茶トラの家族は暴風に巻き込まれる
精悍というより秀麗という言葉がぴったりとくる、いかにも皇子様然としたセルティスだが、そのおきれいな外見と相反して中身は結構な過激ちゃんだった。
下手に頭も切れるため、その報復も苛烈である。
敬愛する兄皇帝を差し置いて自分を反対勢力の旗頭に掲げようとした貴族が出てきた時には、その話に乗ったふりをしてその貴族を暴走させ、見事に失脚させていた。
それが、まだ十三、四の時の話というのだから凄まじい。
あの失脚劇については、ケインもよく覚えていた。
何と言っても、その貴族がセルティスに接触をはかって来た日の翌日に、ケインはリアルタイムでその事実を伝えられたからだ。
何でも皇家主催の狩猟にセルティスが参加していた時、皇弟殿下に敬愛と忠節を捧げたいとこっそり言い寄ってきた貴族がいたらしい。
その貴族は以前はセゾン卿と親しくしていたようだが、パレシス陛下の死を境にあっさりとセゾン卿を見限り、トーラ皇太后にすり寄っていた。
ある程度の派閥を宮廷内に築き上げており、更に上を目指したかったようだが、新政権が発足して間もなく頼りの皇太后に死なれ、皇帝の周囲は側近らがすでに周りを固めていて自分が割り込む余地がない。
そこで目をつけたのが、最近になってようやく社交の場に姿を見せ始めた、後ろ盾のない未成年の皇弟だった。
大事な話をしたいので秘密裏に機会を設けていただけないかとその貴族に囁かれたセルティスは、翌月開かれる晩餐会で、男性の社交の場として開放されている休息室の一つで落ち合おうとその貴族に話を持ち掛けた。
そうして、自分が指定しておいた部屋に予め皇家の書記官を忍ばせておき、その会話を一字一句書き留めさせたのだ。
気の毒に、命を受けた書記官二人は狭い暖炉の中に待機させられ、その貴族とセルティスがやってくるのをじっと待たされていたようだ。
セルティスは相手の貴族の話に乗っかるふりをして、けれど決定的な言葉は一言も返さぬまま喋るだけ喋らせて、謀反に繋がる言葉をその貴族から引き出した。
後に、廷臣らが集う場でその会話を暴露し、焦って言い逃れようとするその貴族に書記官の記録を突き付けた。
「悪いけど、私は気ままな皇弟の立ち位置がものすごく気に入っているんだよね。
今後も私を担ぎ上げようとする残念な勘違いが現れるようなら、全力で排除するから」
廷臣らを見渡して天使のようににっこりと微笑んだ皇弟殿下に居並ぶ貴族らは背筋を凍らせ、以来、そういう意味でセルティスに近付こうとする野心家は皆無となった。
ケインの見るところセルティスに一切の野心はなく、これは清廉潔白な気質であるというよりむしろ、単なる面倒くさがりと言っていいだろう。
皇帝のような立場に立たされるのは絶対に嫌だと心の底から思っており、ついでに言えば、ケインもセルティスのその考え方に賛同していた。
だってセルティスが皇帝になったら、ケインは否応もなく政治の中心に引きずり込まれてしまう。
皇帝の側近って、考えただけでものすごく面倒くさそうだ。
さて、シアの事情を知らされたセルティスは、沸々と怒りが込み上げてきたようだ。
「ダキアーノと言えば、何代か前に皇弟の娘が嫁いだだけのちんけな家だろう。何が、家格が低い家の娘は自分にふさわしくない、だ。
シアとの縁を繋いだお陰で、貴族としての体面を何とか保ってきたくせに」
ケインは流石にちんけとまでは思わなかったが、アント・ダキアーノに不快を覚えているのは一緒だった。
金を融通してくれたラヴィエ家に感謝こそすれ、そこまで馬鹿にできるとは勘違いも甚だしい男である。
「大体、寄り親も寄り親だ。
嫌がるラヴィエ家にあんな最悪な縁談を押し付けておいて、好き勝手するダキアーノに抗議の一つもせずここまで放置して、挙句に破談だと?
シアの存在を知っていながら、平然とダキアーノに近付いた女も女だ。
面の皮が厚いにも程がある!」
窮児院で再会した時、シアは婚約者の浮気までは知っていなかった気がする。
ただ、家格が低い事を馬鹿にされ、理由もなく縁談を引き延ばされている事については、肩身が狭いと話していた。
もしこのまま婚約解消となれば、どれほど傷付く事だろうか。
「……なあ、ケイン。寄り子が親を変えるのは難しいけど、できなくはないって言っていたよな。
お前なら何とかできないか?」
「そうですね」
ケインはちょっと考え込んだ。カルセウス家の人脈を使えば、おそらくは可能だろう。
「セルシオ地方で寄り親をやっている貴族を探してみましょう。
知り合いは何人かいますから、何とかなると思います」
という事で、本人らの全くあずかり知らぬところでいろんな事が同時進行で動いているラヴィエ家であったが、そのラヴィエ家にもようやく最初の風が吹いて来た。
皇家の使者を名乗る文官が、ラヴィエの邸宅にやって来たのである。
因みにラヴィエ家の邸宅は、金にあかせて作った、どでーんとした石造りの三階建ての大きな建物である。
外壁のところどころは大理石で化粧張りがなされ、その幾何学的な紋様は言うまでもなく、階ごとに統一された左右対称のデザインも大層美しい。
はっきり言って、寄り親のカリアリ家の邸宅とは比べものにならないほど豪華な邸宅であり、更に広さで言えば、ラヴィエ家の厩舎の大きさがちょうどダキアーノ家の館の大きさである。
さて、そのラヴィエ家の邸宅を訪れた文官は、田舎らしからぬ垢ぬけたセンスの邸宅に内心驚きを隠せずにいたが、迎え入れたラヴィエ卿とその嫡男のジョシュアの方も、こんな田舎貴族に皇家の文官が何の用だろうと心臓をバクバクさせていた。
通された応接の間で、文官はまず、グルーク・モルガン卿からの書簡をラヴィエ卿に差し出したが、その内容に目を通したラヴィエ卿と息子のジョシュアは、えっ? うちの乾パンを三大騎士団の軍食に? 一体どっからうちの乾パンを知ったの? と目を白黒させられる事となった。
「実は、ラヴィエ家が作った乾パンを皇帝陛下と三大騎士団の団長らが試食されまして」と文官に説明された二人は、ああ、マルセイ騎士団に卸していた乾パンを、何かの折に偶然お召し上がりになったんだなと勝手に理解して頷き合ったが、実を言えば皇帝陛下のお口に入ったのは、ラヴィエ家が売り物にならないと弾いていた半端ものの乾パンである。
まあ、事実を知らないので、精神衛生上は何の問題もなかった。
という事で、ラヴィエ卿の周囲は一気に騒がしくなった。
納品を求められた事は大変光栄であったが、ラヴィエ家だけで皇家が望むだけの乾パンを作り得ない事は明白であり、ラヴィエ家が品種改良した小麦を他所の領地で作る事や、乾パンの製造についても別の家が関わっていく事が改めて説明され、それを踏まえての提案がラヴィエ家側に示された。
示された素案をラヴィエ家側は検討し、話し合いを重ね、結局、両者は発案保護権という名称の下で、この先二十年間、ラヴィエ家に収入の一定額を還元するという事で決着をつけた。
収入の一部とはいえ、三大騎士団が必要とする乾パンの総量は莫大なものであるから、この先二十年は何もしなくても遊んで暮らせるほどの収入が国から入ってくる事となる。
とまあ、その後数日は、棚から牡丹餅のような幸運をしみじみと噛みしめていたラヴィエ家であったが、続いて降りかかってきたのは超ド級の不幸だった。
寄り親であるカリアリ家の当主がいきなりラヴィエ家を訪れ、アント・ダキアーノとオルテンシアとの婚約を白紙に戻したいと言ってきたのである。
それまでも社交場の噂を集めていたラヴィエ家は、アントがカリアリ卿の姪リリアーナに近付いて、まるで本当の婚約者さながらいろいろな社交の場に連れ歩いている事を当然知っていた。
その事について寄り親に何度も抗議をし、これ以上オルテンシアの名誉を損ねぬよう、強くダキアーノ家側に申し入れるよう頼んでもいた。
それをずっと放置された挙句の突然の婚約解消である。
温厚なラヴィエ卿もこれには当然激怒した。
すでに愛娘のシアは十九になっている。
アントに縛られさえしなければ、シアにはいくらでも良縁はあったのだ。
「覚えておいでですかな。
娘が十六を過ぎても、結婚の日取りを決めようとしないダキアーノ家に焦れて、私は貴方にはっきりと申し上げた筈だ。
今ならば、最初にお渡しした婚約祝い金さえ返して下されば、毎年お渡しした援助金までは返却を求めない。娘を蔑ろにしているダキアーノ家にこのまま嫁がせるのは不憫だから、ここではっきりと婚約解消してくれと。
だがそこまで言っても、貴方は何も動いてくだされなかった。
それを今になって婚約を白紙に戻し、しかも違約金は一・二倍にして欲しいなど、我が家を馬鹿にしておられるのか!」
ダキアーノ家の望みは最初から金だった。
本来ならば婚儀の時に持たせる持参金を前倒しして婚約時に受け取りたいと言い、更には毎年、一定額の援助をして欲しいと、当たり前のような顔で金の無心をされた。
「こちらには契約書もある。
婚約時の祝い金と、結婚までの援助金の総額がオルテンシアの持参金となり、婚約不履行となった場合は、最低でも持参金の二倍額を違約金としてダキアーノ側が支払うと明記されている筈だ」
正論を言ってくるラヴィエ卿にカリアリ卿は渋い顔をし、「まあまあ、落ち着け」と宥めてきた。
「遡れば皇家の姫君が降嫁されたような家柄の男性と婚約できていただけでも、ラヴィエ家の箔がついたというものではないか。
確かにオルテンシアはもう十九になっている。それは申し訳ない事だ。
だが、ラヴィエ家はこれほどに財力もあり、オルテンシアは可愛らしく育っておる。いくらでもいい縁は他にある筈だし、今度こそ我が家が責任をもって申し分のない縁を見つけてやろう。
なに、寄り親としての我が家の力を使えば、他にいくらでもいい縁など……」
「お断りする」
目の奥が赤く染まるような怒りに、ラヴィエ卿はカリアリ卿の言葉を遮った。
「あれほどの悪縁を持ってこられた貴方に、二度と娘の縁組の仲介を頼みたいとは思わぬ」
格下の寄り子に歯向かわれ、カリアリ卿はかっとなった。
「こちらが下手に出てやれば、いい気になりおって。
良いか! これ以上寄り親に逆らう気なら、お前たち家族を貴族社会で爪はじきにする事もできるのだぞ!」
「……!」
あからさまな脅しにラヴィエ卿は息を呑み、その様子を見たカリアリ卿は優位を確信して尊大な笑みを浮かべてきた。
「ラヴィエ卿。確かに違約金を減額されるのは業腹かもしれん。だが、ラヴィエ家は全く金に不自由はしておらぬではないか。
今までの総額の一・二倍でも、利益は十分に出るだろう。それで手を打った方が賢いやり方だと私は思うぞ」
金の問題ではないと、ラヴィエ卿は膝の上の拳を握り締めた。
結婚前に持参金を渡していた場合、持参金の二倍返しが貴族社会の一般常識で、婚約の期間が長ければ長いほど違約金は跳ね上がっていく。
シアは十年以上この婚約に縛られ、すでに十九になっているのだ。
三倍額の違約金が支払われてもおかしくないのに、たった一・二倍額で手を打たれては、それだけの価値しかない娘だとシアが後ろ指をさされかねない。
「……ダキアーノ卿は何故謝罪に来られない。
我が家から金を無心し続けた上、不貞を働いた挙句に婚約を破棄し、違約金さえも出し渋ろうとしているのだ。床に手をついて謝るのが筋ではないか!」
「くどいぞ!」
カリアリ卿は声を荒らげた。
「とにかく、この婚約は解消だ! すでにこの家と縁の切れたダキアーノ卿が、わざわざ足を運ぶ必要などない!
いいか、ラヴィエ卿。頭を冷やしてよく考える事だ。
確か、そちらのジョシュア殿は縁組が整ったばかりだった筈だ。そのお相手は、寄り親に逆らうようなラヴィエ家をどう見るだろうな」
思わぬ弱みを突かれて、ラヴィエ卿は歯噛みした。
言ってやりたい事は山のようにあったが、これ以上事を荒立てれば、カリアリ卿は本気でラヴィエ家を潰しにかかるだろう。
まだ縁談が決まっていない次男や末娘、そして近々結婚が決まっている長男の行く末を思えば、これ以上力ある寄り親に逆らう事は避けなければならなかった。
子どものために頭を下げるべきか、けれどこの提案を受け入れてはシアに傷がつくと心は乱れ、目も眩むような怒りの中で逡巡するラヴィエ卿の耳に、思いがけない言葉が入ってきた。
「我が家を爪はじきにしたいなら、そうなさればいい」
ラヴィエ卿は弾かれたように顔を上げ、慌てて声の方を見た。
そこにはやや顔を青ざめさせた長男ジョシュアが、傲然と顎を上げてカリアリ卿を見つめていた。
「家の面子を捨ててまで、貴方に媚びようとは思いません。
私の結婚相手はきちんと理解してくれる筈ですし、もし破談となってもラヴィエ家はこれからもやっていけます」
「ジョシュア……」
止めるべきかと瞳を揺らがせるラヴィエ卿に、ジョシュアは力づけるように小さく頷いてきた。
「父上、思い出して下さい。例えば先日の商談相手が、カリアリ卿の力に屈服するとでも?」
さらりと続けられた言葉に、ラヴィエ卿はこんな時であるにも拘らず、思わず笑い出したくなった。
ジョシュアは賢明に名を出さなかったが、実のところその商談相手とは皇家の事だ。
確かに、一地方の寄り親に過ぎないカリアリ卿がどう吠えたてようと、今更あの契約を反故にさせる事は不可能だ。
貴族社会での繋がりを断たれたとしても、ラヴィエ家にはまだ商売が残っている。
そう思った瞬間、ラヴィエ卿の中で何かが吹っ切れた。
「商談相手? 家格の低い家が最後に頼るのはつまるところ金か」
小馬鹿にしたようにカリアリ卿の物言いも、もう心に刺さる事はなかった。
「貴方にどう思われようが我が家は一向に差し支えない」
ラヴィエ卿はそう返し、正面からカリアリ卿の顔を見た。
「婚約解消は喜んで受け入れよう。ただし違約金は、契約に則ってきちんと請求させていただく。
ああ、ダキアーノ家に支払う金がないからといって、もう一度婚約を結び直して差し上げる気はこちらには微塵もない。
ダキアーノ卿にはくれぐれもそうお伝え下さい」




