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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十六章 彼方より来たりて
125/136

第124話 帰還への道標

 空には月明かり、足元に広がるのは白銀に輝く大地。といっても、ここは荒野の真ん中であり、雪原ではない。

 月下にきらめくその白い大地の正体は、岩塩だった。

「――これが全部塩って、嘘みたいだな」

『おそらく、この辺りはかつて海だったのだろう。それが陸地の隆起と共に干上がったというところか。さすがにその頃は、わたしもまだ生まれてはいないだろうが』

 アルマヴルカン(欠片)が注釈を加える。このところ本体の方が出張っていて、アルヴィーの中にいる方の彼は沈黙を保っていたが、今回は拠点へ戻る時の目印として本体の方は留守番をさせているので、久々にこちらのアルマヴルカンが口を出してきたのだ。

「アルマヴルカンも生まれてない頃って、すげー大昔じゃん」

『自然にできたものか、それとも地精霊の気紛れかは知らんがな。どちらにせよ、この様子だと相応の時間をけみしているはずだ』

「へー……」

 感心しきりで一帯を見渡すアルヴィー。

 実際、この岩塩の鉱脈はなかなか大規模だった。地上から見渡しただけでは正確な広さは分からないが、もしかしたら子爵領くらいの広さはあるかもしれない。塩など海辺でしか採れないと思っていたアルヴィーにとって、この一面の白銀の大地はちょっとした衝撃だった。


 ――ここは、アルヴィーがとりあえずの拠点としている岩山から、南に十ケイルほど離れている。何か役に立ちそうなものはないかと、岩棚から周囲を眺めていたら、昇り始めた月の光を白く反射する一帯があることに気付いたのだ。アルヴィーの視力であれば、十ケイル程度の距離ならはっきりと見える。

 いかにもただの荒れ地とは一線を画すその光景に、興味を引かれてやって来てみれば、一面塩の大地だったというわけだ。


「……とりあえず、これくらいで良いか」


 右手でごそりと塩の塊をこそげ取り、余分な土などを落とす。

「けど、まさかこんなとこで塩が手に入るとは思わなかったな。ツイてたけど」

『まあ、人にとってはあって困るものでもあるまい。どうせ誰のものでもない鉱脈だ、好きなだけ持って行けば良い』

「っつっても、魔法式収納庫ストレージがないからな。あんまり量は持ってけねーし」

 片手で持てる程度の塩でも、燻製くんせいを作るためには充分だ。もし足らなくなれば、またここまで取りに来れば良い。塩を使えば日持ちのする燻製が作れるし、味も付く。

 ひとまずそれだけを収穫に、アルヴィーは拠点に戻った。何しろ岩棚に竜が鎮座しているので、似たような岩山ばかりでも迷わずに済む。


『何を採って来た?』

「塩だよ塩。よっし、これで多少はマトモな燻製作れる」


 アルマヴルカン(本体)への返事もそこそこに、アルヴィーは燻製作りに取り掛かり始めた。まず、ごろごろと塊状態の肉を豪快に引き裂いて厚みを減らし、塩を擦り込む。充分に擦り込めたら水に漬けるなどして塩を抜き、後はしばらく干して水分を抜くのだ。

「……後はできれば日陰で、風通しの良いとこに置いとかないとな」

『わざわざ待たずとも、炎で水分を飛ばしてしまえば良かろう』

「それじゃただの焼肉だろうが」

 アルマヴルカンの大雑把な一言に、アルヴィーは小さく顔をしかめる。燻製肉は水分を抜きいぶすから長持ちするのであって、単なる焼肉を量産しても仕方がない。

 まあ、竜というのはそもそも食事が必須ではないのだからしょうがない――と思っていると、


『ならば、そこの空洞を適当にあぶって、空気を乾かせばどうだ。翼を使えば、熱を吸い取ることもできるだろう』

「……おまえ頭いーな」


 目から鱗だった。


 早速右腕を戦闘形態にすると、洞穴の中を炎で満たし、中の空気から水分を飛ばす。程良く乾いたと見ると、炎ごと熱も右肩の翼に吸い込んで乾燥は終了だ。

 後は入口からの日光が当たらない場所に毛皮を敷いて、その上に肉を並べる。本来であれば網か何かに入れて吊るすのが良いのだが、今から網など編んでいてはその間に干し肉ができてしまうし、そもそも吊るす場所もない。

「あーあ、せめてつたでもあればなあ……ま、こまめに裏返すか」

 ぼやきながらも、燻製に使う木の枝を一部流用して、肉の下に敷き込んでいくアルヴィー。下にも空気の流れができれば、水気が飛ぶのも早いだろう。

 燻製用の下ごしらえを終え、アルヴィーはひとまず、夕食にありつくことにした。先ほど塩を擦り込んでおいた肉の一部を、今日の食料として取り分けておいたのだ。


「……念のために訊くけど、食うか?」

『不要だ』

「そっか」


 アルマヴルカン(本体)に拒否られたので、遠慮なく一人でいただくことにする。一口サイズに引き千切りつつ、その都度つど炎を出してきちんと火を通してから口に入れた。さすがに、未知の大陸の未知の生物の肉を加熱処理なしで食べたいとは思わない。

「……ん、意外とイケるな。やっぱ塩のせいか」

 多少の雑味はあるが、肉汁と塩味が上手く噛み合ったのか、そこそこイケる風味に仕上がっていた。やはり塩は偉大だ。

『…………』

 気が付くと、アルマヴルカンがこちらをガン見していた。


「……食うか?」

『ふむ、貰おうか』

「やっぱ食うのかよ……!」


 突っ込みつつも塊肉を一つ手に取り、ざっと火を通して口の中に放り込んでやる。

『ほう……なるほど。生肉とはまた違うが、これはこれで』

 もごもごと口を動かすその様子が、何だか魔石を舐めていたアゼルアリアとどことなく似ていて、そういえば親戚なのだと納得した。

 竜にとって人間のような食事はただ単に味を楽しむためのもので、必須ではない。塊肉一つで満足したようであったので、アルヴィーも食事を終えた。後の分は明日の朝食に回すことにする。

 洞穴の中は即席の乾燥室と化しているので、そのまま岩棚の上でごろりと横になった。広がるのは冴え冴えと月が輝く夜空。おそらく雨は降るまい。

 星明かりを掻き消すほどに明るく輝く月を眺めながら、思い出すのは親友のことだ。


(……ルシィ、心配してんだろうな……)


 王都ソーマでアルマヴルカンと戦った、あの時。応援部隊の中にルシエルの姿もあったのを、アルヴィーは確認している。つまり、ルシエルはアルヴィーがアルマヴルカンと戦い、あの場から消えるまでを目撃しているのだ。

(俺のこと捜しに行くって、暴走してなきゃいいけど……)

 いくら彼でも、遠く海を隔てた別大陸までは来られまい。ここは一つ、自分がどうにかして自力で元の大陸まで戻るしかないのだ。

 ため息をついて、アルヴィーは星空を見やる。天測に長けた者ならば、星の位置関係などで大まかな現在位置くらいは割り出せたかもしれないが、元猟師の彼は空模様よりも、木々や岩など地上の目標物で道や方角を覚えていた。そのため、ここまで環境が違ってしまうとまったく役に立たない。ましてや今夜は、星すら見えない月夜である。

「――あーあ、せめてこっちにも転移陣があればなあ。そしたら戻れるかもしれなかったのに」

 思わずそうぼやいたら、アルマヴルカン(本体)から爆弾発言。


『あの陣なら、大体の構成は覚えているぞ?』


 間。


「……え?」

『術式に干渉するには、まず術式の構成を理解せねばならんからな。確かに少々ややこしい構成の術ではあったが』

「……っておい、マジかそれ!」

 思わず跳ね起き、アルヴィーはアルマヴルカンに詰め寄った。

「じゃあ、元の大陸に戻れるのか!?」

『とはいえ、あの術式では位置指定に座標が必要なようだったが、あの街の座標まではわたしも知らん。そもそも、大陸の座標も知らんのでな』

「……なら王都に転移してきたのはどうやって」

『適当に入口の陣を作って飛び込んだ後、出口を見つけて乗っ取ったらあの陣だっただけのことだ』

「適当かよ!!」

 アルヴィーは全力で突っ込んだ。

(一瞬期待したけどやっぱダメだ……こいつ当てになんねえ。また全然違うとこに転移したら洒落になんねーよ……!)

 おそらくファルレアンの方でも、何か手段を講じてくれているだろうから、それに乗る方が遥かに安全な気がする。

 やはり保存食料の確保は必要だと、彼は決意を新たにした。幸い塩は手に入る当てができたし、燻製肉も作れる。後は水だ。

「あー……あの牛か鹿か分かんねえ動物の内臓、取っときゃ良かった……胃袋とか水筒代わりになるんだよなあ……」

 謎生物の胃袋という気持ち悪さはあるにしても、水の確保のためには背に腹は代えられない。綺麗に洗えば使えるだろう、多分。

 痛恨のミスに頭を抱えたが、過ぎたことは仕方がない。ということで、明日も水場に行ってみることにした。もしかしたらもう一頭くらい獲物が狩れるかもしれない。帰還にどれだけ掛かるかも分からないし、食料と水を確保するに越したことはないのだ。


「……何もすることないし、寝るか」


 月明かりこそ明るいが、荒野の夜は静かだった。虫の声さえ聞こえない静寂は、かえって耳が痛くなりそうなほど。風もなく、動くものが何一つ見えない地上は、まるで時が止まったかのようだ。

(……人間が暮らせないっていうの、何となく分かる気がする)

 以前エルヴシルフトが漏らした言葉を、ふと思い出す。確かに魔物や謎生物が跋扈ばっこし、食べ物一つ得るにも一苦労の場所だが、それよりもなお恐ろしいのはこの静寂のような気がした。


 ――完全な静寂は、人を狂わせる。


 聞こえない音が聞こえるような、動かないものが動くようなその中では、いずれ自分の存在そのものもあやふやになってしまうだろう。自分の五感も信じられなくなり、果ては息の仕方さえ忘れてしまいそうな――。

(……まあ俺には、聞こえるんだけどな)

 だがアルヴィーの鋭敏過ぎる聴覚は、アルマヴルカンが身じろぎするたびに鱗が擦れるかすかな音、そして自身の鼓動すらも捉える。それだけが確かに、今ここに自分がいることを彼に自覚させた。

 それらの音の中に、ふと遠い咆哮を聞いた気がして、少し口元をほころばせる。


(……そうだ。せっかくだから、明日は燻してる間に、エルヴシルフトのとこに行ってみるかな)


 せっかく別大陸くんだりまで来たのだから、彼らの住処とやらも見てみたい。何しろ、この機会を逃せばおそらく次はないのだ。

 そんなことを考えながら、アルヴィーは寝転ぶと色違いの瞳を閉じた。



 ◇◇◇◇◇



 王都を賑わせた《ヴァルティレアの祝祭》の裏で起こった、火竜による王都襲撃の危機も何とか去り、ソーマは表向き、穏やかな一日の中にある。

 が、そんな穏やかさの裏で、その恩恵からあぶれる不運な者たちも、確かに存在した。


「――転移陣の解析、何とか完了しました……」

「陣を描くための材料が揃いました……精算をお願いします……」

「魔石の使用許可申請を――」


 研究員たちが忙しく立ち働き、夜を徹しての作業でへろへろとチェックや精算を求めるのは、王立魔法技術研究所の一室である。火竜と共に消えたアルヴィーをファルレアンに連れ戻すため、その一室では、他言無用の緊急任務が文字通りの突貫作業で行われていた。

「――魔石が思った以上に必要になるね。まあ、目的が目的だから、許可は下りるだろうが……」

 許可申請の内容を確認し、責任者たる所長のサミュエル・ヴァン・グエンは小さく唸る。

「確かに、国どころか海をまたいで別の大陸にいるとなると、そうもなるか」

 書類に決裁のサインを書き記し、次々と差し出される書類を捌いていく。責任者である彼のサインは、あらゆるところで必要となるのだ。

 と――そこへ研究員の一人が駆け寄って来た。

「所長、お連れしました」

「分かった、すぐに行く」

 待ち侘びたその知らせに、サミュエルは一旦書類を保留にし、部屋を出る。廊下を足早に歩き、別の部屋に足を踏み入れた。


「――ようこそ、精霊殿。お呼び立てして申し訳ありません」

『いいわ。わたしもここでは、好きにさせて貰っているし』


 そこで待っていたのは、薬学部の敷地内の森に腰を据えた地の高位精霊・フォリーシュだ。彼女はサミュエルに向き直ると小首を傾げる。

『わたしに訊きたいことがあるって、聞いたけれど?』

「はい。時間が惜しいもので手短にお尋ねしますが――我々が組んだ陣を地脈の力で動かすことは、可能ですか」

 当初は二日で必要な資材を集めるつもりだったが、意外に手間取ってすでに四日が経過している。別大陸までの距離をおぼろげながら仮定し、改めて計算した結果、必要量が当初の想定より跳ね上がってしまったためだ。特に魔石はどこででも必要されるため、集まりが悪かった。そこでサミュエルは、次善策として地精霊フォリーシュに力を借りられないかと考えたのだ。

(彼女は《擬竜騎士ドラグーン》と親しい。彼のためであれば、脈はあるはず……)

 その期待は、彼女の首肯しゅこうによって報われた。

『できるよ』

「ならば、恐れ入りますが我々にご協力をいただけますか。――実は、あなたとも親しい《擬竜騎士( ドラグーン)》が、少々面倒な事態に巻き込まれまして……」

『うん、知ってる』

 フォリーシュはこくりと頷いた。


『地脈に触るところで陣が稼働し(はしっ)て、どこかへ繋がったのは分かった。けど、あの火竜が無理に“道”を捻じ曲げたから、行き先がどこに変わったかは分からない。――あの竜は地脈から力を汲み上げて術式に干渉した。火竜は地脈そのものに干渉はできないけど、そこに流れる力を汲み上げることはできる。あれだけ力を汲み上げれば、相当遠くへも行けたと思う』


 さすがに王都の地脈を復旧しただけあって、彼女はかなりの情報を把握していた。

「地脈への干渉と力を流用することは、違うのですか?」

『地脈への干渉っていうのは、地脈そのものを動かしたりすること。これはわたしたち地属のものにしかできない。でも、そこに流れる力だけを取り出すことは、地属でなくてもできる。人間だって、川の流れは動かせないけど川の水は汲めるでしょう?』

「なるほど」

『だから、陣を動かすだけならそんなに難しくない。むしろ、ちゃんと行き先指定できてるかどうかが大事』

「ふむ……実は、《擬竜騎士ドラグーン》をこちらへ連れ戻したいのですが」

『だったら、入口側の陣にこっちの位置座標をちゃんと組み込まないとダメだと思う。竜はそういうのあんまり気にする種族じゃないから、それはそっちで調べて伝えて』

 竜という種族は、なまじ自前の翼があってそれなりに速く飛べるため、転移など使わず自分で空を飛ぶ方を好む傾向にある。つまり、地上の位置座標などいちいち気にしていないのだ。彼女たちはあずかり知らないことだが、アルマヴルカンの適当さもこの辺りに由来する。

「承知しました。――では、準備ができましたらご協力を」

『まかせて』

 フォリーシュは力強く頷いた。

 彼女の協力も取り付け、一番の山場を越えた安堵に息をつくと、サミュエルは微笑んだ。

「ありがとうございます。彼は我が国にとっても重要な存在ですのでね。ここで失うわけにはいかない」

 すると、フォリーシュはことんと首を傾げる。


『そうなの? 人間にとっては、アルヴィーの力は大き過ぎて怖いのかと思ったけど』


 人外の存在ならではの忌憚きたんのない言葉に、サミュエルは苦笑いを浮かべた。

「確かに、彼の力を恐れる者、出自をうとむ者は一定数いますが……それを差し引いてもやはり、手放せるものではないのですよ」

 あまり声高ではないにしても、平民出身であり元レクレウス兵という彼の出自を執拗しつようにつつくやからは、それなりの数が存在する。アルヴィーが影響力を強め《女王派》と強く結び付くのを警戒する、《保守派》の息の掛かった者たちだ。厄介なことに、高位貴族の中にも《保守派》が少なくない数存在するため、そこから手を回されて、彼の功績に見合った待遇を与えられないこともあった。論功行賞ろんこうこうしょうが良い例だ。もっとも、国としても予算枠というものはあるので、彼への褒賞にばかり予算を割くわけにもいかない。アルヴィーが辺境の小村の出身であり、富や名声にさして興味を持たず育ってきたことは、国としても幸いであった。


「……国の都合に振り回されるのは、いささか気の毒ではありますがね」


 そう呟いて、サミュエルは自嘲とも苦笑ともつかぬ、かすかな笑みに口元を歪ませた。



 ◇◇◇◇◇



「――困りましたな」

 とある部屋で、そこにいる男たちは一様に渋い表情となっていた。


「女王の婚約は良いとしても、相手が……」

「左様、まさかヴィペルラートがしゃしゃり出て来ようとは……しかも、女王側の反応も悪くないそうだな」

「王配に相応しい者ということであれば、我々の家門にも候補はいたものを……何も、国外の人間を迎え入れることはなかろうに」


 顔を突き合わせてぶつくさと零すのは、今やこの国では非主流派に転落してしまった《保守派》に属する貴族たちだった。ギズレ元辺境伯やギルモーア公爵家の使用人が起こした事件により、彼らは当分の行動の自粛を余儀なくされたのだ。実際、この集まりにもギルモーア公爵家やそれに連なる家門の者は顔を見せていなかった。彼らは今しばらく、ほとぼりを冷まさなければならないだろう。

 その間に《女王派》には《擬竜騎士ドラグーン》が爵位を得て加わり、ますますわが世の春を謳歌おうかしている、といった状況である。


「……まあ、致し方ありませんな。女王が即位する前、こちらの継承権持ちはことごとく継承権を放棄している。一度放棄したのなら、状況が良くなったからといって今さら未練など見せるな、ということでしょう」


 一人がそう指摘してため息をついた。その指摘は的を射ている。彼らが担ぎ上げた継承権持ちの男子は、戦争の最中での王位継承に及び腰になり、先を争うように継承権を放棄したのだ。

 とはいえ、彼らの気持ちも分からなくはなかった。何しろ、王位に就いた後で戦争に負ければ、自分は敗戦の王となる。敗戦国側の王族の扱いは、大体が戦勝国側の裁量次第ということになるので、勝った方が好戦的な王であれば、敗戦国側の王が物理的に首を飛ばされることも珍しくはない。そんな運命を出来うる限り避けたいと思うのは、人としては当然の心理であろう。むしろ、その状況で王位を継承し、国を立派に治めてみせたアレクサンドラの胆力と手腕を賞賛すべきところだ。

 だがそれはつまり、彼らの権力の失墜しっついと同義でもあった。


「――そもそも、我々は程度の差はあれ、王家の血筋を汲む由緒ある家門なのだぞ。それを、このようにないがしろに……」

「ですが、一度明確に対立してしまったのはちとまずうございましたな。あれで完全に、《女王派》と我々の対立構造が出来てしまった」

「しかしあちらも、今は状況を静観するのみの構えのようですな。やはり我々の血の貴さに、手を出しあぐねているのではありませんかな」

「いや、あちらにとっても“仮想敵われわれ”の存在は必要なのでしょう。陣営が統一されてしまえば今度は、《女王派》の中で内輪揉めが起きかねない」

「うぬ……良いように利用されているということか」


 口々に意見を述べる貴族たちの中で、一人の貴族は黙考したままワインのグラスを傾ける。彼に気付いた別の貴族が声をかけた。

「――どうなされた?」

「いえ、《女王派》の切り崩しを考えておりますが、なかなか上手い手が見つかりませんでな。王配にこちらの手の者を送り込むにしても、よほどに旨味があることを示さねば、女王は乗って来ますまい」

「と仰ると……何か旨味があれば、《保守派われら》の息が掛かっていると知っていても、あの女王は受け入れるとお考えで?」

「彼女は骨のずいまで政治家ですのでね。利があると見て取れば、こちらの紐付きであったとて受け入れましょう。無論、よほどの利でなくば彼女は動かぬでしょうが」

 女王アレクサンドラは、その年の少女とは思えぬほどに徹底して合理的だ。たとえ《保守派》の息の掛かった人間であっても、その人物が有能であり国を動かすために有用ならば、自らの配偶者として受け入れるだろう。もちろん《保守派》としては、その人物が《女王派》に取り込まれないように注意を払い続ける必要が出て来るのだが。


「――いっそ、妹姫をこちらに取り込むのはいかがか」


 と、飛び出した意見に皆の注目が集まった。

「アレクシア姫を?」

「左様。女王の方は手強いが、妹姫はさほどでもあるまい」

「確かに、妹姫なれば……」

「どの道女王が結婚すれば、妹姫もどこぞへ降嫁せねばなるまいしな」

「女王も妹姫は大事にしている。あまり遠くには嫁がせまいよ」

 アレクサンドラ本人をどうこうするより、王妹アレクシアを攻略した方がまだやすい――その意見はたちまちに、その場の貴族たちの意識を塗り替えた。


「では、妹姫をここにお集まりのいずれかの家門でめとると?」

「それが最善でしょうな。しかし残念ながら、我が家の孫はまだ赤子でしてな……」

「何なら、我が息子とめあわせてはいかがかな。なに、たかだか十五の年の差など、王侯貴族の結婚には珍しくもありますまい」


 ワインで口が滑らかになったのか、多少の軽口も飛び交い始める中、一人の貴族だけは思案げな顔でグラスを傾けていた。

(……あの女王が、妹姫の身の周りに気を配っていないはずもあるまいに……自分の首を絞めることにならねば良いが)

 むしろ、アレクシアに無体をいでもすれば、それを口実に再び、《保守派》の影響力を削がれかねない。今の《女王派》にとって《保守派》は、仮想敵としてちょうど良い存在に過ぎないのだ。先のギルモーア公爵家の使用人が起こした事件も、騎士団がその気になれば公爵本人にも斬り込めたはずだが、彼らはあえて引いた。おそらく、宮廷でのパワーバランスが急激に崩れるのを危惧した《女王派》の意向だろう。直接捜査に当たった魔法騎士団の指揮をった第二大隊長・ジェラルドの生家は《女王派》の重鎮の一角。そちらから手心が加えられた可能性は決して低くない。


(――まあ、担いだ若君が継承権を放棄した時点で、我が一門がこちらの陣営に肩入れしてきた意味もほぼ消えた。父上は時流を見誤られたが、わたしはそうはならない)


 密やかにそう決意を固め、彼はそれを言葉にする代わりにワインと共に飲み込むのだった。



 ◇◇◇◇◇



 翌朝。程良く水分の抜けた肉を、燻製用のスペースに放り込んで石の一枚板(岩棚の端をちょっと削って自作)で蓋をし、後は煙で燻されるに任せて、アルヴィー自身は近く(といっても数十ケイルほど離れているが)の火山帯に向かった。せっかく近くまで来たのでご挨拶に、というやつである。

 エルヴシルフトの方から顔を出せと言ってきたのだし、まさか顔を見せるなり攻撃されるようなこともあるまい。他の子育て世帯を刺激しないようにすれば良いだろう。

 そんなわけで、再びアルマヴルカンを留守番に、“土産”も調達して、アルヴィーは火山帯にお邪魔することにしたのだった。


「――うわー、景気良く噴火してんなあ」


 もうもうと噴煙を上げる山を見上げて、アルヴィーは感嘆の声をあげる。時折焼けた石の塊などが飛んでくるが、魔法障壁で弾き飛ばせば良いので大して問題ではない。ただ、情け容赦なく鼻孔を攻撃してくる臭いには閉口したが。鼻が馬鹿になりそうだ。

 さてエルヴシルフトの家はどこかと辺りを見回していると、


『――来たか』


 ふ、と頭上に影が落ちる。見上げれば、翼を広げたエルヴシルフトがそこにいた。

「お、エルヴシルフト」

『この辺りの竜は今、まさに子育ての時期だ。あまりうろつくな』

「ああ、そうだな。子育ての時期はどんな獣も、大体気が荒いし」

 その時期は、下手をすれば草食の獣でも人に襲い掛かってくるほど気が立っている。ましてや竜となれば、敵もろともその辺一帯をブレスか何かで吹き飛ばしてもおかしくない。

 さすがにそれはご遠慮申し上げたかったので、アルヴィーは素直にエルヴシルフトの案内を受けて、火山の一つに向かった。


『――あれだ』

「へえ……煙は出てるけど、そんなに派手に噴火はしてないんだな?」


 エルヴシルフトが棲む火山は、噴煙こそ上がっているものの、噴火の炎などは見られなかった。だが近付くにつれ、じりじりと温度が上がってくる。

『この辺りは岩の質のせいで、溶岩も粘性が高く流れ難い。その分、火の気を溜め込みやすいのだがな』

「そうなのか?」

 エルヴシルフト曰く、溶岩がさらさらとして流れやすい火山は、一緒に炎の気を帯びた魔力も流れ出してしまうのだとのこと。ちなみに、溶岩の質は山の形を見ればすぐに分かるのだそうだ。火山など見たこともなかったアルヴィーは、ほうほうと感心するしかない。

 彼ら一家の住まいは、火山の中腹より少し上にできた、大きなコブのような場所だった。中は大きな空洞になっているのだという。おそらく、溶岩が盛り上がったところへ、中からの圧力で一部が吹き飛び、そこから中身の溶岩が排出されて空洞だけが残ったのだろうと、エルヴシルフトは推測していた。

『我らはともかく、雛が身を隠せるのは都合が良いのでな』

「まあ、確かに……竜の子供なんて、どこから狙われてるか分かんねーよな」

『そういうことだ。あの《下位竜ドレイク》のような身の程知らずが、他におらぬとも限らん』

 不愉快そうに唸り、エルヴシルフトはその入口にふわりと舞い下りる。と、待ちかねていたように突進してくる小さな――といっても人の背丈ほどはある――影。


「――ぴゃーっ!」

「ぴゃあ!」


 身体は大きくなっても鳴き声はまだまだ可愛い仔竜たちが、帰宅した父に飛び付いた。遊んでくれと言わんばかりに纏わり付く。洞穴の中は暗かったが、入口からの光でアルヴィーには充分に中が見えた。洞穴の奥では、だらりと伸びて微動だにしないもう一頭の火竜。エルヴシルフトの奥方だろう。もしかしたら、元気一杯の子供たちの相手で疲労困憊ひろうこんぱいしているのかもしれない。どの種族でも、子育てというのは大変なようだ。

「……ぴゃ!」

 と、アゼルアリアが目敏めざとくアルヴィーを見つけ、ターゲットを変更する。片割れの方も、一度アルヴィーに会ったのは覚えているのか、興味津々という様子で近寄って来た。

「よーしよし、おまえら両方とも、ほんとでっかくなったよなー。ほら、土産だぞー」

 そんな仔竜たちの鼻先に、アルヴィーが突き付けたのはそこそこの大きさの魔石だ。ここに来る途中、またしてもアースウォームの襲撃を受け、手っ取り早く《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》で返り討ちにしたため手に入ったものだった。しかも二体である。《竜爪( ドラグ・クロー)》でずんばらりとぶった斬り、魔石だけいただいて来たのだ。頭を吹っ飛ばした本体はそのまま残してきたが、いくら元猟師といえど、アレをどう有効利用すれば良いのか分からなかったので仕方ない。

 喜んであぐあぐと魔石を口にする仔竜たちをほのぼのと見やりつつ、アルヴィーはエルヴシルフトに尋ねた。


「……なあ、この前こっから俺んとこに来たんだろ? どれくらい時間掛かった?」

『さてな。我々に人の時間の尺度は少々合わぬし、とりあえず急ぎはしたが』

「……そっか……」


 がくりと項垂うなだれるアルヴィー。適当なのはアルマヴルカンの血縁だからか、それとも種族的なものなのか。まあどちらにせよ、これで当ての一つはついえたわけだ。

「アルマヴルカンはアルマヴルカンで、当てになんねーし……」

 どうやって帰ったものかと途方に暮れていると、エルヴシルフトがふと気付いたように、

『……そういえば、最近この辺りをよく風精霊がうろついているが、おまえと何か関係があるのか』

「風精霊!?」

 さっきまでのがっかりっぷりはどこへやら、アルヴィーは俄然がぜん勢い込む。真っ先に考え付くのは、すべての風精霊に愛される女王・アレクサンドラだ。彼女がシルフィア辺りに頼み、手を回して精霊を寄越してくれたのかもしれない。

「その風精霊、何か言ってなかったか?」

『近寄っても来ないが、話を聞きたいのか? ならば適当なものを一つ、捕まえて来よう』

「いやいやいや、そこまでしなくていいから! 精霊可哀想だから止めてやれ!」

 慌ててストップを掛けたが、果たして効果はあるのか。

(でも、火山地帯に風の精霊がいきなり現れるって、やっぱそういうことだよな? 女王陛下の差し金だよな?)

 とりあえず、ファルレアンの方ではそれなりに動いてくれていたらしい。その風精霊とやらと接触できれば、帰還についても何らかの手掛かりが得られるかもしれなかった。

(良かった……何となく希望が出てきた……)

 内心かなりほっとしつつ、アルヴィーは魔石を堪能たんのうし終えて近寄ってくるアゼルアリアを、存分に構ってやることにした。


 ……この時点で彼は、知るよしもなかった。

 アルヴィーの制止も空しく、この後エルヴシルフトが住処近辺を徘徊はいかいする風の高位精霊を、首尾よく取っ捕まえて見せてくれることになろうとは――。


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