自分のために書いてます
最近の私は、書き溜めてはいるが、
ごみ溜めである。
既に自分自身がゴミであると認識した上で書いている。
『作家』というのには、まだまだだ。
自分は書いている何かであるという認識、
自分の中のルールでは、
『作家』という言葉を自分からは使わないし、
未来永劫使うことはないのだろうと思う。
誇張しているのかもしれない。
けれど、自分の文は下手くそで、不器用というのを理解した上で、それは、ずっと続いていく。
変える気などない。
推敲という言葉がお金を発生するのなら、
わざわざ、個性を捨ててまで推敲という言葉を得たくはない。
売れない、売れたい、承認されたい、という欲は捨てるべき。
これは、自分に言い聞かせたうえで書くものだ。
じゃなきゃ自分が苦しくなる。
最近、どうしているのかなぁと時々、
かつての仲間(?)の状況を見ることがあるが、
苦しんでいる人もいたり、平常運転の人もいたり、
人は確かに十人十色なのだと知る。
少なくとも、僕は、努力はしない。つまり、小説においては
だけど、、継続はする。
確かにクソではあるけれど、
継続すれば、強みになるのかなと、
確かに今はクソだけど、続ければ強くなれるのだと、
少年漫画の主人公じゃないし、努力という言葉が似合わないかもしれないけれど。
文字を連ねている限り、人は思考する葦であるのだと、
僕は思うんです。
だけど、努力しないと、人は生きられない。
だから、努力しているのも十人十色、
僕も正直、努力をしたい。
だけど、努力の方向性がわからない。
わかんないなりに進めればいい。
とりあえず、先生!本を読了することを目指します。
アガサ・クリスティー先輩!
「そして、誰もいなくなった」




