第133話 むかしばなし
レクレウス王都・レクレガン。先の災厄で甚大な被害を受け、徐々に復興が進みつつあるその市街を、高みから見下ろす一対の視線があった。
虹色に輝く瞳、毛先に行くにつれ金へと色を変える宵闇の黒髪は、風に煽られて大きくはためくが、持ち主がそれに頓着した様子はない。白く華奢な肢体には申し訳程度に布を纏っただけで、地上にいれば目立つことこの上ないような風体だった。
幸いというべきか、ここは高度数百メイルに達しようかという高みであり、地上から見上げてもその姿は砂粒ほどにしか見えまい。もっとも、“彼女”は自らの周囲に姿を消すための結界を張り巡らせているので、地上からその姿を視認する術はほぼなかったが。
『――新規生命体ト思シキ個体ヲ発見。既存でーたトノ照合ノ結果、解析情報トでーたトノ間ニ齟齬ガ見ラレル。要観察……』
そう呟いて、“彼女”は空中をすっと指で一撫でした。するとその軌跡を追うように、虚空に生まれる裂け目。そこへひょいと飛び込むと、その姿は跡形もなく消え去った。
「――そういうわけで、オルロワナ公には《大陸君主会議》に備え、専用アイテムへの魔力の充填をお願い申し上げます」
レクレガンの中枢たる王城、そのさらに中心部。かつては王国宰相の執務室であった部屋で、貴族議会代表を務めるナイジェル・アラド・クィンラム公爵は、通信用の魔鏡と向き合っていた。鏡の中には北方領の主、ユフレイア・アシェル・オルロワナ公爵の姿がある。
「専用アイテムを起動させるには、莫大な魔力が必要になりまして……それだけの魔力を注げる使い手となると、我が国にはオルロワナ公をおいて他には存在致しませんので」
『ふむ……そうなると、わたしが王都に出向く必要があるな』
鏡面の中で、ユフレイアはわずかに眉を寄せた。オルロワナ北方領はレクレウス王国の鉱物資源を支える大産地であり、北部でも最大の領地だ。必然、それを切り回すための彼女の執務は膨大な量に上っていた。王都に向かうとなれば、それを滞らせることになる。
だが、今回布告のあった《大陸君主会議》に参加しないという選択肢は、レクレウスに限っては存在しなかった。
『……とはいえ、今回の会議はレクレウスの新体制を大陸各国に周知させる、絶好の機会になるからな』
「仰る通りです。此度の会議で陛下と我々貴族議会の存在を、大陸の国々に認めさせなければなりません。各国の認知を得れば、我々の足場は盤石さを増します」
国の政体に手を入れ、新たな王が起ったレクレウスは、それを大陸に存在する他国に認めさせなければならなかった。この場合の“認める”とは、承認を受けることではない。文字通り“認知する”ことに意味があるのだ。各国首脳――どころかトップである王や皇帝にその存在を知らしめ、新体制を認識して貰うのである。
今のところ、レクレウスの新王と貴族議会を明確に認定し支持しているのは、彼らと条約を結んだファルレアンだけだ。他の国との国交は以前より“慣例的に”続いているに過ぎない。極端な話、貴族の一部辺りが王族を担ぎ上げて臨時政府でも立てたならば、ややこしい話になる。ゆえに、レクレウスの意思決定機関が新王であり貴族議会であることを、各国に示す必要があったのだ。
『良いだろう。こちらの執務は何とかしよう』
「恐れ入ります。王都でのご滞在は別邸の方で?」
『ああ。フィランも連れて行こう。護衛の人件費を減らせる』
冗談にも聞こえることを言って、ユフレイアはにやりとした。実際、《剣聖》たるフィランが護衛に付けば、余計な人員は必要ない。剣の腕はもとより、気配察知も隔絶した能力を持つのだ。敵対勢力の間者ばかりか、ユフレイアの護衛に寄越したはずの者たちも、まとめて彼に嗅ぎ付けられて捕まったのは記憶に新しい。
『では、具体的な日程が決まればまた連絡しよう。今日はこれで失礼する』
「ええ。ご連絡をお待ちしています」
通信を終え、魔力供給用の魔石を外すと、ナイジェルは執務室を後にした。
早急に済ませなければならない決裁などはすでに終わらせている。それらの中から、さらに国王の裁可が必要な書類のみを持ち、彼は国王の執務室に向かった。
「――失礼致します、陛下。決裁が必要な書類をお持ち致しました」
入室したナイジェルを、若き――というよりもはや幼いといえる年頃の国王、レイモンド・ソラム・レクレウスが迎えた。代々の王を主とし、風格や重厚さを感じさせる室内で、彼だけが小さく頼りなげに見える。
「……決裁など。どうせすべて、そなたたちが決めるのではないか」
どこか諦めたように目を伏せた彼に、ナイジェルは薄く笑みを浮かべて語りかけた。
「確かに、政策などは我々の方で大筋を決めさせていただいておりますが。それでも、陛下にしかお出来にならないこともございます」
「……わたしに、しか?」
レイモンドが顔を上げた。傀儡の王という立場を、他ならぬ彼が一番よく分かっている。そんな自分にしかできないということに、興味を抱いたのだ。それは、幼い少年王が捨てきれない自己顕示欲だった。
それを見て取り、ナイジェルは微笑みながら頷く。
「ええ。――《大陸君主会議》という会議が開かれると、先日布告がございました。これは君主、つまり王や皇帝の地位にある方にのみ、参加が認められるものです」
「で、では……わたしが参加しなければいけないのか?」
「左様でございます。無論、どの国も数名、腹心たる家臣を共に参加させますが。それでもあくまで彼らは“君主の補佐”として参加を認められるに過ぎません。真に参加資格をお持ちになるのは、我が国では陛下のみです」
「そうなのか……」
レイモンドはやや頬を紅潮させて呟く。その双眸はきらきらと輝き始めていた。まだやっと二桁の年齢を数えた少年にとって、“自分が必要とされる”という事実は、大いにその自尊心を満たしたのだ。
「加えて今回の会議には、陛下が間違いなく我が国の君主たることを、大陸各国の首脳にお披露目する意味もございます」
「それはもう終わったのではないのか?」
「確かに情報としては各国に伝わっておりましょうが、他国の君主に直接告げることにも意味があるのですよ。このお披露目を済ませれば、他国にも間違いなく陛下がレクレウスの君主であらせられることが伝わります。いわば、陛下がレクレウスの“顔”として認められるのですよ」
「そうか……!」
少年の顔が輝いた。王族として臣下の求めるままに決裁のサインを記し続けることに、彼は密かに不満を溜めていたのだ。とはいえ、貴族議会を失えば政策や国家運営が立ち行かないことも、彼は何となく気付いている。ゆえに、彼らにはできず自分だけができることがある事実に、レイモンドの鬱屈が少なからず晴れたのは確かだった。
無論、お披露目を済ませたところで、国の真の意思決定機関が貴族議会であることは変わらないし、その事実も各国に認識されるだろう。だがそれを今、幼い王に告げる必要はなかった。
「陛下は現時点で、この大陸の国々で最もお若い君主となりますが、堂々となさいませ。我らもお支え致しますゆえ」
「うむ!」
元気良く頷き、レイモンドはナイジェルが差し出した書類にサインを記し始める。王としての矜持をこれでもかと刺激され、執務意欲が湧いているようだ。ナイジェルは内心でほくそ笑み、それを隠すように深く一礼するのだった。
◇◇◇◇◇
「――《大陸君主会議》? 何よそれ?」
クレメンタイン帝国帝都クレメティーラ、その中心にそびえる《薔薇宮》。基本的に平時には仕事らしい仕事もなく、巡回と称して宮殿内をうろついていたメリエ・グランは、その並外れた聴力でダンテからの連絡を受けるレティーシャの声を漏れ聞いた。そしてレティーシャに尋ねてみたところ、そうした答えが返ってきたのだ。
「大陸に存在する国の王や皇帝、つまり“君主”の地位にある者のみが開催権を持つ、多国間会議のことですわ。百年前の大戦の折にも、クレメンタイン帝国を除く全ての国が参加して開催されました。もっとも、いわゆる“連合国”以外の国は、それぞれの理由で参戦を見送りましたけれど」
「ふーん。理由って?」
「ファルレアンは直前の継承争いでの痛手と、地理的に参戦してもあまり旨味がないこと。ソルナートとアルシェントは、やはり国境を接していないために領土などの旨味が見込めない割に、帝国から遠過ぎて参戦するだけで赤字になること。そもそもあの大戦は、一種の領土紛争と、一部貴族の独立戦争が合わさったようなものでしたから」
百年前のクレメンタイン帝国対連合国の戦争は、領土拡大――あわよくば大陸統一を目指した帝国と、それを逆手に取り自分たちこそ領土を分捕ろうとした周辺国、そして帝国内部でも国境地帯に領地を持ち独立を目論んだ大貴族、その三者の思惑が絡み合ったものだった。結局、周辺国と大貴族連合が手を組んだことで、帝国側は徐々に押し込まれ、最終的に敗北。特に当時のサングリアム公爵が連合国側に付き、ポーションの供給の流れが変わってしまったことが痛手だった。
だが帝国側も、帝都に敵兵力を誘い込んで街もろとも吹き飛ばすという力業で、一矢――というには少々大規模過ぎたが――報いることには成功したのだが。
「へー、帝都ごと敵兵吹っ飛ばしたの。派手なことやったわねー」
「せっかく帝国が長年の研究で開発した魔法技術を、みすみす敵にくれてやることはありませんわ。技術を欲するのなら、対価を支払うなり、自分で開発なりするのが筋というものでしょう。領土的野心に関しては、どの国も自国領を広げたいのは当然ですし、帝国側もお互い様ですからとやかくは申しませんが。他国の保有技術を我が物顔で盗みに来るなど、まるで賊ですわ。ですから、それに相応しい罰を与えたまででしてよ」
それが原因で大陸の魔法技術は百年近く停滞しているのだが、レティーシャには関係のないことだ。どうしても必要な技術ならば、需要に迫られて研究が進み、いずれ実用化されるはず。それが停滞したままということは、“それがなくても特に問題はない”ということだ。ならば、停滞のままで満足しているべきである。それが彼女の持論だった。
(……そもそもわたしは、最初の一手を間違えたのかもしれないけれど)
冷ややかに自分自身をも俯瞰することを覚えて、すでに久しい。それは一種の習い性のようなものだった。
「でもさあ、帝都ごと吹っ飛ばしたって割には、結構残ってたわよね、このお城。何で?」
いくら五感が鋭くとも、レティーシャの内心までは知る由もなく、メリエが猫のように首を傾げる。少なからず興味があるのだろう、菫色の瞳が丸い。
「ああ……さすがに、この《薔薇宮》まで壊してしまうと、地下の研究施設にも影響が出る可能性がありましたもの。せっかくあそこまで造り上げたものを、火事場泥棒のために壊すのは業腹でしたのよ」
「え!? あの施設も百年も前からあったの!?」
メリエがさらに目を丸くした。
「百年も前なんて、そんな昔によくあんだけ造ったもんねー」
「帝国の国力の賜物でしてよ。――もっとも当時は、わたくしが使えた設備など、ほんのわずかなものでした」
「え、何で? シアってその頃も、帝国のお姫様だったんでしょ?」
「ええ。ですが、時代が違ったのです」
「時代……?」
首を傾げるメリエに、レティーシャは小さく笑った。別段嘲っているわけではない。今の時代に生まれたメリエが百年前の亡国のことなど知るはずもなく、必然想像すらできるはずもない――そういうことだ。
「……皇女、しかも下から数えた方が早いような生まれ順では、権限などあってないようなものですわ。しかもあの時代、皇女に求められた役割など一つしかありませんでした。――“何事にも口を挟まず、人形のようにおとなしく、皇室の権勢拡大のための駒であれ”。早い話が、政略結婚要員でしかなかったということですわ」
「はあ!? 何それ! 女を何だと思ってんのよ!」
「だから言ったでしょう? そういう時代だと。あの当時は、王侯貴族でさえ、家系図に女性の名前は残りませんでしたのよ」
国によって差はあれど、女性の社会進出がそれなりに進んだ今の時代では、想像も付かないだろう。だが当時のクレメンタイン帝国では、女性は比喩抜きに、男性の付属物扱いだったのだ。上流階級では政略結婚の駒としてそれなりに大事にはされたが、それだけ。大戦時の記録において、レティーシャ自身の名前が後世に伝わっていないのも、彼女が“皇女”であったがゆえだった。
「ダンテを騎士に取り立てたことも、そう。彼の名前にミドルネームがないことには、気付いていて?」
「そういえばそうだけど……あたしもそうだし」
「彼は元々、平民出身の従騎士でしたの。――平民の従騎士でなければ“騎士”に取り立てることもできなかった。それが、わたくしの帝国での立場でした。もっとも、彼があれほどの使い手に成長してくれたことは、嬉しい誤算でしたわ」
貴族の子弟を騎士として傍に置くことは、“皇女”でさえ許されなかったのだ。身分が大きく違う平民の従騎士をしてやっと、“皇女の戯れ”として連れ歩くことが叶った。しかしそれは騎士というよりも、まるで愛玩動物のような。
「ふーん……でもさ、そんな状態じゃシアって、あの施設とかもあんまり使えなかったし、勉強とかもさせて貰えなかったんじゃないの? 帝都ごと吹っ飛ばすような魔法なんて、よく使えたわね」
「その点については、それまでの日々の積み重ね、ですわね」
「へー、やっぱお姫様だと勉強とかするんだ」
「否定は致しませんわ。あの時代、勉学というのは王侯貴族の特権というところもありましたし。平民はある程度の年齢になれば、親の職の跡継ぎなりどこかに奉公に出るなりして、働き始めるのが普通でしたもの。ダンテについては、後者に近いですわね。初めは一般兵士として城に上がりましたけれど、剣の素養を見込まれて、当時の騎士の一人が従騎士に取り立てましたの」
あの時代、平民出身の騎士はさほどの出世は望めず、城下の治安維持や宮殿――それも外に近い区域の警備の任がせいぜいだった。宮殿の中枢に近い区域の警備や、皇族に付くような近衛などは、貴族の家柄の出でもなければあり得なかったのだ。だがその近衛も、“個人”の護衛に当たるのは男性皇族のみであり、妃や皇女には護衛が付かなかった。彼女たちは宮殿の奥に篭っているのが当時の常識であり、護衛も宮殿を警備していれば事足りたのだ。ゆえに、レティーシャがダンテを自らの騎士に任じたところで、それは単なる戯れとしか認識されなかったのだ。
そう、あの当時は誰も、予想だにしなかった。
彼が《剣聖》の名を後世に残すほどの卓越した剣士となり、連合軍に《死神》とまで恐れられる存在になろうとは。
「……もっとも、彼自身の名も歴史には残りませんでしたけれど。残ったのは《剣聖》や《死神》という呼び名だけ。わたくしたちが生きていた証は、どこにも……」
あの頃に歴史に名前が残るのは、皇帝や皇子、男性貴族辺りまでだったろう。皇女であったレティーシャや、平民出身のダンテの名は歴史の波に埋もれ、後の世には伝わらなかった。
彼女たちが確かにあの時代を生きた、その確たる証は――歴史のどこにもない。
「その点で言えば、今の世は進みましたわね。メリエ、あなたの名もおそらく、歴史に残りましてよ」
「どうせ悪名でしょ。アルヴィーならともかく」
肩を竦め、メリエはその一言で終わらせた。歴史に残るのが悪名だろうとどうだろうと、彼女にはどうでもいいことだ。
「にしてもさ。話逸れたけど、そのナントカ会議っていうの、どうするの? 邪魔する?」
「不要ですわ。会議はマジックアイテムを使った遠隔通信ですし、内容も見当は付きますもの。わざわざ大陸をあちこち飛び回る手間を掛けるまでもありません」
「そ。なら放っとくわ」
自分の出る幕ではないとなると、メリエの興味は急速に失われた。さっさと踵を返し、その場を立ち去る。
「……ですが、それまでに少し“種”を蒔くくらいのことは、しておいても構わないでしょうし」
そう呟いて、レティーシャは壁に目をやる。そこには、額縁に入った世界地図が掛かっていた。大陸北部から中央部を占めるクレメンタイン帝国の部分を、そっと指でなぞる。そしてその指先は、山脈部を伝うようにして大陸の右下――ソルナート王国の部分まで滑った。
「百年前には他人事だったようだけれど……今回はどうかしらね?」
小さく笑いを漏らし、彼女は地図から指を離すと、ふわりと身を翻してそこを後にする。世界地図の一点、ちょうどレティーシャが指を当てていたところだけが黒く焼け焦げ、そこにあった印を潰していた。
そのすぐ下には、地名の記述がある。
【ソルナート王国 王都アクアリオ】と――。
◇◇◇◇◇
ソルナート王国王都・アクアリオ。この街は他には見られない、大きな特色を持つ。
王都が広大な湖の中に浮かぶ島に置かれているのだ。
かつて王国を興した王家の祖は、世界でも最も安全な王都を築こうとした。そこで選ばれたのが、この湖の中に浮かぶ島々だったのだ。
王城は島の中でも最大の面積を持つアクアリオ島に建てられ、周囲の島々とは橋や連絡船で結ばれている。そのため王都アクアリオは、西の“水の都”ヴィンペルンに対し、“湖都”の名を冠されていた。
「――ほう、《大陸君主会議》が開かれるか」
執務室で宰相からその連絡を受け、ソルナート国王クラウディオ・リガ・レイ・ソルナートは、その藍玉のような薄青の双眸をすがめた。癖のない黒髪を肩下で切り揃え、切れ長の目と薄い唇が、どこか冷たい印象を与える。今年ちょうど三十の年を迎えるが、実年齢より五歳ほど若く見える青年だ。
「は、左様でございます。リシュアーヌより、先ほど使いが参りまして……」
「ふむ……前回の会議はちょうどわたしが生まれた頃であったか?」
「はい、そのように記憶してございます。例の、我が国の領海内のカリヴィエント群島に巣食っております、海賊どもへの対処が議題でございました」
「まったく、あの海賊どももいくら退治しても、後から後から湧いて出てきりがない……あの島はさほどに住み心地が良いのだろうかな」
「少なくとも、外部から攻め入ることは難しゅうございますゆえ。――ですが、以前にファルレアン王国の領海内で、その海賊どもの一部と思われる者どもが、商船を襲ってファルレアンの騎士団に拿捕されたとの話も聞き及んでおります。そろそろ、討伐隊を差し向けて然るべきかと……」
「なるほど。では、細かい差配は任せる。根絶やしとは行かぬだろうが、できる限り数を減らせ。飛竜を使っても構わぬ」
「は、承りましてございます」
一礼した宰相に軽く頷き、クラウディオは話を戻した。
「此度の議題は……さしずめ《クレメンタイン帝国》関連というところか」
「おそらくは」
「といってもな……我が国はさして影響は受けておらんし。――ああ、ポーションの件があったな」
「はい。現在、残るポーションの一部を分析し、原料やレシピを探っておりますが、なかなか思うに任せませぬ」
「さもあろうな。サングリアムが頑なに隠し通してきた秘密だ。そう簡単には暴けまいよ。だが、ポーションの自国製造ができればその利は計り知れぬ。期待しているぞ」
「は、必ずや結果を出して見せましょうぞ」
「うむ。――ひとまず《大陸君主会議》への参加の是非は、しばし待て。ぎりぎりまで状況を見極める。リシュアーヌの使者も、即答は求めていないのだろう?」
「左様でございます」
「では、他国の出方を見極めさせて貰うとしよう」
足を組み、クラウディオは皮肉げに薄く笑う。現在、大陸中央部の国々が《クレメンタイン帝国》と緊張状態にあるのは、放っている間者などの情報から理解はしていたが、やはり大陸の端にあるという立地上、緊迫感は薄かった。こと、大陸両端にあるソルナートとアルシェントは、百年前の帝国との対戦にも参加せず、いわば高みの見物を決め込んでいたのだ。
(クレメンタイン帝国と領土を接している国は、必死にもなろうがな。我が国はファルレアンとリシュアーヌという“盾”がある。帝国が動き出すとしても、まず当たるのは周辺の国々だろう。――それにしても、百年も経ってから動き出すとは、帝国も存外しぶとい……)
面白くもないといった様子でため息をつき、クラウディオは肘掛け椅子に身を預ける。
「万が一、また百年前の大戦を繰り返すというのなら……我らもそれに備えねばならぬからな」
「御意にございます」
呟きのような主君の声に、宰相は深く一礼して賛意を示すのだった。
◇◇◇◇◇
《大陸君主会議》開催の呼び掛けを受け、女王アレクサンドラは参加を即決した。
「――リシュアーヌから呼び掛けのあった《大陸君主会議》、我が国も参加するわ。先方にはそのように返事をしておいて」
「は、畏まりました。では、専用アイテムへの魔力の充填を始めねばなりませぬな」
「そうね。マジックアイテムであれば、魔法技術研究所の領分かしら? グエン所長に連絡を」
そんなわけで、会議用マジックアイテムへの魔力充填の依頼が、王立魔法技術研究所に飛んだ。そして所長たるサミュエル・ヴァン・グエンはそれをそのまま、アルヴィーに丸投げした。
「――というわけで、こいつへの魔力の充填を頼むよ。なに、魔力の属性がどうであろうと、このアイテムの方で無属性に変換してしまうからね。魔石の魔力は使い切ればそれまでだが、君は魔力集積器官があるから、理論上は無限に近い魔力を保持しているようなものだ。これだけのアイテムを長期間使用するための魔力を注ぐには、魔石がいくらあっても足りない。節約に協力してくれたまえ」
「……何か前にもこんなことあった気がする……」
にこやかなサミュエルに、アルヴィーはげんなりとひとりごちた。要するに、再利用可能な魔石という位置付けである。
まあ、レドナで魔物の召喚に使われた時とは違い、今回のこれは平和利用だ。魔力を自分以外のものに注ぐことも、卵時代のアゼルアリアで経験済み。問題なくやれるだろう。
そう結論付け、アルヴィーはその対象たるアイテムをしげしげと見やる。
騎士団などが通信のために使っている水晶板は、成人男性が一抱えするくらいの大きさだが、今回使われるものは桁が違った。縦横は通常のものの約二倍、つまり面積は約四倍。厚みも十セトメルを超えている。表面には気が遠くなるほど精密な魔法陣が彫り込まれ、彫られた線には銀が詰められていた。製作方法はアルヴィーが別大陸で転移陣を敷いた時と同じようなものだろうが、ここまで精緻な陣など描ける気がしない。
「うわぁ……何か、掛かった手間想像するだけで気が遠くなるな」
「分かるかね! この精緻極まる陣、均一に詰められた銀、そして何よりこれだけの大きさの水晶の一枚板を切り出す技術! さすがクレメンタイン帝国製というところか」
「え? これクレメンタイン帝国が作ったやつなの?」
「無論、百年以上前の“旧”帝国時代の話さ。《大陸君主会議》のためだけに作られた特別製だ。それまでは会議のたびごとに開催国に出向いていたのだそうだよ。当然、旅費・人件費等で大出費だ。それが魔力の充填程度のコストで済むようになったんだから、画期的なアイテムだね」
「へえ……」
アルヴィーはしげしげとマジックアイテムを見つめた。騎士団の通信設備は使ったことがあったが、あれはあくまでも国内の連絡用だ。大陸の各国を結ぶような長距離通信など、想像だにできなかった。
「……やっぱ、凄かったんだな。クレメンタイン帝国の技術って」
「もちろんさ。百年以上前に、こんな高度な術式を組み込んだマジックアイテムを、しかも各国分作って寄越すような国だよ。まったく、当時の魔法技術が後世に伝わっていないのが、つくづく勿体ない」
サミュエルがやるせないと言わんばかりのため息をつく。
「まあ、ある意味で帝国の“最新技術”は君自身ということになるのかもしれないがね」
その言葉に、アルヴィーは肩を竦める。
「……かも、ね」
「おや、興味はないのかい。自分自身のことなのに」
「俺は俺だし。それに正直、あんまり思い出したくないかな」
「それは失礼」
アルヴィーがレクレウスで受けた施術のことは、サミュエルも聞いている。思い出したくない気持ちは良く分かった。
「……ま、お喋りはこれくらいにして、と」
雑談を切り上げ、右腕を戦闘形態に。右肩の魔力集積器官で周囲の魔力を掻き集め、アゼルアリアの卵の時を思い出しながら、マジックアイテムに注ぎ込む。
「うぉ……」
だが、想像以上の勢いで吸われていく魔力に、思わず呻いた。
「何だこれ、アゼルアリアの時よりすげーんだけど!」
「まあ、大陸規模の通信網のためのアイテムだからね。必要な魔力も莫大なものだよ。《上位竜》とはいえ卵状態の子供とは、必要量が比べものにならないさ」
しれっと言うサミュエル。実際、竜の子供が育つために魔力を必要とするといっても、それは育つ過程で徐々に量が増えていくものだ。最初から最大量をガンガン吸収するマジックアイテムとはまったく別物である。
「無論、一度で満杯にしてくれなんて無茶は言わないさ。他国もそれなりの時間を掛けて充填するからね」
「そりゃ、そうだろうな……!」
アルヴィーでさえこんな状態なのだ。常人が同じことをすれば、一瞬で魔力を吸い尽くされるだろう。
結局、三分の一ほど充填したところで一旦切り上げることとなった。とはいえ、サミュエル曰く、一度で三分の一も充填できたこと自体が、通常では考えられない効率の良さだそうだが。というかそう言った彼の顔が引きつっていたのは、決してアルヴィーの気のせいではあるまい。
何となく釈然としない気分だったが、ひとまず研究所を後にした。
「――きゅきゅーっ!」
「あ、こら、うろちょろすんな」
預けていたフラムを受け取ると、早速頭から肩からちょろちょろし始めたので、胴体を引っ掴んで止める。定位置である肩に置き直すと、そこで落ち着いてアルヴィーの頬に頭を擦り付けてきた。
「……そうだ、どうせだからフォリーシュのとこにも顔出してくか」
レクレウスでの一件でアルヴィーに懐いた地精霊の少女は、現在研究所の薬学部敷地内にいる。せっかくここまで来たのだから少し足を伸ばそうと、そちらに足を向けた。
薬学部の敷地内にある小さな森には、畑や木陰など、その生育環境に合わせた薬草類が植えられ、風にそよそよと揺れている。そんな木立の一本、梢に腰掛けて足をぶらぶらさせていたフォリーシュが、アルヴィーに気付いてひょいと飛び下りた。
『アルヴィー! 久しぶり』
「ああ、なかなか顔出せなくて悪かったな」
『へいき。色々あったの知ってるし』
何しろこの間まで別大陸に飛ばされていたのだ。顔を出すどころの話ではない。
トコトコと歩み寄って来た彼女は、アルヴィーの上着の袖をきゅっと掴む。
「ん? どした?」
『こっち。せっかくだから、お出かけしよう?』
フォリーシュに袖を引っ張られてついて行くと、いつの間にか見覚えのある場所に足を踏み入れていた。
透明な結晶の群生からそそり立つ巨木、その根元から湧き出る清らかな泉。精霊の森だ。
「おー、久しぶりだな、ここも」
『きゅきゅっ』
フラムはまた水が飲みたいらしく、嬉しそうに尻尾を振っている。
「そういや《樹精の女王》、元気にしてっかなあ」
彼女をここに“植樹”したのはそう前の話ではないが、大地や樹木の精霊にとってここは力溢れる地だ。多少なりとも回復しているだろう。
いい機会だから様子を見て行くかとそちらに向き直り――アルヴィーは目を見張った。
「……え?」
『ふうん。おまえもここに来られるのか』
植えた時より少し枝葉を増やしたように見える《神樹》――その前にいつの間にか佇んでいたのは、地の大精霊クスィールだった。もっとも、アルヴィーはその事実を知らないが。晩餐会からこっち、ルシエルたち一二一魔法騎士小隊と会う機会がなく、彼らが知る情報はアルヴィーには伝わっていなかった。
とはいえ、当たり前のように突然この場に現れた以上、彼――もしくは彼女――もまた、人ならぬ存在には違いない。
「ええと……あんた誰?」
『なるほど、おまえか。あの陣を敷いたのは』
アルヴィーの誰何は丸無視して、クスィールは得心が行ったように頷く。
と、アルヴィーの裡でアルマヴルカンが告げた。
『ほう……地の大精霊がここにいるということは、かの大陸の歪みはおさまったということか』
「…………はあ!?」
アルヴィーはクスィールを二度見してから、素っ頓狂な声をあげた。
「地の大精霊って、別大陸で見た、あそこの?」
『あの渦中にいたのが、そこの精霊だ。直接に見えるのはこれが初めてだが、力の質が同じだ。まず間違いあるまい』
「いや、つーか何でそんな人……いや、人じゃねーか。とにかく、何でそんな相手がここにいんの?」
すると、クスィールが自慢げに胸をそびやかす。
『当たり前だろう、ここは我々地属のものの領域だぞ? そもそもわたしは地精霊を統べるもの。この世界の大地であれば、瞬き一つでどこにでも行けるわ』
「はあ、なるほど……」
言われてみればその通りだと、アルヴィーも納得した。
『……しかし、これも曲がりなりにも、我々同様神々より世界の管理を委ねられたものの一柱。一体どういう理由で、このような有様になっているんだ?』
首を傾げたクスィールに、説明しようとアルヴィーが口を開きかけた時。
『――ちょっとー!! 黙って聞いてれば“曲がりなりにも”とは何よ! わたしは正真正銘、神々から力を貰って《神樹の森》の管理を託された女王なのよ!!』
ぴょこん、と音でも出そうな勢いで、《樹精の女王》が姿を現した。
『ふむ? なかなか面白い姿になったな』
『わぁるかったわねぇ、あんたが千年引きこもってる間、こっちは酷い目に遭ったんだから!――あら』
肩を怒らせてひとしきり喚いた《樹精の女王》は、そこでアルヴィーに気付いたようだった。
『久しぶりね……え? あなた、それ、その眼――』
さすがに、アルヴィーが今どういう状態にあるのかを、彼女は一目で見抜いたようだ。双眸を鋭くすがめる。
『……わたし、ちゃんと忠告したはずだけど? どうして余計に、火竜に侵食されてるのかしら』
「いや……まあ、色々あってさ。わざと忠告を無視したわけじゃないんだけど」
アルヴィーは肩を竦める。紛うことなき事実だった。ただ、彼が意識を失っている間に、アルマヴルカン(本体)が同意なしに血肉を移植してきただけである。まあ、それがなければ死んでいてもおかしくなかった状態だったらしいので、今さら咎める気もないが。
《樹精の女王》はじとりとアルヴィーを見やったが、やがてため息をついた。
『……仕方ないわね。なってしまったものはもうしょうがないし……今のところ、炎に喰らわれることもなさそうだわ』
「……何か今、物騒なこと聞いた気が」
『だって、人間が竜の欠片を体内に宿しているのよ? 普通は即発狂ものよ。あなたが今、正気でいるのはほとんど奇跡みたいなものなんだから。しかも、炎の力が増えたのにまだ正気のまま……ねえ、あなた本当に元々人間?』
「元々も何も、現役で今も人間だよ!?」
人間であることを疑われたのはもう何度目かになるが、自分はそんなに異常なのだろうか。
何となく釈然としない気分になったが、多分言っても無駄なので黙った。
『ふむ』
と、いきなりクスィールが顔を覗き込んできたので、思わず仰け反る。
「急に何だよ?」
『いやなに、竜の魂を抱えて正気のままの人間なんか、初めて見たからな。もっとも、ここ千年はずっと地の底にいたが』
「……なんか、大変そうだったんだな……」
自分がそんな状況に置かれたら、早々にキレる自信がある。アルヴィーはしみじみ同情した。
『確かに容易いことではなかったが、これも神々より託されたわたしの役目だ。――役目“だった”がな』
クスィールは自嘲するように小さく笑って肩を竦めた。
『……だがそれも、もう終わった。――《見守るもの》によってな』
「何だそれ?」
アルヴィーが首を傾げると、クスィールの双眸が鋭くすがめられた。
『かつてこの世界を去った神々の一柱……そして、最後までこの世界を見守り続けたものだ』
「ふーん……でも、何でそれで役目が終わっちまったわけ?」
『わたしもそれは聞きたいわ。どうして今になって《見守るもの》なんてものが出て来るのか』
《樹精の女王》も話に首を突っ込んでくる。クスィールが顔をしかめた。
『……いきなり現れた《見守るもの》が、わたしが押し留めていた空間の歪みを消し飛ばした。その後はどこへ行ったのか知らないが……それで役目がなくなったわたしは、あの地を離れてみたというわけだ』
『《見守るもの》が? 一度離れた世界に、また現れたっていうの?』
『ああ。どういうつもりかは分からないが』
『……来たのは《見守るもの》だけ?』
『そうだ。来るとしたら《見守るもの》か《紡ぐもの》だろうが、《見守るもの》の方ならこの世界に干渉はしてくるまい。その名の通り、見守るだけの神だ』
「見守るだけ?」
『ああ……そうか、人間は神代を知らないものな』
アルヴィーの疑問に、クスィールがふむと頷く。
『神々は我ら精霊や幻獣、その他の数多の命を作ったとはいえ、極力干渉はしなかった。この世界という箱庭の中で、それぞれの種がどう変化するか観察していたんだろう。だが千年前にそれにも区切りを付け、世界の管理を力あるものたちに任せてこの世界を去った。――だが、すべての神が意見を同じくしたわけではないと聞いている。先に名を挙げた二柱は、最後までこの世界を離れることを良しとしなかったそうだ』
「へー……けど、最終的にはその神様もどっか行っちまったわけだろ?」
『仕方のないことではあったがな。二柱だけ残るというわけにもいかなかっただろう。神々にもそれぞれ役目がある。《見守るもの》は神々が人の世界を見るための“目”を務め、《紡ぐもの》は人の歴史を紡がせるものだ』
「……ふーん」
何だかスケールが違い過ぎて、アルヴィーにはよく分からなかったが、とりあえず相槌を打っておく。
「……そもそもさ、神様って何なんだ? 今の俺たちがいる世界が無事ってことは、いなくてもあんま関係ないみたいだけど……」
『神々というのは世界を創り、育てるものだ。まあ、ある程度まで育てれば飽きるようで、次の世界を創りに行くらしいが』
「……飽きるのか?」
『飽きるそうだ』
重々しく頷かれた。
「……え、じゃあ、神様って世界創ったら創りっぱなし?」
『消されても困るだろう』
「まあ、そりゃそうだけど」
確かに飽きたからといって世界ごと消去されては堪らないが、せめて自分の創造物にはもう少し責任を持てと言いたい。
何だかなあ、としょっぱい気分になったところで、クスィールが補足した。
『そもそも、その後に世界の運営を託すために生み出されるのが、我らのような存在だ。そこの苗木も含めてな』
『むう……確かに今は苗木だけど、見てなさい! あと百年もすれば、立派に神木に返り咲いてやるんだから!』
「百年かあ……俺多分、その頃はもう生きてないけど、頑張れよー」
『あら、百年なんてあっという間よ? あなたならその気になれば三百年くらい行けるかもしれないわ、そっちこそ頑張りなさいな』
「いやいやいや、俺まだそこまで人間辞めてねえから」
アルヴィーは可及的速やかに否定した。最近、人間以外の相手に会うたびにそんなことを言われるが、自分はそんなに人間離れしてきているのだろうか。ちょっと心配になってきた。
『まあいい。わたしはもうしばらく、ここを拠点にあちこち回ってみることにしよう。――あまり長居していては、そこの娘が委縮するからな』
「え?」
クスィールがちらりと目をやる方を見れば、フォリーシュがアルヴィーの陰に隠れるようにして、上着の裾をぎゅっと掴んでいる。そういえば、地の大精霊であるクスィールは、彼女にとって格上の存在だ。
「あ……それもそうだな」
『そもそも、おまえのような人の身で、わたしたちのような存在に畏怖を抱かない方が異常なんだ』
「あー……そこはもう慣れっつーか……」
我ながら対人外経験値の上がりっぷりが恐ろしい。遠い目になったアルヴィーを不思議そうに見やって首を傾げつつ、クスィールはその場から姿を消した。
『……さて、と。もう行ったわよ、お嬢ちゃん』
《樹精の女王》の声に、フォリーシュがおずおずと顔を覗かせる。
「大丈夫か?」
『うん……でも、大精霊様に会うなんてそうそうないから、緊張した』
「あーまあ、そりゃそっか。――でも、ファルレアンの王城には、風の大精霊がちょいちょい来るだろ?」
『あの方は森にはそんなに来ないし……』
『まあ、風の大精霊は人懐こいものね。あまり威厳はないわ』
《樹精の女王》がズバリと言い切った。アルヴィーも彼女との邂逅を思い出し、胸中で同意する。
『クスィールはあまり周りと馴れ合おうとしないから、地属性の精霊でさえ近寄り難いのは分からなくもないわ』
『うん……』
だが、フォリーシュの表情は翳ったままだ。アルヴィーが首を傾げていると、彼の中のアルマヴルカンがこれまたズバリと言い放った。
『大方、大陸規模で地脈を歪めるのに荷担させられたことに怯えているのだろう。わたしに言わせれば、あれは地の底で空間の歪みを抑えるのに手一杯であったろうから、別大陸の地脈など知ったことではなかっただろうが』
「……あ」
アルマヴルカンの指摘に、アルヴィーも思い当たる。彼女はレティーシャが行使した大陸規模の術式に使われ、唯一生き残った地精霊だ。
「そっか……怒られると思ってたのか?」
『だって、大精霊様が千年も地脈を守っていたのに……わたしたちは、それを歪めるのに使われた』
「でも何も言わなかったってことは、アルマヴルカンの言う通り、気付いてないんじゃないかと思うけど。――それにあれは、フォリーシュのせいじゃないだろ」
『でも……』
しゅん、と項垂れるフォリーシュに、《樹精の女王》はむう、と眉をひそめる。
『ふーむ……まあ、怒られるかどうかはともかく、そのことはクスィールにちゃんと伝えておきなさい。精霊を使って大陸規模の地脈に影響を及ぼせる術式の使い手の存在を、地属の大精霊が知らないってわけにもいかないじゃない。言っておくけど、風精霊から情報が伝わるなんて期待はしない方が良いわ。風精霊は訊かれたことしか喋らないもの。得られる情報が“多過ぎる”から、かえって何が重要な情報かなんて判断しないの』
《樹精の女王》の言葉に、フォリーシュはおずおずと頷いた。
『……分かった』
『まあ、あいつはもう行っちゃったし……次の機会ね』
小さな肩を竦めて、《樹精の女王》はすとんと自身の梢に座り込んだ。
『……さて、わたしももう少し眠るわ。あなたたちも、用が済んだら帰りなさい』
そう言うと、その姿がすうっと消える。宿る樹の中に帰ったのだろう。
「……そういやフォリーシュ、結局俺たち何しにここ来たんだっけ?」
『……お出かけ』
「ああ、そうだったっけ……帰るか?」
『……うん』
濃い相手に会って濃い話を聞かされたせいで、あまり気分転換にはならなかったが。
結局、泉の水を水筒に詰めるだけ詰めて、アルヴィーはフォリーシュともども森を後にしたのだった。




