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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十五章 人間たる証明
119/136

第118話 祝祭の夜

 いつもより明るい夜の街を、華やかに着飾った女性たちが行き交い、広場では早々に成立したカップルが頬を紅潮させてダンスを踊っている。

 そんな喧騒けんそうの中を、シャーロットは薄紫と黒の余所行きワンピースを纏い、同僚たちと共に歩いていた。

「――んー、なかなか好みのタイプがいないわねえ」

 鋼色の長い髪を結い上げ、ブルーのロングドレスに身を包んだジーンが、少し残念そうな声を漏らす。普段は履かない少しヒールが高めの靴を鳴らして闊歩かっぽするその姿は、すれ違う男性がちらちらと振り返る程度には目立っていた。

「ま、男がいないならいないで、あちこち店を冷やかせばいいか」

「……ジーンの好みって、どんな人?」

 小首を傾げて尋ねるユナもまた、この間新調したピンクのワンピースだ。チョコレートブラウンの飾り布とリボンが、ちょっとした動きにもひらひらと揺れる。

「ん? あたしの好み? そうねえ、家事ができる男っていいわよね。あたしどうしてかダメなのよねー」

 あはは、と笑うジーンは、自己申告の通り家事全般が不得手だった。シャーロットもそっと目を逸らす。彼女は料理だけがどうにも苦手なのだ。ユナは特筆することもなくどれも人並み。ちなみに、小隊内で最もその手のことが得意(=女子力が高い)のは、実はユフィオだったりする。


 閑話休題。


 女三人で歩いていると、ナンパを目論もくろむ男が声をかけてくるが、彼女たちはそれを適当にあしらいながらぶらぶらと店を覗いて回る。時折巡回中らしい顔見知りの女性騎士とすれ違ったりもしたが、お互い苦笑しながら肩を竦めて行き違った。まあ、《ヴァルティレアの祝祭》は今日からしばらく続くので、よほど日の巡りが悪くなければすべて勤務日ということはない。先ほどの女性騎士も、期間中に非番があるはずだ。

 シャーロットの足取りに合わせて、ハーフアップにした髪に挿した髪飾りの紫水晶がしゃらりと揺れる。以前、アルヴィーから貰ったものだ。ジーンも目を惹かれたらしい。

「あら、その髪飾り可愛いじゃない。そんなの持ってた?」

「ええ……まあ」

 曖昧に言葉をにごし、やり過ごそうとするシャーロット。出所を知られた日には、とことん追及されること請け合いだ。

 だが幸い、ジーンはふうん、と呟いただけで再び店先に興味を引き戻されたようだった。

「――あ」

 ふと、ユナが顔を上げる。差し伸べた指先に白い鳥が舞い下りた。

「《伝令メッセンジャー》? ユフィオから?」

「そう。――この先の広場のところにいるみたい」

 ユフィオからの伝言を聞き終え、ユナが返事の《伝令メッセンジャー》を飛ばした。

「……でも、ユナがユフィオとねえ。それで? どこまで行ったのよ?」

 にやにやと根掘り葉掘り聞こうとするジーンを、ユナは得意の寡黙かもくさであしらう。それを傍観するシャーロット。下手に援護に入れば、こちらにも流れ弾が飛んで来るのは確実なので。


「――あ、ユフィオいた」


 と、不意にユナが呟き、足を早める。雑踏の中、広場の入口で居心地悪そうにそわそわと待っていたユフィオが、三人の姿を見つけてほっとしたように表情を緩めた。

「良かった、やっと動ける……ここさっきから、カップルばっかりで一人じゃ何だかいたたまれなくて」

 確かに、祝祭の期間中の広場はカップルのための場所といって良い。独り身には辛い空間である。

 それでも、よく見れば手の込んだ刺繍の入ったシャツにスラックスを合わせた、さり気ない身形みなりの良さ(実際、彼の実家は王都でも有数の商家である)を目敏めざとく見抜き、彼の方を窺っていた少女も何人かいる。だが、ユナが迷いなくそちらへ歩み寄ったのを見て、そういった視線も諦めたように散っていった。

「じゃあわたしたち、ここで」

「上手くやんなさいよー」

「え、ちょっと、一緒に回るんじゃ――」

「いいの」

 うろたえるユフィオを引っ張って、ユナは人ごみの中へと消えてしまう。

「にしても、あの二人がねー。確かに一緒に行動することが多かったけど。ま、ユフィオは見るからに奥手だし、ユナが引っ張るくらいでちょうどいいかもね」

 そしてジーンはため息をついた。


「……あーあ、それにしても、せっかくダブルデート計画したのに、まさかの伯爵様からの呼び出しとか、貴族も案外楽じゃないのねえ」

「まあ、彼の場合は色々と、事情もありますし……」

「今日を逃したら、祝祭の期間中非番の日は被らないでしょ? 貴重なチャンスだったんだけど」

「というか、どうして当のわたしを差し置いて、二人で計画練ってるんですか……」


 シャーロットの胡乱うろんな目に、ジーンはあはは、と誤魔化すような笑いを浮かべる。

「ま、まあいいじゃない。あたしたちも応援してるのよ」

「……それはどうも」

 シャーロットも苦笑するしかなかった。

 ――そしてユナが抜けて二人で何軒かの店を回った頃、ジーンが急に肩をつついてくる。

「ねえ、あそこの彼、ちょっと良くない?」

 見れば確かに、整った顔立ちの青年が冷やかしのように店先を覗いて歩いている。ジーンが軽くシャーロットの肩を叩き、ひらひらと手を振った。

「あたしちょっと、声かけて来るわ」

「はあ、どうぞ」

 ジーンは果敢かかんに青年に突撃し、しばし話をしていたかと思うと、うきうきと弾む足取りで戻って来た。


「――何だか意外に話が合っちゃってさ。あたしここで抜けるけど、良いわよね?」

「どうぞ。ご武運を」

「ありがと!」


 ジーンは一つウィンクして、青年のところに戻ると腕など組んで歩き出す。一人残されたシャーロットは、それ以上店を回る気もせずため息をついた。

(……帰ろうかな)

 どの道あの分では、ユナもジーンも再び合流はするまい。シャーロットが先に帰宅したところで、別段不都合はなさそうだった。

 もう帰って家でゆっくりしようと、彼女が自宅の方角へと足を向けた時――。


「――誰か! 手を貸してください!!」


 喧噪を貫いて、鋭い声が響いた。

 ざわつく周囲の人々を押し退けるように、シャーロットは方向転換して声のした方へと向かう。非番とはいえ、何やら急を要するらしい事態を看過かんかはできない。声がそう遠くなかったことを考えれば、おそらく自分が一番近くにいる騎士のはずだ。

 幸いその見立ては当たり、さほどの時間も掛けずにシャーロットは、現場に辿り着くことができた。


「大丈夫ですか!? しっかり!」

「う……お、お腹が……」


 建物にもたれかかるように座り込み、まだ幼い男の子を連れた女性が脂汗を流しながらうめいている。その大きくせり出した腹部を見れば、彼女がどういう状態にあるかは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。そんな彼女を、やはり祝祭のためにあつらえたのか、青緑をベースに白い飾り布のワンピースを着た少女が介抱している。その人物に、シャーロットは見覚えがあった。

「……確か……オルコット四級騎士?」

「あ、あなたは……!」

 彼女――ニーナ・オルコット四級騎士も、シャーロットを認めて目を見張る。だがすぐに気を取り直し、てきぱきと状況を告げた。

「つい先ほど、彼女がここで動けなくなっているのを発見しました。生まれるまでにはまだ少し間があるということで、気晴らしに外出したそうですが……」

「う、生まれるまでにはまだ一月近くあると、言われて……」

「あ、無理をしないで!」

 身体を起こして言い募ろうとした女性を制し、ニーナは周囲を見回す。

「施療院に運ぶべきだと思うのですが……わたし一人では」

「そうですね……どこか近くの店の方に荷車でも借りられれば」

 いくらシャーロットが身体強化魔法の使い手とはいえ、産気付いた状態の妊婦を女手だけで運ぶのは難しい。近くに荷車を持っている店はないかと、彼女は探しに行くべく立ち上がりかけた。

 その時。


「――うぇぇぇん、ぱーぱぁ、まーまがぁぁぁ!!」


 いきなり倒れて苦しげな母親にパニックを起こしたのか、男の子が泣きわめきながら突然走り出した。父親に助けを求めて、何度も両親を呼びながら思いがけない素早さで走って行く。

「あっ、待って! そっちは――!」

 シャーロットも慌ててそれを追った。王都ソーマの街中は通行区分が分けられており、馬車専用の通行帯がもうけられている。もちろん、祝祭に際してそれらの通行帯も大部分が歩行者に開放されているのだが、唯一馬車の通行のために残されている道があった。子供は真っ直ぐに、そこに向かって走って行ったのだ。

 馬車用の通行帯は、一般の馬車はもちろん、この時期は王都郊外のサンフェリナ城が松明と魔法でライトアップされるため、それを見物に出掛ける貴族やその子女の馬車も通る。もしそんな馬車の前に飛び出してしまった日には、下手をすれば親にまでとがが及びかねない。

 だが子供はその小さな身体で道行く人々の足下をするするとすり抜けて行き、シャーロットは人ごみに邪魔されてなかなか追い付けなかった。そしてとうとう、子供が馬車の通行帯へと飛び出す。

 そこへ折悪しく、紋章を掲げた二頭立ての馬車が――。


「ああっ……!」


 最悪の事態を予想した周囲の人々から悲鳴じみた声があがる。だが気付いた御者が寸前で上手く手綱をさばき、馬車は大きく蛇行しながらも何とか、子供を掠めるように通り過ぎた。子供は驚いて転び、危うく馬車に轢かれかけたショックで再び泣き喚き始める。

「――こら坊主、危ないだろう!」

「うえええん!!」

 御者に怒鳴られて、泣き声はますます大きくなった。だが周囲の人々は遠巻きに見守るのみだ。


「――貴族様の馬車の前に飛び出すなんて、運のない子だね」

「怒られるだけで済めばいいが……」


 癇癪かんしゃく持ちの貴族ならば子供のみならず、とっさに避けて大きく馬車を揺らした御者まで罰を受けかねない。御者も慌てて御者席を下り、客車キャビンの扉を叩いた。

「旦那様、申し訳ありません! お怪我はありませんか!」

 すると、扉が開いてまだ年若い青年が顔を出す。見るからに仕立ての良い服に身を包み、いかにも貴族の子弟という風情だ。

「ああ、大丈夫だけど……何かあったのか?」

「申し訳ございません、子供が急に飛び出しまして……」

「子供!?」

 青年はさっと表情を引き締めた。

「まさか轢いたのか!?」

「い、いえ、無事です……あの子供で」

 御者が泣き喚く子供を指差すと、青年はひょいと馬車から降りてそちらに近寄る。周囲の人々が固唾を呑んで見つめる中、青年は子供に手を伸ばし――その腋に手を入れて抱え上げた。

「怪我は……ないっぽいな。――こーら、いきなり飛び出したら危ないだろ? 馬に蹴られでもしたら痛いじゃ済まねーぞ?」

「ふぇ……」

 妙に手慣れた様子で子供をなだめる貴族の青年に驚きながらも、どうやら気の良い貴族に当たったらしいと、周囲の人々は胸を撫で下ろす。そこへ、シャーロットがようやく追いつき、目を見張った。


「――アルヴィーさん!?」

「あれ? シャーロット?」


 泣き止み始めた子供を抱えたまま、アルヴィーはきょとんと目を瞬いた。



 ◇◇◇◇◇



 王都郊外にある王家の離宮・サンフェリナ城は、《ヴァルティレアの祝祭》の時期になると城の随所ずいしょに魔法の照明が灯り、大量の松明がかれてライトアップされる。これは、祝祭の由縁ゆえんとなった王女と青年貴族が、このサンフェリナ城で結婚式を行ったことに由来するのだそうだ。元々ただの記念行事であったはずのそれは、だがその光景の美しさが貴族たちの間で評判となり、今では毎年少なくない数の貴族の子弟たちが、サンフェリナ城見物に訪れていた。


「――そもそもが、その見た目の美しさから当時の国王陛下に気に入られて残された城だからね。それが夕闇の中で光に浮かび上がる光景といったら、もう見事という他はないよ。せっかくの機会だ、君も少し足を伸ばして、サンフェリナ城見物に行ってみると良い」

「はあ……」


 というわけで、エイブラムにそう勧められたアルヴィーは、馬車あしもあることだからとくだんのサンフェリナ城に行ってみることにした。ただ、貴族街から郊外に向かうには、祝祭に沸く街中を通る必要があるのだが、そこは通行区分がはっきり分けられている王都ソーマ。祝祭の期間中でも馬車用の道は確保されていると御者が請け負った。

 そしてその道の途上で、急に飛び出して来た子供を危うく轢きかける羽目になったのだが、何とか事なきを得、アルヴィーは偶然出くわしたシャーロットに事情を訊くことにした。

「……でも何で、シャーロットがこの子追いかけてたんだ?」

 すると彼女の口から、とんだ爆弾発言が飛び出す。


「実はこの子のお母さんが、道端で産気付いて今にも生まれそうな状態になったもので、驚いて走り出してしまって……」

「……はあ!?」


 割と急を要しそうな事態に、アルヴィーは素っ頓狂な声をあげた。

大事おおごとじゃねーか!? 早く休めるとこに連れてかねーと……」

「そうなんですが、わたしたちだけでは動かせないので。どこかで荷車でも借りないと……」

「荷車なんて、乗り心地最悪じゃねーか……あ」

 アルヴィーはふと思い付いて振り向く。あるではないか、ちょうど良い乗り物が。


「そうだ、ここに馬車あんだからそれでいーじゃん! 荷車よりは乗り心地良いだろうし、ちょうどいいや」

「……は!?」


 今度はシャーロットが裏返った声をあげる番だった。

「……その馬車、紋章入りですよね?」

「え、何かまずいの?」

「いえ……その、普通、貴族の方が平民を紋章入りの馬車に乗せることなどまずないので……」

「そうかぁ? 俺、まだ貴族になる前に、ルシィんとことかの馬車に乗せて貰ったことあるけど」

「それは事情が違うでしょう……」

 シャーロットは頭痛がした気がして額を押さえた。知り合いならともかく、名前すら知らないまったく赤の他人の平民を紋章入りの馬車に乗せるなど、普通の貴族はしない。常識だ。だが幸か不幸か、アルヴィーは臨機応変にその“貴族の常識”を丸めてゴミ箱にポイ、ができる人間だった。自給自足の小村育ちの彼は、使えるものを無駄に遊ばせたりはしないのである。

 とにかく善は急げということで、アルヴィーは子供を片手で担いで、シャーロットの案内で子供の母親のもとに向かった。


「――あ、アルヴィー……いえ、ロイ男爵。どうしてここに……!?」


 妊婦の女性に付き添っていたニーナは、突然子供を担いで現れたアルヴィーに目を見張る。ついでに少しばかり頬に朱が差したが、急いでかぶりを振ってそれを振り払った。

「ランドグレン伯爵に、どっかの城が明かり点けてて綺麗だから見物したらどうかって勧められてさ。向かってる途中に、このチビっ子が飛び出して来たんだよ。――それより、その人、結構切羽詰まってるんじゃないのか?」

「え、ええ……できれば一刻も早く、施療院に運びたいんだけど……」

「分かった。俺こないだ馬車誂えてさ。向こうに置いてあるから、それに乗せよう。荷車より百倍はましだろ」

 アルヴィーは担いでいた子供をニーナに託し、代わりに女性を抱え上げようとする。そこへ、シャーロットが薄手の毛布を持って来て、それを女性の腰の辺りに巻き付けた。毛布はシャーロットの魔法式収納庫ストレージに入っていたものだ。騎士たる者、非番とはいえいつ何が起きるか分からないので、めかし込んでいても魔法式収納庫ストレージは常に持ち歩いているのである。

「さっきまで地面の上に座り込んでましたし、少しでも腰を冷やさないように」

「ああ、ありがとな。助かる」

 改めて女性を抱え上げ、アルヴィーは自分の馬車のところに戻った。紋章を掲げた馬車に、女性の顔が引きつったようだったが、気にせず客車キャビンに彼女を乗せる。ついでに子供も一緒に押し込んだ。子供は初めて乗る貴族の馬車に、瞳をきらきらと輝かせる。

「わたしたちも後から向かいます。奥さんが施療院に向かったことを、ご主人に連絡しないと」

 シャーロットがそう言うと、アルヴィーはきょとんと彼女を見た。


「え、どうせなら一緒に乗ってけばいいのに」

『無理です!!』


 期せずしてシャーロットと、ついでにニーナの声がハモった。

「と、とにかくわたしたちは後から行きますから! いいですね!」

「わ、分かった。じゃあ先に行ってる」

 シャーロットの勢いに圧されつつ、アルヴィーも馬車に乗り込み、馬車は方向転換して走り出した。ニーナが妊婦の女性に家の場所と夫の名前、勤め先を聞き出してくれていたので、それを基に連絡を付け、彼女たちも施療院へと向かう。

 そうして彼女たちが施療院に到着した時、そこはすでに戦場のような騒ぎになっていた。


「――布持って来て、できるだけたくさん!」

「お湯沸かして!」

「飲み水持って来たよ!」

「旦那さんに連絡は付いたのかい!?」


 白いお仕着せの女性たちがばたばたと駆けずり回り、出産の準備を進めている。アルヴィーの姿は見当たらず、もう帰ったのだろうか――と思っていると。


「おーいおばちゃん、湯が沸いたぜ!」

「もうかい!? 助かるね、その調子でどんどん頼むよ!」

「おう!」


 ほかほかと湯気を上げるたらいを抱え、アルヴィーが普通に廊下を歩いて来る。明らかに高級品であろうシャツを無造作に腕まくりし、当たり前のように雑用をこなしている彼に、二人は呆気に取られた。

「……アルヴィーさん、何やってるんですか?」

「何って、手伝い。湯を沸かすって意外と手間掛かるだろ? 俺が火魔法得意で、湯をすぐに沸かせるって言ったら、じゃあ手伝ってけって。何か今日、偶然他の人と出産が重なっちまったらしくて、人手はいくらあっても足んねーってさ」

「か、仮にも貴族が、施療院で雑用だなんて……ここの人たち、あなたの素性を知っているの?」

「いや、言ってねーし。けど、俺が育った村でも、男はこういう時ここぞとばかりに使われたからな。こういう満杯の盥って重いから、女の力じゃ持ち運びにも苦労するだろ」

 そう言ってアルヴィーは湯の盥を運びに行ってしまい、シャーロットとニーナは思わず顔を見合わせて苦笑した。


「……ほんとに貴族らしくない人ですよねえ」

「ええ。――でも、彼らしいと思います」


 もう違う世界の人間になってしまったというのに、彼があまりにも変わらないから。

 本来あるべき身分の差も忘れて、惹かれてしまうのだ。


 互いが抱える思いを何となく察し、二人は何も言わぬまま立ち尽くした。



 ◇◇◇◇◇



 街が祝祭に沸いているその頃――騎士団が訓練に使う演習場では、どこか張り詰めた空気が漂っていた。

 王立魔法技術研究所の研究員たちが一ヶ所に集まり、しきりに記録を取ったり意見を交わしたりしているのを、少し離れたところからジェラルドは見やる。


「……ったく、街は祭りだ何だって賑やかなのに、仕事熱心だよなぁ、研究所の連中は」

「仕方ないですよ。思い立ったら即実験、って感じの人たちじゃないですか、あの人たちって」


 もはや諦めの境地といった顔で、セリオがそう返した。

 基本的に王立魔法技術研究所の研究員たちは、新しい発明を思い付いたら実験したがる。ただ、何事にも予算の壁というものはあるので、実際に実験に漕ぎ付けるまでにはいくつもの困難(という名の実験申請書の再提出リテイク)があるのだ。

 だが、現在研究所で行われている研究の内、国策の一環として潤沢じゅんたくに予算が組まれ、実証実験への道が比較的開けている研究が二つあった。一つは薬学部のポーション生産、そしてもう一つが長距離転移陣の確立である。

 そして現在ここで行われようとしているのは、その長距離転移陣の実証実験だった。


 ――かつてギズレ元辺境伯が手に入れ、実験の結果としてレクレウスの村落一つを滅ぼした、クレメンタイン帝国の魔法遺産。それは一時レクレウス軍情報部の手に落ちたが、戦勝により賠償の一部という形で再びファルレアンに戻り、以降は研究所において解析が進められていた。

 実証実験そのものは、すでに南の孤島からの水の供給システムの一部という形で成功しているのだが、それはあくまでも“水”という非生命体においてのもの。今回の実験はいよいよ、生命体を長距離転移させることに踏み切るのだ。

 もっとも、生命体の転移においても、ギズレ元辺境伯配下の魔法士たちが魔物の召喚という形で成功しているが、今回使うのはオリジナルの陣を解析・再現したいわば研究所印の転移陣だ。オリジナルの陣を忠実に再現したつもりでも、気付いていないミスがあるかもしれない。安全に運用するためにも、実験は必須だった。

 そして万が一の事態に備え、この実験には騎士団の数個小隊が護衛という形で立ち会っている。ジェラルドも転移陣には少し興味があったので、隊の指揮をるという名目で、部下を引き連れ参加したのだ。騎士団の他にも、帝国の魔法遺産を研究している外部の研究者たちが数人ほど、立ち会うことを許されていた。


「――ではこれより、実験を始めます!」


 主任研究員がそう宣言し、ざわめいていた空気が一気にしんとぐ。護衛の騎士団員たちはジェラルドの指示で、万一に備えて各々が武器を構えた。

 彼らが固唾かたずを呑んで見守るその場所、地面に直接描かれた直径十メイル近い転移陣に、複数の魔石から魔力が供給され、詠唱が始まる。この転移陣の対になる陣は王都郊外の人の訪れない場所に設置され、そこには転移対象としてあらかじめ捕獲された魔物が用意されていた。さすがに、実験の初っ端からいきなり人間を対象サンプルにするわけにはいかない。魔物とはいえ生命体には違いないのだし、仮に実験が失敗して対象が死んでも、良心の呵責かしゃくは少ない――と、少なくとも人間にとっては利点のある方法だ。

 転移陣は見る間に光を帯び始め、傍で見ているだけのジェラルドも思わず、その光景に見入ってしまう。研究員たちは言わずもがなだ。


 ゆえに――“それ”への対処が一歩遅れた。


 ちり、と。

 転移陣の輝きに、突如朱金の炎が混ざる。

 そして一瞬の後――それは爆発的に膨れ上がり、渦を巻いて周囲に襲い掛かった!


「――伏せろ!!」

「阻め、《三重障壁トリプルシールド》!!」

 ジェラルドがとっさに放った鋭い叫びに重なるように、セリオの詠唱が高らかに響く。ジェラルドとパトリシアはセリオの障壁が展開しきる寸前に、手近な研究員を引っ掴んで地面に身を投げた。他の騎士たちもそれにならう。直後、魔法障壁に炎がぶつかってぜるような音を立てた。

「うわっ、うわあああ!!」

 しかしセリオの障壁も、全員をカバーできたわけではない。効果範囲外にいた不運な研究員たちは、為す術もなく炎に巻かれる――と思いきや、ちょうどその不足を補うように、もう一つ別の魔法障壁が展開した。しかも、詠唱も何もなく。

「何だ……!?」

 無詠唱で自分のそれと並ぶような強度の魔法障壁を張れる人間は、少なくともこの場にはいなかったはずだ。しかしひとまず今は詮索よりも、眼前の脅威から逃れる方が重要だった。

「撤退だ! 研究員を守りつつ後方に退避しろ!」

 ジェラルドの指示に了解の声が返り、騎士たちが研究員たちを背に庇いながら後退あとずさる。障壁の効果が消え、炎はいよいよ阻むものをなくして周囲の地面を舐め始めた。


「《アヴァーラヴィ》!」


 パトリシアが自らの魔剣を励起れいきさせ、逆手に握ったその剣の切っ先を地面に突き刺す。そこから地面を走った青白い一本の線は、氷の華を連ねて炎とぶつかり合った。彼女愛用の刺突剣エストック、《アヴァーラヴィ》は氷の魔剣だ。この局面においては、炎に対抗できる貴重な手段だった。

「よし、よくやった! 今の内に距離を取れ!」

 陣から充分に離れた彼らが見守る中、炎の中で不意に影が動いた。今まで確かに何もなかったはずのそこから、ゆっくりと首をもたげる影。

 そして――空気がそのまま重しになってし掛かってくるようなとてつもない威圧が、いきなり周囲を覆い尽くした。


「……おい……これは……!」


 ジェラルドはその威圧に覚えがあった。以前に一度、感じたそれと同じもの。

 びりびりと空気を震わせながら、“それ”は炎の中で身を起こし、翼を広げる。

「おいおい……用意してたのは弱っちい魔物じゃなかったのかよ。どっからこんな大物が紛れ込んで来やがった……!」

 ジェラルドは顔を引きつらせながら吐き捨てた。

「ば、馬鹿な……! どうやって……!」

「まさか、外部から干渉したっていうのか……!?」

 研究員たちが顔色を無くして呻く中、“それ”はふわりと空に舞い上がった。りん、とかすかに聞こえる場違いに涼やかな音は、その身体から零れ落ちる鱗だ。だが鱗は剥がれ落ちる傍から、その驚異的な回復力により新しく生え変わり、その身体を強固に覆い尽くす。

「隊長……あれは……」

 煌々(こうこう)と燃える炎を受けて紅く輝くように見える巨体を仰ぎ、パトリシアがあえぐように呟く。ジェラルドは苦い声でその疑問ともつかない声に答えた。


「あいつの威圧には覚えがある。あいつは多分、アルヴィーの中に同居してる奴の本体。――火竜アルマヴルカンだ……!」


 その言葉を肯定するように、突如現れた火竜は夜空に向けて高らかな咆哮ほうこうを放った。



 ◇◇◇◇◇



 んぎゃあ、と産声が施療院に響く。

 新しい命の誕生に、立ち会った人々も喜びの声をあげ、出産という大仕事を果たした母親をねぎらい、祝福した。知らせを受けて駆け付けて来た彼女の夫も、滂沱ぼうだの涙を流しながら妻に感謝を告げる。そしてそれがひと段落すると、妻を救ってくれたという通りすがりの若者たちにも礼を述べた。

 ……その際にアルヴィーの素性がばれ、ちょっとした騒ぎになったのだが、それはともかく。


「――けど、子供が元気で生まれて良かったよな」


 施療院を出ての帰り道、まだ喜びの余韻よいんを引きずりながら、アルヴィーはひとりごちる。

 彼が貴族であり、高位元素魔法士ハイエレメンタラーでもあるという素性を知った夫婦は、生まれたての我が子を抱いて欲しいと頼んできた。優れた人間にあやかるべく子供を抱っこして貰うのは、珍しくない慣習だという。面映おもはゆいながらも怖々と抱っこした赤ん坊は、小さくも生命力に溢れていた。


 ――これが、人の雛か。


 赤ん坊を抱いた時、自分のうちで小さくアルマヴルカンが呟いたのを、アルヴィーははっきりと聞いた。

 自らの子を望まなかったというアルマヴルカンが、生まれたばかりの命に何を思ったのかは分からない。だがその声は、決して冷たくはなかったように、アルヴィーには感じられた。

 ふわふわとした気分で、アルヴィーはシャーロットとニーナを振り返る。

「何かさ、アルマヴルカンもびっくりしてたみたいだ。生まれたての赤ん坊って、ちっちゃいもんなあ」

「そうなんですか?」

「まあ、赤ん坊が大きくなるのなんて、アルマヴルカンにしてみりゃほんの一瞬なんだろうけどさ」

 家への道を辿りながら、アルヴィーはぽろぽろと呟く。

 馬車は先に帰してしまったので、帰りは歩きだ。もっとも、祝祭に華やぐ街はいつもと様子が違い、歩くだけでも楽しめた。

 と――。


『……主殿、待て』


 アルマヴルカンが低く呟いた。その声音は先ほどのものとは違い、硬い。

(どうした?)

『今……“わたし”の気配を感じた。あの小娘程度の話ではない、まるで――』


「――やあ」


 アルマヴルカンの警告を遮るように、声。

 温和な笑みを浮かべてそこに現れた相手に、アルヴィーは足を止め、シャーロットとニーナを庇う形で対峙する。

「……おまえは」

「久しぶりだね、アルヴィー・ロイ。――いや、もう貴族なのか、この国では。出世したね」

「何しに来やがった」

 エメラルドの瞳を細めるダンテに、警戒心を隠すこともなく尋ねると、彼は笑みを消してアルヴィーを見据えた。


「緊急事態だ。君にも協力して貰いたい。――この街を火の海にしたくなければ、ね」

「火の海……? どういうことだ」

「君の中の火竜は、もう分かってるんじゃないのかな。――とにかく時間がない。答えは?」


 ダンテの双眸が、アルヴィーを射抜く。

 それを受け止めながら、彼は嫌な胸騒ぎに右手を固く握り締めた。


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