第129話 はぐれもの
ざざん、ざざん。
寄せては返す波の音の合間に、海を渡る風の吹き荒ぶ音が混じる。
海風に銀髪を惜しげもなくはためかせながら、レティーシャは細かな波飛沫も厭わず、砂浜から遥か彼方の水平線を見つめていた。
「――我が君」
背後からの声に、彼女は表情を緩めて振り返る。
「ダンテ」
彼女の騎士は髪を弄ぶ海風に少し眉をひそめながら、主の数歩ほど後方で足を止めた。その手には見るからに上質と分かる繊細な織りのストールがある。
「どうぞ、これを。海辺は冷えます」
「ええ、ありがとう」
恭しく差し出されたストールを羽織り、レティーシャはなびく髪を押さえながら海へと向き直った。
「あちらに、何か? 我が君」
「正確な方角は違いますけれど。――この海の向こうには、誰も知らない大陸がありますのよ」
「大陸……? こことは別の?」
端正な顔を驚きに染めるダンテに、レティーシャは満足げに微笑み、謡うように口ずさみ始めた。
「――“かつて神々は二つの大陸を創り、一方を人間に、もう一方をその他の種族に与え給うた”――二つの大陸は、神々がそれぞれの種族に与えた箱庭ですわ。そうして神々は、二つの箱庭をもってして、互いを遮断したのです。すべての種族が、等しく生存できるように」
彼女の言葉に、ダンテはエメラルドの瞳を見開く。
「……なぜ、そのようなことを?」
「そうですわね、強いて言えば種族特性の違い……とでもいうところでしょうか。この世界の生物は元々、神々の“実験”のために生み出されたものです。実験というからには、様々な場合を想定するべきでしょう? 神々もその常識に従った。つまり、想定しうる限りに多様な生物を生み出しました。まず雛型として魔物を。そして、その情報を基に、少しずつ改良・調整を加えながら通常の動物、幻獣、そして人間を創造していきました。精霊は少し系譜が違いますけれど、人間を雛形とした自然現象の擬人化というところですわね」
「では……我々人間も、魔物が基となったということなのですか?」
「生物としてはまったく別物ですわ。あくまでも、魔物の生態観察により神々が取得した情報が、人間を含む“それ以降”の生物創造に応用されたに過ぎません。それに、現在の“魔物”の分類は人間独自のものであって、当初神々が設定したものとは違います。本来“幻獣”の分類にあったものが、現在“魔物”に数えられているものも少なくありませんし。現に、あなたの使い魔もその一つでしてよ?」
「《トニトゥルス》が?」
「ええ。現在“魔物”とされているものたちの内、高い能力や知能を誇るものは、遡れば幻獣との交雑種ですわね。そのため分類も曖昧になっていったのでしょう」
そう答え、レティーシャはにこりと微笑んだ。
「……少し話が逸れましたわね。大陸の話に戻りましょう。――神々が人間とその他の種族にそれぞれ別の大陸を与えたのは、ひとえに人間の物理的な脆弱さによるものです」
「……と、仰いますと?」
「人間はその他の種族に比べて、個々の能力は低く寿命も短い存在です。その代わり、“社会”という集合体を構成・維持する能力に長け、またその成長速度と繁殖能力は他種族とは比べ物にならないほど高く設定されている。他の種族が“個”での能力をそれぞれ突き詰めたものであるのに対して、人間のそれは“集団”となることでより顕著となりますわ。それもまた、神々による一種の実験です。――“脆弱な存在の集合体が、強靭な個体を凌駕し得るか”。そのために、まずは人間がある程度の数に増えるまで、保護する必要があったのです」
「それが、大陸による隔離……ということですか?」
「その通りですわ」
満足げな頷き。
レティーシャは目を細め、再び彼方へと目をやる。
「ですが、箱庭で保護するばかりでは成長もありません。ですから神々はあえて、二つの大陸の間に“距離”以外の隔離を行わなかった。もし何者にもこの大陸を侵させるまいと思えば、結界の一つも張れたのですから」
確かに、神々はこの世界そのものを覆うほどの巨大な結界を残していったのだ。その気になれば、大陸一つを覆う程度の結界くらいは簡単に構築できただろう。
「では、現在この大陸にも魔物や幻獣が存在するのは、彼らがもう一つの大陸からこちらへ渡って来た……と考えてよろしいのですか」
「ええ。彼らはその身体能力や魔法を用いて、比較的自由にこちらの大陸に渡って来ることができました。通常の動物は、最初からどちらの大陸にもある程度配置されておりましたから、一部はそれらの動物たちとも交配して、やがて各々の大陸で独自の生態系を形成するに至ったのですわ。そして、渡って来た幻獣種や魔物は、人間たちの必要以上の増殖を抑制する役割を果たした。大陸も、無限の広さではありませんものね」
時に抑止力として、そしてごく稀に糧として、幻獣や魔物は自分たちの与り知らぬところで、人類に対する調整者としての役割を負わされていたのだ。
「そうして、彼らの脅威に対抗するため、人類はそれぞれに寄る辺を見出して集まり始めた。――それが“国”の始まりです」
彼女が語る、誰も知らない歴史――それを、ダンテは呼吸も忘れそうなほどに熱中して聞いていた。
「もちろん、最初はそれほど大規模な集合体ではありませんでした。せいぜいが小さな町程度の規模のもの。ですが、それらの集合体はその人数や生活域を増大させる過程で、他の集合体とぶつかります。そうして衝突を繰り返し、勝者が敗者を併合していくことで、それらは“国”と呼べるほどに巨大なものとなっていったのですわ」
「それでも、大陸すべてを統べるほどの国は現れなかった……」
「ええ。人間というものは、複数集まれば対立が生まれる生き物ですもの。統一政体など、未だに夢物語ですわね。大陸全土を統べるほどの巨大国家になる前に、分裂してお終いですわ」
身も蓋もないことをさらりと言ってのけ、レティーシャはくすくすと笑い声をあげた。
「まあ、大陸が一色に染まってしまってもつまりませんものね。――多様であるからこそ、生まれるものもあります」
彼女は銀髪を翻して踵を返し、ダンテはその細い手を取る。砂浜のような足下の悪い場所を、騎士たる自分がいながらエスコートなしで主君に歩かせるわけにはいかない。
さくさくと砂を踏みながら、レティーシャはふと、責めるように呟いた。
「……こんなことはいくらでも教えてくれたけれど……本当に知りたいことは何一つ教えてくれなかった。“彼ら”は」
その呟きを、ダンテは礼儀に則って聞こえなかったことにした。
「……海風が強くなって参りました。もう戻りましょう、帝都に」
「ええ、そうですわね」
レティーシャもそれを知りつつ、先ほどの呟きを海風に葬る。
国を統べる者には必要のない弱音だと、知っていたから。
◇◇◇◇◇
「――よっ、と」
軽い掛け声と共に大剣が振るわれ、けたたましい音を立てて機材が壊されていく。
広大な地下施設で破壊活動に勤しみながら、ゼーヴハヤルはぼやいた。
「……俺は戦闘用人造人間なのに、何で魔動機器をぶち壊しているんだ……?」
「ゼル、手が止まってるよ」
そう注意しつつ、オルセルが腕を振るう。その手首を飾っていた何重もの細い金属の輪が一斉に宙を舞い、高所の配管を断ち切った。
「圧し潰せ、《重力陣》!」
少し離れたところでは、ミイカが腕輪を翳して地系統重力魔法で機材を圧潰させている。
――彼らは今、サングリアムの中心、旧大公の城館の地下にある、ポーション製造施設にいた。かつては大陸を席巻したサングリアム産ポーションの製造を一手に担っていた場所であったが、現皇帝たるレティーシャがその廃止を決めた以上、もはや施設は必要ない。むしろ、残しておけばまたポーション製造を始められる可能性すらあるということで、彼女の命により兄妹とゼーヴハヤルが、この施設の破却のために派遣されたのだった。
「……まだあんなに残ってるぞ」
手付かずの区画の広大さにゼーヴハヤルがため息をつけば、オルセルも苦笑する。
「まあ、これだけの広さだしね。陛下も焦らなくていいと仰ってたし、地道にやろう。僕やミイカも、魔法武器の訓練になってちょうど良いし」
「むう……オルセルがそう言うなら、しょうがないか。確かに、訓練は要るしな」
ゼーヴハヤルも頷く。
オルセルの使うリング状の空飛ぶ刃、そしてミイカの腕輪は、レティーシャによって護身用として二人に与えられた魔法武器だった。それを使うための魔力集積器官は、かつて彼らが重傷を負ってレティーシャに救われた時に、体内に埋め込まれている。
だが、元々ただの村人だった彼らは、魔法武器など使うどころかその存在を聞いたことすらなく、当然与えられたからといってすぐに使いこなせるわけもなかった。オルセルは一度、やむを得ず“実地”で使ったが、やはり心許ない。そこでこうして、遠慮なく壊して構わない場所で訓練を、と相成ったわけである。
「……それにしても、凄い設備だな……こんなものが、百年も前からあったなんて」
広大な空間の大部分を席巻する魔動機器の群れを改めて眺め、オルセルは感嘆のため息をつく。彼も《薔薇宮》の地下研究施設の管理をしているが、そちらは人造人間関係の設備が多いため、このような大規模な魔動機器は少なかった。そのため、初めて見る巨大な機器群に、半ば圧倒されていたのだ。
「けど、なんで俺たちが壊し役になったんだろうな。あのメリエってヤツとかなら、一撃でぶっ飛ばせそうなのに」
「……メリエ様だと、一撃で上のお城まで吹っ飛ばしそうだからだろ……」
「おお、確かに」
オルセルの突っ込みに、ゼーヴハヤルはなるほどと頷いた。メリエの《竜の咆哮》は強力だが、強力過ぎてこういった地下施設の破壊などにはまったくもって向かない。しかもメリエ自身、手加減という単語とはどうにも相性が悪かった。彼女は良くも悪くも決戦兵器なのである。
「んじゃあさ、あの死体使うヤツ」
「……あんまり想像したくないな……」
メリエも大概だが、ラドヴァンは問題外である。
「っていうか、ここの機械って結構頑丈そうだし、死体だと自分がダメージ受けるんじゃないかな……」
「なるほど。確かに、ぶん殴ったら腕の方が潰れそうだよな、ぐちゃって」
「具体的な擬音はやめてくれないか……」
げんなりと、オルセルは呻いた。想像すると気分が悪くなりそうだ。
「――ねえ、お兄ちゃん。こんな感じでいいかな?」
そこへミイカが声をかけてきた。二人が喋っている間にも、真面目に施設の破壊に勤しんでいた彼女の前には、跡形もなく潰れた機材の成れの果てが転がっている。
「ああ、良いと思うよ。とにかく、修復も解析もできないようにっていうことだったし……少し、勿体ない気はするけど」
オルセルは頷き、未だ姿を留める機材の群れを見やる。
「……でも、これがあると人間は、自分の手で新しいものを作り出せないと、陛下は仰ってた」
自分たちより優れた者から与えられたもので満足していては、人類はそれ以上の高みには昇れない。それに追い付き、それよりも優れたものを生み出そうと足掻いてこそ、人は前に進めるのだと――彼女はそう言っていた。
「そうは言っても、人間は便利な方に流れてしまう生き物でもあるから、与えた技術が障害となるなら、それを取り除くのもやむなし、だって」
「ふーん。俺にはそういう難しいことはよく分からん。――けど、確かにな。便利な方に流れるっていうのは、ちょっと分かる。誰だって、楽な方が良いに決まってるもんな」
「うん……でも、それって悪いことなのかなあ」
「多分、便利なものを作ろうと努力するのは構わないってことじゃないかな。――でも、そこで満足して立ち止まってしまうのが駄目なんだって、陛下は仰りたいんだよ、きっと」
首を傾げるミイカにそう答え、オルセルは自分の手首を飾る金属の環を見つめる。
「僕たちが使ってるこの魔法武器だって、ずっと昔の誰かが、“もっと性能の良いものを”って思って作ったはずなんだから」
これを身に着ける“誰か”を護れるように。
――たとえそれが、“敵”を殺めることと同義だとしても。
(……まあ、これを作った人もまさか、ただの村人が持ち主になるとは思わなかっただろうなあ)
何となく申し訳ない気分になりながら、オルセルは魔法武器から目を外した。
「……さ、もうちょっと頑張ろう」
「そうだな。まあ、ぶっ壊すだけだから楽なもんだ。細かいこと考えないで済むしな」
愛用の大剣を手に、ゼーヴハヤルは良い笑顔だ。剣というより鈍器のような扱われ方をされているが、刃毀れ一つない辺り、この剣も相当頑丈に作られている。まあそもそも、こういった大振りの剣というものは、鎧などを着た相手にその重量で打撃を与えるような使い方もするものだが。そう考えれば、あながち間違った使い方でもないのかもしれない。
(……そう考えると、一番戦力になってないのって、やっぱり僕じゃないか……?)
ちらりとそう思ってしまったオルセルだったが、気を取り直して破壊活動を再開することにした。
――完遂までの道のりは、まだ遠い。
◇◇◇◇◇
ぱちり、とアルヴィーは目を開いた。
まず目に飛び込んできたのは、自宅のそれとは違う白い天井だ。それを見て思い出した。
(ああ……検査中に寝ちまったのか……)
ルシエルとフォリーシュに連れられて魔法技術研究所の森経由で帰還したアルヴィーは、当然のごとくもみくちゃにされた。騎士団への報告もそこそこに、検査のために研究所にとんぼ返りさせられ、色々と検査用の魔動機器に繋がれている間に、いつの間にか眠ってしまったらしい。もう検査の類は終わったらしく、機材はすべて外されていた。
ふああ、と大欠伸をしながら起き上がる。何しろ別大陸に飛ばされている間は、サバイバルも極まるような生活であり、ベッドなど望むべくもなかったのだ。それに比べれば、検査用の簡素な寝台とはいえ、マットレスがあるだけで楽園である。検査の間に泥のように眠り込んでしまったのも、当然といえば当然の話であった。
酷い有様だった服も着替えさせて貰って、今は素っ気ないシャツとズボンだが、元来服装にこだわりがあるわけでもない。アルヴィーはそのまま、ぺたぺたと歩いて部屋を出た。
ファルレアンに来てすぐの頃に、同じように何度も検査と称してここに引っ張り込まれたので、建物の中の道順は覚えている。研究員がよく集まる大部屋を覗くと、早速気付いた研究員が声をかけてきた。
「おお、目が覚めたかい」
「あ、ども」
小さく手を上げると、研究員たちがわらわらと集まって来た。
「――それにしても、今回は右目まで影響が出ちゃったなあ」
誰かの慨嘆にも似た一言に、苦笑する。
火竜の血肉を追加で植え込まれたせいで、アルヴィーの右目は火竜のそれを思わせる金色に変わっていた。その視界も竜のものに準ずるらしく、この目になってからというもの、右目に映る光景だけにきらきらと光るものが映り込むのだ。アルマヴルカン(欠片)の言うところによると、それは魔力を可視化したものらしい。
『我々にとっては見慣れたものだがな。人間には珍しいだろう。もっとも、すぐに慣れる』
(……そうかもな)
彼の言う通り、物珍しいのはほんのひと時で、すぐにこの視界にも慣れるのだろう。人間は特にそうだ。
(にしても……研究所って、こんなに魔力があちこち漂ってんのか……まあ、色々アイテムとかも作ってるし、当然っちゃ当然なのか)
淡く輝く魔力の残滓が漂う光景は美しい。もっとも、その視覚効果を外せば、そこは色々と得体の知れないモノが転がる人外魔境一歩手前の惨状なのだが。
「……ところで、ここ掃除とかしてんの」
「毎日雑務担当の職員がしてくれてるんですけどねえ。いつの間にやらこんな状態に」
「……給料上げてやれよ」
毎日この惨状を片付けては散らかされる雑務担当職員の皆様に、アルヴィーは深く同情した。これは特別手当を貰っても許されるレベルだ。
ともあれ、検査も終わればアルヴィー自身はもう研究所に留まる必要はない。研究員に一言告げ、改めて騎士団の方に顔を出すことにした。報告のために一応出頭はしたのだが、何しろあからさまに火竜の影響が出ている。先に検査を受けて異常の有無を調べて来いと、半ば追い出されるように研究所の方に放り込まれたのだ。
幸い、魔法式収納庫は騎士団の方で預かってくれていて、報告に行った時に返して貰えたので、その中に入れていた予備の制服に着替える。研究員に頼んで部屋を借り、手早く着替えると研究所を後にした。
(……っていってもなあ……ルシィと隊長に小言食らう気しかしねーんだけど……)
手で顔を覆って項垂れつつ、アルヴィーはとぼとぼとジェラルドの執務室に向かった。
「――よお。相変わらずやらかしたみたいだが」
「俺がやったんじゃねーって! 不可抗力!!」
入室したが早いか、イイ笑顔で頭を鷲掴みにしてきたジェラルドから逃れようともがきつつ、アルヴィーは吠える。
だがジェラルドはそれに構わず、もう片方の手でアルヴィーの顎をガッと掴む。完全に顔を固定されて、アルヴィーはうーうーと唸るしかなかった。
そんな彼に構わず、ジェラルドはじっと顔を――正確には右目を見つめる。
「……しかしまあ、見事に色が変わったな」
「自分じゃ鏡でも見ないと分かんないけどな。変か?」
「変、というより……落ち着かねえな」
ジェラルド含め、周囲の人間たちにしてみれば、アルヴィーの瞳が金色に染まる時といえばすなわち、火竜と“交代”している時だ。周りを威圧せずにはおれないあの圧倒的な力に、未だに思わず身構えてしまう身としては、片目だけとはいえ常にその金色がちらつくことに、何とも落ち着かないものを感じる。
何より――その色は、アルヴィーがさらに人間から遠ざかってしまったことを示すものだ。
わずかに目をすがめるジェラルドに、アルヴィーは苦笑して肩を竦めた。
「……仕方ないよ。死ぬよりマシだ」
「……まあな」
嘆息して、ジェラルドはアルヴィーから手を離すと席に戻った。どかりと椅子に腰掛け、頬杖をついて職務中にあるまじきだらけた姿勢で部下を見やる。
「――にしてもそれは、色が変わっただけか? それとも、何か影響はあるのか」
「ええと、アルマヴルカンが言うには、魔力が見えるらしいけど。確かに、何かきらきらした光の粒みたいなのが見える。視界もちょっと竜に近付いたって感じかな」
「ほう……で、それは良いのか、悪いのか」
「……分かんね」
アルヴィーはかぶりを振った。右目と左目の視界の差異が利となるのか否か、今の段階ではまだ判明しない。
彼に分からないものがジェラルドに分かるはずもないので、その話はひとまず切り上げることにした。
「……まあ、それはとりあえず保留だ。研究所の検査の結果が来るのを待つしかない」
「だよな。アルマヴルカンも何も言わないし、今日明日でどうこうってこともないだろ」
「ああ、あの竜は妙におまえに過保護だからな、この頃」
「……そうかあ?」
アルヴィーは怪訝な顔になるが、ジェラルドに言わせれば過保護以外の何物でもない。大体、欠片とはいえ竜の魂が人間の体内で共存しつつあれこれ面倒を見るというのが、史上初の珍事なのである。
「まあ、子供の方は分からんもんだがな、そういうのは」
からかうようなジェラルドの言葉に、だがアルヴィーはわずかに目を伏せた。
「……そうかな」
――アルヴィーの魂には自身の仔である竜の魂の欠片があると、“アルマヴルカン”は言っていた。
ならばやはり火竜の欠片も、アルヴィーを仔として見ているのだろうか。
「……何だ、どうした?」
反応が薄いアルヴィーに、自身がある意味正鵠を射たことを知らないジェラルドが尋ねる。
「別に」
小さくかぶりを振って、アルヴィーはその話を終わらせた。
「――それよりさ。あの後結局、どうなったんだ? 俺、詳しい話聞く間もなく研究所に放り込まれたんだけど」
「ああ……別に、特段変わったこともないさ。連中はさっさと引き揚げて、こっちはおまえの行方捜しに大騒ぎになった。結局、風の大精霊が割り出してくれたがな。そっちにも連絡が行っただろう」
「ああ……エルヴシルフトに取っ捕まって半泣きになってた風の高位精霊がいたっけ、そういえば」
「……あの火竜もいたのか」
レクレウスの一件の際、《下位竜》素材の武器を持っているというだけで自分たちを拉致ってくれた火竜の名に、ジェラルドはちょっと遠い目になった。
「たまたま近くに住んでたんだよ。――それはともかく、その……セリオのことだけど」
「あいつがどうかしたか?」
「どうかしたかも何も、みんなの前でシアにばらされちまっただろ――人造人間だって」
「ああ……そのことか」
「そのことか、じゃねーだろ。その……平気なのかよ。騎士団の中で、肩身狭いんじゃ……」
すると。
「――僕が何か?」
ノックの後がちゃりと扉が開き、当のセリオがひょっこり顔を出したので、アルヴィーはぎょっと振り返った。
「あ……」
「お疲れ様です。――隊長、戻りました」
「ご苦労。あっちは何か言ってたか」
「いえ、特には」
「そうか、ならいい」
以前と何ら変わりないやり取りに、アルヴィーはしばしぽかんとしていたが、
「……ええと……セリオ、その……平気なのか? シアに人造人間だってばらされたけど……」
「ああ……」
セリオはなぜか、深々とため息をついて、
「……ごく一部の人には確かに隔意を持たれたようですが……大多数の人にはむしろ、憐れまれます」
「…………ああ、何となく分かった」
何せ直属の上司たるジェラルドが、“仕事さえできれば人間だろうが人外だろうがどうでもいい”とぶち上げ、その彼の無茶振りに自分たち以外誰が付いて行けるのかとパトリシアのダメ押しである。その実情を知る騎士たちにとっては、恐れより先に哀れみが立ったのだろうと思われた。何しろジェラルドが出張り部下たちが従う案件となると、大体ろくでもないものばかりだ。
「他の騎士はまあ分かったけど……騎士団長とか、よく納得してくれたよな」
「俺が掛け合ったからな。そもそも納得なんてもんは、“して貰う”もんじゃない。“させる”もんだ」
「…………」
アルヴィーは明後日の方向に目を逸らして沈黙した。これくらいでなければ、大隊長など張れないのかもしれない。
「まあそもそも、僕は周りから浮きがちでしたし。はぐれ者は今さらですよ」
セリオは肩を竦める。ジェラルドがため息をついた。
「大体、おまえも他人のことは言えんだろうが。おまえも大概なもんだぞ、人間の辞めっぷりは」
「分かってるよ」
それこそ今さらなので、アルヴィーは嘆息するに留めた。敬して遠ざけられるという立場は、むしろ自分の方が馴染み深いものだ。
もはや諦めの境地の彼に、その時ジェラルドが一枚の書面を取り出して示した。
「まあ、それは置いておいて、だ。――上層部の方から少々毛色の変わった話が、おまえに持って来られた」
「毛色の変わった話?」
「ああ、まずはこいつを読んでみろ」
渡された書面を、アルヴィーはざっと読み、そして目を見張った。
「これ……!」
「あまり例がない――というか、前代未聞の話ではあるがな。だが、おまえにとっちゃ悪くない話だろう」
「にしたって……」
半ば唖然としながら、アルヴィーは書面をしげしげと見つめる。
「飛竜を一騎俺専属にするなんて……んなの有りなのかよ」
それは、飛竜科中隊所属の飛竜を一騎、《擬竜騎士》専属とするという通達だった。現在、アルヴィーが飛竜を使う際には、飛竜のスケジュールを調整して貰い、騎手も付けて貰う必要がある。もちろん、《擬竜騎士》にお呼びが掛かるということは大抵が緊急かつ重要な事案なので、相応に優先はされるのだが、場合によっては飛竜が出払っているということもあり得るわけだ。それでは困るということで、いっそ《擬竜騎士》専属の飛竜を作ってしまおうということになったらしい。
「でも、飛竜って数が少ないんだろ? こないだイムルーダ山から連れて来た幼体だって、そんなすぐに育つわけじゃないだろうし……」
「そりゃそうだ。だが、幼体の捕獲はあれ以前にも何回も行われてるわけだからな。おまえに宛がわれるのはその内の一騎だ。――ま、正直なところこいつは“ワケあり”ってやつだが」
「ワケあり?」
「人間が世話したからって、必ずしも人間に懐く個体ばかりじゃないってことさ。こいつはとんだ暴れ馬――まあ飛竜なんだが、とにかく人間の指図なんざ聞きやしない。だがそうなると、騎士団としてもこいつを世話する意味がなくなる。早い話が、処分対象ってわけだ」
「処分……か。一から十まで人間の都合って感じだな」
「仕方あるまい。人間としても慈善でやってるわけじゃないんだ」
憮然と呟くアルヴィーに、ジェラルドはそう言って肩を竦める。そしてにやりとアルヴィーを見やった。
「そこでおまえの出番ってわけだ。《擬竜騎士》なら人間の指図を聞かん暴れ飛竜も飼い馴らせるかもしれん、とこういう目論見だな。だがまあ、さっきも言った通り悪くない話だろ? おまえはより行動の自由が利くようになる、騎士団としても飛竜一頭分の労力を無駄にせずに済む。飛竜も処分されずに済んで全方位幸せ、って寸法だ」
「ふーん……」
いっそ清々しいほど赤裸々な上司の言葉に、アルヴィーは胡乱げに鼻を鳴らす。だが、確かに彼の言う通り、“悪い話ではない”のだ。
(……まあ、ワケあり物件な以上、“悪くはない”ってだけかもしんねえけど)
要するに、騎士団が扱いきれない飛竜を回されるのだから。
しかしそれでも、“自分専用”の飛竜が与えられるというのは、確かに前代未聞の話であった。
「……これってさあ、また何かの見返りってヤツ?」
ふと思いついてそう呟けば、ジェラルドは大仰に息をついた。
「実利を兼ねた、な。――今までのおまえからの“借り”がさすがに無視できんレベルになってきたから、それなりの見返りを寄越そうっていう上層部と、実情はどうあれ飛竜に掛けた労力を無駄にしたくない騎士団、双方の利害が一致したってとこだ。一応、おまえにも利はあるしな。もっとも、飛竜を従えられれば、って但し書きは付くが――それこそ愚問だろう?」
何しろ、竜の血肉を追加移植される前でさえ、飛竜を気配だけで屈服させたアルヴィーである。現在の、人間を辞めつつあるレベルの彼であれば、結果はお察しというやつであろう。
アルヴィーはため息をついた。
「……ま、いいや。確かに、足があれば有難いし……で、その飛竜、どこにいるんだ?」
「案内します」
セリオが先に立って歩き出す。ジェラルドがひらりと振った手に送り出されながら、アルヴィーもセリオに続いて執務室を後にした。
◇◇◇◇◇
「――ここが、飛竜科中隊の隊舎です」
セリオに案内されて訪れた建物は、飛竜を扱うという特性からか、騎士団本部や王城からはやや離れていた。もっとも、訓練中の飛竜が割と好き勝手に周辺の空を飛び交っているので、距離を置いてもあまり意味がない気もする。
時折二人に興味を持ったように近寄ってくる飛竜たちは、だがアルヴィーの纏う気配に気づくや、悲鳴のような鳴き声と共にそそくさと飛び去って行く。それを何とも言えない微妙な気分で見送りながら、アルヴィーは建物に足を踏み入れた。
「……おおー……」
初めて入った飛竜科中隊の隊舎は、入口の辺りこそ本部のそれとさして変わりなかったが、奥に行くにつれてさすが飛竜科中隊、と思わせる景色になってくる。つまり、飛竜用のケージが並び、独特の獣臭と鳴き声が濃くなり始めるのだ。もっとも、ここに収容されるのはまだ幼体かそれに近い個体で、実用に耐えるレベルにまで成長した個体は外で暮らすらしい。この国は総じて気候が温暖なので、体力のない幼体はともかく、成長した個体なら気温の低い夜間でも平気だという。まあ、野生の飛竜はずっと野外で暮らすのだから、当然といえば当然だが。
物珍しくきょろきょろと見回しながら通路を歩いていると、
「――おお、君が《擬竜騎士》か! 待っていたぞ!」
飛竜の鳴き声すら圧して響く大声に、アルヴィーがびくりと肩を跳ねさせたが、セリオは慣れているのか平然としたものだった。
「どうも。勝手にお邪魔しています」
「ああ、どうせこううるさくちゃ、呼ばれても聞こえんしな。第一、断って入って来る奴の方が少ない」
豪快に笑い、現れた騎士は改めてアルヴィーに目を向けた。
「ようこそ、《擬竜騎士》。俺は飛竜科中隊長のライノ・ドラフィスだ。――おっと、そういえば爵位持ちだったか。こりゃ失礼」
「いや……俺もそういうの、あんま気にしないんで……」
「ははは、いいな! 話が分かる」
見るからに現場叩き上げといった雰囲気のライノは、アルヴィーの返答がお気に召したらしい。機嫌良く身を翻した。
「――正直な話、“あいつ”を引き取ってくれるとこっちとしても有難い。とんだ暴れ馬――もとい飛竜だが、こっちとしても幼体の頃から手塩に掛けて育ててきた我が子同然の奴だ。処分されるのはやりきれんでなあ」
先に立って歩きながらそう慨嘆したライノは、やおらにやりとして振り返った。
「――そら、あいつだぜ」
隊舎を出た裏庭。そこに“それ”はいた。
成体になって間もないと分かる、傷の少ない艶やかな鱗。体躯は充分に逞しく、威嚇するように広げられた両翼も力強い。後脚で地面を踏み締め、ぎらぎらと光る双眸でこちらを睨む飛竜――だがその首には頑丈な首輪と鎖が着けられ、深々と地面に打ち込まれた杭に戒められていた。
「……あいつが?」
「ああ。幼体の頃から人間にはなかなか懐かん奴だったがな。図体がでかくなるにつれて扱いがますます難しくなってきやがった。仮にも貴族様に無礼があっちゃならんから何とかああして括り付けたが、ウチの隊員が総出だったぜ」
「ふーん……」
しげしげと見やるアルヴィーに、飛竜は牙の並んだ顎を見せつけるように吠える。ここに来るまでにことごとく飛竜に怯えられたので、とりあえず火竜の気配を最低レベルまで抑えているのだが、そのせいでアルヴィーのこともただの人間だと思っているのだろう。
『……ふむ。まだ雛に毛の生えた程度だが、なかなか良い度胸だ』
(最初の沈黙が怖ぇよ……あんま脅かしてやんなよ?)
『さてな。それはあの飛竜の賢明さ次第だ』
アルマヴルカンの沈黙と続く台詞が何だか不穏だが、獣との交流に実力行使が有効なのは事実である。最初の躾が肝心なのだ。
というわけで、
「――セリオ。隊長連れてちょっと離れててくれ」
せめてもの気遣いで竜の気配に耐性のないライノを避難させ、アルヴィーは抑えていた気配を解き放った。
「――ギャウッ!?」
びり、と空気が震えるような威圧感が一帯に満ち溢れ、飛竜が狼狽の声をあげる。本能的な恐怖に翼をばたつかせたが、首輪と鎖のせいで飛び立てない。
「な、何だこりゃあ!?」
ついでに避難したライノの方にもとばっちりが行ったようだが、そちらはセリオに任せることにした。
「ギャウッ、ギャアッ!!」
恐慌状態に陥り、鎖が繋がれた杭を引っこ抜かんばかりの勢いで暴れる飛竜の尾が、振り回された拍子に大きくしなってアルヴィーを打ち据えようとする。彼は一瞬で右腕を戦闘形態に変えると、振り抜かれた尾を真正面から受け止めた。砲弾でも炸裂したような音がして、アルヴィーの両足の踵が大きく地面に沈み込んだが、彼自身には掠り傷一つなく、涼しい顔で飛竜の尾を掴んで止めている。
「……あり得ねえ……飛竜と真正面から力比べして互角だと……?」
「まあ、順調に人間辞めつつありますしね、彼」
慄くように呻くライノに、セリオは身も蓋もない台詞で返した。
そんな彼らを余所に、飛竜はなおも足搔き続けたが、次第にその勢いは弱まっていく。ようやく、自分が相手にしている“人間”が何者なのか、分かり始めてきたのだろう。
「――いい加減おとなしくしろ、っての!」
止めとばかりにアルヴィーが尻尾を掴む手に力を込めれば、飛竜は弱々しい声を漏らして首を垂れた。自分の負けを認めたのだ。
おとなしくなった飛竜に一つ息をつくと、アルヴィーは尻尾を放してやった。
「おお……本当に飛竜を手懐けちまった」
ライノが感嘆の声を漏らすのを余所に、アルヴィーは飛竜の首を撫でてやる。飛竜はされるがままだった。何しろ真っ向からの力比べで敗れたのだ。自身を上回る力を示された以上、その相手に従うのは動物にとっては本能のようなものだった。飛竜とて例外ではない。
小さく唸った飛竜は、アルヴィーに顔を摺り寄せるように鼻先を近付ける。恐ろしげな牙の生え揃った口ががぱりと開き、長い舌がべろりとアルヴィーの頬を舐めた。
「うわ、生臭ぇ……」
肉食獣特有の生臭い息に少し顔をしかめたが、とりあえず敵対する意思はなさそうなので鼻先を撫でてやった。まあ、懐けばこれはこれで可愛い。たとえごつい鱗に包まれて恐ろしげな牙を持つ巨大肉食生物であろうとも。
しばしスキンシップに勤しみ、信頼関係の構築を試みていると、立ち直ったライノがあれこれと騎乗用装備を持って来てくれた。
「よし、じゃあ今度はこいつを着けてやって、騎乗に慣らさないとな」
「……あ」
そこでアルヴィーは、肝心なことを思い出した。
「……俺、騎士学校出てないから、飛竜の手綱取れねーんだけど……」
亡命から特別講義を経て従騎士→騎士という特殊ルートを辿ったアルヴィーは、飛竜の騎乗訓練を受けていない。これまでは騎手もセットで付けていてくれたので何とかなったが、まさか騎手まで専属で付けて貰うわけにもいかないだろう。
情けない顔で申告したアルヴィーに、しかしライノは良い笑顔で、
「まあ、大丈夫だろう! “初心者”同士、どうにかなるさ」
「はあ……?」
何しろ飛竜についてはほぼほぼ門外漢なので、専門家たるライノの助言が頼りである。何となく不安を感じつつも、曖昧に頷くアルヴィーだった。
……それが試練の始まりだとは、知る由もなく。




