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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十六章 彼方より来たりて
123/136

第122話 異邦にて、再会

 アルヴィーが次の拠点ベースと定めたのは、最初の岩山から十数ケイルほど歩いた地点にある別の岩山だった。

 荒野の一角ということは変わらないが、この一帯は地下に水脈でも通っているのか、岩山の程近くには小さな川が流れている。大分人間を辞めかけているとはいえ、水の確保はアルヴィーにとって重要だった。また、水があるということは植生もあり、それを目当てに草食の小型動物や鳥もやって来る。それを狩れれば食料も何とかなるだろう。たまに魔物も来るが、まあアルヴィーにとっては小動物と大差ないレベルだ。


「――うん、この辺りかな」


 一帯に林立する岩山の一つに目を付け、アルヴィーはその中腹ほどにある岩棚に、魔法障壁の足場を使って登った。そして右腕を戦闘形態にすると《竜爪( ドラグ・クロー)》を伸ばし、岩肌にさくりと突き刺す。

 待つことしばし――《竜爪ドラグ・クロー》が刺さっている辺りの岩肌が徐々に赤熱し、やがてどろりとけ出した。

 ――雨風をしのぐには、岩棚よりも洞穴の方が良い。だがそう都合良く洞穴がある岩山などなかった。しかも先ほどのようなアースウォームの襲来なども考えれば、できれば地面から離れたところに拠点ベースを持ちたい。

 それらの条件を考慮した結果、彼は何とも力技きわまる結論に達してしまった。


 ちょうどいい洞穴がなければ作れば良い。


 幸い、彼は炎に特化した魔法士だ。しかもその威力は保証付き。

 ならば岩を熔かすような高温をもって、穴を開けてしまえばいい――彼はそう考え付いた。考え付いてしまった。


「お、今度はいい感じだな」

 どろどろと流れ出す溶岩と化した岩を避けつつ、アルヴィーはさらに《竜爪( ドラグ・クロー)》に魔力を込める。呆れたことに、岩が熔け出すような温度でさえ、《竜爪( ドラグ・クロー)》はびくともしない。それどころかその身に炎を纏い、少しずつ長さを増しながら、じりじりと岩を熔かしていく。

『ずいぶんまどろっこしいことを……わたしなら一瞬で済むというのに』

「おまえさっき、そう言って一瞬で岩山一つ熔かしただろーが! もういいから手出しすんな!」

 呆れたように見下ろすアルマヴルカン(本体)にそう吠えて、アルヴィーは慎重に温度管理を進める。実はこの岩山の前に一つ、別の岩山でも同じことを試みたのだが、横からアルマヴルカンが口と手を出してきた挙句、岩山の半ば以上が一瞬で熔けて崩落してしまったのだ。加減というものを知らないアルマヴルカンの犯行であった。

 少し離れたところにあるその岩山(過去形)をできるだけ見ないようにしつつ、アルヴィーは少しずつ確実に岩山に穴を開けていく。


「――よし、こんなもんか!」


 ふう、といい顔で汗を拭うその眼前には、人一人が充分に入れる程度にぽっかりと空いた穴。だが、拠点ベースというにはまだ狭い。仕上げはここからである。

 アルヴィーは《竜爪ドラグ・クロー》に炎を纏わせ、それを切っ先に集めた。火球はどんどん温度を上げ、その色が白みを増してまばゆく輝き始める。まるで小さな太陽のようだ。

 両手で抱えるほどの大きさになったそれを、アルヴィーは穴の中にぽいっと放り込んだ。


 ぶわり、と。

 穴の中で膨れ上がった火球が荒れ狂い、周囲の岩壁をさらに熔かしていく。

 溢れ出した熱を《竜の障壁(ドラグ・シールド)》で遮断しながら、また待つことしばし。


「……お、いい感じじゃね?」

 やがて火球が勢いを失って霧散し、温度が程良く下がったところで、アルヴィーは中を覗き込み満足げに頷く。小部屋ほどの広さになった穴の中には、まだ少し熱が篭もっているが、彼にとっては意に介さないレベルだ。

「仕上げに空気穴開けて、っと」

 中に入ったアルヴィーは奥の壁に《竜爪ドラグ・クロー》を当て、おもむろに《竜の咆哮(ドラグ・ブレス)》。威力を上げつつも、太さを最低限にまで絞った一撃は無事壁を貫通し、人の腕ほどの太さの空気穴が開いた。入口は開いているが、不測の事態でそこが塞がれた時のための備えだ。またこうすれば多少なりとも風が通るので、熱が篭もりにくくもなる。

 ちなみに、最初はマナンティアルの地底湖がある山に穴を開けた時と同じく、《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》で手っ取り早く穴を開けようとしたのだが、拠点ベースの両側に大穴が開いているのは少々心許ないため却下した経緯があった。

『――ふん、まるで獣の巣穴のようだな』

 ふわりと岩棚に舞い下り、アルマヴルカン(本体)がそれでも興味を持ったように、穴の中を覗き込む。もっとも彼のサイズでは、頭がやっと入るかというところだが。

「おい、せっかく作ったんだから壊すなよ」

 アルマヴルカンを退かせて、アルヴィーは外に出た。しばらくこうして置いておけば、中の温度も下がるだろう。

 拠点ベース作りも完了したので、次は食料を探しに行くことにした。


(……にしても、俺元が猟師で良かったあ。根っからの貴族だったりしたら、こんなとこに飛ばされた時点で詰むよなあ)


 自分の生まれにしみじみと感謝しながら、アルヴィーは右腕を元に戻し、岩棚から飛び下りる。地上からの高さは十メイル以上あるが、この程度の高度ならもはや慣れっこだ。

 足場を使ってとんとんとん、と下りてしまうと、川の方に向かう。別大陸の動物といえど、水がないと生きられないのは変わらないはずだ。

 果たして、川には水を求めた動物たちの姿がちらほらとあった。――巨大な鼠っぽい動物に立派な角があったり、川辺で縄張り争いしている鳥が鱗皮鳥リドラバードだったりするのは、この際考えないようにする。さすが別大陸、生態系も見慣れたそれとは違うようだ。

 鱗皮鳥リドラバードは伝令用として騎士団でもお世話になっているので、狩るのは何となく忍びなく、折よくやって来た牛とも鹿ともつかない動物にターゲットを絞ることにした。十数頭の群れになっているが、端にいる一頭を狙うことにする。

 と――今まで我関せずとばかりに水を飲んでいた動物たちの動きが、一気に慌ただしくなった。立派な角を持つ鼠もどきはいち早く逃げ出し、鱗皮鳥リドラバードたちもしきりに警戒の鳴き声をあげ始める。

 そして――牛と鹿の合いの子のような動物は、逃げ遅れた鼠もどきに嬉々として襲い掛かった。

「――はあ!?」

 唖然とするアルヴィーの眼前で繰り広げられる、野生動物の捕食風景。どう見ても草食動物同士の合いの子にしか見えなかった動物は、実はガッツリ肉食系のようだった。とんだ外見詐欺である。

(マジかー……肉食動物ってちゃんと処理しないと臭みが残るんだよなー……)

 げんなりしつつも、アルヴィーは手近な石を拾い上げ、右腕を大きく振りかぶった。

 そして第一球!


「――ギェッ!」


 ボン、と石を食らった一頭の頭が吹っ飛んだ。いきなりの攻撃に、牛鹿もどきたちは驚いたようで、獲物である鼠もどきを数頭くわえ、さっさと撤退する。無論、死んだ一頭は置き去りだ。

 仕留めた獲物を無事回収し、アルヴィーはその腹を掻っさばいた。もちろん、右腕はすでに便利な戦闘形態だ。内臓をしっかり除去し、足を掴んで逆さ吊りにして《重力陣( グラビティサークル)》。局地的に跳ね上がった重力のおかげで血抜きがあっさり完了した。

 後は皮を剥がし、軽く炎であぶって毛を取り除くと、ついでに脂も溶かし出す。後は川の水で丁寧にしっかり洗って地面に敷き、その上で獲物を捌くことにした。さすがに剥き出しの地面の上ではやりたくない。

 大雑把に骨から肉を引き剥がすと、筋やけんなどを取り除き、それは別途に取っておく。紐代わりに使えそうだ。骨はさしあたり使う予定はないので一ヶ所に纏めて置き、いくつかの塊に分けた肉は皮に包んで持ち帰ることにした。四方を纏めて先ほどの腱で口を縛れば、袋として充分に使える。何しろ魔法式収納庫ストレージがないので、食料の持ち帰りも一苦労なのだ。

(後は塩か、せめてハーブ辺りでも欲しかったんだけどな……まあ、贅沢言ってる場合じゃないか)

 ともあれ、めでたく当座の食料も確保すると、川の水で喉もうるおし、アルヴィーは拠点の岩山に戻ることにする。

 遠くファルレアンでは彼の不在に密かに大騒ぎしているのだが、当の本人は意外とサバイバル生活を満喫しているのであった。



 ◇◇◇◇◇



 鋭く振り抜かれた紅い刃の軌跡が、かすかな残像を目に残す。

 ルシエルは取り憑かれたかのように一心に、剣を振るっていた。

 ――そうしないと、嫌でも思い出してしまうから。


(……アル)


 この手が届く寸前に、火竜にさらわれて転移陣に消えてしまった親友。

 守りたいと思って力を求めたというのに、肝心な時にいつも、自分は間に合わない――。


「――くそっ!」

 自分への憤りを込めて振るった刃が、その心の内を表すように小さな炎を散らす。ルシエルの愛剣たる《イグネイア》の剣身は、元をただせばアルヴィーの《竜爪( ドラグ・クロー)》だ。その性質は炎に特化している。魔力を通せば、こうして炎の属性が乗るのだ。

 火竜の残滓ざんしともいえるそれにわずかに眉を寄せ、ルシエルは大きく息をついて自分を落ち着かせた。

(……駄目だな、もう少し冷静にならないと。熱くなってばかりじゃ、良い手立てなんか思い浮かばない……)

 そう自身に言い聞かせてはみるものの、やはり気がはやるのはどうしようもなかった。そしてアルヴィーの捜索に加われないことも、彼を焦らせる大きな要因だ。


 ――火竜が突如王都ソーマに現れ、アルヴィーと共に消えてから、今日で三日。騎士団の諜報部隊によって秘密裏に、だが懸命の捜索が繰り広げられているが、未だに発見の報は聞こえてこない。ルシエルの知らないところで、すでに国上層部には、風の大精霊シルフィアによってアルヴィーの居場所が判明していたが、防諜のために伏せられているのだ。

 高位元素魔法士ハイエレメンタラーであり、今や貴族の一員でもある人間が、火竜ともども消えたなどと外部に漏れれば大騒ぎになるのは目に見えているので、今回の一件はいつにも増して厳重に緘口令かんこうれいが敷かれていた。それは騎士団内にも事件を知らない者が多いほどの徹底したものだ。このことを知るのは、国の上層部と実際に現場で対処したジェラルドを始めとする、ごく一部の人間に限られている。“王都に突然火竜が現れた”という情報は、一般市民を守るためということもあり多くの騎士たちに共有されたが、それを隠れみのに、アルヴィーの行方不明は徹底的に秘匿ひとくされた。

 現在、火竜への対処に当たった者たちには、慰労という名目で休暇が与えられており、アルヴィーの名前もその中に加えられている。これで少なくとも十日ほどは、彼の不在も不自然ではないだろう。もちろん、彼の屋敷の使用人たちには、逆に休暇を装った特別任務がでっち上げて説明され、口外せぬよう強く言い含められている。事情説明には志願してルシエル自身が訪れたが、屋敷の一切を取り仕切る執事のルーカスは、常と変わらぬ冷静さで秘密の保持を請け負ってくれた。元々アルヴィーは突然任務に引っ張り出されることも多かったので、今回も同様に思っているのだろう。

 アルヴィーは屋敷に魔法式収納庫ストレージを残して行っていたので、後で届けると使用人たちには説明し、それを預かってルシエルは騎士団に戻った。魔法式収納庫ストレージの管理は厳しく、所持を認められた本人以外の人間が保管することは許されない。本人が魔法式収納庫ストレージを管理できない場合は、騎士団が代わって預かることとなっているのだ。その規定に従い、ルシエルはアルヴィーの魔法式収納庫ストレージを騎士団に提出し、自宅へと戻ったのだった。


「――ルシエル様」


 なおも一心に剣を振るっていたルシエルだったが、かけられた声に手を止めて振り返った。従僕フットマンの一人が、鍛錬とは思えない気迫に満ちたルシエルの様子に、やや気圧けおされるように立っている。

「どうした?」

「お、お邪魔を致しまして申し訳ありません。実は、もうそろそろ講義のお時間だと、イザード様が」

「ああ……もうそんな時間か。――分かった、支度をするから少し待って貰ってくれ」

 いつの間にか、領地経営の講義の時間になってしまっていたようだ。鍛錬を切り上げ、用意させておいた湯を使って汗を流すと、身支度を整える。講義を受けるのは地階の一室だが、仮にも招聘しょうへいした教師に普段着のまま対応するわけにもいかない。貴族というのは自宅でもそれなりに着飾らなければならない人種なのだ。

 ルシエルが地階へ下りると、すでに準備を整えたイザードが彼を迎えた。


「すまない、少し遅れた」

「いえ、問題ございません。――では今日は、少しおもむきを変えて歴史の授業と致しましょうか」

「歴史?」

「歴史と経済は深い関係にありますので。歴史上の大きな事件が起きた前後には必ずと言って良いほど、経済も大きく動いているのですよ」

「なるほどな」


 言われてみれば確かに、歴史が動く時というのは経済にも少なからず影響が出る。歴史に残るような大きな事件を起こす、あるいは起きた後に事態を収拾するためには、膨大な資金や物資が動くからだ。すなわち、経済の領分である。

 もっともな言葉にルシエルはすんなり納得し、ならばと尋ねてみた。


「――クレメンタイン帝国について、何か知っているか?」


 良くも悪くも、この大陸の国々に影響を与え続けてきたかつての大国。どの国も未だに、帝国を上回る魔法技術を手に入れてはいない。

 そして、火竜と共に消えたアルヴィーの手掛かりが、あるかもしれない国。


 ジェラルドの見解によれば、アルマヴルカンはおそらく、転移陣に干渉して本来設定された場所とは違う場所に飛んだだろうとのことだ。彼の見たところ、アルマヴルカンは必ずしも帝国側に立っているわけではない。レティーシャたちの思惑を外してくることは充分に予想できるという。

 ……だからといって、“彼”がアルヴィーをどこへ連れて行ったかが分かるわけではないのだが、帝国の手に落ちた可能性が減るだけでもまずは良しとしなければなるまい。

 叶うならばすぐにでも捜しに行きたいところだが、騎士団から軽挙妄動けいきょもうどうつつしむようにと指示が出ている。いずれ捜索のための部隊も組まれるだろう。その枠に入るために、今は言動に気を付けなければならない。

 その焦りを誤魔化すために、ルシエルは少なからず関係のある帝国の情報を得ようとしていた。

 ルシエルの問いに、イザードはふむ、と少し考えたが、


「何分、本職の研究者ではありませんので、浅い知識となってしまいますが……そうですな、あの国が対価と引き換えに魔法技術の一部を他国に提供していたことはご存知かと」

「ああ、僕たちが普段使っている魔法式収納庫ストレージも、その一部だと聞いている」

「左様ですな。しかも、その対価はさほど法外でもない」

 イザードは頷いた。

「無論、親切心でそのような措置そちを取っていたわけではありますまい。わたしが思いますに――帝国が国外に提供していた技術というのは、帝国にとってはさほど価値のある技術ではなかったのではないかと。つまり、最先端の技術ではない」

魔法式収納庫ストレージがか……」


 ルシエルはうなった。魔法式収納庫ストレージは、騎士団の活動においてなくてはならないものだ。現在ファルレアンでは王立魔法技術研究所においてのみ製造が許されているが、当然その方法は門外不出。研究所内においてさえ、担当部署以外にその情報が漏れることがないよう、徹底した情報管理がなされているという。

「空間を操るような技術が最先端でないとはな……つくづく、底が知れない」

「わたしの私見ではございますが、おそらくそう的外れでもないと思っております。他国に核心部分を含めた技術を提供するということは、そういうことでございますので」

 イザードの言に、ルシエルも同感だった。現在、他国が――相応の技術を必要とするとしても――魔法式収納庫ストレージを“製造できる”ということは、肝である部分の技術も提供されているということだ。


「……おっと、話が逸れましたな」

「いや、元はといえば僕が、クレメンタイン帝国について尋ねたからだ。参考になった」

「それは良うございました。――ああ、そういえば」


 何かを思い出したように、イザードが浮かぬ顔になる。

「どうした?」

「クレメンタイン帝国といえば、かつてはサングリアム公国もその一部でしたが……近頃、何やら妙な具合になっているらしいことは、ご存知でしょうかな」

「帝国が再興を宣言し、サングリアム・ロワーナ・モルニェッツの三公国がその傘下に降ったことは、僕も聞いているが」

「では、その三公国になぜか連絡が付かぬことも?」

「ああ、そうらしいな」

 ルシエルは頷いた。それらは別段機密でも何でもない。三公国が帝国の支配下に戻ることは彼らが自ら発表したし、公国側が他国からの接触をすべて絶ったことも、すでに一般市民でさえ知るところだった。三公国は別に、上層部だけで他国と付き合っていたわけではない。民間でも人の行き来はあったのだ。特にサングリアムは、ファルレアン王都ソーマからリシュアーヌ王都フィエリーデへと向かうルート上にあるため、ファルレアンとの関係も浅くはなかった。

「わたしも、サングリアムに古い友人がいるのですが……このところ、さっぱり連絡が取れませんので、どうにも気掛かりなのです」

「そうか、それは心配だな」

「ポーションも市場に出回らなくなったようですし……まったく、サングリアムで何が起きているのか……」

 ため息をつくイザードに、ルシエルはわずかに両眼をすがめる。


 ――そう。確実に、何かが起きている。

 だがそれに関われない自分が、どうしようもなく歯痒はがゆかった。


「……繰り言を申しました。さあ、講義の続きを致しましょう」

「ああ、そうだな」


 話を切り替えるイザードに頷き、ルシエルは彼の話に耳を傾け始める。

 だがその胸の内にはやはり、消しきれない焦りがもやのように薄く漂い続けていた。



 ◇◇◇◇◇



 ところ変わって、ヴィペルラート帝都・ヴィンペルン。

 その中心たる皇帝の居城《夜光宮やこうきゅう》では、一人の少年が皇帝のもとへと歩みを進めていた。

 皇帝ロドルフその人に良く似た紺青こんじょうの癖のない髪に、銀にも見える薄い灰色の瞳。顔立ちはロドルフよりも柔らかく、中性的ですらあった。

 彼は玉座の間に踏み入ると、ロドルフの前で臣下の礼を取る。


「お召しとのことで参上致しました。ご機嫌(うるわ)しゅう存じます」


 こうべを垂れた彼に降ってきたのは、皇帝の苦笑だった。

「……相変わらずだな、エリアス。堅苦しい挨拶は要らん。楽にしろ」

「では、お言葉に甘えまして」

 彼は立ち上がると、ロドルフを真っ直ぐに見据える。そんな彼に、ロドルフは笑いを納めると表情を引き締めた。


「実は、おまえにやって貰わねばならんことができた」

うけたまわります」


 エリアスと呼ばれた彼――ロドルフの異母弟にして帝室の第二皇子、第二位帝位継承者でもあるエリアス・フロル・ヴィペルラートは、居住まいを正して一礼した。

 それに頷き、ロドルフは口火を切る。

「……エリアス。ファルレアンは知っているな?」

「もちろんです。確か女王陛下は、僕と二、三歳しか変わらない年齢だと聞き及んでおりますが……」

さといな」

 わざわざ女王アレクサンドラについて言及した異母弟エリアスに、ロドルフは目を細める。


「その女王陛下――というより周りが、そろそろ婿取りに動き出したらしい。こちらから打診をしたら、満更でもなさそうな返事が返ってきた」


 ロドルフの言葉に、エリアスはにこりと微笑んだ。

「テオドール兄上は皇太子ですし、年の釣り合いから言えば僕でギリギリですね」

「そういうことだ」

 現在、帝室には八人の皇子と五人の皇女が存在する。十五歳を上回る者はいない。ロドルフが即位する前の帝位継承争いで、年嵩としかさの皇子たちは互いに潰し合ってこの世を去るか、とても政治など覚束ない状態になり表舞台を去るかのいずれかの道を辿った。その結果、残されたのは当時一桁の年齢でしかない幼子ばかり。そんな惨憺さんたんたる状況をどうにかするべく、帝国上層部によって呼び戻されたのが、早々に継承争いから離脱し各地を放浪していたロドルフである。即位した彼は、ひとまず残された皇子たちの中で一番年上だった子供を皇太子とし、重臣たちに養育させるかたわら、自分はあくまで“繋ぎ”として帝国をまとめ上げることにいそしんだ。エリアスはその皇太子の年子の弟であり、現在十三歳となる。

 帝室に十五歳を超える子供がいないのは、年嵩の皇女たちもまた継承争いの間に国内、あるいは他国に嫁ぎ、帝室から離脱したためだ。それを考えれば、現在の皇子・皇女の数は妙に多い。これは、前述の年嵩の皇子たちがもうけていた子供を、ロドルフの即位後に帝室に迎え入れたことによる。常であれば、継承争いに敗れた皇子の子供が辿る道は悲惨なものだが、ロドルフはそれを良しとしなかった。本来ならエリアスはロドルフからすれば末の弟に当たり、その下の皇子や皇女は正確には甥・姪となるのだ。

 無論、彼らもまた、長ずれば国内の有力貴族、または他国とよしみを結ぶために、相応の相手と婚儀を交わすこととなるだろう。


「そうなると、僕がやるべきことというのは、ファルレアンの女王陛下と結婚して王配になることですか?」

「いや、さすがにまだそこまでは話が進んでいない。ファルレアン(あちら)もなかなか慎重でな。何しろ女王の結婚など一度しか切れん札だ。より良い相手を、と求めるのは分からんでもない。――ならば、こちらから乗り込んでやろうと、そういうわけだ」

「では、ファルレアンに渡るのですね」

「対外的には留学ということになる。そうすれば、もし話がまとまらなくとも、そのまま戻って来れば良いだけだ。おまえの経歴に傷は付かん」

「お気遣いありがとうございます」


 確かに、“留学”は他国の王族の間でもたびたび行われていることだ。その間に女王アレクサンドラとの婚約が結べればそれで良し、それが叶わなければ“充分に見識を深めた”として帰国すれば良い。もし婚約が成らずとも、他国への留学経験は後々役に立つだろう。

 年子の兄・テオドールは皇太子である以上、ヴィペルラートから滅多に動けない。となれば、エリアス以上にそれに相応しい人材はいなかった。王侯貴族の政略結婚では往々にして年齢が無視されがちだが、さすがに他国の女王に対して一桁の年の子供を引き合わせるわけにはいかない。後に王配となるのであれば、なおさらである。


「否やはありませんが、ファルレアンでの滞在先はどうなりますか。おそらく、年単位での滞在になるかと思われますが」

「今、王都で良さそうな物件を探させている。レクレウスであれば空いた屋敷などいくらでも出て来るだろうが、ファルレアンではさすがに少し時間が掛かるだろう。その間に準備を進めると良い」

「はい、そうさせていただきます」


 敗戦と政変に際して、家ごと取り潰しのき目を見た貴族が大量に出たレクレウスとは違い、ファルレアンで相応の格式を持つ空き物件を探すのは少々難しいだろう。まあ、王族の留学ともなれば、受け入れる側の国が離宮や手持ちの物件を世話してくれることも少なくないので、いざとなればそちらを頼ろう。

 もとよりエリアスも、滞在先についてはさほど心配はしていなかったので、そこは流した。

 その他、連れて行く人員や使用できる国費の範囲などを決め、エリアスはロドルフの前を辞した。


(ファルレアンか……確かに、関係を結ぶには悪くはない相手だけど)


 皇太子の兄とは違い、エリアスはどんな形にせよ、いずれは帝室を離脱する身だ。そうなった時の身の振り方を決めるため、彼は常日頃から、国内や他国の情報を集めるようにしていた。もちろんファルレアンについてもしかりである。

 ファルレアン女王アレクサンドラの政治手腕は評価が高く、よしんば婚姻を結べたとしても、“王配”が権力を握ることはまずないだろう。だが元々、ヴィペルラートにおいてもエリアスに求められていたのは、兄である皇太子の補佐としての役割だ。そのための教育も受けてきているし、婚姻が成れば補佐する相手が変わるだけの話である。そこはさほど問題にはならない。エリアス自身、自分が表舞台に立って国を引っ張るなどという気はなかった。

 それよりも、ファルレアンとの結び付きでヴィペルラートが何を得られるかを、慎重に見極める必要がある。


陛下あにうえが狙っているのはおそらく、ファルレアンとの結び付きによる周辺国の牽制けんせい。あの国には複数の高位元素魔法士ハイエレメンタラーがいるし、女王陛下には風の大精霊の加護もある。この間の戦争に勝って勢い付いているところだし、どこの国も表立って敵に回したくはないだろうな……)


 ヴィペルラートは地理的に、レクレウス王国とアルシェント王国という、二つの国に挟まれている。この内レクレウスは、先の敗戦で痛手を受けたものの、こちらが想定していたほどには国力が落ちなかった。敗戦を機に国内の貴族たちが政変を起こし、迅速に貴族議会なるものを立ち上げて、思いがけず良い手際で国内を纏め上げたからだ。しかもかの国には、地の高位元素魔法士ハイエレメンタラーもいる。今はファルレアンとの停戦条約に従いおとなしくしているが、いずれ再び盛り返してくることもあるかもしれない。

 そういったことを考えながら廊下を歩いていたエリアスは、前方から歩いて来る人影に気付かなかった。


「――あれ?」


 かけられた声にようやく、自分以外の人間が近くにいることに気付く。見ると、帝国の高位元素魔法士ハイエレメンタラーたるユーリ・クレーネが、その特徴的なみどりがかった蒼い双眸をきょろりと見開き、エリアスを見つめていた。

「やあ、ユーリ。仕事かい?」

「うん」

 こくりと首肯しゅこうするユーリ。仮にも継承権第二位の皇子に対する態度ではないが、そもそも彼は皇帝たるロドルフに対してもこの調子なので、上層部の人間は軒並み矯正きょうせいを諦めている。皇帝がそれを許している以上、ユーリの態度をとがめられる者は存在しない。

「殿下は陛下のとこ?」

「ああ、兄上のお召しでね。――近々、ファルレアンに行くことになりそうだよ」

「ふーん」

 あまり興味のなさそうな顔でそう漏らし、ユーリは手にした書物を抱え直した。

「それは?」

「俺の仕事。“母さん”から借りて来た本だけど、殿下読んでみる?」

「いや……遠慮しておくよ」

 ユーリが“母”と呼ぶのが養母たる水の高位精霊であることは、宮殿内では割と知られた事実だ。その蔵書となると多少興味は惹かれるが、表紙に走り書きのように書かれた表題(であろうと思われる文字らしきもの)に、エリアスはそっとかぶりを振る。そこからしてすでに読めない。

「じゃ、俺もう行くね」

「ああ……」

 ぱたぱたと去って行くユーリを何となく見送り、エリアスも自室に戻ろうとした。


「……あ、そうだ」


 と、ユーリがくるりと振り向き、くるくると指先をさまよわせた。それに呼応するように虚空から水が湧き出て見る間に凝集し、直径五セトメルほどの透明な珠になる。

 彼はそれを手に取ると、エリアスに差し出した。

「これは……?」

「ファルレアンの《擬竜騎士ドラグーン》に渡して。要らないって言ったら殿下の好きにしていいよ」

「え、ちょっと……!」

 呼び止めるいとまもあらばこそ、ユーリは今度こそすたすたと歩いて行ってしまう。エリアスはどうしたものかと手の中の珠を見下ろしたが、仕方なくそれを持ったまま歩き出した。


「……力を使わずにいても、炎はちょっとずつだけど、あいつを燃やしていくからね。――間に合えば良いけど」


 そう呟き、ユーリは書物を抱えて、心持ち足を早めた。



 ◇◇◇◇◇



 拠点に戻ったアルヴィーは、戦利品の肉を洞穴に放り込むと、入口から少し離れたところに展開させた《竜爪( ドラグ・クロー)》を突っ込み、再び岩肌を熔かして穴を開け始めた。こちらはそれほどの大きさにはせず、四~五十セトメル四方ほどの大きさになったところで切り上げる。

『何をしている?』

「ああ、竜はこんなことしないもんな。――肉を燻製くんせいにしようと思ってさ」

 それは、故郷の小村ではよく行われていたことだった。猟師が獲物を仕留めれば、村ではその肉の一部を燻製にして、大事に消費していたのである。本来であれば塩などで処理をし、何日か干した後にいぶして燻製にするのだが、干すのはともかく味付けは無理だろう。だがさすがにあの量の肉を一日やそこらで消費できるはずもなく、むしろできる限り長持ちさせたかったため、燻製というのは最適の方法なのだ。


『ほう……人間とは不便なものだな。いちいち食事をしなければ弱るのだろう? 我々には必要のない概念だが』

「……さっきアースウォームの味がどうこうって言ってたのは、何なんだよ」

『好奇心からのたわむれだ。――おかげで後悔という概念を実感したが』

「……そっか……」


 アルヴィーはそっと目を逸らした。どうやらよほどに不味かったらしい。

 ――何はともあれ、即席の燻製窯ができれば後は早い。帰り道でわずかな植生の中から引っこ抜いて来た、それなりに香りの良い低木を適当な長さにぶった斬る。煙を出すために、隙間が開かないように窯の底に敷き詰めた。

「後は、肉を干してからここに突っ込んで、煙で燻せばいいか」

 幸い敷物はあるし、洞穴の中に置いておけば雨に濡れることもない。もっとも、この荒野っぷりを見る限り、この辺りに雨が多いとは思えなかったが。

 袋代わりにしていた皮を広げ、そこに肉の塊を並べていく。

(やっぱ、せめてハーブくらいは欲しかったよなあ……)

 そう思って嘆息した時。


『――主殿。どうやら客のようだぞ』


 アルマヴルカン(欠片)の声がしたかと思えば、途端に感じる空気が張り詰めるような威圧プレッシャー。それは覚えのある感覚だった。

 肉を放り出して外に出ると、一つ増えている深紅の影。


『何だ、とうとう“こちら”に来たのか。――ところで、この竜は何者だ?』


 アルヴィーの眼前に舞い下りた火竜エルヴシルフトは、アルマヴルカンを見やってその金の双眸を鋭く輝かせたのだった。


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