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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十七章 世界の真実
132/136

第131話 来訪者

 ファルレアン王国南部、港町ミトレアからさらに南の海上――かつて“霧の海域”と呼ばれたそこに位置する島で、島に宿る地精霊・シュリヴは不意にはっと顔を上げた。

『――なに、これ!?』

 驚きつつも瞬時に島全体に結界を張るのは、さすがに高位精霊というところ。結界を張り、共に島に住まう水竜マナンティアルにも警告を飛ばす。

『気を付けろ! 来るよ!』

『心得ておる』

 たおやかな声と共に、ざわり、と海面がざわめいた。


 そして次の瞬間――遥か彼方から海底をはしってきた光が、シュリヴの結界と激しく衝突した。


『っ、これって……!』

『地脈の力か。ならばわらわより、そなたの方が適任であろ』

『分かってる!――とりあえず“散らす”よ!』


 シュリヴが地脈を操り、その力を分散させて逃がす。散らされた力の一部は海を掻き回し高い波を立てたが、そちらはマナンティアルによってすぐに鎮められた。

 力の奔流ほんりゅうは一瞬で、大地と海はすぐに平穏を取り戻す。水平線の彼方をにらみながら、シュリヴが呟いた。

『何なんだ、あれ……かなり遠くから来た力っぽかったけど」

『ふむ、妾も左様に思う。あまりに遠過ぎて、大元の場所までは掴めなんだが』

『だけど、自然現象じゃなさそうだ。あんな地脈の暴走が起きるような状態になったら、この辺りにも何か影響が出てないとおかしいからね。そんな兆候は今の今までなかった』

 シュリヴはかぶりを振った。彼が守護するのはこの島だが、その外に力や感知が及ばないはずもない。

 ふうむ、と思案気にうなったマナンティアルが、


『……ことに先の力、どこまで抜けたものかの』

『ここで散らしたし、大陸にまでは届いてないだろ。――まあ、アルヴィーの中にいるあの火竜や、周りをうろついてる地精霊辺りなら感知しただろうけど』

『それなら良いが。一応、知らせておいてやるが良かろ。アルヴィーは何の因果か、こういった変事によく巻き込まれるゆえにな』

『……しょうがないな』

 口ではそう言いつつも、シュリヴは目を閉じてアルヴィーに渡した結晶の気配を探る。


『――気を付けなよ、アルヴィー。今、地脈を通って妙な力がこっちまで来た』


 急に聞こえたシュリヴの声に、非番で自宅にいたアルヴィーは、ゴロ寝していたベッドから飛び起きた。

「何だそれ!? そっちは大丈夫なのか!?」

『ふん、当たり前だろ。僕は高位精霊だぞ! 地脈を操作するくらい簡単なんだからな』

「……でも、こっちは別に地震も起きてないし、地脈が光ったりもしてないぞ? そっちだけか?」

 アルヴィーが首をひねっていると、


『わずかな余波なら、わたしも感知した。どうやら大元は以前よりも遠そうだな。そのせいで、主殿には感知できなかったのだろう』


 さらっとアルマヴルカンが言ってのけた。さすがの人外である。

「あん時より遠いって……どんだけだよ!?」

『マナンティアルもそんなこと言ってたよ。海底の地脈通ってきたし、多分力の元は、こっちの大陸じゃなさそうだけど』

『あの風の娘なら、正確な位置も掴めるだろう。風精霊らは文字通り、世界中を飛び回っている』

「あ、そっか!」

 アルマヴルカンのもっともな意見に、アルヴィーは確かにと頷くと、制服を引っ張り出して身支度を始めた。

「――とりあえず、騎士団に報告出してくる。そしたら女王陛下にも情報上がるだろうし」

 早着替えは騎士団のお家芸のようなものだ。――まあ、貴族ともなれば身支度など使用人に手伝わせるものなのだが、生憎あいにくこの屋敷の使用人の数は最低限以下だし、そもそも自分でできることは自分でやるのがアルヴィーの身上モットーだ。

「……そういや、何でわざわざ知らせてくれたんだ? いや、有難いけどさ」

 慌ただしく自室を出ながらそう尋ねると、シュリヴはドヤ顔が容易に想像できる声音で、


『だっておまえ、こういうことによく巻き込まれるじゃないか!』

「……うん、否定はできない。できないんだけどさ……」


 厳然たる事実。

 返す言葉もなく、がくりと項垂うなだれるアルヴィーだった。



 ◇◇◇◇◇



 大陸の北、クレメンタイン帝国帝都・クレメティーラ。

 人も建物も増え、ずいぶんと街らしくなってきたその光景を、メリエ・グランは城内の塔の天辺に腰掛けて眺めている。

(――ふうん。大分、街っぽい感じになったじゃない)

 元々はレクレウスの地方都市出身だった彼女にとって、それはむしろ馴染みのある風景だった。竜の血肉によって底上げされた聴覚は、こんな場所からでも街の喧騒けんそうを拾い上げる。

 だが――と、そこで彼女は眉をひそめた。


(……でも、この辺りで街らしい街って、まだここだけよね。その程度で、シアはどうするつもりなんだか)


 再興を宣言したとはいえ、ほとんど一から立て直しに近い形のクレメンタイン帝国は、人口・国力共に他国にはまだまだ及ばない。三公国を支配下に組み込んだとはいえ、大規模な経済活動など期待するべくもなかった。唯一商品となり得たポーションは、他ならぬレティーシャの意向で生産施設ごと潰している。

(どうする――っていうか、何がしたいのか分かんないのよね)

 レティーシャの思考は、メリエにとっては先を行き過ぎて、理解できないことが多い。もっとも、メリエとて別段、理解したいとは思っていなかったが。彼女はただ、自分の力を思う存分振るえれば、それで良いのだ。

 幅のない胸壁の上にひょいと立ち上がり、メリエはすう、と目を細める。


「……っていうかそもそも、“人もどき”が多過ぎるしね」


 かつん、とブーツの踵が苛立たしげに足元を打つ。

 帝国の再興を宣言したレティーシャは、様々な施策と並行して、人造人間ホムンクルスの“生産”に力を入れていた。確かに、短期間に人口を増やすには有効かもしれないが、何しろ彼ら(ホムンクルス)は感情というものに乏しく、見た目も似通った者が多いせいで、傍から見ると奇妙な存在に映るのは否めなかった。《薔薇宮( ローズ・パレス)》の使用人などほとんど人造人間ホムンクルスだ。機密を多く扱う都合上、創造主であるレティーシャに忠実であるのは絶対条件だろうが、できれば外見にもう少し多彩さ(バリエーション)が欲しい。さすがに街中に配置した者は、ある程度容姿をいじってあるようだが。

(そう考えると、やっぱあの人型ってヤツは特別なのか)

 ちらりと視線を下げたその先、銀髪の群れを見つけて、メリエはそこに目を凝らす。レティーシャが特に力を入れているらしい、人型合成獣(キマイラ)の子供たち。もっとも、その筆頭にしてメリエの同僚たるゼーヴハヤルの姿は、そこにはなかった。彼はむしろ、人型合成獣(キマイラ)たちを嫌っている。

(同族嫌悪……っていうか、ただ単にお友達(オルセル)を取られるのが嫌なだけ、って気もするけど)

 銀髪の群れの中に唯一、目立つ黒髪を見つけ、メリエは軽く胸壁を蹴った。


「――わっ!?」


 急に目の前に飛び下りてきた彼女に、人型合成獣(キマイラ)の世話役であるオルセルが目を見張る。主であるレティーシャのそれに似た、群青の瞳が数度瞬き、意外な闖入者ちんにゅうしゃを見つめた。

「えっと……何か?」

「別に。――あいつはやっぱいないんだ? ゼーヴハヤル」

「ゼルは仕事もありますし……暇な時は大体、ミイカと一緒にいるので」

「そ。けどよくやるよね、子供の世話なんて。あたしダメだわ」

 四方八方から話しかけられたら、鬱陶うっとうしさのあまり戦闘形態の左腕で薙ぎ払ってしまいそうだ。肩をすくめるメリエに、オルセルは困ったように曖昧な笑みを浮かべた。

「まあ、それは人によりますし……僕は兄弟がいたので、子供の扱いはそこそこ慣れてますし」

「ふうん……何よ、やるの?」

 いつの間にか子供たちが剣呑けんのんな気配を漂わせ、オルセルを守るようにメリエとの間に入り込もうとしていた。そんな子供たちを、すみれ色の双眸がじろりと睨む。慌ててオルセルが割って入った。

「ああ、ごめんなさい!――ほらみんな、大丈夫だから!」

 ためらいもなく子供たちの肩を抱えて、自分の方へ引き戻そうとするその振る舞いに、メリエは純粋に興味を覚えて尋ねた。


「ねえ、あんたさ、怖くないの、そいつら」

「どうして?」


 返答は、人好きのする微笑だった。


「だって、この子たちはまだ子供ですよ」

人造人間ホムンクルスで、あんたよりずっと強いのに?」

「強いから、その力の使い方をちゃんと教えておかないと。――僕は、この子たちを不幸にしたくないんですよ」


 子供たちの肩に手を置き、オルセルはふとその瞳をかげらせた。


「ああ、でも――“その時”が来たら、僕はこの子たちに“戦え”って言わなきゃいけないんですよね、きっと。分かってます、それが僕の役目だ。どの道、僕ももう手を汚してますし」

「そうなの?」


 虫も殺せなさそうなおとなしげな少年の意外な言葉に、メリエは目を瞬かせる。

「ふーん……あんたひょろっちいだけかと思ったら、案外肝据わってんのね。嫌いじゃないわよ、そういうヤツ」

「え、ええと……どうも……」

 褒めたつもりだが困惑された。まあどの道、メリエにはどうでも良いことだ。

「ま、いいけど」

 肩を竦め――。


「――――!?」


 弾かれたように空を振り仰いだメリエに、オルセルがぎょっとして尋ねた。

「ど、どうかしたんですか?」

「今――何か」


 かすかな、ほんのかすかなものだったが、“何か”がメリエの知覚をすり抜けて行ったような――。


 だが、どれだけ辺りを探っても、不自然な気配は感じられなかった。

(気のせい……だった?)

 なおもしばらく周囲を探り、だが何も見つけられなかった彼女は、肩の力を抜くとかぶりを振った。

「……何でもない。多分勘違いだった」

「そう、ですか……」

 オルセルは周囲の子供たちに目配せをしたが、彼らもきょとんと目を瞬かせるばかりだ。オルセルよりよほど感覚が鋭い彼らも何も感じなかったのなら、メリエの言う通りなのだろう。

「じゃあ……僕はこれで。失礼します」

 会釈して、オルセルは子供たちを連れて行く。メリエは彼らから視線を外すと、もう一度空を見上げた。


(……気のせい、かなあ?)



 ◇◇◇◇◇



 水音だけが空間を支配する、《薔薇宮ローズ・パレス》地下研究所。その中空に突如、一筋の切れ目が入る。

 そこからずるりと現れた巨大な“眼”――その虹色の光彩が、上下にきょろりと動いた。


『――新規生命体群ヲ確認。解析ヲ開始スル』


 そのままゆっくりと回転を始めた“眼”は、時折瞳孔にちらちらと光を瞬かせる。それはほんの数瞬で終わり、“眼”はまた元の位置に静止した。

『解析ヲ完了。各種諸元ノ情報ヲ取得、記録……ナオ、更ニ詳細ナル情報取得ノタメ、さんぷるノ獲得ガ望マシイ』

 きょろり、光彩が下方に移動する。眼下に居並ぶ黒い棺のような水槽、その一つの上にするすると移動した“眼”は、瞳孔を白く輝かせる。

 白い光は見る間に、“眼”全体を包み込むように広がり――そして涙のようにつうっと落ちた。

 真下にある水槽、その中に沈む人造人間ホムンクルスの一体へ。


 ――ばしゃり、と。

 白い光を取り込んだ人造人間ホムンクルスが、その細い腕で身体を支え、水音と共に起き上がった。


 十歳を過ぎたと思しき年頃の、少女の姿をした人造人間ホムンクルスは、ずぶ濡れの全身もそのままにその双眸を開く。まぶたの下から現れたのは、虹色にきらめく瞳だった。銀の髪も根元から色を変えていく。夜空のような宵闇から、毛先は暁の金。夜明けの様をそのまま写し取ったような髪を揺らし、人造人間ホムンクルスはしっかりとした足どりで水槽を出る。

『フム……動作ニ支障ハナイ。更ナル情報ノ収集ヲ開始スル』

 そのままぺたぺたと歩き出した“彼女”は、だが、しばらく歩いたところで立ち止まった。

 その眼前にあるのは、魔法陣で封じられた扉。見つめる“彼女”の瞳孔が白く光り、それが波紋のように光彩に広がって虹色の輝きを零す。


『……おまえ、は』


 中から漏れ聞こえた音ならぬ声に、“彼女”は瞳をきょろりと動かす。

『――既存情報ニ該当有リ。竜種ト判断スル』

『な、ぜ……今になって、この世界、に』

 問いに、“彼女”はことんと首を傾げた。

『観測ノ必要ヲ認メタタメ』

『干渉、するか』

 苦さの混ざった声音に、“彼女”は無表情のまま首を戻す。


『ワタシハ《見守ルモノ(サーヴェイラ)》。スベテヲ観測シ、情報ヲ収集スルタメココニ来タ。ソノタメニ必要ナ最小限ノ干渉ニ留メル』


 およそ感情というものが感じられない、無機質な声でそう告げた“彼女”は、くるりときびすを返した。虚空に指を滑らせれば、その軌跡に沿って空間に生まれる一筋の切れ目。

 そこへひょいと飛び込むと、“彼女”は一瞬にして、その場から忽然こつぜんと姿を消した。


 ――その気配が消え失せたのを感じ、火竜アルマヴルカンは目を伏せる。マジックアイテムをふんだんに使った封印で、竜種たる彼をして身動きするのも一苦労というこの状態も業腹ごうはらだが、何より彼の意志そのものを屈服させようと稼働している術が、忌々しいことこの上ない。

 レティーシャ・スーラ・クレメンタインは確かに人間のはずなのに、竜をすら上回りかねないこの力は、何なのか。

 それに――。


(千年も前にこの世界を捨て置いておきながら、神の一柱が今になって舞い戻って来た? あの女の思惑通りということか、気に食わん……)


 低く唸り、彼はもたげた首を下ろす。《見守るもの(サーヴェイラ)》と名乗った彼女は“観測のため”と言っていた。本格的に干渉するつもりは今のところなさそうだが、それでも神の一柱が一度捨てた世界に舞い戻ること自体が異常だ。つまり、“神が興味を持つほどのこと”が今、この世界で起きている――。


 そこまで考えた時、意識に割り込んでくるようなざらりとした感覚に、アルマヴルカンは不快げに目をすがめた。

(……つくづく不愉快だな、この術式は)

 じわじわとこちらの自我を削ってくるような、性質の悪い術式だ。ただ悪質な術というなら焼き消してしまえば済む話だが、これは意地の悪いことに、術式の対象であるアルマヴルカン自身の魔力を使って稼働するよう、巧妙に編み上げられている。

 アルマヴルカンにできることは、こうして術式の干渉に耐えつつ、術のほころびを探すことくらいだった。


(どんな術式であろうと、神ならぬ身で行使する以上、永遠に稼働し続けるものはない。時が経てばどこかに綻びは生まれる……時間など、こちらにはあってないようなものだ。それまでは付き合ってやるとしようさ)


 アルマヴルカンは黄金の双眸を獰猛どうもうにぎらつかせると、力を温存するべく身を伏せた。



 ◇◇◇◇◇



 アルヴィーから上がった報告は、上官たるジェラルドと騎士団を介してすぐに、王国上層部に伝えられた。

「――では、現時点では国土に被害はないのだな?」

 宰相であるヒューバート・ヴァン・ディルアーグ公爵が、確認するように尋ねる。報告をたずさえてきた騎士団長、ジャイルズ・ヴァン・ラウデールは首肯しゅこうし、

「は。《擬竜騎士ドラグーン》の報告によれば、くだんの現象は遥か彼方で起きた変事の余波であろうとのことです。これは現象を観測した火竜アルマヴルカン、そしてミトレア沖の例の島に宿る地精霊と水竜の見解だそうですが。少なくとも現段階では、彼らの感覚をもってしても、この大陸に被害が及ぶほどの力は感知できなかったとのことでございます」

「ふむ……であれば良いが」

 ヒューバートは顎を撫でながら頷いた。

「ともあれ、大儀であった。何しろ、今はヴィペルラート帝国の第二皇子殿下をお迎えし、大事な時期であるからな。どうしても慎重にならざるを得ん」

「心得ております」

 ジャイルズはこうべを垂れる。このファルレアン王国は大陸の国家群の中でも大国に分類されるが、ヴィペルラートもそれに比肩ひけんする大国であった。何しろ、大陸内での標準貿易通貨(多国間貿易に使用される通貨)の一つ、マルス貨はヴィペルラート帝国の通貨だ。標準貿易通貨とされているのは他に、ファルレアンのディーナ貨とレクレウスのクリーグ貨があるが、クリーグ貨はレクレウスの敗戦を受けて信用度が下がったため、現在はディーナ貨とマルス貨が二強というところである。


「――確認が取れたわ」


 と、そこへ女王アレクサンドラの涼やかな声が割って入った。

「風精霊たちの情報では、やはりこの大陸で起きたことではないそうよ。もう一つの大陸――そちらで、地脈に大きな変動があったと、精霊たちは言っているわ」

 風の下位精霊たちを周囲に纏わり付かせ、長い髪とドレスの裾を緩やかにはためかせながら、彼女はそう告げる。

「もう一つの大陸、ですか……しかし、こちらではほぼ被害がなかったにせよ、大海を隔てたこちらまで余波が及ぶような事態となれば、現地はとんでもないことになっておりそうですな」

「そのようね。付近に火山帯があったせいで、一帯は溶岩の海になっているそうよ」

 アレクサンドラがあっさり言ってのけた物騒な台詞に、男二人は絶句した。

「……それは……また……」

「こちらの大陸で起きたことでなくて、まこと何よりでしたな……」

 ことにヒューバートは領地持ちだ。もし自分の領内で同じことが起きたらと考え、想定される被害の凄まじさにぞっとする。

 と、そこで唐突に風が渦巻いた。


『――エマ! 大変よ!』

「シルフィア?」


 風は淡い緑色の光を帯び、アレクサンドラを取り巻く。彼女を寵愛ちょうあいする風の大精霊は、姿こそ見せないものの焦りを隠せない声で、

『別大陸の地脈の異変は知ってるわね!? あの地脈、この間アルヴィーの帰還に使った転移陣にもかすってるわ!』

「何ですって!?」

 アレクサンドラが鋭く目を細めた。

「そ、それは大事おおごとですぞ……! それでは、転移陣を通ってあちらの大陸の魔物が……!?」

 別大陸には人間が住んでおらず、幻獣と魔物の楽園であることは、シルフィアの言やアルヴィーからの報告で騎士団も把握している。そして、彼の帰還の際に継続使用するための転移陣を、あちらの大陸に設置してきたことも。

 それを知るジャイルズが顔色を変えたが、幸いシルフィアはその懸念を否定してくれた。


『そっちは大丈夫よ。陣は岩山の穴の中だから、凶暴で大型の魔物は入り込めない。でも、王都こちら側の陣は一度、潰しておいた方が良いわね。何が起きるか分からないわ』

「では、演習場の転移陣を管理している部隊に通達致しましょう。一刻を争いますゆえ、御前失礼致します」

「ええ、頼みます」


 アレクサンドラの首肯を受けて、ジャイルズは急ぎ退出した。騎士団本部に戻るや否や、演習場に敷いた転移陣の破棄命令を出す。

「女王陛下よりのご下命だ。早急に対処せよ」

「は、了解致しました!」

 泡を食って駆けて行く部下を見送り、ジャイルズは息をついた。


(とりあえず、応急処置としてはこんなところか……しかし、《擬竜騎士ドラグーン》に設置させた転移陣が、こんな形で裏目に出るとはな)


 元々はアルヴィーの帰還のためのものだが、複数回使用可能な陣にしたのは、人間が存在しない――つまり国という概念もない――別大陸の資源等の調査のため、調査団を派遣することを視野に入れたものだった。もちろんそれは、今日明日の話ではない。少なくとも年単位で先の話になるだろうが、せっかく人力では行けない別大陸に足を踏み入れたのだ。利用しない手はないということである。

 とはいえ、そこから別大陸の未知の魔物が入り込みでもしたら一大事。シルフィアいわく大型の魔物の侵入はまずないといっても、小型かつ凶暴な魔物とて少なくないのだ。しかも別大陸固有の魔物だったりした日には、対応策も分からずお手上げである。転移陣に使った手間や物資は惜しいが、安全とは比べるべくもなかった。

 転移陣のことはそれでしまいとし、別の仕事に取り掛かろうと頭を切り換えた、その時。


「――だ、団長閣下! 大変です!!」


 執務室の扉を蹴破らんばかりの勢いで、一人の騎士が息せき切って駆け込んで来た。秘書役の副官の取り次ぎもすっ飛ばし、敬礼の手も下ろさぬ内から報告を始める。

「さ、先ほどのご命令の通り、演習場の転移陣を破壊しようとしましたところ――て、転移陣が稼働致しまして……!」

「何だと!?」

 王都側の転移陣が稼働したということは、別大陸側の陣から“何か”が転移してきたということだ。ジャイルズの表情が厳しく引き締まった。

「それで、転移して来たものが何かは分かったのか」

「は、それが――」

 騎士は自分でも信じられないといった面持ちで、逡巡しゅんじゅんしながらも口を開いた。


「見かけは人間と変わらぬ姿でありましたが――自らを“地の大精霊”と名乗っておりました!」


 騎士の報告に、騎士団長ともあろう者が、一瞬唖然とした。

「……何だと?」

「い、いきなり転移陣から現れまして……その直後、地面に沈むように姿を消しました」

「――ということは、取り逃がしたということか?」

「も、申し訳ございません!」

 騎士が直立不動になるが、ジャイルズも彼を責めても仕方ないと気を取り直す。地面に沈んで姿を消すとなると、間違いなく精霊だ。《擬竜騎士( アルヴィー)》辺りならともかく、一介の騎士に精霊を取り押さえるなど無理もいいところである。ついつい《擬竜騎士( ドラグーン)》が基準になってしまっていたと、ジャイルズはかぶりを振った。

「いや――それはどうしようもあるまい。だが放っておくわけにいかんのはもちろんだ。すぐに手配を掛けろ」

「は、了解致しました!」

 騎士は弾かれたように敬礼し、急いで退室する。それを見送り、ジャイルズはため息をついた。


(“地の大精霊”か……まさかこの年になって、こうも竜だの精霊だのに関わることになろうとはな)


 大元の原因には見当が付くが、彼としても不本意ではあろうから、責めるのは酷というものだろう。

 とりあえず先ほどの報告を上に上げるため――多分に気は進まないのだがそういうわけにもいくまい――ジャイルズはペンを取り上げた。



 ◇◇◇◇◇



 その日、第一二一魔法騎士小隊には、街中の警邏けいら任務が割り当てられていた。

 とはいえ、騎士団――殊に戦闘力では一般の騎士を上回る魔法騎士団の小隊をわずらわせるような事件など、そうそう起きはしない。ただ、たまに子供が前を見ずに飛び出して馬車に撥ねられかけたのを《風翼( エアウィング)》で助けたり、店先で勃発ぼっぱつしかけた血の気の多い男どもの喧嘩を身体強化魔法使用で引き剥がしてみたりと、細々とした事件未満を取り締まりつつ、巡回のコースも終盤に差し掛かっていた。


「……平和ねえ」

「平和っすねえ」

「良いことだな」


 年長組の呟きに、小隊長たるルシエルは苦笑する。

「こっちが本来の状態だろう? そうそう王都の真ん中で事件が起こってたまるものか」

「ごもっともです」

 シャーロットがしかつめらしく頷いた時、まるでそれを嘲笑うかのように、眼前の地面がいきなり光を放ち始めた。


「――な、何あれ!?」

「総員、警戒!」


 さすがにこうした超常現象の場数の踏みっぷりは、騎士団内でもトップクラスであろう一二一小隊。とっさに散開して跳び退すさると、各々(おのおの)の武器を抜き放つ。そんな彼らが警戒もあらわに取り囲む中、光の中から伸び上がるように人影が一つ姿を現した。


『――ふむ? 人間か?』


 ずるりと地面から生えるように現れ、ことんと首を傾げたのは、一見男とも女とも判断がつかない黒髪の人物だった。長い黒髪は光を弾いて緑にも輝き、瞳は黄金色。その容貌はまさに人が持ちえぬほどに美しかったが、そもそも地面からにょきりと出て来たのがまともな人間であるはずもない。

 何となく嫌な予感を覚えながら、それでも人外経験値の高さのおかげで、ルシエルは取り乱すこともなく問いかけた。

「あの……あなたは一体?」

『ほう? 人の身で我が名を訊くか』

 見下すような傲岸ごうがんさで、相手は唇を歪める。と――。


『――いたぁぁぁ!! この引きこもり、ちょおっと顔貸しなさい!!』


 いきなり暴風が吹き荒れて、小隊の面々は思わず顔をかばう羽目になった。

『おまえは、風の……!』

『千年引きこもってたと思ったら、なぁにいきなり王都のど真ん中に出てるのよ!? っていうかさっきのアレ、説明して貰うわよ!』

 上空から暴風をぶっ放したのは、無論風の大精霊シルフィアだ。といっても、女王アレクサンドラ以外の人間の前には滅多に現れない彼女の姿に、ルシエルたちは目を見張った。

 しかし、眼前で人外同士の一騎打ち(タイマン)が勃発しそうなところ、騎士団として放っておくわけにもいかない。ルシエルは愛剣《イグネイア》を励起れいきさせた。


 瞬間。

『……あ、それだ』

 シルフィアに取っ捕まっていたはずの精霊が、ふっと消えたかと思うとルシエルの眼前に再びにょきりと現れた。


『その剣、同じ力だ。こっちに来る時使った、転移の魔法陣と』

「何だって……?」

 聞き捨てならない一言に、ルシエルが目をすがめる。そういえばアルヴィーが別大陸に飛んでいた時、国からの指示であちらの大陸に転移陣を敷いて来たという話だったはずだ――。


『――隙ありっ!!』


 そこへ吹き込む、一陣の風。シルフィアが操る風は、ルシエルを掠めるようにして精霊を捕らえた。

『く、しまった!』

『さあ、洗いざらい話して貰うわよ! あんた向こうの大陸で、“歪み”が広がらないように抑え込んでるはずじゃなかったの!』

『仕事はちゃんとしたよ! けどあんなの、こっちだって対処しようがないってば!』

『どういうことよ?』

 眉をひそめるシルフィアに、地精霊は唇を歪めた。


『戻って来たんだよ。――千年前にこの世界を捨てたはずの神、その一部がね』


 シルフィアの表情が強張った。

『……何ですって?』

『“眼”が来たってことは、《見守るもの(サーヴェイラ)》だ。右目か左目かまでは分からないけど』

『他の神々は?』

『さあ? 《見守るもの(サーヴェイラ)》しか見てない。そもそもこの世界に最後まで執心だったのは《見守るもの( サーヴェイラ)》か《紡ぐもの( フェレーラ)》しかいなかった。だから、《見守るもの( サーヴェイラ)》が来たのは納得もできるけど』

『でも、どうして千年も経った今、神々が……』

 考え込んだシルフィアに、カイルがおずおずと手を挙げた。


「……あのー、風の大精霊様?」

『何かしら』

「俺ら、何が何だかさっっぱりワケ分かんねえんすけど」

『ああ……今の人間は神々のことも神代のことも知らないものね。アルヴィーには少しだけ話したけど』

「アルに?」


 ルシエルが思わず口を挟むと、シルフィアは猫のように目を細める。

『そうよ。あの子は“古き竜”を宿す人間ですもの。あの火竜アルマヴルカンもまた、神代を知るものよ。わたしたちと同じくね』

「神代……神々の時代、ということですか?」

『おおむねはね。もっとも、神代の最後の方は、神々はほとんど地上のことには関わろうとしなかったけど。――わたしたちみたいな存在ものに、この世界を引き継ごうとしていたのよ。この世界を離れるために』


 シルフィアは複雑な色のにじむ笑みをひらめかせ、手首をひるがえして風を操った。風で地の大精霊を一本釣りすると、自身もふわりと上空に飛び上がる。

『じゃあ、“これ”は引き取るわね。さっきちょっとした騒ぎがあって、エマが事情を知りたがっているの。それじゃ』

『ちょっと! 仮にもおまえと同格の大精霊を――』

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ声も、風の音に吹き散らされる。二人――というか二柱というか――の姿は、そのまま風にさらわれるように忽然と消えた。


「……何だったんでしょうか。今の……」

「精霊様……っていうか、そのトップの大精霊様よね。――何だかそれっぽくなかったけど」

 こめかみを揉みながら、ジーン。実際、さっきのアレは“大精霊同士のおごそかな邂逅かいこう”などという要素は欠片もなかった。

「……ですが、聞き捨てならない言葉もありました、隊長」

「ああ」

 《イグネイア》を鞘に納めながら、ルシエルはディラークの言葉に頷いた。


 千年の時を経て舞い戻った神。

 地の大精霊が別大陸で抑え込んでいたという“歪み”。

 そして、アルヴィーのうちにいるアルマヴルカンもまた、千年前の神々の時代を知るという事実――。


「……とにかく、このことは報告しないわけにはいかないだろうな。本部に戻ろう」

 先に立って、ルシエルは歩き出す。

(何か……嫌な予感がするな。大きなことが起こりそうな、そういう感じが……)

 騎士としてつちかった勘か、妙な胸騒ぎを感じながら、ルシエルは心持ち足を早めた。



 ◇◇◇◇◇



「……あら」

 《薔薇宮ローズ・パレス》地下に広がる研究所、久々にそこに足を踏み入れたレティーシャは、ふと目に入った水槽が空になっているのを見つけて呟いた。

(オルセルは……今は人型合成獣(キマイラ)の世話だったわね。あの子が来てから脱走はなくなっていたのだけれど、珍しいこと)

 まあ、以前はちょくちょくあったことだ。オルセルも自分の務めを果たしているのだし、咎める気はない。そもそも、人造人間ホムンクルスは生物だけに様々なアクシデントもあり、思うように育たず廃棄することもある。ある程度の損失は最初から織り込み済みなのだ。

 空になった水槽に流れ込む液体を止め、レティーシャは再び歩き出した。魔法陣が刻まれた扉の前で足を止めると、術式を解除して扉を開く。


「御機嫌よう、アルマヴルカン」


 微笑むレティーシャに、だが火竜は答えなかった。とはいえ彼女も、別段答えを求めてなどいない。薄く微笑んだまま、いましめられたアルマヴルカンの様子を確かめる。

「さすがに“古き竜”ですわね。精神も頑丈ですこと」

『……ふん……貴様の一人芝居に、付き合う義理はない……その身体も所詮しょせんは人間、朽ちるまで耐えてやろうさ……』

「ふふ、人間のしぶとさを甘く見ない方がよろしくてよ」

 アルマヴルカンの強情さを楽しむように、レティーシャは目を細める。そして。


「……それに、そう簡単に堕ちられても、つまりませんものね」


 うっそりとわらい、彼女は踵を返した。

 扉を閉じ、ある一角へと歩みを進める。先ほどのアルマヴルカンを封じた部屋もそうだが、この辺りには、オルセルが立ち入ることも禁じていた。彼がここの秘密に触れるのは、まだずいぶん早い。

(いずれ彼の知識がわたしに追い付けば、助手にしても良かったのだけど……でもこの分では、その前にわたしの望みが叶いそうだものね)

 少し惜しいと思いながらも、レティーシャは一つの水槽の前で立ち止まった。

 その水槽は、他の人造人間ホムンクルスのものとは違っていた。重苦しさを感じる暗い色は同じだが、材質が違う。その水槽は、魔力を帯びた鋼鉄、いわゆる魔鋼から作られていた。そして随所に走る幾何学的な銀色の線はミスリル。それは今、わずかな赤みを帯びた光をまとい、青白い薄明かりに満たされた施設内で異彩を放っている。

 そして水槽の上部は、茨を思わせるミスリルの銀線で粗く覆われていた。


(――人造人間ホムンクルスの一体や二体の喪失は許容範囲内だけれど……さすがに“この子”が失われるのは手痛い。まだ目覚める段階ではないけれど、それもそう遠いことではないし……やはり、もう少し何か対策をしておくべきかしら)


 銀の茨越しに見下ろす水槽の中、たゆたう水面の下には、一人の少年が眠っている。

 年の頃は十歳に満たない、まだ幼い少年。伸びた黒髪が水の中で柔らかく揺れていた。どこかあどけない寝顔の中、閉じた瞼の下にある瞳の色を、レティーシャは想像することができた。

 朱金か――それとも黄金か。


「……ゆっくりお眠りなさい。いずれあなたは――……」


 身を屈め、レティーシャは我が子にそうするように優しく囁く。

 未だ目覚めの時を待つ少年――彼のその未発達の身体は、頭部を除いた全身が、血のような深紅の肌とそこに走る黒い線に覆われていた。


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