第127話 迎撃
地を蹴り空を翔けていたアルヴィーの目に、その魔動巨人が飛び込んだのは、まったくの偶然だった。
(……あの魔動巨人、一体だけはぐれてどこに向かってるんだ?)
主に市街地で暴れている魔動巨人たちの中から、一体だけがなぜかはぐれて王城の傍の森の方へと向かっていた。と、アルマヴルカン(欠片)が何かに気付いたように、
『――主殿。あの森に人間がいるようだ。あの魔動巨人は、それを追ったのかもしれん』
「は? そりゃ森にだって人くらいは――」
言いかけて、さすがにアルヴィーも気付く。
こんな非常事態、しかも市街地にはすでに魔動巨人が侵入して、下手をすれば王城も危ない。王族――特に女性や子供は、早々に避難していたとしても不思議ではなかった。そして、王城からの避難とくれば秘密の避難通路が定番である。その出入口は目立たないように造られるのが当然であり、たとえば出口が王城すぐ傍の森の中にあったとしても頷ける話だ。
「じゃあ、森にいる人間って……!」
息を呑んだアルヴィーは、すぐさま方向を変えた。
だが彼が追い付くより先に、魔動巨人は右肩の魔動砲を展開する。撃った。
「くそっ」
放たれた一撃は真っ直ぐに森を焼き、木々の中にひっそりと建つ館を掠めるように駆け抜けた。館の周囲はほんの一瞬で炎が広がり、護衛のために展開していたと思しき兵士たちが、逃げ惑いながらも必死に踏み止まろうとしている。
しかし魔動巨人はそれを嘲笑うかのように、無造作に館を蹴り壊した。遠く悲鳴が聞こえる。甲高いそれは、主に女性たちのものだ。
急がなければ、とアルヴィーは後方に魔法障壁を展開、全力でそれを蹴り――。
「――どぁあああっ、勢い付き過ぎたぁぁぁぁ!?」
彼はうっかり失念していた。火竜の血肉を追加移植された自分の膂力が、今までのそれを軽く上回ってしまっていることを。
にも関わらず、以前の感覚で魔法障壁を蹴って反動を付けたため、強化された脚力と翼の力で、アルヴィーは砲弾よろしく魔動巨人目掛けてカッ飛んでいったのである。
何とか空中で体勢を直し、足から魔動巨人に突っ込むことに成功、ついでに足裏に展開した魔法障壁で足を保護することにも成功したが、そもそも速度が相当なものだったので、“着弾”の衝撃は大して殺がれなかった。
「――痛ってぇぇぇ!! 魔法障壁で防御しても痛ぇ!」
勢い余って空中でくるくる回りながら、足を抱えて大絶叫。だがさすが強化済みというべきか、魔動巨人を蹴倒す勢いで激突しておきながら、彼の足の骨は欠片ほどの損傷もなかった。もっとも、あってもすぐに治っただろうが。
(うわあ……魔動巨人蹴り倒すとか、もう完全に人間辞めた感じじゃん……)
またしてもやらかしてしまった自分にドン引きしつつ、着地。足を擦りつつふと見ると、館の裏手の井戸の傍に、お仕着せを着た侍女らしい女性が倒れていた。おそらく、水を汲みにでも出た時に、魔動巨人の砲撃の余波に巻き込まれたのだろう。彼女が無事なのか否かは、アルヴィーの超人的な五感をもってしても分からない。
(どう見ても非戦闘員な人間まで、問答無用で巻き込みやがって……!)
憤りを込めて地面を踏み締め、彼は戦闘形態の右腕を振り回した。
「何でフィエリーデが襲われてんだかわけ分かんねーけど――とりあえずアレ仕留めるぞ!」
『良かろう、付き合おう』
アルマヴルカンの応えを受けて、森を焼く炎の中に佇みながら、アルヴィーは油断なく魔動巨人を見据える。ついさっきうっかり蹴り倒してしまったが、あくまでも蹴り倒しただけなので、さほどダメージはないだろう。
それよりも今は、館やその周囲の人々の安全確保が急務だった。
(……とりあえず、火は消しとくか)
右肩の翼に少しだけ意識を割き、周囲の炎を“呼ぶ”。途端に、燃え盛る炎が渦を巻き、火の粉を散らしながら翼の中に吸い込まれていった。
「なっ……!」
周囲の兵士たちが驚愕の声をあげる。そういえばリシュアーヌの兵士にこれを見せるのは初めてだった。
だがとりあえず、説明している暇はない。
《竜爪》を掲げ、その切っ先を起き上がりかけた魔動巨人の頭部に向けた。
――《竜の咆哮》!
撃ち放たれた光芒が魔動巨人の頭部を吹き飛ばす。だがそれだけでは終わらないことを、彼は知っていた。
(……確か、頭潰しただけじゃ駄目なんだったな)
レクレガンでの一件で、クレメンタイン帝国の新型魔動巨人は、頭の命令伝達術式を潰してもしばらくすればまた動き出すと判明していた。おそらく、補助の術式がどこかに仕込まれているのだろう。
「――とりあえず、ぶった斬るか!」
どこまでも力技なことを名案とばかりに宣言すると、アルマヴルカン(欠片)に呆れたようにコメントされた。
『……わざわざ術式を壊さずとも、あれの動力源をどうにかすれば止まるのではないのか』
「……あ」
『…………』
沈黙が痛い。
気を取り直し、アルヴィーは魔動巨人に目を凝らした。
「……あれか」
魔動巨人の胴体部分に一ヶ所、輝きを帯びた部分がある。ただし、そこは装甲も相応に分厚そうだった。生半可な攻撃では、あっさり弾き返されてしまうだろう。
しかし――《竜爪》なら、話は別だ。
アルヴィーは頭部を吹き飛ばされて再び倒れた魔動巨人に駆け寄ると、《竜爪》に炎を纏わせる。身長よりも長い剣になったそれを、真っ直ぐに魔動巨人の胴体に振り下ろした。少し位置をずらして、もう一撃。
避けようもなく輪切りにされた胴体を蹴飛ばし、切り出した部分から易々と魔石を回収する。
「……魔石までぶった斬るのは、ちょっと勿体ないもんなあ」
魔動巨人の巨躯を動かすだけはあって、回収した魔石はなかなか大ぶりだ。だが生憎、アルヴィーが現在着ている服には、それが入るような大きさのポケットの類がなかった。持って来た袋(もどき)は、燻製肉と水筒で埋まっている。
結果。
「――すいませーん、ちょっとこれ預かっといて」
「は、ええっ!?」
幸か不幸か手近にいた兵士に魔石を押し付け、地を蹴って再び空に翔け上がる。
市街地方面に戻れば、相変わらず魔動巨人が好き放題に練り歩いていた。アルヴィーは足場を創ってそこに立つと、そうした魔動巨人の内の一体に《竜爪》の切っ先を向ける。
撃ち放たれた《竜の咆哮》は見事魔動巨人の頭部を貫き――というかほぼほぼ消滅させ、魔動巨人は制御を失ってその場にくずおれた。急いで退避した兵士たちが驚愕の視線で辺りを見回す。
「馬鹿な、あの硬い魔動巨人が一撃で……」
「一体誰が」
「あの攻撃はどこから?」
ざわつく兵士たちの、文字通り頭越しに、アルヴィーは魔動巨人の狙撃を続行する。もう一体仕留めたところで、別の魔動巨人がアルヴィーを見つけて魔動砲を発射してきた。
(避け……たらまずいな。後ろの建物に当たる)
折悪しく後方には高い尖塔があって、アルヴィーが避ければ魔動砲が直撃コースだ。ちらりと背後を一瞥し、《竜の障壁》で受け止めた。新型といえど、魔動巨人の魔動砲程度では《竜の障壁》は貫けない。閃光と爆音が障壁の向こうで巻き起こったが、アルヴィーには微風ほどの影響もなかった。
上空の爆音に反応して、他の生き残り魔動巨人もアルヴィーを見つける。魔動砲の砲口が一斉に向けられるが、それが火を噴く前に、アルヴィーの《竜の咆哮》が次々と魔動巨人の頭部を吹き飛ばした。
「おおっ!」
「魔動巨人をやったぞ!」
兵士たちから歓喜の声が湧き起こる。アルヴィーは手近な建物の屋根に下り立つと、指揮官の姿を探して駆け出した。
(あの魔動巨人を完全に仕留めるには、もう一つの術式壊すか魔石抜くかだって、指揮官に教えないと……)
だがなかなかそれらしい姿は見当たらず、アルヴィーはもっとよく見ようと目を凝らす。その時。
『――主殿、来るぞ!』
「っ!?」
アルマヴルカンの警告に、アルヴィーはとっさに屋根を蹴って跳ぶ。まさにその瞬間、突然現れた小柄な人影が振るった銀の刃が、彼の爪先を掠めて宙を斬り裂いていた。
「――危っぶね! 何だコイツ急に出て来たけど!?」
人影を飛び越える形で斬撃を避け、屋根の上で一転して立ち上がると、アルヴィーは改めて人影を見やる。銀の髪と金の眼をした小柄な男は、その双眸を鋭くしてこちらを見ていた。
「……勘が良いな」
呟いた男は、再度攻撃を仕掛けてくる。駆け抜けるように踏み込み、手にした剣を一閃。アルヴィーはさらに飛び退く。
(うわ、迅っえ……!)
その小柄な体格を活かすためか、男の斬撃は威力よりも、速度と手数に重きが置かれているようだ。それを躱し、時に《竜爪》で弾きながら、その怒涛の攻めを凌ぐ。
「――ちっ!」
埒が明かないので、《竜爪》を男目掛けて思いっきりぶん回してみた。まともに入れば人間一人くらいずんばらりといってしまう一撃だが、この相手ならどうにか凌ぐだろう。
実際、男は手にした剣をへし折られながらも、紙一重で避けてみせた。
「……ずいぶん予定が狂ったが……これはここに踏み止まるべきか? それとも撤退か……」
折れた剣を捨て、男はぶつぶつと呟き始める。何となく戦意を削がれて、アルヴィーは彼に尋ねた。
「……なあ、その言い草もしかして、あんたが指揮官?」
「今回の侵攻を指示したという意味でなら、そうなる。だが俺も、上位者の指示を受けているに過ぎない」
『ほう、良かったな、主殿。指揮官が見つかったぞ』
「違う、そうじゃない。俺が捜してたのはリシュアーヌ側の指揮官であってだな……」
頭を抱えたくなったアルヴィーだったが、気を取り直して彼に《竜爪》を突き付ける。
「……とにかく、すぐに侵攻を止めさせろ」
「それについては、上位者の指示を受けていない」
鋭く輝く《竜爪》の切っ先を眼前に突き付けられてもなお、男の表情は落ち着いたものだった。
「確かに現場での指揮は俺の裁量に任されているが、侵攻そのものについての判断は、俺の上位者によるものだ。それについての意思決定の権限は、俺には与えられていない」
「何だそれ……」
「俺はあくまでも現場指揮官だ。対して侵攻の可否の判断は戦略的なものになる。戦略的な判断については、通常一介の現場指揮官が口を挟む余地はないと、俺の中の知識にはある」
淡々とそう言って、彼はアルヴィーを見据えた。
「……一つ訊きたいが、人間というのは同じものを飲み食いすれば、家族関係が生まれるものなのか」
「…………はあ?」
状況にそぐわないこと甚だしい問いに、アルヴィーがぽかんと呟くと、男は困惑するように目を細めた。
「ある人間に言われた。“同じ飯を食って同じ酒を回し飲みすれば、兄弟というものになる”と。だが、俺にはそれがよく分からない。ずっと考えていたが、それを尋ねられるような相手に今まで出会わなかった」
だから今問う、と。
何かの冗談かと思ったが、男は真剣な表情だ。アルヴィーはこちらも困惑しながらも、《竜爪》を突き付けたまま答える。
「同じものを飲み食いはともかくだけど。――血が繋がらなくても家族になる人は、山ほどいるよ」
セリオとスーザンのように。そして、アルヴィーとルシエルのように。
「逆に、血が繋がってたって家族になれない人たちもいる。家族ってさ……そうなろうと思わなきゃなれないもんじゃないかって、俺は思う」
「そうか」
正しいかどうかはともかく、それなりに明確な答えを得て、男は満足したように頷いた。
「興味深い意見だった。感謝する」
「……で、魔動巨人どもを引き揚げさせるのかさせねえのか、どうなんだよ。引き揚げねえんなら俺が端から吹っ飛ばすぞ」
「先ほども言った通り、それについては俺は判断できる立場にはない」
「……あのなあ……」
どこまでも融通の利かない男に、アルヴィーは再び頭を抱えたくなった。人間というより動いて喋る魔動機器か何かのようだ。
と、
『――そういうことならむしろ、“あちら”に訊いた方が良いかもしれんぞ、主殿』
「は?」
アルマヴルカンの言葉に怪訝な顔になり――そして反射的に飛び退る。
次の瞬間、アルヴィーが今までいた辺りの屋根が、不可視の斬撃で斬り裂かれた。
「へえ、完全に不意を衝いたつもりだったけどなあ」
ばさり、と羽音。見上げた先、両翼を羽ばたかせ長い身体をくねらせた大蛇の背に乗る剣士に、アルヴィーは吐き捨てる。
「……魔動巨人見てそうだろうとは思ってたけど、やっぱそっちの差し金かよ」
「まあね」
にこやかな表情のまま、ダンテはもう一人に向き直った。
「アズーラ、我が君からご命令の変更だ。――フィエリーデへの侵攻は、現時点をもって切り上げる。君は人造人間部隊をまとめて帰還だ。魔動巨人の方は捨て置いていい。回収すべきものはすでに回収したし、術式もすべて破壊したからね」
「了解した」
「っておい! ちょっと待て――」
さっさと立ち去るアズーラを、アルヴィーが追おうとしたその鼻先に、再び不可視の斬撃が“着弾”する。
「てめえ……」
「そう睨まないでくれ。僕は今回、ただの伝令役なんだから。――それに、君だってあまり大っぴらに動ける立場じゃないはずだけど、ここまで派手に登場してどうするつもりなんだい?」
「何だと?」
眉を寄せるアルヴィーを、ダンテは使い魔の背から見下ろす。
「ファルレアンはおそらく、君の行方不明を対外的には伏せている。その間に君をどうにか捜し出すつもりだったんだろうけど……今回、君がこの騒ぎに介入したことが知れれば、ファルレアン側の情報操作は水の泡だ。最大戦力の《擬竜騎士》がファルレアンにいないことが、国内外に分かってしまう」
「げ……」
やっとそれに思い至り、アルヴィーは小さく呻いた。
「まあ僕が言う義理でもないけど――傷を最小限にしたいなら、今すぐにファルレアンに帰還することを勧めるよ。君の行方不明の情報は、君がファルレアンに“いない”からこそ価値が出るのであって、君が戻れば意味はなくなる。もっとも、今回の一件は下手をすれば内政干渉とも取られかねないから、もしこの国の人間で接触した相手がいれば、上手い言い訳でもしておくんだね」
そう言い置くと、ダンテは使い魔の鱗をコツリと叩く。翼ある大蛇はゆったりと羽ばたいて宙に舞い上がると、見る間に遠ざかって行ってしまった。
「……何なんだ、あいつ……」
『だが、言っていたことはあながち間違いでもない。理由はどうあれ、主殿がこの国の防衛に介入したことは事実だ』
「……分かったよ」
ため息をついて、アルヴィーは飛び上がり、再び空中の人となった。何だか地上から呼ばれている気がしないでもないが、本来自分はここにはいないはずの存在。幻でも見たことにしておいて貰いたい。
つまるところ呼び声はまるっと無視して、アルヴィーは例の森の中の館に戻ることにした。あそこに避難していた人々や護衛の兵士たちには、バッチリ姿も顔も見られている。何とか上手く言いくるめて、間違っても内政干渉だなどと言われないようにしておかなければならない。
一体どんな言い訳が有効かと思案しながら、アルヴィーは一路森へと空を翔け抜けて行った。
◇◇◇◇◇
尽きることを知らぬかのように際限なく湧き出す水が、時に動きを妨げ時にこちらを傷付ける刃となる。エスカラータは小さく舌打ちした。
「――ああもう! 何でこんなのがいるのよ……!」
彼女も魔法には自信があったが、やはり相手が高位元素魔法士となると、彼女には荷が勝ち過ぎた。何しろ属性が特化している分、魔法の威力の桁が違う。
(市街地に進むこともできないなんて!)
予定では、魔動巨人の魔動砲で宮殿を制圧した後市街地にまで進行し、一気に帝都を掌握するつもりだったのだ。しかし最初から一気に計画が崩れた。
「このっ……!」
苛立ちを込めて攻撃魔法を放つが、ユーリの操る水に容易く呑み込まれる。
そして――自らも水の虚像である彼の双眸が、炯々と輝いた。
『――凍れ』
瞬間、彼の足元から水が凍り付き始める。それは瞬く間にぬかるんだ地面を凍らせ、魔動巨人や人造人間たちをその場に釘付けにした。
「なっ……!」
気付けばエスカラータの両足も、凍った地面に吸い付いたまま身動きが取れなくなっていた。
『あんたたち、まさか《夜光宮》に攻撃仕掛けといて、無事に帰れるなんて思ってないよね?――色々、聞かせて貰うから』
「…………っ!」
エスカラータが小さく呻いて、ユーリを睨み付けたその時。
「――じゃあ、あたしとあの時の続きでもやる?」
空から降ってきた、声。同時に、凍り付いた地面がパッと燃え上がった。
「ひっ!?」
思わず飛び退き――そこでエスカラータは気付く。自分が元通り動けることに。
そして振り仰いだ先には、長い髪と上着の裾をなびかせて空中に立つ、一人の少女の姿があった。
「……あーあ、どうせならアルヴィーがいる方に行きたかったのになあ」
彼女――メリエ・グランは大仰にため息をつき、二つに結った長い髪をばさりと跳ね上げる。その菫色の双眸が、好戦的に輝いた。
「ま、いっか。――こっちはこっちでそれなりに歯応えあったし、ね!」
戦闘形態の左腕を振り上げ、振り下ろす。莫大な炎を圧縮した光芒が大地を駆け抜け、炎を噴き上げて水を消し飛ばした。
「……総員、退避!」
エスカラータは慌てて指示を出し、人造人間たちが巻き込まれないよう距離を取る。魔動巨人も動き始めるが、動きの良い新型魔動巨人といえど、人間に比べればのろのろとしたものだ。といっても、その装甲をもってすれば、多少戦闘の余波を受けても支障はないであろうが。
彼女たちが退避を始めたのを余所に、ユーリとメリエの戦いはさらに激しくなる。
「――相変わらず水の虚像か! 消し飛びなさいよ!」
『嫌に決まってるだろ。あんたみたいな危ない奴の前に、生身で出て行けると思ってんの』
身も蓋もなくバッサリ切り捨て、ユーリは消し飛ばされた水の像を復活させる。地表の水はメリエの炎によって蒸発したが、地下の水脈にはそんなものが問題にならないほどの水が流れているので、それを流用すれば良い話だ。もっとも、水の精霊たちは地下の水脈に避難させておいた。地表近くにいたら水分もろともメリエに消し飛ばされかねない。
「面白味ないなあ……もういいや」
メリエはふんと鼻を鳴らすと、空を蹴って駆け出す。その先にはそびえ立つ《夜光宮》。
「城ごと消し飛んじゃえ!――《竜の咆哮》!!」
彼女が《夜光宮》に向けた《竜爪》の先から迸る光芒。発射の瞬間、周囲に炎を撒き散らしたそれは、彼女が手加減なしに放った最大威力の一撃だ。
《夜光宮》の一角、清らかな水を湛えた広い水盤の中に立ち、ユーリはそれを見据えた。その周囲で、水が激しく渦巻く。
「――舐めるな」
怒りを滲ませたその声に、精霊たちが応えた。明らかに水盤には入りきらない量の水が爆発的に湧き出し、いくつもの竜巻となって《竜の咆哮》を迎え撃つ。
轟音――そして、膨大な量の水蒸気が《夜光宮》を包み込んだ。
いきなり雲海の中にでも飛び込んでしまったかのような光景に、メリエは思わず感嘆の声をあげる。
「うっわー、何あれ! 雲みたい!――けどあれじゃ、どこ狙っていいんだか分かんないなあ」
蟠る大量の水蒸気が《夜光宮》の姿を覆い隠し、第二射を阻む。メリエは腰に手を当て、なかなか晴れない水蒸気を眺めていたが、ふとその超人的な聴力を掠めたわずかな音に、にんまりと笑みを浮かべた。
(ああー……なるほど。何となーく分かっちゃった、あっちの狙い)
そして彼女は、そのまますとんと飛び下りる。着地したのは、息を呑んで推移を見つめていたエスカラータの眼前だった。
「ひっ!?」
「ちょっとー、失礼ね。――ま、それは置いといて。帰るわよ」
「帰る? 《薔薇宮》に?」
「そ。大体、あたしがここに来たのは、シアからの命令変更を伝えるためなんだから。“ヴィペルラートへの侵攻停止。人造人間及び魔動巨人部隊は現時点をもって撤収”だってさ」
そう言って、メリエは手に付いた水滴でも払うように、軽やかに左手を振る。
――その指先から放たれた《竜の咆哮》がすぐ傍の木立を薙ぎ倒し、爆音に混じっていくつもの悲鳴が聞こえた。
「な、何!?」
驚くエスカラータに、メリエはため息一つ。
「あんた、あっちの高位元素魔法士に遊ばれてたのよ。あいつの目当ては市街地の防衛だけじゃなくて、あんたたちを確保すること。――見てみなさいよ、あそこ。ヴィペルラートの兵士が隠れてたわよ」
メリエが指差す方を見ると確かに、部隊レベルの人数の兵士たちが、燃え上がる木立の向こうでこちらを窺っている。
「にしても大したタマよねー。ある意味、自分と城を囮にしてたようなもんだもの。やっぱ、経験値って大事よね」
どこか楽しげにそう言って、メリエは魔法式収納庫から掌ほどの水晶柱を取り出す。中には魔法陣が封じ込まれ、きらきらと輝いていた。
「はいはーい、ちゃっちゃと並びなさい。――じゃ、ちゃーんと伝えるのね。確保には失敗しました、ってさ!」
後半はヴィペルラート兵たちにそう言い捨て、メリエは宙に投げ上げた水晶柱を《竜爪》で斬る。すると辺りが光に包まれ、兵士たちは思わず腕を翳して目を庇った。やがて光が消えた後には、人間も魔動巨人も残っておらず、ただ粉微塵に砕け散った水晶の残骸だけが残されていた。
「――そうか。分かった、良くやった。下がれ」
将軍より一部始終の報告を受け、ロドルフは息をついた。
「やれやれ……何とか凌いだというところか」
「は……しかし、驚きました。まさか、帝都を直に狙われるとは」
「奴らには長距離転移の技術がある。やろうと思えばできたことだ。――ただ、今になって仕掛けてくる理由が分からんがな」
腕を組み、ロドルフが小さく唸る。そこへ、ユーリが入室して来た。
「陛下、終わったよ」
「おお、ユーリか。この度は手柄だったな」
「あいつが来たのはちょっと予定外だったけどね」
ユーリは肩を竦める。
――彼らがまるで待ち受けていたかのように今回の襲撃に対応できたのは、例によって水の精霊たちがユーリに教えてくれたからだった。この帝都を含めた周辺地域の水脈は、彼と水精霊たちの管理下にある。地下水脈に限らず、地上の川や水路も例外ではない。
そうした水辺に宿る精霊たちが、いきなり帝都近くに現れた人造人間や魔動巨人を警戒し、ユーリに教えてくれたのだ。ユーリはすぐさまそれをロドルフや将軍に報告し、最も水精霊との交信に適した城内の水盤で待機。魔動巨人の魔動砲を、文字通り水際で防いだのだった。
「……でも、《虚像》で見ただけだけどさ。あのメリエとかいう女、ますます人間辞めてるっぽかったよ」
ユーリの報告に、ロドルフの表情が引き締まる。
「どういうことだ?」
「ほら、ファルレアンの《擬竜騎士》もそうだけど、あいつら肩に翼みたいなのあるでしょ。あのメリエって奴の、前に見た時と形が違ってた。攻撃の威力も上がってたみたいだったし」
「……すると、戦力評価の見直しが必要になりますな」
将軍の言葉に、ロドルフも頷いた。
「そのようだな。ユーリに話を聞いて、すぐに再評価に取り掛かってくれ」
「は、畏まりました」
将軍が一礼する。彼女――メリエは、ヴィペルラートにとってはある意味特別な相手だ。かつて彼女によって、ヴィペルラートがモルニェッツとの国境沿いに展開していた国境守備部隊が、たった一日にして全滅させられた。ゆえにヴィペルラートの軍部は、いずれ彼女を倒すべくその能力を研究し、戦力評価を行っていたのである。
「では、ご協力いただけますかな、ユーリ殿」
「いいよ」
あっさり頷き、「今から?」と小首を傾げるユーリ。
「そうお願いできれば」
「分かった。じゃあ、俺行くね、陛下」
軽い足どりで、ユーリは部屋を後にする。その後ろ姿を見送って、ロドルフは眉をひそめた。
(……やはり、ユーリに頼らねばな)
今回の一件が示した通り、帝都の防衛にも彼の力は有用だ。世界を見るためと彼が生まれ育った泉から連れ出しておきながら、今のロドルフはユーリを帝都に縛り付け、戦いに駆り出すことしかできない。
(皇帝など、因果なものだ。本当に)
深くため息をついて、ロドルフはさらなる帝都の防備の強化を将軍に命じるのだった。
◇◇◇◇◇
――おかしい。
数日前から、シャーロットは疑問を抱いていた。
(いくら休暇中といっても、あれから一度も顔を見ないなんて……)
あの《ヴァルティレアの祝祭》の夜以降、アルヴィーがぱたりと姿を見せない。もちろん、騎士団の一員として火竜が王都に出没したという話は彼女も知っており、その撃退戦に参加した騎士には特別に休暇が与えられていることも聞いてはいたが、それにしても一度も騎士団本部や街に顔を出さないというのは、ついぞなかったことだ。少なくとも彼が休暇中に街中をぶらつくことは、さほど珍しくもなかったはずなのに。
(隊長に訊いても、何だかはっきりしないし)
同じく火竜撃退戦に参加したルシエルにも尋ねてみたのだが、なぜか確たる答えが返って来ず、曖昧に濁された。その様子を見ると、何か事情があるのかもしれないと思うのだが……。
(……やっぱり、平民には言えない事情でもあるのかな)
何となく彼らとの身分の差を意識してしまって、ため息をつく。もちろん、それが事実とも限らないのだが。
その日の勤務を終えて帰宅していると、人ごみの中で声をかけられた。
「――あの!」
「え?」
振り返った先には、私服姿の少女の姿がある。近頃すっかり見知った顔だった。
「オルコット四級騎士。今日は非番ですか?」
「は、はい。――お帰りの時にすみません、フォルトナー三級魔法騎士。その、実は、少しお話があって」
「わたしに、ですか?」
確かめるように問えば、しっかりと頷かれる。シャーロットは少し考えたが、
「じゃあ、着替えて来ますから少し待って貰って……いえ、先に行って席を取っていて貰えますか? 知っているお店があるので、そこで」
自分がよく行く、紅茶とお菓子をメインにしている小さな店の名前を挙げ、シャーロットは彼女――ニーナ・オルコットと一旦別れた。自宅に帰って私服に着替えると、一応念のために魔法式収納庫だけは持って、指定した店に向かう。
――店に入ると、ニーナは奥まった席を確保して待っていた。待たせたことを詫びてその向かいに座ると、店員に紅茶と茶菓子を注文する。
店員が去るのを待って、シャーロットは尋ねた。
「……それで、お話というのは?」
「え、えと、その」
あうあうと言い淀んでいたニーナだったが、やがて意を決したように、
「そのっ……フォルトナー三級魔法騎士は、アルヴィー……じゃなくて、ロイ男爵のことが、その……」
頬を染めてそわそわと視線をさまよわせる様子は、少女らしく何とも可愛らしい。
シャーロットは微笑ましくそれを見やった。
彼女が答えを口にする前に、店員が紅茶と茶菓子を持って来てくれたので、ひとまず紅茶で喉を潤す。
充分に呼吸を整えてカップを置くと、シャーロットはにこりと笑った。
「そうですね。――好き、ですよ。多分あなたと同じ意味合いで。でも、あちらがどう受け取っているかは分かりませんが」
何せあの鈍さでしょう、とため息をつくシャーロットに、今しがた極限まで恥じらったのも忘れて同意するニーナ。
「ええ……本当に……」
「まあ、彼は過去が過去ですし、恋愛そのものにあまり興味がないのかもしれませんが」
「過去、って……」
「むやみにわたしの口から話して良いことではないと思うので、詳細は差し控えますが。――とにかく彼、色恋の方面に関してはその年齢としてはどうかと思うくらい無頓着ですし、貴族の方々からのそちら方面の工作もまったく自覚なくぶち壊しましたが」
自宅の使用人選定の際に、実務能力重視一辺倒で、貴族たちから送り込まれた若く美しいメイドたちを全却下したのを思い出し、シャーロットはちょっと遠い目になった。
「……でもその内、どこかの家のご令嬢とお見合いでも組まれて、結婚するんでしょうね」
どこか諦めたような表情で、シャーロットはそう締め括った。実際、そうなる確率は高い。彼が持つ火竜の加護を考えれば、縁を結びたい貴族は山ほどいるに違いないのだ。
そう諦めたはず――だったが。
「――だからって、そんな簡単に諦めるんですか!」
だん、と荒々しくカップをテーブルに置いたニーナに、シャーロットは目を瞬かせた。
「……オルコット四級騎士?」
「わたしはっ、そんな簡単に割り切れないんれすっ」
やたら顔が赤い上に、何だか呂律も回っていないニーナに、もしやとシャーロットは彼女のカップを取り上げた。
「――この匂い、もしかしてお酒でも入ってたんですか!?」
そういえばこの店は、ブランデー入りの紅茶も出していたと思い出す。おそらく、店員が間違えて出したのだろう。もっとも、ここは紅茶メインの店なので、入っているブランデーの量もたかが知れているはずだが。
「大体、フォルトナー三級魔法騎士は、同じ魔法騎士団所属だし、よく任務も被ってるし! ずるいれすっ! わたしも魔法騎士になりたかったあ!!」
わぁん、とテーブルに突っ伏すニーナの勢いに、シャーロットは正直ちょっと引いた。まさか彼女がここまで酒に弱いとは。
だが、恥じらいも遠慮も吹っ飛ばした彼女の本音は、シャーロットが封じ込めようとしていた想いを、絶妙に刺激した。
「……そりゃ、わたしは出会いからしてアレだったけど! あんなの、惚れずにいられるかって話れすよぉ!」
「まあ、そうですよねえ」
シャーロットは、アルヴィーとニーナが出会った経緯を直接には知らない。だがきっと、彼女が彼に惹かれるだけの“何か”はあったのだろう。シャーロットの内側に少しずつ積もっていったのとはまた違う形で。
「……ま、こんな話、素面じゃできないか」
呟いて、シャーロットは店員を呼んだ。ニーナが間違って飲んだものと同じ、ブランデー入りの紅茶を注文する。ニーナと違ってシャーロットは、この程度で酔うほど酒に弱くはないが、口を滑らかにするには多少なりとも酒精の力を借りなければなるまい。
少し帰りが遅くなる旨を《伝令》で家に伝え、彼女は肚を括ることにした。
――そうして心ゆくまで語り合った結果、彼女たちは互いを名前で呼び合うまでになった。
ただ、酔いが覚めても記憶が飛ぶ性質ではなかったニーナが、後からこの時のことを思い返し、羞恥と二日酔いでのたうち回ったのは余談である。




