第104話 この手に残るものは
今回、災害を想起させる描写や残酷な描写があります。
苦手な方はご注意ください。
異変から一時間。アークランド辺境伯領の中枢たる領主の館は、文字通り戦場のような騒ぎとなっていた。
「――危険です、閣下! 何があるか分かりません、お下がりください!」
「この状況で多少後ろに下がったところで、それほど変わりはしないわ。――それより、状況は?」
「良い意味でも悪い意味でも、変化なしです。被害の拡大は今のところ避けられていますが、目標も依然健在、というところで」
「そう」
予想はできていた報告に、グラディス・ヴァン・アークランド辺境伯は頷いた。むしろ、被害が拡大していないことを褒めるべきだろう。
何しろ、相手は精霊なのだから。
グラディスは半壊した自身の城を見やった。
(……それにしても、なぜ精霊が? そもそもこの辺りで地精霊の情報はなかったし、もし知られていなかっただけで存在はしていたとしても、いきなり暴れ出した理由が分からない。今になって暴れ出すくらいなら、あの戦争の時に噂くらいは出ていそうなものなのに)
地精霊は戦の気配を厭うという。対レクレウス戦役時の、かのディルでの防衛戦の際ならば、精霊が戦争を嫌って騒ぎの一つでも起こしたとしても、まだ理解できただろう――有難くはないが。しかし今は、戦争もすでに終わり、両国ともその傷を癒す段階に入っている。少なくとも人間側には、精霊に暴れ出されるような理由はないはずだった。
(……まあ、ここであれこれ考えたところで、精霊の考えが分かるはずもないのだし……今は少しでも被害を抑えることを考えるべきか)
結論など出ないことが分かりきっている疑問にはあっさり蓋をして、グラディスは自身の役割を果たすことに努める。彼女の役割とはすなわち、領内への被害を最小限に食い止めることだ。
「――辺境伯閣下」
歯切れの良い靴音と共に、小走りに駆け寄って来たのは魔法騎士団の制服に身を包んだ壮年の男性だ。彼は領主館からの要請により派遣された、対地精霊部隊の指揮官だった。
「ご苦労様」
指揮官の敬礼につい敬礼を返したのは、彼女自身もしばらく前までは騎士だったからだ。未だ錆び付いてはいないその所作に、指揮官はふと笑みめいた表情をひらめかせる。
「以前は騎士団におられたと伺っておりますが、なるほど、見事なものですな」
「とはいっても、最近は書類仕事ばかりなものだから。現場の方はあなた方にお任せするわ。必要な権限や物資があるなら、遠慮なく申し出てちょうだい。この状況で出し惜しみをするほど、わたしは愚かではないつもりよ」
「有難きお言葉ですな。では、恐れながらいくつかお願い申し上げたいことが」
さすがに、騎士団関係者同士だと話が通じるのも早く、グラディスと指揮官は手早くいくつかの項目を取り決めた。騎士団の活動には最大限の助力をすると約束を取り交わし、指揮官は作戦遂行のため部隊に戻って行く。
グラディスも、自分の役目を果たすために部下たちのもとに戻った。
「閣下、お話はお済みですか」
「ええ。――まずは、人的被害と館の損害状況を出来る限り正確に確認して。領民への対応の窓口も作らないと。館は危険だから、街の中の建物をどこか借り上げてちょうだい。早急にね」
「は、畏まりました」
「ともあれ、まずはあの精霊をどうにかしないことには始まらないわね」
呟くようなグラディスの言葉に、部下の一人が慄くように尋ねた。
「せ、精霊を……殺すということでしょうか」
「抵抗はあるけど、そうなるわね。――仕方ないわ。わたしが守らなければならないものは、あの精霊ではないのですもの」
グラディスが背負い、守らなければならないものは、この辺境伯領の領地領民だ。
そのためならば、たとえ相手が精霊であろうと弓を引く。
「……始まったわね」
おそらく、騎士団の部隊が攻撃を始めたのだろう。遠い爆音に、グラディスは呟いた。
「さあ、わたしたちも動くわよ」
部下を叱咤し、彼女自身も歩き出す。断続的に小さく揺れる地面に足を取られかけながらも、前へ。
――彼女の仕事は、これからが本番なのだから。
◇◇◇◇◇
もう何度目か、吹雪のように襲い来る数多の鋼の刃を、アルヴィーは《竜の障壁》で受け止めた。かなりの大威力の攻撃を連発しているにも関わらず、地精霊の力は一向に衰える様子を見せない。
『“あれ”は地脈の力を吸い上げて攻撃してきてる。厄介だけど、考えようによってはそのおかげで多少なりとも溜まった力が消費されてるから、しばらくはこうやってあしらった方がいいかもね』
シュリヴがたん、と地面に手を打ちつける。途端、彼らと地精霊を取り囲むように、透明な結晶の壁がそそり立った。
『さっきのはちょっと強度足りなかったけど、こっちは地脈の力を使った特別製だ。多少のことじゃ貫かれないから、周りのことは気にせず全力でやりなよ』
「ああ、そうする」
アルヴィーは《竜爪》に炎を纏わせる。地を蹴った。
再び襲い掛かってくる鋼の刃は、魔法障壁の足場で空中に逃れ、飛び越えることで回避する。背後で聞こえた硬質な音は、シュリヴの障壁が刃を阻んだものだろう。ちらりと振り返れば、特別製とシュリヴが胸を張っただけはあり、障壁は傷一つなく健在だった。
(後ろは、任せて良いな)
背後の守りはシュリヴに任せることにして、アルヴィーは戦闘に集中する。放たれ続ける刃の攻撃をすり抜け、振り翳した《竜爪》を地精霊目掛けて振り下ろした。
りん、と戦場にはそぐわない玲瓏たる響き。《竜爪》と地精霊の創り出した鋼の盾がぶつかり合った音だ。
だが――。
「――悪いな」
《竜爪》の纏う炎が、朱金の輝きをさらに強める。
そしてその刃は、鋼の盾を真っ二つに焼き斬った。
『――――!』
火の粉のごとく輝きを撒き散らす刃が、地精霊を捉える。
声なき絶叫が、大地を走る波となって弾けた。
巻き起こる飛礫の嵐を《竜の障壁》で弾き、防ぎきれないものは身を掠らせながら、アルヴィーは《竜爪》をさらに押し込む。地精霊の中で膨れ上がる力に押し負けないように、右腕に力を込めた。
『……ア゛、ア』
呻くような声と共に、地精霊がアルヴィーの喉元に手を伸ばす。パキン、とかすかな音がして、その肌が灰色に濁った結晶に覆われ始めた。
『なるほど。主殿を封じる気か』
しかしそれは、アルマヴルカンの呟きと共に激しく燃え上がり、崩れ去って散っていった。通常の炎ならばともかく、アルマヴルカンの炎は火竜のもの。込められた“力”は比べ物にならず、多少の物理法則は超越してしまう。
最後の足掻きも無に帰し、地精霊の手がわななく。力ないその手が肌を掻くのを受け入れながら、アルヴィーは左腕を自身の右腕に添え、そして渾身の力で《竜爪》を振り切った。
煌々と燃える刃が、地精霊の身体を斜めに両断し、抜ける。
瞬間――地精霊に流れ込んでいた地脈の力が、奔流となって噴き出した。
「ぐっ……!」
とっさに《竜の障壁》を展開、防御するも、吹き飛ばされたアルヴィーは背後の障壁に叩き付けられる。その障壁のおかげで力は上空へと抜け、周囲にはさほど及ばないが、その代わり障壁の内側では凄まじい力が荒れ狂い、アルヴィーを押し潰さんばかりに襲い掛かった。
(くっそ……身動き取れねえ……!)
みしり、と身体が軋むような圧力に、肺の中の空気が押し出される。
(……こんな中に、いたのか)
人間であるアルヴィーと精霊とでは、感じ方に差異はあるだろうが、それでも地脈の力の凄まじさを身をもって感じながら、彼はフォリーシュや地精霊たちの置かれた状況を思い知る。こんな中に置かれたのでは、正気を失い狂うのも致し方ないと、頭の中の冷静な部分が諦めるように呟いた。
(“今”のままで、助けてやれなかった)
シュリヴによれば、精霊たちの姿はあくまでも便宜上のもので、彼らに人間のような生死の概念はないという。だが、アルヴィーは思うのだ。“形”を失い、今までの自我も記憶も失うのならば、それはつまり“死”ではないのかと。
自分は確かに、“彼”を殺したのだ。
自分がすでにこの手に抱えた、守りたいものを守るために。
息が詰まり、目の前が白く霞み始めたその時――彼の足下の地面が、眩い黄白色に輝いた。
『……しょうがないな。もうちょっとだけ我慢しなよ』
シュリヴの声だ、そう気付いた時、アルヴィーは足元の地面が感触をなくしていくのを感じた。
そして――すべてが沈む。
◇◇◇◇◇
ずん、と突き上げるような揺れで、足を掬われる。
もう何度か繰り返されたそれに耐えながら、ルシエルは《イグネイア》を握り締めて体勢を立て直した。
「――薙ぎ払え、《炎風鎌刃》!!」
ルシエルが撃ち放った攻撃魔法が、地精霊の力とぶつかり合い、互いを喰い合う。弾けた力が爆炎と爆音を巻き起こし、閑静な貴族街の空を揺るがした。
「お、おお……!」
その威力に、周囲を固める騎士たちが息を呑む。だが、当の本人は舌打ちでもしそうな苦々しい顔で、地精霊を見やった。
「……駄目だな。相手まで攻撃が通らない」
ルシエルの魔法は地精霊の力と相殺され、地精霊本体には届いていない。もっと威力を高めれば攻撃も通るかもしれなかったが、そんな大技は何度も使えなかった。一度撃てば終わりになってしまうのでは意味がないのだ。
考えあぐねている間に、地精霊の足下で光が弾ける。ルシエルは鋭い声をあげた。
「気を付けろ! 来るぞ!」
「防御魔法だ! 急げ!」
負けじと声を張り上げたのは、応援に駆け付けた魔法騎士団の小隊だ。唱和詠唱で魔法障壁を展開――しかし、それは地精霊の力の前にあっさりと破られ、多少威力は減じながらもなお騎士たち目掛けて襲い来る。
「いかん、来る――!」
「……っ!」
大地を砕き巻き上げながら、それは牙を剥き人間たちに襲い掛かる――!
「――隔てよ、《土盾》!」
まさにその時、場を貫いた若々しい声と共に、騎士たちを守るように腰壁ほどの高さの土の壁が地面からそそり立ち、次の瞬間地精霊の力を受けて粉々に砕け散った。大半はそこで相殺されて威力を失ったが、それを潜り抜けてなお騎士たちに迫る、一筋の光。
「――でぇい!!」
そこへ振り下ろされたのは、重厚な刃を凶悪に光らせるバトルアックスだった。
ズガン、と轟音を撒き散らし、地面に深々と突き刺さったその刃に弾かれるように、最後の一筋もぱっと光を弾けさせて消える。その主に、ルシエルはわずかに目を見張った。
「君は……」
「ども。こないだぶりっす」
左手で敬礼しながら、右手でごそりとバトルアックスを引き抜いたのは、第一三八魔法騎士小隊所属の魔法騎士、カシム・タヴァルだ。彼がいるということは、もしや――と視線を巡らせたルシエルに答えるように、甲高い咆哮のような音が響いた。
空を裂く、などという生易しいレベルではない。空間を撃ち抜くような軌道を描き、一本の矢が百メイル以上の距離を一瞬で貫いた。既製のものより遥かに長大なその矢は、視認すら難しい速度で地精霊に突き刺さり、小さな爆発を起こす。
(――といっても、相手が精霊じゃあな。魔法付与も効くのかどうか)
はあ、とため息をつき、第一三八魔法騎士小隊長シルヴィオ・ヴァン・イリアルテはそれでも次の矢を番える。
彼は現場となった旧子爵邸、そこから道を挟んで反対側の屋敷の門柱の上に立っていた。貴族の館の門や塀は、防犯と威厳を示すために頑丈に作られ、意外と幅があるのだ。特に門柱は、大木のごとき太さを誇るものが珍しくない。足場としては充分だった。
彼の灰色の瞳が銀の輝きを帯び、“千里眼”が発動する。まるで眼前に見るがごときその視界の中、目標たる地精霊は傷一つなく、茫洋とした表情で虚空を眺めているようだった。良く目を凝らすとその前には、透き通った結晶が盾のように立ちはだかっている。どうやらシルヴィオの矢は精霊本体ではなく、その結晶に当たったらしい。
(……やっぱり無傷か。盾の方にも目立った損傷はなし……と)
予想はしていたが、これほどに効果がないとなると、別の手を考えなければなるまい。シルヴィオはいつでも射ち放てるよう引き絞った弓弦を緩め、番えた矢を外した。矢筒に戻し、そして魔法式収納庫から別の矢を抜き出す。
(俺の手持ちで一番強力な矢はこれだからな。これで効果がなければ、もう手の打ちようがないが……)
そんなことを考えながら、その矢を弓に番える。その時、足元から声が聞こえた。
「――イリアルテ!」
「やあ、クローネル。こんなところから失礼する」
弓に矢を番えたまま弦は引き絞らず、シルヴィオはルシエルに向けて小さく笑みを見せた。互いの立場を考えれば、本来なら地上に下りて挨拶の一つも交わすべきなのだろうが、生憎今はそんな余裕などない。とりあえず今は貴族間の一般常識はなかったことにして、シルヴィオは地精霊に視線を戻す。
「……残念ながら、目標は未だ健在だ。《爆裂》程度じゃ精霊には効かないらしいな」
「そうか……」
もたらされた情報に、ルシエルは目をすがめる。
「……それはそうと、イリアルテ。どうしてここに?」
「多分そっちと同じだ。家の書庫にいたところが、さっきの揺れだろう? 何があったかと思って外に出てみれば、あちこちの家の使用人が騒いでるし、その内騎士小隊が血相を変えて走って行くし。何事かと思ってとりあえず魔法式収納庫だけ持って様子を見に来れば、この有様だ」
「ああ、なるほど」
そういえば、イリアルテ家の屋敷もクローネル邸からさほど遠くはない。ルシエルが異変に気付いたのだから、シルヴィオもまた同じであっても不思議ではないのだ。
ともあれ、シルヴィオの“千里眼”は、この状況下ではすこぶる有用だった。情報があるに越したことはない。
「イリアルテ、相手の様子はどうだ? こちらから斬り込む余裕はありそうか?」
「どうだろうな……相変わらず無表情だけど、あれは“分かって”こっちを攻撃してるのか?」
「いや……どうだろう」
ルシエルは倒壊した屋敷の方を振り仰ぐ。
(――騎士団本部からの情報では、あれがアルの言ってた地精霊の暴走らしいけど……そもそも、何でその精霊がファルレアン国内にいるんだ)
事件の第一報を受け、騎士団本部は女王アレクサンドラの協力を仰ぎ、急いで情報を掻き集めたらしい。その結果、今回の事件を引き起こした精霊は、アルヴィーからの報告にあった地精霊である可能性が非常に高い、と通達があったのだ。遠く他国で魔法陣に捕まっていたはずの精霊が、なぜファルレアンの王都のど真ん中で暴れているのかは分からないが、だからといって手をこまねいているわけにもいかない。
どうしたものかと考えていたルシエルは、シルヴィオが弓に番えた矢を見てはっとした。
「その矢は……」
「ああ、これかい? 精霊相手じゃ、これくらいじゃないと通用しないかと思ってね」
シルヴィオは苦笑し、番えた矢を見やる。先ほど使った《爆裂》の魔法付与を施した矢とは、また違う魔法付与を施したこの矢は、非常に稀少な素材を使って作られたものだ。
その矢を見た瞬間、ルシエルの脳裏に閃いた考えがあった。
(そうだ。この矢を使えば……)
彼が考え付いた作戦は、すぐさま実行に移されることになった。何しろ場所が貴族の邸宅の集まる一角。一刻も早く、事を収めねばならないのだ。
「――っつっても、俺の魔法でどこまで対抗できるか分かんねーっすよ? さっきから、妙に効きが悪いんすから」
バトルアックスを担ぐように構えながら、カシムがぼやいた。彼は地系統魔法を得意とするが、どうもここでは常のように魔法を使えず、威力が減じてしまうらしい。そういえば、先ほどの防御魔法も腰壁ほどの高さにしかなっていなかったと思い出す。
「あの精霊が干渉しているのかもしれないな。――だが、地系統に特化している分、僕たちよりも君の方が適任だろう」
「……そう言われちゃ、退けねーじゃないすか」
苦笑めいた笑みをひらめかせ、カシムは遠くに見える地精霊に向き直る。
「んじゃまあ、精霊に喧嘩でも売ってみますか!」
自棄のようにそう宣言すると、カシムはバトルアックスを門扉に叩き付ける。何とも形容し難い音と共に、鉄格子の門扉があえなく吹っ飛んだ。身体強化魔法全開でのカシムの全力の一撃は、下手な魔法より破壊力が高い。
ルシエルとカシムを筆頭に、騎士たちが門から敷地内に飛び込み、地精霊目指して荒れ果てた庭を駆ける。地精霊の足下で光が弾け――同時に、カシムが足を止め、バトルアックスを地面に叩き込んだ。
「全員散開!――食い破れ、《大地餓牙》!!」
詠唱と共に、バトルアックスによって叩き割られた地面から、牙のごとくに尖った岩が飛び出す。連鎖のように生み出される岩の牙は、左右に飛び退いた騎士たちの間を一直線に駆け抜け、見る間に地精霊に肉薄した。だが、相手はその大地を具現化した存在そのもの。大地の牙は精霊を噛み砕くことなく、放たれた力に粉砕されて沈黙する。
しかしそれは、精霊の注意を引き付けるための一手だった。
「貫け、《雷槍》!」
「撃ち抜け! 《氷弾》!」
魔法騎士たちが一斉に魔法を詠唱し、地精霊に向けて放つ。それは地精霊が展開した結晶の盾に阻まれ、あるいは地精霊が放った力と相殺された。だが、効果の消滅と引き替えに派手に爆煙を巻き起こし、あるいは盾にぶつかって眩い火花を散らせた。だがこれも、“本命”の一撃を隠すための目晦ましでしかない。
――その遥か後方で、シルヴィオは弓弦を引き絞る。
「……切り拓け、《風導領域》」
呟きにも似た詠唱が、風の一部を切り取って渦巻き、一筋の道を形作る。その中心に向けて、シルヴィオは《貫通》の矢を射ち放った。
キュオン、と独特の甲高い音を立て、矢は一瞬で彼我の距離をゼロにする。地精霊の眼前にそそり立つ結晶の盾に突き立ち――そして、易々と貫いてその鏃が精霊の身に突き立った!
「おおっ!」
騎士たちから歓喜の声があがる。だが、地精霊は何かを呟くように唇をわななかせながら、その矢軸に手を掛けた。
「――どぉりゃあ!」
そうはさせじと、駆け付けたカシムがバトルアックスをフルスイング。《下位竜》素材で強化された重量級武器の渾身の一撃に、結晶の盾は澄んだ音を立てて砕け散る。そこへ、ルシエルが駄目押しとばかりに全力の攻撃魔法を叩き込んだ。
「薙ぎ払え、《炎風鎌刃》!!」
《イグネイア》の剣身が明るく赤く輝き、炎を纏った風の刃が、至近距離の地精霊を襲う。
瞬間。
地精霊の身に突き立った鏃が、呼応するように朱金の光を放つ。
その光に導かれるように、炎風の刃が渦を巻いて凝集し、地精霊を貫いたのだ。
「――総員、退避しろ!」
背筋を走る冷たいものの警告に従い、ルシエルは鋭く指示を飛ばす。
「隔てよ、《土盾》――!」
カシムがほとんど叫ぶように詠唱した防御魔法が、土の防壁を展開するが早いか、騎士たちは転がり込むようにその向こうに駆け込み――。
次の瞬間、爆風にも近い力の波が、荒れ果てた庭を薙ぎ払った。
「……げほっ、ごほ……うぇ、土食った……」
突き転がされもみくちゃにされ、土塗れになったカシムが何とか身を起こす。口の中に入り込んだ土を吐き出しながら、周囲を見渡した。
「クローネル小隊長、生きてますー?」
「ああ……死ぬかと思ったけどね」
同じく土塗れになりながら、ルシエルもよろりと起き上がった。あちこち擦り剥きはしたが、それ以外に怪我らしい怪我はない。念のために身体強化魔法を発動させておいて良かった。でなければもっと重傷だっただろう。
「――大丈夫か!?」
シルヴィオが外で待機していた騎士たちを引き連れ、駆け付けて来る。軽く手を挙げて彼に無事を示しながら、ルシエルはしっかりと握り締めていた愛剣《イグネイア》を眺めた。また少し赤い色を薄くしたように思えるその剣身は、元をただせばアルヴィーの《竜爪》だ。そしてシルヴィオの《貫通》の矢の鏃も、同じ《竜爪》の欠片だった。
(そうか……もしかしたら、元が同じものだったから、僕の魔法に呼応したのかもしれないな……)
親友がルシエルに与えてくれた力。それをしばし眺め、そして汚れを拭うと丁寧に鞘に納めた。
「……精霊は?」
「消えたよ。俺が見た限り、だが」
シルヴィオが肩を竦める。彼の“千里眼”ならば、館の敷地外からでも何が起きたかは見て取れただろう。
ルシエルは大きく息をつき、立ち上がった。
「……ひとまず、本部に報告だ。それから、ここの封鎖は継続。本部から人を寄越して貰おう」
「妥当だな」
頷き、シルヴィオはまだ倒れている騎士たちを起こしに掛かった。ルシエルは服の土埃を払いながら、ふと空を見上げた。そして、眉をひそめる。
(……あれは?)
今しがた、空を何か小さな影が横切ったように思える――。
だが目を凝らしてもそれはもう見えず、ルシエルは気のせいかと思い直して視線を地上に戻した。そもそも、呑気に空を見上げている場合ではない。やるべき仕事はまだ、山のように残っているのだから。
彼は先ほど目撃したかもしれないもののことは早々に忘れ、事後処理のために歩き出した。
◇◇◇◇◇
作戦開始から早二時間以上。状況が好転する兆しはない。
グラディスは部下から上がって来た報告に、秀麗な眉をひそめた。
「……状況は、まだ動かないのね?」
「は。騎士団の方も力を尽くしてはいるのですが……」
「そう……まあ、仕方ないわね。相手は精霊ですもの。人の力で容易くどうこうできる相手ではないわ」
嘆息し、グラディスは立ち上がった。
「閣下、どちらへ? まさか現場へなど――」
「安心なさい。空気を入れ替えるだけよ」
そもそも、彼女は家系的に魔法があまり得意ではなく、騎士として騎士団に奉職してきたのだ。精霊との戦闘に駆け付けたところで、大して戦力にはならないだろう。
自嘲気味にそう思い、グラディスは手ずから部屋の窓を開けた。ここは街中の、対策本部として臨時に借り上げた建物だ。領主の城館のようにガラスの窓など望むべくもなく、しっかりと閉じられた鎧戸を開けなければならない。
その鎧戸を大きく開け放ち、空を見上げたその時――彼女の視界に、大きな影が飛び込んできた。
「――飛竜!?」
翼を大きく広げたその影は、紛れもなく飛竜だった。全部で三騎。街の上空、ほとんど建物すれすれの高度を翔け抜けた三騎の飛竜は、グラディスの城館の方角へと飛び去って行く。
「――到着しました!」
「ああ、急がせて悪かったな。悪いついでに、帰りも頼む」
「はっ!」
手綱を片手に、もう片手で敬礼する騎手に敬礼を返し、ジェラルドは飛竜の背でにやりと笑った。降下の途中でもう搭乗用装備を外し、飛竜が着陸するが早いか飛び下りる。
「だ、誰だ!?」
「中央魔法騎士団第二大隊長、ジェラルド・ヴァン・カルヴァートだ。こっちは部下。飛び込みで悪いが、騎士団長閣下からの直々のご命令でな。俺たちがこっちの対処に当たることになった」
「はっ! し、失礼致しました!」
いきなり乱入して来た三人組に誰何の声を投げた職務熱心な騎士は、だがすぐに飛び上がらんばかりに姿勢を正して敬礼する。そんな彼にひらりと手を振り、ジェラルドは指揮官への面会を求めた。もちろんすぐに叶えられ、指揮官を務める魔法騎士が駆け付けて来た。
「――中央魔法騎士団の大隊長殿が、直々に……!?」
「ああ、さっきも言ったが、騎士団長閣下からのご指示だ。命令書もあるぞ」
ほれ、と掲げられた命令書には、確かに騎士団長ジャイルズ・ヴァン・ラウデールの署名がある。思わず敬礼し、指揮官は作戦を一時中断させた。
「ご苦労だったな。あんたらはちょっと休んでろ。戦い詰めで疲れただろ」
「い、いえ、そのような――」
慌てる騎士たちを置き去りに、ジェラルドはパトリシアとセリオを引き連れて現場に足を踏み入れる。と、荒れ果てた大地の中央に立つ地精霊の足下の地面が、不穏に波打つのが見えた。
「来るぞ」
「ここはわたしが。――《アヴァーラヴィ》」
パトリシアが一歩進み出て、愛用の刺突剣を抜き励起。そして逆手に持ち替えると、その切っ先を地面に突き刺した。
一瞬の後、地面を走ったのは青白い一条の筋。それはある一点で弾け、地面を突き破って鋭く尖った氷の結晶の群生となった。びっしりと密集したそれに、地精霊が放った稲妻のような光がぶつかり、弾けるように砕け散る。
「便利なもんだな」
感心したようにそう言い、ジェラルドもまた愛剣《オプシディア》を励起させた。
「セリオ」
「はい」
セリオは片眼鏡型の魔動端末を装着し、長杖を地面に突き立てる。
「――座標特定。転移先座標、目標地点より五メイル上方に設定。敵性反応は無視、転移強行します。転移準備完了」
術式を構築し終え、セリオの眼前に展開する魔法陣。ジェラルドは躊躇なく、その中に飛び込む。
「導け、《転移》!」
セリオの高らかな詠唱と共に、ジェラルドの姿は光の中に掻き消え――そして一瞬の後、地精霊の頭上に現れた。その高度、およそ七メイル。
「なっ」
騎士たちが驚愕の声をあげ、セリオは小さく舌打ちした。
「ちっ……! 出現位置がズレた!」
「干渉されたの?」
「おそらく。地面の下に物凄い力が溜まってます。多分、その影響で……」
魔動端末で地中の様子を測定して推測し、セリオはジェラルドの方を見やる。《オプシディア》を振り翳した彼は、魔法を起動して地精霊の頭上から急襲した。
「圧し潰せ――《超重斬刃》!!」
空中に転移した瞬間、出現位置が予定より高いことに気付いたが、ジェラルドにとっては大した問題ではなかった。
(着地はどうとでもなる――かえって、落ちる勢いの分威力が増すってもんだ!)
だが、精霊の周囲で光が弾け、地中から生み出された鋼の刃が、ジェラルド目掛けて撃ち出されようと――。
「――斬り裂け! 《氷円飛刃》!」
セリオが放った氷の刃が飛来したのは、その瞬間だった。直径三十セトメルほどの、薄く強靭な氷の刃は、絶妙なコントロールでジェラルドを躱しつつ、その身をもって鋼の刃を叩き落としていく。
《氷円飛刃》は繊細な制御を必要とする魔法のため、一般の魔法士には敬遠されがちだが、セリオは好んでこの魔法を使った。制御さえできれば乱戦でも使えるし、即興で軌道をいくらでも変更できるからだ。
(干渉を受けたところで……その都度修正していけばいいだけの話だ)
もちろんその意図は、ジェラルドにも充分伝わっていた。
「は! できた部下だぜ、まったく!」
ジェラルドは吠え――黒い刃を振り下ろした。
ズン、と足元がかすかに揺れる。
ジェラルドが振り下ろした刃は、地精霊の身を二つに断ち割り、地面を大きくひび割れさせて、ようやく止まっていた。
「やった……のか?」
呆然と見守っていた騎士が、ぽつりと呟く。だがセリオは、魔動端末が割り出した情報にはっとした。
「……隊長! すぐに離れてください!」
なぜ、などと疑問に思うほど、ジェラルドは愚鈍ではなかった。即座にその場を跳び離れ、防御魔法を展開する。セリオも《三重障壁》を展開、“それ”に備えた。
一瞬の間――そして、地精霊が歪ませた地脈の力が弾け、辺り一帯を吹き飛ばす。
「うわあっ!」
「くっ――!」
もはや衝撃波のような爆風が周囲を襲い、魔法障壁を叩いたが、セリオの障壁は何とか持ちこたえた。頭を庇って地面に伏せていたパトリシアとセリオは、爆風がおさまるが早いか跳ね起きる。
「――隊長!」
「ご無事ですか!?」
「……ああ、一応な」
彼らの声に応えて、より爆心地に程近い辺りで土の塊がもそもそと動いた。
「……ったく、最後の最後にひでえ目に遭ったぜ」
犬か何かのように頭を振って土を落としながら、ジェラルドは地面から《オプシディア》を引き抜き立ち上がる。防御魔法だけでは防ぎきれないと直感し、魔剣たる《オプシディア》が纏う力で、障壁の耐久力を凌駕した分の力を相殺したのだ。
「すみません、隊長。術式の構築が甘かったです」
「いや、あれは仕方ねえだろ。むしろ、よく精霊の真上に持って来た」
「……恐縮です」
ぺこりと一礼して、セリオは長杖を魔法式収納庫に仕舞った。
「――よし、こっちは片付いたな。んじゃ帰るか」
《オプシディア》を鞘に納め、当たり前のようにさらりと言ってのけたジェラルドに、騎士たちは目を剥いた。
「お、お待ちください、大隊長殿!? せめて辺境伯閣下にお目通りを……!」
「あー、要らねえよ。あっちだって俺の性分は知ってんだろ。こちとら王都にも仕事が山積みなんだよ」
「いくら何でもそういうわけには参りませんよ!?」
スタスタと飛竜に騎乗しようとするジェラルドを、騎士たちが引き留めんとする攻防戦は、実に十五分にも及んだ。
ともあれ、アークランド辺境伯領の危機は、こうして去ったのであった。
◇◇◇◇◇
「――阻め、《二重障壁》!」
詠唱と共に展開した障壁が、建物の瓦礫を支えるように固定されたのを確かめ、騎士団の小隊員たちがその間に潜り込んでいく。ややあって、怪我をした建物の住人たちが次々と救出され、仮設の救護所へと運ばれて行った。
それを見送り、救助が終了したのを確認して魔法の発動を止めながら、クロリッドは息をついてひとりごちた。
「あー……神経遣うんだよね、これ。こういうのはユフィオのが得意なのに……」
「ユフィオは救護所で引っ張りだこでしょ。文句言ってないで、キリキリ仕事なさい」
「別に文句なんか言ってないだろ」
からかうように言ってきたジーンに顔をしかめ、クロリッドは杖を握り直した。
――小隊長以下全員が休暇中だった第一二一魔法騎士小隊だったが、地精霊の暴走という大事件が起こるにあたって、容赦なく召集が掛かった。制服に着替える余裕もなく、辛うじて魔法式収納庫のみ引っ掴んで出動してみれば、事情もろくろく呑み込む暇さえなく救助活動だ。本来ならクロリッドの言う通り、小隊内で最も防御魔法に長けているのはユフィオなのだが、彼は医療系の魔法も得意とするため救護所の方に引っ張られ、今頃は次々と運び込まれる怪我人の治療に当たっているはずだった。
「まあ、しょうがないわよ。今はポーションが品薄なんだもの。これだけの規模の災害になっちゃったんじゃ、とても全体には行き渡らないわ。この分じゃ多分、どこの隊も治癒魔法が使える人員はごっそり引き抜かれてるんじゃないかしら」
「だろうね。――ま、僕らも自分の仕事やろうよ」
「至言だわ」
頷いて、ジーンは瓦礫が転がる足下をものともせずに歩いて行く。クロリッドもそれに続いた。
一方、彼らの話題に上った仮設の救護所では、各小隊から引き抜かれてきた医療系魔法の使い手たちが、どんどん運び込まれて来る怪我人に応急処置を施していた。その中にはもちろん、ユフィオの姿もある。
「――大きな傷は塞ぎました。後は自然治癒に任せてください」
「あ、ありがとうございます、騎士様」
出血の酷かった怪我を治癒魔法で塞ぎ、患者を送り出したユフィオは、一つ息をついた。
「……ユフィオ、こっちは大丈夫?」
ひょこりと顔を出したのはユナだ。彼女は今回、ユフィオの補佐としてこの救護所で応急処置を担当していた。魔法で治癒するまでもないと診断された、軽度から中程度の怪我に応急処置を施す役目だ。止血や骨折への添え木などには、魔法も必要ない。
「うん、一段落しそうだよ」
「そう」
表情をわずかに緩め、ユナが頷く。もっとも、その表情の変化はほんの些細なもので、ある程度彼女と付き合いのある者でなければ分からないだろう。
「――おーい、一息ついてるとこ悪ィけど、こっちも頼むわ!」
「ひとまず、急を要する怪我人を連れて来た。行けるか」
「はい! 大丈夫です」
そこへ新しい患者を担ぎ、カイルとディラークが駆け込んで来た。身体強化魔法で腕力を底上げした彼らは、それぞれ二人ずつ両肩に担いでの登場である。怪我人を運ぶにはあまりにも大雑把な運び方だが、丁寧に一人ずつ運んで死人を出すよりはまし、という判断だ。一応現場でできる止血などの処置は済ませたが、出血している傷そのものを塞いでしまわなければ、待っているのは失血死の未来である。
傷の状態を手早く見て取り、ユフィオはより状態が深刻な患者から魔法での治癒を始める。ユナも清潔な布と水を持って来て、次に処置を受ける患者たちの傷を清め始めた。
――自分の魔力残量と相談しながら患者たちの応急処置を済ませ、ユフィオは大きく息をついてその場にしゃがむ。やはり、人の命を左右するかもしれないという緊張感は、彼の神経を大きく疲弊させていた。
「……ユフィオ。大丈夫?」
「うん……でもやっぱり、緊張するよ。僕の魔法の出来次第で、その人が助かるかどうかが分かれるなんて……」
「大丈夫。ユフィオが助けたんだから」
かすかに微笑み、ユナが手を差し伸べてくれる。ユフィオはしばし逡巡し、結局その手を借りて立ち上がった。
「……ありがと」
「おー、いいねえ、若者は」
にやにやと笑いながら茶化すカイルに、ユフィオは慌ててユナの手を放す。ディラークがしかつめらしく窘めた。
「からかうな。――そんなことをしている暇があったら、次の現場に行くぞ」
「へいへい。んじゃお二人さん、ごゆっくりー」
「……で、できるわけないじゃないですか!」
顔を赤くするユフィオにひらりと手を振り、カイルは救護所を出て行く。だが、十秒としない内に再び駆け戻って来た、その表情は、さっきとは打って変わって厳しい。
「――おい、やべえ! 火が出た!」
「火!? 火事ってことですか!?」
「ああ、コトが起きたのが昼過ぎだからな。炊事で火を使ってるとこが残ってたんだろ」
カイルの言葉に、ユフィオも息を呑む。おそらく、遅い昼食を作るべく火を使っていた家が火元だろう。だが、普段ならばともかく、こんな混乱の中で火事になどなったら……想像し、ユフィオは顔を青ざめさせた。
「ど、どうしよう……!」
「多分、街中に出てる連中が多少はどうにかするだろうが……」
厳しい顔は崩さず、カイルは空を見上げる。
その空のあちらこちらを、黒い煙がうっすらと汚しつつあった。
◇◇◇◇◇
……誰かがすすり泣くような声が聞こえる。
(誰だ……?)
重い瞼を押し上げれば、そこにはフォリーシュがいた。黄水晶の瞳からほろほろと涙を流し、両手から零れる光を悲しげに見つめる。
『――助けられなかった』
「……そうだな。ごめんな」
アルヴィーも零れゆく光に触れる。いくら押し留めようとしても、ほろりと零れ去ってしまうその様は、同じように自分の腕の中で塵になって崩れ去っていった僚友を思い起こさせた。
「……俺が殺したんだな。フォリーシュの“仲間”」
『ううん』
ふるりと、フォリーシュはかぶりを振った。
『あの子にも言われたから、分かってた。――“形”が歪んだら、もう駄目なの。わたしはただ、歪む前にアルヴィーに助けられただけ。でも、それでもぎりぎりだった』
最後の一粒がほろりと零れ去り、何もなくなった掌を見下ろしてから、フォリーシュは顔を上げた。
『……わたし、まだやらなくちゃいけない』
「何を?」
『地脈の流れを、元に戻すの。完全には無理でも……できる限り、戻さないと』
フォリーシュの足下から、光が根のように縦横無尽に伸び始める。彼女の手がそれを撫でるようにして整えれば、光は流れを変えてさらに遠くへと伸びていった。
『――やらせときなよ』
不意にアルヴィーの眼前に光が生まれ、それはシュリヴの姿となってアルヴィーを見つめる。
「でもさ。フォリーシュだって、地脈の力で歪みかけたんだろ」
『だからって、地精霊が地脈を怖がってちゃ話にならないからね。――呑み込まれるんじゃなくて、“外”から制御するんなら、何とかなるでしょ』
肩を竦め、シュリヴはアルヴィーに手を差し伸べる。
『アルヴィーも、もう戻りなよ。――今回は、地上に置いといたら保たなそうだったから一時的に引き込んだけど、ここは本当は人間が来るところじゃない。僕たち地精霊や、地の妖精族の領域なんだ」
腕を引かれた瞬間、身体が引き上げられるように感じる。
「おい――」
一気に遠ざかる光の根と、そこに残されたフォリーシュの姿は、すぐに見えなくなり――。
「――アルヴィーさん!」
シャーロットの大きな声に、アルヴィーは現実に引き戻された。
「……え、あ。あれ……?」
「気が付いたんですか」
ほっと息をつき、シャーロットが表情を緩める。
「……あれから、どうなった?」
「わたしにも、詳しいことは……ただ、あの障壁が急に消えて。様子を見に行ったら、あなたが倒れてたんです。――っていうか、身体半分地面に埋まりかけてたんですけど、何があったんですか? こっちが訊きたいくらいですけど」
「なにそれ」
アルヴィーにもまったく意味が分からないが、おそらくシュリヴの仕業だろう。まあ、彼の言いようからすれば、地脈の力の暴発に巻き込まれかけたアルヴィーを助けてくれたのだろうが。
とにかく、いつまでも寝ているわけにはいかないので身体を起こす。と、アルマヴルカンの声が聞こえた。
『主殿。炎の気配がする。一ヶ所ではないぞ』
(炎の気配って……まさか、火事か!? 今の王都の街中でそんなことになったら、大事だぞ!)
空を振り仰ぎ、アルヴィーは再び右腕を戦闘形態にする。
「え、ちょっと、アルヴィーさん……!?」
「シャーロット、ちょっと離れとけ」
右肩の翼に、意識を集中させる。想像する。炎を引き剥がし、自分のもとに呼び集める様を。
瞬間。
眼前の景色に、もう一つの景色が“重なった”。
(……何だ……!?)
訝しく思う間もあらばこそ、二重写しになった光景の片方で、炎が次々と空に舞い上がり、上空で一つに溶け合うと地上目掛けて突き進んで来るのが見えた。それはすぐに現実のものとなり、アルヴィーを渦巻く炎が取り巻く。
特に問題もなく炎を右肩の翼に吸い込んでしまうと、アルヴィーは自分の右手を見つめながら、自分の中の竜に問うた。
(……なあ、アルマヴルカン。一つ訊くけど。――俺たち、どれくらい“混ざった”?)
さっき二重写しで見えた視界の片方、あれは“空”からの視点だ。
人間のそれではなく、おそらくは――。
(あれ、人間の視界じゃないだろ)
すると、忍び笑いのような声が聞こえた。
『何だ、思ったより冷静だな、主殿』
(ああ、不思議なことにな。――なあ、俺は今、どれくらい“人間”だ?)
『そうだな。今のところはまだまだ“人間”だ、主殿は。だが、竜の欠片と混ざり合いつつあるのも確か。おそらくはこれから、大きな力を揮うたびに、融合の度合いは増すだろう』
(そっか)
奇妙なほど冷静に、アルヴィーはそれを受け入れた。それもまた、竜と混ざり合いつつあるからなのか――アルヴィー本人にも、分からない。
「あの……アルヴィーさん?」
遠慮がちに呼びかけてくるシャーロットに、アルヴィーは振り返る。
「街の方で火事が起こりかけたけど、さっき大体消した。――行こうぜ、シャーロット。そっちの人たちも、連れてかなきゃいけないだろ」
「え……ああ、はい。そうですね」
かすかに“彼”の雰囲気に違和感を感じたシャーロットだったが、それはすぐに消え失せ、騎士として果たすべき仕事についてが違和感に代わって頭の中を占領する。そんな彼女に倣い、自力で歩けそうにない怪我人を担ぎ上げながら、アルヴィーはまた、自分の右手を見やった。
――いずれ、自分かアルマヴルカン、どちらかの魂が打ち勝つのか。
それとも、両者が混ざり合って新しい“何か”になるのか――。
今はまだ、誰にも分からない。
◇◇◇◇◇
レティーシャは“それ”を目の前に、うっそりと微笑った。
眼前で確かに息づくそれは、巨大な体躯を持っている。本来美しい鱗に覆われている体表は、まだ肉の表面を晒しているが、しばらくすればそれも生え揃うことだろう。
彼女が無言で右手を上げれば、響く靴音。侍女のお仕着せを着た銀髪金目の若い娘が、一抱えほどもあるような箱を抱えて歩いて来る。
レティーシャの横を通り過ぎ、“それ”の眼前で足を止めた彼女が、箱を地面においてその蓋を取り去る――そこに鎮座していたのは、人の頭よりも大きい、深紅に透き通った玉石だ。
「《竜玉》を、“それ”に」
レティーシャの指示に一礼し、侍女は何のためらいもなく、玉石を取り上げた。
次の瞬間――発火。
《竜玉》から噴き出した炎は渦を巻き、あっという間に侍女の全身を包み込んでしまう。だが彼女は悲鳴一つあげることもなく、よろめきながらもしっかりと《竜玉》を手にし、目の前の巨大な体躯に押し付けた。
ずぶり、と沈むようにその体内に取り込まれていく《竜玉》。それを見届けたかのように、侍女は炎に巻かれたままその場に崩れ落ちる。とうとう彼女は悲鳴どころか、呻き声一つあげることはなかった。
「ご苦労様」
燃え尽きた侍女に微笑みかけ、レティーシャは眼前の巨体に向き直る。そこには明らかな変化が現れていた。
てらりとした肉の表面に、深紅の鱗が次々と生え揃っていく。肉塊にしか見えなかった体躯は逞しくも引き締まり、その双眸に黄金の光が宿った。
そして、咆哮。
天地を揺るがすかのような咆哮に、だがレティーシャは子を慈しむ母のような笑みを浮かべる。
これは、産声なのだ。
今、再びこの世に“生まれた”、彼の。
「……ああ、でも、やはりまだ完全には定着していないのかしら」
ちりん、と涼やかな音を立てて剥落した数枚の鱗に、レティーシャはだが想定内という風に頷くと、“彼”を見上げた。
「ですが、そう遠くない内に手に入れてみせますわ。――あなたの“虚無”を埋めるものを」
彼女の唇が、美しく弧を描く。
空間を震わせる再誕の産声は、まだ止む気配を見せない――。




