第12話 折れない剣
「――隊長」
森の中をセリオの案内に従って切り拓く勢いで進んでいたジェラルドは、そのセリオの押し殺した声に歩みを緩めた。
「追い付いたか」
「はい。ここからだとおおよそ、南東へ五百メイル。ただし、向こうも南東方向へ移動しています」
「よし。――総員、戦闘用意。消音の魔法で音を消しつつ接近、連中の横っ腹に喰らい付く」
「はっ!」
ジェラルドの指示に騎士たちは小さくそう返し、風系統の魔法を使える何人かが消音の魔法を使った。魔法は一団を包み込み、下草を踏みしだく音や枝葉を掻き分ける音、状況を伝えるかすかな声をシャットアウトする。
そうして騎士たちは無音のまま、獲物を狙う獣さながらに牙を携え、川沿いの少し開けた場所を急ぐ《紅の烙印》に近付いて行った。
「――! ヤベェ、姐……!」
目敏い者が気付いたが、もう遅い。
「総員、突入だ!」
「はっ!」
ジェラルドの号令一下、騎士たちが《紅の烙印》の横合いから、獲物に飛び掛かる狼のごとく襲い掛かった。
「セリオ!」
「はい!――斬り裂け! 《氷円飛刃》!」
ジェラルドに皆まで言われるまでもなく、セリオはダズレイに狙いを定め、手にした短杖を振り抜く。その軌跡から生まれたのは、直径三十セトメルほどの氷の輪。まさしく刃物のごとき凶悪なきらめきを放ちながら、いくつもの氷輪が舞踏のように複雑な軌道を描き、ダズレイに襲い掛かった。
「ちっ――爆ぜろ、《豪炎竜巻》!」
彼は広範囲攻撃用の炎の魔法で、それらの氷輪を纏めて消し飛ばす。その火勢がセリオにも襲い掛かるが、セリオは自身に風の移動補佐の魔法を掛けてそれを躱すと、まるで挑発するように、こちらも炎の魔法を放った。
「喰らい付け、《火炎大蛇》!」
大きくうねる炎が、まさしく大蛇のようにダズレイに襲い掛かる。
「凍て付け、《凍嵐陣》!」
突如巻き起こった氷雪混じりの烈風が、火炎の蛇を掻き消してなお余る威力でセリオを襲った。だが、彼が自らに掛けた移動補佐の魔法の効果はまだ続いている。セリオはさらに風を纏い、氷の飛礫が舞うブリザードの中を突っ切った。
「はっ、小技は得意らしいな! だが、威力は俺の方が勝ってるぜェ!」
しかしセリオは、ダズレイの勝ち誇ったような咆哮など完全に無視した。再び《氷円飛刃》を放つ。ダズレイも再度の《豪炎竜巻》で迎撃した。
「はっはぁ! 馬鹿の一つ覚えかよ!?」
哄笑しながらダズレイが次々と放つ大威力の魔法を、セリオは移動補佐の風魔法と時折防御魔法で躱し、受け流す。そして、ちらりと周囲に目を走らせた。
(……大分バラけたな)
ダズレイが連発する大威力の魔法に巻き込まれないよう、《紅の烙印》の面々は心持ちダズレイから距離を取っている。だがそれこそがセリオの狙いだった。
(向こうを魔法で支援されちゃまずいしね……いい具合にこっちに集中してくれてるから、もう少し引き付けておくか)
セリオは再び《氷円飛刃》を放ち、ダズレイがますますいきり立つように仕向ける。どうやらここまで魔法で食い下がられたのは初めてのようで、焦り始める様子がセリオからも窺えた。
「くっ……そ、このガキがぁっ!」
自在に宙を踊る氷の刃を、ダズレイは三度《豪炎竜巻》で迎撃する。彼は確かに貴族に仕えるほどの魔法の腕を持ってはいたが、《紅の烙印》での日々は、結果として彼の戦術の幅を狭めることとなった。先手を取って相手方に大威力の魔法を撃ち込み、相手の戦闘力を削ぐと共に戦意を挫く――それが彼に求められた役割であり、彼はそれに特化した、いわば短期決戦型の魔法士となっていたのだ。元々ダズレイは効果範囲の広い大威力の魔法を得意とする反面、狙いを付けたり細かく制御しなければならないような魔法は苦手だった。逆にセリオはそういった魔法をこそ得意とし、また騎士団で対人魔法戦闘の訓練を積んで戦闘における駆け引きなども学ぶことで、長期戦にも対応できる地力を付けている。
「……そろそろかな」
呟いて、セリオは杖を高く掲げた。
「凍て付け――《氷界の墓標》!」
ダズレイの頭上、虚空から一抱えほどもある柱のような氷塊が出現し、彼の周囲に地響きを立てて突き立つ。そしてその氷塊は見る間に肥大化し、隣り合ったもの同士が融合し始め、巨大な檻を形作ろうとしていた。
「馬鹿な、あのガキ、まだこれだけの威力の魔法を……!」
ダズレイは顔色を変えた。氷塊に囲まれた内側の温度が急激に下がり、地面までもが凍り付き始める。その魔法の出力に、彼は戦慄した。
このまま何もしなければ――死ぬ。
「くそっ……! は、爆ぜろ、《豪炎竜巻》……っ!」
ダズレイは反射的に魔法を放った。渦巻く炎が氷の牢獄を舐め――そしてその厚い氷を溶かすことが叶わず、逃げ場をなくした炎はダズレイ本人を巻き込む!
「くそ、魔力が足りねえだと――ぎゃあああぁぁぁぁっ!!」
驚愕、そして絶叫。だが炎が彼を焼き尽くす前に、氷がその炎すら押し潰し、ダズレイの全身を包み込んだ。
「そ、そんな……ダズレイの兄貴が……!」
魔法面でのナンバー2が氷漬けにされる光景に、騎士たちと斬り結びながら傭兵たちが慄然とする。セリオは肩を竦めた。
「魔力の配分も考えずに、大威力の魔法をぶっ放し過ぎだよ。自分目掛けてくる攻撃魔法なら、障壁で相殺するか受け流せばいいのに。使い慣れてるのかもしれないけど、反対属性の広範囲攻撃魔法で相殺とか、無駄もいいところだ。だから後々息切れするんだよ。まあ、襲撃の時に相手の出鼻挫くには悪くないんだろうけど」
そう言いながら魔法に干渉して発動を中止。巨大な氷塊が砕け散り、火責めと氷責めで息も絶え絶えになったダズレイがその場に昏倒する。問答無用で騎士団を攻撃してきた犯罪者ではあるが、事情聴取や余罪追及の面でも、できれば生きている方が望ましいのだ。まだ息があることを確かめると、セリオは魔法式収納庫から魔法を封じる効果のある枷を取り出し、ダズレイに嵌めた。
「チッ――!」
それを見たグラッツが舌打ちし、斬り結んでいた騎士を弾き飛ばすと、剣を高々と掲げる。
「おおォォォォッ!!」
雄叫びと共に振り下ろされた剣から、赤黒く光る魔力の刃が撃ち出され、地面に爪痕を刻みながらセリオに迫る。セリオは素早く風の移動補佐魔法を起動、ダズレイの腕を引っ掴んで魔力の刃を逃れた。刃は深々と地面を抉りながらそのまま直進、進路にあった立木をズタズタに引き裂いて消え失せる。
「ま、魔剣……!」
その威力に、騎士たちが息を呑む。魔法騎士団にもジェラルドを筆頭に魔剣の使い手は決して少なくはないが、魔剣を装備できるのは小隊長以上、つまり二級騎士以上と規定で定められていた。そもそも魔剣というのは総じて高価なものなので、基本的に貴族出身の二級以上の騎士でないと持てないという事情もあるが。ただし魔法付与という手もあるので、魔剣を装備できない三級以下の騎士の戦闘力が絶望的に二級以上の騎士に劣るというわけではない。例えばシャーロットやカシムのような身体強化魔法持ち・重量武器装備の騎士と真正面から打ち合えば、魔剣であろうとランクの低いものならボッキリと折られかねないのだ。そういった騎士たちの実力(物理)は意外と侮れない。
とはいえ、グラッツの持つ魔剣はそこそこ強い力を持っているようだ。そのせいで他の騎士たちもうかつに割って入れないでいる。しかし同じく魔剣持ちであるジェラルドは、ノインの相手に忙しくグラッツの方まで手が回らない。
「チッ、すばしっこい……! だが、いつまで逃げ切れるだろうなぁ!?」
一撃目を躱されたことに舌打ちしたグラッツだったが、逃げ回る相手を追い詰めることに楽しみを見出したようで、執拗にセリオへと魔力刃による斬撃を繰り出す。セリオは巧みに防御魔法や補助魔法で受け流したり回避しているが、昏倒したダズレイを連れているせいで分が悪い。
「おい、あいつ、仲間ごと俺の部下を殺りそうな勢いなんだが」
呆れたようにジェラルドが言うと、愛剣を構え彼と睨み合ったまま、ノインは鼻を鳴らした。
「弱い奴はウチには要らないからね」
「おいおい……まあ、ある意味潔いといえば潔いが……」
ドライにも程がある頭領の言葉に、だがそれを漏れ聞いた傭兵たちも特に反応しないところを見ると、これは《紅の烙印》での共通認識らしい。その徹底した実力主義っぷりに、ジェラルドはもはや感心した。
だが呑気に感心してばかりもいられない。ダズレイはともかく、セリオは失うには痛過ぎる人材なのだ。というわけで、
「おい、セリオ! いざとなったらそいつは捨てとけ!」
「……隊長、さすがにそれはどうかと思いますけど」
「部下と犯罪者なら部下を取るだろうが普通」
「それは光栄です」
再び襲い掛かる魔力刃を魔法障壁で受け流し、セリオは生真面目に答えた。受け流された魔力刃はわずかに軌道を変えて地面を走り抜け、その先にあった切り立った崖を深々と切り裂く。
それが引き金となり、岩壁に亀裂が走った。元々崩れやすい地質だったのか、亀裂は見る間に大きくなり、あっという間に岩壁を斜めに両断したかと思うと、崖の上部から滑るように崩れ始める。崩れ落ちた崖はいくつもの巨大な岩塊となって出来たばかりの斜面を転げ落ち、地響きと轟音、そしてもうもうたる土煙を巻き起こした。加えてその岩塊が地面を穿ち、さらなる地滑りを引き起こして周囲の崖をこそげ落とすと、川面へと大量の瓦礫を注ぎ込む。騒乱の現場からは少し離れていたので崩落による人的被害はなかったが、その光景は騎士たちに息を呑ませるに充分だった。
「ふん、外したか。だが、そう何度も凌げやしねえだろ。俺も《剣聖》、魔法士一人に後れは取れねえんでな!」
「うひょお、さっすがグラッツの兄貴!」
「《剣聖》ってのは伊達じゃねえな!」
傭兵たちが沸き立ち、ジェラルドは眉をひそめた。
「《剣聖》、だと? あいつがサイフォス家?」
さすがに騎士団ともなれば、《剣聖》について多少なりとも知っている。もちろんかの一族は、剣を極める妨げになることを嫌って大陸を流れ歩き、国ともあまり関わらないため、ジェラルドが知ることとてさほど多くはないのだが。
(確かになかなかやるみたいだが……《剣聖》にしちゃ、魔剣に頼り過ぎてないか? あいつは)
先ほどからのグラッツの攻撃は、魔剣による力任せで大振りなものばかりだ。それは何となく、《剣聖》の名にそぐわない気がした。
だが、その戦闘力は決して侮れない。魔法士として一流クラスのセリオであるからこそ、どうにか凌げているのだ。
(さすがに、他の連中には荷が重いか。《擬竜兵》も見当たらねえし)
どうやら自力で脱出したらしく、この場にアルヴィーの姿はない。喜ぶべきか、それとも面倒が増えたと見るべきか。
そもそも自分たちの任務はアルヴィーを間違いなく王都へと護送することであって、《紅の烙印》を倒すことではない。アルヴィーが捕まっていればともかく、自力で逃げ出したと思しき以上、正直なところいつまでも彼らにかかずらっている場合ではないのだ。
(適当に叩きのめして退きたいところだが……この女が、な!)
思考の途中でノインが斬り掛かってきたので、余計なことを考えるのは止めて《オプシディア》に魔法を纏わせ受け流す。魔法による火花が散り、大剣の刃が滑った。ノインの上体がわずかに泳ぐ。
「食い破れ、《大地餓牙》!」
ジェラルドはその隙を逃さず、大地を足で打った。叩き込まれた魔力が地面を弾けさせ、土塊が牙となってノインを襲う。
「ちぃっ――!」
ノインは強引に身を反らせ、大剣で眼前の土の牙を薙ぎ払った。さすがに《下位竜》素材の剣というところか、土の牙は纏めて消し飛ばされたが、破片が彼女の頬に一筋の傷を残す。
「はっ――あたしの身体に傷を付けた奴なんて、久しぶりだよ」
ノインが獣のように獰猛に笑った。
「そうかい、そりゃ光栄だ」
薙ぎ払う剣先を躱して飛び退き、ジェラルドも笑う。
まるで二頭の肉食獣のような気迫に、空気が張り詰め周囲が息を呑んだその時――。
「――《竜の咆哮》っ!!」
崩落した崖の下から、一条の光芒が立ち昇り、一瞬の後その辺りが弾けるように吹っ飛んだ。爆音にその場の者が残らずそちらに目を奪われていると、そこから人影が現れる。
「――うっわ、何だこれ! ひっでえな!」
「いやー、多分この惨状って、半分くらい君が吹っ飛ばしたせいだと思うけど」
呑気なことを言い合いながら爆発で開いた穴をよじ登りその場に現れたのは、双方が探し求めていた《擬竜兵》と、そしてもう一人。
「しっかし、火の魔法ってあんな威力出るんだな。初めて知ったよ。っていうか、その腕も魔法か何か?」
「……あーうん、まあな」
アルヴィーがそっと目を逸らす傍ら、金茶色の髪の青年――フィランは全身の埃を払いながら周囲を見回す。
「……ところで、今お取り込み中? だったら出直すけど」
「てめえに用はねえ――そこのガキを置いて死にな!」
と、たまたま彼らの近くにいた《紅の烙印》の構成員の一人が、フィラン目掛けて剣を振り下ろした!
――そして次の瞬間、甲高い音と共に宙に舞うきらめき。
「いきなり斬り掛かってくるとか、乱暴だなあ。何事にも最低限の礼儀ってものはあるだろ?」
フィランは荷物をその辺に放り出し、代わりに掲げた手には、いつの間にか一振りの剣が握られていた。そして、斬り掛かった方の傭兵が喚く。
「なッ、お、俺の剣がぁっ!?」
彼が握ったその剣の切っ先三分の一ほどが、すっぱりと消失していた。そして一拍遅れて、回転しながら落ちてきたその切っ先が、地面にすとんと突き刺さる。
あの一瞬で、フィランは傭兵の剣の切っ先を斬り飛ばしたのだ。
「! こいつは……!」
それを目の当たりにしたグラッツは、一気に彼への警戒レベルを引き上げる。
(俺が……見えなかった!? あいつが剣を抜いたところさえ……!)
彼が驚愕の面持ちで見つめる先、フィランは剣を鞘に納めながらアルヴィーに尋ねる。
「……ところでさ、俺よく状況分かんないんだけど、君が合流しようとしてたのって、あっちの揃いの制服っぽいの着てる人たちの方で合ってる?」
「あ、ああ。ちなみにあそこのデカイ剣持ってる女が、俺のことバッサリやってくれやがった張本人」
「ふーん。じゃあ、あっちのガラの悪そうな方はぶっ倒す方向でいいんだね」
「……あァ!?」
さらりとなされた打倒宣言に、傭兵たちは気色ばんだ。
「てめえ、今何つった!?」
「てめえみてェな小僧が、俺たちを倒すだと!? ふざけんじゃねえぞ!」
手が届くところまで迫っていた報酬が遠ざかったことで、傭兵たちは元々気が立っていた。そこへこの台詞だ。彼らは額に青筋を浮かべ、殺気を振り撒きながら我先にフィランに斬り掛かる――!
「……やれやれ。俺、あんまりゴタゴタは好きじゃないんだけど」
嘆息。そして、銀の輝きが閃いた。
「――ぎゃああ!?」
「い、痛ぇっ!?」
フィラン目掛けて振り下ろされた傭兵たちの剣が、甲高い音と共に互いにぶつかり合う。その先にフィランはいなかった。ではどこに――と見ると、彼らの足下だ。素早く身を沈めつつ腰の剣を抜き放った彼は、一閃で傭兵たちの脛を斬り払ったのである。
「こっ、小僧、いつ抜きやがっ――!」
「見えなかった? ならそろそろ傭兵稼業は引退した方がいいと思うよ」
斬り払った勢いをそのまま身体の捻りに変え、フィランは立ち上がりながら大きく踏み込んで、とっさに動けない傭兵たちに突っ込む。慌てて迎え撃つ傭兵。負傷に顔を歪めながらも、てんでにフィランへと剣を突き出し、あるいは薙ぎ払い――そしてそのすべてが躱された上、腕に鋭い痛みを覚えて、彼らは剣を取り落とした。
「てッ……めェ! 何を……!」
「ちょっと腕の筋をね。完全に断ち切ってはいないから、すぐにポーション飲むか、しばらく剣を振らなけりゃ治るかもしれないけど」
そう、彼らとの交錯の際、フィランは剣を振るって、その腕の筋に斬り付けていたのである。だが、傭兵たちは誰一人、そのことに気付かなかった。その事実にやっと思い至り、怖いもの知らずの傭兵たちが顔を青くする。
彼らもようやく気付いたのだ。眼前の青年がただの小僧っ子ではなく、おそらくは容易く自分たちを斬り捨てられる存在だということに。
「うわ……すっげえ」
その舞踏にも似た剣捌きに、アルヴィーはぽかんと呟く。剣に関しては力押しの素人に近い彼にすら、フィランの剣捌きが凄まじいものであることくらいは分かった。
「く、くそ――!」
傭兵たちも、恐れをなしたように後ずさる。だがやはり腹に据えかねたのか、捨て台詞のようなものを吐き捨てたが。
「た、多少腕が立つからって、いい気になるなよ小僧……! 俺らには《剣聖》が付いてんだからな! てめえだって敵うめェよ……!」
「グラッツの兄貴! この小僧に《剣聖》の腕、見せてやってくだせえっ!」
「お、おお」
確かにこれは他の連中では相手は務まらないと判断し、グラッツは剣を構える。対峙するフィランは、剣を構えるでもなく興味に光る猫目でグラッツを見つめた。
「へえ……その剣、魔剣か何か?」
「目利きはできるらしいな。前にどっかの盗賊団から分捕った魔剣だよ。――いや、商人から巻き上げたんだっけか? まあいい。どっちにしろ、テメエは自分がこの剣で死ぬことだけ知ってりゃいいんだよ」
「いくらいい剣でも、役に立つかどうかは使い手の腕次第だと思うけどなー」
「口の減らねえガキだぜ……! いいか、俺は《剣聖》だぞ! 剣で俺に敵う奴なんざ、この世にゃもういやしねえんだよ!」
「くそ、何だって《剣聖》があんな連中なんかに――」
グラッツの喚き声に騎士たちが歯噛みし、逆に傭兵たちは勢い付いたが、真正面から言われた当のフィランだけは、さして興味もなさげに頭を掻いただけだった。あまつさえ、けろりとこう返す。
「っていうかさ……自分で《剣聖》名乗るのって、ちょっとこっ恥ずかしくない? 痛々しいっていうかさあ」
「ぶふっ」
緊迫した空気をぶち壊すこと甚だしいフィランの台詞に、ノインと対峙していたジェラルドが噴いた。
「た、確かにな……くくっ」
そこで笑える辺り、この男も大概大物である。
「このガキがっ……! もういい、死ね!」
《剣聖》の名に怯むどころかツッコミを入れてきたフィランに、グラッツは激昂し、地を蹴って斬り掛かる!
「食らえやぁっ――!」
振り下ろされた魔剣から、魔力の刃が撃ち出され、地面を大きく抉った。だがそこにフィランの姿はすでにない。
「何っ……!」
「グラッツ、後ろだよ!」
ノインの声が飛び、グラッツは反射的に振り返りかけながら剣を振り抜く。それでも充分に鋭い剣閃を、だがフィランはひょいと軽く躱した。
「速いは速い……けど、俺の親父の方が上かなあ、やっぱ」
呑気に感想など漏らしながら、フィランもここでようやく剣を構える。彼の剣は、それなりの質ではあるだろうが、それでも決して普通の域を出ないであろう剣だ。魔剣と打ち合うにはあまりにも頼りなく思えるそれを手に、フィランは特に気負いもなくグラッツと対峙する。
「はっ、そんな数打ちの剣で、俺の魔剣に勝てると――」
「さっきも言ったけどさ、勝負するのは剣じゃなくて使い手の俺たちだろ?」
フィランが呆れたように言い、そしてふらりと踏み込んだ。グラッツが危うく見落としかけたほどの、滑らかで自然な踏み込み。グラッツが反応するよりさらに速く、フィランの剣先が生き物のように襲い掛かる。その一撃に、アルヴィーは目を見張った。《擬竜兵》の動体視力をもってしても、剣先が霞むようにしか見えなかったのだ。
(《擬竜兵》の目でも追えない!? どんだけ速いんだよ!?)
そして、アルヴィーでさえ目で追えなかったほどの斬撃を、グラッツの視力で追えるはずもない。だが彼には、剣士としての直感と経験があった。その囁きに従い、彼は全力で後方に跳ぶ。それでも、躱しきれなかった切っ先が頬や腕の皮膚を裂いた。
「くっ――そ、ガキがぁっ!」
吼えたグラッツが、地面に足が付くが早いか地を蹴り、逆にフィランに突っ込んで行く。剣を振りかぶると、叩き付けるように振るった。
しゃあん、と涼やかな音と共に、フィランはその斬撃を剣でいなす。刃が滑り、グラッツの体勢が崩れた。
「馬鹿な……! 俺の剣は魔剣なんだぞ! ただの数打ちの剣で受け流せるはずが――!」
「それ多分、振り切らないとさっきの魔力の刃出せないんだろ? その前に止めちゃえば、ただの剣とそう大差ないからね。まあ、それでなくてもあんた、剣士として終わってるしさ」
「何だと!? もういっぺん言ってみろやコラあああ!!」
憤激したグラッツが、雄叫びをあげながらフィラン目掛けて突進する。斬撃――だが、粗い。フィランは再び、剣でその一撃を受け流す。
「“剣で自分に敵う奴は、この世にはもういない”――だっけ? 剣士ってのはね、自分の剣に満足しちゃったら、その時点でもうそれ以上先には進めなくなるんだよ」
逆に踏み込み、胴を目掛け一閃。グラッツは何とか、剣を逆立てるようにして受ける。
「本当に剣に生きてる連中ってのはさ、どこまでだって進みたがるんだ。強くなれるなら、際限なく強くなりたい。例え世界の頂点に立ったって物足りない。いつだって自分と競い合える相手が欲しい。むしろ下手に頂点に立って自分の腕が錆び付く方が我慢ならない……そういうイカレた連中なんだよ、《剣聖》の血筋っていうのは」
フィランが追撃。剣身がまるでグラッツの剣を絡め取るように動き、その手から弾き飛ばした。
「何っ――!」
「“俺たち”が数打ちの剣を使うのはね、技を磨くためだよ。どんな剣でも十二分に実力を発揮できるようにね。だから、普通の剣で魔剣と戦うことくらい珍しくもない。魔剣だからって無条件で相手の剣をへし折れるなんて考えは捨てた方がいいよ。――“次”があれば、だけど」
「クソがっ――!」
グラッツが地面に転がる魔剣に飛び付き、掴みざまに振り抜いた。撃ち出される魔力の刃。だがフィランはその前に地を蹴り、前方へ飛び出している。そして身を捻りつつほとんど地面すれすれにまで身体を前に倒し、その禍々しい刃を躱した。同時にグラッツの懐に飛び込み、身を捻る動きをそのまま利用、彼の脇をすり抜けながら剣を一閃。胴を薙ぐ。
「がはッ……!」
右の脇腹を深く斬り裂かれ、グラッツが呻いて倒れた。その後ろで体勢を戻し、向き直ったフィランに、傭兵たちが動揺する。
「グ、グラッツの兄貴まで……!」
「あのガキ、一体何モンなんだ……!?」
「ちっ――!」
ナンバー2であった二人を立て続けに倒され、さすがにノインも形勢不利になってきたと見たのだろう、仕切り直しとばかりにジェラルドを剣で牽制しながら跳び退る。そして警戒心もあらわに、フィランを見つめた。
「……そこの猫目のボウヤ、あんた一体何者だい?」
その問いに、フィランは面倒なことになったと言いたげにため息をついたが、剣を布で丁寧に拭い、それを構えて名乗りを上げた。
「改めて――俺はフィラン・サイフォス。一応、今代の《剣聖》ってことになるんだけど……代替わりしたのはつい二月くらい前だし、そんな呼び方されるのもまだこっ恥ずかしいから、普通に名前で呼んでくれると有難い、かな?」
◇◇◇◇◇
《剣聖》。
それは大陸を放浪しながら、ひたすらに剣の道を極めんとする剣士の一族、その中でも最も腕の立つ者を指す言葉だ。
かつて“魔導帝国”と呼ばれた国が、近隣数ヶ国の連合軍に敗れた戦争。その少し後に、一つの家が興った。古代の言葉で“剣”を意味する《サイフォス》を名乗るその家の人間は、だが領地や富はおろか名誉すら求めず、ただ愚直なまでに剣の道を突き進んだ。彼らが自らに一所での安住を許すのは、自らが《剣聖》の器でないと悟った時、そして《剣聖》の座を次代に継承した後。《剣聖》を継がんとする者、そしてその座を継いだ者は、ただただ自らを鍛えるために旅を続け、剣を振り、その過程すべてを自らの剣と生の糧となす。
そんな一族に生を享けたフィラン・サイフォスは、つい二ヶ月ほど前、先代の《剣聖》であった父からその座を継承したばかりの新米《剣聖》だった。
「――なるほどねえ、ボウヤが本物の《剣聖》……そりゃ腕が立つわけだ」
道理で《剣聖》と名乗ったグラッツにも気後れしないはずだと、ノインは納得した。あちらにしてみれば、いっそ滑稽ですらあっただろう。何しろ、当の《剣聖》の前で、自らをそう称していたのだから。
(ファルレアンの魔法騎士に《剣聖》。《擬竜兵》のボウヤも回復してるみたいだし、こりゃこっちの分が悪過ぎるか)
ダズレイは捕縛され、グラッツも見たところ重傷。他の傭兵たちも、ファルレアンの騎士たちに阻まれて《擬竜兵》奪還どころではない。普段の彼女ならば、さっさと見切りを付けて撤退している状況だ。
だが――。
(それでも、ここまで来ておめおめ逃げ帰るんじゃ、それこそ割に合わないね!)
うるさく危険を告げる直感を戦闘の高揚で黙らせ、ノインは素早く懐からアイテムを取り出す。それは細い小さな小瓶――この仕事を請けた時に前金と一緒に与えられたポーションだった。“仕事”の前に部下たちにも配布したが、万一に備え予備を懐に忍ばせていたのだ。栓を指で飛ばすと、彼女はそれを一息で飲み干す。
「気を付けろ! 多分何かのポーションだ!」
ジェラルドが周囲に注意を促す――その眼前に、ノインがそれまでにも勝るスピードで肉薄した。
「大当たりさ――とりあえず、あんたには死んで貰うよ!」
「くっそ……!」
《オプシディア》に魔法を纏わせる暇もない。ジェラルドはほとんど倒れ込むように、ノインの横薙ぎの一撃を躱した。それは何とか間に合ったが、その代償に大きく体勢を崩した彼は、次の攻撃を避けきれない。
――が。
「ちっ!」
ジェラルドの背後から、いつの間にかフィランが飛び込んでいた。彼が振るった鋭い剣閃に、ノインは舌打ち一つ残して剣をぶつける。キィン、と甲高い音。
「うっわ……! ちょっとこの人マジで人間なの? 腕力半端ないんだけど!」
衝撃に痺れた手に、フィランは顔をしかめる。だがノインも忌々しげに顔を歪めた。
「数打ちの剣のくせに――良く耐えたじゃないか!」
フィランの剣は、《下位竜》素材の剣と打ち合ってなお健在だった。ジェラルドは体勢を立て直しながら少々瞠目する。
「へえ、どんな魔法使ったんだ」
「ウチの一族、別に魔法とか使えないよ。初級の身体強化くらいなら何とかいけるかもだけど。あれはただ、剣をちょっとずらして力を分散させただけ」
打ち合ったその一瞬に、わずかに剣を滑らせて力の掛かる位置を分散させたことで、フィランの剣は何とか持ち堪えたのだ。それにしても、一歩間違えば自分の方が押し負ける危ない橋だが。さすが《剣聖》、いい具合にイカレてやがる、とジェラルドはいっそ感心する。
「後は、信じることかな。“俺の剣は折れない”」
「へえ?」
「どんな剣だって、この手に取った以上は命を預ける相棒だ。それを信じずに、何を信じろっていうのさ」
この世に存在するどんな剣も、行くべき時に行くべき使い手のもとに辿り着き、そして離れるべき時が来ればその手から去って行く。それがフィランの、ひいてはサイフォス家の持論だ。ならば、今自分の手にあるのが魔剣でも何でもないただの剣であるのも、そうあるべき時だからなのだろう。それを補うのが、サイフォス家が――そして歴代《剣聖》が積み重ね、磨き続けてきた技なのだ。
「はっ! そんな精神論だけでどうにかなるほど、世の中甘くないんだよ!」
ノインが吼え、大剣を振り回す。唸りをあげて空を裂く刃を、ジェラルドは飛び退き、フィランは身を沈めて躱す。そこからノインの膝を斬りに掛かるが、カウンター気味に前蹴りが飛んで来て泡食って躱した。
「――とぉ! あっぶな!」
猫のように身軽に横に一転して、フィランは次の攻撃に備える。
流れるような攻防にうかつに割って入れず、アルヴィーはもどかしくそれを見つめた。
(くっそ、駄目だ……! 俺の腕じゃ邪魔にしかなんねー! せめて、《竜爪》が通用すれば……!)
自身の右腕を祈るように見る。この腕が、これほど心許なく思えたのは初めてだった。やはりこれは後付けの力に過ぎないのだと、眼前の彼らを見ていればよく分かる。
女傭兵を相手に期せずして共同戦線を張っている彼らも、おそらくかの女傭兵自身も、そして未だ国境にいるルシエルも。長きに渡って鍛錬を積み重ね、力と技を磨き、それらを自身の血肉に変えて、今それぞれの戦場に立っている。その時間が、積み重ねた努力が、戦場で彼らを支えている。
翻って、アルヴィーの力はあの施術で半ば強引に与えられたものだ。右腕、そして死と紙一重の凄絶な苦痛という代償こそ支払ったが、彼らのように血の滲むような努力を重ねてきたわけではない。確かに自身に宿る力ではあるが、未だにどこか扱いかねている。
(……多分俺には、まだ覚悟が足りない)
力を持つ覚悟、そして――その力で誰かを傷付け、時に殺める覚悟。
意地だけで火竜の欠片を従えてはいても、これから先戦っていくために依って立つ場所が、真ん中で折れない芯になるその理由が、今のアルヴィーには掴みきれていない。
(――ルシィ)
彼の隣に立つことはもう決めた。
だからここからは自分自身で、自らの中に確固たる一本の芯を築かなければならない。
『ふむ、あの《剣聖》の言葉もあながち虚言ではないぞ、主殿』
静かに心を決めたアルヴィーの耳に、その時彼にしか聞こえないアルマヴルカンの声が響いた。
(……どういうことだ?)
『我ら竜が体躯に比して明らかに足りぬ薄い翼で空を飛べるのはなぜだと思う? 鱗が剣をも通さぬほどに硬いのは?』
(……“そういうもんだから”じゃねーの?)
『否。――答えは“魔法によって”だ』
「え、そうなのか?」
思わず声に出してしまったが、状況が状況だけに誰も聞きとがめなかった。
『もちろん、人のようにいちいち詠唱など必要とはしない。半ば無意識のようなものだ。我らは“翼で空を飛べる”こと、“鱗が剣をも通さぬこと”を疑わない。その無意識下のいわば“思い込み”が、それを叶える魔法となる』
(……でもそれって、ちょっとでもそれを疑ったらダメってことじゃ)
『自身の力を疑う者など、竜にはいない』
「…………」
どうやら竜というのは、揃いも揃って自信家らしい。
『ともかく、その特性はわたしとて変わらぬ。そして我が欠片を裡に持つ主殿もな。そもそも主殿のその腕の変容は、我らが自由に体躯の大きさを変えるのと原理は同様。身体組織を魔力で増幅・変形させ、強度を高めたものだ。あの剣はその最たるもの』
「! じゃあ……!」
アルヴィーの脳裏に閃いた考えを肯定するように、アルマヴルカンの声が続く。
『奇しくも、あの《剣聖》の言う通り。ただ己の剣が折れぬことを、信じれば良い。すべては主殿の心ひとつ』
「折れないことを、信じる……か」
アルヴィーは右手を見つめる。
一度、完全に斬り落とされたアルヴィーの剣。だが、今ならその理由が分かる気がした。
(あれも、俺が肚を括りきってなかったせいだ)
覚悟を決めたつもりでも、やはり人を――生身の人間を相手取って戦うことを、心のどこかで忌避していた。この手が血で汚れることが怖かったのだ。
自分たち《擬竜兵》は、数多の人間の屍山血河の中から生まれ出たというのに、アルヴィーはまだ本当の意味で、それを受け入れてはいなかった。だから、この力も真実使いこなせてはいなかったのだ。その基盤となる確固たる信念が、自分にはまだなかったから。
《竜爪》の強さがアルヴィーの心によって左右されるというなら、芯の通っていない剣など、脆くて当然だろう。
(なら――肚括って、一歩でも前に進むしかねーってことだ!)
アルヴィーは右腕を伸ばす。パキ、パキン、と氷が爆ぜるような澄んだ音と共に、形作られる新しいアルヴィーの剣。
(この剣は折れない。折らせない)
思い浮かべるのは親友。自身の剣を携え、自らも一振りの剣のごとく、凛と立っていたその姿。
あの隣に並ぶために。
そこで同じものを見るために。
そして――その身を守る剣となるために。
(俺は、あいつを守る剣になる)
彼がアルヴィーを守るため、力を求めたというのなら。
自分はその傍らで、決して折れない剣になる。
「……できた……」
新しく形作られた《竜爪》は、澄み渡る深紅。長さや形は以前のものとそう大して変わっていないが、アルヴィーの心境の変化が影響したのか、熾火のような力がその中に確かに息づいているような気がする。
(――俺も戦うよ、ルシィ)
今まで戦い続けてきた彼の隣に、胸を張って立てるように。
アルヴィーは新たな剣を携え、眼前の戦いに向かって地を蹴った。
◇◇◇◇◇
「――ったく、どうなってやがる、あの女」
刃を交えること、すでに数度。一向に衰える気配のないノインの膂力に、ジェラルドは舌打ちして飛び退る。
「あのポーションで底上げしてるにしても、限度があるだろうに」
「……もしかして彼女、《虚無領域》の出身なのかな」
こちらも仕切り直しとばかりに退き、フィランがふと呟く。それを耳ざとく聞き付けたジェラルドが眉をひそめた。
「《虚無領域》っていうと、旧クレメンタイン帝国領か」
「俺もルーツはあっちの方なんだけど――あの辺り、たまに飛び抜けて身体能力の高い人間が生まれることがあるんだよ。ウチの家系にもちらほらいたけど。特に《神樹の森》の近くだと、そういう人間が多いって聞いたことがある」
「なるほど、元々身体能力が高かったところへポーションの効能も合わさって、あんな反則級の化け物が出来上がった、と」
納得はしたが、それで状況が好転するわけでもない。
「まだまだァ!!」
ブォン、と風を切り、ノインの大剣がまたしても二人を襲う。防御しようとして、ジェラルドは舌打ちした。
「……ちぃっ、魔力がもうヤベエ!」
「ええーっ!?」
さっきから《オプシディア》に魔力を注ぎ、強度を上げると共に魔法も纏わせて迎撃していたせいで、ジェラルドの魔力はかなり消費されていた。マナポーションを飲めば回復はできるが、その暇を相手が与えてくれない。
そして彼が戦線離脱すれば、ノインの相手はフィラン一人に圧し掛かってくるのだ。フィランが悲鳴をあげるのも、むべなるかな。
「ちょっとどーすんの!?」
再び飛び退りながら、フィランが焦る。だがジェラルドはにやりと笑った。
「決まってんだろ。――選手交代だ」
まさにその時。
「――――!」
ノインが弾かれたように振り返りながら、剣を振り抜いた。その刃が甲高い音と共に受け止められる。
「よう、遅かったな」
「うっせー!」
新たな《竜爪》でノインの剣を正面から受け止め、参戦してきたアルヴィーはノインを睨み据えた。
「ははっ、やっとお出ましかいボウヤ! 来な、また半殺しにしてあげるよ!」
「お断りだ!」
《竜爪》とノインの剣がギリギリと軋みながら噛み合う。双方、渾身の力で刃を押し込み合い、そして互いを突き飛ばすように離れた。
「もう一本――貰うよ!」
ノインは大きく踏み込むと剣を振りかぶり、振り下ろす。先ほど、《竜爪》を斬り折ったのと同じ攻撃――だが、アルヴィーはそれを真っ向から受け止めた。文字通り火花を散らしたその一撃に、しかし新たな《竜爪》はびくともしない。ノインはわずかに表情を変えた。
「へえ……前のより硬いのかい」
ノインがにたりと嗤った。壊し甲斐がありそうだ、とでも思ったのだろう。
ヒュ、と鋭い呼気と共に、大剣が唸った。暴風のようにアルヴィーに襲い掛かる刃。それに、真正面から立ち向かう。
(大丈夫だ――今の《竜爪》は折れない!)
アルヴィー諸共一刀両断にしようかという一撃を、《竜爪》は受け止め――そして弾き返す!
「何っ……!?」
予想以上に頑丈だった《竜爪》に、ノインは目を見張った。
(斬り折った時よりも威力が乗ってたはずなのに――弾いた!?)
「――っし!」
確かに感じた手応えに、アルヴィーは短く快哉を叫び、そしてノインがわずかに見せた隙を逃さず攻め込んだ。
「さっきの借り、返させて貰うぜ!」
「しゃらくさい!」
アルヴィーが振るう《竜爪》を、ノインの剣が受け止める。ぎり、と互いに刃を立てる二振りの剣。《擬竜兵》であるアルヴィーと、元々の身体能力をポーションでさらに引き上げているノインの膂力は拮抗し、相手を押し切らんと噛み合う刃同士が不協和音を奏でる。
だが、さすがにノインは百戦錬磨の傭兵だ。力で互角と見るや、剣の角度を変えてアルヴィーの力を受け流しに掛かる。
「うわっ、とっ……!」
体勢を崩しかけたアルヴィーは、だがとっさに剣を引いて飛び退いた。あの剣で斬られると回復が遅い。それはこの局面では致命的だ。
「くっそ……!」
息と共に悪態を吐き出し、アルヴィーは体勢を整える。あの攻防で、呼吸が乱れ始めていた。《擬竜兵》として戦った経験はあれど、ほとんどが《竜の咆哮》での遠隔攻撃や魔法だ。ルシエルと戦った時の経験がなければ、ノインの猛攻にも付いて行けなかったかもしれない。つくづく、己の力不足を痛感する。
(でも――負けるわけにはいかない)
奥歯を噛み締め、アルヴィーは再び地を蹴った。身体を捻るようにして、《竜爪》を斜め上へと振り抜く。それはノインが振り下ろした剣とぶつかり合い、鋭い音を響かせた。
二振りの剣の向こうに見えるノインの表情が、愉悦に歪んでいる。このまま打ち合ったところで同じことの繰り返し。そうなれば経験に勝る分、ノインの方が有利だ。それを踏まえてこそ、彼女は嗤うのだろう。
このままでは足りない。あと少し――もう少しだけ、力が欲しい。
「こんなとこで……負けてるわけにいかねえんだよ!!」
叫び、そして渾身の力で刃を押し込んだ、その瞬間。
右腕に、湧き上がるような熱を感じた。
「――ッ!」
唐突な熱気に、ノインは目を守るように細め、アルヴィーは《竜爪》の変化に目を見張った。
(……何だ? 光ってる……?)
《竜爪》が、滲むような輝きを放ち始めている。それは、さながら鍛えられる最中の剣。赤熱した鋼のような光が、深紅の剣身を内部から照らすように赤々と燃える。
(よく分かんねーけど――これなら!)
アルヴィーは奇妙な確信を抱きながら、さらに《竜爪》を押し込む。ノインのこめかみを、熱気のせいではない汗が伝った。
「くっ……!」
少しでも力を緩めれば押し負ける。彼女もまた、渾身の力で剣を押し込み――。
「はああああっ!!」
「おおあああぁぁぁっ!!」
雄叫びと共にせめぎ合う双方の刃。そして次の瞬間、“それ”は起きる。
「――なっ!?」
ノインは思わず声をあげた。
刃同士が噛み合ったその一点、《竜爪》がじりじりと、ノインの剣の剣身に食い込み始めている。赤熱する刃がゆっくりと、だが確実に彼女の剣を喰い千切らんとしているのだ。
「まさか……っ!」
信じ難い光景に、一瞬の自失――アルヴィーはその機を逃さず、渾身の力で刃を押し切る。
「っ、らああぁぁぁっ!!」
一歩。裂帛の気合と共に踏み込んだ次の瞬間、《竜爪》の熱にノインの剣が屈し、その剣身が半ばから斬り落とされた!
「そん――」
そんな馬鹿な、と思わず零れかけた声は、しかし皆まで発されることはなく。
《下位竜》素材の剣を焼き斬った《竜爪》の切っ先が、その勢いのままにノインの喉を斬り裂いていた。
◇◇◇◇◇
ノイン・バルゼルは、大陸の中の空白地帯、通称《虚無領域》と呼ばれる地域の、小さな集落の一つに生まれた。
かつては“魔導帝国”と名高かった国の領土だったその地の大部分は、帝国滅亡の際生き残ったわずかな帝国貴族たちが、小さな国を興しては滅ぶことを繰り返した末に無法地帯となり、無数の小さな集落が点在する状態に落ち着いたのだ。中でも、魔物が多く棲息する《神樹の森》に近い集落は、そのためか男女問わず屈強な人間が多かった。そんな集落に、彼女は生まれたのだ。
ノインはその血筋ゆえか、幼い頃から並外れた膂力を誇っていた。そして十になるやならずの頃から、大人たちに混じって魔物を狩る生活を送っていたのだが、そんな彼女に目を付けた傭兵の一団が、幾許かの金と物資で彼女を引き取り、傭兵として育て始めたのだ。彼女はそこで腕を磨き、瞬く間に頭角を現して、二十歳を過ぎる頃にはそこそこ名の知れた女傭兵へと成長していた。彼女が家名として名乗る“バルゼル”は、この傭兵団に由来する。《虚無領域》の集落では百年の間に家名の習慣が廃れ、彼女は家名を持たなかったからだ。
そして、いくつかの傭兵団を渡り歩くこと七年。そこでノインの所属する傭兵団が、《虚無領域》とその東に位置するリシュアーヌ王国との国境付近を移動中、突如《下位竜》の襲撃を受けたのである。
下位とはいえ相手は竜種、戦いは熾烈を極めた。百人近かった傭兵団の内、実に八割以上が死亡。だが、その犠牲の上に、彼らは《下位竜》を地上に叩き落とすことに成功、そしてノインが得意の大剣で竜の目からその頭蓋を貫き通し、止めを刺したのである。それ以来、ノインは《下位竜殺し》と呼ばれるようになった。
倒した《下位竜》で得られた利益を生き残った面々で山分けした後、その傭兵団は解散し、ノインは自らの取り分である竜の骨で一振りの大剣を仕立てた後、新たに自分の傭兵団を結成した。それが《紅の烙印》である。
そんな彼女のもとには、その勇名に惹かれた荒くれ者どもが集まり、ノインは彼らと共に各国を荒らし回った。“仕事”に関して、彼女は多少の“やり過ぎ”にはこだわらず、敵を討ち果たすことを第一としたので、《紅の烙印》はその抜群の戦績にも関わらず疎まれ恐れられ、国によっては犯罪者として扱われてすらいる。だが、彼女たちは他者からの評判など意に介さず、ただただ力と報酬のみを求めてきた。
――しかしそれも、もうすぐ終わる。
(ざまあない……欲を掻き過ぎたか)
脳裏を掠めていった過去の記憶から立ち返り、霞み始めた意識で、そう悪態をつく。掻き切られた喉が焼け付くようだ。そう長くないな、と他人事のように思う。
ノインを討ち果たした少年は、仰向けに倒れた彼女を見下ろしているようだった。おそらくその手で人を斬った経験はごく少ないのだろう。表情を翳らせ、息を乱しながらも、彼は死に向かう彼女をしっかりと見据えている。その炎を透かした琥珀のような朱金の瞳が、やけに目に焼き付いた。
――良い眼だ。
その真っ直ぐな眼差しを、ノインは好ましく見上げる。
――結構好みだったよ、ボウヤ。
だが、彼女の喉はもはや震えることもなく。
そのまま、すべてが遠ざかっていった。
「……死んだか」
アルヴィーの背後から、ジェラルドが女傭兵の顔を覗き込む。
「しかしまあ、とんでもない女だったな」
「……生かして捕まえないで、良かったのかよ」
「あの傷じゃポーションも間に合うかどうかだったしな。まあ、取り調べる分には手下がいるし、話はそっちからも聞ける。――それにどの道、この女の罪状を全部数え上げたら、そう遠くない内に処刑ってことになってただろう。《紅の烙印》ってのはそういう奴らだ。犯罪者として処刑されるより、傭兵として戦いの中で死ぬ方が、その女としても本望だろうさ」
そう言って、ジェラルドはアルヴィーを見やる。
「で? 今になって怖気付いたか?」
「まさか。――俺は戦友殺しでもあるんだぜ」
この手が血に塗れていることなど今更だ。アルヴィーは自嘲するようにそう言って、もう一度ノインを見つめる。
初めて明確に自らの意思をもって手に掛けた相手を。
魔法騎士たちと対峙した時は、ルシエルの存在や僚友たちの暴走もあって戦いどころではなく、メリエの時はただ彼女の攻撃を跳ね返すのに夢中だった。マクセルの時は、彼を止めるつもりで結果として殺めることに手を貸した。レドナで連れ去られた時は、怒りに呑まれかけて気が付いたら辺りを火の海にしていた。レクレウスの情報部員がいくらか巻き込まれていたと知ったのは後の話だ。
だが眼前の彼女は、アルヴィーが初めて自分自身の意思でその命を奪った相手だった。
だから、見届けた。
彼女が息絶える、その瞬間までを。
「肚括るって決めたんだ。――どれだけ泥を被って、血に塗れたって」
その横顔に、一振りの刃のような折れない覚悟を認めて、ジェラルドは笑う。
「上等だ」
アルヴィーから視線を外し、ジェラルドは部下たちに指示を出す。
「よしおまえら、そいつら連れて戻るぞ! そこの《剣聖》もどきにも、一応ポーション飲ませとけ!」
とはいえ、襲撃で馬車も燃えてしまったので、とてもではないがこんな大人数を王都まで連れ歩けない。一旦この地の領主である子爵にでも預けるしかなさそうだ。あちらにとってはとんだ迷惑だろうが、勘弁して貰おう。
それに――と、ジェラルドはセリオを手招いた。あの時ノインが呷り、そのまま捨てたポーションの小瓶を拾い上げて彼に投げ渡す。もちろん中身は飲み干されているが、中に数滴分は残っているはずだ。
「王都に戻ったら、そいつの分析もしないとな。元の能力値にも左右されるだろうが、あれだけ身体能力が跳ね上がるなら、成分を調べてこっちでも作りたい。もっとも、身体に害がないことが前提だが。おまえのコネで研究所に捻じ込んでくれ」
「強過ぎる薬は毒ってやつですね。了解しました」
セリオは頷いて、小瓶を魔法式収納庫に入れた。彼は元々、とある魔法士のもとに弟子入りしていたが、その師は現在王立魔法技術研究所に所属している。セリオとは現在も交流があり、確かにその伝手を辿れば分析の依頼もしやすいだろう。
傭兵たちの応急手当も終わると、彼らは騎士たちによって縄を打たれ、街道で待つ騎士団の本隊へと連行されることになった。ついでに傭兵たちが逃走手段として用意していた馬の居場所も聞き出し、そこへ何人かの騎士が走る。今回の襲撃で馬が何頭かやられたので、その穴埋めである。昏倒したままの者やノインの遺体は、セリオが転移魔法で飛ばす手筈だ。この辺りならまだ、彼の転移魔法の許容範囲内だった。
「おい、行くぞ」
「ああ。――あ、そうだ! 俺のこと治療するのに、フィランが自分のポーション使ってくれたから、その分渡せねーかな」
ジェラルドに促され、アルヴィーはふと思い出してポーションの件を伝えた。ジェラルドはあっさり了承する。
「確かに、その補償は要るだろうな。俺の持ち合わせがあるから、そこから出そう」
「あ、くれるんなら助かるけど。どの道俺も、塒移そうかとは思ってたし」
フィランが地面に放り出したままだった荷物を拾い、埃を払って肩に掛けながらそう言った。彼がここ数日塒にしていた洞穴は、さっきの崩落でもはや跡形もない。まあ、残して来たものといえば鮮度的にそろそろ危なかった鹿肉くらいなので、そう惜しくもないが。
「それに、さっきあんなゴツイ剣と打ち合ったからさ。やっぱちょっと歪んじゃったし、この剣も直さないと」
フィランは腰の剣を軽く叩く。並の剣士では気付かないほどのわずかな歪みだったが、フィランの感覚では無視できないレベルの歪みだ。できればそれなりの街に出て、専門の職人に見せたい。
ポーションの受け渡しを済ませた後、どうせだからとフィランも途中まで同行することになり、共に街道へと向かう。《剣聖》は極力国とは関わらないものだが、同じ目的地へ向かう途中に同道するくらいは許容範囲だ。というか、そこまで拒絶していたらただの社会生活不適合者である。仕官などという話が来たらもちろん蹴るが、世間話くらいならむしろ歓迎なくらいだった。
物心付いた時から祖父や両親と共に大陸を流れ歩いていたというフィランの話は、アルヴィーには物珍しいことばかりだ。感心して聞いている内に、街道に出てしまった。残存部隊を取り纏めていたパトリシアが駆け寄って来る。
「隊長、ご無事で」
「ああ、何とかな」
「こちらも怪我人の治療は完了、隊列の整理もほとんど終了しています。傭兵たちの収容が終われば、すぐに出発できます」
「よし、上出来だ」
有能な副官を労い、傭兵団の馬を接収に向かっていることを伝える。その馬が来るまで、出発は据え置きとなった。アルヴィーとフィランからさり気なく離れ、ジェラルドはパトリシアに小声で告げる。
「薄々そうじゃないかとは思ってたが、やっぱり旧ギズレ領の魔動巨人はこっちの戦力を引き抜くための囮だった可能性が高い。レクレウスも国ぐるみで奪還に本腰入れて来たな」
「……では、今後も襲撃の可能性があると?」
「そこまでは分からん。が、可能性としては考えておいた方がいいな。――で、だ。俺にちょっとした考えがあるんだが」
ジェラルドはにやりと、悪そうな笑みを浮かべた。
――そんな彼の“悪巧み”など知る由もなく、アルヴィーがフィランと話していると、
「おい」
唐突に声を掛けられ、アルヴィーは振り返った。
「ん?」
そこに立っていたのはウィリアムだ。彼は手に持っていたものをアルヴィーに押し付けてくる。
「貴様の“剣”の欠片だ。残しておいたら何か影響を及ぼすかもしれん。自分のものは自分で始末しろ」
それは、折られた《竜爪》の剣身と細かい欠片だった。欠片はちゃんと布に包んで纏めてある辺り、ウィリアムは割と几帳面な性質らしい。
「お、おう……ありがとな。でも、別にそのまま持ってても――」
「要るかっ! 貴様の施しなど受けんっ!」
アルヴィーとしては別に他意はなかったのだが、ウィリアムは肩を怒らせるとビシィ! とアルヴィーを指差す。
「言っておくがな! クローネル小隊長の幼馴染だからといって、いい気になるなよ! あの方は騎士の中の騎士、貴様のような平民とは違うのだ!」
それだけ言い置いてずんずんと歩いて行く彼を、アルヴィーはぽかんと見送った。
「……何だ、あれ」
「君にヤキモチでも焼いたんじゃない? 憧れの相手に特別な人がいるのが気に食わないとか、そんな感じで」
「あー……なるほど」
フィランの言葉でウィリアムの態度にも納得が行き、アルヴィーは頷く。
「まあ正直、この先会うかどうかも分かんねーし、それはどうでもいいけど。風当たり強いのは覚悟してるし」
何しろついこの間まで敵国の軍人だったのだ。レドナの一件も遠からず広まるだろうし、この先負の感情をぶつけられることもあるだろう。アルヴィーが選んだのはそういう道だ。
それでも、ルシエルの傍らに立つと決めたから。
「何て言われようと――折れる気はないよ」
覚悟はもう、すでに決まっているのだ。
アルヴィーは遠く西の空を見上げる。その向こうに、ルシエルは今も留まっているはずだった。
(――大丈夫、だよな)
アルヴィーは、今まさに旧ギズレ領で戦端が開かれていることなど知らない。だが知らないなりに、彼の胸の内でざわめくものがあった。
(大丈夫だ。ルシィなら、絶対……)
信じて見上げた空の向こう、国境にいる親友を思い、アルヴィーは両の手をきつく握り締めた。




