茶トラの家は新しい寄り親を見つける
さて、時は数日前に遡る。
娘の縁組が解消になろうとは夢にも思っていなかったラヴィエ家がのほほんと時を過ごしていた頃、マルセイ騎士団に所属していたラヴィエ家の次男坊、ルース・ラヴィエにも変な風が吹いていた。
いきなり上官に呼び出され、「お前のうちの寄り親、悪い噂があるみたいだから変えた方がいいんじゃないか?」と、訳の分からない事を言われたのである。
「寄り親、ですか?」
突然の話にルースは目をぱちくりさせた。
「ああ。わしの知り合いにブロウ卿という貴族がいて、セルシオ地方の西の方で寄り親をやっているんだが、カリアリ卿についてどうも良からぬ噂を聞いたらしくてな。
話がどう繋がって、わしの部下の家がカリアリ卿の寄り子だと知ったのかはわからんが、今回わざわざ向こうから連絡を取ってきて、困っているなら力になろうと声をかけてくれた」
「はあ」
急な話の展開に全くついていけないルースだが、カリアリ卿が嫌な奴だというのは何となく気付いていたので、上官の話をいとも素直に信じ込んだ。
何と言っても僅か九つだったルースの妹に、金目当てのクズ男を婚約者として押し付けてきた人間である。まともな人間である筈がない。
「やっぱりあの寄り親って、どうしようもないカスだったんですね。いやあ、さすがに噂になるほどとは知りませんでした」
大きく頷くルースに、いやあ、わしそこまで言ってないけど……と上官は思ったが、大まかな趣旨に間違いはないので黙っていた。
ついでに言えば、この時点でルースは寄り親を変える事に八割方乗り気になっており、大層単純な男であった。
何と言っても、ルースが深い尊敬と信頼を寄せる上官からの話である。
箸にも棒にもかからない嫌な寄り親よりも、上官が勧める縁の方がいいに決まっていた。
という訳で、上官一押しのブロウ卿について詳しい話を聞いたルースはその場で休暇申請を申し出て(即断即決、即実行、筋肉は裏切らないがルースの座右の銘である)、意気揚々と家に帰って行った。
実家に帰るのは半年ぶりである。
可愛い妹が「お帰りなさい、お兄様!」と抱き着いてくるのを想定して、汗臭くはないよなとふんふんと自分の体の臭いを嗅いで確かめ、元気よく実家の門をくぐったルースであったが、久しぶりに帰った我が家はまるで通夜の場のように静まり返っていた。
「えっと、何かあったの?」
満面の笑みでルースを出迎えてくれるはずの妹は、ルースの帰省を聞いても部屋から出てきてくれないし、使用人を含めた館全体がどんよりとした重苦しい空気になっている。
よく見れば母親の目は赤いし、父は半分魂が抜けかけており、兄のジョシュアは眉間に深い縦皺を寄せて何だか人相が悪くなっていた。
「誰か病気? いや、もしかしてもう死んだ?」
「……勝手に人を殺すな」
疲れたようにそう答えてきたジョシュアが、重い吐息をつき、父母の方をちらっと見た。
「実はシアの婚約が破談になった」
「破談……? 破談って、はあああああ?」
ルースは思わずぽかんと口を開けた。
「何で!」
「アントはレオン家のリリアーナと結婚する事に決めたらしい。今まで散々シアとの婚約を引き延ばしておきながら、条件のいい別の女を見つけた途端、ごみのようにシアを捨てやがった」
ジョシュアは吐き捨てるように言い、やりきれない表情で首を振った。
「……ついさっきカリアリ卿がそう言ってきて、ショックを受けたシアはあれからずっと部屋に籠っている」
あっ、それでこんな空気なんだと、ようやくルースは事情を理解した。
ただ、知らされた婚約解消の件については、ルースはこれ以上ないほどに大賛成だった。
「良かったんじゃないか。アントの奴との縁が切れただけで私としては嬉しいけど」
「ここまでシアを馬鹿にされて、お前は平気なのか!」
兄だけでなく、両親からも思いっきりぎっと睨まれて、ルースはちょっとたじろいだ。
「えっ? だってアントが不貞をした挙句の婚約解消だろ? 思いっきり違約金を毟り取ってやればいい。丸裸にしてやったらこっちの気も済むし、それでいいと思うけど」
「……カリアリは一・二倍で手を打てと言ってきたんだ。逆らえば貴族社会で爪はじきにしてやると、反対に我が家を脅してきた」
「うわ、すげえ。クソの見本のような男だな」
騎士団に在籍するルースは若干口が悪かった。
「じゃあ、ちょうどいいや。この際だから、寄り親を変えようよ!」
「は? お前、一体何を言って……」
両親や兄が思わず眉宇を顰めるのへ、ルースはちょっと得意そうに鼻の下を人差し指でこすった。
「と言うか、今回急に帰省したのは、寄り親の件を伝えようと思ったからなんだ。
実は私がものすごく尊敬する上官から話があってさ……」
そんな風に両親と兄二人が顔を突き合わせて今後の対応を話し合っていた頃、シアは頭まで布団にもぐり込んで、亀のようにひたすら丸くなっていた。
カリアリ卿が我が家に来ると聞いた時、ようやく延び延びになっていた婚儀の日取りが決まるのだと思った。
結婚を心待ちにしていたと言う訳ではない。ただ、このままずるずると中途半端な状態に置かれているのは耐え難く、きちんとけじめをつけて欲しいとシアはずっと思っていた。
アントの事を愛していたかと聞かれたら、多分、自分は頷く事はできなかった。
優しい言葉を掛けられた事もないし、折々のプレゼントを贈られた事もない。話し掛けるのはいつもシアで、贈り物をするのもシアだけだった。
金しか取り柄のない女だとアントが陰で悪口を言っている事も人伝えに聞いていて、女性としてのプライドはずたずたにされたし、どんなにきれいなドレスを身に着けてもシアはいつの間にかその事を楽しめなくなっていた。
それでもこの婚約はダキアーノ家側からのたっての願いだった。
だから結婚自体がなくなるなんて思った事もなく、いずれダキアーノ家の奥方となるのだからと、血の滲むような思いでマナーや知識を身に着けてきたのに、その努力があっという間に水泡に帰してしまった。
どうして……!とシアは思う。家柄が劣るというだけで、どうしてこんな理不尽な扱いを受けなければならないのだろう。
口惜しさと悲しさに涙が次から次へと零れ落ちる。そこら辺の石のように捨てられて、抗議すらも許されない自分が途方もなく惨めだった。
シアに婚約解消を告げてきた両親や兄は、「申し訳なかった」と悲壮な顔でシアに謝ってくるから、怒りをぶつける事もできなかった。
大好きな家族にそんな顔をさせているのが自分だと思うと余計にやりきれなく、自分の今後について考えると更に絶望が深まった。
もう自分は十九で、貴族の女性としては行き遅れだ。しかもこんな風に捨てられて、名前も地に落ちてしまった。
今更いい縁など来よう筈がないし、もし嫁ぎ先が決まったとしても、きっと金目当てに望まれたのだと自分は思ってしまうだろう。
布団にくるまったまま、シアはただ声を押し殺して泣き続けた。考えれば考えるほど、この世界のどこにも自分の居場所がない気がした。
そうして夕食もとらずにひたすらベッドの中で悲しみに浸り、途切れ途切れに浅い眠りに引きずり込まれ、気付けば朝になっていた。
不貞腐れたように窓の外を眺めていると不意におなかがぐうっとなり、こんなに悲しいのにちゃんとお腹が空くんだと、シアは自分の生命力にびっくりした。
何か食べたいな……と一旦思い始めると、空腹感がさらに増してきて、シアは侍女を呼んで着替えを手伝ってもらい、ややバツの悪い思いで家族たちが集う食堂に降りて行く事にした。
「あっ、シア!」
一番に声をかけてきたのは次兄のルースだった。
そう言えば、小兄様が騎士団から帰ってきていたのをすっかり忘れていた。
侍女から報告を受けた時はシアも取り乱していたし、朝目覚めた時は、お腹が空いたとしか思わなかった。……ひどい妹である。
「お兄様、お帰りなさい」
昨日はお迎えに出なくてごめんなさいという謝罪を込めて兄の頬に口づければ、ルースは軽く抱擁した後、いきなり「おめでとう!」とシアに言ってきた。
「は? おめでとう?」
おい、馬鹿! と長兄のジョシュアが慌ててルースの口をふさごうとしているが、ルースはあっけらかんとしたものだ。
「あのクソ野郎がようやく婚約解消してくれたって? めでたいじゃないか!」
シアは呆気にとられて兄の顔を見た。
……その発想はなかった。と言うか、ここまで前向きってどうなの? と心の中でそう呟く。
これでは悲劇のヒロインみたいな気分で食堂に降りてきた自分が馬鹿みたいである。
「め、めでたいのかしらね」
「めでたいだろ? こっちから解消しようと思ってもどうしてもできなかったのが、向こうから言ってくれたんだ。
アントは違約金をケチろうとしているみたいだけど、今までの恨みつらみを込めて、思う存分ふんだくってやればいい。
なに、寄り親のカリアリは気にするな。昨日、決裂したらしいからさ」
ルースは豪快に笑ったが、それは四面楚歌という状況ではないだろうかとシアは考えた。
自分の婚約は破棄され、頼みの寄り親とは決別。どう考えてもラヴィエ家に明るい未来はない。
……それにしては、何だか家族の空気がほんわかしている気がするけど。
「実はちょうど、私の尊敬する素晴らしい上官が新しい寄り親を紹介してくれたんだ。
カリアリより家の格が高くて、カリアリより裕福で、何より上官お勧めだ。きっと性格もいいだろう!」
「新しい寄り親……?」
シアは目を丸くして兄を見上げた。
兄の上官の紹介ならばおそらく信頼できる貴族なのだろうが、このタイミングでこういう話がもたらされた事がどうにも信じられない。
一体自分の周囲で何が起こっているというのだろうと、内心シアは首を傾げた。何だかものすごい勢いでいろんな事が同時進行で動き始めた感じだ。
「その寄り親はブロウ卿って言うらしい。何か、シアの知り合いの知り合いの知り合い……? らしいんだけど」
「わたくしの知り合い?」
シアはいよいよびっくりした。一体誰の事を言っているのかさっぱりわからない。
「心当たりが全くないわ」
困惑を隠せずにそう言えば、「今度直接聞いてみたらいいんじゃないかな」とルースはあっさりと答えた。
「こっちさえ良かったら、いつでも会うと言われたそうだ。とにかくそのブロウ卿とよく話をしてみて」
という事で、早速ブロウ家に人を遣わせ、訪問の約束を取り付けたラヴィエ卿は、その十日後、妻と娘シアを伴ってブロウ卿の邸宅を訪れる事となった。
その間にも事態は動いていき、まず内輪を招いた婚約披露宴なるものをアント・ダキアーノが行った。
とはいっても、ダキアーノ家の狭い邸宅では婚約披露宴は開けないので、会場となったのはアントの婚約相手、リリアーナ・レオンの邸宅である。
レオン卿の義兄に当たるカリアリ卿を始め、知古の寄り親らを招き、参加者は二百人程度だったと風の噂に聞いた。
カリアリとすれば、アントの新しい婚約を貴族社会に周知させる事でオルテンシアとの縁を徹底的に潰しておき、かつ、急ごしらえでもこれだけの貴族を集められるという力をラヴィエ家に見せつけたいという思いがあったのだろう。
が、そんな挑発行為をされたラヴィエ家の方は、アントの婚約披露宴などもはやどうでもよく、それよりも新しい寄り親の事で頭がいっぱいだった。
そうして訪れたブロウ家ではすぐに当主の待つ部屋へと通されたが、初めて会うブロウ卿はやや角張った顔立ちの五十手前の貴族で、無骨だがいかにも誠実そうな人柄が体全体からにじみ出ていた。
アント・ダキアーノとの縁組が破談となった事はすでに聞いていたらしく、挨拶が済むやブロウ卿はすぐにその経緯について尋ねてきて、契約書の内容や婚約の状況などについて丁寧に耳を傾けてくれた。
「こういう状況ならば、三倍額近い違約金を請求してもおかしくはない事例だと私は思う」
話を聞き終わった後、ブロウ卿は開口一番そう言った。
「ただ、ラヴィエ家はかなり裕福な家だと周りに知られているし、余りに高額を請求すると金に汚いというイメージがこちらについてしまう。
通常の二倍返しでは受けた侮辱と釣り合わないし、ここは二・五倍額を請求してみては如何かな。
これならばラヴィエ家の面子も立つし、ある程度の配慮も感じられるから、相手方が破産したとしてもこちらへの非難には繋がらないだろう」
ラヴィエ卿は頷いた。
ラヴィエ家は金に困窮している訳ではないし、貴族として恥をかかされた分の報復さえ示せればそれで良い。
今後についてだが、こうした事例では相談を受けた寄り親が仲介に入るのが一般的であるため、ダキアーノ家に対してもブロウ卿が書面を送る事となった。
金の決着が着くまでには今しばらく時間がかかりそうだが、こちらには契約書があるし、何より寄り親のブロウ卿が背後についている。
これでラヴィエ家を散々馬鹿にしてきたアントとカリアリ卿に一泡吹かせる事ができるだろう。
細かい事柄についていくつか確認をし、ようやく話がいち段落ついたところで、シアはブロウ卿がラヴィエ家の事を知る発端となった自分の知り合いについて聞いてみる事にした。
「わたくしには心当たりがないのです。どなたからラヴィエ家の事をお聞きになったのでしょうか」
ブロウ卿はどう答えたものかと、ちょっと考えた。
実はこの話をブロウ卿に持ってきたのは、ケイン・カルセウスという高位の貴族だった。
一応、ものすごく遠い縁戚になるので(何世代か前に、カルセウス家の令嬢がブロウ家に輿入れされていた)、数年前に一度お会いしており、その縁でブロウ家を訪ねられた。
以前お会いした時は、いかにも傅かれて育ったような柔らかな初々しさが印象的だったが、数年ぶりにお会いしてみれば随分と世慣れておられ、ブロウ卿はその風格に圧倒された。
聞けば騎士学校を卒業された後、しばらく遊学に行かれていたらしい。
この若き御曹司が、畏れ多くも皇弟殿下の御親友だという事は一族内では有名な話であり、ブロウ卿は身の引き締まる思いでこの青年と対峙した。
そのカルセウス卿が頼んできたのは二つだった。
ラヴィエ家の寄り親となり、助けてやって欲しいという事と、カルセウス家の名を伏せて伝言を伝えて欲しいという事だ。
「今回の件を頼んできた貴族の名は言えませんが、貴女に預かっている伝言があります。
オルテンシア嬢は、ケインという青年をご存知ですか?」




