第20話 家族の肖像
ひいいつもより二時間も遅刻!
遅くなりましたが第20話、お送りします。
王立魔法技術研究所の一角、木立や畑に囲まれ、まるで孤立しているかのような建物がある。
建物の前では巨大な鍋の中でどろりとした液体が煮詰められ、開け放たれた窓からは煙と何ともいえない臭いが立ち昇り、木で組まれた物干し台に洗濯物よろしくはためくのは束にされた草木だ。
そんなカオスな場所に、セリオは何のためらいもなく足を踏み入れた。
「――こんにちは。師匠はいますか」
「おお、セリオ坊か! 久しぶりだな! 女史なら中だぞ」
「どうも」
魔女が使っていそうな大鍋の中身を掻き回す研究員に会釈し、セリオは建物の入口を潜る。途端に微妙な臭気が鼻を直撃し、思わず顔をしかめた。今すぐ回れ右したいほど強烈ではないが、さりとて好んで嗅ぎたいような芳香では決してない。
だがこのくらいはここでは日常茶飯事なので、諦めて歩を進めた。
「師匠。ここですか?」
当たりを付けたドアをノックする。ちなみに当たりを付けた理由は、ドアの隙間から変な煙が漏れ出しているからだ。窓が全開になっているはずなのに、なぜドア側からも煙が漏れているのだろう。
遠い目をしたセリオの耳に、その時返事が届いた。ドアを開ける。
途端に煙の塊がぶつかってきて、セリオは反射的に風魔法で障壁を張った。
「……何です、これ。狼煙でも作る気ですか」
「馬鹿をお言い! これは新しい外傷用軟膏の試作だよ。ただ、どうにも煙が多くてねえ」
「薬効成分煙で飛んでるんじゃないですか、それ? そもそも何で軟膏で煙が出るんですか」
それでも、窓を全開にしてあるので煙は程なく薄れ始める。それにつれて、室内の人物の姿もはっきりしてきた。大部分が白く染まった明るい茶色の髪を一つに纏め、宵闇の空のようなミッドナイトブルーの瞳はどこか理知的な光を湛えている。白衣を羽織った小柄な初老の女性研究員――彼女がセリオの師匠であり、また王立魔法技術研究所・薬学部の主任でもある、スーザン・キルドナだ。
セリオと同じ家名を持つ――というより、彼女の家名をセリオが貰ったという方が適切なのだが。彼女はセリオの最初の魔法の師であり、養い親でもあるのだ。
だがセリオが彼女のもとを訪れたのは、そういった個人的な事情からではない。彼女に依頼していた分析結果の受領のためだった。ジェラルドの指示で、例の《紅の烙印》から押収したポーションの残りをスーザンに預け、分析を依頼していたのである。十日ほどあればできるという話だったので、確認に訪れたのだ。
「それはそうと、師匠。お願いしておいた例のポーションの分析の件ですが」
「ああ、できてるよ」
スーザンが顎をしゃくるようにして指し示した机の上、数枚の紙がある。取り上げてみると確かに分析結果の報告書だ。彼女が属する薬学部は、その名の通り薬品関係のエキスパートであり、その中でも最も深い見識と情熱を持つのがスーザンだった。今回の件もむしろ新しいポーションのレシピが探れるかもしれないと乗り気で引き受けたほどである。
だが報告の内容を確認し、セリオは眉を寄せた。
「……“身体能力・戦意を高揚させる効能は高いが中毒性があり、思考力を低下させる成分が含まれているため、できれば服用しないことが望ましい”……何です、これ?」
「そのまんまさ。あれは軽い麻薬みたいなもんさね、よっぽど切羽詰まればともかく、常備薬にするのはお勧めできないよ。確かに身体能力は跳ね上がるだろうさ、ただし後から副作用が来るのは覚悟した方が良い。どうしても使いたければ、そこに書いてある通りにレシピを変えるんだね。効能は落ちるが、中毒性や副作用はなくなる」
軟膏の試作品とやらをためつすがめつしながら、スーザンはあっさりと言う。
「思考力が低下……だからか?」
《紅の烙印》の女頭領の様子を思い出す。歴戦の傭兵だったという彼女が、損害も顧みず《擬竜兵》に執着した理由――それは、このポーションの副作用だったのではないだろうか。もっとも、今となっては確かめる術もないが。
「しかし、あんたの話じゃそのポーション、レクレウス軍から例の傭兵に流れたらしいっていうんだろ? こりゃいよいよ、レクレウスも切羽詰まってきたねえ。兵士を薬でしか奮起させられないようじゃ、軍も終わりだよ」
肩を竦めて、スーザンは軟膏の試作品を容器に詰め始める。これもいずれテストの後、自分たちが使うことになるのだろうと、セリオはぼんやり考えた。
「……それ、臭いはもっとどうにかしてくださいね」
「これでも大分マシになったんだがねえ」
恐ろしいことに、これで改良済みらしい。まあそもそも、薬学部がこうして離れ小島のごとく木立やら畑やらに囲まれているのは、材料の栽培や採取を容易にすると共に、こういった異臭騒ぎへの対策でもあるのだが。臭いものには蓋、ならぬ臭いものは隔離、というわけである。
ともかくも、報告書を受け取ってセリオはジェラルドの執務室に戻る。彼も、報告書を読んで指で弾くと顔をしかめた。
「……なるほど、身体能力は上がるが頭が鈍る上に中毒性がある、か。麻薬とは良く言ったもんだぜ」
「そのままではさすがに、使い物にはなりませんね」
パトリシアも眉をひそめる。いくら身体能力が上がったところで、その分思考力が落ちた上に中毒性ありでは、むしろマイナスの方が大きい。
「師匠が中毒性や副作用の伴わないレシピを考案してくれていますので、もしこちらで使うとしたらそのレシピを使った方が良いかと。ただ、その場合効能は落ちるそうです」
「仕方なかろうな。だがそれでも、能力増幅系のポーションってのは捨てるには惜しい。その方向で騎士団長閣下に具申してみよう」
報告書を机の上に放り出し、ジェラルドはそれにしても、と宙に目をやる。
「問題は、レクレウスがどうやってそんなポーションを手に入れたかってことだ。《紅の烙印》の連中が取り調べで吐いた情報からして、そのポーションがレクレウス軍から流れたのは確定と考えて良い。で、この大陸のポーションの流通ルートの大部分は、サングリアム公国が仕切ってる。だがその中にこの手のポーションはなかったはずだ。今、大陸で主に流通してるポーションは、体力回復や魔力回復、身体組織修復系に解毒くらいのもんだからな」
「だとすると、レクレウスが独自のルートで手に入れたか、あるいは自国で製造技術を確立したことになります」
「その通りだ。――こいつはまた、諜報部の仕事が増えそうだな」
「資料を纏めておきます」
「ああ、頼む」
打てば響くようなパトリシアの対応に満足げに頷き、ジェラルドはセリオに目をやる。
「おまえは例の、使い魔の方をもう少し突っ込んで調べてくれ。マジックアイテムで術者との繋がりを妨害したから、術者側は情報を得難くなってるはずだ。もしかしたら何らかの形で接触してくるかもしれん」
「了解しました。では、《スニーク》を付けておきます」
「魔力は保つか?」
「繋がりの維持程度なら、そう魔力を食うわけじゃありませんし。この間みたいに遠征しなければ、しばらく張り付けておくくらいは問題ありません」
セリオはすぐに《スニーク》を呼び、アルヴィーの近くに待機するよう命じて飛び立たせる。この間とは違って、彼――というか彼が連れているフラムに何かしらの接触があるのを待つ形なので、その兆候が出てから対応すれば良い。セリオなら、《スニーク》との繋がりを辿って転移魔法で現地に飛ぶこともできる。
部下たちにそれぞれ仕事を割り振り、ジェラルドも立ち上がった。
「隊長、どちらへ?」
「少し思い出したことがあってな。グエン所長に会って来る」
何かあったら《伝令》の魔法を飛ばすよう言い置いて、ジェラルドは執務室を後にした。
――幸いサミュエルは急を要する用などもなく、ジェラルドの来訪に応じてくれた。
「やあ、君が《擬竜兵》のこと以外で訪ねて来るなんて、珍しいね」
「まあある意味、《擬竜兵》絡みと言えなくもないんですがね」
肩を竦め、本題に入ることにする。
「……以前にご忠告いただいた件ですが」
《擬竜兵》のデータを狙って、研究所に侵入した者がいるという、サミュエルの言葉。あの時はさほど気にも留めていなかったが――もし、アルヴィーを襲った相手が、その侵入者のいずれかに連なる者ならば。
ジェラルドは、その可能性に気付いたのだ。
「研究所に侵入したとかいう、ネズミどもの素性。分かっている範囲で結構ですので教えていただきたい。――人の従騎士に手出しした挙句、余計な仕事を増やしてくれた阿呆に、少々目にもの見せてやりたくなりましてね。そのネズミどもから黒幕を辿れれば、例の呪詛使いに繋がるかもしれない。そうなれば後は、俺の“部下”に手出ししたことを後悔させてやりますよ」
そう言って彼は、例によって騎士とは思えない、何とも黒い笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇◇◇
ロエナとの再会の後、アルヴィーはルシエルとロエナ親子共々、応接間で空白の時間を埋めるべく歓談していた。年甲斐もなく泣き出してしまったことに最初は少々赤面していたアルヴィーだったが、話している内にそれも忘れ、村での懐かしい思い出が口をついて出てくる。村でのことは、辛いなら話さなくても良いと二人は気遣ってくれたが、アルヴィーはそれにはかぶりを振った。
もうこの世のどこにも無くなってしまった村。その在りし日の姿を留めるのは、もう人の記憶しかないのだから。だったらせめて、一人でも多くの人に、それを共有して欲しかったのだ。
そこには確かに、大切な人たちの暮らしが、命があったのだから。
そんなアルヴィーの話を、ルシエルは時折相槌を打ちながら聞いていたが、話が一段落したところで、意を決したように口を開いた。
「アル。一つだけ、聞きたいことがあるんだ」
「ん、何だ?」
「……“あいつ”は、どうなった?」
その問いに息を呑んだのは、むしろロエナの方だった。アルヴィーは肩を竦めて、
「死んだよ」
「……そう。魔物の襲撃の時に?」
「いや、もっと前。ルシィとロエナ小母さんを貴族の使いが迎えに来た時、あいつに金渡してただろ。その金で近くの町で遊び歩いて――多分、性質の悪い連中に目を付けられでもしたんだろうな。あれから一月も経たない内に、そこの町の川に浮かんでたってよ。村でもしばらく噂になってた」
「そう、か……」
ルシエルは思わず息をつく。それは安堵でも寂寥でもなく――強いて言うならば、“拍子抜けした”というのが近い。
(もうとっくに死んでたのか……でも、自分でも不思議なくらい、どうでもいいな)
あの村にいた時はあれほどに憎かった男が、今はひたすらにどうでも良かった。それは多分、ルシエルが“何の力もない子供”ではなくなったからだ。幼く自分の身すら守れない、アルヴィーに庇われるばかりの子供だったからこそ、自分はあの男を憎んだ。何もできない、弱い自分自身が歯痒く、だからそれを突き付けてくるあの男が余計に憎かった。
だがその立場から脱け出した今、あの男に対してはもはや憎しみも、哀れみすらも湧かなかった。
「……ルシィ、大丈夫か?」
そのため息と沈黙をどう取ったのか、窺うようにこちらを見てくるアルヴィーに、ルシエルは微笑んでみせた。
「大丈夫。別に、それを聞いたからどうこうってわけじゃないから。――むしろ、拍子抜けした気分だ。自分でも驚くくらい、何とも思わなかった。一応何年かは、“家族”として暮らした相手だったのにね」
もしかしたら自分は冷たい人間なのかもしれないと、半ば自嘲するように思う。何しろ、周囲からは“氷の貴公子”などという渾名まで奉られているくらいなのだ。
だがアルヴィーはきょとんと、
「え、だって、“家族”になるかどうかなんて、お互いが決めることだろ? あいつはルシィやロエナ小母さんと、“家族”になろうと思わなかったからああいうことしたんじゃねーの? だったら、今さら何とも思わなくたって、ルシィが気にすることじゃないと思うぜ」
「え?」
「家族ってさ、血が繋がっててもそうでなくても、お互いがそうなろうと思えばなれるし、思わなきゃなれないと思う。あいつとルシィたちが家族になれなかったのは、ルシィたちのせいじゃねーよ」
だからそんな気にすんな! とこちらをフォローしてくれようとするアルヴィーに、ルシエルは感謝と共に申し訳なさも感じる。アルヴィーの血を分けた家族は、すでにこの世にいないのだ。
だがそれを口にすることこそ、彼への侮辱のような気がして、ルシエルは短く礼を言うだけに留めた。
「……ありがとう」
「おう!」
にかりと笑う彼の笑顔は、昔と何ら変わらない。様々なものを失い、生きた兵器としてその身を作り変えられてもなお、彼はルシエルが自身の太陽と仰ぎ見た光を失っていない。
それがどれだけ稀有なことか、ルシエルは知っている。だから、それを守りたいと願うのだ。
改めて自身にそう誓った時、応接間のドアがノックされた。
「どうぞ、入ってちょうだい」
「ご歓談中失礼致します、奥様、ルシエル様」
ロエナの許可を受け、ドアを開けて入室して来たのは、執事と思しきお仕着せを一分の隙もなく着こなした、初老の紳士だった。その顔を見たアルヴィーが、あ、と声をあげる。
「確か、あの時村に来た――」
「はい、セドリック・ノークスと申します。以後、お見知りおきを」
そう言って優雅に一礼した紳士は、あの時ルシエルたちを迎えに来た人物に間違いなかった。
「彼はここの執事頭なんだ。――それで、セドリック。どうした?」
「旦那様が先ほどお帰りになりまして。ルシエル様のご友人にお会いになりたいとのことです」
「父上が?――分かった」
ルシエルが頷くと、セドリックは一礼して退出する。それを見送り、ぽかんとしているアルヴィーに、ルシエルは少し眉を下げ、
「ごめん、アル。ちょっと付き合ってくれる? そんなに時間は掛からないと思うし、畏まる必要もないから」
「いや、ルシィの親父さんってあれだろ、伯爵だろ……」
さすがにそれくらいは、アルヴィーも覚えていた。伯爵といえば研究所の所長のサミュエルも伯爵位を賜っているのだが、彼は何となく浮世離れしているというか、それほど厳格な雰囲気はないので顔を合わせてもさほど緊張しない。だがそれはレアケースだ。ルシエルの父とはまったく面識もない上に、ルシエルの話によれば確か財務副大臣を務めているという話だった。いきなり閣僚と面会。何それ怖い。
だがルシエルがもう了解の返事をしているわけだし、仮にも家にお邪魔して家主に挨拶がないのも失礼だ。しかもルシエルの実の父親。どういう人物なのか気になった。何しろ継父が相当にアレだったので。
というわけで、アルヴィーは一旦ロエナの前を辞し、ルシエルに案内される形で彼の父、すなわちクローネル伯爵のもとに向かうこととなった。さすがにフラムまでは連れて行けないだろうということで、一旦ロエナに預けたが。例によってきゅーきゅーと置いて行かないでアピールをしていたが、何しろ見た目は愛くるしい小動物だ。ロエナと給仕役を務めていたメイドたちが瞳を輝かせていたので、おそらく今頃はもみくちゃにされていると思われる。
伯爵の私室を兼ねるという書斎は、応接間から一旦広間へ出て、ちょうど対角線上から入るようになっていた。ルシエルがドアをノックし、入室の許可を求める。
「ルシエルです。お呼びと伺いました」
「ああ、入りなさい」
「失礼します」
実の親子だというのに堅苦しいやり取りの後、ルシエルはドアを開けて入室する。アルヴィーもおっかなびっくり、それに続いた。
まず目に入るのは、壁一面に設えられた本棚だ。書斎というだけあって、窓とドア、暖炉の周辺以外はすべて本棚が造り付けられ、アルヴィーなど見ているだけで頭が痛くなりそうな背表紙がずらりと並ぶ。その書架に囲まれる形でソファとテーブルが置かれ、こちらでも客を迎えられる体裁は整っていた。そして、奥の窓際には書き物用の机があり、そこに座って書類にペンを走らせていた男性が、最後の一文を記してペンを置き、席を立った。
ルシエルのそれと良く似た淡い色合いの金髪、紫の瞳をした男性だ。年の頃は五十代に差し掛かった辺りというところか。年齢に相応しい落ち着きを漂わせたその容貌は繊細に整っており、やはりルシエルとは血縁なのだと思わせる。
彼は息子からアルヴィーに目をやり、
「なるほど、君が。噂は聞いている」
どんな噂かはあえて訊くまい。どの道盛大にヒレが付きまくっているのだろうし。アルヴィーはその辺りは聞かなかったことにして頭を下げる。
「アルヴィー・ロイです」
「わたしはジュリアス・ヴァン・クローネルだ。息子が世話になっているようだね」
「いえ……俺の方こそ」
「それで、父上。アルにどういう御用ですか」
ルシエルが一歩前に出る。まるでアルヴィーを守ろうとするようなその所作に、ジュリアスはかすかな笑みを浮かべる。
「用というほどのものではない。ただ彼に会ってみたかっただけのことだ。宮廷でも噂の《擬竜兵》にね」
「宮廷、ですか……?」
面食らうアルヴィーに、ジュリアスは噛んで含めるように、
「君はもう少し、自分の影響力というものを考えた方が良い。宮廷の中も一枚岩ではないのだよ。先のギズレ元辺境伯の一件以来、宮廷の勢力図は流動的になり始めている。それをさらに決定的に掻き回すのが、君の存在だ。目端の利く貴族は、君が騎士となった暁には自分の臣として取り込んでしまおうと、声をかけるタイミングを狙っていたのだよ。もっとも、カルヴァート侯爵の次男はさらに上手だったようだが。自分の従騎士にするとは、また思い切ったものだ」
「え……」
まさか自分が、ファルレアンの宮廷の勢力争いに巻き込まれるなど予想だにしていなかったアルヴィーは、呆けたように呟くしかない。ルシエルが焦ったように眉を寄せる。
「父上、そんな話は――」
「知らなければ本人があちこちから言い寄られて困ることになるぞ? 貴族の間を上手く渡り歩いて成り上がろうと思っているのでなければ、早めに旗色を鮮明にしておくことを勧めよう。現在の君の主はカルヴァート家ということになるが、晴れて騎士となれば、君はカルヴァート家の庇護下からも独立することになる。どの家を選ぼうと君の自由だ。無論、わたしとしては我がクローネル家に付いてくれるのが最も望ましいがね。それに我が家はカルヴァート家とも陣営を同じくしている。板挟みにはならんだろう。ルシエル、後で彼に説明してやるといい。宮廷のことを知っていて困るということもなかろうしな」
そう言うと、ジュリアスは身を翻す。用は済んだ、ということなのだろう。
「……失礼します」
そう言い置き、ルシエルはアルヴィーを促して退室した。
「……ええと、あれって結局、“ウチに付け”って勧誘されたってことか?」
応接間に戻りながら首を傾げるアルヴィーに、ルシエルは頷く。
「そうなるかな。というより、囲い込みに来たってところか。――ごめん、アル。父があれほど積極的に動くとは思わなかった」
「いや……それはいいけど。ていうか、いつの間に俺がどこの家に付くかなんて話になってんだ? そもそも俺、騎士団所属なんだろ?」
「貴族の間にも派閥があってね。代表的なところでは《女王派》と《保守派》。《女王派》は名前の通り、現在の女王陛下を支持する派閥で、父もそっちの派閥に所属してる。もう一つの《保守派》は、陛下が即位される以前に継承権を持っていた、傍系の継承候補を支持する派閥だよ。もっとも、その傍系の継承候補は軒並み継承権を放棄して、高位の継承権保持者が陛下と妹君のアレクシア殿下しかいなくなったから、陛下が女王として即位されたんだけど。ただ、ファルレアンは明文化こそされてないけど、王位を継ぐのは男子っていう慣習みたいなものが昔からあってね。だから《保守派》はそれを根拠に、“元”継承候補の復権を狙ってるんだ。で、それが騎士団にどう影響するのかっていうと、単純に騎士団には貴族の子息も在籍してるんだよ、僕みたいに。だから、騎士団の中でも何となく、派閥同士で寄り集まることが多いんだ」
実のところ、現在では騎士団での小隊の振り分けからして、派閥の影響を受けている。当然のことながら、同じ派閥に属する者同士を組ませるのだ。派閥争いの影響で隊が割れでもしたら目も当てられない、ということである。人事を担当する者は、さぞ頭の痛いことだろう。
平民の騎士たちは貴族ほど派閥争いに興味も関係もないのだが、やはり隊を率いる小隊長の影響を大きく受けるので、必然的に隊長が属する派閥寄りになると思って良い。そのため、何かの事情で小隊を組み直すなどということになれば、その辺りも考慮する必要がある。
「……つまり、騎士団の中にもそういう派閥争いみたいなのがあるから、余所から勧誘来ない内に唾付けとけって感じなのか?」
「そうだね、そんな感じだ。――要するに、アルの戦闘力が目当てなのさ、みんな。アルを手に入れれば、《下位竜》を飼い慣らすに等しい。結局のところ、貴族の力の中でも武力が占める割合は大きいからね。自分の権力基盤を盤石にするために、アルの存在は魅力的なんだよ」
「……俺、ただの平民なのになー……」
アルヴィーは遠い目でぼやいた。ほんの一年ほど前までは正真正銘、ただの一村人でしかなかったというのに、今や貴族の間で争奪戦。環境激変にも程がある。
「でもまあ、俺はルシィに付いてくけどな。そのためにファルレアン来たんだし」
それは偽りない事実だ。もちろんルシエルもそれを疑うことはない。だが、それすなわち、父の思惑通りであろうことが、何もかも見透かされているようで心に小さなささくれを残す。
(あの人は必ず、アルを利用しようとする……)
彼はあれで結構な野心家だ。他ならぬルシエル自身、彼の野心のためにこの家に引き取られた。そんな父が、アルヴィーとルシエルの関係に目を付けないわけがない。
だから、自分が彼を守るのだ。
(アルを、下らない権力闘争の道具にさせてたまるか。――やっぱり、今以上の力がこれから必要になってくる。武力だけじゃない、貴族の間でも通用する権力が)
貴族社会では、家柄や地位、権力が剣であり鎧なのだ。今までもルシエルは、アルヴィーとその母を保護下に置くべく、必要なだけの力を求めてきた。だが、今やアルヴィーは多方面から引く手数多の存在だ。その干渉を跳ね除けるには、干渉してくる側以上の力が必要になる。今はまだ、クローネル伯爵家の後ろ盾があるが、それも永遠に続くものではないのだから。
(だけど、僕もいつもアルに付いていられるわけじゃないし……やっぱり、一通りのことは頭に入れておいて貰った方がいいか)
万が一、自分の目の届かないところで丸め込まれてしまっては一大事だ。せっかくの休講日に悪いが、通り一遍の知識をアルヴィーに詰め込むことを決意したルシエルだった。
「――というわけで、アル。夕食の後、僕の部屋で今の宮廷の状態について一通り説明するから」
「えっ」
◇◇◇◇◇
沈みゆく夕日が、室内を照らしている。
(……あれ……わたし……?)
その中で、ベアトリス・ヴァン・ギズレの意識はゆっくりと浮上した。
青灰色の瞳でぼんやりと眺める天井は、窓から入る夕日に彩られ、精霊たちを描いたと思しき天井画が半ばほど朽ちて剥落した様が、光と影の中に浮かび上がる。紅茶色の髪がさらりと流れる寝具は、ベアトリスの生家にあったものにも劣らない肌触りだ。また、いつの間にか着替えさせられている寝巻きのような服も、追われている時に着ていた平民のような服とは大違いの着心地だった。
(ここ……どこ?)
気怠さを訴える身体を何とか起こす。彼女がいるのは寝室として使われる部屋のようだ。とはいえ、彼女が横たわっていたベッド以外は、調度品と呼べるものが何もない。現在地の手掛かりを求めてベッドを下り、夕日が射し込む窓辺へと辿り着いたベアトリスは、そこから見える光景に思わず息を呑んだ。
眼前に広がるのは、石造りの古城。地色は白亜であろうその城は、夕日を受けて薔薇色に染まっている。いくつもの棟や塔、それを繋ぐ回廊が複雑な起伏を描き、年月を経ての劣化か、崩れかけている箇所も見受けられるが、それがかえって滅びゆく寸前の退廃的な美しさを醸し出していた。かつて目にしたファルレアンの《雪華城》とは対極にある、だがやはり目を奪われるほどに見事な城だ。城内を流れる水路の水面は夕日によってきらきらと輝き、光の小川となってどこへともなく流れ去る。
言葉もなく見惚れる彼女の耳に、その時足音が聞こえてきた。そして程なく、ノックの音。
「――失礼致します」
かすかな軋みと共に部屋の扉が開き、入室して来たのは二十代半ばほどの侍女と思しき女性だ。とっさに返事もできず、身を固くしたベアトリスに一礼し、女性は口を開いた。
「お目覚めになられたようで何よりです。ご気分はいかがですか」
「……あの、ここは……? わたし、一体……?」
「ここは《薔薇宮》と申します。あなたはここに来られてすぐに、高熱を出して倒れてしまわれたので、こちらで養生いただいておりました。生憎ここに医師はおりませんので、わたくしどもの見立てになりますが、おそらく極度の疲労から来るものではないかと」
「疲労……」
呟き、そしてベアトリスは思い出した。
父が反逆罪に問われ、騎士たちに捕らえられたこと。年老いたメイドに連れられての、辛く苦しい逃避行。そして、盗賊たちに追い回され、諦めかけた時に現れた、あの謎の青年――。
「あ……わたし……」
今さらながらに、身体が震え始める。足の痛みが甦ったような気がして、その場に崩れるように座り込んだ。
そんな彼女に、侍女姿の女性は告げる。
「体調が回復したようでしたら、まずはお食事とお召し替えを。あなたにお会いしたいと仰る方がおられます」
「え……?」
ベアトリスの脳裏によぎるのは、あの青年の姿。だが、それを侍女に確かめる前に、彼女は手を叩いた。すると、応えるようにさらに数名の侍女が入室して来る。奇妙なことに、彼女たちは皆、生き写しといっても良いレベルでそっくりな顔立ち、身体つきをしていた。
「あ……あなたたち、一体……」
慄くベアトリスに、侍女たちは無表情のまま告げる。
「わたくしたちは、ただの侍女でございます」
「さあ、お食事をどうぞ」
侍女の一人が、部屋の外からトレイに入った食事を持って来る。別の侍女が小さなテーブルと椅子を持ち込み、あっという間に食事の支度が整った。食事は今まで寝込んでいたベアトリスに配慮してか、スープや柔らかいパンという、食べやすいものとなっていた。
そっくりな姿の侍女たちに薄気味悪さを感じつつも、確かに空腹であったベアトリスは、その食欲を掻き立てる匂いに屈せざるを得なかった。促されて着席し、食事を口に運び始める。そして驚いた。パンの柔らかさといい、肉と野菜の風味が豊かに溶け込んだスープといい、ベアトリスが生家で口にしていたものに劣らない。逃避行の間の粗末な食事とは、比べるべくもなかった。
「……美味しい……」
「それはようございました。こちらにジャムもありますので、どうぞ」
小さな器に入ったジャムもまた、果物や砂糖を惜しみなく使い、丁寧に煮詰めたものと分かる。パンに付け、口に入れた途端、絶妙な甘酸っぱさと芳醇な香りが広がった。パンのほのかな甘みと合わさり、ベアトリスの肥えた舌をも楽しませる。
――まるであの、幸せだった頃のようだ。
父がいて、家族がいて、貴族令嬢として何不自由なく暮らし、いつかどこかの貴公子に嫁いで、華やかな花嫁衣裳を纏うのだと夢見ていたあの頃――。
「……っ」
こみ上げてくる涙に、ベアトリスは口元を押さえて嗚咽を堪える。もうあの日々は二度と戻っては来ないのだと、改めて眼前に突き付けられた気がした。
しばらく泣いて、ベアトリスはのろのろと顔を上げる。侍女たちは相変わらず表情一つ変えずに、傍に控えていた。ただ、一人が顔を拭くためだろう、柔らかい布を差し出してくれる。それを受け取って涙を拭くと、ベアトリスは立ち上がった。国を追われたとはいえ、淑女としてこれ以上見苦しいところは見せられない。
「……ありがとう。もういいわ」
「では、お召し替えを」
侍女の一人が下がり、着替えのドレスを持って来てくれた。シンプルなデザインではあるが、やはり貴族が袖を通すに相応しい品のようだ。侍女たちがてきぱきと手伝ってくれ、着替えも手早く済む。髪も整えられ、ベアトリスは久しぶりに貴族令嬢らしい装いに戻ることができた。
身支度が済むと、侍女たちは一人を残して皆下がっていく。そして一人だけ残った侍女の案内で、ベアトリスは部屋を出て廊下を歩き始めた。やはり古い城らしく、石造りの床は欠けが目立ち、照明の類はほぼすべて取り外されているようで、跡だけが残っている。それでもみすぼらしい印象がないのは、埃など見当たらないほど掃き清められているせいだろう。規則的に設けられた窓から、夕方の残照が射し込んで足下をぼんやりと照らしてくれる。
「――こちらでございます」
と、侍女が足を止め、そこにある大きな扉を指し示す。建物同様、かなり古びてはいるものの、表面に施された彫刻は未だ原型を留めていた。意匠はベアトリスには良く分からないが、さっきの部屋の天井画と同じく精霊だろうか。
侍女が恭しく扉を開ける――その先に、二人の人影を見つけ、ベアトリスは目を凝らした。
そこは謁見の間のようだった。広々とした空間にぽつんと置かれた玉座。そこには一人の女性が腰を下ろし、そしてその傍らには青年が侍る。あの盗賊たちに襲われた時、ベアトリスを救った青年に違いなかった。
「――どうぞ、お入りなさいな」
鈴が鳴るような、とはこういった声を指すのだろうと思われる、澄んだ涼やかな声。ベアトリスは何かに操られるように、一歩、また一歩と歩みを進め始めた。近付くにつれ、何かの魔法か、青白い光がふわりと生まれて周囲を照らし出す。
やがて、玉座の前にまで進み出たベアトリスは、誰に言われるでもなくその場に膝をつき、頭を垂れた。そうせずにはいられなかった。
玉座に座すのは、二十歳ほどの女性だった。結い上げすらしていない銀糸の髪は肩から流れ落ち、それ自体がまるで宝飾品であるかのように美しく輝く。微笑みを湛えた顔は精霊もかくやと思われるほど麗しく、中でも群青の双眸は思わず目を奪われそうな神秘的な光を秘めていた。
彼女は“違う”。
自分など及びもつかないほど尊い、高みに在る存在なのだ――。
その女性を間近で見た瞬間、ベアトリスの脳裏にはそんな思いがよぎり、それが彼女に膝を折らせ頭を垂れさせた。貴族の娘に生まれ、蝶よ花よと持て囃されて、自分の容色にはそれなりの自信があったが、その麗人の美と高貴さは、そんな自信などいとも容易く消し去る、圧倒的なものだった。
自ら膝を折り跪いたベアトリスに、二人はどこか満足そうな表情を浮かべた。
「顔をお上げになって。直答を許しますわ」
「は、はい……」
許しを得て、ベアトリスは恐る恐る顔を上げる。
「まず、あなたのお名前は?」
「わ、わたしはファルレアン王国貴族、ギズレ辺境伯が娘、ベアトリス・ヴァン・ギズレと申します。この度は危ういところをお救いいただき、お礼の申し上げようもございません」
ベアトリスの名乗りと感謝に、玉座の女性は「まあ」と嬉しそうに手を打ち合わせた。
「あなたは貴族の出身ですのね。わたくし、ちょうどあなたのような方を探しておりましたの」
そう言って、彼女は自らの胸に白い手を当てる。
「わたくしはレティーシャ・スーラ・クレメンタイン。百年前に滅ぼされし、クレメンタイン帝国直系の皇女ですわ」
「クレメンタイン帝国……!」
貴族の一員として、ベアトリスもそれなりの教育を受けたため、その名は知っていた。かつて存在した、高度な魔法技術を誇る大帝国。だが、自国の貴族と他国の連合軍によって、その技術や知識ごと滅んだとされている。
他で聞けばどんな世迷言かと思うようなその言葉は、だが眼前の女性の口から出ただけで、疑いすら起こらない事実となる。彼女の纏う雰囲気は、まさに支配者のそれだった。
「そして彼はわたくしの騎士、ダンテ・ケイヒル。あなたを救い、ここに連れて来たのは彼ですわ」
彼女――レティーシャの紹介に、ダンテは一礼する。その姿を、ベアトリスはほのかに熱のこもった眼差しで見つめた。
「わたくし、あなたのような身分のある侍女が欲しいと思っておりましたの。わたくしはこの《薔薇宮》からみだりに動くわけには参りません。ですから、わたくしの名代として動いてくださる方を求めているのです」
「わ……わたしに、そのお役目を?」
レティーシャの言葉に、ベアトリスの胸がどくんと大きく跳ねた。だがそれは、すぐに沈み込む。
「ですが……実はわたしはもう、貴族を名乗れない身分です。――父が、国への反逆を企んだとして。家族もわたし以外は皆、捕らえられて……今のわたしはもう、ただの娘に過ぎないのです」
先ほど名乗った名前も、本来なら名乗ることを許されない。今の彼女は、慈しんでくれた家族も、貴族としての身分も奪われ、国から追われた惨めな少女でしかないのだ。
だが、そんなベアトリスの慨嘆を、レティーシャは一笑に付した。
「それはファルレアンでの話でしょう? ここはクレメンタイン帝国。例えあなたが故国で身分を奪われようと、ここでは関係ありませんわ。わたくしが求めているのは、わたくしの名代として恥ずかしくない、淑女としての教育を受けた方なのです。身分が必要でしたら、わたくしが与えましょう。あなたには、それだけの価値がありますわ」
その言葉に今度こそ、ベアトリスは言葉を失った。
“ギズレ辺境伯の娘”ではない、ベアトリス自身を必要としてくれると、価値を認めると、レティーシャは言ったのだ。すべてを失い、絶望の底にいたベアトリスにとって、それは紛れもなく、不意に射した一筋の光だった。
「そうですわね……では、あなたにはクレメンタイン帝国貴族の身分と“ルーシェ”の名を与えます。古い言葉で“光”という意味ですわ」
「“光”……」
その名を噛み締めるように呟き、ベアトリスは再び頭を垂れた。
「ありがとうございます。このベアトリス・ルーシェ・ギズレ、いただいた名と身分に恥ずかしくないよう努めます」
ファルレアン貴族の証たる“ヴァン”はもう名乗れない。彼女ももはや、自分からすべてを奪ったファルレアンを祖国と思うことは止めた。今の自分はもう、新しい道を与えてくれたレティーシャの臣、“クレメンタイン帝国”の人間なのだ。
「歓迎致しますわ、ベアトリス。では、あなたには侍女頭の地位を与えましょう。まずはこの《薔薇宮》を案内させます。いずれは侍女たちを指揮していただくことになりますわね」
「はい!――ですが、お側に加えられたばかりのわたしがそのような地位を賜って、本当によろしいのですか」
「問題はありませんわ。現在ここにいる侍女たちは、とある事情で簡単な命令をこなすしかできませんの。ですからあなたには、彼女たちに適切に命令を出し、自在に動かせるようになっていただくのが望ましいのですわ」
「は、はい」
思った以上に重要な役目を賜ったことを悟り、ベアトリスの声も上ずる。だが、後に引く気はなかった。
(あのままだったら、盗賊に辱められた挙句、惨めに死んでいたわ。――このお役目、絶対に果たしてみせる)
一度すべてを失った彼女は、もうただのか弱い貴族令嬢ではなくなっていた。もはや会うことは叶わないであろう家族との別離、そして自分を逃がすために盗賊に殺された年老いたメイドのことを思うたび、胸の奥で燃え上がる炎がある。
だが、それが“憎悪”であることを彼女が自覚するには、今しばらくの時が必要だった。
レティーシャに呼ばれた侍女に連れられ、ベアトリスが謁見の間を退出すると、レティーシャはダンテに微笑みかける。
「良い人材が手に入りましたわ。お手柄でしたわね、ダンテ」
「勿体無いお言葉です、我が君」
一礼するダンテに、だがレティーシャは一転、少し困ったような笑みを向ける。
「ですが、ダンテ。少し問題が起きましたの。アルヴィー・ロイに付けておいた使い魔との接続が、不明瞭になりました。おそらく、使い魔であることを見破られて、接続を妨害する措置を取られたものと思われますわ」
「承知致しました。では、少し様子を見て参ります」
「ええ、お願いしますわ。――彼女がもう少し早くわたくしの臣となっていれば、彼女に与えた役目なのですが……」
「いずれはそうなりましょう。我が君を一目見て、膝を折るべき方と看破した者です。必ずや、我が君のご期待に応えることでしょう」
「ふふ、そうですわね」
「では僕は、これからファルレアンに発ちます。しばらくお側を離れさせていただきますが、お許しを」
「頼みましたわ、ダンテ」
レティーシャの頷きに、ダンテは恭しい一礼で応え、足早に謁見の間を後にする。それを見送り、レティーシャは玉座から立ち上がった。
(《上位竜》の血肉と《竜玉》は手に入れた。後は人材ですわね。我が臣に相応しい人材を集め、力を蓄える……公爵たちに“預けてある”領地も、いずれは返していただかなくては)
唇に笑みが刷かれる。それはダンテやベアトリスに向けていた、慈母のようなそれではない。支配者たる者だけが浮かべる、力と自信に満ちたある種傲岸なものだった。




