第108話 もうひとつの後始末
「――お」
自宅の庭で日課となっている鍛錬に勤しんでいたアルヴィーは、足の下を“何か”が走り抜けていったようなかすかな感覚に、小さく声をあげた。
「……何だ、今の」
『ふむ、地脈とやらが大分落ち着いたようだな』
「え、じゃあ」
アルマヴルカンの一言に、アルヴィーがはっとした時。
『――アルヴィー!』
眼前の地面から飛び出してきた黄白色の光の塊が、そのままの勢いでアルヴィーの胸元に突き刺さるように飛び込んできた。
「うぐふっ」
正直結構効いたが、何とか持ちこたえて踏み止まる。
「おかえり、フォリーシュ。――頑張ったな」
労いに、フォリーシュは撫でられた猫のように目を細める。見た目が少し大人びたように見えるのは、地脈の制御を果たして高位精霊へとランクアップしたからだろうか。
『もうこの辺りの地脈は整えたから、大丈夫』
「そっか。ありがとな、お疲れ。――けど、思ったより早かったな。あんなの制御するなんて、大変だっただろ?」
『この辺りはわたしが捕まっていた陣とは違って、流れを捻じ曲げられていたわけじゃないもの。ただ、精霊に力を吸い上げられて流れが滞っていただけだから、それを元の流れに戻してあげれば良かったの』
そういった感覚はアルヴィーにはよく分からないのだが、アルマヴルカンも地脈が落ち着いたと言っていたし、いきなり王都のどこかが吹っ飛ぶような事態は避けられたのだろう。安堵の息をつく。
『――ふうん。そこそこ上手くやったみたいだね』
と、この場にはいないはずの第三者の声。アルヴィーは懐から鎖付きの水晶を引っ張り出す。それは思った通り、ほろほろと黄白色の光を零して輝いていた。
「シュリヴ?」
『地脈は安定した感じするし、もう大丈夫なんじゃない?――で、あいつも高位に上がったみたいだね』
『そうよ』
フォリーシュは自慢げに胸を張る。もっとも、少し大人びたといってもまだまだ外見年齢は十代前半というところなので、子供が背伸びしているような微笑ましさがあるが。
『……で? おまえ、どこに宿るつもりなのさ。地属の高位精霊が、まさか守る地もなしにふらふらしてるわけにもいかないだろ?』
シュリヴの問いに、問われた本人ではなくアルヴィーが首を傾げた。
「そんなもんなのか?」
『当たり前だろ。多少余所に足を伸ばすことはあっても、基本どこかに自分が守護する土地を持つのが地精霊ってものさ』
呆れたように言われるが、生憎人間に地精霊の常識など分からないので、なるほどと拝聴するしかない。
そんなやり取りを余所に、当の本人は難しい顔で何やら唸っていたが、
『……あそこは、ダメ?』
指差したのは館の庭の一角、木と岩で自然の小山を模した場所だ。アルヴィーは頭を掻いた。
「あー……悪いけど、この屋敷はちょっとなあ。ウチの家妖精は臆病だから、フォリーシュみたいに強い精霊が居着いたらびびりそうだ。こないだまではフォリーシュもまだ本調子じゃなかったけど……」
『それに、ただでさえここには火竜の加護持ちのアルヴィーがいるんだ。そこに高位精霊まで加わったら、また変に力が偏って溜まりかねない。少し考えれば分かるだろ』
『何よ、そんな嫌味な言い方しなくても良いじゃない!』
『はあ? せっかく忠告してやってるのに!』
「あーもう、二人とも落ち着け!」
同じ地の高位精霊だというのに、なぜかこの二柱の精霊は相性が悪いらしい。そういえば最初から妙に喧嘩腰だった気がする、と遠い目で今さらながらに思い出すアルヴィー。
むう、と頬を膨らませたフォリーシュが、くいくいとアルヴィーの袖を引っ張る。
『……どうしても、ダメ?』
「うーん……」
どこかフラムを髣髴とさせるつぶらな瞳に、アルヴィーは唸ったが、自邸の敷地内に高位精霊を住まわせるというのは色々な意味でよろしくない。家妖精のティムドが怖がるであろうというのも事実だったが、あまり“力”を持ち過ぎると、国としても扱いに困るだろうことは想像に難くなかった。
(どうしたもんかなあ……)
しばし悩み、そして。
(……とりあえず、上に話通してみるか)
さすがに、高位精霊が宿るかもしれない地をこんなところの立ち話で決めるのはまずかろう。もちろん、フォリーシュがどうしてもと言えば、それは最大限考慮されるだろうが――ひとまずは、出来うる限り問題がなさそうな場所について、上層部にお伺いを立てるのが一番無難だ。
勝手に上層部を巻き込む算段を立てながら、アルヴィーは取り急ぎフォリーシュを宥めることにした。
◇◇◇◇◇
ヴィペルラート帝国帝都ヴィンペルン、《夜光宮》。
その名の由来となったヴィペルラート特産の《夜光岩》がふんだんに使われた宮殿内の回廊を、ユーリ・クレーネは歩いていた。
いつものように玉座の間の扉を顔パスで通り抜け、玉座に座す皇帝その人に歩み寄る。
「――どうだ、解析は進んでいるか?」
問いに、ユーリは軽く肩を竦めた。
「それなりだよ。けど、持って帰れた陣は一部だけだし、これかなっていうのがいくつかある程度だけど」
「充分だ」
ロドルフは満足げに頷く。その手にある数枚の書面に、ユーリは首を傾げた。
「それはそうと……何それ?」
「ん? ああ、《擬竜騎士》の件に関するファルレアンからの返答だ。やはり、そう簡単に寄越してはくれんな」
ばさり、と正式な外交文書であろうそれを放り出し、ロドルフは面白くないと大書きしたような顔でぼやいた。
「別に取って食おうというわけじゃなし、数日招待するくらい良いだろうに。そもそもあっちは、高位元素魔法士が二人もいるんだぞ」
「まあ、ファルレアンがうちの都合に合わせる必要ないしね」
身も蓋もなくばっさり切って捨てたユーリに、ロドルフは半眼になった。
「……そんなことは分かっているさ。まして今、あの国は勢いがある。レクレウスを下したことで、ひとまず外患に関しての対処は済んだ。――まあ、クレメンタイン帝国なんぞというわけの分からんものは残っているが、あれはファルレアン一国で片付くようなものでもないだろう。我が国も、連中には返さねばならん借りがある」
ヴィペルラートもまた、クレメンタイン帝国関係者である少女に、国境警備の軍を壊滅させられている。ロドルフの双眸が鋭い光を放った。
「盛大に我が国に喧嘩を売ってくれたが――いずれその分は返させて貰うとしよう。もしかしたらおまえにも出て貰わねばならんかもしれんが、その時は頼むぞ」
「いーよ。それ込みの高位元素魔法士だしね」
ユーリもその翠緑が混ざる蒼い瞳を好戦的に輝かせた。
「あいつとは《虚像》でしかやり合ってないし、実際当たってみないと分かんないこともあるけど」
「ふむ。――“同じ存在”だという《擬竜騎士》と手合わせでもできれば、感覚も掴めようがな」
「そこファルレアンに却下されてるんだから、どうしようもなくない?」
またしてもばっさりと、ユーリが切って捨てた。
「……まあ、ファルレアンの方針はともかくさ。ウチはどうなの。エンダーバレン砂漠の方、開発進んでるの?」
ユーリとしては何がしたいのか良く分からないクレメンタイン帝国よりも、自分も関わったエンダーバレン砂漠の開発の方が気になる。もっとも、彼が水脈を引き、少しずつ植生も確認され始めているので、かの地から“砂漠”という言葉が取れるのもさほど遠い日ではないのかもしれない。
彼の問いに、ロドルフはにやりとした。
「ぼちぼち、というところだ。開発はおおむね計画通りに進んでいる。もちろん、俺の代で終わるような話ではないが、それでもそう遠くない未来、あの地にはまた人が住めるようになるだろう」
「魔物は? あの辺魔物がよく湧くとこだよね」
「レクレウス侵攻の分の兵力を回したからな。討伐も順調だ。素材が大分溜まってきているそうだが、それを売却した利益も開発資金に回せば良いだろう。さて、国内貴族がどれだけ金を出すかな」
「国内で捌くの?」
「目端が利く者なら、開発後の利権に目を付けているからな。素材に金を出すことで、その権利を“買う”のさ」
「ああ……開発に金の方で協力したって言うため?」
「そういうことだ。もちろん、もっと大っぴらに直接金や私兵を出してくる家もある。まあ、そういう家を優遇せんわけにはいかんが、かつてあの辺りに領地を持っていた家もあるからな。その調整が面倒ではあるが」
ロドルフは嘆息したが、言葉ほど嫌がってはいないようだった。
その理由が、ユーリには何となく分かる。
「ふーん。――でもまあ、いいんじゃない。余所に戦争吹っ掛けるよりは」
「まあな」
彼は満更でもないと笑みを浮かべる。元は帝位など興味の欠片もなかった皇子だが、弟たちに玉座を渡すための“繋ぎ”としてでもこの椅子に座った以上、より良い国を渡してやりたい。
戦争に明け暮れる国ではなく、平和な国を。
「……そのためにも、できれば戦など、俺の代で終わらせておきたいものだがな」
そう呟いた、自身も決して戦争を好んでなどいない皇帝を、ユーリはその蒼い双眸で静かに見つめた。
◇◇◇◇◇
長い榛色の髪を風になびかせ、メリエは顔をしかめて叫んだ。
「……つっっまんない!!」
彼女の眼前には、無残な殺戮の痕が広がっていた。焼け焦げた魔物の骸がそこかしこに転がり、木々は未だ松明のように勢い良く燃え上がっている。大地さえ炎の舌に舐められ、煙を上げていた。蟠る空気は熱く、彼女でなければ息もできないほどだ。
そんな灼熱の中、メリエは左腕のじくじくとした疼きに、苛立たしく舌打ちした。
(全っ然おさまらない……何なの、これ!?)
滅茶苦茶に腕を振り回したくなるような左腕の疼きは、こうして辺りを焼き尽くしても治まらず、むしろ強くなるようだった。
八つ当たりのように地面にブーツの踵を打ち付け、そして思い出す。
――それは、彼女がまだレクレウスの《擬竜兵》であった頃。
レドナで暴走した際に感じたものと似ていた。
もっともっと、何もかもを吹き飛ばし、焼き尽くしてしまいたい。
それを自覚した瞬間、メリエの唇が歪んだ。
(……じゃあ、好きにしていいんだよね。だって今のあたしは、“何か”に乗っ取られてるわけじゃない)
“前”のように竜の魂に引きずられた暴走ではない。これは紛れもなく、メリエ自身の裡にある欲望だ。
すべてを吹き飛ばしてしまいたいのも、おさまらない疼きに苛立つのも、他でもない自分自身の感情。
――ならば、自身の求めるままに、すべてを吹き飛ばしてしまえばいい。
そうすれば、この疼きもきっと楽になる――。
ビキリ、と鱗に包まれた左腕が小さく震えた。
菫色の双眸が、獲物を探すように鋭くなり、辺りを睥睨する。今しがた彼女自身が作り上げた灼熱の地獄の中、少しでも動くものがあれば即座に消し飛ばしてしまいそうな張り詰めた空気が、メリエの周囲を包み込んでいく。
――その時。
「……あらあら。やはりあなたには、少し強過ぎましたかしら」
不意に背後からかかった声に、メリエは考えるより早く、振り向きざまに《竜の咆哮》を撃ち放っていた。
空間を真っ直ぐ貫く光芒は、だが途中で不自然に大きく曲がる。魔法障壁で《竜の咆哮》を容易くいなし、レティーシャは涼やかに微笑んだ。
「メリエ、少し辛抱なさい。今はまだ、その力があなたの身体に馴染んでいる最中でしてよ」
「うっるさいなあ!」
両目を吊り上げ、メリエは左腕を振るう。またしても迸る光芒。だがそれは、レティーシャではなく彼女が創り出した魔法障壁に突き刺さり、炎と轟音を撒き散らした。
「ちっ!」
小さく舌打ちを吐き捨て、踏み込む。左手に伸ばした《竜爪》を振り翳し、レティーシャに斬り掛かる――。
「――我が君!」
だがその深紅の刃は、彼女に届く寸前、銀の刃に阻まれて明後日の方に流れた。
「我が君、危険です。お下がりください」
「心配ありませんわ、ダンテ」
「ですが――」
励起させた《シルフォニア》を手に、レティーシャを護るべく割って入ったダンテに、しかしレティーシャは危機感などまるで感じさせない笑みを見せた。
「ちょっとした反抗期のようなものですわ。受け止めてあげるのは親の務めというものでしょう?」
「だから……誰が親だっての!」
ただでさえ苛立ったところを余計に逆撫でされ、メリエはそれを叩き付けるかのように《竜爪》を振り回した。型など一切無視した、だがそれだけに不規則な攻撃が繰り出されるが、ダンテはいとも簡単に捌ききる。
「こっ――のぉっ!!」
激昂したメリエの荒れ狂った感情を表すように、左肩の魔力集積器官から炎が噴き出す。それは蛇のように彼女の左腕を伝い、《竜爪》に巻き付いた。炎を纏った《竜爪》と、白銀に輝く《シルフォニア》が何度となく打ち合い、剣戟というにはあまりに美しい音を奏でる。
「……なるほど。前よりは剣筋が良くなったかな」
「あんたのそういうとこ――ほんとムカつくわ!」
跳び退って距離を取り、メリエは《竜の咆哮》を放つ。対するダンテも《シルフォニア》を打ち振った。不可視の刃が空を裂き、光芒とぶつかり合って弾け飛ぶ。巻き起こった爆風に、メリエが思わず顔を背けた時。
「――はい、そこまで」
ひたり、と首筋に当てられた冷たい感触に、メリエは顔を歪めた。
「……最ッ悪」
「戦いの最中に敵から目を離すなんて、愚行中の愚行だよ。――で、まだやる?」
「……分かったわよ!」
メリエは憤懣やる方ないといったように吐き捨て、《竜爪》を収める。そして、気付いた。
「……あれ?」
さっきまであれほど自分を苛んでいた左腕の疼きが、妙に軽くなった気がして、彼女が首を傾げる。
「何で?」
「先ほども申しました通り、今は追加移植した竜の肉片の持つ力が、あなたの身体に馴染んでいる最中ですの。ですがその際、受け入れきれない力が精神を不安定にさせたり、左腕に変調を感じさせたりといった症状となって表れているのですわ。――ですがそれもひと時のこと。こうやって力を適度に発散させて対処すれば、症状は抑えられます」
「あー……そういうこと」
原因が分かれば何ということはない。メリエはため息をついて、左腕を通常状態に戻した。
「……じゃあ、時々こうして暴れてればいいってこと?」
「そうなりますわね。――ですが、あまり帝都に近過ぎるところでは控えてくださいませね。民が不安になってしまいます」
「はいはい、了解」
話している内に気分も落ち着いてきて、メリエは戦いで乱れた髪を整える。
「……でもさ、前にアルヴィーに移植した時は、そんな感じでもなかったけど。何であたしだけ?」
「あの子は、あなた方四人の中でも最も竜の細胞との適合率が高かった子です。先天的に、竜の力に馴染み易かったのですわ」
「へえー……」
感心したように呟いて、メリエは瞳をきらりと光らせた。
「そっか。――じゃあ、暴れるならアルヴィー相手がいいな。手加減要らないから思いっきり戦れるし、上手く行けば連れて帰って来れるもんね!」
「その前に、メリエ。一つあなたにお願いしたい仕事がございますの」
「ええー?」
盛大に顔をしかめたメリエだったが、にこにこと微笑んだままのレティーシャに、抵抗は無駄だと悟って嘆息する。
「……分かったわよ。何すればいいわけ?」
聞き分けの良くなった彼女に、レティーシャは満足そうに微笑みかけた。
「良い子ですわね。実は――」
◇◇◇◇◇
フォリーシュの落ち着き先を相談するべく、アルヴィーは彼女を連れて騎士団本部に向かい、ジェラルドを介してまずは騎士団長に面談を――というところで、逆に思わぬ任務を振られることとなった。
「――アークランド辺境伯領に……ですか?」
「うむ」
ジェラルド経由で面談が叶った騎士団長ジャイルズは、アルヴィーの問いに頷いた。
「例の地精霊の暴走が、アークランド辺境伯領でも起きたという話は、聞いているだろう」
「あ、はい」
「幸い暴走そのものは、カルヴァート一級魔法騎士たちによって抑えられたが、問題はその後始末だ。王都での暴走では、地脈とやらが妙なことになったそうだな?」
「……あ、なるほど」
ここまで聞けば、アルヴィーにもジャイルズの言わんとすることは分かる。
「フォリーシュに、そっちの地脈もどうにかして欲しい、と」
「そういうことだ」
『わたし?』
ことんと首を傾げるフォリーシュに、アルヴィーが説明する。
「実は、ここからずっと西に行ったところでも、地精霊の暴走が起きたんだ。つまりそこでも、地脈がおかしなことになってるかもしれない、ってことで」
『ああ、そういうこと。わたしがそっちの地脈も直せばいいのね?』
フォリーシュも事情を呑み込み頷いた。一度王都で地脈の制御に成功しているからか、その表情に気負ったところはない。
「大丈夫か?」
『できるよ』
こくんと頷き、フォリーシュはアルヴィーの手を引いた。
『行きましょ』
「ちょ、ちょい待ち! まだ話が残ってて――」
『だって、地脈の乱れは放っておくと、後々大変なのよ? いきなり地震が起きたり、大穴が空いたり』
「げ……」
予想外にとんでもない事実に、アルヴィーは思わず呻いた。
「それはちょっと……」
「ふむ。ならば急がねばならないな。――ちなみに、そちらの用件というのは?」
「あ、あの、フォリーシュが落ち着けるような場所が、どこかにないかな、と……うちの庭ってわけにもいかないだろうし」
「なるほど。ではその件については、こちらでも候補を考えておこう。取り急ぎ、アークランド辺境伯領に向かってくれ」
そんなわけで、いきなり出張である。
「――ひとまず、着替えとか携帯食とかは大丈夫だな……どうせ向こう行くなら何か見舞いでも持ってくべきか……?」
準備のためにジャイルズのもとを辞し、アルヴィーは頭を悩ませつつ、一旦自邸へととんぼ返りした。近所への見舞いを任せていたルーカスに尋ねれば、食料品や酒などを差し入れたという。といっても、直接物を持参したわけではなく、アルヴィーの名で業者に注文を出し、納入そのものは業者に任せた形だそうだ。格上の家に対しても、基本はそれで良いらしいので、現地に着いてから店を探して注文を出すことにする。
一応それなりの現金を魔法式収納庫に突っ込み、ルシエルに連絡を入れておいてくれるようルーカスに頼むと、フラムを左肩に乗せ、アルヴィーは再び王城に向かった。アークランド辺境伯領に向かうため、騎士団が飛竜を用意してくれる手筈になっている。
……だが。
結局のところ、それは無駄に終わることとなった。
王城に到着し、飛竜の発着場に向かっていると、フォリーシュが首を傾げる。
『どこに行くの?』
「ああ、飛竜の発着場だよ。アークランド辺境伯領は遠いから、飛竜を使うんだ。――そろそろ俺も、騎乗訓練受けとくべきかなあ……」
騎士学校出身ではないアルヴィーは、飛竜の騎乗訓練を受けておらず、未だに騎手付きでないと飛竜には乗れない。以前にウィリアムにもその辺りを突っ込まれたので、やはり騎士としては飛竜の騎乗訓練は受けておかなくてはならないだろう。
そんなことを考えつつ、発着場に着く。
飛竜の発着場は、複数の飛竜の離着陸を考慮しての設計となっているため、それなりに広い。周囲には地魔法で作られた石造りの塔や、申し訳程度の小さな森。飛竜たちの“家”であり、翼を休めるための場所だ。
アルヴィーが姿を見せると、すでに用意された飛竜の横で、騎手を務める騎士が敬礼した。
「お目に掛かれて光栄であります、《擬竜騎士》。今回、僭越ながらわたしが騎手を務めさせていただきます」
「どうも。よろしく――」
敬礼を返しつつアルヴィーがそう言いかけた時、フォリーシュが彼の服の裾を引いた。
『そんなの使わなくても、わたしが連れて行けばすぐよ?』
「え?」
『森があれば、“道”が繋げられるの。行き先は地脈を辿れば分かる』
ぐいぐいと引っ張られ、アルヴィーはふと思い出した。
「……あ。そういえばラーファムで――」
『そうよ。精霊の森を通せば、どこにだって繋げられるの。今はわたしも高位精霊になったから、前より遠くに“道”を繋げられるようになったし。――だから、早く行きたいならこっち』
さすがに精霊というところか、幼い少女の姿をしていても、フォリーシュは平然とアルヴィーを引っ張って行く。
「あの、どちらへ……!?」
焦る騎手役の騎士に、アルヴィーは声を投げた。
「悪いけど、カルヴァート大隊長と騎士団長閣下に伝えといてくれ! 精霊が連れてってくれるから、飛竜はパス、って!」
「え、ええっ!?」
唖然とする騎士を残し、アルヴィーはフォリーシュに連れられるまま、発着場周辺の森に足を踏み入れた。
そして、歩くことしばし。
「……うわー……やっぱここの景色って、壮観だよなあ……」
いつぞやも見た、満開の白い花がまるで雲海を思わせる花畑、その中心に佇む、根元に水晶を纏う大樹。水晶の群生の間からは澄み切った水が涼やかな音を立てて流れ落ち、梢の木漏れ日にきらめいている。
「きゅっ」
と、フラムがいきなりアルヴィーの肩から飛び下り、大樹の水晶に飛び付くと、湧き出す水を一心に飲み始めた。どうやら喉が渇いていたらしい。
「あ、おい、フラム!」
それでもここが人間の世界からかけ離れた場所であることには変わりなく、慌てて止めようとしたアルヴィーを、フォリーシュが制した。
『大丈夫。ここの水は害にはならないから。――アルヴィーも飲んでみる?』
「……いいのか?」
正直、興味がないと言えば嘘になるので、その言葉に甘えることにした。
大樹の根元を覗き込んでみると、大樹の根が水晶と複雑に絡み合い、水はその合間から湧き出ているようだ。溜まった水にそっと手を差し入れてみると、程良い冷たさが伝わってきた。少し掬い上げて口に含んでみる。
「……あ、何か甘い……」
飲み物のようなはっきりと分かる甘さではないが、その辺の井戸の水ともどこか違った。正直、いくらでも飲めそうなほどだ。
だがさすがに節度というものは知っているので、少し喉を潤す程度で止めておいた。
「きゅきゅっ」
フラムも満足したようで、再びアルヴィーの肩によじ登る。
一息ついたところで、フォリーシュに連れられてその場を後に、また歩き始めた。
しばらく歩いていると、鳥の声や木々のざわめきが聞こえてくる。“元の世界”に戻ったのだと、アルヴィーも分かった。
『――着いたよ』
そう言って、フォリーシュが振り返った。
『やっぱり地脈がちょっと淀んでたから、少し離れたところに出たの』
そこは、領主館から数ケイルばかり離れた、小さな森だった。遠くから街の喧騒が聞こえてくる。どうやら、早くも街や領主館の復旧作業が始まっているらしい。
「うん、ちょうどいいとこに出てくれたな」
このまま領主館に向かいつつ、どこかの店で見舞いの品を注文すれば良いだろう。いや、先に領主館に顔を出して、地脈の件を知らせた方が良いかもしれない。
どちらにするか迷いながら、アルヴィーは遠くに見える半壊した領主館を目指して歩き始めた。
◇◇◇◇◇
王都の方からすでに連絡は付いていたらしく、領主館に顔を出したアルヴィーは辺境伯その人に迎えられた。
「――ようこそ、我が城へ。といっても、こんな状態だけれど」
「ご無事で何よりです」
互いに敬礼して挨拶を交わし、アルヴィーは隣に立つフォリーシュを紹介する。
「ええと、この子がフォリーシュ。地の高位精霊で、地脈を制御できます」
「そう。――初めまして、精霊様。まさか生きている内に本物の精霊様にお目に掛かれるとは思いませんでしたわ」
『……あなたは、アルヴィーと知り合いなの?』
「ええ、まあ」
黄水晶の瞳でじっとグラディスを見つめ、フォリーシュはアルヴィーに向き直った。
『じゃあ、始めるね。この間よりは規模が小さいから、そんなに時間は掛からないわ。明日には終わると思う』
「ああ、よろしくな」
アルヴィーの言葉ににこりと笑い、フォリーシュの姿はそのまま石造りの床に沈む。ぎょっとするグラディスや周囲の人々に、この地の地脈の乱れを直しに行ったのだと説明すると、グラディスは頷いた。
「それは有難いわ。地脈というのは良く分からないけど、乱れているというのは良くないのでしょう?」
「あー……下手したら地震が起きたり、いきなり大穴が空いたりするみたいです」
「……早めに来てくれて良かったわ」
復旧作業の最中にそんなことになれば、確実に二次被害が出る。グラディスは安堵の息をついた。
フォリーシュが地脈の復旧をしている間は、アルヴィーは手持ち無沙汰になる。というわけで、何か手伝えることはないかとグラディスに尋ねると、何とも微妙な顔をされた。
「……あのね。忘れているのかもしれないけれど、あなた一応爵位持ちの貴族なのよ。そんな相手に、領民に混じっての力仕事なんて頼めると思って?」
「あ」
そういえばそうかと、アルヴィーも納得せざるを得なかった。
「申し訳ないけれど正直なところ、身分に応じたもてなしすらできそうにないの。館がこんな状態ではね」
「あー……確かに、半壊してるようなもんですしね。じゃあ、アークランド辺境伯も寝泊りは別のところで?」
「ええ、街中の宿を借り上げて、そこで寝起きしているわ。あなたも、そちらに宿泊して貰うことになるでしょうね」
「そっかー……じゃあ見舞いとかも、そっちに届けて貰った方がいいのか」
とりあえず先に領主館に顔を出し、フォリーシュが地脈を直している間に街で見舞い品を見繕おうと思っていたのだが。
アルヴィーの呟きを耳にしたグラディスは、
「そのことだけれど……できれば、見舞いの品は領民に還元して貰えると有難いわ。ここはイル=シュメイラ街道からも外れているし、街道沿いの領地ほど物資が豊かではないの。領主館への見舞いに物資が取られれば、その分一時的にでも領民の手に入る物資が減ってしまうわ」
「ああ……そういうことになるんですね」
アルヴィー自身は自給自足が基本の小村か、物資が豊かな王都にしか暮らしたことがないので、その中間に当たるこうした地方都市の物流には疎い。村にいた頃に獲物を売りに行ったことは何度かあるが、供給側であったゆえに、そうした物資の流れについては深く考えたことなどなかったのだ。
――そうして、グラディスの意見も聞きながら考えた結果、アルヴィーが領内に逗留する間、復旧作業に当たる領民たちの飲食の費用を彼が持つということで話がまとまった。フォリーシュが地脈を直す間のことなのでそう長い間ではないし、大多数の平民たちにしてみれば飲食は質より量だ。辺境伯家への見舞いということである程度まとまった金額を持って来ているので、充分に賄えるだろう。
もちろんそれは、領民たちに大いに歓迎された。
「――おい、聞いたか? 今日と明日、復旧作業の人夫の飯や飲み代を、見舞いに来た男爵様が持ってくださるらしいぜ」
「ああ、店で飲み食いした分もだろう? しかも給金はそのままいただけるって話じゃねえか」
「本当かよ!? 太っ腹だなあ」
話を聞いた領民たちは張り切って作業を進め始める。仕事をすればその分、仕事上がりの一杯が美味しくいただけるのだ。
そうして、復旧作業は大いに捗り、彼らは仕事の後、充分な食事と酒にありつけたのだった。




