告していた。

 ひとまずの任務を終えた二人は、糸を使って屋根から地面に音もなく下り立つ。無論邸内には警備の私兵がいるが、糸を使ってわざと離れた場所で物音を立てたりして撹乱し、彼女たちは何とか目撃されることもなく、侯爵邸を脱することに成功した。

 ファルレアン王国の王都ソーマと同じく、レクレガンでも貴族と平民の居住区域は綺麗に分かれている。平民の居住区域ではこの時間でもまだ歓楽街などに人出があるが、貴族の邸宅が建ち並ぶこの界隈では、日が落ちるとほとんど人通りもなくなり、門番が時たま外を覗くくらいだ。そういった監視の目を例によって糸で誤魔化し、二人はクィンラム公爵邸へと帰り着いた。

「――旦那様、戻りました」

「ああ、戻ったか。二人とも良くやった。――これからのことだが、情報部に潜り込ませた部下に情報を密告リークさせ、それに基づいて行動を決める。場合によっては、おまえたちに介入させることになるが……」

「は、はい、頑張ります!」

「この間のご褒美で、人形も強くして貰いましたから!」

 彼女たちは魔力の糸で人形を操るのが特技であり唯一の戦闘手段でもある。その人形の性能によって戦闘力が決まってしまうといっても過言ではない彼女たちにとって、性能の良い人形を持つのは何をおいても必要なことだった。国境では魔動巨人ゴーレムを運用していたが、本来彼女たちが使っている人形は別にある。そして、先の戦いで無傷とはいかないまでも、魔動巨人ゴーレム二体を持ち帰るという功績を挙げた二人は、その褒美として自前の人形の強化改造を受けていた。

「ならば良い。――情報部からの報告次第だが、出番に備えて身体を休めておけ」

「はい」

「分かりました」

 二人の少女が部屋を退出して行くと、ナイジェルは窓際の執務机に歩み寄り、抽斗ひきだしから数枚の書状を取り出した。それは国内の貴族に接触させている部下たちからもたらされた報告書で、対象の貴族たちの調査報告書であったり、内々の協力を確約する密書であったりする。彼はファルレアンとの紛争を横目に、国内で密かに影響力を強めつつあるのだ。

(……だが、やはり国政の中枢に協力者が欲しいところだ。心当たりはないこともないし、まずは軽く当たってみても良いか)

 彼は書状を元通り仕舞うと、抽斗に鍵を掛け、椅子に深く身を預けて思考の海に沈み始める。その脳裏には、今後のさらなる道筋が、すでに組み上がりつつあった。



 ◇◇◇◇◇



 ルシエル率いる第一二一魔法騎士小隊にその任務が通達されたのは、休暇が明けて少し経った頃だった。

「――ラース砦への応援部隊に、我々が?」

「ああ。砦の騎士たちからの報告で、大暴走スタンピードの兆候らしい現象が《魔の大森林》で確認されたらしい。時期的にも、そろそろ起こってもおかしくない年回りだ」

 告げたその任務に、ディラークが思わず問い返すのに頷き、ルシエルは言葉を継ぐ。

「我々第一二一魔法騎士小隊は、王都からの応援部隊として至急《魔の大森林》に向かい、ラース砦に入る。任務の詳細はそこでの受領になるそうだ。現場の騎士からの報告によると、今回は魔物の動きが例年に比べ活発らしい。目測での情報ではあるが、かなり大型の魔物もいそうだという話だ」

「うへえ……こないだ西から戻ったばっかだってのに、今度は東かよ」

 カイルが辟易したようにぼやいたが、それも無理はない。ラース砦がある《魔の大森林》は、王国北東の辺境となる。王都からの距離は、前回のレドナや旧ギズレ領とほぼ同じくらいあるのだ。ついこの間西の国境地帯から戻ったと思ったら、今度はほぼ正反対の国境地帯。どうにも引っ張り回されている感が否めない。

 しかしいくらぼやいたところで、正式に通達された任務を拒むわけにもいかなかった。

「ま、仕方ないわよね。ラース砦が抜かれたら、後ろはもう子爵家領地群だし……」

 ジーンが髪を掻き上げつつため息をつく。

「でも本当なら、もうちょっと王都で休みたかったんだけどねえ。この間あたしたちが国境行ってる間、居残ってた組があるじゃない。そっちは回せなかったのかしら」

「まあ、わたしたちと入れ替わりで西にった人たちもいますし、王都で治安維持を担当していた隊は、長期案件を抱えたところもありますからね。国境から戻って来たばかりで抱えた案件もさほどない、わたしたちのような人員は動かしやすいんだと思いますよ」

 シャーロットが何やら悟ったような遠い目で、そう指摘してみせた。

「あーあ、新しい魔動機器、組み立てようと思ってたんだけどな……帰って来るまでおあずけか」

「クロリッド、魔動機器弄るのはいいけど、せめて食事と睡眠削るのはやめてね? 君、この間も魔動機器の前で目を回してたじゃない」

「魔動機器弄るの面白くてさ、つい……あれだよ、人生にはそういう打ち込める趣味が必要なんだよ」

「うん、でも趣味より食事と睡眠の方が、人生には大切だからね?」

 その横では、クロリッドの主張をユフィオがすっぱり切って捨てている。この二人は騎士学校時代からの同期なので、互いの物言いも割と遠慮がない。普段は引っ込みがちなユフィオだが、言う時は言うのだ。

 ちなみにここまで無言のユナは、小隊員たちの会話を横目に銃の整備を黙々とこなしている。別に会話に入れないわけではなく、彼女はこれが通常運転だ。

 立て続けの遠征任務に不満はあるが、そこは場数を踏んだ騎士たち。引き継ぎや旅支度も手慣れたもので、通達から二日後には出発の準備が整っていた。

 王都からラース砦に行くには、隣の侯爵領の途中まで街道を通り、そこから北東に向かう形になる。幸い、ラース砦を建造する時に人や物資を運ぶための道が――さすがに街道ほどの規模はないが――整備されているので、街道を外れてもさほど苦労はしない。

「――よし、出発だ!」

 部隊長の号令一下、王都からの応援部隊はラース砦に向かって進軍を開始する。できうる限り急ぐ必要があるということで、騎士たちは軒並み騎乗だ。街道も一部封鎖され、がら空きの道を部隊は一路北東へと急いだ。

(……アルは、そろそろ特別教育が終わった頃かな。バタバタしてて、話をする暇もなかったけど……)

 砦への途上、残して来た親友のことがふと気に掛かり、ルシエルは王都の方角を少しだけ振り返る。特別教育が終われば、すぐに騎士に叙任じょにんされるはずだ。できれば親友の叙任を祝いたかったが、現実は無情。祝うどころか顔を合わせる暇もなく、ラース砦に行く羽目になってしまった。

「……隊長? どうかなさいましたか?」

「いや、何でもない」

 シャーロットの声に、ルシエルはかぶりを振って前に向き直る。今は一刻も早く、ラース砦に辿り着かなければならないのだ。


(ラース砦が抜かれれば、魔物が背後の領地内に入り込む。そうなれば、防衛能力をほとんど持たない村なんかは、為す術もなく壊滅しかねない。――それだけは、絶対に防がなきゃならないんだ)


 民を守る騎士としてだけではなく、アルヴィーの親友としても、ルシエルはそのような事態を許すわけにはいかなかった。

 故郷の村を魔物に蹂躙じゅうりんされた彼の思いを、知っているから。

 ――応援部隊は道中つつがなく、十日足らずでラース砦に辿り着いた。本来ならもう少し掛かる距離だが、今回は急ぎとのことで魔法による移動補佐も許可され、通常の数割増しの速度が出せたので、それだけ時間も短縮できたのだ。それでも砦はすでに臨戦態勢に入っていた。いよいよ大暴走スタンピードが間近に迫っているようだ。

大暴走スタンピードって僕、初めて見ますけど、どんな感じなんですか?」

 ユフィオがやや不安げに、手近にいた壮年の騎士に尋ねると、彼は笑いながら、

「はは、まあ魔物の大発生っていっても、大多数は雑魚だからな。落ち着いて当たればそうそう怪我もしないさ。そもそも住処や食い物にあぶれた魔物が追い出されるんだ、最初に追い出されるのは弱い魔物に決まってる」

 なるほど、そう言われればその通りだ。

「ただ、こういう大暴走スタンピードでは確かに、普段お目に掛かれないような大物もたまに出るからな。要注意なのはそういう奴だ。そのレベルになると大抵魔石持ちだから、それ目当てで掛かってって痛い目を見る奴はいるよ。稀少レアな魔物の素材やでかい魔石を採ることができれば、国から報奨が下りるからな」

「ああ……なるほど」

 大暴走スタンピードは確かに魔物が氾濫する危機でもあるが、同時に国としてはちょっとした“稼ぎ時”でもある。普段出没しないような大物の魔物の魔石や身体組織などの素材を手に入れる、貴重な機会だからだ。そういった魔石や素材は国庫や装備に回すも良し、使わないにしても高値で取引されるものなので他国に売却しても良い。管理に経費コストは掛かれど、上手く管理すれば大きな利益が見込める一種の“資源”でもあるのだ。

「ま、基本は森から出て来る魔物どもをひたすらぶった斬って、空を飛ぶ奴らなんかは砦や土壁の上から弓と魔法で撃ち落とす形だからな。味方の数さえ揃えりゃ、大暴走スタンピードっていっても大したことはないさ。ただ、大物になるとさすがにそれじゃ追っ付かんから、腕の立つ奴が直接当たるがね。あと、空を飛ぶ連中は頭を越えられると厄介だから最優先で落とすが、落ちてくる魔物の巻き添えにならないように気を付けろよ。まあ、大抵誰かが見てて注意してくれるがな」

「はい、勉強になりました。ありがとうございます」

 どうやら何度か大暴走スタンピードを経験したベテランらしく、色々と教えてくれたので礼を言ってその騎士と別れる。ルシエルたちの後からも、砦に到着した騎士たちが続々と入って来るので、広い砦も人が入り乱れていて、気を付けていないと隊からはぐれそうだ。

「……とりあえず、俺らの受け持ちがどの辺りか訊いてくる。オッサンはここにいてくれよ、目印にちょうどいい」

「だからオッサン呼ばわりは止めろ、おまえとは十も違わんと言ってるだろう」

 カイルの暴言はともかく、確かにディラークは目印としてこの上なく適役だった。何しろ身長百九十セトメル超えの巨漢だ。この場でも人込みから優に頭一つほど飛び出している。たまに傍を通り掛かった騎士に二度見されていた。

 と、


「――あれ?」


 聞き覚えのある声にルシエルは振り返る。

「やっぱり、クローネルか」

「イリアルテ、君もこっちに?」

「ああ、何しろ得物が得物だろう。休暇が明けたと思ったら召集だ」

 第一三八魔法騎士小隊を率いるシルヴィオが、苦笑と共に肩を竦めた。確かに、遠距離特化の第一三八魔法騎士小隊は、こういったケースにはうってつけだろう。

「お互いあちこち引っ張り回されるけど、まあ、騎士の宿命だと思って諦めるしかないな」

 軽くルシエルの肩を叩き、シルヴィオは自身の隊を引率するため離れていく。おそらく彼の隊は、接近戦に長けたカシム以外、砦に張り付いてひたすら魔物たちを狙い撃つこととなるのだろう。

 彼を見送ってカイルを待っていると、しばらくして彼が戻って来た。

「俺ら最初の迎撃部隊に入ってますよ。ただ、何だか知んねーけど迎撃の他に、特別任務が振られてるみたいっす」

「特別任務?」

 ルシエルは眉をひそめる。ジーンも首を傾げた。

「ここで魔物の討伐以外に、何か特筆するような任務ありましたっけ?」

「いや、僕もそんなものは聞いていない」

「その特別任務とやら、詳しいことは聞いてないんですか?」

 シャーロットが尋ねるが、カイルは首を横に振った。

「いんや。何でも、ここの司令から聞いてくれってよ」

「そうか……」

 少し思案したが、とにかくこのままここで突っ立っているわけにもいかない。

「分かった。司令にお目通りを願おう。シャーロット、供を」

「はい」

 ひとまず小隊長のルシエルと副官的立場であるシャーロットの二人で、この砦の司令官であるデズモンド・ヴァン・クラウザー一級騎士のもとに向かう。砦の騎士に案内を頼み、執務室まで連れて行って貰った。

「――失礼致します、司令。クローネル二級魔法騎士が、特別任務の件でお見えです」

「ああ、入りたまえ」

 案内役の騎士の伺いにそう返事があり、ルシエルたちは中に迎え入れられる。窓際に立っていた壮年の男性が振り返り、二人を迎えた。

「お忙しいところ申し訳ありません。中央魔法騎士団第二大隊第一二一魔法騎士小隊、ルシエル・ヴァン・クローネル二級魔法騎士及び、シャーロット・フォルトナー三級魔法騎士です。今回、我々に特別任務が与えられているとのことですが」

「うむ、その件については、王都より連絡があった。命令書の発行が君らの出発に間に合わず、通信での通知となったが、わたしがその旨を書面に起こした。これだ」

 渡された書面に、ルシエルは素早く目を走らせ、そして驚愕の表情になる。

「これは……」

 その書面には、やはり王都からこちらに向かっている《擬竜騎士( ドラグーン)》と合流し、《魔の大森林》内の探索を行うようにとの命令が記されていた。森の探索を行えという命令にも驚いたが、ルシエルの目を引いたのは《擬竜騎士( ドラグーン)》の記述だ。

「……失礼ですが、この《擬竜騎士ドラグーン》というのは」

「ああ、このたび我が国で、新たに高位元素魔法士ハイエレメンタラーとして認定された魔法騎士だ。高位元素魔法士ハイエレメンタラーともなれば下手に新入り扱いするわけにもいかず、新たに《擬竜騎士( ドラグーン)》の階級を創設したと聞いている。特定の隊には所属せず、随時命令を受けて動くそうだ」

 それを聞いてルシエルが確信を持った時、執務室のドアがノックされた。

「失礼致します。王都より《擬竜騎士ドラグーン》が到着、司令にお目通りをと」

「おお、ちょうど良い。今まさに、その件について話していたところだ。入りたまえ」

 扉が開く。そして入室して来た人物は、ルシエルたちの姿を見て目を見張った。


「――ルシィ!?」


 そこに立っていたのは、ルシエルの予想通り、アルヴィーその人だった。騎士団の制服を身に纏い、襟元には魔法騎士団の徽章。制服の差し色は目が覚めるような真紅で、それがそのまま彼の特殊な立場を表しているかのようだ。

「知り合いかね?」

 尋ねるデズモンドに、アルヴィーが口を開くよりわずかに早く、ルシエルが答える。

「はい、友人です」

「ならば気心も知れていよう。今回君たち第一二一魔法騎士小隊は、大暴走スタンピード迎撃に参加後、彼と共に《魔の大森林》内の探索任務に就くように」

「了解致しました」

「りょ、了解しました」

 ルシエルとシャーロットが敬礼し、アルヴィーも慌ててそれに倣う。そしてごそごそと、命令書を取り出した。

「あの、そういやこれ、命令書を……」

「おお、そうだった! まあ内容は想像が付くが、一応は確認しておかんとな」

 どうやら割と大雑把な性格らしいデズモンドは、命令書を受け取りそれこそ申し訳程度に目を通す。

「うむ、確認した。《魔の大森林》に立ち入るに際しては、色々と準備も要るだろう。基本的な装備を貸し出そう。担当者には話を通しておくから、後で取りに行くと良い」

「あ、ありがとうございます」

「はっはっは! どうせ準備してあるだけで実際には大して使わん備品だ、好きに使うと良い。何しろ、あの森に好きこのんで入るような命知らずは、ここにはおらんしな!」

「……まあ、大暴走スタンピードの迎撃は基本、外で待ち構えていればいいわけですしね」

 ぼそりとそう突っ込んだシャーロットに、ルシエルも内心同意する。騎士団が行ういわば“間引き”はあくまでも、森から溢れ出してくる魔物たちが対象だ。命がいくつあっても足らないような森の中にわざわざ踏み入ってまで、魔物を倒したりはしない。要は、砦の向こうの諸侯の領地に被害が出なければ良いのだから。

 つまり――このラース砦に張り付いている人員でさえ、森の中にはそうそう入り込んだりはしないということだ。それは取りも直さず、森の中の情報が極端に少ないことを意味した。おそらく、書籍に載っているような情報は、上空から飛竜ワイバーンでも使って調査したのだろう。

(なるほど、誰が行っても大差ないなら、多少なりともアルと面識があって気心も知れた僕たちを付けようというわけか)

 一応騎士学校で森林地帯の踏破訓練も受けたし、任務で何度か森に分け入ったこともある。もっとも《魔の大森林》はさすがに規模が違うが、少なくともズブの素人よりはマシなはずだ。そう思うことにした。

 デズモンドの執務室を退室し、待たせていた隊員たちのところへ戻る。すると、驚くとばかり思っていた彼らは、ごく当たり前のようにアルヴィーにも声をかけた。

「よう、ここの大将、何だって?」

「魔物迎撃した後、《魔の大森林》の探索やれって」

「うへえ、マジかよお」

 やたら馴染んでいる風情のカイルに、ルシエルは尋ねる。

「アルが来るのを知っていたのか?」

「いや、知ってたわけじゃないんすけど」

「彼がここに来た時、あたしたちを見つけてあの子を預けて行ったものですから」

 ジーンが指し示すその先には、


「……可愛い……」

 きらきらきらきら。


 光の粒と花が背後に舞っていそうな満面の笑みで、瞳を輝かせて全力でフラムを構っているユナの姿。そういえば彼女はこういった小動物がことほか好きだったと、ルシエルは思い出す。常の無表情はどこへ行ったと言いたくなるようなきらきらっぷりだ。

 そしてその後ろにいそいそと並ぶシャーロットに、アルヴィーが突っ込んだ。

「何順番待ちしてんだ」

「わたしも小動物で癒されたいんです」

「あ、僕もいいかな」

 さらにその後ろで順番待ちを始めるユフィオ。もう好きにしろとアルヴィーがため息をついた時、喧噪を掻き消す警報アラートが鳴り響いた。


「――来たぞっ!」

「魔物が森から出て来やがった!」

大暴走スタンピードが始まったぞ!」

「最初の組は迎撃に出ろ! できる限り前方で防衛線を構築するんだ!」


 にわかに周囲は慌ただしくなり、最初に迎撃に出る役目を負った隊は、各々得物を手に駆け出す。魔物たちがこの砦に辿り着く前に、前方で迎え撃つための陣形を固め、防衛線を築かなくてはならないのだ。魔物の進撃はいつ来るか分からないため、騎士たちは交代で絶え間なく迎撃に出ることとなる。

 第一二一魔法騎士小隊の面々も顔を見合わせ、

「僕たちも出るぞ!」

「はい!」

 ルシエルの号令一下、他の騎士たちを追うように駆け出した。

「よし、フラム、こっち来い!」

 アルヴィーは自分の肩に舞い戻って来たフラムを摘み上げ、制服の下からいつもの小袋を引っ張り出してその中に詰めた。誰かに預けようにも、知り合いはやはり迎撃に出るルシエルたちしかいないし、下手に砦で待たせて中で迷子になられても困る。そういうわけでの同行だ。すっかりその定位置にも慣れたフラムは、これから魔物の討伐に向かおうというのに平気な顔をしている。まあ、戦闘力・防御力共に飛び抜けているアルヴィーの傍が、おそらく一番の安全地帯であることは確かだが。

「え、その子も連れて行くの!?」

 ユフィオが心配そうな顔をしたが、この小動物はこれで意外と場数を踏んでいる。しかしその呑気な顔を見ていると、何だか必要な緊張感までどこかに吸い取られてしまいそうで、一同は何とも微妙な気分になった。

「何で連れて来たのさ、これ」

 クロリッドが呆れたようにぼやくと、アルヴィーはしれっと、

「そりゃ、幸運を呼ぶ幻獣だからに決まってるだろ?」

「はあ?」

 怪訝けげんな顔になるクロリッドをそのままに、アルヴィーはさらに強く踏み込んでルシエルたちよりさらに一歩先んじる。

「アル!?」

「とりあえず、雑魚さっさと片付けて来る。大暴走スタンピードは早めに片付けろって言われてるしさ」

 ジェラルドから言い含められたアルヴィーの“仕事”は、数が多く手間取る割に倒してもさほど利のない、低ランクの魔物を一掃すること。そして騎士たちの手に負えなさそうな強力な魔物を仕留めることだ。両者の中間に位置するレベルの、そこそこ強い魔物は騎士たちの鍛錬のため、できるだけ残せとも言われた。ついでに、魔石や素材の回収は騎士たちに任せるよう指示されている。余計な作業はせずにとにかく魔物の数を減らし、騎士たちの損耗を食い止めろということだろう。

「……ったく、注文が多いよ――なっ!」

 その身体能力にものを言わせて先行する騎士たちをどんどん追い抜き、ついに先頭集団にまで辿り着くと、その頭上を飛び越えて前に出る。文字通り頭越しに前へ出られた騎士が、ぎょっとしたように声をあげた。

「な、どこの隊だ!?」

「おい、先走るな! 数が多い――」

 遥か前方から土煙と共にこちらに押し寄せて来る魔物の群れは、確かに百や二百ではきかない数だ。もしかしたら視認できる範囲だけでも、千を超えているかもしれない。

 だが――アルヴィーにとっては数だけ多かったところで、どうということもないのだ。

「俺があいつら焼き払ってる間に、防衛線構築を!」

「や、焼き払うって……」

 戸惑っている騎士たちをさらに後方に置き去りに、アルヴィーは右腕を戦闘形態に変える。右腕が深紅の鱗に覆われ、右手が竜のそれのように節くれ立った指と長く鋭い爪を備え、そして右肩に広がる片方だけの翼。遠目にも明らかな人のものからはかけ離れたその異形に、騎士たちは息を呑んだ。

「あ、あれは……!」

 畏怖混じりの視線が背中から注がれる中、アルヴィーは右腕を大きく振りかぶる。


 ――この背の後ろには、いくつもの村が、街がある。

 あの日の自分が何もできずにただその終焉しゅうえんを見るしかなかった、故郷。

 それと同じ運命を、それらの村や街に辿らせるわけにはいかないのだ。


 だからアルヴィーは、その右腕を振るう。

 民を守る、剣として。


 そして刹那の後――アルヴィーの放った《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》が戦場を一直線にはしり、巻き起こった爆炎が押し寄せる魔物たちの最前列を呑み込んだ。


「なっ」

「最前列が消し飛んだぞ……!」

 背後からの驚愕の声を掻き消すように、魔物たちの咆哮が放たれた。断末魔の声をあげる暇すらなく焼き尽くされた同胞のむくろを踏み越え、後続の魔物たちはひたすらに前へと進む。後ろからはさらに上位種の魔物が押し寄せており、弱い魔物は前方に進み続けるしかないのだ。もっとも、現在見渡す限りの眼前の戦場を埋め尽くしているのは、そういう弱い魔物たちなのだが。

(騎士団が防衛線を構築するまで、できるだけ削っとくか)

 背後を一瞥いちべつして騎士たちが陣形を組みつつあるのを見やり、前方に向き直って《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》をもう一発。新たな最前列が吹き飛ぶ。

 しかし魔物の群れは泉の水が湧き出るように、その勢いを衰えさせることはなかった。魔物たちにそのつもりはないのだろうが、ここまで来ると立派に物量作戦だ。ファルレアンの騎士たちの戦闘力は軒並み高いが、それでもこれだけの魔物の攻勢に晒され続ければ、いずれは疲弊して戦線が崩壊する可能性もあるだろう。

 ただしそれは、アルヴィーがいなければの話だ。

「いっ……けぇっ!!」

 三度みたび振り抜いた右腕から放たれた《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》は、これまでにも勝る威力で魔物たちの前衛を薙ぎ払い、灼熱と爆音、そして死を撒き散らす。


 騎士団にとっては長い数日間が、今ここに幕を開けた。



 ◇◇◇◇◇



 遠い爆音をかすかに捉え、二人の少女は顔を上げた。

「……始まった」

「わたしたちは、いつ動けばいいの?」

大暴走スタンピードとやらが収まるまでには、まだ数日は掛かるだろう。それまでは《黒狼》も動くまい。今回の迎撃に《擬竜兵( ドラグーン)》が参加しているのは確かだが、あの戦闘力を考えればおそらくは最前線に出ている。否応なく目立つからな」

「分かった」

「じゃあ、それからね?」

 ラース砦から程近い子爵領内。そこに、ブランとニエラはいた。そして、その近くには数人の男たちの姿。一見ごく普通の領民にしか見えないが、彼らはレクレウス軍情報部に所属するれっきとしたレクレウス軍人だ。敵国の、それも本国とは反対側の北東の辺境にまで潜り込んでいることになるが、情報部に属する者であればさほど難しいことでもない。その気になれば抜け道などいくらでも見出せるものだ。

 もちろん、レクレウス軍所属といっても、彼らが本当に仰ぐ主は別にいる。

「閣下はまだ、本国で足下を改めて固め直している段階だ。時間はあればあるほど良い」

 そう呟いて、レクレウス軍情報部特殊工作部隊――だが実際はクィンラム公爵家の子飼いである――ジャン・ダヴィッドは二人の少女に向き直った。

「――しかし、あれで本当に《黒狼》とやり合えるのか?」

 彼の視線の先にあるのは、二人の少女――正確には、その背後にある荷車だ。その荷台には、二つの大きな荷が積まれていた。布を被せられ、ロープで縛られているため単なる塊にしか見えないが、それが少女たちの操る人形であることを彼は知っている。結構な大きさなので傍目にも目立つが、幸いというべきか否か、現在この一帯は大暴走スタンピードに備えて近隣住民が避難しているので、目撃される心配はさほどない。

 ジャンの問いに、ブランとニエラは顔を見合わせて申し合わせたように小首を傾げる。

「分からない。《黒狼》がいつ、どこで仕掛けるかにもよる」

「あの人形は大きめだから、できるだけ開けた場所が良い」

「それはどうだろうな。《黒狼》の得手は不意を突いての一撃必殺だ。むしろ死角の多い砦の中の方が、奴の好みだろう。奴のことだ、もうすでにファルレアンの騎士に紛れて砦に潜入している可能性が高い。我々もあの大荷物を抱えて、何とかあの砦の向こうに潜り込まねばならないんだがな」

 ノスティウス侯爵によって《黒狼》に付けられた情報部の人員から上手く情報を盗み、ジャンたちはナイジェルへとその情報を流すと共に、少女たちの情報面での援護も務める手筈だった。彼女たちは人形による戦闘力こそ優れているが、こういった情報戦には疎い。そこを補うための配置だが、その彼らの情報網から推測するに、《黒狼》は暗殺者アサシンの一隊を引き連れ、すでに砦に入っている公算が大きかった。

「むー……厄介な」

「何か手を考えよう、ニエラ」

「そうだね、ブラン」

 ベール越しにも分かる難しい顔になった少女たちは、顔を突き合わせてぼそぼそと相談を始める。ジャンは彼女たちから目を離し、双眼鏡で木々の合間から見える、数ケイルほど離れたラース砦を眺めた。《魔の大森林》と外を繋ぐいわば門の役目も果たしているかの砦の向こうでは、今まさに騎士団と魔物たちとの戦闘が繰り広げられている。

(《擬竜兵ドラグーン》がいれば、魔物の掃討も早いだろうな。問題は奴がいつ仕掛けるか……今、あの砦は出入りが制限されているはずだ。下手に事を起こせば逃げ場がなくなることくらい、奴も分かっているだろう。それに、《擬竜兵( ドラグーン)》も黙って殺されるわけもなかろうし)

 様々な要因を考慮すれば、《黒狼》が仕掛けるのは大暴走スタンピードが収束する頃になるだろうと、彼は結論付けていた。その頃になれば、騎士団も順次砦から去って行き、王都に戻り始めるはずだ。それに乗じて《擬竜兵( ドラグーン)》を暗殺し、騎士団の帰還に紛れ込んで砦を出てしまえば良い。騎士たちとて、砦に集結したすべての騎士の顔など覚えていないだろうから、事を起こすまで堂々と砦の中を闊歩かっぽしていてもそう気付かれまい。よほど運悪く途中で露見さえしなければ、それが最もリスクの低い方法だと思われた。

「……問題は、どうやって砦の向こうに入り込むか、だな」

 まさか荷車に人形を積んで堂々と砦に入るわけにもいかない。後背の領地の領民すら避難しているのだから、騎士団以外に砦に入る者もいないだろう。一応念のためにファルレアンの騎士団の制服も一通り用意してはいるが、やはり見咎められないに越したことはない。

「やはり、水濠みずぼりを越えるか。水を凍らせればいけるだろう。騎士団はこちらに気付いているか?」

「大丈夫のようです。五ケイルは離れていますし、間には木もあって見通しは良くありません。騎士団も軒並み《魔の大森林》から出て来る魔物に気を取られて、こちらにまで注意を払っている余裕がないようです」

「よし、ではすぐに掛かれ。渡れそうなほどに凍ったら、まず二、三人ほど渡って対岸の様子を確認しろ。我々が潜めそうな場所がないかどうか探すんだ。念のため、服を騎士団のものに変えて行くぞ」

「了解」

 服を着替えてファルレアンの騎士に化けると、数人掛かりで魔法を使い、水濠の水の一部を凍らせる。一メイルほどの厚さにまで凍り付いたことを確認すると、まず三人ほどが渡った。水位は地面から一メイルほど低くなっており、濠の内側は地魔法で加工されたのか、登攀とうはん器具も挿し込めないほど滑らかで硬い。魔物が一度落ちたら、二度と這い上がれないように造ってあるのだ。だがそこは魔物ではなく小知恵の回る人間、身体強化魔法で飛び上がって切り抜け、対岸に上陸すると、魔物の進路や騎士団の動きに注意しながら探索を始めた。

「わたしたちも行こう」

「そうだね」

 ブランとニエラはおもむろに荷車に駆け寄ると、荷を縛ったロープを解き始めた。程なく布も取り除かれ、隠れていた人形の全貌があらわになる。

 それは全長五メイルほど、象牙色の肌で細身の姿をしていた。彫像のような頭部、手足は細く関節部が強調された造りになっている。その身体の随所が装飾も兼ねて金属で補強され、あたかも防具を纏っているかのようだ。膝を抱えて座るような姿勢で梱包されていたその人形に、ブランとニエラがそれぞれ飛び乗った。人形の後部、うなじに当たる部分から背中に掛けてが、人が乗れるように造られており、二人はそこに乗り込んだのだ。そして両手を広げ、魔力の糸を放出した。

 光輝く魔力の糸が人形の手足に絡み付き、彼女たちのわずかな指の動きに応じて動き始める。

「せー、のっ!」

「周りどいて!」

 少女たちが一際大きく腕を振るうと、人形はゆらりと荷台の上に立ち上がった。彼女たちに操られるまま、人形は荷台から下り、自身ともども荷台に載せられていた包みを取り上げる。包み布を取り払い、二つに分割された柄の部分を接合すると、それはグレイブと呼ばれる長柄武器となった。中央部が広くなった片刃の穂先を持つ武器で、人形のサイズに合わせられた全長は三メイルを優に超えている。

 彼女たち(が操る人形)はグレイブを手に、凍り付いた水濠の傍に立つと、まずグレイブでつついて氷の強度を確認。大丈夫だと踏み、一人ずつ渡り始める。対岸に上がる際には手近な木に糸を飛ばして巻き付け、それを手繰たぐることでクリア。二人とも渡りきると、人形にグレイブを構えさせた。

「改良して貰ってからは初めて使うし、ちょっと慣らそう」

「そうだね!」

 頷き合い、二人は人形をスタートさせた。その先には、群れからはぐれたとおぼしき魔物の一団。探索していた情報部の面々が臨戦態勢に入りかけたのを横目に、彼らを追い抜いて魔物たちに肉薄、糸を操る。

 人形が手にしたグレイブを振るい、魔物たちを薙ぎ払った。

「――うん、良い感じ」

「駆動系も改良してくれたから、動きが良くなったね」

 きゃぴきゃぴと話す二人を背に、人形は魔物たちを雑草でも刈るようにバサバサと斬り払い、時には尖った爪先で蹴り飛ばしていく。胴を両断され、あるいは身体を蹴り折られて魔物の一団が全滅するのに、数分と掛からなかった。

「なるほど、さすがだな。――魔物の魔石は回収しておこう。いざというときの物資になる」

「はっ」

「残りの者は引き続き周辺の探索。魔物への対処は彼女たちに任せよう」

 ジャンは部下たちに指示を出し、人形を見上げる。と、その人形たちがまたしてもグレイブを構えた。同時に、警戒していた部下が報告を飛ばす。

「新たな群れ、推定二十体から三十体ほど! こちらに向かって来ます!」

「だそうだ。任せる」

「分かった」

「物資が増えるね」

 少女たちは静かな戦意をにじませながら楽しそうにさえずり、また糸を操り始める。二体の人形は魔物の群れに躍り込み、再び魔物たちを蹂躙し始めるのだった。


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