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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十四章 群雄の大陸
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第105話 想いそれぞれ

「――おい、こっちだ! 魔法でここの瓦礫支えてくれ!」

「重傷者一人! すぐ救護所に運べ!」

「ここの建物はもうたないな、崩すぞ!」

 騎士たちの声が飛び交い、地系統魔法を使える魔法騎士が駆けずり回る。地精霊の暴走が街に刻んだ爪痕は深かった。地精霊を封じた剣が発見されたという裏路地を中心に、広大な範囲が影響を受けている。ただでさえ古く簡素な造りだった建物は、大多数がひとたまりもなく倒壊してしまった。


「――よっ、と」


 道をふさぐ大きな瓦礫を軽々と押し退け、アルヴィーは両手の埃を払った。

「……何か、えらいことになっちまったな」

「ええ……」

 シャーロットも、浮かない顔で頷いた。せっかくの少女らしい私服は、埃塗れになった上瓦礫でかぎ裂きまでできて、もはや台無しだ。もっとも、それを遥かにしのぐ惨状がアルヴィーの現在の格好なのだが。右腕を戦闘形態にしたために服の右肩は派手に破れたし、何より左肩と腹の辺りの赤黒い染みは不穏ふおんにも程があった。現に、すれ違う人々はほぼ例外なく、ぎょっとした顔で二度見してくる。

 そんな見た目だけは重傷者のアルヴィーは、だが平気な顔で両肩に怪我人をひょいと担ぎ、危なげなど欠片もない足取りで、臨時にもうけられたという救護所をシャーロットと共に目指していた。

「……なあ、フォリーシュどうすんだよ。置いて来ちまっていいのか?」

 周囲の耳をはばかって小声で尋ねると、彼の胸元で黄白色の光が小さく瞬いた。

『心配しなくたって、あいつだって地精霊だよ? 地脈の操作だって初めてじゃないんだし』

 同じく地精霊であるシュリヴの返答は、まことにシビアなものだ。虚像を用いて先ほどの戦闘に参加していた彼は、アルヴィーが地精霊を倒すのを見届け、虚像を解いて元通りアルヴィーに渡した水晶を介しての接触に戻っていた。

『それに、さっきも言ったけど地精霊が地脈怖がってるんじゃダメだからね。おそれはしても、怖がらないで上手く使わなきゃ』

「使う?」

『あいつ、言ってたでしょ。もっと力を付ければ高位精霊になれるって。――多分、ここの地脈の淀みを上手く散らして流れを整えることができたら、あいつ高位に上がれるよ。制御する内に、地脈の力を少しずつ取り込めるから、それが自分の力にもなるんだ』

「そうなのか?」

『ま、あいつが力負けしなければ、の話だけどね。――そもそも、ヒトのことより自分はどうなのさ』

 シュリヴの声が心持ち低くなった。

「俺?」

『とぼけないでよ。またあの竜との“混ざり具合”が深くなった。属性は違っても、精霊の感覚を誤魔化せると思うなよ。腕の方の侵食も進んでるんじゃないの?』

「……はは。さすがに精霊か」

 小さく笑うアルヴィーに違和感を感じたのか、シュリヴの声が鋭くなる。

『……おまえ』

「心配すんなよ。まだまだ“人間”だってさ、俺は」

 その答えに、シュリヴは少し黙ったが、


『……一応、信じといてあげるよ。――でも、人間の魂なんて弱いんだ。このまま混ざり続けたら竜に負けるからね』


 そう言い置いて、シュリヴは接触を解いたらしい。水晶の中の光は弱まり、声も聞こえなくなった。

(……そうなんだろうな、やっぱり)

 火竜アルマヴルカンの魂は、欠片といえど強大な力を持っている。人間の魂など、容易たやすく食い潰すほどに。


「――アルヴィーさん?」


 シャーロットに声をかけられ、アルヴィーはふと思考の海から浮き上がった。

「どうかしました?」

「いや、別に」

「そうですか……」

 薄紫色の双眸が、探るように見てくる。困惑と共に見返すと、彼女は言葉を探すように少し視線をさまよわせたが、

「……さっきの、あなたは」

「うん?」

「……あなたは、あの地精霊を助けたかったんだと、思っていました」

「ああ、うん。そうだな」

 頷く。確かにアルヴィーは、あの暴走した地精霊を助けたいと思っていた。

 けれど。


「……前に、話したことあっただろ。何を抱えて何を捨てるのかって。そういうことだよ。――俺って意外と、抱えたもんが多かったみたいだ」


 シャーロットが危地におちいった、あの瞬間。すでにこの手に抱えたものと、これから抱えようとしたもの――アルヴィーはあの一瞬でそれを天秤に掛け、そして選んだ。

 彼女を、そしてこの王都まちを。


「……とりあえず、救護所に急ごう。ここじゃ応急手当くらいしかできない」

「ええ……そうですね」


 担いだ怪我人を抱え直し、アルヴィーは心持ち足を早める。

 ……その背を見つめるシャーロットの視線には、気付かないままに。



 ◇◇◇◇◇



「――ありがとう、シルフィア」

 王城のテラスから街の方を望みながら、ファルレアン女王アレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアンは頭上を振り仰いだ。薄緑と金が混ざり合った長い髪が風に踊り、翠玉の双眸がいつくしむようにアレクサンドラを見下ろしている。

『可愛いエマの頼みですもの、安いものよ』

 彼女――風の大精霊シルフィアの助力を受け、アレクサンドラは今回の一件に関する情報を掻き集めたのだ。その結果、シルフィアは今回暴走した地精霊が、先だって大陸規模で発動した術式に組み込まれていた精霊と、間違いなく同一であると断定した。

「……完全に出遅れたわ。もっと早くに手を打っていれば、これほどの被害を出すことはなかったのに……」

 悔やむアレクサンドラを、ふわりと舞い下りたシルフィアがそっと抱き締めた。


『あれほどの力が溜まっていたのなら、この王都一帯は魔法防御がなされたのと同じことだわ。下位精霊では近付くこともできない。――エマは賢いけれど、それでも人間ひとに未来は見えないわ。あなたの責ではないのよ、エマ』

「でも、精霊からの警告はあったわ……《擬竜騎士ドラグーン》も、動きたがっていた」


 国家間の関係に配慮し、三公国の領土内に囚われていたという地精霊の救出に、アレクサンドラを始めとする国上層部は慎重な姿勢を取ったが、今回はそれが裏目に出た。

『仕方ないわ、エマ。――わたしもまさか、暴走寸前の精霊を抱えて移動するなんて無茶なことをしでかすとは、思いもしなかったもの』


 三公国にったはずの精霊が、突然ファルレアンの王都に現れたとなれば、答えは一つしかない。

 何者かが、故意に移動させたのだ。


『力のある呪具で強固な封印を掛ければ、確かに移動させることは可能だったかもしれないわ。――おそらくそのせいで、中に力が篭もって、精霊の暴走が早まったのね』

「では、本来はもう少し時間の猶予ゆうよがあったと?」

『微々たるものではあったでしょうけど。でも、どの道暴走が始まるのは、そう遠くはなかったわ。もしかしたら“向こう”はそれも承知の上で、危険をおかして精霊を移動させたのかもしれないわね』

「それは……ファルレアンを攻撃するために?」

『かもしれないわね。心当たりはあって?』


 シルフィアの問いに、アレクサンドラは小さく頷く。

 それほどの技術を持ち、そしてファルレアンを攻撃する理由がありそうな相手。


「……“クレメンタイン帝国”」


 アレクサンドラは小さく呟き、手にした長杖スタッフをきつく握った。

(《擬竜騎士ドラグーン》の報告から考えても、あの国が関わっている可能性は高いわ。あの国はかつて、近隣国が手を組んだことで敗北した……今回の件は、周辺諸国の中でも因縁があり、なおかつこれといった痛手を受けていない我が国(ファルレアン)の力を削ぐため……?)

 それに、三公国が帝国に降った今、かの国の領土は事実上、帝国領ということになる。“自国領”で精霊が暴走することは避けたいはずだった。そう考えれば、今回の一件は帝国側にとっては、一石二鳥となるのだろう。

 伏せていた瞳を上げ、アレクサンドラは街を見つめる。そこに宿った光は、いささかもかげっていない。


「……相手がどうあれ、わたしがやるべきことは変わらないわ。被害の広がりを抑え、王都の民の生活を立て直す。それが最優先よ」


 そう宣言したアレクサンドラに、シルフィアは褒めるように微笑んだ。

『それでこそよ、わたしのエマ』

 その時、部屋の扉をノックする音が響いた。

「――失礼致します。対策会議を開きますので陛下にも何卒なにとぞご臨席をと、宰相閣下よりのご伝言でございます」

「分かったわ」

 答えて、アレクサンドラはシルフィアに向き直った。

「……本来なら、こんなにあなたに頼ってはいけないのに。ごめんなさいね」

 すると、シルフィアはおかしげに笑った。


『あら! わたしは嫌なことは嫌だと言うわ。誠実なのは良いことだけれど、あまり遠慮されても寂しいものよ、エマ』


 小さな子にするようにもう一度アレクサンドラの頭を撫で、そのままシルフィアの姿は掻き消えた。ひゅう、と一陣の風がアレクサンドラの髪やドレスを揺らし、遥か彼方へとけ去っていく。

 その行方をしばし見つめ、アレクサンドラは振り切るように向き直ると、部屋に入って窓を閉めた。



 ◇◇◇◇◇



 一条の光芒が地表すれすれを薙ぎ払い、そこに存在した魔物たちを一瞬で吹き飛ばしていく。

 メリエ・グランは満足そうにそれを眺めた。

(大分慣れてきたかなあ、この腕にも)

 動作を確かめるように左手の指を動かせば、長く鋭い爪を持ちながらも滑らかに動く五本の指。握り締めればキシリ、と肌を覆った深紅の鱗がきしんだ。


「――おおー、ハデにやったなあ」


 そこへ不意に頭上から降ってきた声に、メリエは視線を上げた。

「ゼーヴハヤル? あんたこんなとこで何してんの?」

「俺も多少は暴れないと、腕がなまるんだ」

 ヒポグリフの手綱をさばいて地上に下り立ったゼーヴハヤルは、背負った大剣を抜き放つ。

「……けど、魔物全部吹っ飛ばされたな」

「心配しなくていいわよ。――ほら」

 メリエが指差した先、近付いて来る異形の影。

「さっきからいくら吹っ飛ばしても、次から次へと湧いて出てくるのよね。もう、鬱陶しいったらありゃしない」

「そういえばこの辺り、魔物のふきだまり? って言ってたぞ、ダンテが」

「ふうん、道理で」

 さして興味もなさそうに鼻を鳴らし、メリエは再び左腕を構える。だが、それを制するようにゼーヴハヤルが一歩進み出た。

「待った。あれは俺がやりたい」

「えー、あたしだってまだこの腕の慣らしやりたいんだけど」

「そっちはさっきやっただろ。ひとり占めはズルイぞ」

 まるで獲物を前にした獣のようにぺろりと唇を舐め、ゼーヴハヤルは剣を担ぐように構える。


「んじゃ――行くか」


 次の瞬間、地を蹴った彼は一陣の風となり、魔物たちの中に躍り込んでいた。

「ふっ」

 短い呼気と共に、大剣を一閃。振るわれた刃が冗談のように易々と、魔物の強靭きょうじんなはずの体躯たいくを上下真っ二つに斬り飛ばす。ダンテの洗練された剣技とは対照的な荒々しさだが、同時にどこか野生の獣のような美しさがあった。

 剣を振りきった勢いを利用し、身をひるがえす。振り下ろされた別の魔物の爪を紙一重でかわすと、再びくるりと向き直り、振り回した大剣で斬り上げた。勢いのついていた剣は、魔物の身をさしたる抵抗もなく斜めに断ち切る。

 にい、と、幼さの残る顔に獰猛どうもうな笑みが浮かんだ。


(……やっぱ、戦うのは楽しい)


 そう創られ生まれたがゆえの、本能。彼ら人型合成獣(キマイラ)は例外なく、戦うことに特化するよう生み出された存在だ。獣の因子を組み込まれ、ヒトとは違う存在モノとして。

 身を削るようなせめぎ合いが心を浮き立たせ、飛び散る血の臭いをかぐわしく感じる、そんなイキモノ。

 彼らはそう生まれてきた。


(それでもオルセルだって、ミイカだって、俺をキライにならないでいてくれる)


 ベースになった人造人間ホムンクルスの知識は、そのさがが人間とは相容あいいれないものだと告げる。

 だが、ゼーヴハヤルに“世界”をくれたあの二人は、それを越えて彼を受け入れてくれた。血に汚れた手をためらいなく取り、敵を斬り倒す姿を見ても恐れずにいてくれる。そのことに、ゼーヴハヤルはどれだけ救われたか知れない。


 彼らを守るためならば、ゼーヴハヤルはどこまででも戦える。

 たとえ、この命がついえようとも。


 ――ヒュ、と剣を振って血を飛ばし、ゼーヴハヤルは辺りを見回した。

「よし。こんなもんか」

 周囲には、真っ二つにされた魔物の死骸が散らばり、まさに死屍累々《ししるいるい》の有様である。その中央で青銀の髪を斑に紅く染め上げ、黄金の双眸を炯々(けいけい)と光らせる少年の姿は、それこそが魔物のようだ。

「へえ、やるじゃない」

 だが、彼以外に居合わせたのは、それこそ人間の枠を外れたメリエである。恐れるはずもなく、逆に面白がるような目でゼーヴハヤルを見やった。

「あんた、結構剣使えるんだね」

「使い方はわかる。ダンテみたいにうまくないけど」

「……あたし、あいつ気に食わない」

 眉を寄せ、メリエは吐き捨てる。

「何考えてんのか、全然分かんないし。シアもそうだけどさ」

「多分いろいろ、難しいこと考えてるんだろ。俺、難しいことはよく分かんないしな」

 肩を竦め、ゼーヴハヤルは剣を元通り背負おうとした。


「……ふん、酷い状態だな。これでは魂の器としても、使える使えない以前の問題ではないか」

「ひっ!?」


 そこへいきなり背後から低い声が聞こえて、メリエは思わず飛び上がった。

「……あ、あんたねえっ、急に背後に転移して来るんじゃないわよ、この変態!」

「誰が変態だ……」

 ゆらり、と効果音が聞こえそうな風体ふうていでそこに現れたのは、死霊術士ネクロマンサーラドヴァン・ファーハルドだ。普段は宮殿内の塔でひたすら研究に没頭している彼だったが、久々に外に出て来たのである。実際、彼が日の光の下に現れたのは実に二十日ぶりのことだった。くすんだ金髪が顔の半分ほどを覆い隠し、まるで出現場所を間違った幽霊のような風情だ。

 ドン引きのメリエと逆に面白そうに見やるゼーヴハヤルを一瞥いちべつもせず、ラドヴァンは魔物の死体を軽く蹴る。

「せめて首から下がまともに残っていればまだしも、真っ二つではな。立つことすらできんではないか」

「そのために真っ二つにしたんだからあたりまえだろ。首落としても動く魔物なんていっぱいいるからな」

「ええー……なにそれ」

 肩を竦めるゼーヴハヤルの言葉に、メリエは再びドン引きした。何しろ、彼女が倒せば良くて消し炭、大抵の場合は骨も残さず蒸発だ。魔物の強靭かつ旺盛過ぎるほどの生命力も、発揮される余地などなかった。そのため、首を落としても動く魔物などという恐怖映像ホラーには、未だお目に掛かったことがない。

「……ふん、この辺りは骨にして継ぎ合わせれば、まだ使えないこともないか」

 ざっと死体を検分し、ラドヴァンはその内のいくつかを持ち帰ることにしたらしい。げんなりした顔のメリエを余所に、持参した容量無視の箱にそれらを詰めている作業を、ゼーヴハヤルが興味深げに覗き込む。

「そんなのどうするんだ? そいつらまずそうだろ」

「誰が食うと言った。死霊術ネクロマンシーの実験台だ。研究を進めるには、その理論を実証するための実験が不可欠だからな」

「ふーん……よく分からん」

 首をことんと傾げ、ゼーヴハヤルはうなったが、彼が理解しようがしまいがどうでも良かったので、ラドヴァンは作業を終えるとさっさと立ち上がった。転移用のアイテムを使い、その場から文字通り姿を消してしまう。


「……そういや、あいつは何で城にいるんだろうな?」


 今度は逆向きに首を傾げ、ゼーヴハヤルは疑問をていする。メリエはふん、と腕を組んだ。

「知らないわよ。あたしが“生き返る”前からいたのは確かだけど。詳しい事情なんて、それこそシアやダンテ辺りしか知らないんじゃない?」

「そっか」

 別段どうしても知りたいというわけではない。一言で片付けて、ゼーヴハヤルはこきり、と肩をほぐす。

「ふむ、まあ人にはいろいろ事情があるもんだしな。――ところで、次が来たけど、どうする?」

 彼が指差した先、またしても近付いて来る影。おそらく、ゼーヴハヤルが倒した魔物の血の臭いでも嗅ぎ付けてきたのだろう、先ほどよりも数が多い。

 メリエが好戦的な笑みをひらめかせた。


「そりゃもちろん、るわよ!」

「じゃああっちの右の方は俺がもらうぞ」

「好きにすれば。でも、ぼやぼやしてたらあたしが倒しちゃうから!」


 《竜爪ドラグ・クロー》と身の丈に迫る大剣。

 それぞれの“牙”を携えて、二人は猛然と地を蹴った。



 ◇◇◇◇◇



 《雪華城》の一角、塔の最上に位置する《天空議場》。

「――現時点での被害報告は以上となります」

 騎士団から上がって来た情報をまとめた騎士団長の報告に、アレクサンドラは小さく頷いた。

「分かったわ。引き続き、被害区域での救助作業及び、二次被害の防止に努めてちょうだい」

「はっ。では、騎士団の指揮に戻りますので、議会の途中ですがこれにて退席させていただきます」

「ええ、認めます」

 敬礼し、騎士団長ジャイルズはそのまま議会から退席する。この非常時においてそれを認めないほど、彼女アレクサンドラ暗愚あんぐな君主ではない。今は議場の椅子よりもよほど、彼を必要としている場所があるのだ。

 現在最も情報を持つ騎士団からの報告を受け、国土大臣が嘆息した。


「それにしても……まさか王都で、このようなことが起こるとは」


 その慨嘆がいたんは、この場の全員が共有する考えでもあった。彼らとてよもや、女王アレクサンドラのお膝元たるこの地で、このような災害が起きようなどとは思ってもいなかったのだ。

 だが、起きてしまったことは仕方がない。それよりも、今回の災害による被害をどれだけ小さく抑え込めるかを、彼らは考えなければならなかった。

 と、副大臣の一人が挙手して発言権を求めた。

「陛下に一点、お伺いすることをお許しいただけますかな」

「認めよう」

 宰相ヒューバートが頷くと、発言を許された副大臣は起立して一礼し、アレクサンドラに目を向けた。


「恐れながら、陛下にお尋ね致しますが……陛下におかれましては、風精霊より今回のことをお聞きになってはおられなかったのでしょうか」

「……貴公はよもや、此度こたびの一件、陛下が故意に看過かんかされたとでも?」

「いえ、まさかそのような!」


 ヒューバートの低い声に、発言した副大臣は慌てて否定する。そういえばこの副大臣は《保守派》に属する貴族であったと、ヒューバートは思い当たった。《保守派》貴族に醜聞が相次いだことで、宮廷での権力闘争はやや影をひそめたものの、消えてなくなったわけではない。これを機に《女王派》にちくりと針でも刺してやろうと考えたのだろうと、ヒューバートは苦々しくその副大臣を見やる。

 と、


「――そうね。今回の件、こちらが後手に回ってしまったのはいなめないわ」

「陛下」


 涼やかな、そして落ち着いた声に、ざわついた議場がしんと静まる。

 居並ぶ閣僚たちの視線を一身に浴びながら、アレクサンドラは発言した副大臣を見据える。


「わたしの力不足は認めましょう。――けれど、“故意に民を犠牲にした”と言いたいのならば、その発言こそ看過するわけにはいかないわ」

「いえ……! け、決してそのようなことは!」

「なら、つまらない派閥争いなど控えなさい。今はそんなものを議会に持ち込む暇などないことくらい、あなたも承知の上でしょう」

「はっ……!」


 副大臣は萎縮いしゅくしたように頭を下げ、慌てて着席した。親子ほども年齢の違う若き女王に、完全に風格で負けている。

 安堵したように表情を緩めた《女王派》の貴族たちにも、アレクサンドラは冷静な口調で言い渡す。

「今、最も優先すべきは王都の機能回復と住民生活の保護。あなた方も、心に留めておいてちょうだい」

「は、もちろんでございます」

 起立してこうべを垂れる閣僚たちに頷き、アレクサンドラは言葉を継ぐ。


「……ところで、アークランド辺境伯領の方はどうなっていて? 騎士団長によれば、カルヴァート一級魔法騎士と部下を向かわせたとのことだったけれど」

「は、そちらに関しても報告は受けております。現地の騎士団が精霊を何とか食い止めていたそうで、あまり被害が広がらぬ内に現地に到着できたとのことにございます」

「そう……間に合ったのね」

「現地からの報告によりますと、地精霊の討伐に無事成功。カルヴァート一級魔法騎士はアークランド辺境伯と会談の後、王都に帰還するとのことでございます」

「分かったわ。辺境伯領への支援も考えなければならないわね。手配を頼みます」

「承知致しました」


 予算を預かる財務大臣が、アレクサンドラの言葉に慇懃いんぎんに一礼した。

 現在のファルレアン王国の国庫には、オークションでの利益がまだ残っているし、以前アルヴィーから献上された《下位竜( ドレイク)》素材もほぼ手付かずの状態だ。上手く市場に流せば、それなりの資金が確保できるだろう。

 ――災害対策の臨時議会が終わり、近衛騎士にエスコートされて議場を後にすると、アレクサンドラは小さく嘆息した。


(……《保守派》がこんな時にまでつついてくるとは思わなかったけれど……考えようによっては、気を緩めずに済んで好都合だったともいえるわ。何を政争の具にされるか分からない……これまで以上に、言動や政策には気を配らなくては)


 十代半ばの少女が背負うには、あまりに重いものを華奢な両肩に背負い、それでも彼女は毅然きぜんと立ち続けなければならない。

 いかなる時にも揺らぐことのない女王――それはこの国の国民たちにとって、確かな柱の一つであるのだから。


「――お姉様!」


 物思いに沈みかけた時、聞こえた高い声に、アレクサンドラはふと目元を緩ませた。

「アレクシア。どうしたの?」

「あの、その、街で大変なことが起こったんでしょう? さっき、マグダレナから聞きました」

 姉と同じ色合いの瞳をかげらせ、王妹にして第一王位継承者でもあるアレクシア・レイラ・ヴァン・ファルレアンは、姉を気遣わしげに見上げる。その数歩後ろに控え、彼女の護衛である近衛騎士、マグダレナ・ヴァン・トリストが敬礼した。黒髪黒目の生真面目な女性騎士で、実家の家格は伯爵家だ。

「申し訳ございません、陛下。現在、城下は大変危険な状態にありますので、殿下にはご注意申し上げました」

「そう……ね。あなたの判断は正しいわ。――アレクシア、しばらく街に出るのは控えなさい。危ないわ」

「はい……」

 しゅんとして、それでも敬愛する姉の言うことだからと、アレクシアはそれを受け入れる。城下をお忍びで見て回り、その様子を姉に“報告”するのは、彼女にとっては姉のためにできる大切な“仕事”だった。それができなくなるのは残念だが、その思いが自分の我侭わがままでしかないのも、彼女には分かっていた。

 しょげてしまった妹の赤みがかった金髪を、アレクサンドラは優しく撫でる。


「――そうね、状況が少し落ち着けば、あなたには城下を慰問いもんして貰うのも良いかもしれないわ。わたしは王城を動けないから」


 王家の姉妹は国民、特に王都の民の間では人気が高い。女王たるアレクサンドラが玉座を空けるわけにはいかないが、アレクシアはその役目に適しているだろう。天真爛漫てんしんらんまんで慈しみ深い彼女の気性は、民の心を多少なりとも軽くしてくれるに違いない。

「! はい! わたし、頑張ります!」

 ぱっと顔を輝かせるアレクシアに、アレクサンドラは微笑みかけ、妹と別れて再び歩き始めた。慰問に出る頃合いは、治安維持を担当する騎士団から情報を貰えば良いだろう。それまでに必要な知識は、近衛のマグダレナが付けてくれるはずだ。彼女は有能な騎士であり、アレクシアにとってはもう一人の姉ともいえる存在であった。


 ――彼女マグダレナは純粋にアレクシアの身を案じ、守ろうとしている。

 だが、自分は――。


(……あの子は真っ直ぐにわたしを敬愛して、民のことも心配しているというのに……わたしはそれさえ利用する)


 民に人気の高いアレクシアの慰問は、大きな話題となって被害の深刻さの印象を和らげてくれるだろう。妹さえ国を纏めるための駒として利用することに、姉としての自分は抵抗を感じているが、女王としての自分はためらいを覚えない。

 “公”と“私”の矛盾――だがそれは、国を背負う者ならば誰しもが抱えるものであることを、彼女はすでに知っている。

 胸の奥に広がる苦さを飲み下し、アレクサンドラは“姉”としての自分を奥底に押し込めた。

 この国を、より良い方へ導くために。



 ◇◇◇◇◇



 怪我人を救護所に運び込み、それを機にアルヴィーは報告のため、一旦騎士団本部に戻ることになった。もちろん、何度か《伝令( メッセンジャー)》を飛ばして情報は上げているのだが、魔法で飛ばせる情報量はさほど多くない。やはりきちんと報告を纏める必要があった。

 それに付き合う形で、第一二一魔法騎士小隊の面々も、他の小隊と交代して本部に戻ることを許された。お互い、制服に着替える暇すらなく現場に叩き込まれ、アルヴィーに至ってはどこの重傷患者かという風体である。救護所に顔を出した時には、ユフィオに絶叫された。


「――ほんと、びっくりしたよ。怪我人担いで顔出した本人が、見た目だけなら一番重傷なんだから……」

「あはは、悪い悪い。けど、みんな知ってるだろ、俺の回復力が人間やめてるレベルだって」


 アルヴィーはからりと笑い飛ばしたが、言うことは微妙に笑えない。乾いた笑いを浮かべるしかできないユフィオである。

「……しっかしまあ、火が出た時には焦ったけど、まさかあんな広範囲でも炎呼べるとはなあ。あれがなきゃ、下手したら王都一帯大火事だったぜ。《擬竜騎士( ドラグーン)》様々だな」

 自身も火属性に特化したカイルは、自身が目にした光景に感嘆しきりだった。何しろ、上がりかけた火の手がいきなり吸い上げられるように空に消え、燃え広がる前にことごとく鎮火してしまったのだから。それも、王都一帯で。

「――そういや、俺んとこはちょっと離れてるから大丈夫だけど、そっちは大丈夫なのか、家族とか」

 ふと思い当たって、アルヴィーが尋ねる。シャーロットやディラークなど、王都に家族と共に住んでいる騎士団員は多い。


「ああ、俺は独身ひとりだからな。親兄弟もいねえし」

「あたしはアルシェントから流れて来たのよ。身内は大体そっちにいるわ」

「僕の実家は、ここからは結構離れてるからね」


 カイルが手を振り、ジーンは肩を竦めた。クロリッドも眼鏡を直しながら答える。ユフィオの実家も現場となった歓楽街からは離れているし、シャーロットとディラーク、ユナも家族の無事は確認できたそうだ。

「そっか……それなら良かった」

「もっと対処が遅れていたら、どうなったかは分からんがな。先に地精霊を抑えに行ったアルヴィーの判断は、正しかったと思うぞ」

「それは……フォリーシュのおかげだな。フォリーシュが教えてくれたから、すぐに居場所も割れたし。今も、地脈の流れが狂ってるのを直してくれてる」

 足下に視線を落とし、アルヴィーは表情を翳らせた。


「……ほんとなら、助けたかったんだ。フォリーシュの仲間だからさ。――でも、俺の手じゃそこまで抱えられなかった」


 異形の右手は、大きな力を秘めていても、まだ色々なものを取り零してしまう。

 沈みかけたアルヴィーの肩を、カイルが遠慮なく叩いた。

「んな落ち込むなって。――守れたもんもあっただろ」

「……そうだな」

 彼の言う通り、取り零したものもあるが、守れたものも確かにあるのだ。

 気を取り直したアルヴィーは、ちらりと背後を一瞥する。フラムを抱えたまま、ユナと何やら話している様子のシャーロットに、ほっとした。自分を庇ってアルヴィーが傷を負ったと気にしていたようだったが、あの分だと調子が戻りつつあるのだろう。

(……このまま家に戻ったら、ルーカス辺りが卒倒しそうだしな……本部で着替えてくか)

 いかにこの惨状を隠蔽いんぺいするかと考えながら、アルヴィーは前に向き直った。


 ――だから、見ることはなかったのだ。

 彼が視線を戻したその瞬間、シャーロットが唇を引き結び、辛そうに目を細めたのを。


「……ロット」

 そっと声をかけてくれる友人に、シャーロットはかぶりを振った。

「……大丈夫です」

「うそ」

 シャーロットの虚勢を一言のもとにばっさりと切り捨て、赤紫の瞳が、本音を探るように覗き込んでくる。ユナとは騎士学校時代からの同期で、シャーロットが唯一敬称なしに呼ぶ相手だ。寡黙かもくな彼女はだがそれゆえか、他人が隠した感情に敏感だった。

 彼女はさり気なく足どりを緩め、前を行くアルヴィーから距離を取ってくれた。小声で話せば、超人的な聴力を持つアルヴィーといえど、こちらの話は聞き取れまい。ましてや、彼の方もカイルやディラークと話をしている。彼女たちの話に聞き耳を立てるいとまはないだろう。

 それでも言葉は出て来ずに、引き結んだ唇でき止められる。フラムを抱いた腕に力が入り、きゅっ、と困ったように小さく鳴かれた。

「……ああ、ごめんなさい、フラムちゃん」

「きゅ?」

 小首を傾げる愛らしい仕草に、シャーロットは思わず微笑む。金茶色の柔らかい毛並みを撫でながら、ぽつりと言葉が零れた。


「……あなたのご主人様は、本当に、こっちの気持ちなんかお構いなしで」

「きゅっ」

「わたしあの時、心臓が止まるかと思ったんですよ。――怪我はすぐ治るって知ってても……目の前で、あんな」


 彼の身を貫いた刃、散った真っ赤な血のしずく。全身の血が冷えるような、あの時の驚愕と――恐怖。


「あんな危なっかしいことされたら、怖いじゃないですか。――治癒能力だって、絶対じゃないのに」

 竜の血肉によって与えられた、超人的な回復力は、だが完全な安全を約束するものではないのだ。それを他ならぬ、シャーロット自身が一番よく知っている。彼女はかつてレドナで、アルヴィーと同じく火竜の力を持つ少女が再生の限界を迎えて塵と化すのを、その目で見たのだから。

 人が黒い砂のようにざらりと崩れ落ちるあの光景を思い出し、シャーロットの唇が細かく震えた。


「わたし――わたしは、あのひとをあんな目に遭わせたくないのに」


 ぽろりと本当の想いが零れ落ちるのと同時に、フラムの鼻先に透明な雫が落ちて弾けた。

「きゅっ」

 ぷるぷると頭を振ったフラムを抱き締めるシャーロットの肩を、ユナがさらに抱き寄せる。


「大丈夫。アルヴィーはきっと、“向こう”には行かない。――ロットが、止めればいい」

「……わたし、が?」

「そう。アルヴィーは引き留められたら、振り切れないと思うから。ロット以外にも、引き留めそうな人はいるし」

「……そうですね」


 その筆頭たる自分たちの小隊長を思い出し、シャーロットは思わず小さく笑った。

「確かに、隊長なら全力で止めに掛かりそうです」

「何なら実力行使」

 ユナが重々しく頷いた。ありありと想像できる。

「……きゅ?」

 きょるりと小首を傾げたフラムを、シャーロットは持ち上げてその緑の双眸を覗き込んだ。


「……今の話、ご主人様には内緒ですよ?」

「きゅっ!」

「女同士の秘密。いい?」

「きゅ……?」

 ユナにも念を押され、フラムはことん、と逆方向に首を傾げた。そこでふと、シャーロットは気付く。


「……そういえば、フラムちゃんって雄雌、どっちなんでしょうね?」

「……さあ?」

「まあ、フラムちゃんはさすがに、人の言葉は喋りませんし……」


 フラムの性別は相変わらず迷子だったが、乙女の秘密は守られそうだった。


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