第116話 変化
「……あー……ちょっと本気で死ぬかと思った……」
フォリーシュに再び森を介して空間を繋げて貰い、アルヴィーは無事王都ソーマに帰還した。シュリヴとの模擬戦のせいで身体中砂だらけだが、この際それは些細なことだ。何はともあれ五体満足で生きている。素晴らしい。
フォリーシュに礼を言って別れ、騎士団本部に戻ってパトリシアに預けておいたフラムを引き取ると、ジェラルドに事の推移を報告。マナンティアルやシュリヴとの模擬戦のくだりでは頭痛でも堪えているような顔をされたが、別にアルヴィーの方から持ち掛けたわけではなく、いわば不可抗力なので勘弁願いたいところだ。
「……まあいい。とりあえず、状態は落ち着いたんだな?」
「だいたい」
「そうか」
頷いて、ジェラルドは動物でも追い払うように手を振る。
「ま、落ち着いたんならそれでいい。――後は、薬学部の方にも報告入れとけよ。連中、今か今かと待ち構えてるぞ」
「げ……行きたくねー……」
げんなりと呻くが、今やポーション生産はほとんど国策だ。報告を入れないわけにはいかない。
そんなわけで、アルヴィーは足取りも重く王立魔法技術研究所薬学部に向かった。
「――おおおっ、お待ちしてました!」
「ささ、どうぞどうぞ!」
顔を出したが早いか拉致される勢いで引っ張り込まれ、オモチャを目の前にした子供の瞳で見つめられる。それにたじろぎながらもマナンティアルから聞いた地底湖の耐用年数を報告すると、一気にお祭り騒ぎになった。
「おおっ、ではすぐに枯渇する心配はないのですな!? それはめでたい!」
「ポーションの生産も捗りますね!」
研究員たちは今にも踊り出さんばかりだった。アルヴィーには報告以上の用はなかったようで、それ以降放っておいてくれたのは有難かったが。
しかし巻き込まれない内にさっさと離脱――しようと思ったら、小柄な初老女性、つまり主任のスーザン・キルドナに捕まってしまった。腕を掴まれ物理的に。
「おや、もう帰るのかい?」
「だって用事済んだし」
「まあちょいと見学でもして行きな。あの水がどうやってポーションに化けるのか、興味はないかい?」
そう言われると、確かにポーションを作る工程など知らないので、興味はあった。
「あー……確かに、どうやって作ってるのかは見てみたいかな」
「ひひひ、そうだろうそうだろう! わたしらにとっても自慢の最新設備だからねえ!」
スーザンはとても嬉しそうだった。どうも、自慢の最新設備とやらを見せびらかしたくて仕方ないらしい。部外者に見せびらかして良いのかと首を傾げたが、まあ原料の提供者ということで一応関係者には分類されるのだろうか。
彼女の案内を受けて、建物の奥へと進む。ちなみにフラムは、衛生上の理由とかでアルヴィーの肩の上から撤去され、ケージの中でお留守番だ。ついでにアルヴィー本人も、風魔法で身体中の砂を除去して貰った。
「――ほら、ここだよ」
やがてスーザンが足を止め、一際大きな扉を指差す。両開きのその扉の中央に、浮かび上がる魔法陣。スーザンが指輪をした手を伸ばして、それに何やら図形を描き足すように指を滑らせると、ほんの一瞬新たな紋様が浮かび上がってから扉が開いた。スーザン曰く、これは侵入防止のため新たに開発された術式で、通常表示されている魔法陣は実は不完全なものらしい。足りない部分を正確に描き足さないと、扉が開かないように術式が組まれているとのことだった。
「はー、すげーなあ」
「当たり前さね。ここは今や、国の最高機密だよ」
にやりと自慢げに笑い、スーザンは扉を開けてアルヴィーを招じ入れた。扉を潜り、アルヴィーはやや拍子抜けする。
「……あれ、まだ通路?」
「この先は増築した建物でね。元々は、さっきのところが突き当たりだったんだよ。あんたが見つけた湖の水を引くための転移陣を敷くのに、埃なんかが入らないように新しく建物を建てたんで、どうせならってことで通路造って繋げたのさ。王城みたいに地魔法の使い手があちこちにいりゃ、建物の一つや二つどうとでもなるからね」
通路といってもごく短く、すぐに二つ目の扉が見えてくる。やはり扉には魔法陣が浮かび上がっていた。スーザンが陣の一部を描き足し、扉を開く。
重さのせいか、きい、とわずかに軋みながら開いた扉の先の光景に、アルヴィーは思わず目を見張った。
「――うわ、すげえ……!」
まず目に飛び込んでくるのは、清らかな水が湛えられた大きな水盤だ。ちょうど水を引いているのか、底に敷かれた魔法陣が光を放ち、水面を美しく輝かせている。
その水は次々と汲み上げられ、奥の大きな円筒形の容器に投入されていた。よく見ると、同じような容器が他にもある。容器の中では何かを熱しているのか、白い湯気が景気良く立ち昇っていた。
「あれは?」
「攪拌用の魔動機器さ。あたしのレシピじゃ材料をそれなりの時間、一定の速度で攪拌しなきゃならなくてね。まあ、あれも予算の許す限りで組んだ試作品みたいなもんだから、生産数は今の量で精一杯。効率化が進んで生産数を増やすってことになれば、もっと予算も下りるだろうから、こいつも大型のものに替えないとねえ」
「へー……」
アルヴィーの目には充分大型に見えるが、スーザン曰くあれでも小さいらしい。
攪拌されたポーション液は、冷却を兼ねてそれぞれ種類ごとに沈殿槽に入れられ、さらに漉されて材料カスなどを綺麗に除去された後、小分けにして容器に詰められ、ようやく完成品となるのだそうだ。
「……薬学部って、何かすげーな……」
「何せ、国の魔法関連の発明は研究所に集積されるからねえ。――そうそう、発明で思い出したんだけど、ちょっとこの間小耳に挟んだんだがね。長距離転移陣を使った生命体の転移の実証実験が、そろそろ始まるらしいよ」
「長距離転移陣、か……」
アルヴィーにとっては、故郷が滅ぶ遠因ともなったそれの名を、複雑な心持ちで呟く。もちろん、それは当時の使用者が愚かであったがゆえの結果であり、転移陣自体は非常に有用な技術であることは分かっているのだが。
「まあ、転移魔法で人間だって転移できるんだから、転移陣が実用化されるのもすぐだろうね。そうなりゃ人や物の流れも変わる。あたしとしちゃ、国外から輸入してる貴重な薬種が安くなってくれりゃ有難いがね。今は運送の手間賃が高いんだよ」
「そっか……そういや、香辛料なんかもミトレアと王都じゃ、値段違うって聞いたもんな」
「そういうこった。――さ、もうそろそろ出るよ」
スーザンに促され、アルヴィーはポーション生産施設を後にした。
「――きゅーっ!!」
アルヴィーが戻るや否や、ケージでお留守番だったフラムが悲痛な鳴き声をあげた。ケージを開けて肩に乗っけてやると、猛烈な勢いで頭を飼い主の頬に擦り付ける。
すりすりすりすりと懐きまくるフラムを宥め、アルヴィーは薬学部を辞して帰路に着いた。
(――そっか、もうすぐ祭りなんだ)
街は《ヴァルティレアの祝祭》を前に、どこか華やかなざわめきで満ちているように感じられる。道行く人々――特に若い女性たちに、それは顕著だった。道が合流する広場には、櫓のようなものが組み立てられ、周囲の建物との間に明るい色合いの布が渡され始めている。人々の会話を拾い聞くと、どうやらこうした広場は祭りの期間中、即席のダンスホールになるらしい。
踊るのは貴族だけじゃないのか、と慄きながら、アルヴィーはそそくさとそこを離れた。
自宅に戻ると、いつもの通り執事のルーカスが迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ、ただいま」
最初はむず痒かった“旦那様”呼ばわりも、そろそろ慣れてきた。諦めたともいうが。
「何か変わったこと、あったか?」
「変わったことと申しますか……一件、招待状をお預かりしております」
「招待状? またルシィの親父さん――じゃなかった、クローネル伯爵からか?」
何しろ、社交方面が全滅のアルヴィーにそうした接触を図ってくるのは、彼くらいのものだ。今度もどうせそうだろうと思っていたのだが、ルーカスは首を横に振った。
「いえ。――ランドグレン伯爵家から、会食へのご招待でございます」
「……は?」
ランドグレン伯爵家、と繰り返し、何とか思い出す。同じく騎士団所属の、何かと突っ掛かってくるウィリアム・ヴァン・ランドグレンの生家だ。地元は港町ミトレア――とそこまで思い出して、目的も何となく分かったような気がした。
「ああ……ひょっとして、航路関係の用事かな」
「左様にございます。僭越ながら先に内容を確認させていただきましたが、伯爵閣下が所用で王都においでになるので、航路の一件への感謝も兼ねて食事にご招待したい、とのことでございました。日時は十日後の夕刻だそうでございます」
「十日後!? 意外と早いな……服って、騎士団の制服じゃ駄目だよな?」
「当然でございます。ご心配なく、以前の輝月夜のために礼装を誂えました際、こうした会食や茶会の時のための服も誂えさせていただきました。伯爵家との会食においても、格式上問題はないと存じます」
「……そっか。手回し良くて助かる……」
「恐縮でございます」
正直手回しが良過ぎて怖いが、間際に焦るよりはましだと思うことにした。それより、未だ怪しいテーブルマナーを、ルーカスに叩き込んで貰わなければならない。何せあと十日しかないのだ。
何だか今からすでに疲れた気分になって、アルヴィーは深々とため息をついた。
◇◇◇◇◇
サングリアム公国――否、クレメンタイン帝国サングリアム領の南部一帯に広がる広大な樹海、《神樹の森》。先だって起こった森林火災で一部が灰にはなったが、それは本当にごく一部で、今なお大陸で最も広大な樹海であることには変わりない。
その外縁部に、小さな村があった。
この村の中でも一握りの人間は代々、《神樹の森》の森に分け入ることができた。彼らはかつて、その能力をもってサングリアム公爵、ひいてはクレメンタイン帝国に仕え、森からポーションの原料を採取して暮らしていたのだ。
帝国が滅び、サングリアム公爵が大公となって国を興してからは、彼らの主はサングリアム公国となった。しかし役目自体は変わらず引き継がれ、彼らは森に入り続けていたのである。
だが――この日、彼らはかつての主の手の者によって、その役目を終えようとしていた。
「――ふん、やはりこんな小さな村ではな。張り合いがない」
村唯一の広場に傲然と立ち、ラドヴァンはひとりごちた。くすんだ金髪を風に揺らしながら、村をぐるりと見渡す。
広場の周辺に建ち並んだ家屋は、無残なまでに破壊されていた。それを為した“犯人”は、ラドヴァンの背後に控えるようにその巨躯を屈めている。
それは、何種類もの動物を無造作に捏ね合わせたような、何とも形容し難く醜悪な容貌をしていた。
厚く固そうな獣皮に鱗や羽毛が無秩序に生え並び、手足は合計で八本を数える。その内の一対は鳥の足のような形をしており、村人と思しき骸を掴んでいた。長い尾はびっしりと鱗と棘に覆われて、振り回せば家の一軒や二軒は簡単に破壊できそうだ。
そして最も醜悪な顔――それは頭部の前後に一つずつ。前方の顔は狼に似ているが首の辺りは鱗に覆われ、半開きの口からだらりと舌を垂らしている。一方、後ろの顔は白目と歯を剥き出しにした猿のようだった。
無論、死霊術士たるラドヴァンが従える以上、それが生物であろうはずがない。これはラドヴァンが魔物の骸を解体して使えそうな部分を継ぎ合わせ、仮初めの魂を宿したものに過ぎなかった。
“合成屍獣”。
それが、ラドヴァンがこの忌まわしき獣に付けた名だ。
ぼたり、と狼の口から濁った汁が落ち、異臭を放って地面を汚した。
「ふむ……できるだけ状態が良いのを選んだつもりだったが、どこかに損傷でもあったか。腐り出すと早いからな……」
ラドヴァンはそう呟くと、愛用の杖を翳し、低く詠唱を始めた。すると合成屍獣の全身に、縫い目のような線が蒼黒く浮かび上がる。ラドヴァンが詠唱を終えて杖を振ると、ばちん、という小さな音と共に、合成屍獣がバラバラに分解されて崩れ落ちた。
肉塊がぐちゃり、と気味の悪い音を立てて転がり、どす黒い色の血が飛び散る。ラドヴァンは肩を竦め、再び周囲に目をやった。破壊された家屋の周辺、あるいは広場に点々と転がる骸。少し前まで、村人であったもの。
その内の一体を足先でつつき、状態を確かめる。合成屍獣の尻尾の一振りで背骨を叩き折られたのか、身体が折れてはいけない部分で折れ曲がっていたが、それを除けば状態そのものは悪くない。
「……使えるところだけ他の死体と繋げば良いか」
ごそごそと懐を探り、片手に収まるサイズの箱を取り出す。魔法式収納庫と同じ機能を持つもので、制限はあるものの大量の物資を収めることができる。もっとも、ラドヴァンはもっぱら死体の収容にしか使っていなかったが。
だが、彼が目ぼしい死体を箱に入れていると、不意に甲高い声が響いた。
「――やだ、何これ気持ち悪い! 《竜の咆哮》!」
ほぼ同時に天から撃ち下ろされた光芒が合成屍獣の成れの果てに突き刺さり、肉塊を吹き飛ばした。燃える、だのという生易しい次元ではなく、正しく爆発だ。直撃を受けた辺りなどは、あまりの高温により蒸発していた。
「……いきなり何だ」
じとりと頭上を睨め上げると、まだしも形を保つ家の屋根、長い髪と上着の裾をなびかせて立つメリエが、何とも嫌そうな顔でこちらを見下ろしていた。
「そんなの放っておかないでよ。臭いし見た目もエグいし、最悪」
吐き捨てて、彼女は猫のように身軽に飛び下りてくると、胡乱な目で先ほど自分が吹き飛ばした辺りを見やる。
「……で、何なの? あの気色悪いの」
「新しく開発した合成屍獣だ。おまえたち――いや、おまえは基本、吹き飛ばすだけだったな。あの人型合成獣の小僧が量産した死体を使っているんだが、組み合わせによって性能が違ってくるもので、なかなか研究のし甲斐がある」
「げー……あんたやっぱ変態だわ……」
げんなりと呻き、メリエは処置なしとばかりにため息をついた。
「そんなもんばっか研究してるから、根暗になるのよ、あんた」
「何か問題があるのか?」
「あー……そうね。あんたにそういうこと言っても無駄だって、忘れてたわ」
かぶりを振って、メリエは話を変えることにした。
「……にしても、あんたも結構派手にやんのねえ。皆殺しもいいとこじゃん」
周囲を見渡して、彼女は楽しげにその菫色の瞳をきらめかせる。ラドヴァンは顎をしゃくって、合成屍獣だったものを示した。
「大体はあれの仕業だ。俺は基本、自分では戦わん。何のために死体など操っていると思っているんだ」
「……そういやあんた、後ろで高みの見物がお決まりだっけ」
「人には向き不向きというものがある」
説得力のある台詞に、メリエも納得するしかなかった。
「……まあいいわ。で? 何でまた、こんなちっぽけな村なんか潰しに掛かったわけ?」
「あの女帝は、サングリアムのポーションを完全にこの世から消し去るつもりらしいな。レシピもだが、何より原料の入手経路を確実に潰しておきたいようだ。別に村を潰せさえすれば、誰が出ようと構わなかったようだが。ちょうど俺も、合成屍獣を実際に運用してみたかったところだった」
「ふうん」
「おまえの方こそ、なぜここにいる。この村の始末は、俺一人に任されたはずだが」
「暇潰しよ。宮殿にいたって、やることなんかないんだもの」
メリエは戦闘形態にした左腕を軽く振る。迸った光芒が一直線に大地を薙ぎ、倒壊しかかった家屋と村人の骸をまとめて吹き飛ばした。
「……おい、せっかくの材料を」
「いいでしょ、ちょっとくらい。まだ一杯あるんだから。――左腕に竜の肉を足してからこっち、こうして時々力を使ってやらないと、まだ腕が疼いてしょうがないのよ。鬱陶しいけど、馴染むまでは仕方ないってシアが言うから」
左手を握り締めると、ぎちり、と鱗が軋む。
その感触に小さく舌打ちし、メリエは破壊し尽くされた村を眺めた。
――俺の村はさ。辺境の森の中の、ほんと小さな村だったんだ。
ふ、と。
アルヴィーの声が蘇った。
(そういえば……アルヴィーは自分の村が魔物に滅ぼされて、その原因を探るために軍に志願したんだっけ)
同じ《擬竜兵》として行動を共にし始めてから、少し経った頃。何の話をしていたのかはもう覚えていないが、仲間内で雑談をしていた時に、アルヴィーがぽつりとそう言ったのだ。
辺境にはよくある、名もないような小さな村。畑を耕し、獣を狩って日々の糧を得、年に一度の収穫祭を楽しみにする、そんな村。
もちろん、メリエは話に聞いただけで、実際に見たわけではない。彼女自身の出身は地方都市で、《擬竜兵》になるまでは街の外に出たことすらなかったような娘だった。
だが、今こうして眺めるちっぽけな村は、不思議なほどにアルヴィーから聞いた彼の故郷の村に重なった。
(……アルヴィーも、こんな村に住んでたのかな)
ふらりと、誘われるように歩き出す。その辺の家の影からひょこりと、幼かった頃の彼が顔を出すような気がして。
(そうしたら、捕まえて連れて帰ってあげるのになあ)
あり得ない空想に耽りながら、メリエはふらふらと倒壊しかけた家の間を練り歩いた。
「……う、ぅ……」
と、かすかな呻き声を聞いた気がして、彼女は足を止める。きょろきょろと視線を巡らせた先、崩れた木材と土壁の下から覗く、小さな手に気付いた。
「あれ、まだ生き残りいるんじゃん」
屈み込んで覗いてみると、どうやら瓦礫同士の隙間に挟まれているらしい、十歳そこそこの少年。その瞳が、光の加減かわずかに紅く見えて、メリエは少し興味を惹かれた。
にんまりと笑い、メリエは左手で瓦礫を押し上げると、右手で少年の手を掴み引っ張り出す。
「――ひっ……!」
だが助け出された少年は、彼女の異形の左腕を見て、顔をこわばらせ引きつった悲鳴をあげた。じたばたともがく。
「は、放せ、バケモノっ……!」
「……ふうん」
す、とメリエの瞳がすがめられた。
持ち上げた瓦礫を放り出すと、少年の瞳を覗き込む。朱金ではなく、赤みの混じった茶色だった。髪も茶色。一瞬思い描いた“彼”とは、似ても似つかないそばかすだらけの顔つき。
何より、メリエを化物と呼び本気で怯えるその様が、彼女を酷く苛立たせた。
――“彼”なら、そんな無様な姿は見せないのに。
「鬱陶しいなあ。ちょっと黙りなさいよ」
メリエは無造作に、少年の首を左手で掴んだ。
――ごきん。
「……あ、ちょっと力入れ過ぎちゃった? ま、いっか」
どうやら苛立つあまり、力加減を間違えてしまったらしい。鈍い音と手応えと共に、少年の頭が折れてはいけない角度にまで項垂れた。だが所詮、名前も知らない相手だ。彼女はその一言で少年の命を片付けると、首を鷲掴みにしたままラドヴァンのところへ戻った。
「――ねえ、さっき間違って殺しちゃったけど、これ要る?」
「子供か。子供は材料にするにしても脆いし、魂も扱い難い。要らんな」
「そ」
小さく呟き、メリエは左手に炎を纏わせる。少年の身体があっという間に炎に包まれた。それを無造作に放り捨てると、彼女はもはや一瞥もなく歩き出す。
「――やっぱ、あたしの火でも死なないような男がいいなあ」
うっとりとそう呟くと、メリエはどこか恍惚とした笑みを浮かべた。
◇◇◇◇◇
地響きのような重々しい音が地面を震わせ、森に住む獣たちはいち早く警戒してさらに深部へと逃げ込む。だが、一部の獣――人間たちには魔物と呼ばれる類のものたちは逆に、その音に闘争本能を刺激されて音源を求め森を駆けた。
そして――目指した先にいた“人間”に襲い掛かり、次々と命を落としていく。
「――日が落ちた。今日はここまでか」
そう呟き、アズーラは魔物を斬り捨てたばかりの剣を丁寧に布で拭った。
人造人間たちの中でもやや小柄な体格をしている彼は、だがその剣技において、女帝レティーシャの騎士であるダンテに認められた存在でもあった。その実績をもって街道建設工事東方面の監督を務める彼は、同時に工事に携わる人造人間たちの護衛役も兼ねる。すでにこうした魔物や、領内に未だうごめく無頼の輩などを斬り捨てた回数は、片手の指では足りなかった。そろそろ両手の指でも足りなくなりそうだ。
剣を鞘に納めたアズーラは、支給されている魔法式収納庫から拍車を取り出し、踵の部分に装着した。そして地面を蹴ると、虚空を踏み台に空中へと駆け上がる。魔力を流すことで空中を歩けるマジックアイテムだ。
彼は歩き続ける魔動巨人の背中まで難なく駆け上がると、人間の項に当たる部分に刺さった部品を抜いた。途端に、魔動巨人は動きを止め、その場に片膝をついた姿勢になって静止する。同じことを魔動巨人の数と同じ回数だけ繰り返し、最終的にアズーラの手には大きな鍵のような形をした部品が残った。
それは文字通り、魔動巨人の“鍵”だ。これを所定の位置に挿し込んで回すことで、魔動巨人の動きを統括する術式回路への魔力供給ラインが繋がり、魔動巨人が稼働する。従来のものでは操作術者が担当していたその働きを、こうして部品に置き換えることで、帝国の魔動巨人は少人数で多くの機体を運用することが可能となった。もちろん、他国には真似できない帝国の最先端技術だ。
アズーラはそれを魔法式収納庫に仕舞うと、魔動巨人に括り付けておいた鹿や兎といった動物の肉を下ろした。襲撃してきた魔物などを倒す際、巻き添えで殺めてしまったものだ。人造人間特有の膨大な知識により、それが食肉になりうる生物と気付いた彼は、食料として持ち運ぶことにしたのだった。
生まれた時から頭の中にあった知識に従ってそれらを解体し、皮と肉と内臓・骨に選り分ける。肉は食事に供し、内臓と骨は捨てるとして、さて皮はどうするべきか。彼らは自分たちの創造主によって充分な装備を与えられており、今さら動物の皮を着衣にする理由もない。少し考え、とりあえず魔法式収納庫に入れた。
――“考える”。
それは、ここ最近アズーラの行動様式に加わった項目だ。
(獣の皮は着衣になりうる……それは知識にある。だが、俺には必要ないものだろう。ただし、他の人間が必要とする場合もあるという仮定は考慮に値する……)
まったくの無表情で解体から選別までを流れるようにこなすアズーラに、人間の人夫たちは薄気味悪いものでも感じたがやや遠巻きだったが、解体を終えてごろりと転がった大ぶりの肉の塊には歓声をあげた。
「おお、こいつは大物だな! 焼いて食うか!」
「おい誰か、ハーブの一つも探して来いや」
「くーっ、酒が恋しいぜ!」
「ああ、おいそこの兄ちゃんよ。魔法でパパッと、竈の一つも造ってくれや」
知識は膨大でも、与えられた命令以外のことについてはまだ反応が薄い人造人間たちに、人夫たちが好き勝手に指示を出す。人造人間たちは戸惑いながらも、何となくそれに従って動き出した。地魔法を使って、肉を焼くための簡素な竈を作成したり、水魔法で飲み水を出す者もいる。手近な木の枝を落として薪を作り、竈に詰めて火を点け肉を焼き始めると、やがて漂う香ばしい良い匂い。竈の火を焚き火代わりに、彼らは車座になって騒ぎ出した。
「やっぱり酒が欲しいな。おい、誰か持ってねえか?」
「ほれ、兄ちゃんも食いな。良い具合に焼けたぜ」
周囲を警戒していたアズーラもその輪に引っ張り込まれ、程良く焼けた肉を食べさせられる。酒など一滴も入っていないのに酔っ払いのような言動の人夫たちに、アズーラは眉を寄せた。
「……こんなことをしていて、他の獣や盗賊のような連中に襲われないのか?」
「そうなったら兄ちゃんが何とかしてくれるんだろ。ほれ、飲め飲め。こっそり持って来たとっておきだぜ!」
「人間、開き直りってもんも肝心よ! はははぁ!」
どこまでも楽天的な人夫たちに、アズーラはやや混乱しながら回ってきた水筒を受け取る。
(……これが“人間”? 良く理解できない……人間は、自分の身の危険にそれなりに敏感な生物のはずだが、この男たちはそんなことを考えてもいないようだ)
生まれ持った知識の中にある“人間”と、実際に触れた“人間”の違いに驚愕しつつ、アズーラは水筒を傾けて中身を喉に流し込んだ。
――どうやら酔っ払いのように騒ぐ者の中には、本物の酔っ払いがいくらか混ざっているらしい。水筒の中身は酒だった。アズーラはもちろんこの程度で酔いはしないが、腹の底が少し熱くなるのを感じる。
促されるままに水筒を次の者に渡すと、笑い声と共に肩を叩かれた。
「同じ飯を食って、同じ酒を回し飲みして、これで俺たちは兄弟ってやつだぜ、なあ?」
もちろん、アズーラの知識はそれを否定する。同じものを飲食した程度で、血縁関係などは生まれない。
だが、なぜかそう口に出すのも憚られて、彼は無言のまま魔法で出した飲み水を呷るのだった。




