第113話 波紋
遥か彼方、霞むほどに遠く――そこに動くものを見つけて、男は目をすがめた。
(……何だ……?)
身体強化魔法を起動させ、特に視力を強化する。そして、彼は見た。
(――魔動巨人……!)
大地を蹴立てて進んでいるのであろう、もうもうと巻き起こる土煙を従え、ゆっくりと歩む人型。数は二体。遠目なので細部までは見えないが、一見したところ操作術者らしき姿は見えなかった。進行方向は西か。
それらの情報を、彼は懐から取り出した紙の綴りに、手早く書き込んでいく。
そして、物見のために登った木から素早く、だが目立たないよう静かに下りた。
「――どうした?」
「魔動巨人だ。かなり遠いが……どこで見られているか分からんからな、うかつには近付けん。とりあえず、本国に報告は入れんとな」
「ふむ、なるほどな……だが、二体ってのは気になるな。どこかに攻撃を仕掛けるにしちゃ少ないが……」
「魔動巨人なら、二体でも充分戦力になるさ。国境戦でレクレウスが持ち出して来たのは三体だったが、それでも大分梃子摺ったって話じゃないか」
彼らは、ファルレアンから放たれた諜報部隊の一部だった。魔法騎士団所属の魔法騎士でもあり、一般の諜報部隊に比べれば戦闘力も高い。彼らを含めたいくつかの同様の部隊は、クレメンタイン帝国帝都・クレメティーラの調査、及びそこまでのルート探索を命じられている。魔物や賊の類との交戦も許可されており、一種の威力偵察のようなものだった。
部隊はまずファルレアン北西部から帝国領に入り、レクレウスとの国境を兼ねるアルタール山脈に沿う形で、ゆっくりと北上していた。アルタール山脈は途中で大きく折れ曲がっており、その辺りからほぼ真っ直ぐ北に行けば帝都クレメティーラに行き当たる。だが、彼らはそんな無謀なルートは採らなかった。帝国領、そして現在でも未だに《虚無領域》と呼ばれているこの地は、強力な魔物が闊歩する危険な地でもあるのだ。
そこで、彼らは山脈からさほど離れず、集落を探しながらクレメティーラに近付く方法を採用していた。もとよりこのルート探索は、有事の際に騎士団の進軍経路としての意味合いも持つのだ。可能な限り安全で、できれば補給もできるようなルートが望ましい。――まあ、中には先ほど後にして来たような、いかにも無頼の輩に襲われたと思しき、廃墟と化した村落などもあったのだが。
ともかくもそういった目的の下に、彼らは決して先を急がず、安全を確認しながら着実にルートを開拓していた。そして次の集落を探そうと木に登ってそれらしい手掛かりを探していた時に、偶然にも魔動巨人の姿を目撃したのだ。
「よし、これで本国に伝わるだろう。それで、どうする? 魔動巨人の目的を確認するか?」
「……いや、それよりもルートを確立しよう。この位置で西に向かっているのなら、先にあるのはおそらくモルニェッツだ。一応本国には注意喚起だけしておいて、我々は本来の任務を全うするさ」
「それもそうだな」
彼らは魔動巨人の目的がおそらくモルニェッツであることと、念のために北部及び北西部を管轄とする第九~第十一大隊への注意喚起を本国へ向けて追加送信し、自分たちの本来の任務へと戻ることにした。
◇◇◇◇◇
その日、王立魔法技術研究所所長たるサミュエル・ヴァン・グエン伯爵は、待ちに待った成果を引っ提げて、女王アレクサンドラへの謁見に臨んだ。
「――お忙しいところこうしてお時間をいただき、心より御礼申しげます、女王陛下」
「構わないわ」
鷹揚に頷き、アレクサンドラは無言で先を促した。対するサミュエルの報告は、簡潔なものだ。
「かねてより量産化に向けて開発を進めておりましたポーションですが、すべての種類におきまして実証実験が完了し、副作用等についても問題ないと判定されましたので、量産体制に移行致しました。ひとまず、外傷修復用ポーション千本、魔力回復用ポーション五百本、身体能力増幅用ポーション五百本。これを一ヶ月間で製造することを目標にしております。ただし、これはあくまでも初期目標であり、技量の蓄積に伴い生産効率を上げることは可能と考えます」
「おお……!」
宰相ヒューバート・ヴァン・ディルアーグ公爵は、思わず感嘆の声を漏らすのを止められなかった。
「して、効能の方は」
「さすがにサングリアム製のものに比べると七割から八割ほどの効果となりますが、サングリアムからのポーション供給が期待できない現在において、代替品としてはまず満足できる水準と認識しております」
「うむ、ポーションは戦略物資であるからな……低く見積もって七割ほどの効果と見ても、自国で製造できる利を考えれば望外と言っても良い結果であろう。――サングリアムはついに、ポーションの流通を止めたからな」
ヒューバートが厳しい表情となり、サミュエルも目をすがめた。
――サングリアム産ポーションの供給の完全停止。
じわじわと絞るように細っていたポーションの供給が、ここ最近ついにぱたりと止まったことは、各国で大きな問題となっていた。何しろ、文字通りの命綱なのだ。無論、供給が絞られ始めた頃から、各国とも代替品の開発に力を入れ始めてはいたのだが、それが実るよりも供給を絶たれる方が早かった。ほとんどの国は、国内の在庫を総浚いするか、望みは薄くとも他国からの買い入れを試みるしかないという状況に追い込まれつつある。
だが幸運にも、ファルレアンはその内には含まれない。
それは、沖合に新しく発見された島で、ポーションに最も必要な原料である魔力を含んだ水を、大量に手に入れることができたからだ。
「寸前になったとはいえ、供給が絶たれる前にすべての実証実験が完了したのは僥倖でした。今後の予定と致しましては、より効果の高いサングリアム産ポーションを温存し、国産ポーションを速やかに流通させるべきと考えております」
「ふむ……」
ヒューバートも納得の頷き。確かに、高ランクのものを温存するのは理に適っている。国産ポーションも、現行の七割から八割の効能ならば、充分に実用レベルだ。
「流通の配分は、財務の方や騎士団とも協議せねばなるまいな」
「は、仰せの通りかと。ただやはり、騎士団を優遇しないわけには参りませんでしょう。作戦行動にはどうしても必要になりますし、原料の供給元が《擬竜騎士》であることを考慮すれば。彼は騎士団の所属です」
「であろうな。――そういえば、例の島の湖の水量はどうなっておる? よもや、早々に枯渇するようなことはあるまいな?」
「は……調査の際の報告から、おおよその貯水量とポーション製造における必要量による残年数を算出しております。それによれば、新たな水の流入がなくとも十数年ほどは取水可能かと。実際は雨水などの流入が期待できるため、多少取水可能期間は延びると推測できます」
「十数年、か……」
ヒューバートは重々しく呟いたが、そもそもそんな原料が手に入ること自体が望外の幸運なのだから、文句など言えようはずもない。それに十数年の時間があれば、もっと入手しやすい原料で作れるポーションも開発できるかもしれないのだ。
何しろ、国外に目を向ければ、当座の必要分の確保すら危うい国がほとんどなのだから。
「――しかし、これは荒れるやもしれませんね」
ぽつり、呟かれたサミュエルの一言に、ヒューバートも渋い顔になる。と、アレクサンドラが宙に白い手を差し伸べた。その周囲にかすかな風が渦巻く。
「……今のところ、争いの気配はないと精霊は言っているわ。でも油断はしないで。各国に対しての諜報活動を強化、万一の事態に備えて、ポーションの生産に一層の力を入れるように。ただ、我が国が国産ポーションの開発に成功したという情報は、まだ伏せておくわ」
「は、承知致しました」
「陛下の仰せのままに」
もとより、二人の年長者も分かっているのだ。
ポーションは、正常に供給されてさえいれば、ただ便利な薬だ。
だが――ひとたびその前提が崩れれば、それは容易く争いを生む。
「今までは、多少なりとも供給はなされていたから、各国はサングリアムに対して確たる軍事行動は起こさなかった……でも、それが止まってしまえば、もうためらう理由はないわ。ポーションの秘密を知りたい国の中には、実力行使を辞さない国もあるでしょう」
「しかし……現在のサングリアムには、クレメンタイン帝国の後ろ盾があります」
「ええ。――でも、クレメンタイン帝国は一度滅びた国。それも、多国間の連合によって。その記憶はまだ、どの国にも残っている」
アレクサンドラは、ペリドットグリーンの瞳を鋭く細める。
「陛下は……対クレメンタイン帝国の連合が今ひとたび組まれる可能性がある、と?」
「可能性の問題ね。けれど、皆無ではないはずよ」
かつん、と彼女が長杖を床に打ち付けると、ぶわりと風が広がる。きゃらきゃらと笑う声がかすかに、聞こえたような気がした。
「ありがとう」
アレクサンドラが労うと、風はさっと消え去ってしまった。玉座の後ろに掲げられた紋章入りの幕が一度だけはためき、天井のシャンデリアが揺れる。
それ以外は風の残滓もなくなった場で、彼女は自分の倍以上も年長の臣下たちを見据えた。
「言うまでもないでしょうけれど、ポーションの流通はできうる限り目立たないように。今はまだ、サングリアムに注目が集まっていて貰わないと困るわ」
「御意。可能な限りさり気なく、国産ポーションを国内に浸透させましょう。――もし余剰分が出てきた場合は、他国に融通なさいますか?」
「状況次第ね。サングリアムの代わりに我が国が狙われるようなことは、避けなければならないわ」
「では当面は、他国への情報漏洩を厳に警戒致しましょう」
「ええ、頼みます」
彼女の頷きに、サミュエルは謁見の終わりを悟る。
彼が礼儀に則って退出すると、アレクサンドラはヒューバートを振り返った。
「……ひとまず、命綱は繋がったと見て良いのかしら」
「左様にございますな。ですが、まだ危うい。――研究所には、今しばらく研究に励んで貰わねばなりませぬな」
「ええ、そうね」
物憂げな表情で、アレクサンドラは首肯する。小さく息をついた。
(……おそらく、民間にまで国産ポーションが浸透するには、それなりの時間が掛かる……こういう時には、やはり一般の民に割を食わせてしまうのね)
ポーションが最優先に浸透するべきは、国の剣であり盾でもある騎士団だ。それに異存はなかった。だが、次に手を伸ばしてくるのは貴族階級だろう。彼らは(騎士団に奉職する子女を除けば)戦場に立つことなどないが、痛みに慣れていない人種である。少しの掠り傷でもポーションを使って治すのは珍しくなかった。彼らにポーションが回ればその分、一般の市場に流通する分が少なくなる。民間でもポーションは、傭兵のような戦闘職の他、例えば個人が営む施療院などで、重篤な怪我の治療などにも使われているのだ。
(人間は、一旦手に入れた便利さを捨てられない……もう今さら、ポーションのない生活には戻れないわ)
それはまるで、性質の悪い薬物への依存にも似ているようで、アレクサンドラは慄然とする。
だが、彼女にはどうしようもなく、ただ沈黙と共に長杖を握り締めるしかなかった。
◇◇◇◇◇
一連の騒動もとりあえず沈静化し、王都ソーマの復興も――少なくとも目立つ範囲は――大分進んできたこの頃。
街には少しずつ、浮き立つような気配が漂い始めた。
その気配には、何となく覚えがある。以前ソーマで国主催のオークションが開催された時の、あの祭りの前のような空気に似ていた。
何かあるのかとアルヴィーが親友に訊いてみると、いともあっさり答えが返ってくる。
「ああ、もうすぐ《ヴァルティレアの祝祭》だからね」
「何だそれ?」
「王都独自の、ちょっとした祭りみたいなものだよ。昔、実際にいた姫君にちなんでできた祭りらしいんだけど」
ルシエル曰く、かつてこのファルレアン王国には、その美しさが国外にまで鳴り響くような美貌の王女が実在したらしい。ただしこの王女、妖精のような見た目にそぐわず、中身は男顔負けの女傑。年頃になり、宮廷に出入りする青年貴族に恋をした彼女は、娘を溺愛するあまり王城に軟禁しようとした父(もちろん当時の国王)を殴り飛ばし、止めようとする近衛騎士たちを魔法で豪快に薙ぎ倒して王城を脱出、見事想い人と結ばれたのだという――当の想い人の反応は定かではないが、何しろ国外にまで名が轟く美女だったのだから、少なくとも満更ではなかっただろう、多分、きっと。ちなみにこの話、歴史書にも残っているためおそらく事実だろうとのこと。話を聞いたアルヴィーは「なにそれ怖い」と真顔になった。
「――それで、国王もついに折れて二人の結婚を認めたってわけ。その内に話が城下にも漏れて、さすがに当人たちが生きてる間は密かに囁かれてる程度だったけど、後になってそれにあやかりたいっていう女性たちが集まって始めた小さな祭りが、年を追うごとに大きくなったってことみたいだよ。祭りの名前にも、その姫君の名前を冠してね」
「つーか、国王と近衛騎士ぶっ飛ばしてきた姫様とか、怖くて振れねえだろ……猟師並みにがっちり獲物捕まえてんじゃん。その姫様、辺境でも普通に生きていける気がするわ……」
「確かにね。――で、この祝祭は基本的に女性主導。それも未婚の若い女性が中心なんだ。さすがに貴族は表立っては参加しないけど、身分を伏せて覗きに行く人は結構いるよ」
「へえ……」
祭りと名の付くものは、故郷の村でのささやかな収穫祭くらいしか経験したことがないアルヴィーは、いささか毛色の違いそうなその祝祭に興味が湧いた。元平民ゆえに貴族っぽさもなく、特徴的な右手を隠せば悪目立ちもしないだろう。普通に紛れ込めそうだ。
「面白そうだな。やっぱ、収穫祭みたいに飲んで食って騒いで、って感じなのか?」
そういった祭りなら気軽に楽しめそうだと思っていたが、返って来た答えはまったくの予想外だった。
「それが、この祝祭は自力で想い人を捕まえ――もとい、恋を叶えた姫君にちなんで、女性から男性に求婚するための祭りなんだ。普通、そういうことを女性側から言うのははしたないっていう風潮が強いんだけど、この祝祭の期間中に限っては、女性側から言うのも有りなんだよ。もちろん、今相手がいなくても、自分から探して捕まえに行くのも有り」
「なにそれ怖い!!」
アルヴィーは戦慄した。この国の女性は少々積極的過ぎはしないだろうか。
だがルシエルはさすが先達、もう疑問にすら思っていないようだった。
「まあ、貴族の舞踏会も、本質は似たようなものだよ。あれもある意味、相手が不特定の見合いみたいな面もあるから」
そう言われ、輝月夜の時の令嬢たちのぎらつく眼光を思い出すアルヴィー。あれは間違いなく狩人の目だった。
「……貴族怖い……」
「アルももう貴族だろ。慣れなよ」
そう言われても、ついこの間まで平民だった人間が貴族社会に溶け込むのは、なかなか難しいのである。
「そもそも、アルのところは人が少な過ぎだよ。せめて従僕かメイドがあと二人くらいは要るんじゃない? 門番もいないなんて、来客の時に不便じゃないか」
「不便以前に、客とかほとんど来ないけどな。家具が揃う前にルシィたちが来たのが最後だぜ」
「……ああ、そういえばアル、社交はほぼ免除だもんね……」
仮にも貴族の家に来客がほぼゼロという惨状に、ルシエルは額を覆った。普通そんな状態だと、貴族社会では死んだも同然なのだが、元々アルヴィーは貴族である以前に騎士団の最大戦力だ。おまけに元“霧の海域”での島の発見以降は、大陸沿いの航路を握る重要人物という肩書も加わった。社交方面が死に絶えていようとその影響力は決して小さくない。
……の割にそんな彼と誼を結ぼうという人間があまり現れないのは、周囲を取り巻く面々のせいもあるだろう。宮廷でも野心家と名高いルシエルの父ジュリアスに、侯爵家子息にして魔法騎士団第二大隊長ジェラルド。航路の一件では、国内最大の港町を統治するランドグレン伯爵からも接触があったという。それに加えて、その動向には国上層部が常に注意を払っているとあっては、良くも悪くも敬遠されがちになるのは無理からぬことと言えた。まあ、当の本人がまったく気にしていないので、あえてつつく必要もあるまい。
「そういやさ、ウチも大分それっぽくなったし、また今度来るか?」
「へえ、どんな感じ?」
「一応家具も揃ったし、ティムドが掃除してくれてるから家の中どこもかしこも綺麗だしさ。あと、盾も来た」
「ああ、紋章描いたあれか」
貴族は家の中に紋章を描いた盾を掲げるのが習わしだ。大抵は暖炉の上や広間の壁など、目立つところに掲げる。何しろ、紋章というのは貴族の象徴でもあるのだ。アルヴィーの家でも、玄関を入ってすぐに目に入る正面の、広間の壁に掲げた。もっとも、彼の家は絵画や彫刻といった美術品をまったくといっていいほど置いていないので、広間の壁もまっさら。どこに掲げても目立つだろうが。
「他にも少しは何か置きなよ」
「めんどい」
貴族の中にはいかに自宅の広間を飾り立てるかに心血を注ぐ者もいるというのに、それを一言でバッサリである。ルシエルも苦笑するしかない。
「ルシィん家みたいな風景画とかだったら、まだ分かるけどさ。自分の肖像画でかでかと描かせて飾んの、あれ分かんねえ……」
「まあ、自分の業績を後世に残したいとか家の仕来りだとか、理由は色々あるから。家名は出せないけど、当主が代替わりしたらすぐに肖像画飾らないと、なぜか早死にする家もあるって聞いたことあるし。ちなみにその肖像画、何年もしない内にいきなり自然発火して燃えたり、誰も触らないのにひとりでにズタズタになったりして、まともに残ってる絵が一枚もないって話だよ」
「なにそれ怖ぇ!!」
とんだホラーな話に、アルヴィーは再度戦慄した。身代わり、という言葉が脳裏を駆け巡ったが、きっと的外れではないはずだ。
「……その家、何か呪われてんの……?」
「まあ、古くからある家は多かれ少なかれ、そんな話が伝わってるからね。貴族の家系――特に高位の貴族なんて、政争や後継者争いで蹴落とし合いが珍しくないから。うちみたいに」
「……うんルシィ、それすげえ説得力だわ……」
まさにその後継者争いを制した親友の言葉に、アルヴィーは納得するしかなかった。もっともルシエルの場合は別段積極的に争ったわけではなく、むしろ異母兄側の自爆である。
「――まあとにかく、今後一切来客がないなんてことはないと思うから、せめて絵の一枚くらいは飾っておくべきだと思うよ。貴族の中には、気に入った画家や彫刻家に資金援助してる人もいるから、そういう人の作品を飾るっていうのも有りだろうし」
「へー……」
確かにそういった作品ならば、飾るにも抵抗はないかもしれない。ただ問題は、アルヴィーの方にそういった芸術を見極める目がまったくないということだ。もしそんな日が来るようなことがあれば、全力で親友を当てにしようと心に誓う。
「――じゃあ、僕らこれから巡回に出るから」
「ああ」
これから小隊を率いて市街に巡回に出るルシエルを見送り、アルヴィーは騎士団本部の廊下を進む。行き先は毎度お馴染み、上司であるジェラルドの執務室だ。
だが今回は、任務というよりは単なる情報共有だった。
「――魔動巨人?」
「ああ、クレメンタイン帝国に潜入させた諜報員から報告があった。魔動巨人が二体、西に向かって進行中――ってな。諜報員はそれ以上の深入りはせずに本来の任務に戻ったそうだが、まあ道理だな。事のついでに魔動巨人の行き先調査なんてやってりゃ、命がいくつあっても足りゃしない」
報告が書き留められた書面を机に放り出し、ジェラルドは面白くなさそうな息をつく。
「……だが、本音を言やあ魔動巨人――というよりそれを送り出した黒幕の目的は、できれば見当だけでも付けておきたいところだ。ということでおまえ、何か心当たりはないか」
「俺が?」
「クレメンタイン帝国の親玉と付き合いがあったのは、おまえくらいのもんだろうが」
「あー……付き合いっていってもなあ」
苦い顔で頭を掻き、アルヴィーはぼやく。
「……多分シアは、俺たちにも本当の顔なんか見せちゃいなかった。俺たちには優しかったけど、それだって“必要だからそうした”ってだけだったんだろうし」
《擬竜兵計画》の研究員たちの中では、アルヴィーたちに好意的に見えていた彼女。だが、彼女はレドナで《擬竜兵》が暴走した際、対策を講じるでもなく、事態を最後まで見届けることすらせず、資料を総浚いして姿を消したという。つまり――そういうことだ。
彼女にとって、“失敗”した被験者などどうでも良かった。
「シアが俺に今でもこだわってるのは、俺が一番良い結果を出したから……そういうことだろ。レドナで暴走して死んでれば、“仕方ないな”で片付けてたと思う」
彼女はアルヴィーを“自分の子供のようなもの”と言ったが、もちろん本当に我が子のように愛しているわけではないだろう。あの群青の瞳の中に浮かんでいた慈しむような光は、“出来の良い被験体”に向けたものだ――アルヴィーは何となく、そう感じていた。
だが――と、よぎる思いもある。
(……ルシィがいなきゃ、俺はそれに縋ってたかもしれない)
実母や見知った人々、故郷を失って、人の枠からも逸脱することとなったあの時。彼女が見せた“母”のような慈愛は、あたたかかった。《擬竜兵》となった被験者たちも、少なからずそれに惹かれていただろう。
だがアルヴィーは、それ以上のあたたかいものを、すでに知っていたから。
「――どうぞ」
そこでかけられた声と、カチャン、と陶器が触れ合う音に、アルヴィーの思考は過去から現在に舞い戻った。
「え、ああ、何?」
「お茶でもどうかと思って」
応接用のテーブルにティーセットを置き、ジェラルドの秘書役たるパトリシアが微笑む。紅茶の良い香りに、アルヴィーの肩からふと力が抜けた。
「……ああ。ありがと」
「俺にもくれ」
「僕もお願いします」
ジェラルドに次ぎ、セリオからもリクエスト。男どもの要望に、パトリシアはてきぱきと紅茶と茶菓子を用意する。
「どうぞ。少し息抜きでもなさったらいかがですか、隊長」
「ああ、そうさせて貰おうか。いい加減肩が凝りそうだ」
肩を解し、ジェラルドは席を立ってやって来るとティーカップを取り上げる。
「……で、だ。結局、心当たりはあるのか、ないのか?」
「心当たりって、魔動巨人使って何やるかってことか? ンなこと言われても――あ」
アルヴィーも一口紅茶を含み、そこで思い出した。以前、レティーシャに仕える騎士・ダンテによって捕まった時、クレメティーラと思しき街で見た光景を。
「もしかして、何か造ってんのかな……」
「造る? 魔動巨人が、か?」
「ほら、前に俺がシアんとこに捕まった時。あの時、魔動巨人が街で建物造ってたんだよ。だから今度の魔動巨人も、何か造ってんのかなって」
「魔動巨人で建築だと? 相変わらず明後日の方向に頭が飛んでんな、あの女」
ジェラルドがいっそ感心したような口調で言い、紅茶を一口。世間一般の常識からすれば、魔動巨人とはすなわち決戦兵器である。それを建築に転用するとは、確かに並みの発想ではない。
「でも、理には適ってますよ。魔動巨人は作業に疲れも飽きもしませんしね。あの重量なら、整地だってできるんじゃないですか」
セリオの補足に、なるほどと一同頷く。
「と、すると……建物よりはむしろ、道か」
そう呟き、ジェラルドは席に戻ってばさりと紙を一枚机に広げると、大雑把な地図を描き始める。凄まじく簡略化かつ図形化されているが、説明の補助として使う程度なら充分だろう。
「いいか、旧クレメンタイン帝国の帝都・クレメティーラがこの辺りだ。遷都してなきゃ今もここが帝都だろう。で、報告の通りだと、魔動巨人の進路は大体こんな感じになる」
ピッと一本線が引かれた先に、ジェラルドはモルニェッツの名と旧首都ドミニエの一語を書き込んだ。
「取り戻した旧領への道の建設、ということですか?」
セリオの問いに、ジェラルドはかぶりを振る。
「いや……新しく造るというより、旧大陸環状貿易路の復元じゃないかと、俺は睨んだんだがな」
それに付け加えるように、彼はクレメティーラを示す点から逆方向にも線を引き、そこにも書き加える。“ロワーナ”、“ラトラ”。
「元々、大陸環状貿易路ってのは文字通り、大陸内だけで完結してた道だ。大陸に存在する国の都すべてを結ぶ、いわば大陸の大動脈。その頃は三公国も独立前だったから、ドミニエやらラトラやらはウチの国でいうところの街道上の領都みたいなもんだな。――それが、百年前の大戦で旧クレメンタイン帝国が滅亡しちまって、領土内にも魔物やら何やらがぞろ出るようになったってんで、クレメティーラに繋がる道は封鎖されて、迂回する形で航路が設定された。これが今の大陸環状貿易路だ」
「では、その旧態の大陸環状貿易路を復元することで、帝国の復活をより鮮明にすると?」
邪魔にならないようティーセットを寄せながら尋ねるパトリシアに、ジェラルドは難しい顔で嘆息した。
「……その程度なら、まだ良いんだがな」
「……と、仰いますと?」
「至極単純な話ではあるんだが」
ジェラルドはドミニエとラトラの点まで引いた線を、さらに伸ばした。そしてその先にも書き加える。
“ヴィペルラート・ヴィンペルン”、“リシュアーヌ・フィエリーデ”。
「整備された街道ってのはつまり、絶好の進軍路でもあるんだよ。――そして、その先にあるのはかつて、帝国から領土を奪った国だ」
かつん、と彼が指で机の天板を打つ音が、沈黙の中に響く。
「ヴィペルラートもリシュアーヌも、百年前の大戦に連合国側として参加した。で、分け前として帝国領の一部を得たってわけだ」
「じゃあ……それを取り返しに、シアがヴィペルラートやリシュアーヌ相手に――戦争を、仕掛けるっていうのか」
アルヴィーは思わず呻いた。口の中がからからに乾いたようで、言葉まで絡むような気がする。仔犬のように懐いてきた幼いリシュアーヌの王子の姿が、脳裏に蘇った。
「……待ってください。だとしたら、このところのポーションの出し渋りも」
パトリシアがはっとしたように声をあげ、ジェラルドは頷いた。
「ああ。ポーションってのは戦略物資だ。こいつがあるとないとで、下手すりゃ部隊の生存率が大きく変わる。――その供給が滞ったんじゃ、どの国も満足に作戦行動ができなくなるぞ。帝国の女帝はまさか、これも承知の上でポーションの流通に手を掛けたのかね」
「…………!」
誰かが息を呑む。アルヴィーは机の上の地図を、唇を引き結んで見下ろした。
――銀髪の女が、不敵に微笑んでいるような気がした。




