セルティスと小さな弟3
ロマリスは毎日のように水晶宮に遊びに行くようになり、新しい生活にもすっかり慣れたと思われる頃、セルティスは自分の宮殿にロマリスを誘ってみる事にした。
紫玉宮には子ども用の遊び場があり、ロマリスもきっと気に入るだろうと思ったからだ。
この紫玉宮は代々の皇帝の側妃に与えられる宮殿で、本来ならば皇帝が代替わりした段階で、アレク帝に明け渡さなければならなかった。
ただ兄には使う予定が全くなく、広い宮殿を空けておくのももったいないからそのまま使っていいと言ってくれたため、ありがたくその言葉に甘えさせてもらっている。
セルティスにとっては幼い頃からの思い出がたくさん詰まった宮殿だが、姉とひっそり隠れ暮らしていた頃に比べると、宮殿内は随分様変わりしていた。
当時、住み込みで仕えてくれていたのは、侍従長夫妻と賄いの夫婦連れ、そしてセイラとルーナという二人の若い侍女だけだったが、今は多くの使用人で溢れていて、人の数が増えた分、宮殿全体が明るい活気に満ちている。
侍従長は以前と変わらぬオクリスで、晩餐会を開けるだけの技量を持った料理長やその助手らが新たに雇われて、それまで賄いをしていた夫婦連れは、温室を改造して建て直したコンサバトリーの管理者となった。
このコンサバトリーは屋根こそ瓦でできているが、二面が全面ガラス張りになっていて、室内から庭園の景色が存分に楽しむ事ができるガーデンルームだ。
たまに皇后がお忍びで紫玉宮に遊びに来た時は、このガーデンルームに侍従長夫妻やルーナを呼び、気の置けないひと時を過ごす事もあった。
そうした場にルーナの姉のセイラが顔を見せる事はない。
休日に皇都で知り合ったテルマの旅座の男と結婚して、今は皇都を離れているからだ。
姉が嫁いだ後もルーナは変わらず侍女として紫玉宮に仕えてくれていたが、成人した皇族男性の世話は侍従が行うと定まっていたため、セルティスが正騎士となって以降は朗読係という新しい役職を賜った。
そのうちセルティスの護衛騎士と恋仲となって結婚し、今も紫玉宮に暮らしている。
その紫玉宮を初めて訪れたロマリスはと言えば、自分の住まう紅玉宮や毎日遊びに行く水晶宮とも違う宮殿の様子にすっかり夢中になっていた。
何と言っても、五歳まで蟄居させられていたロマリスである。
見るものすべてが目新しい。
そんな弟の様子を微笑ましく眺めていたセルティスだが、そう言えばロマリスと自分は結構な共通点があるなと今更のように気が付いた。
お互い父の顔を見た事がないし、事情があってそれぞれに引き籠っていた。
でもまあ、それを言っちゃえば、パレシス帝の子ども達のほとんどは引き籠りである。
セルティスの異母姉三人は、六、七歳で異国に嫁がされるまで離宮に閉じ込められていたし、マイラも父帝が死ぬまでは翠玉宮に隠れ暮らしていた。
ただし、長さだけを競えば、セルティスがぶっちぎりの第一位だ。
十二歳まで紫玉宮に隠れ暮らし、あのままだと騎士にさえなれず、殻潰への道をまっしぐらだった。
当時の生活は今思い出してもうんざりするが、ロマリスのように罪を負っての蟄居でなかったため、宮殿費は潤沢にもらえていた。
母ツィティーはセルティスの気晴らしとなるように宮殿内をいろいろと改造してくれ、金に糸目をつけず、山のような蔵書も集めてくれた。
だから蔵書数だけで言えば、紫玉宮の図書館は本宮のそれに次ぐ規模である。
親友のケインを初めて紫玉宮の図書館に連れてきた時は、「すごい量と感心すべきなのか、ここまで暇だったんだと悲しむべきかわかりませんね」と、訳の分からない感想を言っていた。
「うわっ。料理大全や茸百珍や野草百珍まである。何、目指してたんですか?」
そんな風にも聞かれたが、そっちは完全に姉の趣味である。
姉は新しい料理に挑戦する事が好きで、目にした事のない野菜や乾物を見つけたら、必ずその食材を買って帰っていた。
近くに茸が採れるような場所がなくて良かったと、セルティスは今更ながらに胸を撫で下ろしている。
あの姉の気性なら、嬉々として茸狩りに行っていた筈だ。
そしてある日、毒茸を持ち帰り、紫玉宮の人間は全滅していたかもしれない。
そう言えば、屋台で売っていた肉包みのパイなるものを姉が買って帰ってくれた事もあったなと、セルティスは昔の事を懐かしく思い出した。
炎天下の中を持ち運ばれたそれは渡された時点ですでに傷みかけていて、何も知らずにそれを食べたセルティスは、夜中じゅうお腹を抱えて走り回る羽目になった。
……あれは酷い目に遭った。
それはともかくとして、まだ小さなロマリスは図書館などに連れて行っても、余り面白くないだろう。
という事で、セルティスはとっておきの小庭園でロマリスを遊ばせる事にした。
その小庭園は、東南にある本庭園とは別に、建物の西に設けられていた内庭だったが、亡きツィティー妃はここを子ども達のために大きく改造してくれていた。
刺繍花壇が設けられ、中央の池には高級魚のお金魚様が優美に尾ひれを揺らして泳ぐ、風光明媚な庭園であった筈なのだが、今は一味も二味も異なっている。
勿論これも、予測不能な行動をとる姉のせいだ。
「……あれって何の声ですか?」
ロマリスが不思議そうに首を傾げているが、それも無理はないだろう。
だって普通、六玉宮の庭園にカエルなんてものは住んでいない。
唯一の例外がこの紫玉宮で、雨が良く降るこの時期にはそいつらがゲコゲコと元気良く鳴くようになっていた。
ケインは田舎の別荘に来たみたいだと喜んでいたが、セルティスに言わせればただ煩いだけだ。
蛇という天敵がいないため、奴らは好き放題に増殖しているのだ。(だからと言って、駆除のために蛇を連れてこようとは思わないが)
「カエルだ。小さい頃は魚のように泳いでいるが、そのうち足が生え始めてやかましく鳴き始める」
「足が生える……」
セルティスの説明に、ロマリスはびっくりしたように自分の足を見た。
それから本数を確認するようにセルティスの足を横目で見て、「本当ですか?」とおそるおそる聞いてきた。
「そういう生き物らしいぞ。ほら、そこにカエルがいる」
指さしてやると、ロマリスはそちらを向いて何とも言えない顔をした。
想定もしていなかった姿形に、言葉を失ってしまったようだ。
その緑色の生き物は、水面に浮かんでいる切れ込みのある葉っぱに乗っかって、大きな口の下の白い喉をひくひく動かしていた。
「触るか?」と聞くと、ロマリスはぶんと大きく首を振った。
「いいです。何か気持ち悪い……」
それが普通の反応だよなとセルティスは思った。
ちょっとぬめっとしてるけど、よく見ると可愛いわねと言った姉の感性の方が絶対間違っている。
「ああ、そうだ。今なら池の中にカエルの子もいるぞ」
「え。どれです?」
「ほら、やたら頭がでかくて尻尾がある、不格好な形をしたそれだ。オタマジャクシと言うんだが、探したら足が生えかけたのもいるんじゃないか」
ロマリスは片手でしっかりと兄のジャケットの端を握りしめ、池の中を覗き込んだ。
最初、尾びれを揺らして泳ぐ朱色の魚を嬉しそうに目で追っていたが、そのうちに足が生えかけたオタマジャクシを見つけて、うわっと仰け反った。
「ほんとだ。尻尾もあるのに足が生えかけてる」
朱色と白、あるいは黒も混ざった魚が高級魚の金魚だと教えてやり、水草にすばしっこく隠れようとする細長い魚がメダカだとセルティスは教えてやった。
「兄上の庭園はすごいですね。こんなにたくさん生き物がいるなんて」
ロマリスは興奮に顔を輝かせているが、言われたセルティスの心境は複雑だった。
元は金魚だけだったんだがなと、セルティスは漏れそうになる溜息をすんでのところで飲み下した。
まあ一応、姉の名誉のために言えば、姉は好きでカエルを繁殖させた訳ではない。
ある日、お忍びで外に出かけた時にメダカの入った甕を買ってきたのだが、その中にたまたまカエルの卵が混ざっていたというだけの事だ。
さて、ロマリスが池を堪能すると、セルティスは木陰のブランコのところに連れて行ってやった。
木の板と太いロープで作られた、侍従長特製のブランコである。
この庭には他にもいろいろな遊具が造られていて、すべて亡き母ツィティーのオーダーである。
踊り子として様々な国を渡り歩いていたツィティー妃は幅広い知識を持っており、宮殿に閉じ込められっぱなしの我が子ができるだけ楽しく過ごせるようにと、様々な遊具を造ってくれた。
地面に大小様々な平らな岩を無秩序に配して岩から岩へ飛んで遊べるようにしたり、あるいは平たく細長い板切れを段違いに組み合わせてその上を子ども達が渡れるようにしたりしている。
他にも、子どもが通り抜けられるような隠れ道があり、手足を使ってよじ登れるような格子状の鉄柵も所々に配されていた。
ツィティーは内庭のある西の一角の一階から三階までを子ども達の居住空間に決め、使用人の出入りも厳しく制限していた。
普通はある程度の広さの平面スペースを子どもの過ごす空間にあてるのが一般的だが、内庭で遊ぶ子ども達の姿を誰にも見られぬよう、わざとそういう配置にしたようだ。
たくさんあった扉は家具などで塞がれ、子らが暮らすスペースに出入りできるのは一か所のみだった。
セルティスとヴィアは西に設けられていた狭い業務用階段を上り下りして、一階から三階までを自由に駆け回り、だから隔絶されたこの空間の中でも、セルティスはのびのびと遊ぶ事ができたのだ。
初めての遊具にロマリスはすっかり夢中になり、木の板でできたブランコを漕いだ後は、両手でバランスをとりながら板切れの上を歩き、大きく跳んで地面の上に着地した。
屈託のない笑い声が小庭園に響き、セルティスはロマリスが怪我だけはしないよう注意しながらその様子を見守った。
ロマリスが遊んでいるところからはレンガで仕切られた小径が高い壁に向かって大きく伸びていて、セルティスはそこを『不思議な小径』と呼んでいた。
何故そんな名前で呼んでいるかというと、「お外に出たい」と泣きじゃくっていた小さなセルティスを慰めるために、ツィティー妃が面白い仕掛けを造ってくれたからだ。
突き当りの石壁に向かってバラのアーチが続いていて、その一番奥にツィティー妃は鏡を設置した。
鏡には小庭園が映り、まるでこの小径がずっと続いているような、庭がどこまでも広がっているような錯覚を見ている者に覚えさせる。
今はまだこの先に行けないけれど、いつかこのアーチの向こう側に行けるようになるからと、母は小さなセルティスを抱き締めて何度も言い聞かせてくれた。
その母はセルティスが七つになる少し前に亡くなってしまったけれど、残された姉が外に出る道を切り開いてくれ、自由に外に行き来できるようになったセルティスの宮殿には、年の離れた妹や弟が遊びに来るようになった。
と、鉄柵の上によじ登ったロマリスが足を大きく踏ん張り、「兄様!」と得意そうに呼んできた。
顔中を笑顔にしている弟に向かって、セルティスは大きく手を振ってやる。
この庭は今なお亡き母の愛情に満ちていて、与えられた惜しみない愛情を今度は小さな弟に返してやれる事がセルティスは嬉しかった。
きっと母もこのように成長した自分を喜んでくれる事だろう。
ふと空を見上げると、澄み渡った真っ青な空に羽毛を固めたような雲がいくつも浮かんでいた。
小さい頃の自分はいつかその雲に手が届くと本気で信じていて、掴まえたらどうやって遊ぼうと姉と二人で相談していた。
雲は掴まえられなかったけれど、空はどこまでも遠く、未来に向かって広がっている。
頬をくすぐる風の中に、セルティスは懐かしい母の笑い声を聞いた気がした。
お読み下さいまして、ありがとうございました。活動報告への返信や感想、楽しく読ませていただきました。誤字報告もありがとうございます。セルティスやロマリスの幼い頃やその後について少しまとめておきたかったので、短編の形で書いてみました。楽しんでいただけたら幸いです。




