セルティスと小さな弟1
ロマリスが皇族としての立場を取り戻した頃のセルティス視点の物語です。ケイン視点の物語でないので、この作品に加えていいものか迷いましたが、セルティスの生い立ちにも触れているため、こちらに投稿する事にしました。三話ばかりの短い外伝です。
セルティスが十八歳の時、突如、五歳の弟ができた。
というか、五年前に生まれてはいたのだが、存在自体を忘れていた。
生まれてひと月も経たない内に皇帝候補として担ぎ上げられ、挙句、闘争に敗れて皇籍剥奪となり、蟄居させられていたからである。
名をロマリスという。
弟の事を思い出すきっかけとなったのは、皇帝陛下とその周辺を震撼させた、『皇后陛下がうっかり穴に落っこちて行方不明になっちゃいました』事件である。
何故、陛下とその周辺しか慌てなかったのかというと、余りに外聞を憚る事態であったため、事件そのものがなかった事にされたからだ。
だって、遥か昔の皇帝が造った隠し通路が偶然作動して、そこに現皇后陛下が落っこちて行方知れずになっただなんて、諸外国には絶対知られたくない。
これがもし別の国の話だったら、一体どこのポンコツ国家だ? とセルティスは大笑いしていただろう。
が、当時の事態は深刻だった。
何と言っても、その隠し通路がどこに通じているのかがわからず、政権中枢部は通路に落ちた皇后を長時間保護する事ができずにいたからだ。
報せを受けて急遽駆け付けたセルティスも、思わぬ事態に青ざめた。
倉院の書庫に隠し通路が組み込まれていたなんて、今まで聞いた事もない。現皇帝であるアレクさえ、その事を把握していなかった。
セルティスは兄の側近であるグルーク・モルガンらと共にひたすら城内の記述が書かれた機密文書を漁り、アモン・アントーレは皇后捜索の指揮をとった。
重点的に調べ回ったのは倉院周囲だった。どこかに隠し通路の出口がある筈で、それさえわかれば騎士を通路内に投入できる。
だが、手掛かりは一向につかめず、時間ばかりが刻々と過ぎていった。
唯一の救いは、ちょうど春先でやや肌寒いくらいの時期であった事だ。
もし暑い時期であれば、水のない空間に閉じ込められた皇后は、早々に乾いて力尽きてしまうだろう。
一昼夜経っても皇后の行方はわからず、焦慮と不安にセルティスは心を押し潰されそうになっており、恐ろしい事に皇帝陛下も同じような状態だった。
皇帝として最低限の仕事はしているようだが、心は完全に行方不明の皇后の許に行っており、側近のルイタス・ラダスは政務に滞りが出ないよう対応に追われていたようだ。
もしあの時、ロマリスが皇后を見つけてくれなかったら、そして皇后を助けるために動いてくれなかったらと思うと、セルティスは今でも背中に汗が噴き出るほどの恐怖を覚える。
皇后は人知れぬところでひっそりと息絶え、今なお遺体さえも見つかっていない可能性があった。
だから、皇后を助けてくれた小さな弟には、ただただ感謝しかない。
さて、当時のロマリスは六玉宮の一つ、紅玉宮で幽閉生活を送っていた。
六玉宮とは皇帝の側妃に与えられる宮殿の事で、コの字型をした本宮から渡り廊下で続いている南棟の、西側に建てられた六つの小宮殿の事だ。
宮殿のそれぞれに石の名前がついていて、ロマリスの母マイアールは、その六宮殿の中で最も北に位置する紅玉宮を賜っていた。
因みにこのマイアールは、皇帝の目を引くために野心家のセゾン卿が用意した女性だ。
セゾン卿の遠縁にあたり、そこそこの家格を持つ貴族の娘だったが、その類まれな美貌が人の口の端に上るようになり、格上のセゾン卿が養女に迎え入れた。
余談だが、マイアールの母もまた、その美貌でのし上がってきたという経緯を持つ。
食べるものに事欠くほどの貧乏貴族の娘だったが、侍女として仕えていた貴族の家でその当主とただならぬ関係を持ち、娘マイアールを身ごもった。
侍女に夫を寝取られた夫人は二重の裏切りに精神を病んでいき、やがてその夫人が他界すると、マイアールの母親は何食わぬ顔でその後釜におさまったのだ。
そうした母の姿を間近に見て育ったため、マイアールもまたは己が欲のために他人を蹴落とす事に何の逡巡も覚えなかった。
自分もこの美貌を生かして今以上の地位や財力を得たいと願うようになり、そんな中で持ち上がったセゾン卿との養子縁組話に一も二もなく飛びついた。
セゾン家では、教養一般と共に男を虜にさせるための閨教育を施され、無垢でありながら膨大な性戯を覚え込んだ美しいマイアールは、やがて前帝パレシスに見初められ、見事ロマリス皇子を産み上げる事になる。
だが、マイアールに幸運の女神が微笑んでくれたのはここまでだった。
ロマリス誕生からひと月も経たぬうちにパレシス帝は急死し、養父セゾン卿は、あと一歩と言うところで皇位継承の鍵を握る皇帝の寝所を押さえ損ねた。
力づくで寝所を奪回しようとするも、遅れて駆けつけてきたアントーレの騎士らによって敗走を余儀なくされ、派閥に属する貴族らと共にレイアトー騎士団の城塞に閉じこもるしかなかった。
それでも皇冠と錫杖が保管されている倉院をレイアトーの騎士が押さえている限り、アレク皇子が即位する事はないとマイアールは楽観的に構えていた。
なのに、飢えに耐えかねたレイアトーの騎士達が勝手に投降してしまい、何もかもが水の泡になってしまったのだ。
即位したアレク帝から投降を促す親書を受け取ったレイアトー卿は、その真偽や詳しい状況を知るべく、外部の人間と忙しく連絡を取り始めた。
義父セゾン卿は騎士らが投降した事に怒り狂っており、「レイアトーは一体どういう教育をしていたんだ!」と周囲に当たり散らしていたが、ある日、一つの報告を受け取ったレイアトー卿は苛烈な眼差しでセゾン卿を睨み返した。
「すでに四人、倉院で死んでいたそうだ。剣に生きた誇り高い騎士達が、立ち上がれなくなるほどに衰弱し、痩せさらばえて事切れた。
胃液で腹の中が爛れたのか転げ回って苦しみ抜き、苦悶の形相で息絶えた者もいたと……!」
抑揚を欠いた平坦な口調だったが、瞳の奥には滾るような憎しみと瞋恚が燃えていた。
「倉院への食料補給がずっとできていなかった。
もはや限界だと私は何度も貴方にそう言った筈だ。
それを、未来の皇帝に逆らう気かと皇家の血を盾に我らを脅し、挙句に忠誠を尽くして死んだ騎士達を尚も貶めるなど……!」
「皇家のために死ねるなら、騎士として本望だろうが!
命惜しさに勝手に投降した者を貶めて何が悪い!」
口から唾を飛ばして喚き散らすセゾン卿に、レイアトー卿は怒りを爆発させた。
「誇り高い騎士達が、飢え切って死んだんだぞ!
そんな死に方をしていい男達ではない!
こんな風に死なせるために準騎士から大切に育て上げたのではない……!」
もはや相手はしていられないとばかりにレイアトー卿は投降の準備を部下に命じたが、それを聞いたセゾン卿は「役立たずめ!」とレイアトー卿を殴打した。
止めようとしたレイアトーの騎士らに更に手を上げ、足で散々に蹴って憂さ晴らしをした。
その光景を見ながら、これから自分はどうなるのだろうと、マイアールはただひたすらわが身の事を案じていた。
こんな事なら、禍の種となるロマリスなど産まねば良かった。
逃げられるものならこの泥船から今すぐにでも逃げ出したかったが、ここを出たとて、今更逃げるあてなどどこにもない。
一晩中わが身の不幸を嘆き、翌日、侍女の手を借りて着替えを済ませていた時、突然もたらされたのが養父セゾンの死だった。
どうやら病で急死されたようですとレイアトー卿は告げてきたが、そのような話が俄かに信じられる筈がなかった。
呆然としている間に城塞の砦に高々と白旗が掲げられ、マイアールは踏み込んできた騎士らに捕縛された。
養父とレイアトー騎士団が勝手に暴走しただけで自分に罪はないとマイアールは必死になって訴えたが、耳を貸す者は誰一人としていなかった。
マイアールは貴人用の地下牢で数日を過ごした後、人目を忍ぶように皇都から離れたゴアムの塔へと移送された。
マイアールは知る由もなかったが、セゾン卿やマイアールと共にレイアトーの城塞に逃げ込んだマイアール付きの侍女や派閥の貴族らは、この咎によって悉く貴族位を剥奪されている。
紅玉宮には大勢の使用人が立ち働いていたが、ほとんどが解雇となり、その残務処理は紅玉宮のジュペル侍従長が行った。
仕えていた主の謀反による失職であったため、使用人達は紹介状をもらう事ができず、かなりの混乱が生じたらしい。
紅玉宮は見る影もなく寂れていき、蟄居となったロマリスの世話のために僅かばかりの使用人が残された。
ジュペル侍従長は、監視責任者と名を変え、引き続き紅玉宮に留まる事となった。
ジュペルは元々、セゾン卿が連れてきた一使用人で、貴族出身ではない。処断するほどの人間ではないとみなされたのだろう。
先日、この作品のレビューをいただきました。本当にありがとうございます。わくわくしながら読ませていただきました。




