表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第二章 王都への道
11/136

第10話 作戦開始

 残留部隊にディルの防衛を任せ、前線部隊に赴いて自ら指揮を執っていたグラディスのもとに、前衛を担当していた第一二一魔法騎士小隊長ルシエル・ヴァン・クローネルから《伝令メッセンジャー》の魔法が飛んで来たのは、戦端が開かれてから一時間近く経過した頃だった。

 そしてその《伝令メッセンジャー》で告げられた内容に、彼女は一瞬呆気に取られた。

「――本気でそんな賭けに出る気なのかしら、彼は」

「ですが確かに、魔動巨人ゴーレムの砲撃で陣地を狙われれば、ひとたまりもありません。レクレウスの魔動巨人ゴーレムの性能は、我々の想定を遥かに超えています」

「それはそうね……射程についてはこっちも想定はしてたけど、まさか、あれだけの威力の砲撃を三千メイル先まで届かせられるだなんて。こちらも、魔法技術だけでなく、魔動機器にももっと力を入れなければならないかしら」

「その話は後ほどに致しましょう。今はとりあえず、この作戦を許可するか否かの返答を急ぐべきかと。こうしている間にも、魔動巨人ゴーレムはこちらに向かって来ています」

「ええ……そうね」

 グラディスは逡巡したが、それはごくわずかだった。すぐに顔を上げ、頷く。

「……いいわ。クローネル二級魔法騎士の具申した作戦を了承します。クローネル二級魔法騎士に、すぐに《伝令メッセンジャー》を。飛竜ワイバーンはまだ送還してないわね?」

「はい。向こうの飛竜ワイバーンに動きがないので、万一の備えとして最後方に留めてあります」

「では全騎に出撃命令。といっても、乗り手が来なければ意味がないから今しばらくは待機のままだけど。――それから、王都へ帰還中のカルヴァート一級魔法騎士にも応援要請を」

「よろしいのですか? カルヴァート大隊長の隊は《擬竜兵( ドラグーン)》の護送中でもあるはずですが」

「さっきの魔動巨人ゴーレムの砲撃で、前に出ていた騎士が大分やられたわ。ただでさえあの魔動巨人デカブツがいるのに、こっちが減るばかりじゃジリ貧よ。レドナの部隊はレクレウスの再攻撃への警戒で動かせないから、次に近いのは彼らしかいないわ。元々、動かせる飛竜ワイバーンをこっちが占領してなければ、すぐに《擬竜兵( ドラグーン)》を王都に護送できたわけだから、さらに戦力を引き抜くのは心苦しくはあるんだけど。背に腹は代えられないわ」

「了解致しました。では、双方ともすぐに手配致します」

「頼むわよ」

 グラディスは部下にそれらの処理を一任し、自らは仮設天幕の下で簡素な机の上に広げられた作戦地図を睨む。

(やられたわね……あの魔動巨人ゴーレムで戦力比を一気に引っくり返されたわ。まさか街道からも外れた旧辺境伯領の攻略に、魔動巨人ゴーレムを三体も出して来るなんて。――やはりレクレウス側でも、先のレドナ攻略は“失敗”と見たのかしら)

 レドナの被害は甚大だったが、レクレウス側としてもレドナを手に入れるという本来の目的は達せなかった。どうやらレクレウス側はどうあっても、ファルレアン国内に橋頭堡が欲しいらしい。

 旧ギズレ領は元々ギズレ家ともう一つの家がそれぞれ継承していた領地を、数十年ほど前に片方の家が絶えたことにより、縁戚関係にあったギズレ辺境伯家が受け継いで併合した地である。ゆえに領都・ディルは本来ギズレ家の領地であった頃のままの位置にあり、現在の領地内では国境側に偏った位置にある。ここを奪われると、レクレウスはディルという前線基地を得てしまう。

(……とにかく、今は魔動巨人ゴーレムの進撃を止めることだわ。それで時間を稼いで、応援を待つ。それしかない……)

 グラディスは唇を引き結び、遥か遠くレクレウス陣の方角を睨むように見つめた。

 一方、彼女の許可を受けた第一二一及び第一三八魔法騎士小隊は急いで後方陣地に帰還し、作戦の準備を進めていた。何しろ今は一分一秒が黄金よりも価値を持つのだ。


「急げ! こうしてる間にも、魔動巨人ゴーレムはこっちに向かって来てるぞ!」


 シルヴィオの鋭い声。彼は飛竜ワイバーンに搭乗するための装備を身に着け、命綱の確認をしていた。彼の他にも、選抜された第一三八魔法騎士小隊の隊員が五人、同じく飛竜ワイバーン搭乗用の装備を着用している。

 だが飛竜ワイバーンは全部で八騎。残りの二騎には誰が乗るのかというと、

「……うう……飛竜ワイバーンって初めて乗るけど、やっぱり迫力あるなあ……」

「でも、よく見たら愛嬌がある……かも」

 第一二一魔法騎士小隊から、ユフィオとユナもこちらに参加することになり、共に搭乗用装備を装着していた。ユフィオは杖を、ユナは愛用の魔法小銃ライフルを、落とさないように命綱とは別のロープで身体に結わえ付けている。

 飛び入りとはいえ彼らも魔法騎士団の一員、淀みない手付きで装備の装着を終え、もう一度手順を確認する。

「僕は防御魔法でイリアルテ小隊長のガード、ユナは他の小隊員と一緒に向こうの飛竜ワイバーンが来た時の迎撃だよね」

「そう。大丈夫、魔力もポーションで回復したし、飛竜ワイバーンは騎手を落とせばそんなに怖くない」

 魔法小銃ライフルのカートリッジをもう一度確認し、ユナが頷く。彼女が扱う魔法小銃ライフルを含む魔法銃は、通常なら術式構成と詠唱によって発動する魔法を、内蔵のカートリッジで構成する仕組みだ。予め術式が組まれており、魔力を注ぐだけで魔法が発動する。魔法の種類によってカートリッジを変更しなければならない手間はあるが、詠唱不要、魔法発動までのタイムラグが非常に短い。加えて魔法そのものが高密度に圧縮されて減衰率が下がるため射程が伸び、また複数の銃及びカートリッジを所持することで魔法の種類変更にもある程度対応できるので、意外と重宝される装備だった。ユナは今回、速度に優れた雷撃の魔法カートリッジをセットした銃をメインに、そしてサブとして攻撃力の高い火系統の魔法カートリッジの銃を、専用のホルスターで腰の後ろに差し、さらに落下防止でロープを結んでいる。

「準備はいいな? じゃあ総員、搭乗!」

 シルヴィオの号令に従い、騎士たちは飛竜ワイバーンに搭乗した。飛竜ワイバーンは基本二人乗りで、騎乗に専従する者が前に乗って手綱を捌き、攻撃を担当する者は後ろに乗る。今回、その後ろの攻撃手がそっくり、第一二一及び一三八魔法騎士小隊員に入れ替わった形になる。ただし、シルヴィオが乗る飛竜ワイバーンだけは、逆にシルヴィオが前、騎手が後ろに乗る形となっていた。これも作戦のために必要なことだ。騎手には難しい飛行になるが、何とかこなして貰うしかない。

 この作戦ではとにかく、長射程の攻撃手段が必要になるため、射程がそれほど長くない魔動銃を使う本来の搭乗員は今回地上で留守番だ。ユナや第一三八魔法騎士小隊の魔法銃士マギガンナーが使う魔法小銃ライフルは、魔力次第で射程を伸ばすことができ、装填も速いため、上空での飛竜ワイバーン迎撃のための人員はすべて魔法銃士マギガンナーで占められた。

「風はほぼ無し。――本隊も出た。よし、こっちも行くぞ。出撃!」

 地上の本隊が再び前へと進むその最後方、八騎の飛竜ワイバーンが次々に飛び立ち、あっという間に遥か上空まで上昇する。その高度、およそ地上八百メイル。地上近くはほぼ無風だったというのに、ここまで上がると意外に風が強い。眼下の戦場がまるで箱庭のように小さく見え、その只中を、三体の魔動巨人ゴーレムが運ばれているのが見えた。

「……来たな。レクレウスも飛竜ワイバーン部隊を上げて来たぞ」

 シルヴィオの瞳が一瞬だけ銀光を纏い、遠い地上の様子を彼に教える。魔動巨人ゴーレムは、台車キャリーに載せるのに手間が掛かるのと、単純に重量があり過ぎるせいで速度が出せないのだろう、まだ一ケイルほどしか進んでいないようだ。レクレウス軍の飛竜ワイバーンの対応は仲間たちに任せ、彼は相棒たる長弓ロングボウを構えて矢を番えた。だがまだ弦は引かない。

「隊長騎と護衛騎以外は高度落とせ! 隊長にあいつらを近付けさせるな!」

 合図と共に、シルヴィオの乗ったもの以外の飛竜ワイバーンが一斉に高度を落とし、レクレウス側の飛竜ワイバーンを迎え撃つ。だがユフィオの乗った飛竜ワイバーンだけは、わずかに高度を下げただけで小さく旋回を始めた。彼はシルヴィオを魔法障壁で守りきるのが仕事なので、混戦に巻き込まれるわけにはいかない。

「――来たぞ!」

「撃て撃て、撃ち落とせェ!!」

 両軍の喚声が入り乱れ、魔法小銃ライフルから撃ち出された魔法と魔動銃の魔力弾が互いを襲う。だが騎手が巧みに飛竜ワイバーンを操ってそれらをかわすため、双方ともなかなか有効打とならない。最初の撃ち合いでレクレウス側は射程が短く威力の低い魔動銃に見切りを付け、こちらも予備武装サイドアーム魔法小銃ライフルに切り替え始める。

 そんな中、ユナはじっと相手の飛竜ワイバーンの動きを観察し、そしておもむろに魔法小銃ライフルを構えて撃った。

 空を裂いてはしった雷撃が、吸い込まれるようにレクレウス側の一騎の騎手を貫く。撃たれた騎手は大きく身を震わせて飛竜ワイバーンから滑り落ち、命綱でぶら下がった。操り手を失った飛竜ワイバーンは、戦場から逸れて飛んで行き、後部に乗っていた攻撃手の兵士が慌てて宙に泳ぐ手綱を掴もうとしている。

 ユナの乗る飛竜ワイバーンの騎手が、ヒュウ、と口笛を吹いた。

「嬢ちゃん、やるなぁ!」

飛竜ワイバーンの進む先を見て、通りそうなところを狙っただけ……よく観察すれば、難しくない」

 ユナがやったのは、いわゆる“見越し射撃”というやつだ。彼女は再び狙いを付け、別の飛竜ワイバーンの騎手を、これまた見事に雷撃魔法で撃ち抜いた。

「――く、くそ! あの小娘を狙え! 撃ち落とせ!」

「させっかよォ! 嬢ちゃん、しっかり掴まってろ!」

 レクレウス側の射撃がユナを乗せた一騎に集中するが、騎手は手綱と踵での合図を操り、飛竜ワイバーンを空中で軽やかに舞わせる。紙一重で躱されて標的を見失った魔法の弾丸は、遥か虚空に消えていった。

 そんな混戦を眼下に、シルヴィオは背後の騎手に告げる。

「――そろそろか。難しいと思うけど、できるだけ揺らさないように頼む」

了解アイ・サー! なあに、風を読むのは数少ない俺の取り柄ですよ!」

 騎手が手綱と踵で合図を送ると、彼らの乗る飛竜ワイバーンは大きく翼を広げて向かい風を捉え、空中で速度を落とし始めた。

「……おい、あれは何やってるんだ?」

「構うな、撃ち落とせ!」

 レクレウス側もその奇妙な動きに気付き、一人の兵士が魔法小銃ライフルで頭上の飛竜ワイバーンを狙った。高速で飛んでいればともかく、減速している今なら、魔動銃のような乱射ができない魔法小銃ライフルでも十分に狙える。飛竜ワイバーンの鱗は貫けずとも、翼の皮膜は鱗より強度が低いので、強力な魔法小銃ライフルの一撃なら撃ち抜けるかもしれない。

 充分に魔力を充填し、引鉄を引く――が、その瞬間、一騎の飛竜ワイバーンが射線上に滑り込んで来た。


「阻め、《二重障壁ダブルシールド》!」


 ユフィオが自身の乗る飛竜ワイバーンの真下に展開した魔法障壁が、放たれた魔法を受け止める。まだ減速しきっていないシルヴィオの乗騎に直接防御呪文を投射するより、自分が魔法障壁を展開しつつ盾となった方が、魔法の発動位置が掴みやすいためよほど効率が良いのだ。

 強力な魔法射撃を弾き散らした魔法障壁を解除、ユフィオがすぐに同じ呪文で新しい魔法障壁を展開すると、飛竜ワイバーンが空中を斜めに滑り、別方向からの攻撃に身を投げ出す。そうして自分を守る仲間たちを眼下に、シルヴィオの騎乗する飛竜ワイバーンは巧みに風にその巨体を乗せ、もはやほとんど空中で静止しようとしていた。

「……よし」

 自らに気合を入れるべく小さな呟き。それを合図とし、シルヴィオは飛竜ワイバーンの首元から身を乗り出すようにして、矢を番えた長弓の弦を引き絞る。身体強化魔法も併用、両足に力を入れて自らの上体が風に流されないよう保持しつつ、双眸に銀の淡い輝きを宿し、彼は詠唱した。

「切り拓け、《風導領域ゲイルゾーン》」

 吹き抜けていく風の一部が、その詠唱によりシルヴィオに寄り添い、一筋の道を作り出す。空から、地上へ向けて。

 その間に障害物はない。迎撃隊は巧みにレクレウス軍の飛竜ワイバーンを誘導し、射線を遮らないよう散開している。

 そして――シルヴィオの魔法で風が変わったことで、わずかにバランスを崩した飛竜ワイバーンを、騎手が抜群の技量で立て直した。

「――よし!」

 騎手が相棒にそう叫んだ次の瞬間、シルヴィオはほぼ横倒しの体勢から矢を撃ち放った。

 甲高い咆哮のような音を放ち、風の道に飛び込んだ矢は、《風導領域( ゲイルゾーン)》の効果、そして上空から地上へと矢を射たがゆえに重力も味方に付け、また実体があるため魔法のように減衰することもなく、逆に見る間に速度を上げて地上へと突き進む。通常より重い矢は自身の重量と補助魔法の加速で、その速度は実に通常の三倍にもなった。加えて、風の強い上空は《風導領域( ゲイルゾーン)》の効果範囲内のため風の影響もほとんど受けることなく、矢は大気を斬り裂いて八百メイルの距離を一気に貫き――魔動巨人ゴーレムを運搬する台車キャリー、その荷台を引く動力たる車両部分の屋根へと突き刺さった!

 ズドン、と腹に響く爆音。《爆裂エクスプロード》の魔法付与エンチャントが作動し、運転席が吹き飛ぶ。続くように二射目。矢は別の台車キャリーの荷台部分の前部に“着弾”し、爆発によって車両と荷台の結合部を大破させた。これでは運搬の用を為さない。

「何だ! 何が起こった!?」

「て、敵襲っ!」

「上から――しかも弓矢だと!? 馬鹿な!?」

飛竜ワイバーン部隊は何をやっている!? 撃ち落とせ!」

「防御しろ! 一台だけでも守るんだ!」

「は、阻め――」

 混乱する地上を黙らせるように、駄目押しの三射目。魔法士がとっさに魔法障壁を張ろうとしたが、呪文の詠唱より矢が天から撃ち下ろされる方が早い。最後の一台の車両部分が見事に撃ち抜かれた。爆発。

「ば、馬鹿な……!」

 呆然と空を見上げ、兵士の一人が震える声で呟いた。


「弓矢で……対地爆撃だと……!?」


 それが、ルシエルの考え付いた作戦だった。一千メイルを超える超長距離射撃を可能とするシルヴィオありきの作戦。本隊を陽動に、少数の別動隊が飛竜ワイバーンで地上からの魔法や狙撃も届かない高度まで上昇し、そこから矢を“撃ち下ろす”――そして、魔動巨人ゴーレムを運搬する台車キャリーが、魔動巨人ゴーレムの魔動砲の射程である三ケイルラインまで近付く前に、足である台車キャリーを潰してしまおうというものだ。主たる移動手段の台車キャリーを失えば、魔動巨人ゴーレムは魔力を消費して自力で歩くか、その場に立ち往生するかの二択しかなくなる。どちらにせよ進軍速度はガタ落ちだ。もちろん台車キャリーの車両部分は、軍用である以上厚い鉄板を用いてあったのだが、上空八百メイルから補助魔法付きで撃ち下ろされた魔法付与エンチャント済みの矢には無力だった。

 シルヴィオが騎手と騎乗位置を入れ替えていたのは、本来攻撃手が騎乗する位置だと、飛竜ワイバーンの翼で射線が遮られてしまうためだ。飛竜ワイバーンを横倒しにできれば話は早かったのだが、いかに飛翔能力に優れた飛竜ワイバーンでも、狙いを付ける間ずっと横倒しで飛ぶのはバランスが崩れて高度が落ちるので危険である。そのため、このような変則的な乗り方となった。無論、“飛行しながら空中で静止する”というのも横倒しと大差ない無茶振りであったのだが、熟練の騎手はその卓越した腕前を惜しみなく発揮し、見事やり遂げてくれた。

「よし、俺たちの仕事は終わった。引き揚げだ!」

 シルヴィオが身体を起こし、魔法で光球を放って撤退を指示。飛竜ワイバーンたちは一斉に翼を翻し、ファルレアン陣へと向かう。もちろんレクレウス側もただで返してなるものかと追い縋ったが、魔法小銃ライフルの魔法射撃に加えてシルヴィオの《爆裂エクスプロード》の矢が飛んで来るに至って、こちらも慌てて転針して引き揚げて行った。何しろ、重装甲だったはずの車両をその矢が撃ち抜いて爆発させたばかりなので。

 その爆撃の成功は、ファルレアンの陣からも確認できた。歓声があがる。双眼鏡で確認していたグラディスの副官も声を弾ませた。

「やりました、大隊長! 魔動巨人ゴーレムの進撃、陣からおよそ四ケイルの地点で停止!」

 だが、同じく双眼鏡を覗いていたグラディスは、未だ笑顔を見せない。


「まだよ。作戦はもう一段階残っているわ」


 ――レクレウス軍の最後方、魔動巨人ゴーレムを運搬していた部隊は、いきなりの天からの強襲に完全に浮き足立っていた。

「畜生、台車キャリーはもう駄目だ!」

「何て奴らだ……!」

「おい、魔動巨人ゴーレム起こせ! ここからなら無理をすればファルレアンの本陣も――」

「無理です! 射程は三ケイルが限界ですよ! それ以上の威力を無理に出そうとすれば、過負荷オーバーヒートを起こします!」

「チッ……!」

 魔動巨人ゴーレム部隊を率いていた指揮官は舌打ちし、

「ならもう一度戦場にぶち込め! せめてファルレアンの犬どもを血祭りに上げて――」

 瞬間。


「し、少佐! 向こうの森から騎馬の一団が――ファルレアンの騎士ですっ!!」


 部下の悲鳴のような報告と共に、轟く馬蹄ばていの音。指揮官は部下を怒鳴りつける。

「なぜあの距離に近付くまで気付かなかった!?」

「ま、魔法です! おそらく風の魔法で音を消して、森伝いに姿を隠しながら――」

「言い訳はいい! 迎撃しろ!」

 自分で理由を問うておきながら切り捨て、指揮官の少佐は剣を抜いた。部下たちが魔動銃を構える――だがその引鉄が引かれる前に、魔法騎士の一団から攻撃魔法が投射された。


「――斬り裂け、《風刃エアブレイド》!」

「貫け、《雷槍サンダースピア》!」

「撃ち抜け! 《氷弾アイシクルバレット》!」


 風の刃が、雷撃が、そして氷の飛礫が兵士たちを撃ち倒す。そして、魔法騎士たちは騎乗していた馬から飛び下り、魔動巨人ゴーレム部隊の横腹から躍り掛かった。

「やぁぁああっ!!」

「邪魔だ退けぇぇ!!」

 シャーロットと第一三八魔法騎士小隊のカシム、二人が先陣を切りそれぞれの得物を振り抜く。どちらも大振りの重量武器だ。運悪くその直撃を食らった兵士は、あっさりと上半身と下半身が泣き別れることとなった。まさしく颶風ぐふう。その威力の凄まじさに、兵士たちが我知らず後ずさる。

「ば、化け物か……!」

 ほとんど吐息でしかない、本人にすら聞き取れなかった呟き。だが、カシムは正確にそれを聞き届け、その兵士の方へと振り返った。

「……化け物っつった、今? いいぜぇ? キッチリ仕留めてやるよ――!」

 カシムがバトルアックスを片手で軽々と振りかざし、兵士は恐怖のあまり絶叫しながら魔動銃の銃口を向ける。

「う、うわああぁっぁああぁ!?」

「食い破れ、《大地餓牙ガイアファング》!!」

 カシムが振り下ろした大斧は大地に叩き付けられ、地面を大きく割り砕く。そこから牙のように尖った岩が次々と突き出しながら瞬く間に兵士の足下まで到達。大地の牙は兵士の放った魔力弾を容易く弾き、逆に兵士の胴を貫いた。

「……俺さぁ、耳いーんだよね? 悪口言う時は気ィ付けろよ?――っつっても、もう聞こえてねーか」

 カシムは凄絶な笑みを浮かべ、背後に向けてバトルアックスを一振り。援護のつもりだったのだろう、レクレウスの兵士が放った魔動銃の一斉射を、そちらを一瞥すらせずすべて弾き散らす。何か魔法付与エンチャントでもされているのか、バトルアックスはびくともしない。

 彼は幼少より尋常でないほどに耳が良く、また腕力も強かった。そのため実の親にすら気味悪がられ、危うく捨てられそうになったほどだ。それを止め、側付きとして拾い上げてくれたのが、母が乳母として仕える主家の息子、乳兄弟にして今の主たるシルヴィオだった。

 その聴力を生かして、カシムは自身の周囲を見ずとも把握することができる。例えば、遠くから加勢に駆け付ける兵士たちの足音も、銃の引鉄を引く際のわずかな金属音も。

「斜め後ろ! アチラさんの援軍来るぜ!」

「了解! そっちは俺とオッサンで片付ける!」

「おいカイル、おまえにオッサン呼ばわりされる覚えはないぞ。年も十も違わんだろう」

「妻子持ちが何言ってやがる。俺は華の独身だぜ?」

 カシムの報告に、カイルとディラークがしょうもないことを言い合いながら迎撃に出る。シャーロットとカシムを筆頭とした魔法騎士たちの斬り込みで混乱した魔動巨人ゴーレム部隊は、それでも指揮官の少佐のもと、操作術者を何とか守り、後方へ退避しようとしていた。

「クロリッド、ジーン! 逃がすな!」

 そこへ飛ぶルシエルの声。そして二人の魔法が放たれる。


『戒めろ、《地鋭縛針ガイアジェイル》!』


 唱和詠唱で放たれた《地鋭縛針ガイアジェイル》は、ゴーレム部隊の半分ほどを巻き込んで発動した。地面から飛び出した長大な鋭い針が、彼らの手足や胴を刺し貫く。いくつもの断末魔の悲鳴。つくづく、捕縛用というのが詐欺に聞こえる極悪な魔法だ。まあこれは本来は対魔物用で、人の捕縛に使う魔法ではないのだが。レドナでベヒモスに使った時のようなケースが、本来の運用法である。

「くっ、こ、こんなところで死んでたまるか……!」

 あっという間に部隊をほぼ壊滅させられ、それでも何とか魔法に巻き込まれるのを逃れた指揮官の少佐は、必死に逃げ道を探す。だが、その眼前に一人の少年が立ちはだかった。

「っ、退けェ小僧――!」

 少佐は血走った目で剣を振り翳し、その少年へと振り下ろす――!


「……薙ぎ払え、《流水斬刃アクアブレイド》!!」


 刹那、少年――ルシエルは踊るようにその一撃を躱しつつ、少佐のそれに倍する速度で剣を振るった。迸る水が刃となり、少佐の胴を呆気ないほどにあっさりと両断、さらに後ろに続く兵士たちをも数人巻き添えに撫で斬りにする。

「逃がさない。――アルから何もかも奪っておいて、あんな風に苦しめて……逃げられると思うな」

 アイスブルーの双眸を冷たい怒りに燃え滾らせ、ルシエルはレクレウスの兵士たちを見据える。もちろん彼らは、魔物を村に誘導したという部隊でも、アルヴィーを《擬竜兵ドラグーン》として作り変えた者たちでもない。彼らの立場からすればこれは、八つ当たりもいいところだろう。だがそれを理解してもなお、ルシエルの中で荒れ狂う怒りは彼らに刃を向けさせる。


 ――村を魔物が襲わなければ、アルヴィーは母を失うこともなく、軍に身を投じることなどもなく、きっとあの辺境の村で幸せに暮らしていけたのに――。


 例え平凡な村人としてでも、穏やかに日々を過ごし、やがては誰かと愛し合って結婚し、新しい家族を得る――本来ならば享受できたはずのそんなささやかな幸せを、レクレウス軍はアルヴィーから奪い、代わりに望みもしない竜の力を押し付けた。その結果、彼は自らの巨大過ぎる力に怯え、僚友たちが狂う様を見せ付けられ、そしてその死を目の当たりにして深く傷付いた。

 幼い頃から自分を照らし続けてくれた太陽。ルシエルにとってアルヴィーはまさに、そんな存在だった。その彼の幸せを、人生を、レクレウス軍は踏みにじり、挙句に《擬竜兵( ドラグーン)》として作り変えた彼を戦争のために利用したのだ。あんなに優しい彼を、戦うためだけの兵器として。

 何を信じればいいのか分からないと嘆いたアルヴィーの震える声を、ルシエルは忘れられない。

 それでも――彼がルシエルをこれからこの国(ファルレアン)で生きるための拠り所としてくれるというなら、自分はそんな彼を必ず守ってみせる。それが、騎士団に入り力を求め続けた理由なのだから。

「――ひッ……! や、やめてくれ! たす――」

 兵士たちが流した血の海の中にへたり込み、辛うじて生き残っていた男がルシエルを縋るように見上げる。その男の装備は兵士のそれではない。ローブに杖。魔法士のものだ。そして魔動巨人ゴーレムを運用する部隊で兵士に守られた魔法士など、操作術者でしかあり得ない。つまり――生かしてはおけないということだ。

「斬り裂け、《風刃エアブレイド》」

 ルシエルは術者の言葉を皆まで聞くことなく、風の刃を纏わせた魔剣で斬り捨てた。目を見開いたままのその死に顔に、呟く。

「残念ながら……僕はアルみたいに優しくはないんだ」

 戦場では甘さとも取られる優しさを、だがルシエルは好ましいと思う。例えそれが、《擬竜兵( ドラグーン)》の圧倒的な戦闘力と生命力によって支えられるものであっても。

(アルはあの頃のままだ。――それでいいんだ)

 立ち込める血の臭いにも眉一つ動かさなくなった自分とは違う。もっとも、それを悲観する気はルシエルにはなかったが。

 あの頃の弱い自分のままでいたくなかった。アルヴィーに守られるばかりの自分にさえも、ルシエルは憤りを感じていたのだ。ただただ、強くなりたかった。

 村を後にしたあの日、立てた誓い。いつか、自分たちを守ってくれた彼を、彼ら親子を、この手で守れるだけの力を必ず手に入れると――ルシエルはそう心に誓ったのだ。

 だから、眼前に広がる悲惨な光景にも、心は動かない。どれだけこの手が血に染まろうとも、アルヴィーを守れるならそれでいい。

「――隊長。魔動巨人ゴーレム部隊はあらかた掃討しました。ただ、前衛からこちらへいくらか兵が向かっているようです」

 粗方の始末を終えたらしいシャーロットが、報告にやって来る。ルシエルは過去へ飛んでいた意識を引き戻し、彼女に頷いた。

「そうか。操作術者は倒したな?」

「はい、最優先に倒しましたので、少なくともここには残っていません。ただ、後方か余所から予備人員を投入される可能性はあります。それと、術者を優先しましたので、護衛の兵士をいくらか取り逃がしました」

「それは仕方ないな。まあ、魔動巨人ゴーレム部隊の再編制には多少時間が掛かるだろう。増援が来る前に引き揚げる。全員に通達を」

「了解しました」

 《伝令メッセンジャー》で撤退が伝えられ、魔法騎士たちは撤退を開始した。レクレウス軍も魔動巨人ゴーレム部隊の仇とばかりに追い縋ったが、そこへ付近で息を潜めて待機していた第一三八魔法騎士小隊留守番組の射撃による妨害が入る。その隙に魔法騎士たちは身体強化や風の補助魔法で速度を上げ、戦場を囲む森に逃げ込んだ。そこで今度は風の補助魔法で音を消し、森の中に紛れる。強襲部隊が森に逃げ込むとほぼ同時、グラディスの指示で前進していたファルレアン軍本隊がレクレウス軍と本格的に接敵したため、レクレウス軍は強襲部隊の追跡を断念せざるを得なかった。

 ――結局この日は決着が付かず、双方は数ケイルの距離を置いて睨み合う形となった。魔動巨人ゴーレムは結局、その場に置き去られたままである。台車キャリーを失ったレクレウス軍はもちろん回収することができず、ファルレアン側としても操作のための術式がどうなっているか分からないので、下手に動かせない。かといって、爆破するには魔動巨人ゴーレムが頑丈過ぎてそれも不可能。そもそも現在位置はまだレクレウス側に近いので、おそらくそちらから人員が出て監視していることだろう。

 ともかく、魔動巨人ゴーレムの魔動砲で陣地ごと一掃される心配が遠退いただけでも、グラディスとしては御の字であった。後は時間を稼いで、応援が来るのを待つばかりだ。

 日没後の陣内では、治癒魔法を使える魔法士が負傷者の治療に走り回り、死線を潜り抜けた騎士たちが武器や防具の手入れに勤しむ。そんな中、ルシエルとシルヴィオは指揮官のグラディスに呼び出され、魔動巨人ゴーレム部隊を食い止めた功績を直々に称えられた。

「――あなたたちのおかげで、魔動巨人ゴーレムをどうにか足止めすることができたわ。後は応援が来るまで時間を稼げば、こちらが押し切れるはずよ」

「応援……ああ、レドナから引き揚げる部隊の一部を、こちらに回して貰うということですか?」

 シルヴィオの言葉に、ルシエルははっとする。

「ですが――王都への帰還部隊は、《擬竜兵( ドラグーン)》の護送人員も兼ねているはずでは……?」

「それでも、レドナの部隊を動かすわけにはいかないわ。レドナの防御力はあの一件でガタ落ち。レクレウスがもう一度そこを狙わないとも限らないし、うかつに部隊を引き抜けないのよ。近場にいてすぐに動けるのは、カルヴァート一級魔法騎士の部隊しかいないの。もちろんある程度は《擬竜兵( ドラグーン)》の護送に残すはずだから、そちらはそのまま王都に向かうはずだわ」

「そうですか……」

 何となく胸騒ぎを覚えて、ルシエルはわずかに目をすがめる。だが、上官がすでに応援要請をしているのだ。今さら口を出すわけにもいかない。

 すっきりしないまま退出し、自分の隊へ戻ろうとすると、シルヴィオが声を掛けてきた。

「……何か気になることでもあるのか?」

「レクレウスは是が非でも《擬竜兵( ドラグーン)》を奪還したいはずだ。だとしたら、応援要請で護送の人員が減るのは、絶好のチャンスになる……」

「でも、国境ならともかく、ファルレアン国内で事を起こすか?」

「分からない。でも、何となく嫌な予感がする……」

 ルシエルはレクレウス軍が陣を張る方角の空を見やった。もうわずかばかりの残照が残るのみの空は、ルシエルの抱える気分のせいか、どことなく不安を煽るような色をしているように見える。

「……まあ、カルヴァート大隊長は実力なら特級クラスって言われてる人だろ? そうそう後れは取らないさ。――じゃあ、俺はちょっと、カシムを治癒魔法士のところに連れて行くから、ここで」

「彼はどこか怪我でも? 作戦の時は異常ないように見えたけど……」

「ほら、あいつは耳が良いから。多分、あの砲撃の時に耳が馬鹿になってたはずだ。ポーションで治したにしても、影響が残ってないとは限らないから、念のために診せておこうと思ってね。どうせ今頃、陣地の中をふらふらしてるだろうから、俺が引きずって行かないと」

 確かに、あの時の轟音は音というより、いっそ衝撃波だった。人より耳が良いというなら、あれは相当堪えただろう。

 シルヴィオと別れ、ルシエルも自身の隊が割り振られた一角へと歩き出す。だが、妙な胸騒ぎがおさまらない。

(考え過ぎだといいけど……悔しいな、ここからじゃ遠過ぎる)

 すぐに親友を守りに行けない距離の隔たりに、ルシエルは恨めしげにもう一度空を睨んだ。



 ◇◇◇◇◇



 その男が“彼ら”のひと時の根城である酒場に現れたのは、とある日の夕刻のことだった。

「――よう、《紅の烙印クリムゾン・スティグマ》の皆さん方。相変わらずだな」

 酒場の入口を潜った瞬間、目の前を横方向に吹っ飛んでテーブルと椅子を巻き込み“着地”した男を一瞥し、彼は何事もなかったように、店内を占領する厳つい荒くれ者どもに挨拶した。どこか飄々とした雰囲気の、記憶に残り難そうな印象の平凡な顔立ちの男。彼は傭兵団《紅の烙印クリムゾン・スティグマ》を率いる頭領のもとに真っ直ぐ向かうと、ニヤリと笑ってみせた。

「相変わらずイイ女だな、《下位竜( ドレイク)殺し》」

「は、褒めてくれるのはいいけど、あんたちょっと年がねえ」

 その右手で自分よりも体格の良い男を、首を鷲掴みにして軽々と持ち上げながら、猛獣のような笑みを浮かべたのは何と女だった。年の頃は三十に届くか届かないかというところ。青みがかった癖の強い黒髪を無造作に束ね、金にも見えるはしばみ色の瞳は猫科の猛獣を思わせる。美女ではあるが、野性的な印象の強い女だった。一般的な女性に比べると背も高く大柄。鍛えられているのが一目で分かる体躯はまさしく女戦士アマゾネスというところだ。そして何より目を引くのは、背後の壁に立て掛けた大きな剣――彼女自身の身長に匹敵する、トゥハンド・ソードと呼ばれる巨大な両手剣である。

 彼女は不幸な男を猫の仔か何かのように片手で放り投げ、別のテーブルに頭から突っ込むのに目もくれず椅子に座ると、奇跡的に無事だったグラスの中身を呷った。そして“被害者”たちがよろめきながら店を逃げ出すと、唇を歪める。

「で? わざわざあんたから繋ぎを取って来たんだ。何の用だい? レクレウス軍情報部の隊長さんよ」

「ああ、あんたら――《下位竜( ドレイク)殺し》ノイン・バルゼルとその仲間の荒くれ者どもを見込んでの依頼だ。大仕事だぜ」

 男――レクレウス軍情報部特殊工作部隊小隊長、ブラッド・ルーサムは、酒場に来たのに酒を頼むでもなく、女を見据える。彼女は空のグラスに酒を注ぎ、ブラッドの目の前に音を立てて置いた。

「あたしはね、自分より酒が弱い男の頼みなんか聞かないよ」

「頼みじゃなくて仕事ビジネスなんだがな……まあいい」

 ブラッドはかなり度数のきついその酒を一気に呷る。実はザルを通り越してワクと呼ばれるような人種の彼は、特に堪えた様子もなく話を続けた。

「これは俺というより、軍としての依頼なんだが――聞くか?」

「あたしらが聞かなきゃ、他にどこへ持ってくつもりなんだい?」

「そうさな、ランクは落ちるが、《タリスマン》か《暁の鉄槌》か……」

 それを聞いて、ノインの目が鋭く光る。ブラッドが挙げたのはどちらも、《紅の烙印クリムゾン・スティグマ》と鎬を削っている傭兵団の名前だ。だが《紅の烙印クリムゾン・スティグマ》と違って、各国を股に掛けて活躍している有名な傭兵団でもある。《紅の烙印クリムゾン・スティグマ》としては、目障りな存在だった。仮にも国からの依頼がそちらに攫われるというのは、甚だ面白くない。

 《紅の烙印クリムゾン・スティグマ》には他の傭兵団と比べても荒くれ者が多く、中には脛に傷持つ身や、仕事中に勢い余って“やらかして”しまった者も少なくない。《紅の烙印(かれら)》はレクレウス王国をメインに活動しているが、それは他の国では団員が指名手配されていたりして自由に動けないという理由もあった。レクレウス王国でそういったことがないのは、目の前のこの男が、軍の情報部という立場を使って事件をいくつか揉み消してくれたからに他ならない。無論それは親切心などではなく、必要な時にカードとして切るためだろう。まさに今のように。

 様々な思惑の末に、ノインは口を開いた。

「……大仕事ってのは、どれくらいなんだい?」

「報酬は五千万クリーグだ。それと、秘密裏に鉱山を一つくれてやるとさ」

「何だって?」

 さすがにノインも耳を疑った。この大陸には十近い国があり、そのほとんどが独自の通貨を定めているが、レクレウスのクリーグ貨はファルレアン王国のディーナ貨、ヴィペルラート帝国のマルス貨と共に、大陸内の国家間での標準貿易通貨とされている。それが五千万、金貨にして五千枚というだけでも破格の報酬なのに、鉱山まで付いてくるなど、今まで聞いたこともない。

「正気かい? 金はともかく、鉱山はモノによっちゃ一生モンのお宝じゃないか――まさか、屑鉄しか出て来ないようなシケた山じゃないだろうね?」

「良質の鉄鉱石が取れる立派な鉱山だ。埋蔵量も結構なものらしい。採掘で利鞘を稼いでもいいし、転売して金に換えてもいい。あんたらみたいな稼業に領地なんぞ渡してもかえって邪魔だろうし、国代々の宝物なんか捌く当てもないだろう。鉱山なら権利書一枚持ってりゃそれが金になるし、国が権利を保証する。悪い話じゃないと思うがね」

「……報酬が破格なのは分かったけど、どんな仕事なんだい?」

 探るような目で見てくるノインに、ブラッドはうそぶく。

「心配しなくても、法に触れるようなことじゃない。いやまあ、余所の国に不法入国することになるし、そっちじゃ色々と法律を踏み倒すことになるが、少なくともレクレウス国内で犯罪者呼ばわりされることじゃあないよ。むしろ英雄扱いされるかもしれないぜ? 何せ、不当にファルレアンの騎士団に連れ去られた同胞を奪還するんだからな」

「たかが国民一人のために、そこまで大盤振る舞いするのかい?」

「もちろんただの国民じゃない。――これはここだけの話なんだがな、そいつは軍の極秘実験の被験者で、唯一の成功体だ。戦闘に特化した能力持ちで、理論上は《下位竜( ドレイク)》を向こうに回して戦える」

「へえ……」

 ノインは興味を持ったように瞳を光らせた。

「そりゃまた、大層なもんじゃないか。けど、そんな奴が何でまた、ファルレアンの騎士団に捕まったりしたんだい?」

「被験者は全部で四人いたんだが、他の三人はファルレアンでの作戦行動中に暴走してな。暴れるだけ暴れて死んじまったんだが、おそらくその暴走に巻き込まれて行動不能にでもなったところを捕まったんだろう。直前まで一緒に行動してたらしいからな。いくら《下位竜( ドレイク)》並みに強かろうと、意識が飛んでちゃどうしようもないさ。まあそんなわけで、国としちゃ何が何でもそいつを取り戻したいわけだ。それでこの大盤振る舞いってことさ。何せ、ファルレアンの騎士団――特に魔法騎士団は、戦闘力の高さで周辺国でも有名だ。そんな連中を山ほど……それこそ何百人って単位で相手にしなきゃならんわけだから、滅多な奴には頼めない。それこそ優秀な魔法士や《剣聖》まで従えてるって噂の《下位竜( ドレイク)殺し》くらいでなきゃな」

「なるほどねぇ……」

 ノインは考える目付きになって、宙に目をやる。周囲の男たちは金貨五千枚に鉱山という破格の報酬に、目をぎらつかせていた。

 やがてノインは、ブラッドに視線を戻して探るような目をする。

「話は分かった。報酬もいいし、受けてもいい……ただ一つだけ訊きたいんだけどね」

「何だ?」

 これでも情報部、隠し持っている情報も無論ある。この件についても事情の一部はぼかしているのだ。何を訊かれるのかと内心身構えたブラッドに、ノインはニヤリとして、


「――その極秘実験の成功体とやら、見目はいいかい?」


「……は?」

 情報部特殊工作部隊小隊長ともあろう者が、一瞬質問の意図が理解できずに間の抜けた声をあげた。

「は? じゃないよ。どうなんだい?」

「いや……まあ、悪かないと思うが……まだ十六、七のガキだぜ?」

「はっはぁ、そりゃ姐御の好みドンピシャじゃねえか!」

「姐御は若ぇのに目がねえからなあ!」

「どうせ掻っ攫うなら、若くて見目が良いに越したことはないだろ!」

「あー……まあ、それでやる気が出るんなら何も言わんが。多少暴れるかもしれんが、殺してくれるなよ? 大抵の攻撃じゃ死なない身体になってるが、あんたのその剣、《下位竜( ドレイク)》殺してその素材で誂えたんだろ? 竜の素材で作られた武器は竜種の回復力を阻害するって話だ。《擬竜兵( ドラグーン)》も半分竜みたいなもんだからな、それで思いっきりぶった斬られりゃ、さすがにどうなるか分からん」

「活きもいいのかい、ますます気に入った。そういうのを躾けるのが堪んないんだよ」

「…………」

 どうやら目の前の女傑が少々特殊な嗜好を持ち合わせているらしいことをブラッドは察したが、言及はせずに立ち上がると、魔法式収納庫ストレージから書類と重たげに膨らんだ袋をいくつか取り出し、テーブルに置いた。

「大まかな計画書と、奪還目標の詳しい情報、ファルレアンの騎士団が通るルート、それからファルレアンにばれずに出入国できるルートの情報だ。情報を頭に叩き込んだら、書類は破棄してくれ。計画はそっちの都合に合わせて臨機応変に変更しても構わん。それからこれは前金と、ポーションの類だ。軍が採用を予定してるもので、身体能力が劇的に跳ね上がる。《擬竜兵( ドラグーン)》と渡り合うんなら、これくらいは要るだろう」

 ヒュウ、と短く口笛を鳴らし、ノインはその袋を持ち上げる。袋の口を緩めてみれば、眩い金色の輝きが零れた。それも袋の大きさと数、重さからして全部で数百枚は下るまい。そしてもう一つ開けてみた袋には、ポーションがたっぷり詰め込まれている。

「気前のいい話だね」

「事前の準備は大事だぜ。そうだろ?」

「ああ、まったくだね。話が分かる依頼人で嬉しい限りだよ」

「それじゃ、いい報告を待ってるぜ」

 ブラッドはひらりと手を振って酒場を出て行く。うらぶれた路地を歩きながら、彼はこれからのことに考えを巡らせた。

(さて、と。これで《擬竜兵( ドラグーン)》が奪還できれば良し、できなきゃ……いよいよ俺の首もやばいかな、物理的に。――ともあれ、レドナの一件で部下が大分減っちまったからなあ。人員の補充がなきゃ、あちこち飛び回れもしねえ。しばらくは新しく来る奴を扱いて、使えるレベルまで持ってかねえとな……)

 《擬竜兵ドラグーン》奪還作戦の時のいざこざで、手練れの部下たちを何人も失い、情報部特殊工作部隊は大きな痛手を被った。そんな陣容でファルレアンの騎士団の中に突っ込むなど、自殺行為もいいところである。彼が金で傭兵を雇ったのは、そういう事情もあった。もちろん金貨五千枚という大金や鉱山の権利など、彼一人で用意できるはずもない。これらは情報部の活動資金に加え、軍務大臣からの援助も入っている。《擬竜兵( ドラグーン)》の奪還は、もはや国策なのだ。

 と――物思いに耽りながら歩く彼の背後から、そっと近付く人影。この辺りにたむろしている浮浪者の一人だ。そこそこ身なりの良いブラッドを襲って、身包み剥いでやろうという目論見で、彼はその辺から調達して来た棍棒代わりの木材を振り上げ――。

「――がっ!?」

 次の瞬間、飛んで来たナイフが額に突き刺さり、男は何が起きたのかも分からずに絶命した。

「……ったく、一歩裏通りに入りゃ、本当に治安が悪ィなあ、この辺は……」

 もちろん、この程度の浮浪者の気配など、ブラッドはとうに気付いていた。戦闘が本業でないとはいえ、彼とて軍人の端くれ。戦闘訓練くらい受けている。振り返りざまに投げたナイフを男の額から回収し、こびり付いた血を男の服で拭うと、元通りホルダーに仕舞った。

 男の死体は、放っておけばこうした裏路地を住処とする他の浮浪者やストリートチルドレンが、身包み剥いで始末してくれるだろう。彼らは死体からでも使えるものは残らず毟り取る。不運な男のことはそれきり頭から放り出し、ブラッドはそのまま歩き出した。

 彼には他にも、すべき仕事が山のようにあるのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ