皇弟は茶トラと再会する
という事で、久々の本国で社交にいそしみ始めたケインだが、セルティスの方はとある思惑があってケインの帰国を大層心待ちにしていた。
「ケイン、またお忍びに出掛けないか?」
ついに来たかという感じである。
まあ、騎士学校在学中はお忍びを禁止され、ケインは社交デビューしてすぐ他国に行ったので、また一緒に出かけようという約束がずっと先送りになっていた。
ケインの身辺も落ち着いてきたし、そろそろいいだろうと思ったようだ。
「兄上の許可はすでにとってある」
「そりゃあ、どうも」
皇帝陛下の許可が下りているなら話は早い。
「今度は市中で駆けっこはするなと釘を刺されたけどな」
続けられた言葉に、ケインは半笑いとなった。
あの後、お忍びの顛末を報告されたアレク陛下はまさに度肝を抜かれたらしい。
あの頃皇帝は、セルティスの事を大人しくて物静かな弟君だと何故か信じ込んでおられ、その弟君が護衛を振り切って下町を暴走したという報告に、嘘だろ……?と頭を抱え込まれたそうだ。
まあ、傍にいたケインだって、あの時はこれで自分の人生もおしまいかと半分覚悟した。
「普通の皇族はあんな事しませんからね」
溜め息混じりに当時の恨みを口にすれば、「済んだ事は気にするな」とセルティスに言われた。
それは迷惑をかけられた方が言う言葉であって、かけた方に言われると何か納得できない。
「あの時は兄上にも、無茶はするなと叱られたな。
でも一連の報告を受けた兄上は、内心では私が羨ましかったみたいだ」
羨ましい……?
ケインはちょっと無言になった。
「……まさかあのお年で、下町を駆け回りたかったんですか?」
「ん? ちがう。そっちじゃなくてサロンの方だ。姉上とデートしたかったらしくて」
「あー、なるほど!」
ケインは何かほっとした。一瞬、やんちゃ全開で下町を全力疾走する皇帝陛下と、それを鬼の形相で追うアントーレ副官の姿を想像してしまった。
「よっぽどサロンの印象が強かったみたいでさ。
姉上が戻って来て、兄上は何度かサロンに姉上を誘っているんだ。恋人みたいな雰囲気を醸し出して、護衛騎士らが目のやり場に困ったって言ってた」
相変わらず仲の良いお二人である。
「という事は、殿下もサロンにまた行きたいって事ですか?」
「兄上が姉上を誘って行ったところに、どうして私が男を誘って行かなきゃいけないんだ」
セルティスは嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「二人で行くのなら女性とがいい」
「……そりゃあ、そうですよね」
ご尤もな意見だった。
「あっ、そうだ。サロンで思い出したけど、今度マイラを連れて行ってやりたいんだ。サロンの事を誰かから聞いたみたいで、行きたいってねだられた」
「そう言えば、そろそろ興味を持たれるお年頃ですね」
サロンは一応社交場であるので、幼い子どもは入店を断られる。マナーができていないと、他の客に迷惑をかけてしまうからだ。
だが、マイラ殿下ならその点は安心である。
つい先日、マイラ殿下のために皇后が開かれた内輪のお茶会にケインも出席したが、マナーは完璧で立ち居振る舞いも美しく、まさに小さな淑女と言った感じだった。
「良かったら、ケインも付き合ってくれないか? 一人で連れ出すのがちょっと不安でさ」
「それは構いませんけど。
でもどうせ行くなら、母君のセクトゥール殿下とご一緒に出かけられたいのでは? セクトゥール殿下の御都合はつかないのですか?」
そう言ってみると、セルティスは少し顔を曇らせた。
「ここだけの話だが、セクトゥール様はこのところ体調を崩されているんだ。そのせいでマイラもずっと元気がない」
ご容態は……と尋ねようとして、ケインはすぐに聞くべきではないと自分を戒めた。
臣下の自分が気軽に立ち入っていい話題ではないし、必要ならばセルティスが教えてくれるだろう。
「では、兄君の殿下が連れて行って差し上げないといけませんね。今度、日を改めて一緒に参りましょうか」
ケインの言葉に、セルティスは「助かる」とほっとしたように笑った。
「外国の話とかも聞きたがっていたから、いろいろ教えてやってくれ。ケインなら、あの年頃の子の扱いにも慣れているから安心だ」
「まあ、慣れてはいますけどね」
何と言っても、一番下の妹とマイラ殿下は一つ違いである。
「ああ。同じ年頃の話し相手が欲しいなら、一番下の妹を連れて行きましょうか?」
試しにそう聞いてみると、セルティスはちょっと考えた末に首を振った。
「今回はいい。今度、紹介してやってくれないか。マイラもきっと喜ぶだろう」
「ええ。わかりました」
その件はそれでいいとして……と、ケインは話を戻した。
「殿下はお忍びでどこに行きたいんです? どこか行きたいところがあるんじゃないですか?」
一応希望を聞いておかないと、ケインにも心積もりというものがある。
万が一にも屋台で買い食いしたいなどという野心をまだ持っておられるのなら、早目に潰しておく必要があるからだ。
だが、そんな心配はどうやら杞憂だったようだ。意外にもセルティスはごく常識的な街歩きを提案してきた。
「実は姉上からミダスの見どころをいろいろ伺ってさ。
ミダスには石畳がきれいな教会とかステンドグラスが有名な大聖堂とかがあるみたいなんだ。他にも趣向を凝らした噴水広場がたくさんあるようだから、のんびり歩いて回りたいかなって」
「……それは面白そうですね」
面白そうだが、皇后陛下、ミダスの街に詳し過ぎだろ? とケインは密かに心の中で突っ込んだ。
どんだけ街歩きを楽しんでいたんだ……? とそっちの方が気になるケインである。
「で、一通り回ったら、最後に窮児院を見学したい。ほら、以前のお忍びでシアを送って行ったところなんだけど」
「ああ、あの窮児院ですか。でも何で窮児院なんです?」
「姉上からどんな風なところか教えて欲しいって頼まれた。
救護院には何度かお忍びで行っていたみたいだけど、窮児院は行った事がないんだってさ。
慰問で訪れたいけど、皇后として行けば迎える方に気を遣わせるから、今は報告だけを受けているって言ってた。
希望すれば中も見せてもらえるようだから、見学して様子を教えて欲しいって」
「なるほど」
いかにも皇后陛下らしいお言葉である。
「そういや、窮児院の院長は皇族の顔を知っている可能性があるから、一応カツラを被って行くよう言われた」
「ああ。窮児院の中では帽子を脱がないといけませんからね」
ケインは頷き、楽しそうにセルティスを見た。
「初カツラですか。何だか面白そうですね」
「うん。どんな変装になるか楽しみだ」
さて当日、空は青く晴れ渡り、絶好の遠足日和だった。
ガタが来た馬車に乗り込み、貧乏貴族が着るような安っぽい衣装に身を包んだセルティスは、肩までの長さの栗毛色のカツラを被り、超ご機嫌である。
ケインの方は、髪色や髪型を変えただけでここまで人の印象が変わるんだと内心驚いていた。
勿論知り合いであればすぐにセルティスだと気付くだろうが、余り親しくない人間なら、すれ違ってもそのまま素通りしてしまいそうだ。
最近は民の間にも顔が知られるようになっていたセルティスだが、このカツラとツバ広の帽子のせいで誰にも気づかれる事なく、のびのびと散策を楽しんだ。
勿論、護衛騎士はそこかしこに配置されていて、セルティスも勿論その存在に気付いたようだが(何と言っても、気配をまるで隠していないのだ。もしかすると、暴走するなという無言の警告であるのかもしれない)、全く気にせずに終始笑顔で喋っていた。
そうして散策を十分堪能したところで、二人は予定通り馬車で窮児院へと向かった。
因みにこの窮児院は、親のない子たちのために聖教会が立ち上げたものである。
皇都に住んでいた一人の司祭が親を亡くした子を教会に引き取った事がきっかけで始まり、やがてそれが窮児院としてアンシェーゼに定着した。
その後、国の至る所に窮児院が建てられるようになり、今やその数は四百とも五百ともと言われている。
今日行く窮児院は、その中でも比較的規模の大きいところであるらしい。手に職をつけられるよう技能指導をする施設も併設されていて、現在は三百人近い子どもたちが保護されていると聞いた。
やがて窮児院の少し手前で馬車は止まり、ケインたちはそこで待機していた二人の護衛騎士と合流した。
窮児院は不特定多数の人間が出入りするため、万が一を考えて護衛を連れて入るようにと皇后に言われたためだ。
施設の周囲にも少なからぬ数の騎士が配置されている筈だが、うまく気配を隠していてケインにはどこにいるかはわからなかった。
大きい門をくぐり、敷地内へと足を踏み入れれば、左奥の庭の辺りから子どもたちの笑い声が響いてきた。
門から玄関までの道の両脇は広い畑となっていて、青々とした元気な葉が風にそよいでいる。司祭や子どもたちが丹精を込めて野菜を育てているようだ。
一番手前の建物の入り口にはちょうど二頭立ての馬車が横付けされていて、出迎えに出た司祭の一人が明るいベージュのドレスを着た女性と話しているのが見えた。
ツバ広の帽子をかぶっているせいで女性の顔はちょうど見えないが、どうやら支援者の一人のようだ。
下働きの男が馬車の中に顔を突っ込み、大きな箱を建物の中へと運んでいる。
「あの司祭に、挨拶すればいいのかな?」
窮児院を訪れるのは初めてなので、ケインも勝手がわからない。
歩きながら後ろの護衛に聞けば、「取り敢えず行ってみましょうか」と騎士が答え、そのまま進もうとした時、セルティスが急に立ち止まった。
見れば大きく目を見開いて、その場に立ち竦んでいる。
「え、何?」
ケインがセルティスの肩を揺すろうとした時、「レイ?」と小さな声が馬車の辺りからかけられた。
驚いて声の方を向けば、そこには同年代くらいの女性が呆然とこちらを見つめていて、ケインも思わずぽかんと口を開けた。
「え……、もしかして、シア?」
記憶よりも随分大人びていたが、それはまさしく、以前ミダスの街を一緒に散策したあの令嬢で間違いなかった。
「ケイン……! やっぱり貴方たちなんですね。まさか本当に会えるなんて!」
笑顔で駆け寄ってくるシアに、ようやく金縛りからとけたらしいセルティスが、「本物のシアだ」と嬉しそうに近寄って行く。
護衛たちが剣を握り締めてセルティスの前に飛び出そうとするのを、ケインは慌てて止めた。
「知り合いなんだ。彼女の事は私が保証する」
セルティスとシアは、伸ばせば手が触れるくらいの距離で立ち止まり、懐かしそうに笑い合った。
「シア。本当に久しぶりだ」
当時はまだ固い蕾のような稚さを顔立ちに残していたシアは、どこか守ってやりたくなるような可憐さはそのままに、しなやかな大人の女性へと変貌していた。
目はぱっちりと大きく、鼻はやや小さめで、唇はくすみのない鮮やかな薄紅色をしていてぷっくりと盛り上がっている。
美人というより可愛い系で、ほっそりとした腰と相まって、清楚な愛らしさを醸し出していた。
「こんなところで会えるなんて思わなかった」
弾んだ声で話しかけるセルティスへ、シアもまた頬を上気させて、「夢みたいです。こんな素敵な偶然があるなんて」と嬉しそうに笑う。
そして、不思議そうに尋ねかけた。
「ところでレイは、何でカツラを被っているんですか?」
思わぬ問いに、セルティスが笑顔のまま固まった。ついでに言えば、やや遅れてセルティスの横に立ったケインもその場に凍り付いた。
まさかこんな質問をしてくる人間に出会うなんて思ってもおらず、何も言い訳を用意していない。
いつもなら口八丁手八丁で相手を言い負かすセルティスが何一つ言葉を返せず、だらだらと汗を流すのを見て、ケインも傍で焦りまくった。
真っ白になった頭で、カツラを被る理由、カツラを被る理由と必死になって考え、ケインが思い出したのは、母方の伯母の義理の妹の御夫君がそれは見事な金髪のカツラを被っておられたという事だった。
確か理由は……と頭の隅から記憶を引っ張り出したケインは、そのまま後先考えずに「ハゲ隠しだ」と呟くようにその正解を口にしてしまっていた。
「は?」
セルティスがぎょっとしたようにこちらを振り向くのがわかったが、口から出てしまった言葉はもうどうしようもない。
「えっと、あー……。つまり」
ケインは再び必死になってその続きを考えた。
さすがにセルティスの年で丸ハゲは無理があるだろう。
てっぺん禿げにするか、おでこの生え際が全体的に後退していったハゲにするか……。そう言えば、ハゲにはもうひと種類、両サイドから生え際が退がっていくタイプもあったなとどうでもいい事を考えて、そこで突如、ケインは天啓を得た。
「つまり! ほんのかわいい円形ハゲなんだ! ここ最近、レイはちょっとストレスが多かったみたいで」
咄嗟にここまで続けられた自分はすごい! とケインは心の中で自分を絶賛した。
ケインはやり切った感に浸ったが、ハゲ認定されたセルティスの思いは別だったようだ。
「ケイン、お前……」
わなわなと声を震わされたが、これ以上にいい理由がある? とケインは反対にセルティスに目で問いかけた。
ハゲを回避したいセルティスは必死になって別の言い訳をひねり出そうとしたが、優秀な脳ミソをどう絞っても、結局何も思いつかなかったらしい。
最終的にがっくりと肩を落とし、「まあ、そういう訳だ……」と屈辱の一言を口にした。
「そ、そうなの」
シアは何とか慰めを口にしようとしたが、こちらも何も言葉が見当たらず、「お大事に」と労わるようにセルティスに声をかけた。
お陰でそれ以上カツラについては突っ込まれなくなったから、結果オーライという事だろう。
どこかいたたまれないような沈黙が三人を訪れたが、その微妙な空気を破ったのは窮児院の司祭だった。
どうやら声をかけるタイミングを見計らっていたらしい。
「ラヴィエ様、こちらの方々は?」
シアがはっとしたように顔を上げ、それから困ったようにケインたちを見た。
ケインたちの家名を知らないので、どう紹介のしようもなかったのだろう。
ケインは一歩前に進み出た。
「匿名で申し訳ありませんが、心ばかりこちらに寄付をしたいと思い、やって参りました」
そう言って紙幣の束を包んだ封筒を差し出せば、「これは痛み入ります」と司祭は両手で大切そうにそれを受け取った。
「あなた方に神の御加護がありますように」
セルティスとケインはその祝福を受けて静かに頭を下げた。
司祭は丁寧に返礼した後、人の良さそうな顔に笑みを浮かべて改めてシアの方を見た。
「ご友人方と久しぶりにお会いになられたご様子。よろしければ面談室にお通ししましょうか。積もる話もおありでしょう」
シアはケインたちにどうします? と目で尋ねてきて、セルティスは「ご厚意に甘えよう」と頷いた。
それを聞いたシアは、嬉しそうに笑顔を弾けさせた。




