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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第三章 光と闇の都
23/136

第22話 憎しみの先へ

あああ、回を重ねるごとに更新が遅くなっていく……すみません……orz

何とか更新しましたので、覗いてやってくださいませ。

6/9追記:ラストの部分を少し加筆しました。すでにご覧下さった方には申し訳ありませんが、ちらりとでも覗いてやって下されば幸いです。……別に読まなくても特に本筋に支障はないのですが。ちょっと心理描写を足しただけです。やっぱり推敲は必要ですね……orz

 騎士団本部でジェラルドに事の顛末てんまつを報告し、アルヴィーとルシエルが解放されたのはもう夜といって良い時間帯だった。

「あー、しんど……まさかこんなに時間掛かるとはなー」

「まあ仕方ない部分はあるよ。呪詛カース使いの手掛かりが見つかったんだし、カルヴァート大隊長としても詳しい話は聞きたかっただろうから」

「でもよ、ルシィん家に泊まるの、一回許可したのに撤回とかズルくね!?」

 そう、二人がこんな時間まで足止めされたのは、ジェラルドが一度出したアルヴィーの外泊許可を取り消そうとしたからだった。とはいえ、彼の横暴というわけでもない。自分の従騎士エスクワイアに危害を加えかけた相手が未だ街で野放しになっているのだ。アルヴィーを呼び戻そうとしたのは、むしろ主として真っ当な対応と言えよう。だがアルヴィーの方は、せっかくルシエルと気兼ねなく過ごせる機会がなくなってしまうのである。反発したのも心情的には理解できる結果だった。

 そして両者が歩み寄り最終的な妥協ラインに漕ぎ付けるまで、実に小一時間。ちなみに呪詛カース使いとの遭遇の報告は五分で済んだ。本末転倒もいいところである。

 結局、クローネル邸に戻ったらそれ以降、館の外には出ないという条件付きで、ジェラルドはアルヴィーのクローネル邸への逗留とうりゅうを認めた。

「……でもさ、あの呪詛カース使い、そもそも何しに出て来たんだろーな。ぶっちゃけさ、あいつが今日やったことって、逃げてハンカチ落としてっただけじゃん」

 首を傾げるアルヴィーに、ルシエルが突っ込む。

「アル、呪詛カースばら撒こうとしたのが抜けてる」

「あ、そっか……でもあれって、本気でばら撒くつもりだったのかな。あいつだって、最初に失敗した時点で、俺がいりゃ呪詛カース丸ごと焼き払われるって分かりそうなもんじゃん」

「ああ……それは確かに」

 アルヴィーの言も道理だったので、ルシエルはふむ、と考え込む。

(アルに呪詛カースを仕掛けるのが目的じゃなかったとしたら、呪詛カース使いの本当の目的は何だ……? まさかアルの言う通り、ただ姿を見せて手掛かりを落として行くのが目的だったなんてことは――)

 そこまで考えて、ふと思い当たる。

「そうか。――もしかしたら、誘導かも」

「誘導?」

「そう。騎士団の目をブライウォード侯爵家に向けさせて、自分はその裏で動く。そうすることで、騎士団の動きを制限しようとしてるのかもしれない。ブライウォード侯爵家は派閥争いからは一歩距離を置いてる中立の立場だけど、先代侯爵が一時期国務大臣を務めたこともあって、未だに結構な影響力がある家なんだ。そんな家を下手につつけないよ。侯爵家の動きようによっては、下手をしたら現在いまの勢力図が崩れかねない」

「うわあ……でも何で、呪詛カース使いはそんなすげー家の紋章が入ったハンカチなんか持ってたんだ?」

「さあ。縁者から手に入れたか、それとも盗んだか……紋章が入ったものは、家の方できちんと管理するのが普通だから、どうにかして盗んだって可能性の方が高いかもね。クローネル家(うち)だって、紋章が入った小物なんかの管理は結構徹底してるよ。下手に外に流れたら、最悪家名をかたった詐欺なんかに使われるから」

 実際、そういった事件が年に数件はあるという。上級貴族ほど家名には敏感で、道具の管理も徹底しているため、紋章入りの道具などを使って家名を騙られるのは地方の下級貴族が多いそうだ。ちなみに、貴族でない者が貴族を騙り利益を得たり他者に損害を与えた場合、その規模によっては死刑もあり得るとのこと。これは王国法できっちり明記されているそうで、貴族を騙るのも命懸けというわけだ。

「うへえ……貴族も楽じゃねーんだな」

 アルヴィーはしみじみ呟いてしまった。

 そんなことを話しながら、待っていたクローネル家の馬車に乗り込む。そしてクローネル邸への帰路に着いたのだが、途中ルシエルはシャーロットに《伝令( メッセンジャー)》の魔法を飛ばして、例の酔っ払い三人組の処遇について尋ねた。彼女からの返信の《伝令( メッセンジャー)》では、軽度の営業妨害ということで、形ばかりの事情聴取と共に軽く絞り上げ(物理的ではないはずだ、多分)、放免したらしい。妥当なところだ。ルシエルもシャーロットも今は休暇中だし、酔っ払いたちにしても酒の勢いだろうから酔いが醒めれば同じ轍は踏まないだろう。一応、件の呪詛カース使いについても尋ねてみたが、彼らはそもそもあそこに人がいたこと自体、アルヴィーが臨戦態勢に入るまで気付かなかったという。そして傭兵業界でも、そんな術者の話を聞いたことはないそうだ。

 シャーロットを労う《伝令メッセンジャー》を飛ばし、ルシエルは息をついた。

「……まあ、あの三人を放り出したところで呪詛カース使いが姿を現したのは、単なる偶然だろうね。むしろ、そのために外に出たから気付けたようなものだし」

「まあなー。っていうか俺も、アルマヴルカンに言われなきゃ気が付かなかったぜ」

 これでも元猟師、気配には敏感だと思っていたのだが。もしかしたら鈍ったのかもしれないと、アルヴィーはため息をつく。

 クローネル邸に戻ると、ルシエルは父の書斎から本を借りて来るということで、一旦アルヴィーと別れた。宮廷の情勢や貴族の関係をアルヴィーに教えるための参考資料らしい。アルヴィーを自室に案内するよう、ルシエルが執事のセドリックに指示してくれたので、彼の案内で廊下を歩く。と、セドリックがこちらを向かぬまま話しかけてきた。

「……正直、驚きました。あのような小村の子供が隣国の貴族に会いに来るなど、世間を知らぬがゆえの大言壮語だと思っておりましたので。成長すれば諦めるだろうと、そう思っていたのですよ。それがまさか、これほど早くに」

 確かにそうかもしれないと、アルヴィーも思う。実際、村が魔物に蹂躙じゅうりんされなければ、軍に入って《擬竜兵( ドラグーン)》となることもなく、あの村で一村人として暮らしていただろう。あの約束を諦めるつもりはなかったが、それでもルシエルとの再会はずっと先のことになったはずだ。

「俺もまさか、こんな形でファルレアン(こっち)に来るとは思ってなかったですけど……でも」


 裏切りと呼ばれるだろう形で祖国を捨て、新天地でその力ゆえに恐れられ疎まれようとも、揺るがない思いがある。

 この心の真ん中に築いた、確固たるただひとつの芯。


「俺はルシィの隣に立って、あいつのための折れない剣になる。そのために、俺はこの国に来たんだ」


 彼の身を護り、彼の道を切り拓くための折れない剣。

 そのためならば、泥に汚れ血に塗れようとも、きっと前に進める。

 それが、アルヴィーがたずさえる覚悟だ。


 アルヴィーの言葉に、セドリックは一つ頷き、足を止めた。

「……こちらがルシエル様のお部屋です。どうぞ、お入りください」

「あ、どうも……」

 彼が恭しくドアを開けてくれたので、もごもごと礼を言いつつ中に足を踏み入れる。セドリックも続いて入って来ると、室内のランプに明かりを点けてくれた。元々窓から月明かりが射し込み、室内の様子がぼんやりと浮かび上がってはいたのだが、ランプの明かりが加わると、室内の様子が一層良く分かる。

 ルシエルの私室は、寝室も兼ねているのか、淡いグリーンとアイボリーを基調とした落ち着きのある部屋だった。といっても、室内には小さな書き物机に椅子、暖炉の前には寛げるように肘掛け椅子が置かれ、壁際にはチェストや本棚。その他、天蓋付きのベッドの足下には長椅子があり、暖炉の上には風景画が飾られていた。床は板を組み合わせて見事な幾何学きかがく模様が描かれており、窓から射し込む月明かりと壁に据え付けられたランプの光が、光と影のコントラストを作り出している。

 ぽかんと口を開けて眺めていると、セドリックが一礼した。

「では、わたくしは失礼致します。ルシエル様もすぐにおいでになるでしょう。今しばらくお待ちください」

「あ、はい」

 頷いたアルヴィーに、セドリックはふと微笑した。

「……僭越ながら、ルシエル様があれほど文武にお励みになった理由が分かった気が致します」

「え?」

「これほど早くはなくとも、あなたはいずれこの国に来られたやもしれませんな。そのためにルシエル様も、一日も早く貴族として認められようと、武芸や勉学に打ち込まれたのでしょう」

「え、と、それって」

「では、失礼致します」

 アルヴィーが尋ねる前に、セドリックはもう一礼して退室してしまう。取り残された感のあったアルヴィーだが、セドリックが言わんとしたことは分かる気がした。

 レドナで再会したあの時、ルシエルは言っていたのだ。いつかあの村に、アルヴィーと母のイゼラを迎えに行きたかったと。

(ルシィ、頑張ってくれてたんだよな……)

 そう思うと、胸の奥がふわりと温かくなる気がする。

 そしてそんな彼の努力に報いるためにも、自分はもっとこの国の慣習や情勢を学ぶべきなのだと決意を新たにした。

(まずは、この国に馴染まなきゃな。ルシィもきっとすっげー勉強したんだろうし、俺だって)

 とりあえず、夕食後はルシエルからこの国の宮廷の現状を教えて貰うことになっている。まずはそこからだ。最低でも、ルシエルの足を引っ張らない程度には立ち回れるようでないといけないのだから。

「――よーっし、やるか!」

 改めて自分に気合を入れ、ルシエルの帰りを待つアルヴィーだった。

 ……しばしの後、本を借りて戻って来たルシエルの宮廷講座に、頭から煙を噴きそうな気分を味わうことになるのだが、この時点ではまだ知る由もないことである。



 ◇◇◇◇◇



 幼い頃の記憶はほとんどない。

 だが、母から繰り返し言い含められた言葉だけは、今なおこの身の奥深くに刻まれている。


 ――あの男は、わたしたちの故郷を滅ぼし、血をけがし、道具として使い潰そうとしているの。

 だからいつか、あなたの手であの男を滅ぼしてちょうだい――。


「――……」

 ふと目が覚めると、周囲はまだ薄暗かった。起き上がって窓を開けると、冷涼な空気が流れ込んでくる。空はようやく白み始めたところだった。

(……最近よく、母さんの言葉を思い出す……)

 軽く頭を振って眠気を振り払い、朝の空気を大きく吸い込む。それを吐き出すと、何となく身体の中が少し浄化された気がした。

 そんなものはただの思い込みだと、分かってはいたけれど。

(今のところ、計画は上手く行ってる。だからきっと、母さんのことを思い出すんだ……自分の代わりにあいつを滅ぼしてくれって、言っているんだ)

 記憶の中の母は、いつもどこかかげった表情をしていた。幼い頃はなぜだろうかと思っていたが、今なら分かる。母もまた、今の自分と同じように、持って生まれた呪詛カースの力を利用されていたのだろう。

 ――そして母は、自らの呪詛カースに呑まれた。

 母だけが家族であり、唯一頼れる存在であったというのに、あの時から自分は独りになった。そのため、母から受け継いだこの呪詛カースの力だけを恃みに、あの男の駒とならざるを得なかったのだ。

 だがそれでも、母が繰り返し言い聞かせてきたあの言葉は、まるでそれ自体が呪詛カースのように、この心を雁字搦がんじがらめに縛り上げている。


 故郷を滅ぼした者。

 一族が受け継いできた血を、無遠慮に穢した者。

 そして、母を道具のように使い潰して死なせた者。


 それが今、自分に《擬竜兵ドラグーン》確保を命じているあの男だ。


(もうすぐ。――もうすぐ終わる。見ていて、母さん)

 もう記憶の中にしかいない母にそう語りかけ、朝の光に背を向ける。自分は呪詛カースの使い手の血脈を受け継ぐ者。光など届かない闇の中に潜むべき者だ。

 背にした窓の向こう、空はさらに明るさを増し、朝日が昇ろうとしていた。



 ◇◇◇◇◇



 王都ソーマの朝は、王城の鐘の音で始まる。

 王城の鐘の音は魔法によって王都のほぼ全域に伝わり、時間の目安となっている。王都の大部分の人々はそれを基準に仕事を始め、また終えるのだ。

 そんな鐘の音は、もちろんクローネル邸にも聞こえていた。

 使用人たちは鐘が鳴る以前からすでに立ち働いており、建物の裏手に独立した厨房では、料理人コックたちが朝食の準備を始めていた。調理の熱や匂いが邸内に伝わらないよう、こういった貴族の館では厨房は独立した建物とするか、半地下に設けるのが一般的だ。また、使用人たちのための居室や食堂も地下にある。

 他にもメイドたちが洗濯室ランドリーで洗濯に取り掛かり、馬丁は厩で馬の世話を始める。厩といっても、馬小屋のような小さな建物とはわけが違い、石造りの立派な建物だ。中には仕切りが造られ、馬が一頭ずつ分けられており、また馬車を保管する車庫もここに併設されている。

 そんな朝の慌ただしい空気の中、ルシエルは動きやすい簡素な格好で、剣を手に館の裏庭に向かっていた。

 朝の鍛錬は、昔からの彼の日課だ。国境戦に参加している時でさえ、暇を見つけては剣を振っていた。少しでも強く、大きな力をこの手に――そう思い続けながら。

(新しい《イグネイア》を、早く使いこなせるようにならないと……)

 アルヴィーと再会するまでは、彼を迎えに行くための力を手に入れるべく。そして再会してからは、彼を守るために、彼から与えられた新たな剣を使いこなすために。

 今手にしている剣は《イグネイア》ではないが、型を浚うのに得物もなしでは格好が付かない。また、こういう鍛錬は一日怠ると、感覚を取り戻すのに倍以上の時間が掛かることも珍しくないのだ。そのため、できるだけ重さや長さが《イグネイア》に近い剣を使い、剣を振るう感覚を身体に叩き込む。そのためにこの朝の鍛錬を、クローネル家に引き取られ、教師を付けられて剣を学び始めた頃から、欠かさず続けてきた。

 ルシエルの剣は、速度と手数を重視したもので、剣技そのものの威力は実は二の次となる。攻撃力は魔法で上乗せできるので、自然とそうなった形だ。手数を稼ぐためには効率の良い動きを身に付けることが重要であり、最初は体捌きや足運びから重点的に叩き込まれた。

 朝の空気は澄みきって、清流のように爽やかに眠気の残滓を押し流してくれる。裏庭に着いたルシエルはまず軽く身体を解すと、腰の剣をすらりと抜き放った。剣身が朝日をきらりと照り返し、振り抜かれた軌道に沿って光の残像を描く。

 ルシエルが剣を構えると、空気が一変する。一片の隙もないその佇まいは、だが同時に思わず目を奪われるような優美さも宿していた。澄み切った泉のごとく、清冽にして冷涼な剣気。それが今、彼を中心として放たれている。

 ひゅっ、と放たれる短い無音の気合と、それをも切り裂く一閃が、朝の静寂を切り裂いた。静から動、優美から鮮烈へと切り替わる空気。淡い金糸の髪が風を象るように翻り、鋭くきらめく剣先がほんの刹那、光の軌跡を描き出す。おおよそ剣の心得のある者ならば、魅了されたに違いない光景。

 それは彼が、血の滲むような研鑽けんさんの果てに手に入れたもの。

 ただ一人、自身が光と仰いだ存在のために。


(アルは国を捨てて、僕の隣に立つことを選んでくれた。――絶対に、守る)


 固い決意を乗せて、再びルシエルはその剣先で虚空を裂く。一心に、無心に、彼はしばらく剣を振り続けた。

 ――軽く汗ばむ頃になって、ルシエルは息をつくと剣を下ろした。剣を鞘に納め、井戸で水を汲むと喉を潤す。火照った身体に、喉を滑り落ちていく水の冷たさが心地良い。

 屋内に戻ると、メイドに汗を流すための湯の用意を頼むと共に、自分とアルヴィー、ロエナの分の朝食を用意するよう言い付けた。その際、給仕は不要ということも言い添える。朝食は夕食ほど格式張ったことは必要ないし、今の時間なら父のジュリアスはすでに王城に出仕しているので、アルヴィーもまだしも気兼ねなくいられるだろう。

「畏まりました。ではお湯の方はすぐにお持ち致します」

 一礼したメイドが立ち去ると、ルシエルは着替えを持って来るために自室に戻った。

「――あ、おはよ、ルシィ」

 さすがにもうアルヴィーも起きており、纏わり付くフラムを構ってやっているところだった。昨日はクローネル邸の女性陣に構い倒されもみくちゃにされたフラムは、それに懲りたのか今日は意地でもアルヴィーから離れまいとしているようだ。

「おはよう、アル。良く眠れた?」

「ああ。っていうか、俺こっちで寝ちゃって良かったのか? 何かいつの間にか寝落ちてたけどさ」

 昨夜、宮廷講座からいつしかそれぞれの昔話に移行し、積もる話を語り合った挙句そのまま寝落ちしたのだが、一応招待を受けた客としてそれはどうだろうかと、自分のことながら首を捻ってしまうアルヴィーだった。

「あはは、構わないよ。積もる話があったって言えばみんな納得するさ」

「ならいいけど……そういえばルシィ、朝からどこ行ってたんだ?」

「ああ、ちょっと裏庭で剣の鍛錬をね。昔からの日課なんだ」

 そう言うと、アルヴィーが真剣な表情になる。

「剣か……俺も本格的に習った方がいいんだろうな」

「え? レクレウスで習わなかったの?」

「そりゃ、戦闘訓練くらいはやったけどさ……やっぱ、騎士になるんなら足んないだろ、それじゃ。今は剣技ってレベルでもなくて、ただ力任せにぶん回してるようなもんだしな。そんなんじゃ、いずれ限界が来る」

 自身の右手を見つめ、呟くアルヴィー。彼も分かっているのだ。《擬竜兵( ドラグーン)》として並外れた身体能力や攻撃力を持っているとはいえ、それは後付けの力に過ぎない。彼自身が修練を重ね、自分自身で“強くなった”と実感しない限り、その思いは常に付き纏うのだろう。

 だが、こればかりはルシエルも下手な助言はできない。アルヴィーとルシエルの戦闘スタイルは違い過ぎる。それに、当面の主であるジェラルドも、その辺りは考えているはずだった。何しろ、アルヴィーをファルレアンの戦力とするべく騎士団に引き込んだのは、他ならぬ彼なのだ。

「きっと、カルヴァート大隊長にもお考えがあると思う。剣を習いたいって、一度言ってみればどうかな? 直接言い辛いなら、セイラー二級魔法騎士辺りにでも」

「うーん……」

 初期に色々とおちょくられたせいか、アルヴィーは今でもジェラルドに少々苦手意識がある。戦闘力ではおそらく引けは取らないのだろうが、何となく逆らえない感じがするのだ。だが剣を習いたいという思いも本当のことだし、ルシエルのアドバイス通りにパトリシアやセリオを通してそれとなく伝えるのがいいかもしれない。特別教育でも、アルヴィーたちはどうやら“それなりに戦闘に長けている”グループと看做されているらしく、基礎的な剣の訓練などは免除されているとのことだった。そこは免除無しで良かったのだが。

 ともあれ、その話はとりあえずそこで終了し、ルシエルは着替えを持って汗を流すために浴室に向かう。浴室といっても、石造りの床に浅い浴槽が置いてあり、胸の下辺りまで湯に浸かれるくらいの設備だ。後は、壁に造り付けのシャワー。これも予め湯を入れておかないと使えないのだが、シャワーはそれこそ貴族でもないと使えないものだった。何しろ、手間を掛けて温めた湯を、文字通り湯水のように使う設備であるので。

 浴室にはすでに湯が運び込まれ、準備が整っていた。ルシエルはそこで軽く汗を流すと、着替えて自室に戻る。

「アル、そろそろ朝食にしよう。食堂ダイニングの方に用意させるから。給仕は要らないって言ってあるから、気兼ねは要らないよ」

「え……いいのか? 勝手に入って」

「何言ってるの、僕が誘ってるんだから問題なんかないよ」

「ならいいんだけど……って、ルシィ、髪濡れてんじゃん! 風邪ひくぞ」

「え? ああ、いつもこうだから平気だよ」

「そうやって油断すんのが良くねーんだぞ。――ちょっと動くなよ」

 そう言って、アルヴィーは右手を差し伸べる。室内なので、右手を隠すための手袋ははめていない。その掌に生まれた炎が渦を巻き、ルシエルの上半身をぐるりと取り囲むように巡ると一瞬で消えた。その熱に思わず目をつぶったが、熱が消えて目を開けた時には、濡れたままだった髪はからりと乾いている。

「あ、ありがとう……でも、室内で火を使うのはちょっと気を付けて欲しいかな」

「う……悪い。濡れた時は大体こうやって乾かしてるから」

 便利には違いないが、確かに一歩間違えば火事である。アルヴィーはばつが悪そうな顔になり、手袋をはめた。その肩にフラムが駆け上り、しがみ付いて落ち着く。

 ともかく、朝食にしようということで二人(とフラム)で食堂(ダイニング)に向かった。食堂ダイニングはエントランスホールの横にあり、大きな窓から朝の光が射し込んでいる。中央に置かれた十数人も着席できそうな大きなテーブルには、だが今は三人分しか食器やカトラリーの用意がなく、どこかうら寂しい雰囲気だ。中央には花が活けられ、それが少しばかりテーブルの上を明るくしている。

「ふわあ……ここもすげーな」

 アルヴィーはぽかんと、その広々とした空間を見回す。天井は高く、中央にはシャンデリア。窓がある一面を除いた三方の壁には、肖像画や風景画が飾られていた。ルシエルによると、風景画はクローネル伯爵領内の景勝地を描いたものだという。また、壁には彫刻が施された立派な暖炉も備え付けられているが、今の季節は火を落とされていてしんと冷えている。

 と、扉が開き、メイドたちを伴ったロエナが現れた。

「おはよう、二人とも」

「おはようございます、母上」

「あ、おはよう……ございます」

 子供たちの――特にアルヴィーのぎこちない――挨拶にくすりと笑みを浮かべ、ロエナはメイドたちに命じる。

「あなたたちは、支度をしたら少し下がっていてちょうだい。今朝はこの子たちと水入らずで朝食を摂りたいの」

「はい、畏まりました」

 メイドたちは一礼すると、てきぱきと朝食の支度を整え、食堂ダイニングから退室して行く。朝食のメニューは卵とバターをたっぷり使ったオムレツ、生野菜のサラダ、ポタージュスープとパン、紅茶という軽めのものだ。オムレツは口に入れるとふわりと溶けるようで、そこへバターの風味が一杯に広がる。スープは様々な野菜を煮込んで裏漉ししてあるのだろう、複雑ながら柔らかい口当たりの味で、パンとも良く合った。新鮮で瑞々しい生野菜のサラダを少しフラムに分けてやりながら、アルヴィーは息をつく。

「こんな美味いの初めて食ったー」

「ふふ、気に入って貰えて嬉しいわ。――その子は野菜が好きなの?」

「フラムは元々森にいたから、こういうのが好きみたいなんだ。な?」

「きゅっ」

 小さな前足で器用に野菜を持ち、もきゅもきゅと頬張る姿は愛くるしい。ロエナがうっとりとそれを眺める。ルシエルの方はフラムが何者かによって放たれた使い魔(ファミリア)であると知っているため、母ほど微笑ましくは見られないが。

「……そういえばルシィ、親父さんは?」

「もう王城の方に出仕してるよ。あの人は仕事人間だから」

「へえ……副大臣ってのも大変なんだな」

「まあね。財務は国内の商業や鉱山の管理に、徴税まで取り仕切ってるから。予算を組むのも財務だし」

「……何か、聞くだけで頭痛くなってきそうだな」

 アルヴィーはげんなりとぼやいた。こちとら練兵学校の座学も半分寝て過ごしていたのだ。小難しい話には反射的に拒否反応が出そうになる。気を取り直して華奢なカップから紅茶を口に含んだ。どこか果物を思わせる甘味がふわりと香り、わずかな渋みがアクセントとなって喉を通っていく。そういえばファルレアン王国は紅茶文化が発展していたのだったかと、ふと思い出した。これもルシエルから聞いたことだ。

 朝食を終えると、アルヴィーはルシエルと共に街に出掛けることにした。ルシエルが剣の出来具合を確認したいというので、その付き添い――というか見物――だ。

「初めは休暇が終わるまでに仕上がればいいと思ってたけど、例の呪詛カース使いの件もあるしね。少し急いで貰おうと思って。最悪、鞘は後回しでもいいし」

 あの呪詛カース使いに対しては、普通の剣では力不足だろう。ルシエルは必要であれば多少代金を上乗せしてでも、急がせるつもりだった。

 剣の手直しを頼んだ武具店に顔を出すと、カウンターの向こうの店員が心得たように、

「いらっしゃいませ、坊ちゃん。昨日の剣ですか」

「ああ、急な話で悪いけど、あの剣が必要になりそうなんだ。できるだけ急いで欲しい」

「はい、主に手を入れてるのはつば元と魔力経路の引き直しですんで。鍔元の加工の方はもう済んでますけど、経路の引き直しの方がちょっとお時間をいただきたいと……そうですね、最優先でやりますんで、お昼頃までお待ちいただけたら」

「じゃあ、昼頃にまた来よう。急がせた分は遠慮なく上乗せしてくれ」

 そう言い置いて、ルシエルは店を出る。剣を持ち込んだのは昨日だというのに、店側は思った以上に仕事を急いでくれたようだ。

「さて、と……昼までどこかで時間を潰そうか。どこか行きたいところはある?」

「うーん、そうだな……」

 《イグネイア》が仕上がるまでの時間潰しも兼ね、アルヴィーに王都を案内するべく、ルシエルは尋ねる。アルヴィーが唸っていると、


「――おや。アルヴィー・ロイか」


 横合いから聞こえた声に、アルヴィーはきょとんと目を見張った。

「あ……イズデイル三級騎士」

 そこに立っていたのは、特別教育でアルヴィーたちの講義を担当するダニエラ・イズデイル三級騎士だった。そういえば、アルヴィーたちが休講日なのは、そもそも講師である彼女が非番に当たる日だからだ。ダニエラも私服姿で、どこかに出掛けようというところなのだろう。

「アル、知り合い?」

「ああ、特別教育で俺らの担当してる人」

 アルヴィーといかにも親しげに話すルシエルに、今度はダニエラが瞠目どうもくした。

「クローネル二級魔法騎士? なぜこちらに」

「そこの武具店は、昔からクローネル家(うち)贔屓ひいきでね。国境戦で剣を傷めたから、直しに出しているんだ。ああ、それとアルとは幼馴染で、昨日も家に招いたところだよ」

 つまるところ自分の縁者なので余計なちょっかいは出すなという、ルシエルの牽制けんせいだ。カルヴァート侯爵家のジェラルドの従騎士エスクワイアである上、当主が財務副大臣を務めるクローネル伯爵家も後ろ盾に付くとなれば、アルヴィーに妙な手出しをしようという輩も少しは減るだろう。

 ダニエラもそれをあやまたず受け取ったらしい。苦笑する。

「これはこれは……王都に来たばかりというのに、ずいぶんと大層な人脈を持っているようじゃないか、アルヴィー・ロイ。――ご心配なく、クローネル二級魔法騎士。わたしは単に講師というだけですので。貴族の派閥争いなど、遥か雲の彼方の話ですよ」

 そう肩を竦めると、ダニエラはアルヴィーに向き直った。

「それはそうと、アルヴィー・ロイ。ある意味良いところで会った。君とは一度、話をしておきたいことがあったんだ。クローネル二級魔法騎士、彼を少しお借りしても?」

「それは僕がいると不都合な話か?」

 即座に返すルシエル。さすがに彼女ダニエラまで疑う気はないが、呪詛カース使いの件もある以上、できればアルヴィーから目を離したくはない。

「いえ、そういうわけでは。――では少々、お時間をいただけますか」

「分かった。行こう、アル」

「あ、うん。っていうか、話のメインって俺なんじゃ――」

 何となく釈然としないものを感じながらも、ルシエルに促されるまま歩き出すアルヴィーだった。



 ◇◇◇◇◇



 ダニエラが二人を連れて来たのは、大通りから少し脇に入った場所にある、小さな店だった。中は木材を多用した落ち着いた雰囲気で、紅茶の香りが漂っている。テーブル席がいくつかあるだけの、いかにも“通好み”という感じの店だ。店内にも客はまばらで、テーブル席が二つ空いていた。

 三人は早速その内の一つに座を占め、ダニエラが店員を呼ぶ。

「ここは紅茶も茶菓子も味が良いんですが、店主の商売っ気がないせいで客も少ないんですよ。いい穴場ではあるんですが。――紅茶を一つ、モートンで。レムルを付けてくれ。後はスコーンを。――そちらは?」

「紅茶をフラニエで。ストレートで良い。アルは?」

「あ、ルシィとおんなじので。――なあ、そのモートンとかフラニエって、何だ?」

「茶葉の種類だよ。モートンは隣国のソルナート王国で良く採れる種類で、割と味が濃い種類。フラニエは大陸の反対側のアルシェント王国が主な産地で、味はあっさりしてるけど香りが良いんだ。うちで使ってるのも、フラニエをメインにしたブレンドだし。ファルレアンの貴族は茶道楽が多いから、覚えておくといいかもね」

 残念ながら、アルヴィーには覚えられる気がしなかったが、とにかくそれで注文を済ませる。待つことしばし、三客のカップとスコーンの皿が運ばれて来た。レムルを搾り入れた紅茶をすすり、ダニエラが口を開く。

「……話をしておきたいことというのは、ニーナのことだ」

「ニーナ・オルコット四級騎士?」

「ああ。彼女が君に特に当たりが強いことは、とうに気付いているだろう、アルヴィー・ロイ」

 それにはアルヴィーも、頷かざるを得なかった。

「ある程度はしょうがないかとは思うけど。――俺の出身が出身だし」

 誰かに憎まれることは仕方がないと、割り切りもした。それを呑み込んででも、ルシエルの傍らにいると決めたのは自分だ。

 だが次の瞬間、ダニエラが発した言葉には、さすがに動揺を禁じ得なかった。

「ならば話は早い。――彼女の父親が、やはり騎士としてレドナにいた。そして《擬竜兵( ドラグーン)》との戦闘で、戦死したそうだ」

「――それ、って」

 アルヴィーは息を呑み、ダニエラを見つめた。


 ――忘れもしない、あの煉獄。

 狂気に染まった同じ《擬竜兵( ドラグーン)》がばら撒く、狂笑と死の光芒。

 巻き起こる紅蓮の炎、そしてその中に呑み込まれた人々――。


 カシャン、とカップがソーサーの上で揺れる。動揺したアルヴィーが思わず、カップに手を当ててしまったためだ。幸い、紅茶をテーブルにぶちまける羽目には陥らずに済み、その音ではっと我に返る。

「……そっか。あそこにいたのか……」

 アルヴィーは目を伏せた。この手でファルレアンの騎士の命を奪うことこそなかったものの、僚友である三人の《擬竜兵( ドラグーン)》が無差別に力をふるい騎士たちや民間人を手に掛けるのを、止めることができなかった。その点では、自分にもあの惨劇の責の一端はあるのだろう。カップの中の透き通った紅が、あの日の炎に重なった。

「アル……」

 そんな彼を、ルシエルは気遣わしげに見やる。あの場でアルヴィーに相対した彼は、僚友のみならず自身にも忍び寄る狂気に怯え、仲間の死に傷付きながらも、懸命に人命を救おうとした姿を知っていた。だから、憎まれる必要などないと強く思う。彼自身は無辜むこの人間を殺めてなどいないのだから、と。

 二人それぞれの思惑を知ってか知らずか、ダニエラは言葉を継ぐ。

「……だが彼女は、それが筋違いな恨みであることも分かっている。実際君は、ファルレアンの騎士の命を奪ってはいないのだろう? ただ、《擬竜兵( ドラグーン)》の中で生き残ったのが君だけなのでね。他に感情のぶつけようがないというのが適切なところか」

「それは、アルが父親の死に関与したわけではないことを、彼女自身も知っているということか?」

 ルシエルの問いに、ダニエラはあっさりと頷く。

「講師を担当する以上、ある程度の情報はこちらにも下りて来ますのでね。――彼女の父上は、当時一般街区で任に当たっていたそうだ。民間人の避難誘導をしていたそうだが……そこを《擬竜兵( ドラグーン)》にやられたらしい。誰にやられたのかは、今となっては分からないそうだが」

「一般街区……」

 そちらを担当していたのは、《擬竜兵( ドラグーン)》としてはやや適合率が低かった二人だ。一人はアルヴィーがこの手で殺める手助けをし、もう一人はジェラルドがたおしたらしい。だが、仇を討ったなどと言えた義理でないのは分かっていた。

 そんなアルヴィーを余所に、口内を潤すように紅茶を一口含み、ダニエラは続ける。


「それを承知の上で、君に言いたい。――今しばらく、恨まれてやってくれ」


「それはっ――!」

 反論しようとしたルシエルを、アルヴィーが制した。

「それって……誰かを憎んでる間は、辛くても耐えられるから?」

 他ならぬアルヴィー自身、それを経験した。故郷を蹂躙され、母を眼前で失って、それでも彼が戦う道を選んだのは、ファルレアンを憎む気持ちからだ。そして今も、胸の奥底で熾火のように静かに燃えるのは、裏で真実糸を引いていたレクレウスへの憎しみ。

 真っ直ぐに自分を見つめる朱金の瞳に、ダニエラはどこかニーナに通じるものを感じながら頷く。

「そうだ。――といっても、そう長くは掛からないと思うが」

「……どういうことだ?」

「わたしは、憎しみや恨みというものは、杖のようなものだと思っている。一時(すが)るには良いだろう。それに縋って立ち上がり、自分の足で歩き出すことができるならそれが最良だ。しかし、それに縋り続ければ、自前の足もえてしまう。そうなれば、もう立ち上がれはすまい」

 そう言って、ダニエラは小さく笑みを浮かべる。

「だが、彼女ニーナは立ち上がるためにその力を借りることはあっても、いつまでもそれに縋り続けるほど弱い娘ではないと、わたしは信じている」

「……部下を立ち直らせるために、アルを利用すると?」

 ルシエルの剣呑な声に、ダニエラは頷いた。

「そう言われても仕方のないことは分かっています。――ですが、騎士として立つ以上、憎しみに溺れず立ち続ける術を学ぶのは必要なことであると、わたしは考えます」

 ルシエルの双眸を臆さず見返す彼女の目には、わずかな揺らぎもない。それが彼女なりの、騎士としての在り方なのだ。

 そしてそれは、アルヴィーの心にも一つの波紋を生み出す。


 この胸の中でくすぶり続ける、祖国への憎しみ。

 だがダニエラは、それは立ち上がるための杖に過ぎないと言った。

 それは縋り続けるためのものではない。自身の足で再び地に立つための、一時の杖。


 捨てるのか、それとも持ち続けるのかはまだ分からない。だが、その先へと歩み出すのは、自分自身の足でなければならないのだ。


「返事は要らない。君が拒んだからといって、ニーナが君を憎むことをすぐに止められるわけではないしな。だが、予め理由を知っているのといないのとでは、気の持ちようが多少なりとも違うだろうと思ったまでのことだ」

 カップを置き、スコーンに付いてきたジャムを付けながら、ダニエラはそう言って肩を竦める。アルヴィーが何も言えないでいると、カップを傾けたルシエルが二人分の代金を置いて立ち上がった。

「話がそれだけなら、僕たちはこれで失礼させて貰う。――アル、行こう」

「あ、ちょっと、ルシィ――」

 腕を引かれて、アルヴィーは慌ててカップを落とさない内にソーサーに戻す。ダニエラが軽く手を上げた。

「どうぞ、お引き留めして申し訳ない。君にも、つまらない話を聞かせたかな?」

 問われて、アルヴィーはかぶりを振った。

「……つまらないとは、思わなかった」

「そう、それは良かった」

 そのまま店を出て行く二人の背を見送り、ダニエラはそっと息をついた。

(人脈が予想外過ぎるぞ、アルヴィー・ロイ。――だがこれで、彼の心境にも多少なりとも変化があれば良いが)

 アルヴィーがファルレアンへ亡命した経緯も、彼女の耳には入っている。それを聞いた時、ダニエラはふと思ったのだ。

 ――似ている、と。

(ニーナと彼は、案外合わせ鏡のようなものなのかもしれないな。彼からニーナに、良い影響があれば……)

 大切な家族を奪われ、そして奪った相手を今なお憎む二人。だが、憎しみは真に前へ進むためのかてとはならないのだ。

 そして騎士である以上、憎しみに目を曇らせて判断を誤るようなことがあってはならない。

 彼らが騎士としてこれからも在ろうとするなら、彼らが抱える憎しみは、どんな形にせよ乗り越えなければならないものだった。


(……まったく、手の掛かる生徒たちだ)


 一人そう苦笑して、ダニエラは半分ほど紅茶の残ったカップを軽く掲げる。

 彼らが憎しみという杖に頼らず、自分の足で歩き出す未来へ。



 ◇◇◇◇◇



 ニーナ・オルコットは、一人街外れの丘に来ていた。

 ここは騎士学校時代、演習などで訪れた場所だ。そして、学業の合間を縫い、非番の父に頼んで稽古を付けて貰った場所でもある。彼女の家は街中にあり、近所で騎士とはいえ剣を使って組手などできなかったのだ。

 微風に髪をなびかせ、ニーナはただ丘から王都の街並みを見つめる。かつてここに来た時そうしたように。

 ……あの時彼女を呼んだ父の声は、もう聞くことはできないけれど。

(父さん……)

 きゅ、と唇を引き結び、ニーナは記憶の中の父に語りかける。

(わたし、どうしたらいい?――父さんを殺した《擬竜兵( ドラグーン)》は、もういないって分かってるのに)

 レドナでの惨事の詳細は、多少の時間を要しはしたものの、王都にも伝わっていた。だから、ニーナも知っている。むしろ、騎士団の一員であり遺族でもある彼女の耳には、一般人には渡らないような情報も入ってくるのだ。それによると、ニーナの父が消息を絶ったレドナの一般街区を攻撃していた《擬竜兵( ドラグーン)》は、二人ともすでに戦死したということだった。そして、唯一生き残った《擬竜兵( ドラグーン)》であるアルヴィー・ロイは、当時中心街区から出ておらず、ニーナの父の戦死には関与していないという。

 彼を騎士団に編入させることとなり、騎士団は彼のこれまでの経歴を詳しく調べた。その信憑しんぴょう性は高い。つまり、ニーナが彼に抱く憎しみは、筋違いなものともいえるわけだ。

 だが頭でそう分かってはいても、彼女はアルヴィーを憎むことを止められない。誰かを憎みでもしなければそのまま崩れ落ちてしまいそうで、しかし本来憎むべき相手はすでにこの世にいないのだ。行き場をなくした感情がただ一人生き残った《擬竜兵( ドラグーン)》に向かうことを、彼女は止められなかった。

 叶うならば、剣をもってまみえ、この思いをぶつけたかった。そうすれば、例えどんな結果に終わろうとも、自分の気持ちに一応の区切りは付けられただろう。だが、同じ騎士団所属となり、特別教育でも剣の訓練などが免除された以上、彼と剣を交える機会は失われた。それ以外で彼と戦おうとするなら、それは私闘とされ騎士団の規則に反することとなる。父の仇を討ちたいと願う一方で、誰に恥じることもない騎士でありたいとも願う彼女には、どうしてもその手段を取ることはできなかった。

 理性と感情、ニーナの中で相反するその二つが、彼女の中で荒れ狂いどうしても混ざり合ってくれない。

 一つ息をつき、視線を逸らす。その時、背後で草を踏むかすかな音が聞こえた。

「誰?」

 振り返り――そしてニーナは首を傾げる。背後に立っていたその相手は、ローブを纏いフードを目深に被っていて、いかにも怪しげな風体だったが、彼女は直感的に“どこかで会ったことがある”と感じていた。

「……あなた、誰? 前にどこかで――」

 その瞬間。


「――悪いけど、利用させて貰う」


 くぐもった声と共に、ローブの人物はニーナに手を伸ばした。ニーナは反射的に後ずさったが、すぐに腕を掴まれる。

「ちょっと、何? 離して――」

 そう言ったところで、ニーナの視界がぐにゃりと歪み、暗くなった。

(何、これは……!?)

 足から力が抜け、よろける。掴まれた腕から、“何か”が自分の中に流れ込んでくるようだった。

 視界が完全に暗く閉ざされるその寸前、フードの下の顔がちらりと見えたが――それが誰なのか思い出すより早く、ニーナの意識は闇に溶けていった。



 ――風がそよぐ丘。

 草のベッドに倒れていたニーナは、ゆっくりと起き上がる。その碧眼には光がなく、どこか虚ろだった。

 彼女はそのまま振り返ることなく、いつも通りの足どりで街へと歩き去って行った。


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