何が起こってる?
「ハル……!」
「……」
社長室の中、わたしは感動に震えながら、ハルの手を握りしめる。
なんでそんな事になっているのかと言うと、この優秀秘書のお陰で、午後からの仕事が無くなったからだ。
「おい、そろそろ離せ」
「ごめん」
わたしは力強く握りしめていたハルの手を離す。
格好が金髪でピアスだらけだから軽い男にも見えるが、顔を真っ赤にしている辺り、もしかしたら目の前に立っているハーフは女性に免疫が無いのかもしれない。
「前々から思ってたけど、あんたは働きすぎだ。いくら土日休みたいからって、このままじゃ体調を崩すぞ」
(わたしの身体を心配してくれてたんだ)
お昼を食べ終えてからハルは部屋を出て行ってしまったのだが、何をしていたのか思えば、どうやらスケジュール調整をし直していたらしい。
午後からは新しく始めるエステやネイル店の機材購入に行く予定だったのだが、社長自らが動かなくてもいいだろうとなり、その仕事は他の社員達に任せる事となった。
どうやら、外回りに出ている人達を買い付けに向かわせるみたいだ。
元々、わたしはエステやネイルには詳しくないし、この仕事だって最終確認は女性の社長に任せると会議で決まっただけである。
なので、どうしても自分が機器購入に行きたい! という拘りがある訳でもない。
それに、うちの会社は女性社員が多いし、買い付けも彼女達に任せてしまえば失敗も少ないだろう。
女として生きてきた経験が豊富だし、わたしよりもエステやネイルには詳しいだろうから、安心だ。
「もう買い付けに向かわせる人材は決まってるの?」
「ああ、エステ機器を販売してる会社の近場にいる社員達へ購入に行くよう指示を出した。ネイル製品に関しても同じだ」
「仕事が早いね。じゃあ、わたしは……」
「帰れ。家で身体を休めるか、気晴らしになるのなら、早めに保育園へ子供を迎えにでも行って遊んでやれば?」
「そうだね。ハルはどうする?」
「俺も帰宅する。後の仕事はテレワークで出来るしな」
「そっか。じゃあ帰ろうか」
急に空いた予定に気を良くし、足取り軽く会社を出る。
「そういえば、ハルって、何処に住んでるの?」
「練馬」
「え? 同じだ。じゃあ帰りも一緒だね」
「……そうだな」
「てか、急に優しいよね。いつもなら、わたしに黙って仕事させてたんじゃないの?」
「食える弁当だったからな」
「は? ……どういう事?」
ハルの言葉に気分を害し、少し語気が強くなってしまう。
お弁当に変な食材なんか入れてないし、健康面だって考えながら作った。
それなのに、食べられる物だったなんて言い方は調理した人に向かって、少し失礼なんじゃないだろうか?
「怒るな。変な意味じゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「頬を膨らますな。あんたは子供か?」
わたしの事を、呆れた目で見るハル。
どうも、無意識にサキちゃんが怒った時の表情をしてしまっていたらしい。
うちの子は、これに加えて唇を尖らせたりもするから全く同じでもないが、子供の癖というのは親にも伝染るみたいだ。
「……悪かった。あんたの弁当が食えたってのは、本当に変な意味じゃないんだ。俺、同じ物しか口にできないんだよ」
「うん? ちょっとよくわかんない。どういう意味?」
「摂食障害とでも言えばいいのかな? いつもと違う食べ物を口にすると、吐き出してしまうんだ」
「……そうなんだ」
摂食障害というのは聞いた事がある。
人によっては絶食したり過食したりと、症状も様々だ。
原因も精神的なものもあれば、体重や体型など見た目な事だったりもして、複数の要因があるらしい。
ハルの人生に何があって、そういう風になったのかは知らないけど、お弁当を気楽に用意して食べさせてしまった自分の無神経さが嫌になる。
「……ごめん」
わたしは落ち込み、謝罪する。
先程まで帰宅に喜んで機嫌も良かったのに、今は、まるで天国から地獄に落ちた気分だ。
「気にするな。寧ろ、食べられる物が増えて、嬉しく思ってるくらいだ。また持ってきてくれたら有り難い」
気を遣ってくれているのか、ハルは笑いながら、頭を優しく撫でてきた。
「……うん。またお弁当作って持ってくよ」
一瞬の間に色々な事を考えたが、ハルだって同じ物を口にするのは、もう飽き飽きしているのかもしれない。
なら、わたしは彼が食べられる物が増えるように、努力しよう。
それが今回、健康面を心配してくれたハルへの、お返しにもなる筈だ。
✢ ✢ ✢ ✢ ✢
練馬に着き駅構内から出て少し歩くと、保育園児達を乗せた車輪の付いている籠が、目の前を通った。
散歩の時間みたいだ。
子供達と目が合うと、わたしとハルに1人の園児が手を振ってきた。
『ばいばい』
その園児の言葉を皮切りに、次々と子供達が、わたし達に向かって言葉を続ける。
『こんにちゅわー!』
『ばいば〜い』
『まちゃね!』
出会いと別れの挨拶を同時にされるのも変な気分だが、わたしも手を振りながら1人ずつ「こんにちは!」「ばいばい」「またね!」と返事を返していく。
園児達を乗せている籠の数台が目の前を通り過ぎていったところで、次に来た、お散歩車から『ママ〜!』と聞こえてきた。
「サキちゃん!?」
「ママ〜!」
あ、これ、サキちゃんが通ってる保育園の、お散歩だったんだ。
道理で(何人か見た事あるな〜)なんて、思った筈だ。
因みに、籠を押しているのはチナツさんだった。
お散歩車が止まると、サキちゃんが抱っこのポーズをしてきた。
そしてその小さな身体を、わたしは自然と持ち上げる。
チナツさんが「こんな時間からデートとは、いい身分ね」とか言っていたが、それは勘違いだ。
我が子を抱っこしていると、体温が伝わってきて心が暖かくなり、わたしも幸せな気分になっていく。
「あの、そろそろ保育園に戻りたいから、サキちゃんを籠に戻して欲しいのだけど」
「そうだチナツさん。今日は仕事が早く終わったから、このまま連れて帰るよ」
「そうなの? でも荷物はどうするの? わたしが届けようか?」
「後で取りに行くよ。保育園は近いしね」
「そう、わかったわ。じゃあね」
「うん、じゃあね」
園児とチナツさんに、手を振って別れる。
抱っこしていたサキちゃんを地面に降ろすと、何故かハルの方にトコトコと近付いて行った。
いつもなら、わたしと手を繋ぐ流れなのだが、どうしたというのだろう?
ハルの足元にピッタリと、くっ付くサキちゃん。
そしてそのまま、彼の片脚を両腕で力一杯に抱きしめた。
え? どういうこと? 一体、今、何が起こってるの?
会議でエステやネイルに詳しいと思われて、実は内心焦ってた主人公。
当日は帰ってネットや友人(チナツさん、ユキさん)に聞いたりして猛勉強しました。
女性社員達はモデル業などをしている社長の方が色々と詳しいと勘違いしています。




