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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十六章 彼方より来たりて
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第125話 悠久の傷痕

「…………」

 アルヴィーはただただ無言で、“それ”を見やった。


『……うう、ひど過ぎる……わたしはただ、シルフィア様のご命令でそこの人の子に言伝ことづてを持って来ただけなのに……』


 地面に座り込んでさめざめと涙するのは、緑がかった金髪をした細身の女性だった。無論、正しく人外魔境であるこの大陸にいる時点で正体はお察しというところだが――彼女は風の高位精霊である。ただしその登場は、その字面にそぐわぬ残念なものであったのだが。

 何しろ、いきなり巣穴を飛び出したエルヴシルフトに、意気揚々とくわえられての登場だったのだから。


『これだから火竜は嫌なのよ……この脳筋戦闘種族……!』

『ほう、跡形もなく燃やされたいか』

『暴力はんたーい!!』


 じろりと睨むエルヴシルフトにきゃんきゃんと叫んだ風精霊は、こほんと咳払いして気を取り直すと、アルヴィーに向き直った。

『――見苦しいところをお見せしたわ。あなたがアルヴィーね?』

「そうだけど」

『へえ……これはずいぶんと、また……』

「……おい、そういう言い方止めてくれよ。なんか怖いだろ……」

 自分をじろじろと見ながらの不穏過ぎる風精霊の呟きに、アルヴィーはげんなりとうめいたが、それはともかく。


『わたしは先ほども言った通り、シルフィア様からあなたへの言伝を持って来たわ。本国の方で転移魔法陣の準備が整ったから、こちらで入口の陣を作りなさいとのことよ。材料はこれね』


 風精霊が何かをすくうように両手を差し出すと、その中で風が渦巻き、空間に小さな穴を創り出す。そこからぽとりと手の中に落ちたのは、小さな袋だった。口を緩めて見れば、中に詰まっていたのは大量の銀の粒。

「げっ……何これ」

 銀とはいえ、これだけ集まればちょっとしたものだ。思わず腰が引けたアルヴィーに、風精霊はあっさりと、

『魔法陣を長持ちさせるには、銀を使って線を引くのよ。魔力だけで敷いた陣は、一度使えば消えてしまうから。あなた一人転移させるだけならそれほど大きな陣は必要ないし、それだけあれば充分でしょう』

「へー……」

 しげしげとそれを見つめ、アルヴィーはおっかなびっくりそれを受け取る。

「……でもこれ、どうやって使えば良いんだ?」

 すると、


『先に地面をかして線を引き、そこにその銀を詰めて炎で熔かせば良い。炎の制御の訓練にはちょうど良かろう』


 アルマヴルカン(欠片)がそう教えてくれたので、納得しつつもちょっと引いた顔になるアルヴィー。

「……けど、これ熔かすのか……」

『主殿が造った、あの岩山の空洞の中なら、風雨にさらされることもなくちょうど良いだろう。あそこならば、アースウォーム辺りに陣を壊されることもあるまいしな』

「ああ、なるほどな」

 確かにそれは理にかなった提案だったので、アルヴィーは頷く。

『これが入口の陣よ。一度しか描かないから、ちゃんと覚えてちょうだい』

 風精霊が風を操り地面を掃き清めると、淡い緑の線が走り魔法陣が構築されていく。正直、精密過ぎてアルヴィーでは覚えられる気がしなかったが、


『――ふむ、わたしが見たものとは少し違うな。人間が手を入れたか。まあいい、覚えた』

「マジか! 信じるからな!」


 さすが人外というべきか、アルマヴルカンが自信に満ちた声でそう言ったので、それを信じることにした。まあ、本体の方は適当に陣を描いて適当に別の陣を乗っ取ることもできたのだから、新しく魔法陣を覚えるくらいは朝飯前なのだろう。

『そう、それなら良かったわ。じゃあ、わたしはこれで』

 風精霊は満足げに頷くと、見る間に一陣の風となって吹き去ってしまった。

「よっし、後は拠点で転移陣描いて戻るだけ――あ」

 そこで重要なことを思い出し、アルヴィーは真顔になった。

『どうした、主殿』

「やべえ、大事なこと忘れてた」

 そして彼は言い放つ。


「……燻製、あと二日は掛かるんだけど、できるまで転移陣延期して良いかな」


 間。


『……それは重要なことなのか?』

「重要だろ! 食料だぞ!?」

 そこはアルヴィーも譲れない。順調に人外への道を歩んでいる感じの彼だが、まだ肉体的には人間である、一応、多分。さすがに、魔力を摂取して生きられるほど人間を辞めてはいない。

「せっかく作ってるんだから、無駄にするわけにもいかねーしさ。何があるか分かんねーし、食料と水は絶対に要る」

『ふむ……確かに、道理ではあるな。――まあいい。どの道、あの風の大精霊が眷属を使って我々の様子を確かめているだろう。一日二日、陣の構築を遅らせたところで、さほど問題はない』

 アルマヴルカンはいともあっさりと前言を撤回した。ちなみに、ファルレアン本国の方ではアルヴィー行方不明の一件で、現在進行形で結構大騒ぎなのだが、遠く別大陸にいる彼らにそれを知るよしはない。そんなわけで、延期はいともあっさり決まってしまった。


「……けどまあ、アルマヴルカンが陣の構成忘れない内に、転移陣だけは作っとくか」


 というわけで、火竜一家のもとをおいとまして拠点へ。

 拠点と一緒に造っておいた即席の燻製窯からは、もくもくと煙が立ち昇っている。それを確認し、拠点の空洞をぐるりと見渡して、出来る限り起伏の少ない平坦な場所を選んだ。

「――この辺でいいか。この銀の量じゃ、あんまりでかい陣は敷けそうにないし」

 広さは三メイル四方ほどしかないが、風精霊から渡された銀の量をかんがみれば妥当なところだろう。場所も決め、アルヴィーは自身の中のアルマヴルカン(欠片)に頼む。


「じゃ、よろしく」

『やれやれ……陣はわたしが描いてやるが、炎の制御は主殿がやるのだぞ』

「分かってるって」


 右腕を戦闘形態に、右肩には翼状の魔力集積器官マナ・コレクタ。ちらちらと時折小さく炎を纏うその翼に、周辺の魔力を取り込み始める。

「……よし」

 呟いて右手を差し伸べると、その手の中に朱金の炎が渦巻いた。

「アルマヴルカン、任せた」

『うむ』

 いらえと共に炎が揺らぎ、幾筋にも分かれて伸びる。それは地面を走って綺麗な円を描き、その中に緻密ちみつな紋様を描き込んでいった。炎はまるで生き物のように縦横無尽に円の中を駆け巡り、やがて紋様を描き終えると中央でぶつかって虚空に溶ける。

 後に残されたのは、岩肌の上で美しく幻想的に輝く炎の魔法陣だ。


『よし、ではここからは主殿の仕事だ』

「おう」


 ここでアルヴィーが炎の制御をアルマヴルカンから引き継ぐ。炎の魔法陣は一瞬揺らいだが、すぐに落ち着いた。

(まずは上手く引き継げたな……後は炎の温度を上げて、と)

 朱金と金、色違いの双眸が細められ、魔法陣が明るさを増す。その炎の色が、どんどん白みを帯び、ヂッ、と何かが蒸発するような音が聞こえ始めた。炎の温度が上がり、岩肌が熔解を通り越して蒸発したのだ。熱気が襲い掛かってくるが、アルヴィーにとっては“確かにちょっと熱いかな”程度のものである。

「――ん、大体大丈夫っぽいな」

 岩が蒸発する音が魔法陣全体から聞こえることを確かめ、アルヴィーは炎を熱ごと右肩の翼に回収する。炎が吸い込まれきると、後にはまるで彫り込まれたかのように綺麗な魔法陣が残った。

「お、やった。上手く行ったな」

 後は陣の線に銀の粒を流し込んでならし、先ほどと同じように熱して融解させれば、銀でかたどられた転移陣が出来上がるというわけである。


「――よっしゃー、完成!」


 アルヴィーは出来上がった魔法陣を満足げに眺めた。発動さえさせなければ、寝る時にも邪魔にはならない。ここなら風雨にも当たらず、陣が破損するようなこともないだろう。

(……まあ、残しといても使う時があるのかって話だけど……何か予定あるんだろうな。じゃなきゃ、わざわざ銀使ってまで陣を長持ちさせる必要なんてないんだし……)

 アルヴィーをファルレアンへ戻すだけの片道なら、それこそ魔力だけで陣を描いて使い捨てにしても良いわけである。複数回の使用に耐えるようにしたということは、少なくとももう一度、こちらへ来る必要があるということだ。

「こんなとこ来ても、何にもないと思うんだけどなあ……あ、岩塩はあったか」

 自分の疑問に自分で突っ込みを入れつつ、アルヴィーは洞穴から出て留守番をしていたアルマヴルカン(本体)を見上げる。


「……そういえばさ、俺がファルレアン帰ったら、おまえどうすんの?」

『さてな……一度死んだ以上、この世にも大して興味はないが、千年の生の間にも訪れなかった場所はある。そういった場所を巡ってみても良いかもしれん』

「そっかー……いいな、そういうのも」

『何なら、おまえに付き合ってやっても良いが』

「止めてくれ……また騎士団が出張るぞ……」


 アルマヴルカンにとってはたわむれの一種なのかもしれないが、人間としてはとんだ一大災害である。

「……まあ、おまえがやりたけりゃ、人間おれらが多少抵抗したところで、何てこともないんだろうけどさ」

 人間と竜の間には、それほどの隔絶した力量差があるのだ。

『ふん、冗談だ。――それに、久々に見ておきたい場所を思い出した』

「見ておきたい場所?」

 アルヴィーの問いには答えずに、アルマヴルカンは翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がった。

「あ、おーい?」

『少し、この辺りを見て来るだけだ。――何なら、共に来るか。あちらの大陸では見られぬものを見せてやろう』

 アルヴィーは少し迷ったが、

「……行く」

 と、膝をたわめて地を蹴り、空へと舞い上がる。留守番がいなくなるが、拠点の位置的に侵入はされないだろうし、燻製の煙が立ち昇っているので戻る時の目印にもなるだろう。

 魔法障壁の足場を蹴ってアルマヴルカンの背に飛び乗ると、掴まるが早いか、アルマヴルカンは風を切って飛び始める。


「……あっちの大陸じゃ見られないものって何だろ? あ、そうか。おまえは知ってるよな、“アルマヴルカン”なんだから」

『知らぬではないが……まあ、主殿にとってはあまり興味も湧かんようなところだ』

「何だそれ……」

『古代史を学びたいというのなら、その限りではないが?』

「……あ、やっぱいい」


 死んだ魚の目になって、アルヴィーはそっとかぶりを振った。


 ――岩棚を飛び立ったアルマヴルカンは、荒野を眼下に眺めつつ、空を翔ける。

(こちらの大陸に来るのは、何百年ぶりになるか……)

 遠い過去を思い起こしながら、彼は真っ直ぐにある方角を目指した。

 一時間ほども飛んだであろうか。

 やがて遠くに、目指すものが見えてきた。

 アルマヴルカンは高度を下げ、速度を緩める。風に乗るように大きく弧を描きながら、彼は“その場所”の直上に達した。


 そこは、光が満ちていた。


 直径およそ数ケイルに渡って、円形に陥没した大地。通常、こうした地形は雨水などが溜まって湖などができることも多いが、そこは水の代わりに、黄白色の光をたたえていた。周辺十数ケイルほどには植生どころか草の芽一つ見えず、まさに不毛の地という言葉が相応しい。

 その上空を緩やかに旋回しながら、アルマヴルカンは背のアルヴィーに問い掛ける。

『見えるか』

「見える、けど……何だあれ! すっげービリビリ来んだけど!」

 窪地に満ちた光からは、凄まじいまでの力の波を感じる。思わず目を細めたのは、光のまばゆさのせいだけではない。

 息を呑むアルヴィーに、アルマヴルカンは告げる。

『あれは地脈だ。本来は地中にあって人間の目では視認はできんものだが、ここは特殊でな。地脈の密度が高過ぎて、こうして肉眼で視認することができる。おまえの目は純粋に人のものとは言えんが、まあただの人間であっても見え方はおそらく変わるまい』

「地脈……あれがかよ」

 以前見たそれとは比べ物にならない、強大な力。思わず、小さく身震いしてしまう。

(あんな中に巻き込まれたら、多分ひとたまりもないぞ……)

『そうだろうな。あれだけの力が渦巻いていれば、おそらく高位精霊でも危ないだろう。この周辺に植物がないのも、強過ぎる力に耐えられんからだ』

 アルマヴルカン(欠片)が、アルヴィーの思考を読んでそう返す。だが、その答えも納得の凄まじい力だった。

「何なんだ、ここ……」

 半ば無意識にそう呟くと、アルマヴルカン(本体)が答えた。

『ここにこれだけの地脈が集まったのは、かつてこの地で想像を絶するほどの力が行使されたからだ。それによって大地が深く傷付き、空間が歪んだ。地脈はそれを補填ほてんするために、地の大精霊を始めとする地属の精霊や妖精族によって、ここに集められたものだ。それによって歪みは地の最深部に押し込められたが、空間が正常化するにはまだ二、三百年は掛かるだろう。――まったく、捨てていく世界とはいえ、遠慮のないことだ』

「“捨てていく世界”って……それじゃ」

 アルヴィーの呟きを、アルマヴルカンは肯定する。


『そうだ。――ここは神々が世界を捨てて旅立った場所。いわば、去った神々の最後の痕跡だ』


 千年の時をけみしてもまだ消えない、神々が残した傷痕。

 アルヴィーは息を呑んで、眼下の壮大な光景を見つめるのだった。



 ◇◇◇◇◇



 遠くレクレウスはオルロワナ北方領、その都であるラフトを治めていたユフレイア・アシェル・オルロワナ公爵の耳にその知らせが入ったのは、彼女の友たる地の妖精族との何気ない交流がきっかけだった。


『――そういえば、我が友ユフレイアよ』


 領内の鉱脈について尋ねるために呼び出した地妖精は、彼女の望みを叶えた後、ふと思い出したようにそう言ったのだ。

「どうした?」

『いや、すぐにこの地がどうこうというわけではないのだが。――少々、地脈に触った者がいそうなので、気に掛かってな』

「何……?」

 不穏な言葉に、ユフレイアは眉を寄せる。

「それは、この間王都で起きたようなことか?」

『否、あれほど顕著けんちょなものではない。それに遠いな。おそらく、事が起きたのは国内ではあるまい』

「そうか……」

『では、我らはもう戻る』

「ああ、ありがとう」

 地妖精を送り出すと、ユフレイアは少し考え、補佐官に命じて鏡を持って来させた。この鏡はマジックアイテムで、対の鏡との共鳴を利用して、遠隔地の相手と会話をすることができる。キーアイテムである宝玉を嵌め込まなければただの鏡なので、普通に鏡としての利用もできるが、一応貴重なマジックアイテムということで、普段は厳重に管理してあるものだ。

 鏡の枠の上部にキーアイテムを嵌め込み、待つことしばし。


『――これは、オルロワナ公。お久しゅうございます』


 鏡面に現れたナイジェル・アラド・クィンラム公爵に、ユフレイアは頷いた。

「ああ、久しいな、クィンラム公。――実は、けいの情報網を見込んで、一つ尋ねたいことがある」

うけたまわりますが……まさか、そちらで何か?』

 ナイジェルの眉がひそめられる。ユフレイアは手を振ってそれを否定した。

「いや、そうではないが。先ほど、領内の鉱脈の具合を尋ねるために地の妖精族に話を聞いたのだが、その時に彼がふと言っていてな。――何でも、地脈に触った者がいる、らしい。もっとも、妖精が言うには国内の話ではなさそうだが」

『地脈、ですか……』

「言いたいことは分かる、クィンラム公。――レクレガンの一件と関わりがあるかどうかは、分からないが」

 ユフレイアは肩をすくめる。少し前に、レクレウス王国の前王であったライネリオが、魔動巨人ゴーレムを引き連れて王都レクレガンで暴れた一件は、未だに不明な点が多かった。あの一件の際に、王都の地下を走る地脈が狂い、応戦に苦労したことは記憶に新しい。

「今回は地の妖精族もさほど慌てていないし、現場が遠いというのも確かなのだろう。だが、そうと言って放っておくのもどうかと思ってな」

『なるほど。では私の手の者に一つ、探らせると致しましょう』

「よろしく頼む」

 ナイジェルが情報収集を約束してくれたので、これでユフレイアの用事は終わりだ。しかしだからと通話を切り上げるのもはばかられて、彼女は相手の近況について尋ねることにした。

「それはそうと、そちらはどうだ、クィンラム公。独身生活もあとわずかだが」

 ナイジェルの婚約者・オフィーリアの父である元宰相、ロドヴィック・フラン・オールトの死の偽装によって、オールト家が喪に服しているため結婚はまだだが、喪が明け次第結婚式がり行われることになっている。無論ユフレイアも招待されるだろう。それを見越して現在、二人に贈るための品を領内の職人に作らせているところだった。

 決して他意があって尋ねたわけではないが、それに対してナイジェルは、驚くような答えを返してきた。


『お気遣いありがとうございます。――実はこの間、オフィーリアが何者かに命を狙われまして』

「ちょ、ちょっと待て!」


 ユフレイアは慌てて突っ込んだ。

「どういうことだ、それは!」

『幸い未遂に終わりましたが、どうやら本職の暗殺者アサシンが送り込まれたようでしてね。事前にブランとニエラを侍女として送り込んでおいて正解でした』

「ああ、あの二人か」

 名が挙がった二人の少女とは、ユフレイアも面識があった。常に薄いベールを着けた、少々変わった少女たちだが、あれでなかなかの手練てだれだ。

『向こうの目的が分かりかねますので、今のところ待ち構えるしか手がありませんが、これがわたしたちだけで終わる保証もございません。公も、御身には注意なさった方が良いでしょう』

「忠告、有難く承ろう」

 確かに、戦後台頭してきた勢力を狙ってのものなら、ユフレイアにも影響がないとも限らない。こちらには《剣聖》たるフィランがいるが、物事に“絶対”という言葉はないのである。

 後でフィランにも伝えておこうと思いながら、ユフレイアは頷いた。

「……やはり、旧強硬派の連中か?」

『彼らにそれだけの力が残っているかは疑問ですが、調べは進めておきましょう。誰かと組めばできなくはないでしょうし』

「色々と任せて悪いが、よろしく頼む」

 調査をナイジェルに任せ、挨拶を交わして、ユフレイアは通話を打ち切った。鏡を片付けさせながら、考えを巡らせる。


(クィンラム公の婚約者が命を狙われた……何が目的かによって、わたしたちの対応も変わってくるな)


 しばらくは気が抜けないと、ため息をつく。そして、補佐官を呼んだ。

「――お呼びでしょうか、閣下」

 すぐに顔を見せた補佐官に、ユフレイアは命じた。


「フィランを呼んでくれ。――少し、話がある」



 ◇◇◇◇◇



 杖を振れば、石造りの地面に魔力の光が線を描く。歌のような抑揚よくようを伴って響く詠唱が、その線をより強く輝かせた。

 地に描かれた精緻せいちな魔法陣の周囲には、下命を待つ騎士たちのように、片膝をついた姿勢の魔動巨人ゴーレムが居並ぶ。その中心で転移陣を構築するレティーシャは、まるで騎士たちにかしずかれる姫君だ。

 メリエは少し離れたところから、その様子を眺めていた。


「――どうしたんだい、こんなところで」


 不意にかたわらに現れた気配に、だが彼女は振り向きもしない。

「……別に。ただ暇なのよ」

 彼女の態度に、ダンテは気を悪くした様子もなく微笑む。

「確かに、このところはね」

「それにしても、あの周りの魔動巨人ゴーレム、なに? どっかに戦争でも吹っ掛ける気なの」

 胡乱うろんげな目で問うメリエに、ダンテは小さく笑った。


「……そうだね。場合によっては、そうなる」

「え」


 意外そうに目を見開く彼女に、ダンテは小さく肩を竦めた。

「要するに、もう“準備段階”は終わりということさ。この間の“実験”で、我が君の理論も一応の証明はなされた。アルマヴルカンの帰還はまだだけど、そっちは現段階ではそう大した問題じゃない。――時機が来たと、我が君はお考えになったんだろう」

「へえ……」

 メリエのすみれ色の双眸がぎらりと輝き、チリチリと焼け付くような空気が彼女を包む。

「じゃあ、あたしの出番もあるってこと?」

「さあ、それはどうかな。相手が弱ければ、魔動巨人ゴーレムだけで事足りるだろうし」

「ちょっと、あたしにも残しといてよ! 暇なのよ!」

 苛立たしげにメリエが腕を打ち振ると、チッ、と音がして小さく炎が走る。まだ制御が甘いか、と密かにため息をつくダンテ。

「……君、この間ラドヴァンと一緒に、村一つ潰しに行ったじゃないか」

「あんなの暇潰しにもなんないわよ! どいつもこいつもただの村人で弱っちかったし!」

 だん、とブーツの踵を地面に打ち付け、メリエはじとりとダンテを見やった。


「……そもそもさあ、あんなシケた村、わざわざ潰さなくても、その内ひっそり消えたんじゃないの? それこそ、魔物に襲われてもおかしくない立地だったじゃない、あそこ」

「いや、あの村は特別なんだ。――特別“だった”、か」

「特別?」

「あの村の人間だけは、《神樹の森》に立ち入ることを許されていたからさ。その余禄で、魔物に襲われることもなかった。《神樹の森》で絶対の安全を約束されていた、あの村が残っていると、ポーションの原料の供給が止まらない。それは我が君にとって、好ましくない事態だった」

「許されてたって……誰に?」

 問いに、ダンテの笑みが少し深くなった。


「神。――正確には、その意を受けた代理人」


「……はあ?」

 呆れたようなメリエの声に、彼はその笑みを苦笑に変える。

「まあ、そもそも神々はとっくにこの世界を捨てて久しいし、今さら神がどうのなんて言われても、って話ではあるんだけど。でもまあ、可能性を潰すに越したことはない、というわけさ。――神々が去ってもう千年も経ったんだから、カビが生えたような神の恩寵おんちょうなんて、もう必要ないだろう?」

「ふーん……あたしは便利なものはそのまま使えばいいじゃんって思うけど」

「便利過ぎるのも考えものだよ。その結果、人間はそれを超えるものを、自分で生み出せなくなったじゃないか」

 そう言い捨てると、ダンテは陣の方へと目をやった。

「――ああ、終わったみたいだね」

 見ると、確かにレティーシャは杖を下ろし、転移陣を出てこちらに歩いて来るところだった。


「我が君」

「ああ、ダンテ。そちらの用はもう終わりまして?」

「滞りなく。――アズーラとエスカラータは、もう旧首都に到着したのですか?」

「いいえ、二人とも到着までには今しばらく掛かりますわ。ただ、先に魔動巨人ゴーレムを送り込んでおこうと思いまして。それに、旧首都の方でも転移陣を構築しておかなければなりませんものね」

「申し訳ありません。僕たちがそちらの方面に通じていれば良かったのですが……」

「構いませんのよ。こういうものは個々人の適性がものを言いますもの。わたくしだって、あなたのように剣を扱えと言われても無理ですわ」


 ころころと笑い、レティーシャはメリエへと目を向けた。

「メリエ。あなたは?」

「別に……ただ、暇だったから」

「そうですの。でも、今のところあなたが出るような案件はありませんわ。アルヴィーも目下のところ、アルマヴルカン共々行方不明ですし」

「ちょっと、何それ!」

 聞き捨てならない言葉がポロリと出てきて、メリエは思わずレティーシャに詰め寄った。

「あたし聞いてないわよ!?」

「あなたに教えると飛び出しそうでしたし、そもそも居所が分からなければ徒労にしかなりませんから、申し上げておりませんでした。現段階では、彼の存在はこちらの進捗しんちょくには関係ありませんし、彼がファルレアンに戻るのを待つ方が効率的ですわ。あちらには風精霊を使えるという利点もありますし、そちらで捜して貰った方が早いでしょう」

「何で! 先に見つければこっちに連れて来れるじゃない!」

「アルヴィーが一人ならそれでも構いませんけれど……今はおそらく、火竜アルマヴルカンが傍にいますのよ? アルマヴルカンもまた、アルヴィーに執着を持っていると考えられます。あなたは、そのアルマヴルカンと戦えまして?」

「……それ、は」

 メリエは息を呑み、言葉に詰まった。


 ――思い出す。

 火竜アルマヴルカンの欠片に“喰われた”時のことを。

 自分は火竜の魂の欠片にすら勝てなかった――。


 黙り込むメリエに、レティーシャはいつくしむような目を向ける。

「恥じることではありませんわ。そもそも、種としての性能が違い過ぎるのですもの。本能的に恐れを抱くことは当然……むしろ、“人間”として正常に機能している証左です」

「……人間? あたしが?」

 メリエは両眼をぎらつかせた。

「違う! あたしは人間なんて弱いものじゃない!」

 それは、彼女の矜持きょうじだ。“人”を超えた“ヒト”として、人間では望むべくもない力を手にし、それをはばかることなく揮うことができる――そう信じることこそが、この異形の身を誇り、強過ぎる力を恐れずにいるための唯一の方法。

 そうでなければ、“前”と同じように、それに呑み込まれてしまう――。


「人間なんて、奪われてばっかりの弱い連中だもの。あたしは、そんな弱いままで終わったりしない!」


 そう吐き捨て、メリエはきびすを返して立ち去って行く。その後ろ姿を見送り、レティーシャはおっとりと微笑んだ。

「奪われてばかりの弱い存在……それで片付けることができれば、この世界の歴史ももっと単純シンプルになったのでしょうけれど」

 彼女は知っている。人間は奪われるばかりでなく――時には奪う側に立つこともあることを。

 だからこそ百年前の大戦も起きたし、それ以前にも歴史を彩る戦乱を数えれば、両手の指でも足りないほどだ。まして人は人同士だけでなく、人ならざるものたちにすら戦いを挑んだ事実がある。

「……ねえ、ダンテ。これはここではない、別の世界の神話なのですけれど」

 自らの騎士を振り返り、レティーシャは語り始める。

「その神話の神々は、やはり人間たちが及びもつかない力を持つ超越者たちでした。――けれどその神々の頂点に立つ最高神は、神と人間との間に生まれた混血児だという説がありましたのよ」

「人間との混血……ですか?」

「ええ。なぜだか分かりまして?」

「……いえ」

 ダンテがかぶりを振ると、レティーシャはふふ、と小さく笑った。


「その世界の神々はほぼすべてにおいて人間にまさっていましたが、一つだけ人間が神に勝るものがありました。――成長すること、ですわ」


「成長すること……ですか?」

「神々は生まれながらに強大な力を持っていましたけれど、彼らはそれゆえに不変の存在であり、その力もまた不変のものでした。ですが、成長という特性を持った人間の血を受けたその神だけは、元から持ち合わせた神としての力を“成長”によってより高め、ついには神々の頂点に君臨するまでに至ったのです」

「そんな神話が……」

「もちろんこれは、この世界とは何ら関わりのない話ではありますけれど。そもそもが、この世界の神々はすでに去っておりますものね。――ですが」

 長い銀髪を揺らし、レティーシャは言葉を紡ぐ。


「人間というものは意外と、そう弱くもないのかもしれませんわね」

「は……」


 とっさにダンテが答えられないでいると、レティーシャはくすりと笑って転移陣へと向き直った。

「――陣の構築は済みましたわ。まずは魔動巨人ゴーレムを、ドミニエ、ラトラの両都市に送り込みます。ダンテ、アズーラとエスカラータを急がせてくださいな。場合によっては持たせた転移アイテムの使用も許可します」

「はい、かしこまりました、我が君」

 一礼して、ダンテは主の命を果たすためにその場を後にする。

 立ち去る前に一度だけ振り返ると、レティーシャはまるで何かに挑むように、そこに立ち尽くしていた。


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