ダリアの咲く庭で 1
ダキアーノ家について、ある従僕視点で書いてみました。
前回に続き、この物語もケイン視点ではありませんが、アントとシアの婚約に関係する話なのでこちらに入れました。
二話の短いお話です。
春先に植えたダリアが瑞々しい若芽を地中からもたげ、空に向かって小さな葉を広げ始める。
うららかな春の陽射しが冬枯れた大地や木々に目覚めを呼び起こし、土中から小さな虫が這い出てくるこの時期が、ジョンは一年の中で一番好きだった。
長く厳しい冬が終わり、希望という名の春が訪れる。
土いじりをしていた手を止めてふと空を見上げれば、うっすらとした白い雲に輪郭を朧にした太陽が、柔らかな陽筋を大地に落としていた。
「ジョンが手入れする花はとてもきれいね」
不意に、亡きダレイシア様の言葉が耳元に蘇る。
春に芽吹いたダリアは夏に向けていよいよ緑を濃くしていき、初夏には大輪の花を咲かせる事だろう。
元々は、ダレイシア様の生家バルドン家に植えられていたダリアだった。
ダレイシア様が嫁がれる時に株分けされ、新たな地に運ばれたそれは、今も変わらずジョンの傍らで精一杯生き抜こうとしている。
ダレイシア様が愛でておられたこの花を、ジョンもまた生涯愛し続けるだろう。
ダレイシア様と初めて会ったのは、ジョンが五つの時だった。
住んでいた孤児院を焼け出され、力尽きて路辺に転がっていたところを八歳のダレイシア様に拾われたのだ。
「ねえ、お前。大丈夫?」
そう声を掛けられてぼんやりと開いた瞳に映った美しいストロベリーブロンドを、ジョンは今でも鮮明に覚えている。
ダレイシア様は金髪に赤毛が混じった珍しい髪色をされていて、陽光に照らされたそれは、まるで春の花を思わせるような仄かなピンク色をしていた。
垢に塗れ、饐えた臭いを放っていた五つの子どもをよくも館に連れ帰って下さったものだと、ジョンは今でもその事をダレイシア様に感謝申し上げている。
ジョンが引き取られたバルドン家は、決して裕福な貴族家ではなかった。
かつては皇宮主催の晩餐会に招かれるような由緒正しい家柄であったらしいが、アマリウス帝の時代に親族が不祥事を起こし、そのままずるずると没落の道を辿っていた。
五つの自分が雇ってもらえたのは、ダレイシア様が必死になって執り成して下さったのと、実際にその貴族家が安い労働力を必要としていたからだろう。
腐っても貴族と言うか、どれほど落ちぶれても体面だけは保ちたいとするご当主は、手入れの行き届かない古屋敷で誇りと伝統だけを頑なに守って生きておられ、当時雇われていた使用人は従僕と女性使用人、そして厨房係の男がいるだけだった。
ジョンは下男として働き始め、掃除や皿洗い、物の持ち運びや庭仕事などなんでもやった。
茶目っ気のあるダレイシア様はジョンを弟分としてあれこれと連れ回し、こっそりとお菓子をジョンに渡してくれる事もあった。
ダレイシア様には年の離れた兄君が一人いらっしゃるだけで、使用人は皆、四十半ばを超えている。
大人ばかりに囲まれて育ったダレイシア様は、新しい遊び相手ができたようで嬉しかったのだろう。
やがてダレイシア様は十五歳となり、デビュタントを果たした二年後に婚約話が持ち上がった。
お相手はバルドン家と同じような没落貴族で、かつては皇都に大きな邸宅を所有していたと聞くが、今は別邸に移り住み、僅かな領地収入で生活しているらしい。
遡れば皇家の血筋も引いているという名門中の名門で、バルドン家とは遠い親戚にあたると聞いた。
話は見る見るうちに調って、持参金に関する細かい取り決めも両家の間で行われ始めた。
高位貴族同士の結婚の場合、花嫁側は使用人を一人つけるのが慣例で、相手側の貴族はそれを望んだ。
両家ともすでに往時の勢いはなく、互いにぎりぎりの数の使用人で館内の仕事を回していた状態であったが、高位貴族であるという体裁を整えたかったようだ。
お館様は当時十四歳になったばかりのジョンを娘につけてやる事にした。
他に回せるような人材がいなかったからだ。
「旦那様となる方はどんな方かしら」
庭園でダリアの手入れをしているジョンの傍にやって来て、ダレイシア様は時折、そんな不安を口に乗せるようになっていた。
「申し分ないご縁だと叔父様達はおっしゃるけど、一度も会わずに嫁ぐようになるから心配だわ」
貴族の令嬢は、親の言うままに嫁いでいくしか道はない。
ダレイシア様はきちんと覚悟をつけておられたが、どうしても不安は拭えなかったようだ。
「きっと良いお方に決まっています」
摘み取った花がらを麻の袋に入れながら、ジョンは力強くそう答えた。
咲き終わって萎れ始めた花は、なるべく早く摘み取ってやらなくてはならない。しぼんだ花をそのままにしておくと見目も悪い上、病気やカビの原因にもなるからだ。
それを行いながら、茎と葉の付け根から伸びてくる脇芽を一つ一つ確認して、不必要だと思われる芽を間引いていく。
植物に必要な栄養をバランスよく花や葉に行き渡らせるためだ。
「無口な方かしら。それとも口やかましいお方だと思う?
わたくしより四つもお年が上なのですって。でも四つしか違わないなら、きっと話だって合うわよね」
「十や二十も離れていたら話題に困りそうですが、四つ違いなら大丈夫なのではありませんか?」
親元を離れて見も知らぬ土地に旅立つダレイシア様にとって、婚家に付き従ってくれるジョンだけが頼みの綱のようなものだ。
一生懸命不安を紛らわせようとするダレイシア様に、ジョンは懸命に言葉を重ねた。
「心配は要りません。これ以上ないご縁だと、お館様が大層喜んでおられました。
お嬢様をあれだけ可愛がっておられるお館様がそう言われるのですから、きっとお幸せになれますとも」
「そうね。きっと心配は要らないわね」
ダレイシア様は中央部が濃い紫色をした八重咲のダリアにそっと手を伸ばした。
白く細い指先が、外側に行くにしたがってだんだんと色を薄くしていく花弁を愛おしそうに撫でていく。
「お嬢様が嫁がれる際には、こちらにあるダリアの球根や苗木を分けてもらえるようになっております。
嫁がれた先でも、このジョンがダリアの花をきれいに咲かせてご覧に入れます。
ですから、きっと寂しい事はありません」
どこか泣きそうな顔をしておられたダレイシア様にそう告げれば、ダレイシア様は僅かに憂いを解いて、仄かな笑みを口元に浮かべて下さった。
それからほどなく、ダレイシア様は相応の嫁入り道具を持ってその貴族家に嫁がれた。
結果から言えば、その結婚生活はひどく不幸なものだった。
相手の家は皇家の血を引く名門である事を事ある毎にひけらかして他家を見下し、収入も碌にないのに湯水のように金を使う生活を改められない歪な貴族家であったからだ。
格式と伝統を重んじる貴族が面子に金をかけるのはごく一般的な事だが、その家の場合は度を越していた。
切り詰めようとすれば、他家に知られぬ形で生活を改めていく事は十分可能であったのに、当主夫妻もご夫君もそれを良しとしなかった。
領地を切り売りして金を捻出していると知ったダレイシア様は、それとなくご夫君に苦言を呈してみたのだが、それが悪かったのだろう。
生意気な嫁だとお館様や奥方様から罵られるようになり、プライドばかりが山のように高いご夫君とも、冷え冷えとした関係になってしまった。
生来の明るさはなりをひそめ、ダレイシア様は鬱々とした顔で日々を過ごされるようになっていた。
唯一の心の慰めであったのが、庭園に植えられた色とりどりのダリアで、時間を見つけて庭園に出て来られ、風に揺れるダリアを飽く事なく見つめておられた。
ジョンは従僕見習いから従僕に昇格し、ご夫君の身の回りの世話やお供などをするようになっていたが、僅かな時間を見つけては庭の手入れを行った。
本来ならこれは園丁や下男のする仕事だが、ダキアーノ家でも使用人の数が十分足りておらず、こうしたジョンの行為が重宝されたのは幸いだった。
「このダリアを見ていると、まるで生家にいるみたい」
夏の太陽に向かって真っ直ぐに咲き誇るダリアをどこか眩しそうに見つめ、ダレイシア様は静かにそう呟かれた。
「ねえ、ジョン。子どもの頃は楽しかったわ。
お父様やお母様の目を盗んで、ダリアの咲く庭園で二人でかくれんぼをした事があったわね。お前は覚えていて?」
「勿論覚えておりますとも」
自分と同じ年頃の子どもが傍にいなかったダレイシア様は折につけてジョンを構っていたが、身分の違いもあって二人きりで遊ぶような事はなかった。
けれどある日、お館様達が外出され、他の使用人達もそれぞれに忙しくしている日があって、庭の手入れをしていたジョンのところにやってきたダレイシア様が、一緒に遊ぼうとこっそり言ってきたのだ。
ちょうど夏が来ようとする時期で、色とりどりのダリアが庭に咲き乱れていた。
花の陰に蹲り、必死に気配を隠すダレイシア様だったが、庭園を知り尽くしているジョンには隠れ場所を見つける事など造作もない。
こっそりと後ろから近付いて、わざと驚かせたものだ。
夢のような一日だった。
時間が経つのも忘れて二人は遊びに興じた。
幼い二人が仰ぐ空はどこまでも高く澄んでいて、世界は自由と希望に満ちていた。
「あの頃に戻れたら……」
ダレイシア様はそう言いかけて、すぐに口を閉ざした。口に出していいような事ではないと気付かれたのだろう。
今のダレイシア様にとって、当時の記憶は余りにも眩しすぎた。
バルドン家のお館様も奥様も温厚な方で、年を重ねてからできたダレイシア様の事を大層慈しまれていた。
館はいつも笑いに満ち、その中心におられたのは一番小さなダレイシア様だった。
零れそうになる涙を瞳をしばたいて必死に堪えておられるダレイシア様に、ジョンは「若奥様……」と声を掛けた。
けれど、その先を何と続ければいいのか、無学なジョンにはわからなかった。
そんなジョンを見て、ダレイシア様は仄かに笑んだ。
「大丈夫よ、ジョン」
まるで自分に言い聞かせるようにダレイシア様は言葉を続けられた。
「わたくしはわたくしの義務を果たしていくだけ。
このダリアが庭に花を咲かせている限り、何があっても頑張れる気がするわ」
婚姻されて三年後、ダレイシア様は玉のような男の子をダキアーノ家にもたらせた。
後継ぎの誕生に当主夫妻やダレイシア様のご夫君は狂喜され、僅かばかりダレイシア様への風当たりは弱まった。
子はウルクと名付けられ、すくすくと成長していったが、ダレイシア様はその後、続けて二回子を流され、心身ともに弱っていかれた。
「わたくしはもう、子を望めない気がするの」
ある日ダレイシア様は、庭に出ていたジョンにそう弱音を漏らした。
もう一人男の子を欲しがっていたご夫君は、ダレイシア様が二回続けて流産した事に強い不満を持っていた。
一番傷付いているダレイシア様の心に寄り添おうともされず、ダレイシア様はもう限界であられたのだろう。
「ねえ、ジョン。わたくしにもしもの事があったら、どうかウルクを守ってやって。
多分、ウルクの代になったら、もう切り売りする領地もなくなっているような気がするわ。
あの子が生きて行けるかどうか心配なの」
それから二度目の夏にダレイシア様は三度目の流産をされ、そのまま出血が止まらずに儚くなられた。
本音を言えば、ジョンはもうこんなダキアーノ家に留まりたくはなかった。
お館様や奥様は気位ばかりが高く、ちょっとした事で怒鳴り散らす。
その上給金が低いというのでは、良いところなしであったからだ。
使用人が勤め先を変える事は往々にある事だし、働き盛りのジョンをもっといい条件で雇ってくれる家は他にいくらでもあった。
使用人仲間からも、何でこのお館に拘るのかと不思議そうに聞かれたが、ジョンはどうしても最後の一歩が踏み出せなかった。
ダレイシア様は、ウルク様の行く末を案じておられた。
恩あるあの方の信頼を裏切ったら、もう二度と顔を上げて生きていけないような気がしたのだ。
ダレイシア様が案じておられた通り、ダキアーノ家はその後もゆっくりと没落の一途を辿って行った。
ダレイシア様が亡くなられて二年後、後妻を探していたご夫君が流行り病で急逝され、ダキアーノ家には年老いた当主夫妻とウルク様だけが残された。
ダレイシア様が亡くなられた時は涙一つ零されなかった当主夫妻だが、跡取り息子に先立たれた事は相当に堪えたようだ。
すっかり塞ぎ込まれるようになり、孫のウルク様が成人して妻を娶ったのを見届けると、安堵したかのように相次いでこの世を去られた。
ウルク様が二十四歳の事だった。
せめてウルク様がお迎えになった奥様が、ダレイシア様のようにバランス感覚を備えたお方であったなら、財政状況を変えていく事は可能であったかもしれない。
けれど新しくダキアーノ家に入られた奥様は、自尊心ばかりが肥大した典型的な没落貴族で、ある意味、ウルク様とお似合いの女性だった。
派手な生活は改まらずに最後の領地まで手放して、起死回生を狙ったウルク様はあろう事か賭博に手を出した。
挙句、身動きが取れなくなるような大借金を背負ってしまった。
あの時は暴風の直中に放り込まれたような感じだった。
厩舎にいた老いぼれ馬や馬車は一番に売られていき、続いて金目の家財や家宝が売り払われた。
館で働いていた使用人達も次々にいなくなり、残ったのはジョンと、奥様が嫁入り時に連れてきたヨナという六十過ぎの侍女だけだった。
残された館を担保にウルク様は金を借り集め、ジョンとヨナはほぼ無給でお館様一家にお仕えする事となった。
ウルク様にはご嫡男となるお子様が生まれていたが、家庭教師を雇うような金などどこにも残っていない。
アントと名付けられたご嫡男の教育は母君に任される事になり、ウルク様はひたすら金策に走り回った。
やがてアント様は騎士団に入団する年齢になったが、入団のための支度金をウルク様は捻出できなかった。
アント様は平民でも入れるような下層の騎士団に入団される事になった。
馬場もなく、僅かな訓練場と学舎があるだけの騎士団で、質の悪い剣や戦槌は騎士団から支給される。
座学が受けられるのは午前中だけで、午後からは雑用や土木工事に追われると聞いているが、生活費全般は騎士団から出してもらえるのはありがたい。
五年ここで我慢すれば、アント様も無事、騎士の称号を得る事ができるだろう。
追い詰められたウルク様は、莫大な持参金を持った娘を息子の嫁に迎え入れる事でダキアーノ家を再興させようと思いついた。
代々、それなりの家格の娘を奥方に迎え入れていたダキアーノ家だが、すでに領地もなく、館を担保に大借金を背負っているような家と縁を結びたがるような酔狂な貴族はいない。
嫁探しは難航し、縁談相手がようやく決まったのはアント様が十四の時で、お相手は二世代前から急激に領地収入を伸ばしてきたラヴィエ家という下級貴族の令嬢だった。
「あんな下賤の血をダキアーノ家に混ぜなければならないなんて……」
それを聞いた奥様は、これ以上の身の不幸はないとばかりに大袈裟に喚きたてた。
「何でもあの家の奥方は、自分で厨房にも立っているそうよ。何て悍ましい。
近寄ったら溝のような臭いがするんじゃないかしら」
それを聞いた時、さすがのジョンも眉を顰めた。
仲介役のカリアリ卿の話を繋ぎ合わせると、相手側のラヴィエ家は何度となくこの話を辞退してきたらしい。
娘はまだ九つで、恋も知らぬ幼い子だ。どれほどいい縁であっても、デビュタントの前から婚約者を決めるような真似はしたくない。
ラヴィエ卿は最後まで抵抗したが、寄り親のカリアリ卿が圧力をかけて無理やりこの縁を結ばせた。
本来なら、ダキアーノ家はラヴィエ家に感謝しなくてはならなかった。
婚約と同時に婚約祝い金がダキアーノ家に納められ、更に年に二回の援助金が渡されるようになって、断絶寸前だったダキアーノ家は息を吹き返したからだ。
まるで廃屋のように荒れ果ていた館に少しずつ調度が戻り始め、雨漏りをしていた屋根も修理された。
借金は僅かずつだが返す目途もついて、奥様は望んでいた社交がようやくできるようになった。
新たな使用人がダキアーノ家に雇い入れられるようになり、それを機にヨナがこちらでの仕事を辞めたいと奥方に申し出た。
幼少からお仕えしていた主を見捨てられずに館に残っていたが、ダキアーノ家が持ち直した事で、息子夫婦のところに行く決心がようやくついたようだ。
ここ数年、ほぼ無給でダキアーノ家を支え続けたヨナに対し、奥様は雀の涙ほどの慰労金しか渡さなかった。
金に余裕ができた今なら、数年間払わなかった給金の半分なりとも払ってやる事は可能であったのに、渡す金を惜しんだのだ。
「あんたも早いところ、この家を出た方がいい」
結局、奥様にとってヨナは、ただ便利なだけの使い捨ての駒に過ぎなかった。
それを思い知らされたヨナは疲れた顔でそう言ってきたが、家族のいるヨナと違い、ジョンには行く当てがなかった。
転職ができる年齢はとうに過ぎていた。
ジョンが細々と貯めていたお金はここ数年でほぼなくなっていて、ヨナが渡された程度の慰労金では新しい生活を始める事もできない。
「先立つものがないとどうしようもない。動けなくなるまでここで働いて、できるだけ金を貯めていく事にするよ」
そう言ったジョンに、ヨナも「そうだね」と溜め息をついた。
「まあ、今はそれしかないか」
「それにしても、ヨナは何で今辞めるんだ?
アント様の婚約が調ってからはきちんと給料をもらえるようになったし、もう少しここで働くという手もあった筈だろ?」
「あたしもそのつもりだったんだけどね」
ヨナは憂鬱そうに首を振った。
「何と言うか、もう奥様達を見ちゃいられないんだ。
あんただって知ってるだろ?
ラヴィエ家のお嬢様に対するあの方達の態度はひどすぎるよ。
ようやく人並みの生活ができるようになったのはあのお嬢様のお陰なのに、恩を仇で返すような事ばかりをして。
何でああ、傲慢に振舞えるかね」
「館にお招きするのは援助金が届いた時だけで、その時だってドレスの趣味が悪いだの、振る舞いが田舎臭いだの、言いたい放題だからなあ」
ジョンはうんざりと呟いた。
ジョンに言わせれば、ラヴィエ家のオルテンシア様は目がぱっちりとして大層愛らしいお嬢様だ。
かつてのダレイシア様と同じように、ご家族からたっぷりとした愛情を注がれて真っ直ぐに育ってこられた、そんな気取りのない温かさを感じさせる。
「最初に来られたころは溌溂とした笑顔を見せておられたのに、今は何と言うか痛々しい笑みしか見せられない。
血筋が何だって言うんだい。お坊ちゃまに比べたら、オルテンシアお嬢様の方が余程立ち居振る舞いが優雅でいらっしゃるよ。
難癖ばかりつけて、小さなオルテンシアお嬢様を傷付けて……。
かと言って、あたしら風情があからさまに庇う事もできないしさ」
ヨナの言葉に、ジョンも「ああ」と頷いた。
オルテンシア様を見ていると、虚栄と自尊心ばかりが強いこの家で、笑顔をゆっくりと枯らせていったダレイシア様を思い起こさせた。
オルテンシア様がこちらに嫁いで来られても、あの方は決して幸せにはなれないだろう。
それを思うと心が痛んだが、使用人であるジョンに何ができる訳でもない。
もどかしさを胸に抱え、ジョンは重い溜め息を喉の奥に呑み込んだ。
お二人のご結婚は、オルテンシア様のデビュタントと同時に盛大な婚約披露宴を執り行い、半年後に結婚するという流れが決まっていた。
が、オルテンシア様のデビュタントを翌年に控えた夏辺りからウルク様は体調を崩され、寝所で休まれる事が多くなった。
オルテンシア様は見舞いの品を持って何度もダキアーノ家を訪れたが、奥様はいつもオルテンシア様を玄関先で追い払わせた。
看病で疲れているというのがその理由だが、他のご親族が来られた時はいそいそと応接の間に通され、にこやかに談笑されている。
家柄の低いオルテンシア様が気に食わないのはわかるが、そもそもラヴィエ家の援助がなければ、ウルク様は医者に診てもらう事も叶わなかった。
その恩人に対し、この仕打ちはないだろうとジョンは唇を噛み締めた。
「卑しい女の顔を見ると、余計に気分が悪くなるわ。帰ってもらって」
ラヴィエ家の援助で新調したドレスを身に纏った奥様が、平然とそう言い捨てる。
その言葉にジョンは黙って頷いた。
「奥様はご看病で疲れておられ、お会いする事はできないそうです」
申し訳なさそうにオルテンシア様に伝えれば、オルテンシア様は一瞬表情を翳らせたものの、すぐに穏やかな笑みを頬に張り付けた。
「わかりました。お体をおいとい下さるようお伝え下さい」
見舞いの品をジョンに渡し、そのまま踵を返そうとするオルテンシア様を、ジョンは思わず「あの……」と呼び止めていた。
「何か……?」
不思議そうに問い掛けてくるオルテンシア様に、ジョンはおずおずと申し出てみた。
「アント様のお祖母様が嫁いで来られた時に持ってこられたダリアが、庭園で美しい花を咲かせております。
よろしければご覧になりませんか」
オルテンシア様は大輪のダリアが咲き乱れる秋の庭を静かにご覧になった。
夏から初秋にかけて色とりどりの花を咲かせるダリアだが、晩秋といってもいいこの時期に咲いているのは、薄紫色の花弁を持つ八重咲のダリアだ。
「随分と背丈の高い花なのね」
支柱がされたそれは人の背丈ほどもあり、オルテンシア様は驚かれていた。
「本当はもっと背が高くなるんです。
伸ばそうと思えば人の倍以上の高さになると聞いていますが、支柱をしてやるにも限度があります。
ですから、胸の高さまで伸びたところで芽を摘んでやるんです」
「花がそんなに高くなるの? 想像もできないわ」
オルテンシア様は楽しそうに口元を綻ばせた。
「芽を摘んでしまって、枯れたりはしないのかしら」
「切り口に水が溜まると、それが腐って病気になる事はあります。
ですから、雨水が入らないようにしてやらなければなりません」
「他にも何か気を付けてやる事はあるの?」
「そうですね。こまめに脇芽を搔いてやる事でしょうか。
このダリアは成長するにつれ脇芽が次々と出てくるのですが、枝分かれがどんどん進めば、そちらに栄養を取られてしまいます。
そうなると大きな花が付きにくくなり、葉が茂って風通しも悪くなり、害虫がつきやすくなるんです」
「そんな風に手をかけているから、これほど美しく咲き誇るのね」
オルテンシア様はしばらく満足げに庭園を眺められていたが、ややあってふと尋ねてこられた。
「お前の名は?」
「ジョンと申します」
「ジョン。今日は庭園を見せてくれてありがとう。何より目の保養になったわ」
「気に入っていただけて何よりです」
ジョンはかつての主、ダレイシア様を思い起こしていた。
ダレイシア様はこのダリアをこよなく愛されていた。
もしご存命であったなら、オルテンシア様のこの言葉を聞いてさぞお喜びになった事だろう。
お読み下さり、ありがとうございました。それから、四月にこの作品のレビューをいただきました。とても嬉しかったです。この場を借りてお礼申し上げます。




