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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十五章 人間たる証明
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第119話 人ならざるヒト

 《薔薇宮ローズ・パレス》の地下に広がる、広大な研究施設。その一角で、この施設の管理者を務めるオルセルは、黒い棺のような水槽が並ぶ区画を訪れていた。手近なものを覗き込めば、水の中で未だ眠りながらたゆたう子供の姿が見える。

 ――この研究所の管理をするようになってそれなりの期間をた今、オルセルにもこの施設やレティーシャの研究などについて、おおよそのことが掴めてきていた。ここは人造人間ホムンクルスやそれをベースにした人型合成獣(キマイラ)を創り出す施設であり、現在宮殿内にいる使用人や兵士たちはほとんどがこの施設の“出身”だ。ランクとしては通常の人造人間ホムンクルスよりも、人型合成獣(キマイラ)の方が上らしい。ここで生まれた人造人間ホムンクルスや人型合成獣(キマイラ)は、わずかな例外を除けば、色味の微妙な差こそあれ、ほぼすべての者が銀髪に金の瞳になるよう“調整”されているようだ。何か意味があるのか、それともそうでもないのか、オルセルには分からない。

 ずっと水の中で眠ったままで、溺れてしまわないのかと疑問に思っていたら、この中にいる間は母親の胎内にいるのと同じ状態なのだとレティーシャに教えられた。どうやら水そのものも特別なものであるらしいが、それもオルセルの理解では追いつかないところだ。


(……不思議だな……こんなに大きくなってるのに、まだ“生まれてない”のと同じ状態だなんて)


 今にも目を開いて起き上がりそうに見えるのに、この子供たちはまだ、生まれる前の赤ん坊のようなものなのだ。

 オルセルは顔を上げ、施設内を見渡す。ずらりと並ぶ黒い水槽――だが、そのすべてに人造人間ホムンクルスが眠っているわけではない。何かの拍子で目覚め、自力でこの施設を出て行ってしまう個体も、ごく少数だが存在するという。以前はレティーシャがここの管理もしていたが、やはりどうしても手が回らずそのまま逃げられることもあったようだ。今はオルセルがその監視も兼ねてここにいるが、彼がここに来てからはそういった事態はまだ起きていない。

 一通り施設内を見回り、オルセルは定位置である出入口近くのスペースに戻った。監視役といっても、常に施設内を見回っていなければならないわけではない。この施設の構造上、常に使える出入口はこの一ヶ所しかないため、ここを押さえていれば人造人間ホムンクルスの逃亡を見落とすことはまずないのだ。そういうわけで彼は普段、このスペースで本を読んで錬金術の知識を深めている。

 元々、故郷の村の近くの廃墟から本を持ち出し、独学で知識を得ていた彼だ。ここに移って来て、学ぶことのレベルは格段に上がったが、少しずつながらも確実に、彼はその知識を自分のものにできている。

 施設内の様子に気を配りながらも、日課の勉強のため本を読んでいると、水音に紛れて足音が聞こえてきた。

 やがて扉が開き、この施設の主が顔を見せる。


「オルセル。何か変わったことはありまして?」

「い、いえ、陛下。いつもと変わりはありません」

「そう。それなら結構ですわ」


 レティーシャは魔法の明かりを携えて扉を潜る。オルセルが手にした本を見、満足そうに微笑んだ。

「勉強の方も進んでいるようで、何よりですわ」

「いえ、僕なんかまだまだです……」

 実際、彼女に比べればオルセルが得た知識など、ほんのわずかなものだろう。だが、レティーシャは子を褒める母のように、

「いいえ、あなたは確実に知識を増やしています。あなたはもう“持たざる者”ではありません。いずれはその知識で生み出せるものもあるでしょう」

「は、はい……ありがとうございます」

 オルセルは慌ててぺこりと頭を下げた。

 その初々しい様子に、レティーシャは表情を緩める。もっとも、元々微笑んでいたためその表情の変化は、付き合いの浅いオルセルには判別できなかった。


「ところで、人型合成獣(キマイラ)の育成の方は、順調でして?」

「そ、その……僕の知識ではまだ、今の状態が順調なのかどうか分からなくて……大分、一人一人の個性というか、性格がはっきりしてきたとは思いますが」

「それは順調ということでしてよ。やはり、あなた方に任せて正解でしたわ」

「は、はい……ありがとうございます!」


 オルセルは頬をわずかに紅潮させる。人型合成獣(キマイラ)の子供たちは、オルセルたちとの交流によって次第に自我を確立し、性格の違いが明確になりつつあった。特に、蛇の因子を持つ少年・セプスと、山猫の因子を持つ少女・リュクスは、他の子供たちに増してオルセルに懐いている。

「彼らにはいずれ、自分で考えて行動し、戦えるようになって貰わなければなりませんもの。そのために、彼らの自我の育成は不可欠なのです」

「はい……」

 レティーシャの言葉にオルセルは頷いたが、内心では少し納得しかねるところがあった。


(あの子たちの自我が育って、自分で考えて行動できるようになれば、確かに良いことだと思うけど……それって、陛下の言うことを聞かなくなるってこともあり得るんじゃ……?)


 彼らの自我が成長し、自分で自分の行動の意味を考えることができるというのは、一見良いことのように思えるが、支配者側にとっては不都合な面もある。盲目的に支配者の命令をこなす方が、良い手駒になるというのもまた、事実なのだ。

 だが少なくともレティーシャは、そういったことを一切考慮に入れていないような口ぶりだった。彼女がそれを考えていないわけがないのに。

「……納得しかねる、という様子ですわね? オルセル」

「あ、いえ……!」

 そんな考えを見透かしたように指摘され、オルセルはびくりと肩を跳ねさせる。レティーシャはくすくすと笑った。

「そう怯えなくても構いませんわ。――確かに、自分の意思を持たずこちらの指示を丸呑みにする方が、手駒としては使い勝手が良いという側面はありますわね。でもそれでは、彼らはただの道具。“人間ひと”にはなれません」

「ひと……?」

 呆然と呟くオルセルに、レティーシャは群青の双眸を細める。


「ええ。――わたくしは彼らを、人間ひとたれと“創った”のですから」


 人間としてはあまりに不遜ふそんな、その言葉。

 だがそれは、思いがけない強さをもってオルセルの胸に響き、彼の中に染み通っていった。


(……そう、だ。あの子たちは人間になれる。――なるべきなんだ)

 そして、自分はその導き手となる。


 オルセルの決意が、レティーシャには手に取るように分かった。内心でほくそ笑む。

 この少年は一見おとなしく気弱そうに見えるが、意外なほどに肝が据わっている。人造人間ホムンクルスに対する偏見もない。何より、倫理に忠実と見せかけて、ただ一つ定めた大切なもののためなら、それを曲げることもいとわない思い切りの良さがあった。

(この子はむしろ、わたしたちに近い人間。人型合成獣(キマイラ)も上手く育ててくれているし……ゼーヴハヤルはなかなか、良い拾いものをしてくれたわ)

 レティーシャは胸中でそう呟き、施設内を見渡す。未だ目覚めていない人造人間ホムンクルスたちが眠る、冷たく無機質な揺り籠の列。その内の何体かは独力でここを後にしたが、彼らもまた貴重な実験体サンプルであることに変わりはない。


(ああ……どうせファルレアンに行かなければならないのだし、ついでに“あの子”も回収すれば良いかしら)


 現在、出奔しゅっぽんしたアルマヴルカンを追ってダンテがかの国におもむいている。彼にはアルマヴルカンの捕捉と、準備を整えたレティーシャが到着するまでの時間稼ぎを頼んであった。彼は不足なく、その任をまっとうしてくれるだろう。


(さすがに竜、というところかしら。人間こちらの都合などお構いなし……でも、もうしばらく付き合って貰わないと、こちらとしても困るものね)


 レティーシャはオルセルに後を任せてきびすを返すと、子供たちの前では決して見せない、酷薄な笑みを浮かべた。



 ◇◇◇◇◇



 祝祭の喧噪けんそうをどこか遠くに聞きながら、アルヴィーは突然現れたダンテを警戒しながら、自分のうちに棲まう火竜アルマヴルカンに問い掛けた。

(そういや、さっき何か言いかけたな。何があった?)

 すると。


『つい先ほど、“わたし”の気配がすぐ近くに現れた。大きさからしてあの小娘ではない。おそらく“わたし”の本体だ』

「――はぁ!?」


 つい声をあげてしまったアルヴィーに、シャーロットとニーナはいぶかしげな顔になった。

「何があったんですか、アルヴィーさん?」

「それが……アルマヴルカン――“本体”の方が、王都ここに来たって」

「その通り」

 ダンテが肩をすくめながら、それを肯定する。

「でも、アルマヴルカンは二十年くらい前に、レクレウスで倒されたんだろ……? 《竜玉》は残ってるけど」

「そう。《竜玉》――つまり魂がまだこの世に残ってるんだから、後は身体があればいいよね」

「……まさか」

 アルヴィーは慄然りつぜんとする。すでに死した者をこの世に再び舞い戻らせる術を、レティーシャは持っているのだ。


「……シアは、まさか……アルマヴルカンまで、生き返らせたっていうのか……?」


 ふ、とダンテが褒めるように微笑む。

「正解」

「でも、どうやって……」

「僕もその辺は門外漢だからね、そんなに詳しくないんだ。まあ、レクレウスはアルマヴルカンの血肉をほぼ丸々秘匿ひとくして持っていたし、《擬竜兵ドラグーン計画》で使われたのも全体からすれば微々たる量だからね。それを使って何とかなったんじゃない?」

 何ともいい加減な説明だが、ダンテはレティーシャの研究に関してはほぼノータッチなので、そうとしか答えようがないのだ。今となってはむしろ、元村人のオルセルの方がまだ詳しいかもしれない。

「まあそんなわけで、火竜アルマヴルカンはめでたく復活したわけだけど――何を思ったか、いきなり我が君のもとを出奔したんだ」

「……それがどうして、ファルレアンに来るんだよ」

 アルヴィーの問いに、ダンテはひたと彼を見つめる。


「我が君が仰るには、アルマヴルカンは君に少なからず興味を持っている。だから、彼が動くとすればまず行き先はファルレアンだろう、と」


 ひゅ、と息を呑む音は背後から聞こえた。シャーロットか、あるいはニーナか。

「……俺、アルマヴルカンの本体の方には、会ったこともないぜ。レクレウスで一回、《竜玉》を見ただけだ。俺の中にいる“アルマヴルカン”は、本体から切り離された時点で独立した存在になるって、前に言ってたし……どうして俺だと思うんだ」

「アルマヴルカンはクレメティーラにあった転移陣に干渉して、君を逃がした」

 打てば響くように返された答えに、アルヴィーは眉をひそめる。

「そもそも、千年の時を生きたような《上位竜ドラゴン》が、人間に関わろうとすることがまず珍しい。我が君も驚いておられたよ」

「……そんなの、偶然かもしれないだろ」

「まあね。だけど手掛かりらしい手掛かりはそれしかないんだから、ひとまずはそれに賭けるしかないだろう?」

 肩を竦め、ダンテは空を振り仰いだ。


「とにかく、時間の猶予ゆうよはそうないよ。アルマヴルカンはもうここに来てるんだろう? いつまでもおとなしくしてるとは限らない」

「……くそ!」


 吠えて、アルヴィーは荒々しく踏み出した。

「行きゃあいいんだろ!」

「アルヴィーさん!」

「ちょっと待ちなさい! 危険よ――」

 彼にならおうとしたシャーロットとニーナは、しかし不意に眼前に現れた刃に息を呑んだ。

「――っ」

「おい!」

「危害を加えるつもりはないけどね。彼女たちのためを思うなら、ここに残らせた方がまだましじゃない? 最悪、《上位竜( ドラゴン)》とり合うことになるんだから」

 愛剣たる《シルフォニア》を抜き放ち、ダンテはそう告げる。口調は穏やかだが、内容は物騒だった。《上位竜( ドラゴン)》と一戦交えるなど、悪夢の最たるものだ。だが、アルマヴルカン(本体)が万が一正気を失っていれば、ないとは言い切れない事態でもあった。

「……そうだな」

 何が起きるか分からない、というのはアルヴィーも認めるところだ。ため息一つ、二人を振り返った。

「二人は街の方を頼む。この間地精霊の件があったばっかりだし、今は祭りの真っ最中だ。何かあったら暴動でも起きかねないぜ」

「……分かりました」

 万一《上位竜ドラゴン》と戦うことになれば、自分たちはただの足手まといにしかならない。シャーロットもニーナも、それは嫌というほど分かっていた。

 それでも、駆け出そうとするアルヴィーの背中に、こいねがう。


「――アルヴィーさん! ご武運を!」

「さっさと片付けて来なさいよね!」

「ああ、分かった!」


 振り返って片手を上げ、アルヴィーは今度こそ、振り返ることなく駆け出した。シャーロットもニーナをうながし、踵を返す。


「行きましょう。――わたしたちも、わたしたちの役目を果たしに」



 ◇◇◇◇◇



 転移陣を抜けた先は、広く開けた場所だった。

 空中から地上を睥睨へいげいし、火竜アルマヴルカンは地面に描かれた陣を見つけて得心した。自分で描いた転移陣を潜った瞬間に出口の陣らしき気配を感じたのだが、この陣だったらしい。

『ふむ、人間の国か。あの場所ではないようだが……』

 ぐるりと地上を見渡すが、眼下でこちらを見上げる人間たちの中には、これといって気を惹かれる者はいなかった。


「――火竜アルマヴルカン……そ、それは確かですか、カルヴァート一級魔法騎士」

「ああ、残念ながらな。アルヴィーがあいつと“交代した”時の気配にそっくりだぜ」


 震える声で訊いてくる研究員に舌打ち交じりでそう返し、ジェラルドは上空の巨躯きょくを見やる。だがひとまず仕掛けてくる様子はないと見て取り、全員の安否を確かめるために振り返った。

「それはそうと、全員無事か!? 怪我人がいるなら早急に下がれ!」

「こちらは魔法障壁が間に合いました。僕の手が回らなかったところも、誰かが障壁を展開したようですが……」

「そうか。――そちらで先ほど障壁を張ったのは?」

 すると、


「あ……それはおそらく、わたしかと……」

 手を上げたのは外部の研究者の一人だった。


「あんたは?」

「わたしはリチャード・フォルトナーと申します。実は以前、《擬竜騎士ドラグーン》……いやその、ロイ男爵からクレメンタイン帝国時代の腕輪を、研究のためにとお譲りいただきまして。万が一にも失くさないように肌身離さず身に着けていたのですが、それが先ほど作動しまして……というのもこの腕輪に刻まれている魔法陣が、魔法障壁を展開するためのものだったらしいのです。おそらく、この場に満ちている魔力を使って発動したものと――」

「ほう」

 そういえば前に、そのようなものをオークションで競り落としたとか何とか報告があったような――と思い出す。障壁を張るだけの機能なら、アルヴィーの《竜の障壁( ドラグ・シールド)》で充分代替(だいたい)が利くので、腕輪そのものは不要だったのだろう。アルヴィー自身、腕輪が欲しいというよりクレメンタイン帝国絡みだったから落札したということだったはずだ。

「なるほど。まあ、被害が減ったのは有難い。あんたたちも急いで避難してくれ」

「は、はい」

 リチャードはかくかくと頷くと、同僚たちと共に後方に避難していく。正直、防御を考えればセリオはこちらに欲しいところだったので、研究者たちに自前の防御手段があるのは好都合だった。

 研究員たちの避難を確認し、ジェラルドは再び上空をめ上げる。


「さて。――じゃあ俺たちはせいぜい、火竜アレを牽制するとしようか」


 祝祭真っ只中の街に《上位竜ドラゴン》などが現れれば、大混乱というのも生易しい惨事になる可能性しか思い浮かばない。幸いこの演習場は、騎士団の実戦式訓練のための施設ということもあり、市街地からはそこそこ距離がある。街を混乱に陥れないためには、火竜をこの場で引き留めておくのが最善なのだ。

 ジェラルドの言葉を聞いたわけでもあるまいが、“アルマヴルカン”は空から悠然と地上を見下ろしている。

「……動かないな……何か目的でもあるのか?」

 ジェラルドが眉をひそめた時。


『――来たか』


 頭上の巨体が何かに気を惹かれたように頭をもたげる。つられるようにそちらを見れば、アルヴィーが駆けて来るところだった。彼の中にもアルマヴルカンの欠片があるので、連絡を飛ばす前に気付いて駆け付けて来るのは分かる。分かるが、彼が後ろに引き連れている人物が大問題だった。

「……おいアルヴィー。何でそいつがいる……?」

 地を這うような声でジェラルドが“そいつ”と指差した人物――クレメンタイン帝国の騎士たるダンテは、だが平然として、


「あ、僕のことはお気になさらず。今回は多分、利害も一致しますし」

「それを信用しろってか?」


 ジェラルドが皮肉気に言うのも無理はない話で、彼はレクレウス戦役で幾度いくども騎士団の妨害をし、挙句に王城に不法侵入までかました男だ。不審人物どころの騒ぎではない。ファルレアンの法に照らせば、文句なしに犯罪者である。

 周囲の騎士たちももちろん、情報は共有している。ゆえに全員が得物を構えて彼を取り囲んだわけだが、ダンテは穏やかな笑みを崩さないままだった。

「そちらの言い分も分かりますが、ここは共同戦線を張った方が得策だと思いますよ。あなた方は火竜アルマヴルカンを市街地に出したくない。僕はアルマヴルカンを連れ帰りたい。ほら、利害は一致するでしょう?」

「そっちに火竜を渡すのも、それはそれで危なそうだが――な!」

 言い放ちざま踏み込み、励起れいきさせた《オプシディア》を一閃!

「おっと、危ない」

 しかしダンテは《シルフォニア》でその一撃を流れるようにいなした。反撃カウンターを掛けられる前にジェラルドは跳び離れ、ダンテも深追いはせずに抜き身の剣をだらりと下げたまま目で追うだけに留める。

「……ちっ。相変わらず化け物じみた反応しやがるな」

「そちらこそ、いつもながら容赦ない攻撃してきますよね」

 忌々しいと言わんばかりのジェラルドに対し、ダンテは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった顔だ。もう一度舌打ちし、ジェラルドはアルヴィーがやけに静かなのに気付いた。


「おい、アルヴィー……」


 そちらに向き直り、ジェラルドは目をすがめた。

 アルヴィーは、つい今しがた起きた一騒動にも気付いた様子すらなく、中空のアルマヴルカンを見上げている。対するアルマヴルカンも、先ほどとは違ってアルヴィー一人を見つめるように、宙で静止していた。

『――おまえは』

 炯々(けいけい)と輝く黄金の瞳がアルヴィーを捉え、にやりと笑んだ。


『そうか。道理で……それにしても、因果なものだ。だがそれならば、“わたし”が気に入ったのも分かるというもの』


 ゆらり、空中でアルマヴルカンが泳ぐように身を捻り、地上へと舞い下りてくる。剥がれ落ちた鱗が空中でぶつかり合ってりん、と玲瓏れいろうたる音を奏でた。翼を広げゆったりと降下してくる姿は、緊迫した状況を忘れるほどに美しい。アルヴィーは魅入られたように、それを見つめた。

「――おい! 何やってる、避けろ!!」

 だが、飛んできたジェラルドの鋭い声に、アルヴィーははっと我に返った。

「っ、やべっ――!」

 弾かれたようにその場を跳び離れる。直後、アルマヴルカンの巨体が掠めるように通り過ぎて行った。

「なるほど、やっぱり彼が狙いか」

 呟いて、ダンテが《シルフォニア》を振り切る。放たれた不可視の衝撃波は、アルマヴルカンが落とす鱗を吹き飛ばし、その身をも掠めて虚空へと消え去っていった。

 金の双眸が剣呑な光を湛えてダンテを見下ろす。


『あの人間の手下か。――消えろ』

 そのあぎとが開かれ、ダンテ目掛けてブレスが放たれる!


「さすが火竜、血の気が多い……!」

 ダンテは《シルフォニア》を渾身の力で振り抜き、生み出された衝撃波でブレスの軌道がわずかに逸れる。彼はすぐさま地面に身を投げるように伏せ、地面に突き刺さったブレスは小爆発を起こした。

「阻め、《二重障壁ダブルシールド》!」

 ダンテは間一髪で難を逃れたが、巻き添えを食らったのは周囲の騎士たちだ。弾丸のごとき勢いで飛び散る石飛礫いしつぶてに、セリオを始めとする魔法士たちが一斉に魔法障壁を張った。


「――おいふざけんな! てめえはいきなり何してんだ!」

「つーかおまえ、邪魔すんなら帰れよ!」

「うーん、さすがに《上位竜ドラゴン》ともなると、多少弱ったくらいじゃどうにもならないか」


 ジェラルドとアルヴィーからの突っ込みに頭を掻き、ダンテは剣先でアルマヴルカンを指し示す。

「さっきから鱗が落ちてるでしょう。アルマヴルカン(あれ)はまだ本調子じゃない。多少なりともダメージを与えられれば……と思ったんですけどね」

 ダンテはレティーシャから、アルマヴルカンを捕らえるための術を込めたアイテムを与えられていた。もちろんそこまで情報を漏らす義理はないので、アイテムについてはおくびにも出さないが、それを使うためにも、アルマヴルカンには少々弱って貰っていた方が都合が良いのだ。

(とにかく、我が君がおいでになるまで、ここで時間を稼がないと)

 彼が主から受けた命は、アルマヴルカンの捕捉と、彼女が準備を整えるまでの時間稼ぎ。一つ目は達成できたが、今度はレティーシャが到着するまでアルマヴルカンをこの場に留めておかなければならない。

 そしてアルヴィーは、そのための“鍵”となり得た。


(やっぱり、我が君の仰った通り……アルマヴルカンは、アルヴィー・ロイに強い興味を持っている)


 一度“本体”から引き離された欠片は、もう元には戻らず、同じものでありながら別個の存在となる。元は同一の個体であろうとも、それぞれが自我を持つ存在である以上、違う経験をした時点で幾許いくばくかの差異が出てくるのは避けられないからだ。両者が同調シンクロするようなこともない。それでもその両方が、アルヴィーに対して何らかの執着があるというのは、やはり何か理由があるのだ。

(探ってみたいところだけど……まずは、アルマヴルカンをどうにかするか。じゃないと、わざわざアルヴィーを巻き込んだ意味がなくなるし)

 ダンテがアルヴィーの前に姿を現したのは、時間稼ぎに彼を巻き込むためだ。あわよくば騎士団も釣れるかもしれない、と思ったこともある。ファルレアンの王城に侵入した自分は、騎士団にとってはこの上ない要注意人物――どころか、顔を出したらその場で取っ捕まりかねない立場なので、騎士団はさぞ景気良く釣れてくれるだろうと思っていたら案の定である。


(彼がここにいれば、アルマヴルカンもそう動きはしないだろうし……ここは一つ、囮になって貰うか)


 いともあっさりアルヴィーを囮にすることにして、ダンテは彼に声をかける。

「とりあえず、アルマヴルカンがまかり間違って街にでも出て行かないように、ここで足止めをしよう」

「足止めはいいけど、結局どうすんだよ、あんなでかいの!」

 空中からこちらを見下ろすアルマヴルカンを指差すアルヴィーに、ダンテは手札を切ることにした。

「我が君からお預かりした、竜を拘束するためのマジックアイテムがあるから、それを使う。君はアルマヴルカンの注意を引いてくれ。僕はアイテムの準備をする」

「はあ!? そもそもさっき仕掛けたのそっちじゃん!」

「だから責任持って取り押さえるってことだよ。それとも君がアイテム使う? 前準備がややこしいけど」

「う……分かったよ! けどさっさとしろよな! アルマヴルカン相手じゃ、俺だって相手になるかどうかってとこなんだから」

 アルヴィーは右腕を戦闘形態にし、《竜爪ドラグ・クロー》を伸ばした。

「あーあ……せっかくあつらえて貰ったのに」

 惨憺さんたんたる状態になってしまったシャツに、アルヴィーはため息をついた。だがそれを気にしている場合ではない。無事に戻れればまたルーカスに頼もう。


「んじゃ――援護頼む!」


 ジェラルドたちにそう言い置いて、アルヴィーは片翼を輝かせ、地を蹴って空へと舞い上がった。

「よし、総員遠距離魔法攻撃の準備! セリオ、大技一発かましてやれ!」

「了解しました」

 セリオは長杖スタッフを掲げ、詠唱を始めた。にわかに慌ただしくなる地上を余所に、アルヴィーはまずは小手調べと《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》を放つ。右腕を振り抜いた軌跡をなぞる光芒を、だがアルマヴルカンは水中の魚のようにするりと避けた。楽しげに喉を鳴らす。


『ふふ、懐かしいことだ』

「は? 懐かしいも何も、俺らこれが初対面だよ――なっ!?」


 怪訝けげんな顔になったアルヴィーだったが、そこへアルマヴルカンの尻尾が唸りを上げて振り抜かれたので、慌てて宙を蹴りかわした。

「――あっぶね!」

 直撃すれば痛いどころの騒ぎではないだろう。今さらながらにぞっとした。

(つーか、あいつは俺を誰と重ねてんだ? なあ、アルマヴルカン)

 自身の中のアルマヴルカンの欠片に問うが、返事はなかった。

『――さて。今度はわたしの番だな』

 アルマヴルカンが大きく顎を開く。そこに生まれる炎の強さに、アルヴィーは息を呑む。アルマヴルカンが狙う先は――地上の騎士団の一団!

「くそっ! させっかよ!」

 アルヴィーが宙を翔け、アルマヴルカンの正面に滑り込むのと、アルマヴルカンがブレスを放つのとは、ほぼ同時だった。


「《竜の障壁(ドラグ・シールド)》――!!」


 アルヴィーが全力で展開した魔法障壁に、ブレスがぶつかる。爆炎が巻き起こり、膨れ上がった炎がアルヴィーを吹っ飛ばした。

「ぐっ――!」

 一瞬上下すら分からなくなり、空中で体勢を崩したが、幸い地上すれすれで立て直し、地面への激突は回避。


「――放て!!」


 地上へと落ちたアルヴィーと入れ替わるように、ジェラルドの号令で繰り出されたいくつもの攻撃魔法が、アルマヴルカンに迫る。

『ふん、小賢しい』

 障壁すら張らず、アルマヴルカンは尻尾の一振りでそれを叩き落としたが、その攻撃は竜の注意を引くためのものでしかなかった。

「――セリオ!」

 鋭い声。それに応え、セリオは充分に準備した魔法を解き放った。


「砕け散れ、《空の墜星(メテオライト)》!!」


 アルマヴルカンよりさらに上空、魔法により形作られた巨大な岩塊が、竜の背を目掛けて静かに落下を始める。

「総員、退避!」

 ジェラルドの指示で、騎士たちは一斉に着弾予定地点を離れた。気配でも感じたのか、アルマヴルカンが身を捻って頭上を見やり、岩塊に気付く。

 一瞬の後、放たれたブレスが岩塊に突き刺さり、爆発した。

「《竜の障壁(ドラグ・シールド)》!」

「阻め、《三重障壁トリプルシールド》!」

 アルヴィーとセリオがそれぞれ障壁を張り、燃えながら降り注ぐ欠片を防ぐ。打つ手なしかと思われた、その時。


「――行け、《トニトゥルス》!」


 翼ある大蛇がアルマヴルカンのすぐ傍を舞う。召喚した使い魔(ファミリア)に乗ったダンテは、起動させた一本の鎖を右手で振りかぶり、アルマヴルカン目掛けて投げ付けた。それは狙い違わずアルマヴルカンの身に当たり――そして一瞬で膨張、その身を絡め取る!

『何――』

「《トニトゥルス》、離脱だ!」

 利口な使い魔(ファミリア)はすぐに主の意を汲み、翼をひるがえして離れる。鎖に全身をいましめられたアルマヴルカンは、そのまま引かれるように地上へと落ちていった。

 地響きを立てて地表にぶつかる巨体。だがそれほどこたえた様子もなく、金の双眸で人間たちをにらみ据えた。

 その時。


「――良くやってくれました、ダンテ」


 その場に突如として響く、たおやかな声。騎士たちが慌てて振り返ると、そこにはいつの間にか、優美なドレスを纏った女が立っている。戦いの場にはそぐわない微笑みをたたえ、彼女――レティーシャは長杖スタッフを手に、アルヴィーたちの方へと歩み寄った。

「久しぶりですわね、アルヴィー」

「……できれば会いたくなかったよ、シア」

「相変わらずですこと」

 聞き分けのない子供に対するように、レティーシャは笑みを零すと、なぜかセリオへと向き直った。

「……あなたも、良く育ちましたわね。てっきり外の世界で朽ち果てたものだとばかり思っておりましたのに」

「おい、どういうことだ」

 まるでセリオをよく知っていると言いたげな彼女の言葉に、ジェラルドが硬い声を投げる。レティーシャは群青の瞳を細めた。

「この際ですから、ご紹介致しますわね」

 そして彼女は、謡うように告げた。


「彼はわたくしが以前に“開発”した、魔法特化型人造人間(ホムンクルス)初期型プロトタイプ。十年ほど前にわたくしのもとからは去ってしまいましたけれど、いわばわたくしの子供たちの一人ですわ――」



 ◇◇◇◇◇



 夜の闇に沈むレクレウス王国王都レクレガン――その一角に佇む瀟洒しょうしゃな館は、国でも有数の名門貴族たるオールト侯爵邸だ。非公式ながら末娘オフィーリアの婚儀を控え、日中は使用人たちが忙しく立ち働く広大な邸内も、今はわずかな人員を除いて眠りの静寂の中にある。

 ――そんな静まり返った邸内に、密やかにうごめく影があった。

 屋敷の使用人のお仕着せと同じものに身を包んでいたが、その足どりは使用人のものとは違っている。廊下にくまなく敷き詰められた絨毯のおかげで足音は立たず、人影は滑るように歩いて行った。

 やがて辿り着いた部屋の扉を、人影はそっと開ける。室内はわずかなランプの明かりのみが光源だったが、それでも若い女性らしい華やかな調度品に彩られているのが見て取れた。

 薄布を幾重にも用いた豪奢ごうしゃな天蓋の内側には、この部屋の主である少女がぐっすりと眠っているのがうっすらと見える。侵入してきた人影はそれを確認すると、懐から音もなく細長く鋭利な短剣スティレットを取り出し、垂らされた薄布のカーテンにそっと手を掛けて――。


 ――シュル、と両手と首に“何か”が絡まる感触。

 そして次の瞬間、人影は両手を縛り上げられ、天井近くまで一気に引っ張り上げられた。


「来たね」

「旦那様の仰った通り」


 ひっそりと、夜に溶け込むような声。ランプの光の届かない暗がりから、二つの影が湧き出すように現れる。

 目深にフードを被った二つの影――声からしてまだうら若い少女だろう――はくすくすと、夜の精霊がささやくように笑った。

「き……貴様ら、何者だ……」

 唸るように問えば、彼女たちは揃って小首を傾げる。

「何で喋らなくちゃいけないの?」

「そっちこそ、何者?」

「……喋ると思うか」

「ううん」

「だから、喋りたくなるようにしておいたよ」

 向かって右側の少女が、小さく手首を翻す。途端にぐっと首が絞まり、侵入者はうめいた。

「ぐっ……何を……」

「早く喋らないと、ほんとに首が絞まっちゃうよ?」

「わたしたちは情報が欲しいだけ。喋らないなら、このまま絞める」

 キリキリと、首に巻き付いた細い何かが絞まっていく。侵入者はもがいて脱出を試みたが、戒めは緩む気配すらなく、どんどん息が苦しくなってくる。


「ねえ、誰に雇われたの?」

「おとなしく喋った方がいいと思うけど」

「ち、くしょう……! 喋る、わけには……!」


 侵入者は苦しげにそう吐き捨てたかと思うと、何かを噛み潰した。目を限界まで見開き、呻き声を漏らして、その身体がだらりと弛緩しかんする。

「あ」

「……死んじゃった?」

「みたい。あーあ、結局何にも分かんなかったなあ。旦那様にガッカリされちゃう」

 魔力の糸を操り、彼女たち――ブランとニエラは侵入者のむくろを下ろした。

「……とりあえず、置いとく?」

「そうだね。どうせここにはわたしたちしかいないし」

 ニエラは天蓋から垂れたカーテンを、無造作に開ける。ベッドに横たわっていたのは、人に見せかけた布の塊だった。

「オフィーリア様のお部屋は隣だもんね」

「まあ、わたしたちはここでこうやって、網を張っていればいいんだし」

 布を退けると、二人は揃ってベッドに横になった。ここは普段は使われていない部屋で、いかにもオフィーリアの寝室であるように偽装され、侯爵家が信を置く使用人以外はここが彼女の寝室だと思い込んでいるのだ。この一室はオフィーリアの護衛たる二人に与えられ、こうしてベッドで眠ることも許されている。


 ――思えば、ずいぶんと遠くまで来た。


「……あの頃からすれば、嘘みたいだね」

「うん。あの頃は、地面に敷いた布の上で寝てたもんね……」


 互いに思い出すのは、“外”を知ったばかりの昔。


「あの時拾ってくれた旦那様のためにも、オフィーリア様を守らなくちゃ」

「うん、そうだね」


 改めてそう誓い合い、彼女たちは休息のため、浅い眠りへと身を委ねた。


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