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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十六章 彼方より来たりて
127/136

第126話 東西強襲

 クレメンタイン帝国ロワーナ大公領、首都ラトラ。在りし日の賑わいが嘘のように静寂に支配され、街中に薔薇の香りが蔓延するこの地に、唐突に奇妙な一団が現れたのは、まだ朝靄あさもやも晴れない頃であった。

 うっすらと靄がわだかまる街の郊外に、突如光が生まれ、それが消えるのと引き替えに二体の巨大な人影、そしてその足下の人間たちを残す。彼らが動くと靄が乱れ、湿り気のある風が彼らの頬を撫でた。

 その中でも目立つ小柄な影が、遠く霞む大公の城館を認めて低く告げる。


「――ラトラへの到着確認。先着した魔動巨人ゴーレムとの合流後、大公の居城の現在状況を確認する」


 彼――アズーラが歩き出すと共に、その手の中にあった水晶が粉微塵に砕け散り、まだ弱い陽光に輝きながら大気中に溶けていく。役目を終えた転移用アイテムが、その力を使い果たして砕け散ったのだ。

 彼らはダンテを通じてもたらされた、主たるレティーシャの命に従い、行程を巻きに巻いて転移アイテムで一気にラトラまで飛んだのだった。本来であればもっと時間が掛かっていたはずだ。

(確か、魔動巨人ゴーレムはすでに広場に転移させてあるという話だったな……)

 今回は、アズーラが連れている二体の他に、数体の魔動巨人ゴーレムをレティーシャがこちらに転移させている。アズーラの仕事は、先着しているはずの魔動巨人ゴーレムたちと合流し、そのついで――というと何だが、せっかくラトラを通るのだからと、大公の居城の現在の状況を確認・報告することを申し付けられていた。

「おまえたちは魔動巨人ゴーレムと合流後、そのまま広場で待機。確認は俺一人で良い」

 他の人造人間ホムンクルスたちに指示を出し、アズーラは歩みを進める。やがて、街の中心部である広場が見えてきた。

 ついこの間まで一国の首都であった街の中心部だけあって、広場も広大な敷地を有し、周囲は店舗などの建物に囲まれている。この広場はロワーナを通る大陸環状貿易路グレート・ロードの一部でもあり、かつては市が開かれて行商人たちが店を出していたりもして賑やかだったのだが、今はその面影もなく静まり返っている。

 そこには大規模な魔法陣が描かれ、魔動巨人ゴーレムたちがすでに並んでいた。

(……壮観なものだな)

 胸中で呟き、アズーラは他の人造人間ホムンクルスたちをそこに置いて、一人大公の城館へと向かった。


 ――大公の城館は、本来は石造りの重厚な建物だったのだろうが、今は城壁まで繁殖した薔薇に覆われきっていた。これはこれで美しいのかもしれないが、生憎あいにくアズーラは生まれながらの知識は豊富にあれども、情緒面の方はまだまだ育っていない。甘く纏わり付くような薔薇の香りに、わずかに眉を寄せながら、彼は両膝をたわめる。


「……支えよ、《風翼エアウィング》」


 魔法の力も借り、アズーラは城壁を飛び越えて城内に入る。侵入者を察知したか、茨がうねって彼を捕まえようとしたが、それはアズーラが空中で叩き落とした。

 庭に下り立つと、建物に向かって歩き始める。周囲はやはり薔薇で埋め尽くされ、美しく整えられていたであろう庭は、手入れされることもなく荒れ果てていた。城館もまた壁という壁を薔薇に覆われ、どこか鬱蒼うっそうとした雰囲気だ。庭に面した回廊の柱を飾るように垂れ下がった茨が、彼の接近を察知してかざわりとざわめいた。

 それを剣で払い除けて廊下に踏み込むと、彼はいよいよ建物の中に足を踏み入れる。さすがにここまでは茨も伸びてはいなかったが、むせるような薔薇の香りがこもっているのは同じだ。

 そんな空気の中を、ものも言わずに水の中の魚のごとくすいすいと歩き回るのは、城の使用人とおぼしき男女だった。曇った目に意思の光はなく、ただただ単調な仕事をこなすだけの存在。明らかに異物であるアズーラを気に留める様子もなく、いっそ不気味なまでの静かさで行き交う。

(思考が麻痺していても、一定の仕事はできるようにしてあるのか……?)

 そう思ったアズーラだったが、何気なく見送った使用人の首の後ろに張り付くものを見て、眉を寄せる。


(……虫?)


 それは大人のてのひらほどの大きさの蜘蛛くもだった。見れば、行き交う使用人には軒並みそれが付いている。自身の知識を検索し、彼はその答えを得た。

(なるほど、寄生対象を洗脳して操る魔法生物……あれで必要な仕事と生命維持活動をさせているのか)

 城中の人間の首にそれがくっついているのは、はなはだ異様な光景だったが、生憎それを指摘する者はどこにもいない。

 一つ肩をすくめただけで、アズーラは再び城内の探索を開始した。

 ――結局、城内は蜘蛛に“寄生”された人々が徘徊はいかいしているだけで、騒ぎの一つも起きていなかった。人々は皆、一言のお喋りもせず粛々(しゅくしゅく)と立ち働き、城内は歩き回る足音だけが響く異様な静けさに満ちている。だがそれを“異様”と称せるほどの情緒を、アズーラはまだ持っていない。その事実をそのまま受け止め、《薔薇宮( ローズ・パレス)》の方へ報告した。


「――大公居城の現状報告だ、侍女頭殿。城内では特に問題も起きていない。静かなものだ」

『分かったわ。ではそのまま人造人間ホムンクルスと新しい魔動巨人ゴーレムを率いて、次の目的地に飛んでちょうだい』

「了解した」


 報告を終え、アズーラは建物を出ると再び城壁を飛び越え、街中へと帰還を果たす。広場で身じろぎもせず待っていた他の人造人間ホムンクルスたちと合流すると、広場の一角に歩いて行く。

 そこには、すでに大規模な転移陣が敷かれていた。術具の類もすべて設置され、後は魔力を通せば起動できる状態だ。いかにも値打ち物の術具を広場に堂々と広げるとは不用心な話だが、現在のラトラの住民たちはすでにこういったものに興味を示せる状態ではなくなっているため、それらの術具は手を付けられることもなく、役目を果たす時を待っていたのである。

 そしてアズーラは、魔法式収納庫ストレージから大振りの魔石を取り出し、所定の場所に置いた。

 次の瞬間、魔石からほとばしった魔力が線をなぞって走り、各所に置かれた術具を起動させていく。魔力は転移陣全体を駆け抜け、光の線となって陣を浮かび上がらせた。


「よし、まず魔動巨人ゴーレム、次に人造人間ホムンクルス部隊、転移しろ」


 アズーラの号令に従い、魔動巨人ゴーレムたちが次々と動き出して、陣の中に足を踏み入れていった。踏み込んだ魔動巨人ゴーレムはすぐに光の中に姿を消し、次に踏み込むものもそれにならう。その間に、アズーラはここまで連れて来た二体の魔動巨人ゴーレムを停止させた。この二体は動力源である魔石の消耗が大きいため、ここに残して行くのだ。

 やがて残していくもの以外のすべての魔動巨人ゴーレムと、人造人間ホムンクルス部隊全員が転移陣に消えたのを確認し、アズーラ自身も陣の中に飛び込んだ。


 ――眩い光に閉ざした目を次に開けた時、そこはすでにラトラではない。ラトラよりもさらに広い市街地、風に乗り漂ってくる花の香りらしき甘く瑞々しい匂い。市街地の中心にはミルク色の外壁と青緑色の屋根を持つ、壮麗そうれいな城がそびえ立っていた。

 市街地を見渡せる小高い丘に転移したアズーラは、腰に帯びた剣をすらりと抜く。切っ先を市街地に向け、命じた。


「目標、リシュアーヌ王国王都・フィエリーデ。――総員、進撃せよ!」



 ◇◇◇◇◇



 一方その頃、遥か海を隔てた別大陸。

「――よっし、準備完了!」

 ようやく完成した燻製くんせい肉を燻製窯から取り出し、昨日仕留めた謎の生き物の胃袋を使った水袋に川の水を詰め、岩塩の鉱脈から採って来た塩の塊も含めてすべてを袋代わりの皮に包んで口を結び、アルヴィーは意気揚々と宣言する。ちなみに胃袋を採取した謎生物の毛皮と肉は、それぞれ水袋を保護する外袋と、昨日及び今朝の食料になった。

「んじゃ、転移陣起動させるか」

 アルヴィーが転移陣に魔力を供給しようと、右腕を戦闘形態にする。と、アルマヴルカン(本体)からストップが掛かった。


『せっかく近くに巨大な地脈があるというのに、利用せずどうする』

「へ? あれ使えんの?」

『力だけを汲み上げれば良い。――とはいえ、おまえには無理か。地の素養は多少なりあるようだが、元が人間ではな』

「“元”って言うな! 今でも現役で人間だよ!」


 肩を怒らせて突っ込むアルヴィーを余所に、アルマヴルカンはふわりと岩棚に下り立つ。

 その足下から炎が噴き上がり、転移陣にも燃え移るかのように影響を及ぼし始める。銀で描いた線が朱金に輝き始め、空気の“質”が変わったのが、アルヴィーにも何となく分かった。

「……あれ。なんか今、妙な感じに……」

『今、地脈の力を流用してこの陣を起動さ(はしら)せている。どうやら、上手く向こうの陣と繋がったようだな』

「おおー……すげーな」

 感嘆の面持ちでそれを見やり、アルヴィーはふと気付いてアルマヴルカンを見上げた。

「そういや、おまえどうすんの? この陣、おまえが入るにはさすがに小さいけど」

 すると、

『わたしは別の陣を創ってそちらを使う。その陣の構成をそのまま描き写せばいいだけだからな。起動させる力にも困らん』

 そう言ったかと思うと、アルマヴルカンは炎を使って岩棚の地面に同じく転移陣を描き始める。長期間維持させる必要がないので、魔力の線だけで構わないのだ。

 きっかりと等倍された転移陣に、やっぱりこいつらこういうとこ反則だ、とアルヴィーが呟いたのは余談である。


「……っていうか、あの風精霊が言ってたけど、この転移陣ってソーマの位置座標? とかっての指定してんだよな……それそっくり写したってことは、おまえまたソーマ来んのかよ!?」

『何か問題があるのか?』

「大有りだよ! おまえこないだ来た時大騒ぎになったの、まさか忘れたわけじゃねーよな!?」


 王都のど真ん中に火竜再臨など、悪夢以外の何物でもない。アルヴィーは頭を抱えたくなった。とはいえ、言って聞いてくれる相手でもない。さてどうしたものかと思っていると、


『せっかく起動させているのだ、さっさと入れ』


 ぺしっ。

 アルマヴルカンの尻尾で軽くはたかれて、アルヴィーは否応なく吹っ飛び、転移陣の中に転がり込む羽目になった。


「――おまえなぁ! 後で覚えてろぉぉぉ……!!」


 軽くといっても、人間にはそれなりのダメージになるはずだが、さすがに人間を辞めかけているだけはあって元気に叫びながら、アルヴィーが光の中に消えていく。

 アルマヴルカンはそれを見届け、自身も炎で描いた転移陣の中に舞い下りた。

 光が一瞬強まり――そして消えた後、そこにはすでに竜の姿はなく、ただ炎の残滓ざんしのみが残されていた。


『……む?』


 陣に飛び込んだ直後、アルマヴルカンはある感覚に気付く。

『これは……別の“出口”か?』

 一般に、人間が転移魔法で転移する場合、転移する者自身はその間のことを知覚できない。人間の許容量キャパシティでは、“転移している最中”のことを知覚するにはあまりに小さ過ぎるのだ。それは人造人間ホムンクルスも同様である。

 だが竜――それもアルマヴルカンのような長きを生きた《上位竜ドラゴン》ならば、その気になればその間のことも知覚できるし鮮明に記憶できる。人間ならば一瞬にしか見えない映像が、竜にとっては数倍に引き延ばされて知覚できるというのが、説明としては最も近い。もっとも、気を抜いていれば人間同様、一瞬で転移が完了しているのだが。

 そんな彼の意識に引っ掛かったのが、別の出口――つまり、自分が組んだ陣の“対”ではない、出口側の陣の気配だった。

『なるほど』

 それを察知した瞬間、アルマヴルカンは“道”を曲げる。本来繋がるファルレアン側の陣ではなく、今しがた感知した陣へと、接続を繋ぎ変えたのだ。


 ……ただし、彼は気にしていなかったが、重要なことが一つ。

 彼が使う転移陣ともう一つ、アルヴィーが入った転移陣も、起動したのはアルマヴルカンであり、つまりはその制御も彼がになっているのである。

 そこでいきなり接続先をいじったらどうなるかというと――。


「――よっし着いた、ソーマ――」


 “出口側”の転移陣から飛び出し、快哉かいさいを叫びかけたアルヴィーは、そこで絶句した。

 とどろく爆音、幾筋も上がる煙。遠く悲鳴も聞こえる。

 そして何より、街の中心たる城は、アルヴィーが見慣れた白亜のそれではない。しかし見覚えはあった。ミルク色の外壁、青緑色の屋根。焦げ臭さに圧倒されて分かりかねるが、おそらく街中には花の香りが漂っていたのだろう。

 遠目だったが間違いない。そこはファルレアン王都ソーマではなく、リシュアーヌ王国王都、フィエリーデだった。


「……はああぁぁぁ!?」


 遠い爆音を圧して、アルヴィーの素っ頓狂とんきょうな声が響き渡る。

『――ほう。もう一つ陣が起動していたゆえそちらに繋ぎ変えてみたが、なかなか面白いことになっているようだな』

「おまえかぁぁぁぁ!!」

 転移事故(?)の犯人がしゃあしゃあと自供したため、アルヴィーは全力で怒りの叫びをあげた。もっとも、それどころではなさそうな事態が現在進行形で起きているため、それ以上怒りを持続させはしなかったが。

「……にしても、どういうことだ? 一体何が――」

 目をすがめて街の方を見つめ、アルヴィーははっとした。

「……あれって」


 煙に紛れ、建物でさえぎられつつも垣間見える、街中を行き交う巨大な影。

 それは間違いなく魔動巨人ゴーレムだった。


魔動巨人ゴーレムってことは、あれやっぱ」

『なるほど。わたしが流用したこの陣は、あれをここまで運ぶためのものか』


 見れば、アルマヴルカンはいつの間にか地上に下り立ち、足元の魔法陣を検分していた。金の双眸でしげしげと転移陣を見やり、得心したといったようにわずかに頷く。

『魔力の残滓が、わずかだがまだここに残っている。――あの女のものだ』

「あの女って」

『あのいけ好かん、銀髪の女だ』

 アルマヴルカンは唸り、ばさりと翼を打ち振って浮き上がった。

『――あの女が何をしたいのかは知らんが、このままではあそこの街はそう長くはたんな。あの魔動巨人ゴーレムに対して、防御側の動きが鈍い』

「…………っ!」

 アルヴィーの脳裏を真っ先によぎったのは、自分をしたってきたこの国の王子・セルジュのことだ。もちろん、王族かつ子供である彼は真っ先に避難させられただろうし、そうそうその身に危険が及ぶことはないだろうが……。


(――けど、この襲撃がシアの差し金なら、何が起きたって不思議じゃない)


 アルヴィーは右腕を戦闘形態に変える。《竜爪ドラグ・クロー》を伸ばし、両膝をたわめた。

「ちょっと行って来る。――おまえは来んなよっ、ただでさえ魔動巨人ゴーレムでえらいことになってんのに、火竜おまえまで出て来たら余計に大騒ぎになっちまうからな!」

 そう言い置いて、彼は地を蹴る。空高く跳んだ彼はその右肩の翼に小さく炎を散らせながら、街の方へと一直線に飛翔していった。

『ふむ。――まあ、しばらくは様子見だな』

 どこか楽しそうに呟き、アルマヴルカンも翼を広げて再び空に舞い上がると、文字通り高みの見物と洒落込むのだった。



 ◇◇◇◇◇



「――アルヴィーが戻って来ない?」

 転移陣でのアルヴィー召還計画にたずさわっていた研究員からの報告に、ジェラルドは眉を寄せた。

「どういうことだ。陣は起動したんだろう?」

「はい、確かに転移陣の起動を確認したのですが……《擬竜騎士ドラグーン》は現れず、約三十秒後に転移陣の稼働も停止しました。以降、動きはありません」

「妙だな……セリオ、分かるか?」

 ジェラルドは室内に控える部下に問う。騎士団内でも飛び抜けて長距離の転移魔法を扱える彼なら、原因にも心当たりがあると踏んだのだ。

 果たして、求める答えはすぐに与えられた。


「そうですね……失敗か、もしくはあまり考えたくはありませんが……転移事故が考えられます」


 問いに、セリオは即座に答える。人造人間ホムンクルスであったことが周知となった彼は、一時騎士団によって拘束されたものの、ジェラルドがその身柄を引き受けたことで、再び彼の部下として職務に復帰していた。

 彼の言葉に、もう一人の部下・パトリシアが首を傾げる。

「転移事故?」

「術の稼働中に何らかのアクシデントや干渉があって、転移先が変わってしまったのかもしれません。こちらの陣が一旦は起動したのなら、その可能性はあります」

「おいおい、大丈夫なのかそれは」

 ジェラルドの声にも真剣味が増した。今やアルヴィーはファルレアンにとって、欠くことのできない存在であるのだ。

「もしその転移事故だとして、どこに飛ばされたかなんてのは……分かるわけないよな」

「難しいです。僕の《スニーク》で捜そうにも、国外に飛ばれていたら距離的に無理ですし……」

 セリオは魔力を感知する小鳥を使い魔(ファミリア)として用いており、対象の追跡や捜索に利用していた。だが、《スニーク》との接続可能距離では国外までは出られない。それでも相当な長距離ではあるのだが。

 ふむ、と小さくうなり、ジェラルドは研究員に向き直った。

「……転移陣に何か異常は?」

「破損等という意味でしたら、ありません。現在、魔石等の補充をしつつ観測を続けています」

「了解した。確かに、それが妥当だろうな」

 頷き、ジェラルドは研究員を現場に帰した。

「……あちらで、何かあったのでしょうか」

 パトリシアが不安げに表情をかげらせる。ジェラルドは頭を掻き、

「ああ……あっちで起動に失敗した程度ならまだいいが、な」

「……どういうことでしょう?」

 小首を傾げる彼女に、ジェラルドは肩を竦めた。


「向こうに飛んだ風精霊の話じゃ、アルヴィーの傍には例の火竜(アルマヴルカン)がいたらしい。あいつらがこっちから向こうへ飛んだ時も、アルマヴルカンが変に術式弄って、本来転移するべき場所に繋がらなかった可能性が高いからな。今回もそれだとしたら……」

「また、全然違う場所に飛んだかもしれないってことです。――それがファルレアン国内なら良いんですが」


 ジェラルドと、それを補足するセリオの説明に、パトリシアは息を呑んだ。

「それは……」

「まあ、アルヴィーと火竜が揃ってて、滅多なことじゃ掠り傷の一つも負いやしないだろうが……その分何やらかしてるか分かったもんじゃないからな。頭が痛いぜ」

 ジェラルドが顔をしかめる。本当に頭痛でもしてきたのかもしれない。

「……とにかく、現状こちらからでは動きようがありませんし……何か動きがあるまで、待つしかありませんね」

「胃に悪いことにな」

 セリオが重々しく宣告するのに、ジェラルドもしかつめらしく頷いた。

「……胃薬でもご用意致しましょうか」

「あー……俺はともかく、上層部おえらがたには要るかもな」

 冗談のつもりだったパトリシアの進言は、ジェラルドに本気で返(マジレス)された。

「……まあ、あいつのことだ。いざとなりゃ、這ってでもこの国に帰って来るだろうさ」

 ややあって、ジェラルドはそう言って、双眸を細める。説明を求めるような部下たちの視線に、かつんと靴のかかとで地面を叩いた。


「あいつはこの国の騎士であることを自分に誓った。――だからだ」


 その剣を捧げたのが誰であれ、この国を守る剣にして盾たるを自らに課した、このファルレアンの騎士であるのだから。

 それは自身の手で彼を騎士に任じた、ジェラルドの信の言葉でもあった。



 ◇◇◇◇◇



 遠い爆音に、少年はびくりと身を竦ませた。

「ひっ……!」

「大丈夫ですわ、殿下。ここは安全です」

「う、うん……」

 周囲を守る侍女たちになだめられ頷くも、その小さな身体はかすかに震えている。無理もあるまい、と護衛の兵士は痛ましく目を細めた。

 少年の名はセルジュ・ジスラン・ドゥ・リシュアーヌ。現王太子であるクロード・フェルナン・ドゥ・リシュアーヌの一人息子だ。まだ十にも満たない子供に、唐突な王都への襲撃、そして不安の中での避難というのは、酷な体験だった。

 彼を含む王族の女性と子供たちは、一足早く安全な場所に避難するべく、侍女や護衛の兵士たちに守られて、一部の者以外には存在が伏せられている極秘の避難通路を辿たどっていた。


「――出口付近の様子を見て参りました。敵らしき姿もなく、安全にございます。現在、二名が外で防備を固め、敵の動きに警戒してございます」

「うむ、よくやった」


 先行して出口付近の安全を確認して来た兵士が、報告のために駆け戻って来た。出口の安全を確保したという言葉に、護衛兵の最上位の者が頷いてその働きをねぎらう。

「急いで参りましょう。お疲れとは存じますが、お早く」

「え、ええ……」

 ドレスの裾を捌きつつ、王族の女性たちが兵士のエスコートを受けて足を早める。兵士たちも軒並み上流の家の出とはいえ、本来は王家に属する貴婦人たちをエスコートできる身分ではないのだが、この際その事実は場の全員が頭から放り捨てることにしていた。


「殿下、失礼致します」

「うわあ!?」


 ここまで侍女に手を引かれて自力で歩いて来たセルジュも、一言断りを入れた護衛兵に抱え上げられる。王太子の子息である彼は、何を置いても守られなければならない存在なのだ。

 こうしてスピードアップした一行は、程なく避難通路の出口に到達した。この通路は王城の裏手の森に出られるようになっていて、その森には休息のための別棟がある。一行はそこを目指していた。

 話には聞いていても、実際に通路を使うのは初めてだった貴婦人たちは、眼前に広がる森に思わず感嘆の声をあげた。

「まあ……こんなところに……」

「こちらへ」

 兵士がきびきびと彼女たちを別棟へと案内する。避難通路の存在は彼らも初めて知ったが、この森の中については訓練でもたまに使うためよく知っている。いつも使う道にさえ出れば、後は道なりに行けば良い。

 特に妨害も障害もなく、彼らは別棟に辿り着くことができた。

「さあ、中にお入りください。我々は外で警備致します」

 別棟といっても、ちょっとした屋敷レベルの建物に王族と侍女たちを入らせ、兵士たちは周囲に展開して警備を始める。建物の中は今の今まで閉め切っていたせいかやや埃っぽかったが、さすがにこの状況で文句を言う貴婦人はいなかった。


「……わたくしたち、どうなるのかしら……」

「きっとすぐに助けが参りますわ」

「陛下や王太子殿下は、ご無事でいらっしゃるのかしら」


 母である王太子妃も含めた貴婦人たちが、不安げにそう囁き合う中、セルジュは手近な侍女の服の袖を引いた。

「あら、どうなさいました、殿下?」

「あのね、のどがかわいたんだ」

「でしたら、お水を汲んで参りますわ」

 避難通路からここまでは兵士に抱えられて来たものの、緊張と疲労でセルジュの喉はカラカラだった。その声に触発されたように、貴婦人たちの中からも飲み物を求める声があがる。

 侍女が台所から水差しを探し出して来て、裏手の井戸に水を汲みに向かった。

「……さすがに、ここでお茶とは参りませんわね」

「この際水でも構いませんわ。わたくしももう喉が乾いてしまって……」

 そんな声がひそひそと漏れた、その時。


「――きゃああぁぁぁ!!」


 響き渡る悲鳴と共に、陶器が割れる硬質な音。

 そしてそれを掻き消すように、爆音が耳をつんざいた。


「――――!?」

 セルジュは思わず耳を塞いだが、耳の奥がびりびりと痛むような爆音に、その小さな身体がびくりと跳ねた。

「ひっ」

「な、何ですの!?」

 残された侍女や貴婦人たちも悲鳴をあげ、互いに抱き合うようにして身を竦ませ座り込む。


「――うわああああ!!」

「馬鹿な、こんなところまで……!」


 その時、壁越しに聞こえた兵士たちの声に、セルジュははっとして顔を上げた。まさにそれと同時、ズシン、と地響き。

「ひぇっ、な、なに?」

「み、見て参ります」

 侍女の一人が急いで立ち上がり、部屋の扉を開けて出て行った。そしてすぐに、息せき切って戻って来る。

「た、大変です! 火が! すぐ、すぐにお逃げください!」

「何ですって!」

「セルジュ、こちらへ!」

 母に呼ばれ、セルジュは駆け寄るとその手にしがみ付いた。

「母上、いったいなにがおきてるの!?」

「ああセルジュ、大丈夫よ、きっと助かるわ……」

「表は駄目です、裏から!」

 様子を見に行った侍女に先導され、全員が部屋を出て正面玄関とは反対側へと向かう。だがその十メイルほど前方で突如、建物が崩落した。

「きゃあああああ!!」

 飛び散る瓦礫と埃に、女性たちは悲鳴をあげて頭を庇う。セルジュも侍女に抱き締められる形で直撃を受けずに済んだが、その彼女の肩越しに、彼は見たのだ。


「……あ……」

 天をくような巨体を持ち、燃え上がる地面を踏み締めて立つ鋼の人型――魔動巨人ゴーレムを。

 その右腕が振り上げられ、止めを刺さんとばかりに振り下ろされる――!


「――どぁあああっ、勢い付き過ぎたぁぁぁぁ!?」


 その、瞬間。

 わめきながら空から砲弾のように突っ込んで来た“何者か”が、その勢いのままに魔動巨人ゴーレムの頭部を蹴り飛ばした。


 ガァン、とおよそ生物との衝突とは思えない硬質な音が響き渡り、魔動巨人ゴーレムが――少なく見積もっても数千グラントはあろうかという超重量級の物体がぐらりと傾く。そのまま轟音と共に、森の木々をへし折りながら豪快に倒れ込んだ。

 命の危機を脱したかと思えばあまりに非現実的な光景に、貴婦人たちが呆然としながら見上げる先、おそらく人類史上初めて生身で魔動巨人ゴーレムを蹴り倒したその人物は、反動で宙を一回転しながら喚く。

「――痛ってぇぇぇ!! 魔法障壁で防御しても痛ぇ!」

 そのままくるくると回転して勢いを殺し、猫のようにしなやかに地面に下り立ったその人物は、痛そうに足をさすりながらも、しかし呆れたことに骨の一本も折れていないようだった。その二本の足ですっくと立ち、深紅の鱗に覆われた右腕をぐるぐると振り回す。


「何でフィエリーデが襲われてんだかわけ分かんねーけど――とりあえずアレ仕留めるぞ!」


「あ……」

 セルジュは目を見開き、魅入られるようにその姿を見つめた。

 右肩に翼を背負う、ファルレアンの騎士であるはずの《擬竜騎士ドラグーン》の、その後ろ姿を。



 ◇◇◇◇◇



 ヴィペルラート帝都・ヴィンペルン。網の目のように運河が張り巡らされた市街は、“水の都”という呼び名に相応しい美しさだ。

 その絶景を眺めながら、エスカラータはひとりごちた。

「――なかなか大きな街ね。こういうのを人間は“綺麗”って思うのかしら」

 ラトラを経由してフィエリーデに飛んだアズーラ同様、彼女も人造人間ホムンクルス魔動巨人ゴーレムを引き連れ、モルニェッツの旧首都・ドミニエの転移陣を使ってヴィンペルン郊外へと転移したのだった。

 魔動巨人ゴーレムの肩で帝都の景観をしばし眺め、彼女はふわりとそこから飛び下りる。


「……ま、いいわ。わたしの仕事はあれを攻撃することだものね」


 そうして彼女は、す、とヴィンペルンの市街を指差す。

「目標、ヴィペルラート帝国帝都・ヴィンペルン。総員、掛かりなさい」

 その号令に従い、最初に魔動巨人ゴーレムが歩みを進め始める。右肩の魔動砲が動き始め、砲身が前方に転回を開始した。

「……まずはあの宮殿を攻撃かしら、やっぱり」

 遠目に見える広壮たる宮殿――《夜光宮》を見据え、エスカラータは目を細めた。右手を振る。


「目標、市街中心部宮殿。魔動砲発射」


 所定の位置で足を止めた魔動巨人ゴーレムたちの魔動砲に魔力が供給され、その砲身の奥から光が零れ始めた。そして撃ち放たれた光芒は空を裂き、真っ直ぐに《夜光宮》へと直撃する――。


 しかし、その寸前。

 《夜光宮》内から伸び上がった水の竜巻が、まるで意思あるもののように魔動砲の光芒を迎え撃ち、その身と引き替えに魔動砲を打ち消した。

「――どういうこと!?」

 信じ難い光景に、エスカラータは思わず声をあげる。と、その足下が揺らいだ。

「くっ――!」

 彼女が跳び離れると同時に、そこから凄まじい勢いで水が噴き出した。

 しかも水が噴き出したのはそこだけではない。魔動巨人ゴーレムの足下からも止めどなく噴き出し、見る間に地面をぬかるませる。

「何なの……!」

 エスカラータが苛立ちに声をあげた時。


『――それ、こっちの台詞なんだけど』


 地中から溢れ出る水が集まって伸び上がり、人の姿を形作った。

 癖のある髪を一つに結った、少年の姿。水から生まれた少年は、碧がかった蒼い双眸でエスカラータたちをにらみ据えた。

『ずいぶん豪快に喧嘩売ってくれたよね。――陛下にも許可は貰ってるし、ちょっと本気出すよ』

 彼が一歩を踏み出せば、水はそれを待っていたと言わんばかりに大きくうねり、その周囲にいくつもの水球を作り出す。

『――行け!』

 彼の声と共に水球は一瞬で氷の槍となり、エスカラータたちへと襲い掛かった。

「阻め、《二重障壁ダブルシールド》!」

 エスカラータの展開した魔法障壁に、氷の槍が突き刺さる。ばらばらと足元に落ちるそれに、内心冷や汗をかきながら少年を睨んだ。

「……やってくれるわね」

『それも割とこっちの台詞』

 水を従え、少年は悠然と立ちはだかる。

「あんた……何者よ」

 エスカラータの問いに、彼はあっさりと、


『水の高位元素魔法士ハイエレメンタラー、ユーリ・クレーネ。――じゃ、ろうか』


 少年――ユーリの足元で再び水が渦巻き、多頭竜ヒュドラのように鎌首をもたげて、エスカラータたちに襲い掛かった――。


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