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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十五章 人間たる証明
115/136

第114話 境界を歩む

 貴族にはさほど関係のない、《ヴァルティレアの祝祭》。

 しかしそれは、平民のうら若い女性たちにとっては、まさに年に一度の戦場だった。


「――ねえ、この布いいわね! 綺麗な色!」

「あら、このリボン素敵! 一ついただける?」

「ちょっと、その生地わたしが先に買おうとしたのよ!」

「まあ、言い掛かりだわ!」


 布地を扱う店の軒先、かしましいざわめきを聞き流しつつ、シャーロットはため息をつく。

「……今年ももうそんな時期なんですねえ」

「あら、シャーロットは新しく服、作らないの?」

「そもそも、祝祭に参加する気はありませんので」

 女性たちが主役だからといって、別に強制参加ではないのだ。その気がなければはたから見ていても一向に構わないのである。

「それに、今は巡回中ですよ」

 シャーロットの突っ込みも、しかしジーンはものともせずに、

「あら、ちゃんと巡回してるわよ。ほら、あそこなんて今にも一触即発」

 一枚の生地を巡ってギリギリと凄まじい形相でにらみ合う女性たちに、女性陣はため息をつき、実は同行していた男性陣は戦慄した。


「……こ、怖ぇ……」

「あの色、今年の流行ですものねえ。染色が難しいらしくて、なかなか入荷しないみたいなのよ」

「いや、それにしても布一枚であの形相はねえだろ……」

「あら、女心が分かってないわね。年に一度の祝祭なのよ? 目当ての男がいるんなら、ここぞとばかりに張り込んで当然じゃない」

「その目当ての男に見られたら、一気にドン引かれそうだけどな……」


 歓楽街を自宅の庭のごとく歩き回るカイルが、遥か彼方を見る目で突っ込んだ。

「祝祭の間は、家に引っ込んでんのが無難かなあ……」

「あれ、“そういう”店に行くんじゃないの?」

「この時期にそっち行くと、身が持たねえんだよ……」

 げんなりと肩を落とすカイルに、だが同情の声はなかった。普段の生活態度の賜物だ。

「もういっそ、この機会に良い相手を見つけて身を固めたらどうだ」

「俺はまだ自由恋愛を楽しみたいんだよ! いいよなあ既婚者はこの時期、うるさくなくてさあ」

「早めに覚悟を決めんからだ」

 しかつめらしくカイルに苦言をていする小隊唯一の既婚者・ディラークだったが、


「……あ、そういえばディラークさんのとこって、娘さんいませんでしたっけ」

「ああ、そういえばいたよね。確か今三歳だっけ?」

「あらー、じゃああと十年もすれば、祝祭の主役じゃなぁい」

「やめろ……考えないようにしているんだ……」


 隊員たちによって軌道を変えた流れ弾に被弾して項垂うなだれた。世の大抵の父親と同じく、彼もまた娘を深く愛している。いずれ恋人ができるであろうことももちろん分かってはいるが、せめてその日が一日でも遅くあれと願うのは無理からぬことだった。

「……とりあえず、巡回終わらせない……?」

「そうだな。仕事が終われば後は、買い物なり何なり好きに行動すれば良い」

 と、今まで黙って傍観していたユナが至極もっともな意見を提唱し、ルシエルがそう纏めて、小隊は巡回を再開した。買い物にヒートアップして小競り合いを起こしかけた客を割って入ってなだめたり、祝祭前で浮ついた空気に乗せられて女性にしつこく絡む男をいさめたりと、犯罪にまでは至らないものの放っておくと厄介な事態になりそうな芽を潰していく。これも立派な治安維持活動だ。というか、いくら王都といえどそう毎日凶悪犯罪など起きないので、事件に繋がりかねない揉め事を小さい騒ぎの内に処理するのが、実は重要だったりする。

 そんな巡回もまず無難に終わり、所定のルートを回り終えた第一二一魔法騎士小隊は、いつも通り騎士団本部に戻って報告を済ませると解散した。


「――よっし、じゃあ服でも見に行きましょ! ほら、シャーロットも」

「いえ、わたしは結構ですので、ジーンさんどうぞ自分の分を見立てて来てください」

「何言ってるのよ、年に一度の祝祭よ? 楽しまなきゃ損じゃない」

「ロット、せっかくだし行ってみよう?」


 女性陣に半ば引っ張られるように、シャーロットも服飾店に連れて行かれる。

 ――服飾店というと貴族や、平民の中でも富裕層に当たる人々にしか縁がないと思われがちだが、王都には一般庶民向けの服飾店も存在した。まあ、それでも相応に値段は張るのだが、彼女たちは騎士団に所属し、平民層のしかも女性としては収入がある方だ。少し奮発すれば、お針子がしっかりと縫製をした、なかなか良い服が手に入る。器用な女性ならば生地だけ買って自分で縫製もできるのだが、生憎あいにく彼女たちにはそんな時間はなく、ついでに約一名には裁縫の腕もなかった。それはもう絶望的に。


 閑話休題。


 ともあれそれらの理由により、彼女たちは手っ取り早く、服飾店で祝祭用の服を見繕うことにしたのである。

 店内には色とりどりの服が並び、やはり同じようなことを考えたらしい若い女性たちで盛況だった。中には見た顔もある。同じく騎士団所属の女性騎士なのだろう。ファルレアン王国は他国に比べ、手に職を持つ女性が多い。

 だがそんな自立した女性たちも、間近に迫った《ヴァルティレアの祝祭》には心が躍るようで、服を見立てる目も真剣だった。シャーロットたちも次第に、その空気に呑まれていく。


「――あ、あたしこれにするわ。シャーロットは、これなんか良くない?」

「ロットには、こっちの方が合うと思うの」

「あー確かに、そっちの方が良いわね……ユナ、あなたこれなんかどう?」

「あ、可愛い」


 ジーンが自分用にと目を付けたのは、明るいブルーのシンプルなロングドレスだ。それにベージュのショールを合わせ、ブローチで留めれば華やかな印象になる。

 ユナがシャーロットに見立てたのは薄紫のワンピース。袖や裾、襟元には黒の飾り布があしらわれ、甘くなり過ぎないデザインだった。そのユナが確保したピンクのワンピースは、チョコレートブラウンの飾り布とリボンがアクセントだ。

 《ヴァルティレアの祝祭》の期間中は毎日、夕方に広場がちょっとしたダンス会場になる。期間中に成立したカップルがそこで踊るのだ。無論、舞踏会バルのような絢爛けんらんなものではなく、収穫祭で踊られるような簡単なものだが、着飾ってダンスを踊るなどという経験は滅多にあるものではなく、平民の若者たちにとっては充分に華やかな体験だった。

 三人には今のところダンスを踊るような相手はいないが、街中の若い女性が気合を入れて着飾るのだ。乗り遅れたくない乙女心というやつである。

 そんなわけで、そこそこ値の張る外出着を購入した三人は、流れでそのまま近くの紅茶専門店に入った。茶葉を扱う他、店内で紅茶や茶菓子を楽しめる店だ。

 早々にテーブルを確保し、ジーンがシャーロットを見てにんまりと笑った。


「……で、どうするの? 今度の祝祭」

「だから……わたしは別に参加しなくても、」

「せっかく服も買ったのに?」

「大丈夫よ、確かに《ヴァルティレアの祝祭》は平民のお祭りだけど、貴族にもお忍びで覗きに行く人はいるって話じゃない。特に下級貴族の子息には多いんですって。あの子(アルヴィー)だって、こういうお祭りは好きそうだし、誘えば来るかもしれないわよ?」

「……内容を聞いたらむしろ、家に引きこもりそうな気もしますが……」


 シャーロットのとてもあり得そうな一言に、祝祭に勧誘していたジーンやユナも遠い目になる。

「……そもそも彼はもう、その辺の平民の女性と付き合って良い人じゃなくなってるんですよ。高位元素魔法士ハイエレメンタラーで爵位持ち。――生粋の貴族だって、ご令嬢をお嫁入りさせたいお家はいくつもあります」

「まあねー……そう言っちゃえばそれまでなんだけど。でも、シャーロットはそれで良いの?」

 問われて、目を伏せる。


 ――人間ひととそうでない存在もの、生と死。

 それらの境界線上を危うい均衡で歩く彼を、どうにか“こちら側”に引き留めたいと願う想い。

 その名前を、彼女はもう知っている。


 ……そしてそれは、もうおいそれと口に出して良いものではないことも。


「……わたしは、」

 顔を上げ、微笑む。どうということもないのだと、告げるように。


「わたしたちの間にはもう、境界線があるんです。――彼は気軽にそれを飛び越えて来るけれど、わたしは向こうには行けませんから」


 そのどこか諦めたような笑みに、ジーンとユナが言葉を失くした時、シャーロットは席を立つ。

「せっかく誘っていただいたのにすみませんが、わたしはこれで失礼しますね。では」

「ロット」

 呼び止めるユナの声も空しく、シャーロットは店を出て行ってしまう。まだ注文前だったので別段支障はないが、残された二人は何とも後味の悪い思いでそれを見送った。

「……ねえ、ジーン」

 だが、さすがに付き合いが長いだけあって、ユナはすぐに立ち直り、ジーンをその赤紫色の瞳でひたと見つめる。


「わたし、考えてることがあるの。――協力してくれる?」



 ◇◇◇◇◇



 物心付いた時から、生よりも死に心惹かれていた。

 賑やかな街中よりも静謐せいひつな墓地を好み、道端に転がって息絶えた浮浪者を飽くことなく見つめ続けていた少年は、割と早くから対人関係において重大な支障をきたしていたが、彼自身にとってそれは些末さまつなことでしかなかった。そんな彼が、死霊術ネクロマンシーと呼ばれる術体系に行き着いてしまったのは、もう半ば必然だったといえよう。

 死者の魂を操り、生ける屍を創り出す術は、死に魅了された少年をとりこにするには充分だった。


『――小僧。貴様、わしの跡を継がんか』


 生きながらにして死に惹かれる少年を見出して弟子としたのは、同じく死に惹かれたもう老齢の死霊術士ネクロマンサーだった。

 その時代、すでに死霊術ネクロマンシーは禁術とされており、好きこのんでそれをおさめたがる魔法士などいない。その術士も、自身の持つ知識や術が自分の代で途切れることを、半ば諦めと共に受け入れかけていたのだという。

 だが彼は、もう老境に達したその時に、それらを受け継がせるに足る存在を見出すという幸運に恵まれたのだ。

 少年は師によって手塩にかけて育てられ、その知識や技術を貪欲どんよくに吸収していった。師弟は主に戦場を巡り、志半ばでたおれた者たちを屍兵となして操り、一種の傭兵のようなことをして、金と経験を稼いでいた。雇う側としても、生理的な嫌悪や気味悪さにさえ目をつぶれば、それ以上死ぬこともなく補給も要らず、捨て駒にしても気兼ねのない屍の兵士は、魅力的な戦力だったのだ。

 そうして、いくつかの戦場を屍兵で蹂躙じゅうりんし、彼は“その国”に足を踏み入れた。


「――ラドヴァン」


 かつん、と暗い空間にこだまする足音。ゆったりとした足どりで階段を下りてくるその主を、彼は知っている。

「……皇女、いや、皇帝陛下と呼ぶべきか。こんな陰気な場所に足を運ぶ暇があるのか?」

「あら、時間というのは空くものではなく、空けるものですのよ? 一応、仕事量の管理はやっておりますわ」

 ラドヴァンの城である部屋を眺めつつ、レティーシャは苦笑した。

「それにしても、よくこんな薄暗いところに日がな一日篭もっていられますわね。普通、人間はある程度の日光を浴びなければ、体調を崩すものですのよ?」

 階上の部屋はまだ小さいながら窓もあるが、ここは地下であるがゆえにそれすらない。明かりを灯さなければ完全な闇だ。だがラドヴァンには、それこそが心地良い。

 レティーシャの忠告にも聞こえる揶揄やゆに、ラドヴァンはふんと鼻を鳴らすことで答えた。


「何を“人間”のようなことを言っている。俺たちが“そんなもの”じゃないのは、そっちだって分かっているだろう」

「……そうですわね」


 小さく息をつき、レティーシャは長い髪を軽く払う。いかにも陰鬱いんうつだと言いたげな顔をして、それでも彼女は時折ここに足を運ぶのだ。

「しかしまあ、飽きないものだ。こんな、俺以外には面白くもない場所に」

「……ここは、わたくしが知る中で最も“死”に近い場所ですもの。墓標だけしかない墓地などより、ずっと」

 窓のない暗い部屋は、死者を安置する玄室げんしつを思わせる。ひんやりとした静かな空気、床に転がる白骨。どこまでも生の気配から遠いここは、確かに最も“死”に近い場所なのだろう。


「――ここは、わたくしが忘れて久しいものを、思い出させてくれるのですわ」


 ささやくようなレティーシャの言葉に、ラドヴァンは肩をすくめる。

「難儀なものだな」

「ええ、本当に」

 彼女は小さく笑う。いつもの、柔らかく隙のない笑みではなく、自嘲するような苦い笑みだった。


「……不要な記憶ばかり増えて、覚えていたいことほど埋もれてしまう」


 そう言い捨てて、レティーシャは身をひるがえした。

「――それはそうと、近頃はまた魔物のむくろを集めているそうですわね。今度は何を創るつもりですの?」

「暇を持て余しているからな。あれこれ試しているだけだ。――何しろ、帝都周辺の魔物はすべて片付けさせられたものでな」

「それは申し訳ありませんでしたけれど、この帝都クレメティーラには国中から人が集まって参りますのよ? 帝都の民になろうという人々が、動く死体の餌食えじきになってしまうのは困りますわ」

「……本当に、帝都を復興させるのか」

 ラドヴァンにとっては、少し意外だった。眼前の彼女もまた、自分と意味合いは違えど、静寂を好んでいると思っていたから。

 だが、彼女は笑う。


「ええ。帝都だけではなく、この帝国そのものを。そうして再び、この大陸の支配を――」

「嘘だな」


 斬り付けるようなラドヴァンの一言に、レティーシャはうたうようにつむいでいた言葉を切った。

「そんなもの、最初からどうだって良かっただろう。百年前から」

「……そうでしたわね。あなたとはあの頃からの付き合いだった」

 振り返った彼女の表情は、意外にも穏やかだ。ただ、その群青の瞳にどんな感情が潜んでいるのかは、部屋が薄暗いせいもあって読み取れない。

「あなたには感謝していますのよ? 今のわたくしたちは、あなたのその技術あってこそですもの」

「そのための対価だろう? あの時、牢に繋がれていた俺を引き取ったのは」


 思い出す。

 屍兵を操って戦場を踏破し、足を踏み入れたこの国で、ラドヴァンは師を失った。老衰だ。弟子を取った時点ですでに老境に達していた師の命は、もう残り少なくなっていたのだろう。死霊を操り屍兵を率いた老人は、思いがけないほど穏やかに、寄り添い続けた死の世界へと去って行き――彼の魂を、ラドヴァンは操ることもなくただ見送った。

 そうして生の世界に残されたラドヴァンは、しかし程なく、少々派手に暴れ過ぎて縄を受ける羽目に陥った。大抵の国で禁術とされている死霊術ネクロマンシーは、戦争などのようなよほどの非常時でない限り、実際の使用はおろか研究だけでも処罰の対象となる場合がほとんどである。師が生きていた頃は、ともすればのめり込みがちなラドヴァンを上手く諫めていたのだが、その師を失い、たがが外れたのだ。

 彼はあえなく捕らえられて牢に収監され、処罰を待つばかりの身となっていたのだが――。


『――ねえ、あなた。死霊術ネクロマンシーを扱えるというのは、本当ですの?』


 薄暗い牢の中、弱い光にもきらめく銀の髪を持つ少女が、鉄格子越しに微笑んだ時。

 彼の運命は、もう一度変わり始めたのだ。


「……まあ、こっちとしても悪い生活じゃない。ねぐらや食事の心配をせず、好きなだけ研究に打ち込めるからな。だが……」

「何か?」

「……いや」

 かぶりを振り、ラドヴァンは階段の方を指差した。

「気分転換ならもう良いだろう。出口はそっちだ」

「相変わらず、つれないこと」

 自分を追い出しに掛かるラドヴァンに気分を害した様子もなく、レティーシャは小さく笑うと、今度こそ階段を上って行った。扉が開き、閉まる音。

 だが静寂が戻って程なく、また別の足音が聞こえてきた。


「――やあ」

「今度はおまえか。まったく、良く似た主従だな。それにしても、主と別行動とは、どういう風の吹き回しだ」


 呆れたようなラドヴァンの声に、足音の主――ダンテは肩を竦める。

「我が君にも、お一人でおられる時間は必要さ。僕にだってそういう時はある。それに、ここで身の危険の心配は要らないだろう」

 この《薔薇宮ローズ・パレス》は、いわば聖域。彼女の居城たるここには、彼女に危害を加える――否、“加えられる”ものは存在しない。


「後は……時々は“死”を感じていないと、剣が鈍る」


 うっそりと、その唇が笑みを形作った。

 ダンテは、騎士であると同時に剣士だ。一振りの剣だけをたのみに、生と死の境界を歩む者。

 間近に“死”を感じてこそ、そのあぎとから逃れるために感覚と技が研ぎ澄まされ、さらなる高みへと手が届く。

「……俺には理解できん連中だな、剣士というのは」

さがというものさ、仕方ない」

 ひょいと肩を竦め、ダンテは足下に目を落とす。そこに転がる白骨に、ため息をついた。

「……そっちこそ、こんなものをその辺に転がすのは止めておいてくれないか」

「使いたくなったら術を掛けて動かす。別に放っておいたところで文句など言わんさ、死体だからな」

「だから、使い勝手じゃなく見た目の問題なんだけど……そりゃ僕だって人は斬るけど、死体をこんなぞんざいに扱った覚えは……いや、まったくないとは言わないけど」

 何やらぶつくさ言っているダンテは無視して、ラドヴァンは先ほどまで行っていた作業を再開する。資料の整理だ。ここにいると研究が進むのは良いが、その分彼自身が注意点や変更点を書き留めることも多く、そうした紙片の量が馬鹿にならなくなってきたので、こうして時々整理しているのだ。ちなみに彼は、白骨死体をその辺に放り出すことはよくあるが、別に整理整頓ができないわけではない。

 その外見や性格からは想像もできないほど、まめまめしく整理にいそしむラドヴァンに、ダンテは意外そうな表情になった。

「……片付けとか、するんだね……」

「俺を何だと思っているんだ」

「いやだって、そこの白骨……」

 まだ何か言いたそうだったが、諦めたように口を閉ざすダンテ。無駄なことはすまいとさっさと見切りを付ける潔さは、さすが一瞬の判断が明暗を分ける剣の道にある者というべきか。

「……まあいいや。僕もそろそろ行くよ」

 レティーシャの護衛という本来の仕事に戻るべく、ダンテはきびすを返して階段を上りかける。だが一段目に足を掛けたところでふと、振り向いた。


「そうだ。――やっぱりたまには、外に出た方が良いよ」

「興味はないな」

「そう言わずにさ。生きている人間を、もっとたくさん見た方が良い。――そうすればその分、“死”が際立つだろう?」


 口元だけの笑みを残して階段を上り、地上へと消えていったダンテを何となく見送ると、ラドヴァンは止めていた整理の手を再開した。

(……一理あるかもしれんな)

 今度どこかで魔物の死体でも暴れさせてみるかと、物騒なことを考えながら。



 ◇◇◇◇◇



 地上遥かな高み、澄んだ空気を切り裂いて響く咆哮。

 風に乗るように翼を広げ、襲い掛かってきた若い火竜を、余裕を持ってかわす。苛烈なブレスでの攻撃は魔法障壁でいなし、すれ違いざまに尻尾で一撃をくれてやった。

「――ギャウッ!」

 短い悲鳴をあげて、若い火竜は頭を振る。いらついたように甲高く吼え、彼は再び牙をいた。

(……りない奴だ)

 いささか呆れつつ、炎を呼び出して巻き込んでやる。本気を出せば、炎に高い耐性を持つ火竜でさえ焼き尽くす炎も操れたが、この若い火竜にそうする気には、なぜかならなかった。とはいえ、多少熱い程度の火力にはしてある。火竜はギャアギャアと騒ぎながらも、何とか炎を吹き散らしてみせた。あちこちが軽くすすけているが、この程度なら掠り傷にも入らないだろう。

 向こうが騒いでいる間に翼で空を打ち、翔ける。未だ体勢を立て直しきれない火竜に、炎を纏って体当たりを食らわせてやった。

 ガァン、と大気を貫く轟音と共に、若い火竜はとんでもない勢いで吹っ飛んでいく。まあ、竜種――特に《上位竜( ドラゴン)》は元々強靭きょうじんな上、堅牢けんろうな鱗にも守られているので、あれでも致命傷には程遠いのだが。何にせようるさい相手がいなくなったので、この機を逃さず悠々と翼を翻す。


 ――ああ、そういえば。

 彼はふと思い出した。


 以前、雌の竜に求められて一時のつがいとなったのは、この辺りだっただろうか――。



 ◇◇◇◇◇



「……おい」

 覚醒に逆らわずまぶたを開き、アルヴィーは胡乱うろんな眼差しで起き上がると、自身のうちむ火竜を呼ぶ。

「何だ今の。最後の方で何つーか、ちょっと突っ込まざるを得ない記憶があったぞ。あれってその、アレか。ヤリ逃げか」

『ひと所に腰を落ち着けずに放浪する竜には、珍しくもないことだがな』

「いやおまえ、番になったんなら嫁さん放り出すなよ! エルヴシルフトを見習え!」

 家庭円満、仲睦まじい火竜一家を思い出し、アルヴィーは何だか情けなくなった。一応エルヴシルフトの血縁に当たるらしいのに、この差は何だろう。

 しかしアルマヴルカンは平然たるものだった。

『力ある雛が欲しい、だが番がわずらわしい、という雌も稀にいる。エルヴシルフトやその番のように、番った相手と添い遂げて子をすのが大多数ではあるがな。対して、わたしは番も雛も必要とはしなかったが、あの雌はなかなか力があって一時ひとときを共にするには悪くなかった。人間に分かりやすく言えば、“互いの利害が一致した”ということだ』

「……できれば聞きたくなかった……」

 以前聞いた、竜という種族の意外な愛情深さにほっこりしていたというのに、とんだ奇襲攻撃である。どの世界にも例外はある、ということか。

 がくりと項垂れていたアルヴィーだったが、野生動物の生態にこれ以上文句を垂れても仕方ないので、ため息をつきつつベッドから下りた。まだ夜は明けていないのだろう、辺りは暗く、空気はしんと冷え、枕元で眠るフラムの寝息だけが耳を刺す。

 その時。


 ――ちり、と。

 炎が瞬くような感覚が、脳裏を走った。


「――っ……!」

 思わずこめかみを押さえ、きつく目を閉じる。

(……そういや、またアルマヴルカンの記憶が見えたのか)

 目を開けると、ベッドの枕元に置いた魔法式収納庫ストレージから水筒を取り出し、中の水を二口三口ほど飲む。精霊の森の泉の水だ。心地良い冷たさが喉を通り、肺腑はいふに広がっていくようだった。

「……効いてんのかな、これ、やっぱ」

『効かんことはないだろうが、完全には抑え込めまい。あのドライアドも言っていたが、主殿はわたしと相性が良い。“良過ぎる”ほどにな。それがゆえに魂同士が共存できた面もあろうが、それも諸刃の剣、というわけだ』

 アルマヴルカンの言は、いっそ冷徹なまでに事実だけを告げる。

「……そっか」

『まあ、わたしが一方的に喰らっているわけではない。裏を返せば、“主殿の方も”わたしを侵食していることになる。互いにけ合うというのは、そういうことだ』

「……俺、が?」

 アルヴィーは思わず、異形の右手を見やる。

 と――。


『――おい!』

 声と共に、黄白色の眩い光が生まれた。


「……シュリヴ?」

 常に懐に持ち、眠る時には枕元に置いている水晶。それが、常よりもさらに明るく輝いてほろほろと光を零している。

 アルヴィーが手に取ると、光がちかちかと瞬いた。

「どうした? 何かあったのか?」

『何かあったのはそっちだろ!――いいから、一回こっち来なよ。フォリーシュに頼めば、空間繋げてくれるだろ』

「え? そっちの島に、ってことか?」

『そう! 絶対だからね!』

 それを最後に、光が収束していく。元通り、ちらちらと揺れる光を見ながら、アルヴィーは首を傾げたが、何しろ相手は地の高位精霊。しかもアルヴィーに異変が起きた時にすぐ接触があったことを考えれば、何か関連があるのだろう。


「――ってことで、ちょっとあの島に行って来たいんだけど」


 朝一番で面会を求めてきたアルヴィーから事情を聞き、ジェラルドは頭痛でも起こしそうな顔で額を押さえた。

「……この際、朝イチで突撃して来やがったことについては目をつぶってやる。――が、だ。何でそんな重要事を今さら言って来る!!」

 席を蹴飛ばす勢いで立ち上がるが早いか、ジェラルドはガッとアルヴィーの頭を引っ掴んだ。身体強化魔法でも使っているのか、ぎりぎりと締め上げる握力が尋常ではない。


「いででででで」

「“何か異常があったらすぐ報告しろ”と、俺は確かに言ったよなあ!?」

「い、言ってました、ハイ」


 うっすら涙目になりつつ諸手もろてを上げて降参すると、ジェラルドはやっとアルヴィーを解放した。深々と嘆息たんそくし、どさりと椅子に腰を落とす。

「……それで、どれくらい進んでるんだ。その“侵食”ってのは」

「はっきりしたことは、俺にも分からない。ただ、ちょいちょいアルマヴルカンの記憶とか視点とかが、俺にも見える時があって」

「結構な重症じゃねえか……」

 唸るような声に、アルヴィーは何となく首を竦める。

「……それ以外には、何もないのか。体調を崩すとか、記憶が飛ぶとか」

「いやいやいや、さすがにそれは」

 ないない、と手と首を振るアルヴィーに、ジェラルドはひとまず安堵あんどした。どうやら、体調にまで影響が及ぶ段階ではないらしい。――今のところは、というただし書きが付きそうだが。

「――まあ、そんな事情じゃ、行かんって選択肢はないな、確かに。どっちみちおまえの所有地って扱いになってることだし、行って来ること自体は構わんが……」

「……何かあんの?」

「とりあえず、行く前に研究所の方に一声かけとけ。あちらさんも、湖の様子は気になるだろう」

「ああ……マナンティアルのとこか」

 今やポーションのメイン原料になっている水の源だ。その現状が気になるのは当然だろう。むしろ毎日でも観測したいところに違いない。

 何だかんだと騒ぎにはなったが、目的の許可は得られたので、アルヴィーはジェラルドの執務室を辞し、王立魔法技術研究所に向かった。――そうしたばかりに、研究員たちにこれ幸いと各種測定道具を渡されかけ、むしろ着いて行きたいと懇願こんがんされて必死に断ったのだが、ここでは割愛かつあい

 ――結局、アルヴィーでもできる程度のマナンティアルへの聞き取り調査だけを任されて、何とか解放される運びとなった。急いでフォリーシュがいる薬学部の森に避難する。


「――そういうわけでさ。悪いけど、シュリヴのとこまで“道”、繋いでくれないか?」

『いいよ』


 いともあっさり頷いて、フォリーシュはアルヴィーと手を繋ぐと、森の奥へと踏み入って行く。

「……そういえば、道、分かるのか?」

『大丈夫。あの子の力は知ってるし、そこに欠片があるから。辿れる』

 そこ、と胸の辺りを指差され、納得。シュリヴから貰った水晶は、いつもそこに入れてある。

 しばらく歩くと、もうお馴染みとなった水晶の樹と泉。それを囲む森の一隅いちぐうで育つ、まだ細い苗木に手を振りつつ通り過ぎる。そしてまたしばらく歩き、森が開けた。

 途端に押し寄せる潮の匂い。振り返れば、一部が陥没した特徴的な形の山が見える。

(あの島だ……)

 途端、足元に黄白色の光がやって来た。


『――もうっ、遅ーい!』


 地面から飛び出すが早いか実体化したシュリヴは、待ちかねたというようにアルヴィーを引っ張る。

「ちょっ、おい……!」

 それに引きずられるように、アルヴィーは駆け出した。

 ――そうして連れて来られたマナンティアルが眠る地底湖、そのほとりに立ち、アルヴィーはシュリヴに尋ねる。

「……んでさ、何で俺をここに呼んだんだ?」

 すると、シュリヴは面白くもなさそうな顔で腕を組み、


『精霊の森の水じゃ、気休め程度にしかならないよ。――だから、もう少し強めに“冷やして”やる』


 次の瞬間、アルヴィーの足下の地面が眩く輝いた。


「うわっ――!?」

 反射的に腕を翳したアルヴィーの足先から、木々の根が伸びるように黄白色の光が這い上がる。それは足から腰、胸とあっという間に覆い尽くし、右腕を除く全身に光の紋様を描いた。

『――マナンティアル!』

 それを確かめ、シュリヴが鋭い声を投げる。それに呼応するように、湖底から満ちる明るい水色の光。

 そして、湖面から噴き上がった一筋の水が、黄白色の紋様をなぞるようにはしる。瞬く間に紋様のすべてに行き渡った水は、そのままアルヴィーの身に吸い込まれるように消えた。心地良い冷たさが、身体の芯にまで届く。

 ほんの数瞬で完成した術式に、シュリヴは満足そうに頷いた。

『うん、まあまあかな』

「いや、何なんださっきの!」

 いきなり自分の身体に術式など行使されて、唖然としていたアルヴィーが慌てて詰め寄る。それを制したのは、背後からのたおやかな声だった。


『――久しいの、アルヴィー。此度こたびのことは驚いたろうが、そなたの身のためゆえな。許せ』

「俺の……?」


 困惑するアルヴィーに、シュリヴが大袈裟に肩を竦める。

『媒介が肌身離さず傍にあるんだ、アルヴィーの状態は分かるさ。――おまえ、火竜の侵食がまた進んでる。だから、僕とマナンティアルで術式を組んだんだ。アルヴィーの中の炎の力を、少し抑えるための術式をね。おまえは今じゃ火の気配が強いけど、元々は地属性に向いてたでしょ。だから、僕の術式をベースに、マナンティアルの術式を乗せたんだよ。その方が馴染みが良いからね』

『シュリヴの術式を媒介とする形で、わらわの力をそなたの身に定着させた。これで、炎の侵食はかなり遅くなる』

「そ、そうなのか……何か、ありがとな」

 多少強引ではあったが、地の高位精霊と水竜の相乗術式は確かに効果が高い。アルヴィーは礼を言ったが、シュリヴの表情はなぜか優れなかった。

「……どうかしたのか?」

『その……右腕だけど』

「右腕?――ああ、そういやさっき、右腕だけは何でか、術が走った感触なかったな」

 特に異常はないようだが――と指をわきわき動かしていると、真剣なシュリヴの視線とかち合った。

 そして、告げられる。


『右腕はもう、“人間おまえ”のものじゃなくなってる。完全に火竜の依代よりしろだ。だから僕たちも干渉できなかった。――だから、もし万が一のことがあったら、その時は……右腕は、取り戻せないと思っておいた方が良い』


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