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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十五章 人間たる証明
118/136

第117話 守りたいもの、ひとつ

 王都ソーマに、朝を告げる鐘が鳴り響く。

 騎士団本部にとっても、その音色は一つの区切りだった。一日の仕事を終えた一般市民たちが寝静まる夜間にも、騎士団は事件等に備えて幾許いくばくかの人員を本部に待機させているのだが、彼らの勤務時間の終わりを告げるのが、この朝の鐘なのだ。彼らは普通に朝出勤してくる同僚たちと入れ替わりに退勤し、家に帰ってようやくベッドに飛び込む。

 この日、第一二一魔法騎士小隊も、この夜勤の番に当たっていた。

 とはいっても、騎士団――特に彼らが所属する中央魔法騎士団は、魔法騎士団の中でも最多の人員を誇り、夜勤の番もそう頻繁ひんぱんには回ってこない。それに夜勤翌日は非番なので、家に帰ればゆっくり眠れる。

 隊員たちは各々欠伸をこぼしながらも、勤務を終えて帰路に着こうとしていた。


「――ねえ、ロット。明日、久しぶりに街に遊びに行かない?」


 突然のユナからの誘いに、シャーロットはきょとんと目を瞬かせる。確かに明日は非番であり、いよいよ女性たちが待ちに待った《ヴァルティレアの祝祭》の初日でもあるのだが。

「それは構いませんけど……ずいぶん急ですね?」

「安くなるお店があちこちあるんだから、行かないと損」

「まあ、確かに」

 ユナの言葉に、シャーロットも頷く。女性主体の祭りということもあり、《ヴァルティレアの祝祭》の期間中は、女性客に対して料金を割り引く店がそれなりに存在した。飲食系の店は特にその傾向が強い。若い女性客を取り込めば、彼女たちを目当てに男性客も集まるからだ。《ヴァルティレアの祝祭》は女性から男性へのアプローチが大っぴらに認められるイベントだが、別に男性側が女性をナンパしても問題はない。それを狙う男は、若い女性客が集まる店にチェックを入れているのだ。

「良いわね、あたしも付いてっていい? いい男見つけたらそこで抜けるけど」

「何だ、ナンパ狙いかあ?」

 にやにやと、カイルが首を突っ込みに行くが、ジーンはさらりと、

「あんたはいつもの通り花街にでも行ってなさいな。今回はお呼びじゃないのよ」

「おいおい、つれねーなあ」

 カイルは小さく肩をすくめた。

「じゃあ、今回はわたしたち三人で?」

「ううん。あとはユフィオとね、」

「え!?」

 いきなり名前を出されて、帰ろうとしていたユフィオは慌てて振り返った。

「僕も!? 聞いてないよ!?」

「うん。今言ったから」

 当然というようにあっさり頷くユナ。もっとも、彼女が基本的に寡黙かもくなのはこの場の全員が知っているので、あえて今さら突っ込む者もいなかった。といっても、親友の応援に回った彼女はいつになく雄弁だが。


「――あれ? 今から帰りなのか?」


 そこへひょいと顔を出したのは、いつも通りに出勤してきたアルヴィーだ。彼については、夜勤のシフトからは除外されている――というか、彼は有事の時には昼夜関係なく呼び出される。爵位を得た今でもそこは同様の扱いだった。

「ああ、さっきまで夜勤でね。これから帰りなんだ」

「そっか……じゃああんまり引き留めても悪いな」

 気を付けて帰れよ、と手を振り、アルヴィーはさっさと立ち去ろうとする。それを素早く、ユナが――制服の襟首を掴んで物理的に――引き留めた。

「あ、待って」

「うぐ!? ちょ、何だよ!?」

 仮にも爵位持ちの貴族相手にぞんざいにも程があるが、当のアルヴィーも別に彼らにかしこまられたいとは思っていないので、特にその扱いを気にしてはいない。危うく絞まりかけた首をさする彼に、ユナはどこか期待するようにその赤紫の瞳をきらめかせた。


「明日、わたしたち非番なの」

「それでさあ、あたしたち街に繰り出そうと思って。《ヴァルティレアの祝祭》の期間中って、女の子に割引してくれる店が結構あるのよ。シャーロットも行くし、ユフィオも引っ張ってくからさ、アルヴィーも行かない?」

「! ユナ、ジーンさん……!」


 彼女たちの思惑を悟って、シャーロットが慌てて止めようとするが、それより早くアルヴィーがうーん、とばつが悪そうな顔になった。

「悪い、明日は無理」

「あら、どうして?」

「ランドグレン伯爵に招待されたんだよ、食事に。まさか断れねーだろ?」

「ちょっと、何それ」

 聞き捨てならない一言に、女性陣より早くルシエルが食い付いた。

「招待されたって、いつ?」

「十日くらい前。ほら、俺ってあの島の関係で、大陸沿いの航路の権利持ってるみたいな形になってるだろ? それでさ」

「ああ……」

 財務副大臣を父に持つルシエルは、その事実が意味することがよく分かる。アルヴィーが“霧の海域”だった島の権利を得、大陸沿いの航路を開放したことで、海洋貿易の利便性が格段に上がった。それはすなわち、沿岸部に位置する港町にとって特大の商機である。そして沿岸部の領地が貿易によって潤うということは、ひいては国の財政にも利益をもたらすこととなるのだ。中央での権力争いにこそ参加していないとはいえ、利にさといランドグレン伯爵が、その要ともいえるアルヴィーと関係を深めたがるのは、むしろ当然のことだった。

 自らの意思に関係なく、どんどん政治的な方面に引きずり込まれている親友を案じないではなかったが、それを自力でさばけるようになるには、ひとまず好意的であろう相手との会食は良い練習の機会だ。

 ルシエルは頷いた。

「じゃあしょうがないね。それに沿岸部の領主はもれなく伯爵位以上の高位貴族だから、人脈を作っておいて損はないよ」

「……俺、そういうの苦手なんだけどなあ……大体、社交はやんなくていいって話じゃん……」

「こういう機会でもなきゃ、後は舞踏会バルだよ。アルはダンスでも踊りたいの?」

「冗談!」

 アルヴィーは水に濡れた犬のようにぶんぶんと首を振った。貴族の令嬢とダンスなど、彼にとっては会食以上の無理難題である。

「それに、ランドグレン伯爵はランドグレン二級魔法騎士のお父上だろう? 知らない相手じゃないんだし、これからこういう機会も増えるかもしれないから、慣れておくのは良いことだと思うけど」

「そりゃ分かってっけどさ」

 ため息をついたアルヴィーだったが、もとより断れるわけもない招待だ。はらくくった。


「ま、今さら逃げるわけにもいかないしな。せいぜい恥かかないように振る舞ってくるさ。じゃ、みんな気を付けて帰れよ」


 ひらりと手を振ってそのまま本部の建物に向かうアルヴィーを、ルシエルは少々複雑な思いで見送った。

(……アルももう、すっかりこの国に馴染んだな)

 ルシエルがこの国で力を求めたのは、親友アルヴィーを守るための力が欲しかったからだ。自分が貴族の血を引き、その後ろ盾を得たのを幸いに、巻き起こった戦争によって敵国の民となってしまったアルヴィーを、いつかこの国に迎えて自分の力で守るために。

 だが彼は易々と、ルシエルの思考の上を超えていった。亡命という形でこの国にやって来た彼は、彼自身の力で道を切り拓き、自らの足場を築き上げたのだ。


 ――彼はいつだって、守られてなんてくれない。

 よぎった悔しさに、ほんの少し胸が痛んだ。


 男性陣がそれぞれ帰宅してしまうと、ジーンが大袈裟に慨嘆がいたんする。

「伯爵様の招待かあ。それじゃしょうがないわねー。せっかくユナがダブルデート企画したのに」

「残念」

 当てが外れた、といった風情のユナとジーンに、シャーロットが詰め寄った。


「そもそも、いきなりどういうことですか? わたしは別に――」

「だって、ロットは諦めたくなさそうなのに、諦めたような顔するから」


 返されたユナの答えは、思いがけなく強く、シャーロットの胸をく。

「……え?」

「どっちにするのか、ちゃんと決めて。ロットが自分で決めたことなら、わたしは何も言わない」

 そう言って、ユナはさっさと帰路に着いた。

 それを見送るシャーロットの肩を軽く叩いて、ジーンはウィンクする。

「ま、分かんないなら分かんないで、《ヴァルティレアの祝祭》に賭けてみるのもいいかもよ? 意外と新しい出会いがあるかもしれないし」

 じゃあね、と手を振って、ジーンもまた雑踏の中へと消えていく。シャーロットは両手をぎゅっと握り合わせた。


(……わたしは)


 もう住む世界が違ってしまっているのは、分かっている。

 だから、踏み越えてはいけない境界線を、きちんとわきまえようとしているのに――。


 ぐるぐるとまとまらない想いを抱えて、彼女はしばらく、そこに立ち尽くした。



 ◇◇◇◇◇



 ざわり、と力が動く気配に、微睡まどろんでいた“彼”はふと目を開けた。

『……地脈の歪みが、まだ直っていないか』

 彼が知識を与えた人間が、それをもとに行使した極大の魔法の影響が、まだ消え去っていない。巨大過ぎる地脈の力に恐れをなした精霊たちも、こぞってこの地を離れてしまったために、その流れを正せる存在がいないのだ。彼自身は火のさがであり、大地の底を通る地脈の流れを操ることはきない。

『ふむ……』

 少し思案し、そして彼はおもむろに、大地に向けて炎のブレスを放った。


 ――轟音。

 そして、膨れ上がる炎。


 あっという間に炎で満ちた空間に、彼は満足げに喉を鳴らす。炎は地表を焼き、そして大地の底から湧き上がる地脈の流れの一つを捉えた。その魔力をかてとし、炎はさらに燃え上がる。

 放ったそれより勢いを増した炎を、彼は息を吸うように取り込み始める。渦を巻く炎を呑み込み、自らの腹におさめた彼は、それが身体中に行き渡るのを感じながら翼を広げた。


「――何をしているの!?」


 その時、異変を察知したか、銀髪の女がその場に唐突に現れる。常の落ち着きを失った彼女に、彼は面白そうに再び喉を鳴らした。

『せっかく再び身体を得たのでな。貴様の言う“わたしの求めるもの”とやらを、探してみるのも一興いっきょうだろう』

「何ですって――」

 鋭く見上げた彼女は、だが強烈な風によろめく。翼を打ち振ってその巨体を空に浮かせた彼は、黄金の双眸で地上を睥睨へいげいした。自身をにらむ群青の双眸に溜飲を下げながら、さらに高度を上げようとして、何かに阻まれるような感覚を覚える。

『……結界か』

 広範囲かつ強力な結界が、この一帯に張られている。言うまでもなく、彼を閉じ込めるためのものだろう。

 だが――今の彼は、地脈の力で増幅させた炎を腹に呑んでいる。


 空中でゆるりと身を捻り、鱗がいくらか零れ落ちるのも構わずに、大きく開いたあぎと

 そこから放たれた、光に見えるほどに圧縮された莫大な炎が、結界にぶつかり――そして撃ち抜いた。


「――――!」

 広がった、熱を伴う衝撃波に、彼女は自分の身を守るのが精一杯だった。術式が破壊され、瓦解していく結界を突き破るようにして、彼は今度こそ空に舞い上がる。

 その目が、ある一点で止まった。

 一見壁しか見えないが、その向こうで何か、それなりの規模の魔法が稼働している。

 試しにブレスで壁を破壊してみれば、そこにあったのは魔法陣だ。その気配に、彼は覚えがあった。


 あれは確か――以前に自分が干渉し、人の子をどこかへ飛ばすのに使ったもの。


『転移の陣か』

 彼はその構成を即座に見て取る。千年の時を生き、膨大な知識をたくわえた彼だ。人間の組んだ陣を記憶することなど容易たやすかった。

 その体躯たいくの周囲に炎が舞い、地上に零れ落ちて円を描くようにはしる。炎は燃え広がりながら、焦げ跡による精緻せいちな紋様を残し、やがて城内のものを正確に拡大した転移陣を描き上げて消えた。

 彼はその直上に舞い降りる。呼応するかのように、魔法陣に朱金の光が灯った。


「――待て……!」


 鋭い声が聞こえ、ほぼ同時に不可視の刃が襲い掛かるが――その一瞬前、彼の巨躯きょくは転移陣に吸い込まれ、一瞬の輝きと共に掻き消えていた。


「――ダンテ」

「申し訳ございません、我が君。取り逃がしました」


 剣を納め、ダンテは忌々しげに、用を終えて斬り裂かれた魔法陣を見やった。

「一体何だって、急に……」

「分かりませんわ。ですが――」

 レティーシャは魔法陣を一瞥いちべつし、くるりと身をひるがえす。


「“彼”の――アルマヴルカンの向かいそうな場所には、心当たりがありますわ。ダンテ、すぐに向かっていただけますか?」

「もちろんです、我が君」


 打てば響くような騎士の答えに、彼女は嫣然えんぜんと微笑んだ。


「お願い致しますわ。アルマヴルカンの行き先は、おそらく――」



 ◇◇◇◇◇



 《ヴァルティレアの祝祭》初日の夕刻。

 王都ソーマの、平民たちが暮らす市街地は、街灯に加え随所ずいしょ篝火かがりびかれ、昼間から続く華やかな盛り上がりに酔いしれていた。

 ――そんな市街地から少し離れた貴族街は、家門のランクによって大まかにだが区画が分かれている。上級の貴族になるほど王城に近い区域に邸宅を構え、壮麗そうれいな館と手を掛けた庭、高価なガラスを使った温室などを競っているのだ。

 そんな上級貴族の区画へと続く道を、一台の馬車が辿っている。

 掲げた紋章は紅い五枚のはねの前で交差する剣と杖。剣は武勇を、杖は魔法士の家門であることを表す。貴族の紋章にも様々な細かい制約があり、爵位によって使える色数や図案シンボルが決まってくるが、単色の紋章はその持ち主が男爵家であることを意味した。


「――あー、何か緊張してきたな……」


 意味もなく襟元をいじりながら、アルヴィーはぼやく。執事のルーカスに屋敷を任せ、ついでにフラムも留守番に置いてきて、一応手土産片手にランドグレン伯爵家へと向かう真っ最中だ。

(おんなじ伯爵でも、やっぱルシィの親父さんは、あれで気心知れてたんだな……)

 ルシエルの父・ジュリアスは、同じく伯爵位ではあるが、何度か顔を合わせた分まだ馴染みもある。しかしランドグレン伯爵はミトレアで一度会食したのみ。航路の件がある以上、少なくとも表面上は友好的であったが、貴族というのは表と裏の顔の使い分けが上手い人種だ(一部例外はあろうが)。会食とはいえ気を引き締めて掛からないと、いつの間にか上手く丸め込まれていたのでは目も当てられない。

 着慣れない礼装にも地味に気疲れしつつ、アルヴィーはため息をついて座席に身を預けた。

 ――それからしばらく馬車に揺られていると、馬の足どりが緩み速度が緩やかに落ち始めた。

 客車キャビンの窓からは、周囲の屋敷に劣らず立派な門構え、そして門扉の鉄格子の間に広壮な館の正面が垣間見える。王都ソーマ周辺地域の特産である白い石材を主に使いつつも、アクセントのように使われている青みを帯びた灰色の石材は、ヴィペルラート特産の《夜光岩》だろう。さすがにミトレアの館ほどふんだんに使われてはいないが、ヴィペルラートから輸入して王都まで運んで来るには、並大抵ではない労力と費用が掛かったはずだ。


「――ロイ男爵様。ようこそいらっしゃいました。今、門をお開け致します」


 門番の形ばかりの確認の後、鉄格子の門扉が開かれた。これほど簡単に済むのは、馬車が紋章を掲げているからだ。この国では紋章は貴族しか持たないものだし、貴族でない者が貴族をかたれば重罪となる。もっとも、それはファルレアンに限らず、どの国でも変わらないが。

(……うん。やっぱ、ルシィの言う通り門番は要るかな……)

 いくら社交方面を考えなくても良いとはいえ、現に今回こうして招待を受けたのだ。今後は立場が逆にならないとも限らない。客が来た時にまさか自分で門を開けてくれとも言えないので、後でルシエル辺りに相談して門番を雇おうかと、アルヴィーは今までの考えを軌道修正する。

 そんな彼を乗せ、馬車は軽やかに門を抜けると、美しく整えられた芝生の間にもうけられた小道を進み、正面玄関前の馬車寄せ(ポルト・コシェール)で停まった。

 御者が扉を開けてくれたので、アルヴィーはひょいと飛び下り――ようとして思い留まり、ちゃんとタラップを使って降りる。さすがに貴族の端くれともなれば、格上の貴族の館で子供のような真似はできない。

 アルヴィーを降ろし、御者は再び馬車を操って庭園の片隅にある厩舎ステイブルに向かった。御者はそこで待つのだ。

 一人正面玄関前に立った彼を、中から扉を開けた従僕フットマンうやうやしく迎える。ノッカーも鳴らしていないが、おそらく馬車の音を聞いてスタンバイしていたのだろう。

 彼の案内で玄関エントランスホールを抜けて広間サルーンに出ると、アルヴィーは思わず感嘆に目を見開いた。

(……うわ……さっすが伯爵家。すげーな……)

 ミトレアの領主館と同じく、海と空のような蒼に染め上げられた壁。それは上に行くほど色を濃くし、星を散りばめられて夜空を描き出していた。船乗りには夜の星を基に現在地を弾き出す天測の技能が必要だというが、それになぞらえられたのだろうか。

 床は白い石材と《夜光岩》の四角い石材が交互に並べられ、埃一つなく艶やかに磨き上げられている。壁には迫力に溢れた帆船を描いた絵や、人魚をかたどった彫像などが品良く並び、暖炉の上には誇らしげに、紋章を描いた盾が掲げてあった。


「ようこそ、我が屋敷へ。待っていたよ」


 そこへ声が掛かる。正面の階段から執事を伴い下りてきたのは、館の主たるエイブラム・ヴァン・ランドグレン伯爵に間違いなかった。アルヴィーも居住まいを正して一礼する。

「本日はお招きにあずかりまして、ありがとうございます」

「はは、そう畏まることはないよ。これはごく私的な招待だからね」

 エイブラムはそう笑うが、貴族社会でその言葉を額面通りに受け取るのはただの間抜けである――とルーカスから懇切こんせつ丁寧に教え込まれたアルヴィーは、引きつり気味の笑みを返すしかない。ひとまず手土産を渡すことで、気分を切り替えることにした。もちろんこれも、ルーカスが用意してくれたものである。

「あの、これ……どうぞ。お口に合うかは分かりませんけど」

 持参した手土産は蒸留酒だった。エイブラムが普段ミトレアにおり、輸入品のワインなどは見慣れているだろうということで、あえての国内製品チョイスである。もちろんすべてルーカスの見立てだ。

「これは有難い。国内の酒にはあまり詳しくなくてね……これはわたしの書斎へ」

「畏まりました」

 いかにも有能そうな執事が瓶を受け取り、広間サルーンを出て廊下へと消えていく。だがすぐに手ぶらで戻って来たところを見ると、おそらく別の使用人に託したのだろう。

 そこへ、玄関の扉が開く音がした。


「――只今戻りました、父上……って、なぜ貴様がっ!?」

「お、久しぶりー」


 騎士団の勤務を終え戻って来たウィリアムが、アルヴィーの姿を目にして反射的に声をあげる。ルシエルの騎士学校時代の後輩であり、彼の信奉者でもあるウィリアムは、ルシエルの親友であるアルヴィーに一種のライバル意識を持っているのだ。

「ウィリアム、失礼だろう? 彼はわたしが招待したれっきとした客人であり、男爵位にじょせられた正真正銘の貴族だ」

 そんな息子の態度に、エイブラムが苦言を呈する。ファルレアンの貴族社会では、爵位がものを言うのだ。その常識に当てはめれば、伯爵家の人間とはいえまだ爵位を継いでいないウィリアムより、男爵位をたまわっているアルヴィーの方が立場は上なのである。

「……失礼致しました」

 ウィリアムもそれは理解しているので、先ほどの失態を詫びた。主に父に対してではあったが。

「息子が失礼した、ロイ男爵。――ウィリアム、おまえもまずは着替えて来なさい。彼とは航路について話をするが、おまえも聞いておいて損はない話だ」

「……分かりました、父上」

 複雑な表情で頷き、ウィリアムが広間サルーンを出て行った。

「さあ、君はこちらへ」

 促され、アルヴィーはエイブラムと共に、執事に案内されて扉を潜る。

 そこは食堂ダイニングルームだった。広間サルーンと違って壁と天井は白で統一されているが、海や港を描いた風景画が掛かっている。壁に据え付けの暖炉の上には、帆船を象った彫刻。テーブルの上には海の精霊を象った銀の像と花が飾られ、すでに三人分の席がしつらえられてあった。

(……三人分?)

 エイブラムと自分、そしてウィリアム。伯爵夫人は参加しないのだろうか。

 アルヴィーがいぶかしく思ったのを感じ取ったか、エイブラムは苦笑した。

「ああ、妻は今日、セイヴァリー侯爵夫人主催の夜会に出掛けているんだ。今日から《ヴァルティレアの祝祭》だろう? さすがに貴族の妻が参加するわけにはいかないが、女性の祭りが平民だけにあるのは不公平だと、“有志”の奥方が毎年持ち回りで夜会を開いているのさ。この機会に女性だけで楽しむのだと、男は参加不可でね。付いて行くのもメイドしか許されない徹底ぶりだ」

 もしかしたらルシエルの母ロエナも参加しているのかもしれないと思いながら、そうですか、と小さく相槌を打つに留める。この国の女性は身分を問わず積極的らしい。

 そんな話をしていると、着替えたウィリアムもやって来たので、それぞれ席に着いた。アルヴィーは客なので主のエイブラムの正面、ウィリアムは二人のちょうど中間に座る形だ。

 まずは食前酒にと、軽めの果実酒がグラスに注がれる。使用人が料理を運んで来て、てきぱきと配膳を始めた。三人の傍にはそれぞれ給仕役の使用人が侍る。伯爵家ともなれば、使用人にもランクがあるそうなので、おそらく彼らは上級使用人アッパーサーヴァントだろう。


「――そういえば、君はこの間、アークランド辺境伯領に行って来たそうだね?」


 ふと思い付いたようにそう言ったエイブラムに、てっきり航路の話だと思っていたアルヴィーは戸惑いながら頷く。

「はい。ちょっと騎士団の方からの要請で……」

 言外に騎士団の任務なので詳しくは話せない、と匂わせながら、当たり障りのない答えを返す。さすがに同じ騎士団所属のウィリアムは、かの一件についても多少は知っているのかもしれないが、ふん、と小さく鼻を鳴らすに留めた。

「父上。航路の話ではなかったのですか」

「そうだな。騎士団の話では詳しくは訊けないし、本題に入ろうか」

 エイブラムはあっさりと話を変えた。


「まずは、航路を無料開放してくれたことに感謝を。おかげでミトレアにも、これまで以上に船が入港して来るようになった。貿易も活発になってきて、正直な話、我が領もますます潤うだろう」

「そうですか。おめでとうございます」

「ただ、他の領主が少々困惑しているようだ。――君の考えていることがよく分からない、とね」


 エイブラムは新たに注がれたワインのグラスを手に取る。一度中のワインを回すように揺らしてその香りを楽しんだ後、優雅な所作しょさで一口含んだ。

「……どういうことですか?」

「領主からの“心付け”を、ことごとく送り返したそうじゃないか」

「ああ……」

 アルヴィーは苦笑する。貴族社会の慣習に詳しいルーカスに手配を任せたので、手落ちはないはずだが、相手方にしてみればそうした品を送り返されるということがあまりないのかもしれない。

「元が田舎者なので。そういう慣習に馴染めないだけです」

「はは、そうなのか。いや、送り返された者が少々気を揉んでいてね。何か気を悪くさせるようなことを仕出かしただろうか、と」

「……沿岸のご領主って、大体伯爵位以上ですよね? 俺の機嫌なんか気にする必要ないんじゃ……」

「身分で言えばそうだがね。君の立場を考えたまえ」

 どこか楽しげに含み笑いを漏らし、エイブラムはまたワインを一口。


「大陸沿いの航路は、我々沿岸部に領地を持つ領主が、長年切望していたものだ。何しろ“霧の海域”があった頃は、海に大きなくさびを打ち込まれていたようなものだからね。だがそれが取り払われ、しかも航路の使用料も取らないという。とはいえ、それは君の思惑一つでいくらでも変わるものだ。どの領主も、そんな相手の機嫌を損ねたくはないさ」

「……ええー……」


 予想外に大事おおごとになっていた。アルヴィーは自分のことながらドン引きである。

「俺別に、航路を人質に取ろうなんて思ってないんですけど……」

「双方の考えが完全に一致することなど、そうそうないものさ。人間は自分の考え方でしか他人をはかれない。損得でものを考える人間は、他人の言動も損得でしか考えられないんだ」

「あ、そんな感じのこと、ル……クローネル伯爵にも言われました」

 ついでに、そういう連中は名前を覚えておいて後で良いように使え、と言われたことも思い出し、アルヴィーはちょっと遠い目になった。エイブラムが愉快そうに笑いを漏らす。

「なるほど、さすがはクローネル伯。まあ、彼はそういった人々の間を見事に渡りきって来た方だ。上手く利用する術も心得ておられる」

「俺はまったく心得ていませんが」

 アルヴィーが肩を竦めると、エイブラムは我慢しきれないように笑い出した。

「ははは! そういうことはうかつに他人に漏らすものではないよ。弱みになる」

「俺には弱みにはならないと思うんですけど……」

 思わずぼやくと、エイブラムの笑いが止まる。


「……確かにね。君はそういう些事さじを気にする必要はない立場だ。君を見ているとつくづく思うよ。――まるで、竜が好んで人に飼い馴らされているようだ、とね」


 とん、とワイングラスを置き、彼はテーブルの向こうからアルヴィーを見つめる。

「君が身のうちに竜を飼っている、というだけではなくてね。君はあまりに、自分の力や影響力の大きさに、無頓着に思えるよ。他の領主たちが気を揉んでいるのも、そういうところさ。君の思惑が読めないんだ」

「読むも読まないも……さっき言った通りですよ。俺は元々平民なんで、貴族の慣習にまだ付いていけてないだけです」

「それを信じる者は、そう多くないよ。少なくとも貴族の中にはね。何しろ深読みが好きな人種なんだ、貴族というのは。家格が上がれば、特に」

「……分かる気は、します」

 高位の貴族になればなるほど、権力や利を巡っての水面下の闘争も多いのだろう。アルヴィーにはまだとんと実感できない、遠い世界のような話だが。

「ふむ。そこが分かっているなら、まだ良いのだけどね」

 エイブラムはとりあえず納得したのだろう、肩を竦めて料理を勧めた。

「ま、食欲が失せそうな話はこのくらいにして、今は食事を楽しもう。せっかく我が家の料理人が腕を振るったのでね」

「……いただきます」

 小さく頷き、アルヴィーはその誘いに乗った。


 ――何とかテーブルマナーで恥をかくこともなく、使用人の給仕を受けながら食事を終えると、アルヴィーはエイブラムの勧めで二階のテラスに出た。今夜は月が出るため夜といっても明るいが、さらに市街地の方からも遠く切れ切れの音楽が伝わってくる。

「……おい」

 眺めるともなく眼下の庭を見ていると、背後から声がかかった。振り返ると、ウィリアムが眉間にしわを寄せた若者らしからぬ表情で立っている。

「あれ、ランドグレン伯爵は?」

「知らん。どうせまだ飲んでいるか、書斎にでもいるんだろう」

 素っ気なく言い捨て、ウィリアムはずかずかとテラスに出て来て、面白くもないという表情でアルヴィーに並ぶ。少し笑ってしまった。

「どういう風の吹き回しだよ。――ああ、伯爵に何か言われたのか?」

「うるさい!」

 どうやら図星のようだ。大方、将来のために交友を深めて来いとでも言われたのだろう。彼もまた、いずれ領地を受け継ぐ嫡子なのだから。


「……大変だよな、領地を継ぐって。領民の生活、全部背負うってことだもんな。ルシィも今、すげー勉強してる」


 自分には分からない、その重み。いずれ受け継ぐその重さを、彼らは今、知りつつある。知らなければならない。

「俺はそういうの全然分かんねーし、正直レクレウスにいた頃は、自分とこの領主とかどうでも良かったけどさ。だって、面倒見られた記憶って全然ないし。税はきっちり取られてたらしいけど、魔物とか出ても領主は何もしなかったし、俺たちは自分で自分を守ってた」

「……それは」

「辺境の小さい村なんて、大体そんなもんだから、俺たちもいちいち気にしてなかったんだけど。こっちもそんな感じなのか?」

「……領主による、としか言えんな。無論僕は、そのような無能な領主になる気はない」

「そっか」

 アルヴィーは空を見上げた。もちろんすでに日は沈み、夜と呼ぶべき時間帯になっているため、空は濃い藍色。満ち始めた月が地上を照らしてはいるが、時折雲が掛かって世界は暗くなる。

「いずれ家督かとくを継げば、僕の方が爵位が上だからな! 平伏ひれふさせてやるから、そのつもりでいろ!」

「どうかなー」

「何をー!?」


 ――やがて、彼やルシエルが家を継ぐ、その時まで。

 果たして自分は、自分でいられるだろうか。


 先の見えない未来を映し出したように、夜空の月はまた雲に隠れた。



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