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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第十三章 再誕
104/136

第103話 無自覚な傲慢

今回の話にも、地震を連想させる描写、及び流血描写等があります。

苦手な方はご注意ください。

 それは、突然のことだった。

 “その瞬間”まで、そこは多少うらぶれた感はあるにしても、何の変哲もない、ただの裏路地だったのだ。この界隈かいわいは昼夜が逆転している者も多く、昼間であっても人通りはさほどない。この日も、ようやく起き出してきた女性が顔を洗うための水を求め、井戸に水をみに来た。

「ふあ……あ」

 この辺りの人間の例に漏れず、彼女もまた、いわゆる娼婦と呼ばれる類のことを生業なりわいとしていた。当然宵っ張りの生活となり、朝は遅い。良い客を捕まえて金を貯め、いつか自分で店を持ってみたい――この辺りの人間がよく持つ夢を彼女もまた抱き、疲れた身体を眠りで癒した後、次の日の仕事のために身支度を整えるべく、近所の共同の井戸にやって来たのだ。

 井戸の蓋を開け、水を汲むための桶を投げ込む――と、いつもの水音の代わりにコン、と固い音がして、彼女は首を傾げた。

(……いやだ。水が少なくなったのかしら?)

 井戸がれたなどということになれば、近隣一帯の住民たちにとって死活問題である。彼女は井戸の中を覗き込み、そしてほっと息をついた。

(水はあるわね。――あら?)

 変わらず水をたたえた井戸の中に安心したが、その中につい先日まではなかったはずのものを見つけ、彼女は目を凝らした。

(あれ……何かしら)

 井戸の底に何かが突き刺さっている。深い井戸の底は光があまり入らないため薄暗く、最初はそれが何なのか分からなかったが――その正体を見極め、彼女は眉を寄せた。


「いやだ、剣だなんて……まさか、人でも斬った剣じゃないでしょうね」


 そう言ってから、自分の言葉にぞくりとする。そんなものが飲み水にも使う井戸の中に投げ込まれるなど、精神衛生上非常によろしくない。

「――ちょっと、使わないんなら退いてくれない?」

 いつの間にか他の住人たちも井戸を使おうと来ていたらしく、井戸を覗き込む先客に不機嫌そうに声をかけてきた。普段ならばカチンとくるような口調だったが、彼女はこれ幸いと相手を井戸の前に引っ張り込む。

「ねえちょっと、あれ見てよ。いつの間にか刺さってたの」

「ええ?――やだ、何よあれ?」

 いぶかしげな声も、井戸の底に確かに刺さる剣を見つけて跳ね上がる。

「何で井戸の底に、あんなものが刺さってるのよ。嫌だわ、抜けないかしら」

「でも、あんなところに入れやしないし、深いでしょう」

「もう、誰よ、あんなもの井戸に投げ込んだのは――」

 文句を言いかけた声が、ぴたりと止まった。


「……何よ、あれ」


 井戸の底で、剣はひとりでにカタカタと震え始めていた。


「ちょっと、なに? 気味が悪い……」

 彼女たちは眉をひそめ、井戸から離れようとする。

 ――だから、見ることができなかった。

 井戸の底に刺さった剣が、限界を迎えたように刃から折れ砕け、くすんだ黄白色の光を溢れさせたのを。

 次の瞬間、膨れ上がった力が弾けるように広がり、井戸を中心に地面が波打つように弾け飛び――。



 ◇◇◇◇◇



 フォリーシュを追って来たアルヴィーたちは、辿り着いたその場所の惨状に息を呑んだ。

(……何だ、これ……!)


 そこには――何もなかった。


 確かに建っていたのであろう建物は、地面に接したわずかな部分だけを残して吹き飛び、そのわずかな部分さえもうねるように隆起・陥没した地面によって、ねじ切られたようにズタズタだ。足元の地面は無秩序にね回されたがごとく波打ち、時折黄白色の光が小さく走る。そのたびごとに地面には爪痕に似た傷が刻まれ、小さな欠片をき散らした。

 そしてその中央に、人影が二つ。

 すり鉢状に吹き飛びへこんだ地面の中央で、先行したフォリーシュが対峙たいじするのは、彼女より少し年上に見える少年。とはいえ、精霊が見た目通りの年齢であるわけもない。彼はうつろにフォリーシュを見返し、時折その足下から稲妻のように光を走らせていた。それが地面を駆け抜けると、地表が引き裂かれて震える。


「――あれが……地精霊か?」

『大分錯乱しているな。おそらく、地脈の膨大な力にさらされ続けたせいで、正気を失ったのだろう。あの孤島の地精霊のような高位精霊であれば耐えきれたかもしれんが、あれは見たところ高位寄りとはいえまだ中位の精霊だ。高位精霊ほどの力はない』

「じゃあ……助けられないのか?」

『それは何ともいえんな。――ただ、あの娘だけでは無理だろう。あれも本来であれば同等の力は持っているが、まだ回復しきっていない』

「当たり前だ。一人でやらせるかよ!」


 アルヴィーが一歩踏み出しかけた時、フォリーシュが動いた。

 彼女の足下の大地がわずかに輝き、一瞬の後に精霊の少年の足下が大きくうねる。意思を持った生き物のようにうごめきながら、フォリーシュが操る大地が精霊を包み込もうと試み――。


『――――!』


 そこで、精霊が声なく咆哮ほうこうした。

 人間の可聴域を超えたのであろうその咆哮は、波となって大地を震わせる。

「――フォリーシュ!」

『だいじょうぶ』

 土で盾を創り出し、地精霊の反撃をやり過ごしたフォリーシュは、それでも表情を小さく歪めた。やはり、力が回復しきっていない彼女には、暴走した地精霊の相手は荷が重いのだろう。

「行ってください、アルヴィーさん。こちらはこちらで何とかなります」

 愛用のバルディッシュを魔法式収納庫ストレージから引き出しながら、シャーロットがアルヴィーの背中を押す。

「でも、大丈夫か? さっきみたいなのがまた来たら……」

 アルヴィーの心配はしかし、ズガン! という音に吹き飛ばされた。


「ご心配なく。ある程度、自分の身は自分で守れますから」


 バルディッシュを地面に叩き込んだ体勢で、シャーロットはにこりと微笑む。深々と地面にめり込んだバルディッシュに遮られる形で、地面に走る亀裂が止まっていた。地精霊の暴走でほとばしる力の一部を、バルディッシュで弾き返したのだろう。確かに《下位竜( ドレイク)》素材で強度が飛躍的に上がったとはいえ、とんだ力技である。

「……お、おう……」

「フラムちゃんも、こっちにいらっしゃい」

「きゅっ」

 引きつるアルヴィーの肩で、フラムも心なしかぴしりと姿勢を正したような気がした。そのままおとなしく差し伸べられたシャーロットの手に移ったのは、これから戦闘に向かう飼い主(アルヴィー)おもんばかったのか、それともシャーロットに逆らってはまずいと思ったのか。真実はフラムのみぞ知る、だ。

 ともあれ、フラムをシャーロットに任せて身軽になったアルヴィーは、右腕の《竜爪( ドラグ・クロー)》を伸ばす。


「じゃあ、行って来る。――そっちは頼んだ」

「はい、お任せを」


 地面にめり込むバルディッシュを、右腕一本で引き抜きながらの頼もしい言葉に、アルヴィーはちょっとおののきながらフォリーシュの援護に向かった。

「――悪い、遅くなった」

『ううん、だいじょうぶ』

 地面に直接触れないように、地表すれすれに魔法障壁の足場を創って下り立つ。フォリーシュは自分の力で地精霊の干渉を相殺しているようで、その足下の地面がほのかに輝いていた。

 地精霊は相手が二人に増えても、特に表情を変えることもなくたたずんでいる。

「……相手が増えようが関係ない、ってか」

『いや、むしろ自分の置かれている状況そのものが分かっていないのかもしれんな。正気を失っていれば、あり得ん話ではあるまい』

 アルマヴルカンの言葉に、アルヴィーは顔をしかめる。

「ってことは、正気を取り戻させるしかないってことか?」

『それができるならば、な』

「……どういう意味だよ」

 含みのある答えに、訝しく思ったアルヴィーに答えたのは、だがアルマヴルカンではなかった。


『――あれは、もう無理だよ。完全に“歪んで”しまってる』


 この場にいないはずの少年の声に、アルヴィーは自分の胸元に目をやった。

「……シュリヴ?」

 ここから遥か南方の孤島にいる彼は、だが自身の力を込めた水晶をアルヴィーに持たせているため、ある程度の状況は把握できるのだろう。地精霊絡みともなればなおさらだ。

 しかし、彼方からの声はいっそ冷徹に、どうしようもない現実を突き付ける。

「……どういうことだよ」

『力の感じから多分中位くらいの精霊だと思うけど、その程度じゃ地脈の力に耐えきれない。僕みたいに高位の精霊なら、それでも何とか自我を保つことはできる。でも、中位以下じゃ無理だ。アルヴィーが助けたのみたいに早めに解放されればまだ目はあったけど、暴走するような段階になったら、もう駄目だよ』

「そんなの……やってみなきゃ分かんねーだろ!」

 アルヴィーは《竜爪ドラグ・クロー》に炎を纏わせる。

(とりあえず……シュリヴの時みたいに、地面から切り離す!)

 地精霊を地上に留めておくのは、力を供給させ続けることと同義である。特に今は、地脈の乱れも加わっているのだ。

「フォリーシュ、援護頼む!」

 アルヴィーは足場にしていた魔法障壁を蹴り、フォリーシュが力を相殺して作り出した道を駆け抜けて、地精霊に斬り掛かる。だが、精霊の周囲の地面から突如、鋭い刃が生えてきてその攻撃をはばんだ。

(自分の身を守る判断力はある……と思っていいのか?)

 《竜爪ドラグ・クロー》と刃が華々しい音を立ててぶつかり合い、地精霊の刃が斬り飛ばされる。だが刃は斬られる傍から湧き出すように生え続け、アルヴィーの行く手に立ちはだかった。

「……ちっ、この程度じゃ挑発にもなんないか」

 生え続ける刃に見切りを付けて、アルヴィーは後方に飛び退る。地精霊の表情はまったく変わらず、ただいだような無表情でこちらを見やってくるばかりだ。

 と、その足下の地面がぱきん、と弾けた。


『――来るぞ、主殿』

『アルヴィー!』

「っ、《竜の障壁(ドラグ・シールド)》――!」


 アルマヴルカンとフォリーシュの警告に、とっさに最大威力で《竜の障壁( ドラグ・シールド)》を展開する。次の瞬間、形容し難い轟音と共に大地が揺れ、大量の瓦礫がれきが宙を飛んだ。

「――きゃあっ」

 不意に背後から聞こえてきたシャーロットの声に、すっと腹の底が冷えて思わず振り返る。

「シャーロット!?」

「大丈夫です、わたしは。――でも、これは……」

 アルヴィーの後方にいたシャーロットは、《竜の障壁(ドラグ・シールド)》にかばわれる形になったため無事だったが、障壁の展開範囲から外れた場所の被害は凄まじかった。ただでさえ崩れかかっていた建物は、瓦礫の直撃を受けて完全に倒壊。地面はさらにえぐれ、獣の爪痕のような地割れが精霊を中心に四方に向かって広がる。

 シャーロットは絶句したまま、その光景を見やった。“その瞬間”は激しい揺れと膨大な粉塵のせいでよく見えなかったが、おそらくは地精霊が放った力が、衝撃波か何かのように周囲を薙ぎ払ったのであろうということは推測できた。それにしても、とシャーロットは、人の頭よりも大きな瓦礫が、崩落しかかった建物の二階に突き刺さっていることに冷や汗を覚える。《竜の障壁( ドラグ・シールド)》がなければ、自分たちも吹き飛ばされていただろう。

(……あそこに人がいれば、もう多分……)

 冷静な彼女の頭脳は、先ほどの攻撃による被害を弾き出す。アルヴィーとフォリーシュが地精霊と対峙している間、シャーロットは救出できる範囲で要救助者を探して救助していたが、倒壊しそうな建物にまではまだ手が回っていなかった。

 救出できた数人ほどは、手持ちのポーションをさらに小分けにして摂取させ、とりあえず大きな怪我だけを先に治療するに留まっている。圧倒的に手が足りず、《伝令( メッセンジャー)》を飛ばして応援をつのったが、到着までにはまだ時間が掛かるだろう。


「……な、何なの、これ……何が起きたの!?」


 救助された被害者の一人が意識を取り戻して起き上がり、甲高い声で叫ぶ。まあ、目が覚めたら辺り一帯が瓦礫の山などとなれば、そう叫びたくなるのも道理ではあった。

 だが生憎あいにく、今は圧倒的に手が足りない。叫べるほどに元気なら、是非とも手伝って貰いたかった。

 ということでシャーロットは、彼女に残りのポーションを手渡す。

「わたしは魔法騎士団の者です。すみませんが、人手が足りませんので、お手伝いをお願いします。わたしは被害に遭われた方を捜しますから、あなたは怪我をした方の介抱をお願いしますね。ただ生憎、ポーションの手持ちがあまりありませんから、一人につき容器の三分の一ほどで。命に関わりそうな重篤じゅうとくな怪我を優先してください」

「え? はあ?」

 目を白黒させている彼女をそのままに、シャーロットはバルディッシュを片手に要救助者の捜索に向かった。


 ――その様子を遠目に見て、アルヴィーはほっと息をつく。


(あっちは大丈夫そうだな……問題は)

 向き直った地精霊は、相変わらず虚ろな表情で立ち尽くしていた。だが、その足下では黄白色の光が火花のように弾け、力の制御ができていない様子がうかがえる。アルヴィーの中で、アルマヴルカンが苦々しげに呟いた。

『……少々まずいな』

「まずい?」

『地脈がめちゃくちゃ……このままじゃ、だめ』

 フォリーシュが唇を引き結んで、黄水晶シトリンの瞳で地精霊を見つめた。その髪がふわりとなびき、足元の地面が輝きを帯びる。それは次第に広がり、植物が根を張るように幾重いくえにも枝分かれすると、地精霊を取り囲むようにさらに伸び始めた。

「何だ、これ!?」

『地脈の流れに干渉してるんだよ。とどこおった流れを少しでも解して、力を逃がさないと……微々たるものではあるけど、やらないよりは全然マシだからね』

 アルヴィーの懐の水晶がちらちらと輝き、シュリヴの声が説明してくれた。

『でも、地脈の狂いが大き過ぎる。――しょうがないな』

 アルヴィーの胸元、ちょうどシュリヴの水晶のある辺りから、ほろほろと光が漏れる。それは地面に降り注ぎ、わずかにわだかまったと思うと、一瞬後には人の形を作り出していた。

「え、何で――」

『ここは精霊の森じゃないけど、地脈の力が溜まってるからね。それを流用すれば、ちょっと密度の濃い虚像も作れるってわけ』

 まるで本当にそこに存在しているような、本人そのもののシュリヴの虚像が、にやりと少年らしからぬ笑みをひらめかせる。


『人間の街なんてどうだっていいけど――僕より下位の奴に好き勝手されるのは気に入らないから、ねっ!』


 シュリヴが片足を強く地面に打ち付ける。そこから黄白色の光が波紋のように広がり、地精霊の足下から零れる光とぶつかった。火花が激しくなり、そしてシュリヴの力が地精霊の力を押し潰すように、火花を呑み込みながらじりじりと地精霊に迫る。

「すげ……」

『ふん、当たり前だろ? 僕はこれでも高位精霊なんだから!』

 自慢げに胸を張り、シュリヴは目をすがめて地精霊を見やる。

『……やっぱり、“形”が相当歪んでるね。存在そのものが変質したんだから、当たり前か……』

「なあ、さっきも“歪んでる”って言ってたよな。どういうことだ?」

 地精霊を警戒しながらのアルヴィーの問いに、シュリヴは肩をすくめた。

『僕たち精霊は、自然の具現化だからね。本来は決まった形なんてないんだ。ただ、何かしらの“形”がないと不便だし、“個”の認識ができなきゃいずれまた自然に還っちゃうから、この世界に存在し続けるための手段として、それぞれが好きな“形”を取る。僕たち精霊が自然から独立した存在として自我を持ち続けるためには、絶対に必要なことなんだ』

 だけど、とシュリヴは地精霊を指し示す。

『あいつは、それが歪んじゃった。地脈の力にずっと曝され続けて、押し曲げられちゃったんだよ。――ああなったら、自我も何もかも保てない。今の“形”を崩して、もう一回別の“形”を取れるようになるまで、待つしかないんだ』

 力のせめぎ合いというにはあまりにも美しい、黄白色の輝きを見つめながら、シュリヴは表情を変えることもなくそう言った。


『ま、しょうがないよ。僕らは自然界の力がそれぞれ好きな姿をして動いて喋ってるみたいなものだから、アルヴィーたちみたいな“生き物”とは違うし。だから、厳密に言えば僕らには生も死もない。ただ、“形”があるかないか、それだけなんだ』


 彼ら精霊にとっては、それが当たり前の摂理せつりなのだ。自然から生まれいずれ自然に還る、その力の一部。

 だが、その姿があまりにも人そのものであるがゆえ、アルヴィーにはそう割り切ることができない。


「……でも、自我があるんなら、消えるのは怖いだろ。フォリーシュだって、そうだった。――俺が、もっと早く動けてりゃ……!」


 国という枠組みに縛られて、すぐに精霊たちを救うことができなかった。それが悔やまれる。

 悔恨に顔を歪めたアルヴィーに、だがシュリヴは呆れたように吐き捨てた。


『なにそれ。馬鹿じゃないの』

「馬鹿って――」

『あのさ。人間にどれだけのことができると思ってるの。僕の呪いを消せたからって、他の精霊も助けられるつもりだった? 言っとくけど、あれはすっっごく運が良かっただけだからね! 僕が高位精霊で、それだけ“形”が強固だったのと、たまたまアルヴィーの力があの呪いと相性が良かっただけのことなんだから』


 ふん、と鼻を鳴らして、シュリヴは地精霊に向き直る。とりあえず、アルヴィーは指摘した。

「……でもおまえ、俺が魔法陣消せばどうにかなるって」

『うるさいなあ! それはそれ、これはこれ!』

 逆ギレのように怒鳴り返し、シュリヴはふと静かな表情になる。それは確かに、少年の姿には似つかわしくない、彼が生きる長き時の重みを感じさせた。


『……自分だけで何もかも背負おうとするのは、単なる傲慢ごうまんだよ。ただの人間に、そんなの三百年は早いね!』


 切り口上のような一言と共に、光が強くなる。シュリヴの力が地精霊のそれを完全にし潰し、精霊そのものをも呑み込もうとしていた。

『運がないとは思うけど……一度、大地に還るんだね。いつかまた、別の“形”を持てるよ』

 ぽつりと落とされた呟きは、歪みきってしまった同胞への、せめてもの手向けだったのだろうか。

 光の波が、地精霊を呑み込んでいく――。


『――いかん、主殿!』


 アルマヴルカンの鋭い声が、アルヴィーの脳裏に響くのとほぼ同時。

 光が、弾けた。


『――まずい!』

 シュリヴが素早くしゃがんで地面に手を叩き付けると、眼前にそそり立ったのは結晶の盾。そこへ、地精霊が撃ち放った膨大な数の鋼色の刃が、矢の雨のごとくに殺到した。

「《竜の障壁(ドラグ・シールド)》!」

 アルヴィーも障壁を展開するが、尽きることなく放たれ続ける精霊の攻撃に、あっという間に相殺された。シュリヴの盾も、見る間にひび割れて欠片が舞い始める。

『あいつ、地脈から直接力を吸い上げて攻撃してる……! あそこまで歪めば、もう怖いものなしってことか!』

 シュリヴが小さく舌打ちした。アルヴィーははっと後方を振り返る。


(――シャーロット!)

 このまま精霊の猛攻に障壁が抜かれれば、後方にいる彼女も――。


 瞬間。

 きぃん、と澄んだ高い音を立てて、シュリヴの盾が砕け散った。

「――きゃああ!!」

 後方から悲鳴が聞こえる――そう認識した瞬間、アルヴィーは弾かれたように駆け出していた。

 やけに遅く感じる時間の中、飛来する鋼の刃を、シャーロットがバルディッシュで弾き飛ばしたのが見えた。先ほどの悲鳴は、救助された誰かがあげたものだったようだ。だが安堵する暇はない。精霊が撃ち放つ刃は尽きる気配もなく、再びシャーロットに牙を剥く。

 距離はあと少し。離れた場所に《竜の障壁(ドラグ・シールド)》を展開するには展開座標を設定しなければならないが、そんな余裕はなかった。

 炎を纏わせた《竜爪ドラグ・クロー》で鋼の刃を斬り飛ばしざま、肩口から押し退けるようにシャーロットを突き飛ばす。


 次の瞬間、アルヴィーの剣を掻い潜った刃が、彼の身を貫いていた。



 ◇◇◇◇◇



 ほぼ同時刻。

 ルシエルは、ヘクター・ヴァン・メルファーレン伯爵とその令嬢ティタニアの訪問を受けていた。

「――いや、急にお邪魔して申し訳ないね、ルシエル殿。だが、娘がどうしても、君に話したいことがあると」

「いえ、こちらこそ、近い内にご領地に戻られるとは伺っていましたので、ご挨拶に上がらなくてはと思っていたところです。間際のご挨拶になりましたこと、お詫び申し上げます」

 そう遠くない将来義理の父となる相手に、ルシエルは丁重にそう申し述べ、父のかたわらに縮こまるようにしているティタニアに向き直る。

「それで……僕にお話というのは?」

「はい……その……」

 彼女は口ごもりながら、膝に置いた両手を固く握り締める。その表情はかげり、視線は落ち着きなく移ろっていたが、やがて意を決したように顔を上げた。


「ルシエル様。――わたくし、申し上げなければいけないことがあります」


 何かを訴えるように真摯しんしに見つめてくるティタニアに、ルシエルの表情も変わった。

「伺いましょう。――少し外してくれ」

 客をもてなすために控えていた使用人たちを退出させ、ティタニアに向き直る。人払いがされたことに、彼女はほっとしたようにわずかに表情を緩めた。

「ありがとうございます……」

 それでも彼女はなおためらっていたが、一つ大きく息をつくと、ルシエルを真っ直ぐに見据えた。


「……わたくし、会いましたの。ベアトに、今日」


 その愛称に、ルシエルは聞き覚えがあった。わずかに瞠目どうもくする。

「それは……ギズレ家の?」

「何!?」

 ルシエルの問いに重なるように、ヘクターが鋭い声をあげた。

「ティタニア、あの家の娘とはもう関わってはならぬと、あれほど……!」

「分かっています! でも……ベアトはわたくしの、お友達なのよ。社交界で、初めてできた……」

 黄緑色の瞳を潤ませる娘に、ヘクターはやや怯んだようだった。ティタニアは目を伏せ、話を続ける。


「ルシエル様もご存知の通り、ベアトのお家があんなことになって……彼女もずっと行方が分かりませんでした。――ですけど、今日。彼女が、わたくしの家のすぐ前を通り掛かりましたの」


 ギズレ元辺境伯家の娘・ベアトリスの行方は、騎士団の方でも継続して追っていた。だがその足どりはようとして掴めず、また彼女の逃亡を手引きしたと思われる使用人の遺体が国境沿いの山中で見つかったことから、逃亡途中で死亡したのではないかともささやかれ始めていたのだ。

「……それで、彼女とは何か話を?」

 ルシエルの問いに、ティタニアは小さく頷いた。

「……今、どうしているのかと訊きました……そうしたら、“今は安全なところにいる”と……」

「安全なところ……詳しい地名などは?」

 もし大まかな地名でも口にしていれば、と思ったが、ティタニアはその問いには首を横に振った。やはり、そう簡単に足どりを掴ませる真似はすまい。

「そうか……でも、よく話してくれたね」

 務めて優しい口調でそう言えば、ティタニアは安堵したようにこわばっていた肩から力を抜いた。

「……ベアトには、会ったことは黙っていた方が良いと、言われましたの。でも……ルシエル様になら、と」

「そうか……大丈夫、騎士団には僕の方から報告しておくよ」

「ルシエル殿、くれぐれもよろしく頼む」

「心得ています」

 ヘクターにも頭を下げんばかりにそう頼まれ、ルシエルは請け負った。騎士団としても、ギズレ家の娘を取り逃がしたのは痛い失点だったのだ。その情報が手に入るなら、多少の目こぼしはしてくれるだろう。

 ただ、そのためにはできる限り詳細な情報があった方が良い。

「他に何か、彼女と話したことはあるかい? どんな些細ささいなことでも構わない」

「話したこと……そういえば」

 ティタニアが思い出したように顔を上げる。

「わたくしが領地に戻るかどうか、訊かれました。近い内に戻ると答えたら、“領地に戻るのは絶対に遅らせないで”と」

「ということは……君が王都に留まると、彼女にとっては不都合だったということか」

 ルシエルの呟きに、ティタニアは小首を傾げた。

「でも、どうしてわたくしが王都に留まると、ベアトに都合が悪いのでしょう?」

「そればかりは、本人にでも訊くしかないが……」

 ここで顔を突き合わせていても、彼女の真意が分かるわけではない。かぶりを振り、ルシエルは立ち上がった。


「……ひとまず、騎士団の方に報告を上げます。もし騎士団の方から事情を伺うようなことがあれば、できる限りご領地に戻るまでに済むよう手配しますので――」


 彼がそう言った、その瞬間。


 足下が、大きく揺れた。


「――きゃあっ!」

「な、何事だ!?」

「お二人はそこにいらしてください! 動かないで! 今、人を呼びます!」

 ルシエルは鋭い声で指示し、応接間を飛び出す。外に控えていた使用人たちに、メルファーレン親子を守り、場合によっては避難するよう言い付けると、自室に戻って愛剣を剣帯ごと引っ掴んだ。剣帯を着ける間も惜しみ、廊下を駆け抜けると庭に飛び出す。

 周囲を見回すと、伯爵邸のある区画からはそれなりに離れた辺りから、薄い煙のようなものが立ち昇るのが見えた気がした。


「――何だ、地震か!?」

「今の、何だったんだ」


 あちこちの館の使用人や出入りの商人たちが、不安げに周囲を見やる。と、街の方から使用人らしい男が走って来るのが見えた。家の遣いで街に出てでもいたのだろうが、その男は息せき切って、元来た方を指差しながら叫んだ。


「た、大変だ! あっちのお屋敷が、く――崩れちまった!」


 その言葉に、人々がざわめいた。

「崩れたって、貴族様のお屋敷がか? 馬鹿言うなよ、ああいうお屋敷は魔法を使って頑丈に建てるっていうじゃないか」

「本当だ、この目で見たんだぞ! あっという間だったんだ……!」

 使用人の男がそう言い募るのを横目に、ルシエルは門を潜って駆け出す。街の方に近いということは、下級貴族の屋敷のある辺りだろう。アルヴィーがたまわった屋敷も、ちょうどその一画に位置する。

(――アル……!)

 もちろん、彼ならばルシエルが駆け付けるまでもなく、自分でどうにでも対処できるだろう。だが頭ではそう分かっていても、理屈を凌駕りょうがする感情によって、彼は突き動かされていた。


 ――ルシエルがその一画に辿り着いた時、すでに問題の屋敷の周囲には人だかりができ、ちょっとした騒ぎになっていた。それを発見し、ルシエルは不謹慎ながら安堵の息をつくのを止められなかった。

(……アルの家じゃない)

 そこはどうやら、持ち主がすでに手放した屋敷のようだ。敷地の広さからして子爵邸というところか。だが、それ以外に屋敷の素性を知る術はない。


 なぜなら、館の建物そのものは半ば以上が、無残に倒壊していたのだから。


「――危険だ、離れて!」

「騎士団だ! 今すぐここから離れるように!」


 巡回していた小隊だろう、騎士団の制服を纏った騎士が駆け付け、野次馬を散らし始めた。彼らに声をかける。

「第一二一魔法騎士小隊のルシエル・ヴァン・クローネルだ。一体何があった?」

「は、クローネル小隊長……!」

 騎士団と魔法騎士団、所属は違えど階級は絶対だ。慌てて敬礼する騎士たちを制しながら、屋敷に目をやる。

「さっき揺れたが、あれはそのせいか?」

「それが、我々にも分かりかねまして……ひとまず、現場を封鎖するために駆け付けたのですが」

「そうだな。妥当だとうな判断だ」

 頷き、ルシエルは目をすがめる。と、屋敷の辺りで人影を見た気がして、眉を寄せた。

(……何だ? 人……? あんなところに?)

「どうかされましたか?」

 ルシエルが一所を凝視しているのに気付いたのか、騎士の一人が問うてくる。ルシエルは屋敷の方を指し示しながら、

「いや……屋敷の方で、人影を見た気がして」

「人影……ですか?」

 騎士も門から覗き込むようにして、屋敷の方に目を凝らす。と、不意に背筋を何かにぞわりと撫で下ろされたような戦慄を感じ、ルシエルは思わず愛剣《イグネイア》に手を掛けた。

(――嫌な予感がする……!)


 その時。


 屋敷の方、ちょうどルシエルが人影を見掛けた辺りで、何かが光る。

 そして――荒れた庭を波のように力が駆け抜け、地面を弾き飛ばした。


「――《イグネイア》!!」

 ルシエルは反射的に《イグネイア》を励起れいきさせ、地面に突き立てた。そこに放たれた力がぶつかり――《イグネイア》の纏う力に退けられるように、左右に分かれて後方へと駆け抜けていく。

 やがて力の波が通り過ぎ、ルシエルは《イグネイア》を引き抜いた。

「こ、これは……!」

 偶然ルシエルの後ろにいて庇われる形となった騎士は、変わり果てた庭の光景に絶句する。ルシエルは鋭い声で、彼に指示を飛ばした。


「急いで騎士団本部に応援要請を! これで終わりとは限らないぞ!」

「は、はっ!」


 騎士たちの一人が駆け出して行く。ルシエルは再び、屋敷の方に目をやった。

(何が起ころうとしてるんだ……?)

 彼の疑問に答えが示されるまでには、まだ今しばらくの時間が必要だった。



 ◇◇◇◇◇



 シャーロットは、信じられない思いで眼前の光景を見つめた。

(……そんな)

 突き倒されるように地面に放り出された自分の代わりに、今まで自分がいた空間にはアルヴィーがいて――そして、その左肩と胴を、禍々(まがまが)しく輝く刃が貫いている。

 声もあげられずに唇をわななかせる彼女を現実に引き戻したのは、彼のうめくような声だった。


「――《竜の障壁(ドラグ・シールド)》……っ!」


 展開された障壁が、またしても襲い来る刃を弾き飛ばす。

「――くっそ……ひっさびさに痛ぇな、これ……!」

 まず胴、そして左肩。自由になる右手で自分を貫く刃を抜いて放り捨て、アルヴィーは口元の血を乱雑に拭うと――かすかに笑った。


「……けど、大分目ェ覚めた」


 《竜爪ドラグ・クロー》を振りかざす動きは、すでに普段と遜色そんしょくないほどに回復している。彼の持つ超人的な回復力は、すでに傷を塞いでしまったのだろう。

「……アルヴィー、さん」

 掠れた声で呼んだ名は、彼に聞こえただろうか。


「“何を抱えて何を捨てるか”、か。その通りだよ、まったく」


 自嘲するように呟いて、アルヴィーは地を蹴る。刃の雨を、

「圧し潰せ――《重力陣グラビティサークル》!!」

 重力魔法ですべて叩き落とすと、《竜爪ドラグ・クロー》に炎を纏わせて振り抜いた。撃ち出された炎の刃が飛来した鋼の刃とぶつかり、爆発的に膨れ上がった炎が刃を吹き飛ばす。


「あ……」


 伸ばした手は届かないままに、彼は振り向くことなく再び駆け出して行った。

 ――戦場へと。


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