マイラの独り言 2
そんな感じで楽しい時を過ごし、あっという間に初デート(あくまでマイラ視点)は終わってしまった。
ケインとの会話を思い出して夢見心地に過ごしていたら、三日後、兄がマイラの話し相手にと一人の少女を碧玉宮に呼んでくれた。
セイラ・リシェリア・カルセウス。ケインの末妹で、マイラより一つ年上の女の子だった。
初めて会うセイラは、バラ色の頬をしたいかにも健康そうな少女だった。早熟なのかすでに胸のふくらみがドレス越しに感じられ、自分の真っ平な胸を見下ろして、いいなとつい思ってしまったマイラである。
ケインはアッシュブロンドだが、セイラはふわふわとした明るい金髪をしていて、瞳はケインと同じ柔らかなヘーゼル色をしていた。
皇族に紹介されるという事でセイラは少し緊張していたが、元々人懐こく、物怖じしない性格であったのだろう。
マイラの言葉がけに朗らかに返してきて、二人はあっという間に意気投合した。
セイラは好奇心旺盛で大きな瞳がくるくると良く動き、話していてもとても楽しい。
先日、兄とケインに連れて行ってもらったフェンネのサロンの事を話せば、「フェンネ劇場のサロンに行かれたのですね」とセイラは羨ましそうにほうっと息をついた。
「わたくしは去年サロンデビューしましたけれど、両親に連れて行ってもらったのはテビア劇場のサロンだったんです。お兄様が遊学から帰られて連れて行ってもらえたのは、テトリニス劇場のサロンでしたし」
従姉妹たちからフェンネのサロンの事を聞いていたセイラはフェンネに行きたがったが、「あそこはちょっと特殊なサロンだと耳にしているから、少女趣味過ぎてお父様やケインが寛げないと思うわ」と母に断られた。
なので結局行けていない。
「え。でもケイン様はフェンネのサロンの事をよくご存じでしたし、てっきりご家族で行かれたのだと思っていましたけど」
マイラがそう言えば、セイラは笑って首を振った。
「マイラ様が喜ばれるからフェンネを選んだのではないでしょうか。両親も行った事はありませんから、社交場で情報を仕入れたか、あるいは劇場の女優に聞いたのだと思いますけど」
「劇場の女優?」
意味がわからず首を傾げれば、
「兄は、個人的に気に入った女優とか画家などに金銭的援助をしているんです。財政的に余裕のある貴族は芸術分野への支援を嗜みとしますから、帰国してすぐに始めたようでした。
支援している相手とは度々顔も合わせている筈ですし、そこでいろいろな情報を集めているのだと思います」
気に入った女優……という言葉にマイラは思わず顔を引き攣らせ、それを見たセイラは慌ててフォローに回った。
「兄は二年も国を離れていましたから、社交場で恥をかかないためにも最新のモードを頭に入れておく必要があったのだと思います。
劇場に所属するような女優はそうした流行には敏感ですし、貴族の噂話も色々知っていますから」
カルセウス家の娘として幼い頃から内輪での社交に勤しんできたセイラは、そうした貴族事情にも詳しく、理解も深かった。
おそらく兄は、舞台前の女優とサロンでお茶を嗜むくらいはしている筈だと思っていたが、マイラ殿下が更にショックを受けそうなので、こちらについては伏せておく事にした。
箱入りの皇妹殿下なので、人一倍潔癖であられるのかもしれないとセイラは思った。
兄君のセルティス皇弟殿下は当然知っておられる筈だが、妹君にはわざと知らせていないに違いない。
そんなこんなで図らずして大人の洗礼みたいなのを受けてしまったマイラだが、セイラとのおしゃべり自体は大層楽しく、セイラには近いうちに碧玉宮にまた遊びに来てもらう事になった。
そして二回目に会った時、マイラはケインについて相談に乗ってもらう事にした。
フェンネのサロンに連れて行ってもらったお礼を何かしたいと思っていたからだ。
「何がいいかしら」と尋ねたマイラに、セイラはうーんと考え込んだ。
「兄様は欲しいものを何でも持っているし、高額な贈り物にも慣れているのですよね」
カルセウス家は名門で、財政的にも裕福な方である。特に嫡男であるケインは望んで手に入らないものはなく、与えられたものもまた全て一流のものだった。
鼻持ちならない性格に育っておかしくない環境であったが、カルセウス家の場合、そうならないようにと道徳的な教育はきちんとされていた。
元々の気質も大きく影響していたのかもしれない。
代々カルセウス家の人間は野心に乏しく、その反面、バランス感覚には優れて面倒事を嫌う傾向にある。
すべてに満たされているから貪欲に何かを求める事もないし、何に対しても余裕がある。セイラにとって、兄はまさにそんな人間の典型だった。
そして、運命や巡り合わせもまた、兄には大層優しかった。
騎士学校ではたまたま皇弟殿下と同室になって信頼を繋ぎ、卒業後は視野を広げるためにと数か国の遊学に送り出された。生家の潤沢な財力があってこそ叶えられる事だ。
帰国すれば、待ち構えていたように皇弟殿下の執務補佐官の地位を与えられ、それに伴って紫玉宮に部屋も賜った。
まさに順風満帆である。
兄の前にはどこまでも明るい未来が開かれていて、そのうち申し分ない家柄の女性を妻に迎えるのだろうと、セイラは漠然と思っていた。
それはともかくとして、プレゼントの件である。
皇族から何かを賜ったらそれだけで兄は大事に扱うだろうが、それが兄の心の琴線に触れるかといえば、それはまた別の話だ。
大切にしまわれて、ほんのたまに手に取って眺めるという扱われ方は、マイラ様の望むものではないだろう。
「そう言えばマイラ様は刺繍が得意でいらっしゃいますよね」
ふと思いついて、セイラは向かいにあるソファーに目をやった。
そこには見事な花の刺繍がされたクッションが置かれていて、それがマイラ様が手ずから刺繍されたものだと聞き、セイラは本当にびっくりした。
刺繍は貴族令嬢としての心得のようなものだが、マイラ様のそれは趣味の域を超えているとセイラは思う。
「もしマイラ様がお手間でなければ、何か刺繍したものを贈ってみては如何でしょう」
それならば兄の心に残るだろうとセイラは思った。
「サロンのお礼であれば、余り大仰な物でない方がいいと思います。クッションのように大きい物だと、喜ぶよりも戸惑う気持ちの方が強いと思いますので」
「小物だとすればハンカチーフかしら。でもそれだと少しありきたりな気がしますわね……」
マイラはうーんと頭を捻った。
ケインが負担に感じない程度のちょっとした小物で、身近に置いてもらえそうなもの……。
そうやって考えるうちに、マイラは先日、侍女ができ上ったばかりのドライポプリを部屋に持ってきてくれた事を思い出した。
碧玉宮で咲いた早咲きのバラをかごに入れて十日程度乾燥させ、香油を振りかけて花びらに馴染ませて更に熟成したものだ。
香り良く仕上がり、色も美しかったので、少量をガラスの器に飾って母様の部屋に置いてみたのだが、あれをサシェにしてみたらどうだろうか。
それを口にすれば、「素敵だと思います」とセイラは顔を輝かせた。
「碧玉宮で咲いたバラのポプリをサシェに使っただけでも価値がありますのに、そのサシェにマイラ様が手ずから刺繍されるのですもの。これ以上強く印象を与える贈り物などありませんわ」
セイラに賛成してもらったマイラは、早速サシェ作りに取り掛かる事にした。
サシェの生地には極上の白絹を用意してもらい、母と一緒に図案を考える。
中のポプリに合わせ、デザインはバラの花とリボンを組み合わせたものにした。大輪のバラをと咲き始めの一輪と蕾のバラをバランス良く配置し、花びらや葉の色は微妙に色が違う刺繍糸を数種類使い分けてきれいなグラデーションに仕上げていく。
そうやって出来上がったのは、上品でありながらすっきりとした華やかさを持つサシェで、それを見た母様は、「これならばきっと喜んで下さるわ」と太鼓判を押してくれた。
マイラは早速それを兄のところに持っていき、兄からケインに渡してもらう事にした。
数日後、ケインから丁寧な礼状が碧玉宮に届けられた。
本当に喜んでもらえただろうかとマイラはひどく気を揉んでいたが、セイラからあのサシェは大成功でしたと教えられ、マイラはほっと胸を撫で下ろす。
あのサシェは今、紫玉宮のケインの寝室に飾られているらしい。
マイラが送ったポプリの香りに包まれてケインが寝ていると思うと、マイラは気恥ずかしさと嬉しさでどきどきが止まらない。
ケインが碧玉宮のマイラの許を訪ねてきたのは、それから半月余りが経った頃だった。
ケインの訪問を母は少し前から知っていたらしく、ちょっとわくわくした顔で、「サシェのお礼の品を持って来て下さるようよ」とにこにこと笑っていらした。
ケインがくれるものならばきっと何でも嬉しいとマイラは思ったが、ケインが持参した小さなバスケットはマイラの想像を遥かに超えるものだった。
中から小さく、みい……と鳴き声がして、慌てて蓋を取ると中から掌に乗るような小さな茶トラ猫が現われた。
「猫ちゃん!」
マイラはそっと手を伸ばし、怖がらせないよう注意しながら優しく抱き上げた。
生まれたばかりの仔猫は目が青いと聞いていたが、この子はもう瞳の色が変わっている。きれいなヘーゼルをしていて、まさにケインの目の色だった。
「いくつくらいの子なのですか?」
そう問うと、「ちょうど二か月です」とケインが答えた。
ベースカラーの明るいオレンジに濃い色の縞模様が入っていて、顔回りや顎、お腹部分に白い毛が入っている。
まだちっちゃいせいか毛がうまくまとまっていなくて、ところどころ飛び跳ねた感じに毛が立っているのもかわいらしかった。
仔猫は甘えるように鼻先をマイラの顎にこすりつけて来て、マイラは指の腹で喉の辺りを優しく撫でてやった。
マイラはその子を『二号』と名付けた。
本当は『茶トラ』にしたかったが、昔、兄が飼っていた猫が茶トラという名前だったと聞き、結局『二号』で落ち着いた。
生後二か月の二号は元気いっぱいだ。部屋中を走り回ったりじゃれ付いたり、片時もじっとしていない。
そして好き勝手にはしゃぎ回った挙句、時々変なところで爆睡した。(エサ入れに顔を突っ込んで眠られた時にはなんでこんなところで……と目が点になった)
狭いところに入り込むのも癖である。ソファーと壁の隙間に無理やり入り込んだ挙句出られなくなり、情けない声で鳴いていたので慌てて侍女に救出させた。
マイラはもう二号に夢中だった。
みいと甘えて鳴いてくる二号が可愛くて堪らない。
二号の可愛さにつられて、セルティス兄様もよく碧玉宮を訪れるようになった。兄様は根っからの猫好きなので、二号を見る度に顔がでれっとしている。
猫じゃらしをわざわざ取り寄せて来て仔猫が飽きるまでずっと遊んでいるので、「お仕事は大丈夫ですか?」とある時マイラはつい聞いてしまった。
こんなに入り浸るなら、ケイン様も一緒に連れて来てくれたらいいのに……と内心思わないでもないマイラである。
そして何気ない口調で兄に聞いてみる事にした。
「二号をプレゼントしてくださったのはケイン様ですけど、ケイン様ってどんな女性が好みなんでしょうね」
二号を可愛がる事に夢中のセルティスは、上の空でそれに答えた。
「どんなんだろ。そういや聞いた事がないな。何か好みがなさそうだし」
ひどい言い方である。
ついでにデリカシーも皆無だった。どうしてマイラがそのような質問をしたか思い巡らそうともせず、マイラが想像だにしない方向へ話を持って行った。
「まあ、犬派である事は確かだな」
「犬派?」
その意味がわからず眉間に皺を寄せるマイラに、
「ケインは猫より犬が好きなんだ。こればかりはあいつと相容れないんだけどね。
だから結婚するとしたら、多分犬好きの女性を選ぶだろうな」
「……ッ!」
マイラはぴきんと凍り付いた。
この世の終わりが来たような顔をしている妹に気付きもせず、セルティスは可愛くて堪らないという風に二号の喉をくすぐった。
二号はすっかりくつろいで、セルティスの膝の上で気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らしている。
悔しくなったマイラは、兄の膝から二号を取り上げた。
「それでもわたくしは二号が大好きです! 二号ほどかわいい子はいませんわ!」
「……? それでいいんじゃないか?」
マイラに抱かれた二号を、セルティスは未練がましく目で追った。もう少し二号を堪能したかったのだが、今日はもう許されそうにない。
仕方がないから執務室に帰ろうとセルティスは思った。
また二号のところに行くんですか……と恨みがましく自分を見てきたケインは、今もきっと書類に埋もれている。
二号はしばらくマイラの手に鼻先をこすりつけるようにじゃれていたが、そのうち二号用に作られた階段式の遊び場で遊びたくなったらしく、そっちの方に駆けて行った。
穴を潜ったり、板から板へジャンプしたり、へこんだ部分に埋まってみたりと大層楽しげである。
一方のマイラはソファーに浅く座り込んで、握り拳を震わせていた。
結婚するとしたら、多分犬好きの女性を選ぶだろうな……という兄の言葉が頭の中で延々と繰り返されている。
ま、負けるもんか!
涙目のまま、マイラは心に大きく叫んだ。
幼いマイラの恋は前途多難だった。ただでさえ年齢差がある上に、ケインはきっと自分の事をセルティス兄様の妹としか認識していない。
そして犬派……。
犬好きの女性と仲睦まじく寄り添うケインの姿が容易に想像されて、マイラはぱたりとソファーに倒れ込んだ。
数年後、マイラ皇妹殿下は可愛がっていた猫の二号を連れてどこぞに降嫁される事になる。
少し先のお話である。
マイラ視点でのお話にお付き合い下さり、ありがとうございます。また感想や活動報告へのコメントなど、ありがとうございました。




